
正しい復讐の仕方 -その3-
結局、志望大学は落ちてしまった。
学校から推薦入試を薦められた大学も一般入試で受験したが、落ちてしまった。
それでもあきらめたくなくて、浪人した。
「絶対奇蹟は起きる!いや、起こして見せる!」と本気で思っていた。
でも、浪人しても、やはり駄目だった。
まあ、客観的に成績だけ見れば、幼稚園児が直接大学を受けるようなレベルである。
それでも馬鹿みたいに「何とかなる」と思っていた。
今考えれば、両親も心配しただろうし、お金もかかったろうし、
よく我慢してくれたと思う。
「2年目の浪人は駄目だよ」と両親に言われ、
失意のまま母校を訪れると、職員室で先生たちに囲まれた。
「お前、頑張ってるよ。夢をあきらめない姿勢には敬服する」。
「今からでも間に合う、何とか合格できそうな大学のリスト作ったぞ」。
本当に感謝、感謝だ。そして地元の私立大学の2次試験を受けて、合格した。
決してレベルが高い大学ではなかったが、高校2年の実力試験ではE判定だった大学だ。
2年経って、何とか、多少だが、わずかだが「学力」は上がっていたようだ。
合格発表の日、僕は母親と抱き合って泣いた。
そしてその大学で念願の教員免許を取得。
「いよいよ復讐の総仕上げだ!」と母校の高校に教育実習で行った。
そこには、僕を励ましてくれた先生たちがまだ在籍していた。
指導教官のT先生は、無気力な生徒たちをあいてに、全力でぶつかっていた。
「ただでさえ20%、30%しか返さない生徒たちに、100%の力でぶつかっても応えてくれないぞ。いつも120%の力でぶつからないと。例えその時返してくれなくても、いつか将来、分かってくれる」。
そう熱く語るT先生の姿に、僕は心の底から思った。
「ああ、復讐のために先生になるなんて、何て馬鹿げていたんだろう。そんな考えは、頑張っている先生方に失礼だ。俺は俺らしく、別の方向性で、自分の個性で勝負し、あの先生たちを見返してやろう」。
それから僕は教職をいったん諦め、就職し、新聞記者の道を歩み始める。
でも、大学進学に燃え、自分なりに挑戦した日々は、
僕のかけがえのない財産になった。
復讐はできたかどうか分からないが、
そのとき覚えた馬鹿なぐらいの前向きな気持ちと、負けない気持ちが、
今の僕を作ったと言ってもいい。
その後、自分が学習障害(LD)と分かっても、
悲観せずに、むしろ「自分ができない理由」が分かってうれしく、
それがまたバネにできた原因にもなっている、と思う。




こんにちは、大橋さん。
とてもいい、人たちに出会ってよかったですね・・・素晴らしいことですよ。
大学に落ちても、諦めない先生たちの応援すっごいことです。
大橋さんの人間性がとてもよかったから、ここまでやってくれたのだと思われますね。
ここまでの経験をしたからこそ、私にだったり、皆さんにだったりに、やさしくできるのですね。
大橋さんは、新聞記者がとても似合っています。
とてもすばらしい個性です。
私も、大橋さんみたいな、しっかりとして、優しい人になりたいと思いました。
これからも、よろしくお願いしますね。
とても、感動をしました。