
偉人たちとの「対話」
僕が住んでいる山口県の「周南」(しゅうなん)という地域で発行されている月刊誌で「周南偉人伝」という連載コラムを担当させてもらっている。
これは、周南地域出身で、全国や世界レベルで活躍した偉人・故人を紹介するコラムだ。
毎月、人選から資料調べ、関係者への取材、執筆まで結構な手間がかかり、ほかの仕事を抱えながらの作業なのでいつも締め切りギリギリに出稿していて、編集部の方には迷惑をかけている。
でも、この仕事は楽しい。どうしてかと言うと、調べれば調べるほど、その偉人の知られざる一面が浮かび上がってきて、そのエピソードの一つ一つにいつも感動するからだ。
原稿を書くときは、いつもその偉人の方々と「対話」をしているような感じもして、自分の世界まで広がるような気がする。
偉大なことを成し遂げた方からは、本当に学ぶべきことが多い。
広島カープで活躍した津田恒美投手。高校時代、優しい性格が災いして自滅することが多かったが、コーチに教わった言葉「弱気は最大の敵」を常に自分に言い聞かせ、ついに、その弱さを克服する。しかし、マウンドを降りればどこまでも優しく、温和だった。
写真家、林忠彦。彼は日本を代表する写真家になっても尚、全国のアマチュア写真家と交流を深め、仲間たちとアマチュアも広く参加できる写真展を創設した。
北洋漁業の先駆者、石丸好助。彼は成功すると、キッパリと事業を別の会社に譲り、故郷の離島に帰って橋の架橋や学校整備など私財を投げ打ってふるさとの発展に尽くした。
最新号では、夏目漱石と共に四国の松山中学時代で教師を務め、小説「坊っちゃん」のモデルになったとされる、弘中又一を紹介している。
弘中又一は厳格が当然の明治・大正の世にあって、生徒と友達のように接したと言い、試験監督のときは生徒の答案用紙を覗き込み「ここが違っている」と教えた、というエピソードも残っている。
授業中、体調が悪い生徒がいれば黒板に漢方薬の名を書き連ね、生徒の誰かが「天気がいいですね」と言えば気象学の話を聞かせるなど、常に生徒の興味を引き、温かい授業を心がけていたという。
そんな又一だが、最後に勤めた学校は、新しく赴任してきた校長と対立して辞めている。
その校長は英才教育に熱心で、進学一辺倒の方針を打ち出したため、又一は心を大切にした教育こそ大切と考え「教育こそ王道なり」と訴えて辞めたのだという。
何だか本当に「坊っちゃん」そのものだが、この又一の姿勢は、現代の教育現場の目線から見ても、多くの参考にすべき点があるように思える。
今まで取り上げた人物全てに共通していることは、皆さん「謙虚」で威張らず、優しくも自分には厳しく、他人を思いやる気持ちを持っている、ということだ。
取材をしながら、自分自身、偉人たちの足元にも及ばない存在ではあるが「かくありたい」と思うとともに、いつの時代も人は輝いていたんだな、と実感し、自分もまた、現代社会の中で輝いていたい、と思う。
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