
ともに耕し、ともに生きる?ボスニアのコミュニティガーデン?
(大塚敦子 写真絵本「平和の種をまく ボスニアの少女エミナ」より)。
いま、ボスニア・へルツェゴビナの首都サラエボで、この文章を書いている。私が借りている丘の上のアパートの窓からは、旧市街が一望のもとに見渡せる。正面に見えるのはモスク、その先にあるのはカトリックの大聖堂、そのまた近くにはセルビア正教の教会。イスラム教、カトリック教、セルビア正教の3つの宗教が長年にわたって共存してきた歴史が、この窓からは一目で見えるのだ。
旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一員だったボスニア・ヘルツェゴビナでは、セルビア人、クロアチア人、モスリム人(現在はボシュニアクと呼ばれる)の3つの民族がともに平和に暮らしていた。だが冷戦後、旧ユーゴ連邦の崩壊が始まると、独立に伴って領土をめぐる戦争が起こった。3民族が互いに争った結果、いまは1つの国境のなかに2つの国(のようなもの)を抱える、という複雑な状況になっている。
「民族浄化」という恐ろしい言葉を記憶している人もいるだろう。異なる民族との共存を否定し、ある地域を自民族だけのものにするため、他民族を殺したり、追放する・・・。1992年から3年半にわたった戦争で、国の人口の約半分にあたる200万もの人びとが難民、あるいは国内避難民として自分の住んでいた町や村を追われた。死者は20万とも25万ともいわれる。
そんな悲惨な戦争のあとで、人びとはどうやってまたいっしょに生きていくのだろう? 異なる民族への不信は深く、戦後は民族ごとの住み分けが進んでいる。以前のようにみんなが混じり合って暮らしていたコミュニティはなくなり、ますます和解はむずかしくなるばかり・・・。
そんななか、ある希望に満ちたプロジェクトに出会った。それは、異なる民族の人たちが、ともに畑を耕し、野菜を育てる「コミュニティ・ガーデン」のプロジェクトだ。スタートした当初は1つだけだったが、7年後のいまは14のコミュニティ・ガーデンがあり、民族を越えた多くの友情を育んでいる。
4年前にこのプロジェクトのことを知ったとき、自分のなかにあったさまざまな問いへの答えが見つかるような気がした。内戦の後、人びとはどうやって共存の道を見つけるのか? 人の心を癒し、人と人を結びつける緑の力が、それにどう役立つのか?
私がサラエボを訪れるのは今回で3度目だが、いつ来ても、コミュニティ・ガーデンにはやわらかで清浄な空気が流れ、思わず深呼吸したくなる。土に触れ、野菜を育てるという行為は、人間の営みそのものだ。だからこそ、コミュニティ・ガーデンは人びとの生活に根づき、長く困難な平和へのプロセスを助けることができるのだろう。
「この農園に来るようになってから、わたしの生活はすっかり変わったよ。いまも食べていくのがせいいっぱいだけど、それがたいしたこととは思えなくなったんだよ。ここでは民族に関係なく、みんないっしょにいられるもの。どんなに物があっても、それを分けあう相手がいなかったら、何の意味がある?」
ガーデンで働くある女性の言葉が忘れられない。
コメントを送る



