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ハート ネット ピープル

ぜんぶ、いじめた方が悪い

「いじめ」をめぐる、心が痛む報道が絶えない。テレビや新聞などの報道からしかうかがえないが、いじめられていた子どもたちは、自ら生命を絶つことで、学校でいじめがあったこと、自分がどれだけ辛かったか、どんなにひどかったのか、先生や両親、もしかしたら全国の私たちに伝えようとしていたように見える。

そうだとしたら…。こんなに辛いことはない。

今、最も怖いことの一つは、多くのいじめられている子どもたちが、一連の事件から感じて「自ら生命を絶てば、自分たちのメッセージが伝わる」と、思ってしまい、連鎖のように同じようなことを思う子どもたちが増えることだ。

もし、このHPを見ている中で、そんなことを考えている人がいたら…。
僕は、「いじめられっこ」の先輩として、声を大にして言いたい。

君は全く、100%、悪くない!!!
ぜんぶ、いじめた方が悪いんだよ!!!

君の気持ちはわかるけど、この世界には、楽しいこともいっぱいあるよ!!!
すばらしい音楽や、すばらしい映画、美味しい食べ物、まだまだ君の知らない、いいことが未来にはたくさんある。(今、僕がそう思う!!)

心がときめくような素敵な恋や、君を包んでくれる暖かい人が、未来の世界には、きっと待っている。(僕がそうだった!!)
だから、今は辛いかもしれないけど、絶対、死んだらダメだ!! 
死んだら負けだ!!
それじゃあ、いじめたヤツらの勝ちになっちゃう!!
あいつらに負けないために、今、踏ん張ろうよ!!

僕もいじめられた。ものすごく、辛かったよ。
君のいじめの苦しみには及ばないかもしれないけど…。

カッターナイフで腕を切られた。
彫刻刀で手を突き刺された。
数人でよってたかって殴られた。蹴られた。
女子からはフォークダンスで1人だけ、手をつないでもらえなかった。
給食の時間では、無理矢理みんなの牛乳を大量に飲まされた。
中学時代、友人の年賀状を見たら、「今年も大橋をいじめて楽しもう!」と書いてあった。

今思い出しても、悔しいし、辛いし、心の奥がギュウっと締め付けられる…。
でも、僕はどうにか今まで生きてきて、心の底から、本当によかったと思っている。いじめに勝ってはないかもしれないけど、負けなかったと思う。

だから、もう一度言います。これは、僕が感銘を受けたある方の言葉です。

「いじめは、いじめた方が100%悪い」。

(次回 11/8へ続く)

コメント

ぜんぶ、いじめた方が悪い。その言葉、本当なんでしょうか。中学の時、私を散々苛めた奴が高校に行っていじめられました。私は、ソイツの事悪くなかっただなんて思えません。

私は、前にいじめられました。
でも、全部が全部、いじめた方が悪いと決めつけるのはどうなんでしょうか・・・。その人にも悩みが、あって、どうしても言えなくて、イジメをしてしまったかもしれないし

ぜんぶ、いじめた方が悪いと思います。
理由はいりません。
被害者と加害者なんです。
そこに、その人の人格や過去のことなどを語りすぎる傾向がありますが、
もっと注視すべきはその卑劣な行為だと思います。
いじめてたから、いじめられてもいいとか
いじめられたから、いじめてもいいとか
そんなことは一切ないのです。
どんな理由があろうと、どんな過去があろうと、どんな家庭環境だろうと、
人を傷つけることは絶対に悪いことなんです。
最低な行為なんです。

そういう認識を当事者はもとより周りの大人ももつべきだと思います。
犯罪なんですよ、人を傷つける行為は。
許されないことなんです。

殺人犯を殺した犯人が悪くないとは誰も言わないでしょう?

100%等あり得るのでしょうか。
私もいじめを受けた経験がありますが、いじめた側を悪いとは思いません。
いじめのきっかけは、きっと様々で、特定は無理と思います。だから難しいのです。
対処の仕方も、そのケースにあわせて考えないといけないでしょうね。
小学校高学年から高校生辺りは、心と体のバランスが不安定。いじめられる側の隙間を感じ取って、からかっているうちに、エスカレートしていくのかもしれないですね。
いじめられている方、自分にきらいなところはないですか?それを許せないでいませんか?
 何故だろう、私を好きだといってくれる人が一人現れたら、一人の時間が平気になって、いつのまにかいじめはなくなっていました。
 死を考えている方、逃げてもいいから死んではダメよ。勝ち負けではなく・・・。
 何を基準に考えるかだけれど、私には幸せが来ましたよ。
 いじめている人、早く自分のしていることの罪の大きさに気づいて。
 いじめている相手を好きになれとはいいません。ただ傷付けてはいけないのです。心も体も。私たちは知らないうちに人を傷付け許し合って生きる生き物です。

この世界に「いじめられても仕方が無い人間」なんて一人も居ない。
いじめは、人が人として生きる権利を奪う犯罪である。

いじめは、いじめられた側の未来を大きく歪めてしまいます。いじめが終わったあと何年も何年も、いじめられた側は苦しんでいます。

いじめた方は「楽しかった」とか「そんなことあったかな?」なんて思っているかもしれないけれど、これは消えない罪だと思います。

いじめをした人は、犯罪者です。彼らに否があるのは、明らかだと思います。

こんばんは。
いじめる側が100パーセント悪いという意見に同感です。
いじめる側の決まり文句である「いじめられる方が悪い」と言うのは、体験から言わせるといじめを「制裁という名の聖戦」だと言うのと同義なんです。

