
はれた日のかさ

小学4年生のときのことだ。
僕が毎日宿題をしてこないことに対して、担任のH先生は厳しかった。
宿題をしようと思うし、したいとも思うけれど、教科書を開いても、ノートを開いても、答えはさっぱり分からない。
毎日の授業も全く意味不明の状態になっていた。とくに算数の時間は、何が教えられているのかさえ、全く分からない。
僕は勉強ができなければスポーツも全然ダメ。先生は厳しいし、同級生たちの“いじめ”もひどくなっていく中、子どもなりに「自分はこの先、どうなっていくのか」と思い悩んでいたように思う。
そのころ、物語を空想して、文章や絵を描くことだけが唯一の楽しみだった。読書も大好きだった。
あるとき、「そうだ、宿題はできないけれど、手づくりの絵本を宿題の代わりに先生に出せば、きっと先生も誉めてくれるだろう。宿題ができなくても、許してくれるかも」と思い、頑張って「絵本」を仕上げた。
絵本のタイトルは「はれた日のかさ」。
雨がふると、たくさんの児童たちが傘をさして学校に来る。だが、午後から晴れてしまうと、たくさんの子どもたちが傘入れに忘れたまま下校してしまう。
残された傘たちは閉じたまま、じーっとしていると、身体についた水がむれてきて、どうにも気持ち悪くて仕方がない。
夜、学校に誰もいなくなるのを見計らい、傘たちはそーっと自分で開いて夜空に舞いあがる。ダンスを踊って明るい月の光に自分の身体をかざし、乾かした。
ダンスが終わり、すっかり乾くと、いつの間にか朝になっていて、登校する子どもたちの声が近付いてきた。傘たちは、子どもたちに見つからないよう、またまたそーっと自分で閉じて傘置き場に戻るのだった…。
これは、結構な自信作だった。H先生に、「先生、宿題はなかなかできないけれど、絵本を作って持ってきました」と自慢げに出したのを覚えている。いつも宿題ができず、しょっちゅう忘れ物をして提出物も控え気味に出していた僕にとって、久々、学校で自信満々になった瞬間だった。
ところが、H先生は、パラパラと僕の「絵本」を見ると、こう言ったのだ。
「大橋君、ほかにやることがあるよね」
ガーン!! 大ショックだ。「もう、先生に何かを期待するのはやめよう」と思ったのを覚えている。いじめのことも、先生には一切相談する気がなくなってしまった。
今振り返れば、H先生はH先生なりに僕のことを考えてくれたのだろう。宿題をやらず、日々必ず何かの忘れものが多くある僕に、毎日うるさくも厳しく接してくれたのは、気になっていたからだと思う。
事実、卒業するとき、在校生や父母に見送られて、校門を出ようと卒業生みんなで校庭を歩いていると、H先生がいきなり後ろから走ってきて、「大橋君、中学生になっても頑張るんよ」と言って、お尻を思い切り叩いてくれた。この先生が担任を務めたのは4年のときだけだったから、よほど気になっていたのだろう。
当時は「発達障がい」の概念すらない時代だから、仕方ない部分もあったのかもしれない。
だけど、せめて、あの「絵本」だけは、誉めてほしかったな、と大人になった今も思う。頑張ったことを認められ、誉められると、元気になるのは昔も今も変わらない。
あの「絵本」は、そのあと両親には絶賛されたが、そのときいちばん理解してほしい人に理解してほしかったなあ、というのが本音である。




前略 大橋 広宣 様
愚僧も 「宿題」は・・・
しませんでした。
夏休みのプリントなどは
親父がいつも 代わりに
楽しそうにやってました。笑
自分といえば・・・夏休みは
横山ホットブラザーズが
大好きで・・・
「箒」で横笛をつくって
遊んでばかりでした。
担任の先生には・・・
夏休みの課題を見て
「お前 随分と字が
達者だなと」と笑われました。
その点 寛大な先生でした。
今でも その先生のことを
思い出すと「こころ」が
あったかく なります。
素敵な「絵本」は宝なのです。
私も・・・今でも「へんてこ楽器」
を作って楽しんでおります。笑
合唱おじさん 拝
大人から見たら何も感じていない、何も覚えていないように見えても、実は何十年経っても
しっかり覚えているくらい子どもは感じていますよね。
そして、信じられないくらい大人は子どものときのまま。
子どもも大人もない、同じ人間なだけ。