
いじめを受けても「死のう」と思わなかった理由

前回、講演のときにあるお母さんから、「ひどいいじめを受けて、どうして死のうと思わなかったのか?」と質問された話を書いた。馬鹿みたいな答えだけれど、当時、少年ジャンプの続きが気になっていて、
「来週のジャンプが読めなくなるのはイヤ」
というのが、最大の理由だった。
あと、小学5年のとき、スティーブン・スピルバーグ監督の「ジョーズ」に出会い、「この監督の次回作を見るまでは死ねない」と思ったし、
6年のときは翌年公開予定の「『スター・ウォーズ』を見るまでは死ねない」と思っていた。
でも、これって大切なことだと思う。
好きなこと、夢中になることを作ることって、本当に大切だ。
辛いことはたくさんあるけれど、好きなことに夢中なときは、その辛さはひとときでも忘れられる。
それが「死ねない」理由にもなるし、その後の生きる強さにもなる、と思う。
だから、辛いことやいやなことを、忘れるほど、好きなものを作る。
好きなことは、得意なことにもつながるし、やがてそれが個性を伸ばすことにもなる。僕の場合、特撮映画やマンガへの興味が、今の仕事につながった。
5年生のころから、友達や1人で映画館に出かけた。
今考えれば映画館もよく入れてくれたと思うが、
「映画に行く」
と言えば、親は僕に小遣いをくれた。
小学生には少々難しかったかもしれないが、『砂の器』や『八甲田山』などの日本映画や、ハリウッドのアクション映画などが大好きだった。
一番のお気に入りは特撮物。
『ゴジラ』をはじめとする、日本の特撮映画が大好きで、円谷英二は僕にとって神様以上だった。
いい年齢になっても、戦隊シリーズや仮面ライダー、ウルトラマンに夢中になった。
マンガも大好きで、石ノ森章太郎や手塚治虫はもちろん、少女マンガもよく読んだ。『火の鳥』『地球へ…』『エースをねらえ!』『生徒諸君!』などは、その後の人生観にも影響を与えてくれた、と言っても過言ではないと思う。
次第に自分も見よう見まねでマンガを描いたり、映画のテーマ曲を口ずさんだり。自分でオリジナルの物語を考えたり、書いたりもするようになった。
そんなことが積み重なり、「表現すること」が好きになり、得意になっていったと思う。高校時代に始めた楽器演奏は「自分にとって初めての得意なこと」だった。高校生になって、ちょっとずつだが、自分に自信もついてきた。
大学時代は、リポートの提出が得意中の得意だった。
理数系でなければ、論文を書くことは全く苦にならない自分を発見した。
あれだけ算数ができず、勉強全体が苦手だったのに、だ。どうも、見たり聞いたりしたことを表現することは得意らしい。これには自分の中では
「子どものころからマンガや読書、映画を見てきた成果」という自信があった。
それが、新聞社に就職してから生きた。
取材やイベント企画、番組づくり、すべての仕事に役立った。
昨年、幼いころから夢だった「映画に近づく」ことを目指し独立したが、何とかこうやって暮らして行けるのは、
「できないことを無理してやらず、好きなこと、得意なことを個性として伸ばした」からだ。
振り返れば、いくつになってもマンガ特撮ものに夢中な僕に
「そんなことに夢中になるのは人生の無駄」
と言った友達や先生もいた。でも、そのお陰で今があるし、いじめにも負けなかったのだ。
そして何より、僕の両親は映画やマンガに夢中な僕を「無駄」とは言わず、
「広宣の映画の知識はすごいなあ」
と認めてくれた。誉めてくれた。
これは、僕の大きな力の源になっている。




私は小中学校のころLDということから、いじめられました。場の空気が読めていなっかたために小学校のころは、男子にうざいとか近寄るなといわれました。先生に相談しても先生がLDということを理解していなかったからです。いじめを苦に私は転校したい、学校へ行きたくないとなげくこともありました。
中学生になってからもいじめはありました。でも学校は行こうと思いました。なぜなら私のことを理解してくれた先生がいたからです。先生には感謝しています。
メロンさん、コメントありがとうございます。返信が遅くなってすみません。
「自分を信じてくれる人がいる」。これって、一番大切なことかもしれません。
100人理解してくれなくても、たった一人が理解してくれたら、それはものすごく力になりますよね。
それが自分自身の自信となり「自分が好き」という自己肯定につながる、とも思います。
欠点をも含めて自分を好きになること、これが大切だと思うのですが、他人が理解してくれることが、「自分は自分のことを好きになっていもいいんだ」という免許証のような役割にもなるのかな、と思うのです。