無論、いじめる側のいい分も分からないわけではありません。
欠点があれば、アドバイスすればいい話でしょうし、努力したら、その過程をほめてあげてもいいはず。
それに、努力して欠点を直したからといって、いじめの標的から免れるかと言えば、まず保障はないでしょう。むしろひどくなることだってあるのです。

それに、身長や体質のように、本人の努力をもっても、だめな時もあります。
こんなのでも、いじめられる側が悪いといいきれますか?
私も、めがねや身体の発育(中2になっているのに初潮が来ていないだの、ブラをつかってないなど同級生に比べて遅れている)の遅れなどをネタにいじめられましたから。
こういうので、いじめられたら、精神的に立ち上がれないでしょう。

そうでなくとも、いじめられている人にとって、自分だけで精一杯なのが現状。
追い詰められている人に「いじめられているお前が悪い」なんて言われたら、どんな気がしますか。

そう思うと、いじめられた人がいじめで学ぶのは、集団生活で学ぶべき協調性なんかじゃなく、人間不信などのネガティブなもので、等価交換どころか、非常に重い代償を背負わせられるだけだと思います。

今でも、私はいじめた同級生に会うだけでも、凍りつきます。ましてや同窓会なんてもってのほか。
そういう意味でも、わたしは、全部いじめた方が悪いと思います。

 前のコメントで、いじめた側を悪いと思っていないといったのは、私の経験したことについてです。
どちらが悪いかという話を始めると100%あちらが、こちらがと言うようになり、衝突になりがちですよね。
確かにいじめた側が悪いです。いじめに遭う側の存在そのものを否定されてしまうと、じゃあ、私はどこへ行けばいいの?と思います。それが積み重なり、自殺という悲しい結果を招いてしまうと、つらいですね。
 この方のように、障害がきっかけになった場合、障害があることが何とか早く発見され、理解とサポートがあれば、ここまでのことにはならなかったかもと思います。
 どんな場合も、いじめる側が100%悪いとか、いじめられる方が悪いとかではなく、いじめが小さいうちに芽を摘んでいくことが、よいのではないでしょうか。
悲しいことがきっかけでしたが、せっかく議論がはじまったのです。学校だけが悪い、親が気づけば、いじめるひとが・・・と言う話だけでなく、いじめが小さいうちに、「ダメよ、人の心や体をわざと傷付けるのは。」「辛いのよ。」とやめさせる方法を考えたい。
 私は子育て真っ最中。意地悪を見つけてはそんな事されると悲しいよ、辛いよとその場で伝えるようにしています。いじめをする子を作らないようにお母さんは、お父さんと一緒に頑張るよ。

僕が書いたことに、たくさんの方が真剣なコメントを寄せていただき、ありがとうございます!

皆さんの意見、それぞれ、全てその通りだと思います。「いじめ」は、本当に根が深く、複雑な問題だなあ、と改めて感じました。

この文章は、いじめられている子どもたちへのメッセージのつもりで書かせていただきました。

「君は悪くないよ」。僕自身、この言葉でどれだけ救われたことでしょう。その反面、ある教師からの「いじめられるのは、君にも原因がある」という言葉に、どれだけ傷ついたことでしょう。

でも、いじめは、3回目の文章にも書きましたが、加害者も、被害者も、傍観者も不幸にしてしまいます。ご指摘にもありましたが、加害者も被害者になり得る可能性があります。

それだけ、子どもの社会は残酷なのだろうし、最近思うのは、大人社会も同じような構造になっていることで、校長先生の自殺報道などを見ると、大変に気になるし、胸が痛みます。会社社会でもきっと、陰湿ないじめはあるのだろうな、と思います。

社会から「いじめ」を根絶するためには、どうしたらいいのでしょうか?

私なりの答えで我見かもしれませんが、今回の寄稿を通して、生命が軽んじられる傾向にある今、子どもも大人も、私たち1人1人が、私たちの周りには、いろいろな人がいるという現実を受け入れ、その現実をみんなが嫌に思わない社会を作ること。そのためには周囲に生きる全ての生命への慈しみを持つことが、本当に大切だと思いました。

それを「絶対無理」なんて思わずに、人間の可能性を信じて、真剣に考え、訴えることが大切、と心から思いました。とくに、子どもたちの可能性を、心から信じたいと思います。

でも、こうしている間にも連鎖のように不幸な出来事が起きていることが我慢なりません。本当に苦しんでいる子どもたちにもう一度言いたい。

「死ぬな!死んだら負けだよ!苦しさの扉の向こうには、きっといいことが待っているよ!」

共感します。このことを語り合う時、「こいつなら大丈夫だろうと思っているから言うのだろう」とか「そんな考えは子どもだ」とか「甘えん坊」とか言う人がいるけど、そうなのだろうか?自殺は絶対にダメだけど、方法は色々あるのだから、自分が置かれている場所がすべてではないのだから、見渡せば社会は広いと思いますよ。素敵な恋愛だってあるかも知れないし、与えられた人生精一杯行きましょう。

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