
できることと、できないこと。
僕は、人と比べて、小さいころからできないことが多かった。
例えば、日課を揃えること。
国語、算数、理科、社会と、必要な科目を選んで教科書やノートをランドセルに入れる……こんな、人から見れば簡単にできるであろうことが、全くできなかった。
それで、僕の防御策は、全ての教科書とノートを、毎日学校に持って行くことだった。ランドセルが、やけに重たかった。
毎日の生活習慣を守ることも苦手だった。
片付け、整理整頓、歯を磨くこと、毎日決まった時間に風呂に入る…これが苦手中の苦手。小学5年のとき、全身に湿疹のようなものができて、親が心配して皮膚科に行ったら、先生から「お風呂に入ってないでしょう」って言われた。
病院で恥ずかしそうにしながらも、病院を出ると母親と大笑いしたのを思い出す。
「そう言えば、あんた、最近風呂に入ってなかったわね」 「だって、母ちゃん、風呂に入れ、って言わないから…」 「そういうものじゃないでしょう。風呂ぐらい自分で入りなさい」 「アハ、アハハ、でも、風呂に入ってないからだって」 「フフフ、傑作だわね」。
確かこんな会話だったと思うが、まるでコントのようである。
体育の時間は最悪。野球をしても、距離感がつかめず、フライが取れない。サッカーをしても、友達のパスが足に当たらない。
他にもたくさんあるが、「誰もができること」 がなかなかできなかった。みんなと一緒に行動しても、ワンテンポ、ツーテンポ遅いのだ。
学校の先生や友達は、こんな僕をずいぶんと馬鹿にしてくれたが、父親と母親だけは、馬鹿にするでもなく、「まあ仕方ないなあ」 「困ったねえ」 ぐらいで、他の子どもと比べるでもなく、そんなにきつくしかる訳でもなく……。
まあのんびりしていたが、これがよかったのだろうなあ、と今にしてみれば心から思う。
お陰で、自分を嫌いにならなかった。「できない」 自分も、愛おしかったりする。
多くの発達障害の子どもたちが、なかなか自己肯定感を持てないでいるのは、自分の行動を否定されるからだろう、と思う。
誰もができることができないと、どうしても他人と比較されたり、きつく指摘されたりする。でも、「できない」 ことが特性である以上、そこを無理に強制され、指摘されることは僕たちにとっては物凄くしんどいことで、精神的なダメージも強い。
誰もができることはできないけど、「誰もできないこと」 が 「できたり」 することもある。そこを見つけて、認めてもらい、誉めてもらえば、逆に、自分に自信が持てる。自己肯定感につながり、自分を好きになり、相手を思いやることにもつながる、と思う。
改めて、僕の個性を認めてくれ、温かく包んでくれた両親に、心から感謝したい。
なかなか歯磨きの習慣をつけることができなかったお陰で、僕は44歳にして総入れ歯である。
最近、入れ歯の具合が悪く、先日、講演の途中に外れて飛び出しそうになった。何とかなったが、それを後で思い出すと、おかしくてたまらない。
…そんなアホな自分が、今でもたまらなく好きである。




前略 大橋広宣 様
いつも 楽しく拝読させて頂いて
おります。
いつも感心するのですが・・・
とても面白くて 判りやすくて
そして 繰り返し読みたくなる
「文章」であるという点です。
愚僧も仕事柄 たくさんの文章
を毎日 読んでおります。
とにかく素晴らしい「文章」です。
大橋広宣様の文章は・・・。
うらやましく 思いますよ。
飛び抜けて「良い」ですね。
それは「素直な文章」だからだと
愚僧は感じています。
何よりも大切なことです。
これは・・・だれにでもできること
ではありません。
大橋広宣様だけの「文才」です。
御両親様の愛情が「文才」を育む
礎(いしずえ)となったことだけは
確かなようですね。
合唱おじさん 拝