
みんなの福祉 第四章 私達はどこに向かうのか

渋谷の沸き立つような雑踏の中で私と作家、立松和平氏は向き合っていた。
二人の立っている所で人の流れが割れ、そしてすぐまた雑踏に呑み込まれ合流していく。世紀末2000年の春だった。
「私達はどこにいて、どこに向かうのか」
人波に押し流されまいとするようにあたりに目をやりながら、立松和平氏はこう言った。
「地図で『現在地』というのがあるでしょ。ニューヨークでは地図に『YOU ARE HERE』と矢印で記してあった。あれがない、わからないのです。ここがどこなのか。世紀末という時代の中で私たちは途方にくれている。私たちはどこにいて、どこに向かおうとしているのか」
かくして作家と私は、道元の足跡を訪ねるという一ヶ月にわたる中国ロケに出かけたのだった。私と立松和平は大学の同級生。同世代。その立松和平氏もすでにこの世にいなく、「私たちはどこにいて、どこに向かうのか」という作家の呟きだけが蘇る。
私達はどこにいるのか。大震災は否応なく日本社会の「現在地」を打ち落とすようにして一人ひとりに刻みこんだ。瓦礫の中で、ニュースを伝えるディスプレイの前で、雑踏の中で、幼子を抱きしめる青空のもとで、私たちの時代のYou are Here「現在地」はそれぞれの胸に刻まれた。
そして、どこに行くのか。私達はどこに行くのか。
福祉のテクストの書き換えが必要である。福祉の再構築をしなければならない。
この章では、これまでの私自身の提起のその先、どこに行くのかに歩み出したい。とはいえ、これはなかなか難しい作業である。
「人間の社会へ」「人間性回復」「経済原理から人間の原理へ」向かう先は確かに見えている。どれも正しい。むろん間違いであるはずがない。しかしこの時代の切なさは「正しい答え」は何ももたらさないということだ。試しにこの3つのフレーズを声に出してみるといい。虚しい。言った途端に行き止まりなのである。どうするか。シニカルに冷笑しつつ理念を現実に屈服させるか。スゴスゴと振り出しに戻っていくか。
さて、こういう場合、この社会、という発想から逃れることだ。大きく「この社会は」とコブシを振り上げるから、たちまち高く厚い壁にコブシを打ち付けるしかない。発想自体を身の丈に合わせ、地域や共同体、現場での具体的な取り組みから積み上げていきたい。例えば・・・
「パーソン センタード ケア」という取り組みがある。認知症ケアの言葉だ。かつて、認知症になると何もわからなくなる、と言われていた。配偶者を忘れ、子供がわからなくなり、そして自分が誰であるかわからなくなる、と。しかし今、それは新たな常識に取って代わられている。
「認知症になっても心は生きている」認知症の人と共に暮らす人々は気づいた。この人は何もわからない人ではない。心のなかにみずみずしい感情が息づいている。たまたま表情や言葉に出ないだけだと。そこからケアは大きく転換した。一生懸命に「お世話」していたそれまでの介護は、その人を「わからなくなった人」「困った人」とどこかで決めつけていたのだ。「認知症患者」ではなく、私の父として、あるいは夫として見ていく。その人らしさを見出し、想像し、その人の困難に寄り添うケアが、その人を中心に据えて考えるケア、「パーソン センタード ケア」だ。
言うは易い。しかし介護現場では「正しい答え」を額に飾っていても役には立たない。現場の専門職が取り組んだ。テキパキと熱心に介護に取り組んでいた「良い」専門職ほど戸惑った。よかれと思ってやってきたことは、知らず認知症の人の感情を封印していたのかも知れない。チームで認知症の人について関心と共感と想像力を総動員して話し合う。日常の断片的な言葉、仕草、かつての生活履歴を集め、分析し、討論していく。手間も時間もかかる。だが、それが「正しい答」を現実に取り込む精緻な活動なのだ。ここではあの「生産性と効率」の呪縛から離れ、人が人に向き合う生き生きとした現場となってくる。
「パーソンセンタードケア」で何が変わるのか。何も出来ない人ではなく、役割を与えられた認知症の人に活力が生まれる。いつもゆったりと話しかけられて言葉と表情が生まれる。「患者」ではなく、夫、父親を取り戻すことができた介護家族にも笑顔が生まれる。なにより、誰もが自分らしさを取り戻す。
これは認知症介護の世界だけの取り組みなのだろうか。ここに普遍につながる道筋は見えないだろうか。
