ピープル

ハートでつながる人々を紹介します。

自殺について語ってみようか

 


[写真] シンポジュームに参加した、左からライフリンク代表、清水康之さん、体験を語った20歳の大学生、桂城舞さん、私。

今回は自殺の話。そんな縁起でもない、なんていわずにこの数字をもう一度よーく考えていただきたい。日本の自殺者は年間3万人。これがもう9年続いている。10年で日本の中核都市ひとつがすっぽりとかき消えるという現実。それだけではない。自殺未遂者は自殺者の10倍といわれている。そしてその人の配偶者、家族がいる訳だから、その数をとりあえず5人とすると、一体1年で自殺に関わる、関わった人というのはどのくらいになるか、ちょっと頭の中で計算してもらいたい。 だろ。びっくりするだろ。あなたの周囲に「自殺」に関わった人がきっといる。でも、なぜそう思えないのか。それは「自殺」が「語られない死」だからだ。とかく「自殺」は個人の問題で、いってみれば「弱い人」の選択、という風に見られる。だから残された家族は、周囲に「自殺」を告げられず、悲しみを語れない。身近な人を死に追いやった責めを感じながらひっそりと肩身狭く過ごすしかない。 7月1日、東京ビッグサイトで一人の女子学生が自身の父親を自殺で失った体験を語った。これはビッグサイト国際会議場で開かれた「自殺対策新時代?官民合同シンポジューム?」でのことだ。 その女子学生は桂城舞さん。福岡の大学生で、控え室であった時は物怖じしないいかにも現代っ子の明るいお嬢さん。しかし壇上にあがった舞さんは、緊張の中、決意を込めるようにして語り始めた。父親が自殺する直前、「久しぶりに食事にでも行こうか」と誘われたのをなぜか「友達と約束があるから」と断ってしまったこと。「本当はお父さんが大好き」と伝えられないまま、亡くなったこと。葬儀のとき、親類の人達から「心筋梗塞で死んだことにしよう」と言われ、従わざるを得なかったこと。舞さんはこみ上げる涙と嗚咽を懸命に抑え、語り続けた。会場では年配の女性がハンカチで目頭を押さえ、ボランティアのスタッフはその場に泣き崩れ、隣の女性スタッフは背中をさすり続けた。 「この話をかわいそうで悲しい話とだけで聴かないでほしい」それにつづくパネルディスカッション「自殺を“語ることの出来る死”へ」の冒頭で、主宰者のひとり、NPOライフリンク代表の清水康之さんは語った。清水さんは元NHKディレクター。自身が自死遺族の取材を続けているうちにあまりの自殺対策の乏しさに、退職してNPOを立ち上げ自殺対策に取り組んでいる。熱く志ある好青年だ。ディスカッションにはやはり自死遺族の一人、山口和浩さん。東京大学大学院教授、姜尚中さんも加わった。コーディネーターが不肖町永である。 なぜ自殺が「語ることの出来ない死」なのか。「語ることで、自分の中でようやく身内の死を受け入れることが出来ます。そして人に語ることで、自分以外の人とつながりを実感できるようになります」中学のとき父親を自殺で失った山口さんはこう語り、今は同じ自死遺族の聞き取り調査に取り組んでいる。「自殺対策というのは、自殺を予防するだけではない。実は自殺に至るその手前の人をも救います。そしてさらにその手前の人、多くの人にとっての『生き心地のいい社会』の実現になるはずです」清水さんは語る中、何度も絶句した。これまで接した多くのつらい体験を抱えた仲間のことが脳裏をよぎったに違いない。この官民合同のシンポジュームが具体的な自殺対策に向かっていくようやくの第一歩なのだ。泣くな、清水。姜尚中さんはこう語る。「今の社会は再チャレンジが出来ない社会。それぞれが自分に合った生き方が選択できない。しかしこうして官と民あげてこの問題に取り組もうとすれば、まだまだこの社会、捨てたものじゃないということになるのではなかろうか」 これからこの活動は「自死遺族支援全国キャラバン」として全国を回る。自殺と聞けば、身構え、ちょっと引いてしまうあなたも、ここはひとつ、「生き心地のいい社会」「まだまだ捨てたものじゃない社会」のためにもこのキャラバン、のぞいてみるといい。きっと生きる「勇気」をもらう。

このシンポジュームの模様は、2007年7月18日(水)、福祉ネットワーク「“自殺を語り合える社会”を目指して ?自殺対策シンポジウムから?」で放送されました。

 

コメント

 この種自殺には、過去に仕事柄度々立ち会いました、多い時は、1日に3件ありウンザリとしました。
 遺書とか、家族のお話をお聴きして判ったことは、自殺者と周辺の方との意思の疎通の不十分・全くないな・或いは悩みが誰にも認めて頂けない・話し相手もない等と、態様は区々でした。
 それらは、長年の経験から少子化により兄弟もなく、トラブル・兄弟喧嘩などを起こした経験が全くない、親に可愛がられて、やりたいことは殆ど可能な人生で有った。
 障害に、直面したらその事象に対応が出来ず、悩みを解消する為に自殺を選択したとの趣旨の内容がが大半を占めていました。
 親及び友達並びに社会の人は、これらの人の心奥底まで踏み込むことは、難しいことと思われます。
 勿論病気を苦にして・金銭面もありますが。自己の思い込みで、不治の病とか・・・諸々。
 自殺の報道を、拝見して根本原因まで踏み込んでいないと感じることも多々有ります。
 たぶん、人それぞれ悩みが異なることが原因かなと、コメントを記載しました。
 過去の経験を生かし、先輩として気が付くこと有れば、相談相手となってあげればと感じます、それも私の努めかなと・・・。

