
記憶のカタマリ

文/上村真紀(作業療法士)
ハートネットピープルの前回のレポート、読んだ?
読む?
「うん、読む」
太田さん、文字は読むことができますが、一行ずつ目で追っていくことは、だんだん難しくなっています。一行一行、わたしが指す爪の先を、一所懸命、目で追いかけて読みます。
読める?
「読める、読める」
このときのこと、憶えとるかな?
「うーん・・・」
棒読みで、わたしが前回のハートネットピープルレポートを読み上げました。
太田さんは、「うん、うん」と頷きながら、聴いてくれました。
最後のくだり。
『トンチンカンはまだまだ継続中です。太田さんが望みのまま・・・つづく』
「ぬあっははははは。上手ね、てきぱきと書いて」
トンチンカンの次は、太田さんの落し物について書こうかと思って。
「落し物ね、記憶を落とすよ。あっはははは」
笑ってるよ。

記憶を落として、もし、それを拾うことができたなら、それは、太田さんにとって、意味のあることだろうか?
「うーん、意味はないかもしれん」
落としたって事は、太田さんに必要ないものかもしれないね。
そう思えたら、落とした記憶は、惜しくはない?
「そうね、あっはははは、そりゃ、そうだ」
「忘れたことを『別にいいんじゃない』って、言ってもらえるもんね、そしたら、『ありがとう』って言えるね。楽だもん」
落とした記憶は、追いかけない!?
「追いかけない。こだわらない、こだわって生きても仕方がないからね」
落とした記憶、追いかけないはずはありません。トイレに行く途中、頭に手をのせて、右を向いたり、左を向いたり。時には、ロッカーの前で、クルッと一回転する太田さん。
記憶の堂々巡りが、手に取るように判ります。
本当に大事な記憶は、無くならないのかな。
「記憶は難しいやろう、記憶は無くなっていく。そういう力がなくなってしまうだろうから、それは、仕方ないことかな・・」
仕方ないか・・・・
「それこそね、新しいくすりができたとかね。そうするとまた、元気が出るかも知れんけどね」
「それについて、わあわああって言っても仕方がない」
あたふたしない?
「あたふたしない!」
つらくないかな? つらいよね?
「つらいと思うと、なんもできなくなる。思わないようにしている」
もう、いいさ、忘れてもいいさって?
「そう、それを、上村さんに教えてもらったんよ」
えっ? わたしが教えたの? それを、今、わたしが教えてもらっているの?
なんてこと・・・どういうこと?
「がっははははは」
・・・あはははは・・・
「だからね、そんなんでいいんじゃないかなって」
記憶の線の上から、ごっそり抜け落ちた、太田さんの記憶のカタマリ。
線がぷつんぷつん途切れて、途切れた線の、端と端をつなぎ合わせることに、一所懸命な認知症のひとの姿。
太田さんは、「そんなの必要ないよ!」ときっぱり言います。
わたしも一緒に言います、「必要ないよ!」。
でも、わたしが言ってもいい言葉なのか。
太田さんは、「それが一番、楽。嬉しいなあ、そう言ってもらえるのが」本気で言います。
だったら、いいのかな。こんなケアでいいのかなあ・・・
コメントを送る



