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ハート ネット ピープル

宿題の思い出

〔写真〕僕の事務所前から見た風景。見晴らしも良く、環境もいいのですが、毎日、仕事に追われて景色を楽しむ余裕などありません。昔は宿題、今は原稿の締め切りに追われています。

〔写真〕僕の事務所前から見た風景。見晴らしも良く、環境もいいのですが、毎日、仕事に追われて景色を楽しむ余裕などありません。昔は宿題、今は原稿の締め切りに追われています。

 

小学4年生と3年生の息子がいるが、毎日、家で宿題をしている姿に感心する。量も多く、よくぞそれだけのものを日々こなせるなあ、と思う。

僕は、宿題は一切やらなかった。というよりできなかった。比較的できる国語の宿題も、きちんとこなせる力量はなかなかなく、4年生のときなど、毎日、担任の先生に怒られていた思い出がある。

それを考えると、毎日、宿題に頑張っている子どもたちを見ると、それだけで感動してしまう。それで、3年生の息子の漢字ノートを見てビックリしてしまった。

漢字はひとマスひとマスに収めるように、送りがなはひとマスに2文字ずつ収めるように、きちんと指定がしてあり、わざわざ例のプリントが貼り付けてあった。

普通なら簡単なことかもしれないが、こういう風に書き方を指定されると、僕などはとても手が出せない。

恐らく小学校時代の僕なら、この指定通り、マスを埋めることに神経を使い過ぎて、本来の目的の「漢字を書く、覚える」ということがおろそかになってしまい、指定された分量の宿題をこなせることは、絶対にできなかっただろう。

だったら無理をせず、マスの書き方など気にせずに書けばいいのだが、そうしないと怒られる、注意される、と思うと、子どもの立場からは、自由にのびのび書けない。実際にその指示を無視すると、現実に注意されるのだから。

そう言えば、いろいろなことを思い出した。先生は、細かいところで、自分の意にそぐわないと、細かく注意をしてきたものだ。答えが合っていても、書き方が悪いと、注意をしてくる。「頑張って回答したのだ、それも答えが合っているのだ、素直にそれを誉めてくれよ!」と何度心で叫んだことか。

現実に、この指定通りできず、苦しむ子どもたちは多いだろう。僕は、できないこと、苦手なことを放っておく必要はないと思うが、無理してやる必要はないと思っている。

ノートを整理整頓して使うことを身に付けさせたい、という狙いもあるのだろうが、先生たちのサポートがないと1人ではできない場合は、同じ宿題でも、分量を気にせず、できるスキルで無理なくさせてあげたい、と思う。

「宿題ができる」ことも大切だが、やろうとする姿勢の方が大切ではないか。毎日できない量の宿題が出ると、日々こなせず、それが精神的な負担となり、全ての気力を失ってしまうのだ。僕はいじめ以上に、この「宿題地獄」が辛くて仕方なかった。

「他の人はどうあれ、僕には無理なんだから、先生は『大橋君だけは、宿題をやらなくてもいいよ』『全部やらなくてもいいから、ここだけしなさい』とか言ってくれないのだろうか」といつも思いながら、それを言い出せずに毎日怒られる自分がまた、嫌だった。

こんなことを書くのは、現実に、「宿題がなかなかできない」「宿題が多くてこなせず、先生からしょっちゅう怒られる」「親が宿題をしないことに厳しい」などの話を、一般的な意見として、未だにいろいろなところで聞くからだ。

学校で授業を受けるだけでも辛い子どもたちにとっては、さらに大きな壁を与えられる宿題は辛いだろう。子どもたちひとりひとりの特性に合わせて、親が先生と相談して宿題の量や内容を考慮したりしてあげないと、子どもにとっては大変な重荷になると思う。

…そう言えば小学校のころ、ウチの親父はこう言っていたっけ。

「家に帰って、ノートと教科書を開いて、よしやるぞ、と思えばいいんだ。それで問題が分からずにノートと教科書を閉じて、白紙で出しても、それは本当の白紙じゃないんだ」

メチャクチャな論理だが、それには意を強くしたな。今思えば、そのノートに親が「何も書いていませんが、子どもは努力しました」なんて書いてくれていたら怒られずに済んだのになあ、と思う。

コメント

大橋さん、こんにちは。
私は、小学生のとき、1年間くらい、宿題をしなかったことがあります。
毎朝、毎朝、先生にしかられる、と、ドキドキしていました。けれど、先生は、私をしかりませんでした。嬉しかったです。
毎晩、やろうとするのに、やりたいのに、できないというお気持ちが、すごくわかりました。
私の場合は、心は葛藤していて、体が動かなかったです。
だけど、先生に何もしかられず、そのまま、1年くらいたったときに、鉛筆を持ってみると、少しずつ、宿題ができるように、なりました。
みんなより、のんびりさんで、26歳のときに、大学に通い、卒業することができました。
卒業論文も、1日3行しか、書けなかったりしたのですが、大学を卒業して、4年後、不思議と、言葉が書けるようになりました。嬉しかったです。
大橋さんのブログを読んで、私も、思いだしてしまいました。

お久しぶりです、大橋さん。
年賀状、ありがとうございますね。
(今年は、昨年亡くなりました祖父、喪中だったのが、連絡してなく、すみません。)

家族そろった、大橋さんファミリーからは、元気いただきまして、まだまだ未熟者ですが、週に5回、マンション管理、清掃、老人ケア施設研修してます。

宿題の頭抱えるの、お気持ちわかります。

自宅から、パソコンはみず濡れ壊れましたが、スマートフォンから、ときどき読ませていただきます。
(昔、携帯電話技術者.....大好き携帯電話。でも、し過ぎないよう。)

大橋さん。


ご家族みなさん、健康にお過ごし下さいね。

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