
パラリンピックへの挑戦 「車いすカーリング」
バンクーバー・パラリンピックで活躍が期待される選手をご紹介するシリーズ 「パラリンピックへの挑戦」。今回は、日本にとっては初出場となる 「車いすカーリング」 をご紹介します。
カーリングが変えてくれた 〜中島洋治さん〜
日本有数のカーリングが盛んな町、長野県御代田町。使われなくなった工場を地元の人たちが改装したリンクで、日本代表チームは練習に励んでいます。チームのメンバーたちは皆、仕事中や自動車を運転していた時の事故で脊髄を損傷し、車いすの生活になりました。6年前に病院のリハビリを通じて知り合った仲間でチームを結成。今や日本選手権を5連覇し、車いすカーリング界では向かうところ敵なし、念願のパラリンピックの出場を勝ち取りました。
キャプテンの中島さん。障害を負ったのは、23歳の時でした。交通事故で脊髄を損傷し、医師から 「再び歩ける体にはならない」 と告げられました。退院後、職場に復帰したものの思うように仕事はできず、日常生活にもほとんどすべてに周りの助けが必要。中島さんは次第に人目を避けて暮らすようになったと当時のことを振り返ります。
「常に、人の手を借りないと自分たちは 『行かれない』 という状況。そうまでしてそこに行くのか。負い目を感じてしまっていた」
そんな、生きる自信を失いかけていた中島さんを変えたのがカーリングでした。カーリングを通じ、出会った人たちは中島さんを障害者としてではなく、ひとりのアスリートとして接してくれたのです。
スポーツの世界で自分の力を試してみたい。中島さんの気持ちは再び外に向かい始めました。
――もし、カーリングに出会っていなかったら?
「変わることなく、以前の小さいままの自分がいたのかなと思います。カーリングに出会ったことで、その1歩が踏み出せて、もうちょっと自分が 『広がれるんじゃないか』 っていう気になれた」
去年10月、中島さんを思わぬ出来事が襲いました。勤めていた会社の仕事が不況のため激減。業務縮小を理由に退職を迫られ、11年間続けて来た仕事を失ってしまいました。「健常者でも十分職がない状況なので、なかなか再就職というのも難しいと思うんですけど」。経済的な不安が大きくなってきますが、けれども中島さんは今、全ての不安を忘れて目の前のパラリンピックに集中しようと心に決めています。
「本当に一投ごと、何が起こるかわからない。だから、最後まで諦めないことが一番大事だと思っています」
日本選手団最年長、限りなき挑戦 〜比田井隆さん〜
中島さん率いる日本代表のチームの一員に、オリンピック、パラリンピック通じて最年長の選手がいます。比田井隆 (ひだいたかし) さん。なんと75歳。
31歳の時、建設現場の事故で脊髄を損傷し、車いすで生活するようになった比田井さん。次々と新しいことに挑戦し、仲間から鉄人と呼ばれて来ました。普段の暮らしの中でも向上心を忘れません。自宅にいる時も時間さえあれば、投球フォームを繰り返しチェックします。
実は比田井さん、昭和55年に開かれた栃木国体に初の障害者のアーチェリー選手として出場したという経歴の持ち主。40歳を過ぎて始めたアーチェリー、けれど練習を重ね、健常者を抑えてシニアの全国大会で優勝したこともあります。
「負けても勝っても自分の力だと、自分にそういう言い聞かせみたいなものを持ってやってきたので、健常者だ、障害者だっていう意識はありません」
いつもバイタリティに溢れている比田井さん。現在は、昨年11月にパラリンピックに先駆けてバンクーバーに海外遠征した際に対戦した、前回パラリンピックの金メダルチーム・カナダ代表の選手が行っていた投球フォームを自分に取り入れられないかと試みている真っ最中。
「やっぱり出るからには、メダルを目指すしかありません。その一言です。が、もしもメダルから外れましても、この大会に出場した経験を活かしまして、今後の後継者の指導に役立てばいいかなと、そういうことを目標に、これからもやっていきたいと思います」
(2010年1月11日放送・福祉ネットワーク 「パラリンピックへの挑戦 第1回 車いすカーリング」 より再構成)




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