町永さん、お久しぶりです
一年前に「女性のうつ」でお世話になった森岡です
いつも番組やブログを楽しみに拝見させていただいています。

私も更年期鬱から自殺を図ろうとしてしまった一人です
鬱はおさまり、更年期も徐々に楽になり
穏やかな生活をさせていただいている今になり
当時のことを振り返り「あのとき未遂に
終わっていなければ、今の穏やかな生活は・・・」と
思うと心臓が凍り付いてしまいそうになります。

昨年、女性の鬱に出演させていただいたことがきっかけになり
今年は地元の県庁から依頼を受け地元の新聞に
『自殺を思いとどまって』との切なる願いを
載せていただきました。

これからも自分が出きる範囲でではありますが
鬱や更年期の方のサポートと
自殺防止の活動を、コツコツと続けていきたいと思います。

こうして『私に出きることは?』ときっかけをいただけたのは
こうした難しい問題とも積極的に取り組んでくださるNHKの皆様のお陰です。

生きていれば辛いこともたくさんありますし
苦しみの最中には先が見えなくなり思い詰めてしまうこともありますが・・・・
生きていれば、必ず良い日も巡ってくると思います。

どうかお一人でも自殺を思いとどまっていただけたら・・・
私の切なる願いです。

   ★miko★
☆home  http://e-gacha.com/miko/   
☆ブログ http://www.cafeblo.com/miko/

雲の上さん、それに森岡さん、コメントありがとうございました。
「自殺」ということに向き合う難しさは、何よりコトの深刻さに立ちすくんでしまうということがあります。それと、何か言うことで、自死遺族、またそれに関わる人々を傷つけやしないかというおびえに似た感覚に襲われます。
結局、誠実にこの問題に立ち向かおうとすればするほど、寡黙にならざるを得ないということがありますね。
でも、もっとざっくばらんに話せないか、もっと自分の言葉で語り合えないか、そんな思いも持ち続けています。
だから、雲の上さんや、森岡さんのような人が、まずは率直なところを語っていただき、またそれに、自分は関係ないと思っている人が尋ねていく、といった風に輪が広がればいいなと思っています。

私も身近な人間の自殺行為によって傷ついたので桂城さんの気持ちが分かります。自分のせいではなくても責めてしまい苦しむのですよね。私はPTSDを患い家族とも会わなくなり、医者やカウンセラーの所に行きました。身近に自殺が増えているのは感じます。「自殺を考えるような人とは友達になりたくない!」と言っていた友人が、会社の元同僚を自殺で亡くし、「私があんな事をいったからかな」と悩んで相談されました。私もPTSDから自分の意思とは関係なく自殺衝動がおきました。あれから11年と6年が過ぎ、あの頃のような激しい自殺衝動はありませんが、身近な人間が示した「命は大切な物ではない」と言う感覚が残っており、私自身絶対に自殺しない、と約束する事ができません。私が言える事は、もしあなたに子供や大切な人がいたら、あなたが自殺をする事によってその人たちも殺してしまうのですよ、ということです。(心や実際に命を)。自殺する人はそれも考えられない程辛いのだと言う事も分かりますが。姜さんの仰るように再チャレンジが出来ない社会で行き詰まる事も大きいですね。

私も自死遺族です。 
20代の息子をこの冬に亡くしました。原因は分かりませんが息子は何かと戦い、その日まで精一杯生きたと思います。 苦しかったと思いますが家族には最後まで笑顔でした。

息子はある日から疲れたと言ってほとんど寝てばかりになりました。引きこもりかなと思ったわたしは少し休んでいればまた元気になると信じていました。何もできずただ見守るだけでした。私がもっと息子の本当の苦しみに気がついていれば助けることができたかもしれないとおもうと申し訳ない気持ちです。自分の無力さが悔しいです。

自責の念、喪失感、悲しみなどと残された者には日常は辛い日々です。最近同じ体験をしたお母さんと知り合うことができ、やっとかなしみを分け合うことができるようになりました。

まだ自死遺族はなかなか社会に声を出す事ができません。それでも少数ですが民間の団体がボランティアで私の辛さや悲しみを聴いてくれるのはありがたいです。

息子の最後の顔はとても穏やかでした。今は天国で元気にしてると思います。

どうしても話をしておきたい。

みっつのことを考慮して自殺を扱って欲しい。
私は発作的に自殺未遂した当事者です。

ひとつは番組には一命を取り留めた人や既遂した人の考えや気持ちを扱っていません。自殺に追い込まれた当事者を排除して推測だけで自殺を扱って欲しくない。

二つ目は自殺未遂したことを家族や会社の上司にカミングアウトしました。しかし窘めることも無く無関心でした。自死遺族が後日自分を責めてますがサインを送ってます。
当事者の悩みや苦しみは肌では感じない。精神的にも追い詰められていることに気付かない。

みっつ目はSSRIのパキシルの問題
これを服用した時に記憶無く呆然として無意識にホームから線路へ足が動いていたこと。
我に返り電車と接触する直前に足を止めた。
自殺する動機も意識もなく自殺行動をしていること。パキシルからデプロメールに変更してから健忘は減り無意識な行動はしなくなった。
自殺する動機はそこにはなかった。

08年2月3日に香山リカさんとNPOの清水さん。名古屋自死遺族の一人と弁護士と産業医が愛知自殺防止シンポジウムに出られて話をされてましたが、肝心の自殺未遂当事者からの観点がなく蚊帳の外です。
自殺未遂者を巻き込む姿勢が無く会場に出かけて失望した。

自殺のテーマは未遂者を含めた活動であると思う。

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