
母ちゃんの思い出2
前回、母親のことを書いて以来、父に聞いたりする中で、改めて “母ちゃん” について、いろいろと思い出した。
まず、幼稚園の転校を決めて実行したのは、父ちゃんとばかり思っていたのだが、実は、母ちゃんが決めた、ということを今回、初めて知った。
「わしは、よう覚えちょらん。ありゃあ、母ちゃんが決めたんじゃ」 と言う。書類の手続きなどもした記憶は一切ない、という。
幼稚園に行っていろいろと相談を受けたりしたのも、全部、母ちゃんだという。
そう言えば…。実家に残っている古い写真を見て、ハッとした。
それは、幼稚園年中の、遠足のときの写真だ。みんなが楽しそうにしている中、僕だけが1人、母ちゃんの洋服の裾を引っ張って、寂しそうにしている。
服装から見て、季節は秋だろう。恐らく、母ちゃんは遠足に行って、友達にも馴染めず、自分から離れない僕を見て、心から心配したのだろう。
その数ヶ月後、僕は幼馴染がいる幼稚園に転校した。
でも、手続きも全て母ちゃんがした、というのは信じられない。それは、母ちゃんが字もきちんと書けない人だったからだ。
小学生のころ、学校から帰ると、母ちゃんがいないこともよくあった。旅館の中居をしていた母ちゃんは、大体、午後4時ごろに出かけるのだが、ときに3時ごろ出かけることもよくあった。
それで、テーブルの上に書き置きがあるのだが、それには 「マンデウミヅヤ」 などと書いてある。「何のことだろう?」 と思っていると、それは 「水屋におやつのまんじゅうがあるよ」 という意味なのだが、さっぱりわからない。
「母ちゃん、これじゃあ、何の意味か分からんよ」 と言う僕に 「母ちゃんは小学校しか出てないけんねえ。(母は戦前の尋常高等小学校卒) 絵は得意だったけどね、勉強は苦手やったんよ」 とニコニコしながら言う。今思えば、母ちゃんは僕によく似ていたのだ。いや、僕が母ちゃんによく似ているのだろう。
それに、世間知らずで、よく騙された。押し売りに、訳の分からないものをよく買わされていた。僕が大人になってからも、訳の分からない特売会で買わされた商品をよく自慢していたものだ。
難しい話をすると、「母ちゃんは、よう分からん」 と言って、話題をすぐに変えた。お酒とタバコが好きで、しょっちゅう、家でもどこでも、プカプカやっていた。
そんな母ちゃんが、面倒な幼稚園の転校の手続きを、全部、自分でしたなんて…。
父親は、これまでも書いてきた通り、根本的な部分でいつも僕を見守り、激励し、誉めてくれた。その陰で何となく薄れがちだったが、実は、いつも幼稚園や学校で先生たちからいろいろなことを言われ、苦しみながらも、僕のことをいっさい叱らず、温かく抱きしめてくれたのは、母ちゃんだったのだ。
父ちゃんも母ちゃんも、僕が詳しく聞くまでは、子どものためにしたことを、特別自分から言うようなことはしなかった。
僕が社会人になって、家を引っ越すとき、大学進学のための奨学金の申請書や、進学のための資金融資の書類がいっぱい出てきて、ビックリしたことがある。
「これ… もしかして、俺のために?」 と聞くと、父ちゃんは何も言わず、母ちゃんは 「昔のことじゃけえ、忘れたねえ」 と言う。昔のことって、まだ数年しか経っていない。
母ちゃんは、笑顔が素敵だった。そう言えば、よく笑った。テレビのコント番組を見ても、涙を流しながら、ゲラゲラ笑っていたっけ。
悲しいドラマを見ると、またよく泣いていた。晩年、アニメ映画の 「火垂るの墓」 を観たいから、レンタルビデオ屋で借りてきてくれ、とよく頼まれたものだ。
豪快で繊細だった、母ちゃん。
幼稚園のとき、僕のために、恐らく、最も苦手だっただろう書類の手続きや、園との交渉をしたのだろう。親は、子どものためなら、頑張れるものなのだ。
本当に僕は、いい両親に恵まれた。父ちゃんと母ちゃんが身をもって示してくれた温かさを、今度は、僕と妻が、子どもたちに示していくときがきた。
母ちゃん、ありがとう。




私も、中学3年の時、引っ越し・転校を経験しました。小・中学生の時、ひどいいじめで、悩んでいたので、それまで、父が単身赴任ばかりしていたのですが、そのいじめ問題をきっかけに、思い切って、家族全員で、引っ越し・転校しました。転校させてくれて、一緒に引っ越してくれた家族には、本当に感謝しています。転校先の中学校は、あまりいじめもなく、落ち着いた学校でした。おかげで、高校入学もできましたし。私にとって、引っ越し・転校はとても、プラスでした。
今は、発達障害者支援センターやジョブコーチのサポートで、職場実習を終え、その職場でのトライアル雇用移行が決定し、この7月から、勤務します。家族のため、自分のため、これからも、自分の長所や特性も活かしながら、お仕事に励みたいと思って思っているところです。
トコルナさん、コメントありがとうございます!
環境を変えることって、時に、とっても大切なことだと思います。
僕にとっては、高校進学がそうでした。先輩も同輩も行ってない、自宅から往復3時間かかる学校に行きました。
遠距離通学は大変でしたが、「いじめも何も知らないところで、俺は生まれ変わるんだ」という思いで頑張れることができました。
その結果、好きな音楽に出会い、今の基礎が築けた、と思っています。このことは、いずれ記事でも書こうと思います。
7月から勤務される、とのこと。おめでとうございます!!
僕も、日々の仕事の中で、落ち込んだり、喜んだりの繰り返しですが、長所を生かして仕事ができることの幸せを噛みしめながら、何とかやっています。
トコルナさんも、頑張ってください!!応援しています。