本文へメインメニューへ
ここから本文です

ハート ネット ピープル

HIVとともに生きるビアトリス 第1回


[写真] ビアトリスのポートレート。(撮影=大塚敦子)

ジャーナリストの大塚敦子さんが世界の行く先々で出会った人々を通して「ともに生きることの大切さ」を伝えます。第1回は、19歳でHIVに感染して20年、かけがえのない命を生きる友人のことを語ります。

10月、ある友人に会いに、アメリカ・バージニア州のフレデリクスバーグという町に行ってきた。彼女は、その人がこの世に存在していると思うだけで心が温かくなる、かけがえのない友人だ。

ビアトリス、38歳。彼女と出会ったのは、私がワシントンに住んでいた1992年のこと。肩に猫を乗せてにっこり微笑む彼女の写真を新聞で見て、「どうしてもこの人に会いたい」と思い、取材を申し込んだのが、14年に渡るつきあいの始まりだ。

90年代前半といえば、アメリカでもまだエイズへの恐れと偏見が根強かった頃である。そんななかで、堂々と新聞に名前と顔を公表してカミングアウトしたビアトリスは、同じ病と生きるほかの人びとにどれほど勇気を与えたことだろう。

彼女は、19歳のときに恋人からHIV感染した。感染の事実を知ったときはまだ大学2年生だったが、エイズを発症して家族からも見放された恋人にひとりで付き添い、看病する。だが、彼は8か月後に死亡。20歳のビアトリスは、自分もまもなく死ぬのだと、恐怖と絶望のなかに突き落とされた。

「エイズは神からの天罰」と信じていた厳格なカトリック教徒の両親には、とても感染のことを話せない。ただ一人打ち明けたルームメイトも、「もう同じ部屋では暮らせない」と出ていってしまった。ひとりぼっちで、苦しんで最期を迎えるぐらいなら、自分で命を断つほうがまし。ビアトリスは、自殺を考え始める。

そんな彼女を救ったのは、HIV感染者のサポートグループだった。そこでようやく自分を受け入れてくれる人びとと出会い、生きるきっかけをつかむ。転機が訪れたのは、恋人の死から4か月ほど経ったある秋の朝だった。木々の紅葉を眺めながら歩いていたとき、突然、はっきりと秋の匂いを感じ、その美しさに打たれたのだという。
「いま生きていることがどんなにすばらしい贈りものか、そのときやっとわかった。そして、もっと生きたい、と思ったの」
HIV感染を知ってから初めて、生きたいと思ったその瞬間を振り返るとき、いまもビアトリスの眼にはうっすらと涙が光る。

以来、ビアトリスは自分の人生に意味を見い出そうと模索を始めた。長くは生きられないかもしれない。でも、HIV感染者の自分だからこそできることがあるのではないか、と。

大学卒業後、ビアトリスは弁護士をめざしてロースクールに入学した。当時さまざまな差別に苦しんでいたHIV感染者を助ける仕事をしたいと思ったからだ。ところが、HIVがすでに免疫を破壊し始めていることがわかった。治療を受ける必要に迫られた彼女は、エイズ専門クリニックに就職。ボランティア・コーディネーターとして4年間働く。

その後は、ホスピスのボランティア・コーディネーターを経て、カウンセラーになった。ビアトリスは多くの友人をエイズで亡くしている。にもかかわらず、仕事でもまた、死にゆく人びととともに働くことを選んだのはなぜなのか。
「生きているときに人を愛することがどれだけ大切か、死にゆく人たちが教えてくれるから・・・」
以前私が尋ねたとき、彼女がこう答えたのが忘れられない。

ビアトリスは、24歳のとき結婚した。夫となったのは同じHIV感染者のクリスだ。私のファイルには、二人の結婚式のネガが何本も残っている。けれど、そのなかにビアトリスの両親の姿はない。彼女には5人の兄がいるが、結婚式に参列したのは、たった一人だけだった。

ビアトリスは、夫クリスと、彼女をありのままに受け入れてくれる友人たちを家族として、新たな人生に踏み出した。
(第2回へ続く)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://cgi2.nhk.or.jp/cgiblog/tb.cgi/916