
HIVとともに生きるビアトリス 第2回

生きること。
私たちの多くは、あたりまえのこととして、深く考えもしない。だが、ビアトリスにとっては、これこそが何より大きなチャレンジだった。多くの友人たちが若くしてエイズで死んでいくなかで、彼女は生きていくために、生きる希望を持ち続けるために、さまざまな新しい目標を見つけ、それを達成する努力をしてきた。
たとえば、29歳の夏に挑んだ長距離自転車ツアー「エイズ・ライド」。これは、低所得のエイズ患者の支援資金を集めるために、4日間で580キロを走破するという非常にハードな旅だ。ビアトリスは運動が得意ではなかったけれど、このイベントに参加するために半年かけてトレーニングを積んだ。当時の彼女の免疫力を示すCD4値は150しかなく(健康な人は600以上)、すでにエイズ患者と認定されていたにもかかわらず。
昼間は車で側を伴走し、夜はいっしょにテントに寝泊まりした4日間、ビアトリスのお尻は赤く腫れ、太ももは擦れて、見るからに痛々しかった。それでも彼女はいっさい泣き言を言わず、最後まで走り抜いたのである。
何よりの感動は、フィニッシュラインに彼女の母親が待っていたことだ。それまでどうしても娘のHIV感染を受け入れられなかった母親が、初めてこの日、ビアトリスを抱きしめ、心から祝福した。
ビアトリスの次の大きなチャレンジは、出産だ。結婚して以来、ビアトリスは子どもが欲しいとずっと思い続けてきた。けれど、母子感染のリスクと、いつまで生きられるかわからない自分の状態を考え、出産だけは無理だろうとあきらめていた。それが、エイズ治療がめざましい進歩をとげ、彼女のまわりでも元気な子どもを出産する女性たちが増えてきて、希望が湧いてきたのだった。
3年近く考え抜き、母子感染のリスクは2パーセント以下、という主治医の見解も得て、ビアトリスの気持ちはほぼ固まった。もう一つのハードルは、「もし子どもが成人するまで生きていられなかったら・・・」ということだったけれど、その場合は親しい友人夫妻が養父母になってくれることになった。出産でビアトリスの健康が損なわれるのではないかと心配した夫のクリスも最後は賛成し、二人は新しい命をこの世に送り出すことを決意したのである。
そして、2001年1月、娘エヴァ誕生。
エヴァは元気に成長し、もうすぐ5歳になる。母親に似て、利発でおしゃまなかわいい女の子だ。ビアトリスは、自分の選択を娘に理解してもらいたい、と願う。
「早く死ぬかもしれないのにどうして私を産んだの?って、エヴァがいつか思うかもしれない。でも、人生はもともと不確実なものであること、エヴァはクリスと私の愛情の結実なんだということを、わかってもらいたい」
出会いから14年、ビアトリスは38歳になった。いまでこそ先進国ではエイズは管理可能な慢性疾患のようになりつつあるが、当時は彼女がこの年齢まで生きるとは想像もできなかった。あと何年いっしょにいられるのか、ビアトリスの人生はまるで砂時計のように思えた。そんな私の思いを知っていたのか、ビアトリスはよく笑いながら、「いっしょに年を取ろうね」と言ってくれたものだ。実際、私たちの誕生日は1日違いなので、毎年私は自分の誕生日が来るたびに、また彼女とともに年を取れたことを祝うのである。
ビアトリスの挑戦はその後も続いている。娘の誕生後は、大学院で心理学の修士号を取った。現在は、ホスピスのソーシャルワーカーとして働く。いまの一番の目標は、娘エヴァの成長を見届けることだという。
来年は、彼女のHIV感染から20年。そのときは、懸命に生き抜いてきた彼女の「生」を祝って、大パーティをしようではないかと、いまから友人一同で盛り上がっている。
(終わり)
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