私たちの「パーソン センタード ソサエティ」へ。誰もが自分らしく暮らせる社会へ、と。
認知症ケアに大きな影響を与えた人がいる。認知症と診断されたオーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんだ。彼女は認知症の本人として、いち早く自分の思いを多くに人に伝えてきた。当初、彼女はその不安と怖れをこう語った。
「私は誰になっていくの?」
彼女はその困難な旅路を多くの人と共に歩む中で、やがてこう語るようになった。
「私は私になっていく」
いつの時代も、涙とつらさをかいくぐった人の一歩は重く確かだ。
私達はどこに行くのか。
この稿を記している時、ブータンのワンチュク国王夫妻が来日され、若き国王は「幸福」を語った。その「幸福」は、経済社会の行き詰まりの中ゆく道を失った私達にしみじみと胸に迫った。それは国王の語る幸福が心豊かなブータンの国の姿に重なり、愛らしい新婚の国王夫妻ご自身が幸福の真実を物語っているからだろう。あの国王夫妻のような若々しく清新な自分らしさの旅路に、今私たちはつくところだ。
再び、大きく深呼吸して、さて、私達はどこにいて、どこに向かおうとしているのか。





マスター、皆様こんにちは。クマです。お元気でしょうか。
サンタクロースのイラスト、私たちへのクリスマスプレゼントとしていただきます。ありがとうございます。もうクリスマスですね。
さて、本当に私たちはどこにいて、どこへ向かうのだろう。本当に。ただ明るい方向へ心はいつも向いていたいと思います。
マスター、皆様お身体を大事にお過ごしください。お元気で。
ps.マスター、カフェのデェッキにクリスマスツリーを出しておきました。みんなでいつものように飾りましょう!
本当、自分らしく、のんびり仲良く生きることが、シアワセなんだなあ、って私も最近つくづく思います。
幸せのかたちって、まあるいものなんだなぁって、私も病気が教えてくれました。
マスター、皆様こんにちは。クマです。元気でいらっしゃいますか?
今日より師走です。今年は新聞でも書かれているように、年賀状の書き方が大きく変わりそうです。私も昨日あたりから、文面を考えているのですが中々思いつきません。文例集は今年役に立ちません。自分の言葉で自分らしく書くことをするのが一番と思います。今年の自分を思い、来年の自分も考える機会であると思います。
マスター、皆様お身体を大事にお過ごしください。お元気で。
追伸 歳末助け合い・海外助け合いの募金が始まっています。そして忘れていません。震災義援金も継続されています。
マスター、皆様こんにちは。クマです。お元気でいらっしゃいますか?
ある小さな町が自分たちのために、ひとつの映画を作りました。
『五日市物語』という映画です。
東京のあきる野市五日市が舞台となる映画です。見ているうちに心が和んでいく、ほっとする映画です。東京のふるさと五日市が良く描かれています。
震災の年なのですが、いい映画が月に1本出ていた気がします。
マスター、皆様お身体を大事にお過ごしください。お元気で。
マスター、皆様こんにちは。クマです。お元気でいらっしゃいますか?
寒さが一段と厳しくなっている今日この頃。関東は晴天に恵まれ、私の行っている職場からは富士山が良く見えます。それにしても寒い。
こういう時は鍋がおいしく感じますし、身体が温まります。
社会が冷えている、寒いとき、鍋のような役割をするものはないでしょうか。社会を温める鍋を囲んで、皆が笑顔で元気になればと思います。
マスター、皆様お身体を大事にお過ごしください。お元気で。
マスター、皆様こんにちは。クマです。寒い日が続いています。お元気でいらっしゃいますか。
私たちは本当にどこへたどり着くのか、何者になっていくのか。幸福になれるのだろうか。
今、宮沢賢治の魂が東北の被災地を飛び回り、否、全国を飛び回っているような気がしてならない。「雨ニモ負ケズ」の詩の中で書いてあるように、東奔西走して、涙を流しているかもしれない。賢治は平和な社会と追い求め、自分には無私であることを追い求めた。
賢治の魂はお墓の中で泣いてはいない。魂は全国の人々の中で生きている。
マスター、マスターの問いかけに対して、答えになっていないかもしれないけれど、宮沢賢治という人がいて、私たちの前を歩いた飛び回った軌跡が、私たちのこれからを指し示している気がします。
マスター、皆様お身体を大事にお過ごしください。お元気で。