本文へジャンプ

ピープル

ピープルは3月末で連載を終了します。これまでご覧いただき、ありがとうございました。
また過去の記事に関しても、閲覧は5月末までとなります。ご了承ください。
(記事へのコメント募集についても終了させていただきます)

野上奈津&西岡奈緒子「女性限定☆筋疾患患者の会」

別れのとき

〔写真〕水上コテージ。そこにあるものは、太陽と海。…ただ、それだけ。

今回は野上奈津さんからの原稿です。

2011年11月11日。午前3時4分。
自由と酒を、こよなく愛した父が逝った。

呆気ない最期。
11月11日の深夜2時、自宅の電話が真夜中の静寂を引き裂くような音で鳴る。電話は、父の入院している病院からだった。

「お父様の具合が急変しました。今すぐにいらっしゃれますか?」
「勿論、すぐに行きます」

そう答えて電話を切ると、急いで弟の携帯を鳴らす。そして私たち三人は、ほどなく病院の父のベッドを取り囲んだ。
そこには、その日、夕方見舞ったときに感じられた「生気」が全くないことに気付いた。今、何かが起きている。
看護師は「それでは、ただいま、医師を呼んで参ります」と言って、白い衣服を着た男を連れてきた。その男は、父の心臓に手をやり、ペンライトで瞳孔を確認し、「11月11日、3時4分、ご臨終です」と言った。

―― ご臨終です ――

私の心臓に、何か鋭いものが音をたてて突き刺さった。
父の二年間の闘病生活で、私が最も恐れていた言葉。親が先に逝くのは、きっと当たり前のことで驚くべきことじゃない。

けれど私は、どんなかたちでも良いから、父に「生きていて」欲しかった。
肺炎で苦しそうな父を見ていて、それを望むのは娘のエゴではないかと思い悩みながらも。
この世の中で、「お父さん」と唯一呼ぶことのできる人間が消えてしまう。「私」という人間の芯を失ってしまうようで、それはどうにも耐えられない残酷な現実だった。

父が息を引き取ったあと、支度が整うと霊安室に移された。
不思議な気分だった。つい10分前までは息をしていたから「患者」として扱われる。それが、心臓が動きを止めた途端に「人間」から「物体」になるのだ。大切な父の身体を、てきぱきと高級な品物のように扱う看護師の動きを見ていて、こぼれかけた涙が乾いていった。

*      *      *

自由を愛し、酒を愛した絵描きである父。

父は夏になるたびに、リュックとスーツケース一つでスペインにでかけた。時々、違う国からの消印の葉書が届くときもあったけれど、一ヶ月もすれば帰ってくる。
(父は、美術の教員でもあった)
けれど、私が13歳のときに母が亡くなったために、父は多くの自由を犠牲にしなければならなくなった。
男手一つで私と弟を育てたといってもいい。そのせいもあるのだと思う。父と私は、お互いが相手を支えていることで自分の存在証明も見出すといった、やや共依存的なところがあった。

2009年12月。
私たち父娘は、モルディブへ旅行に出かけようとしていた。夫もしつこく誘ったのだけど
「せっかく親子水入らずの旅行なんだからさ。二人でのんびり行っておいでよ」と固く辞退されてしまった。父は夫のことが大好きなのだ。
「いいか。モルディブなんて、だいたい贅沢が過ぎるぞ。旅費が馬鹿にならん」
「いいじゃない。だって『青い海に入りたい』って言ったのはお父さんなのよ。だったら、最高の場所だと思う。一生で最後と思えばいいじゃない」
「じゃ、旅費はきっちり割り勘だぞ。貸した金は必ず返せよ」
「やった!じゃ、決まりね!」

父は、これまで気軽に安宿を巡る旅をしてきた。確かに私がこのとき旅行先に選んだモルディブのリゾートは、「気安く」行かれる値段ではなかった。私は父に、旅費を借金したくらいなのだから。
はじめは渋っていた父だったけれど、旅行会社のパンフレットの束を見るうちに気が変わったらしい。
その後、父がどんなに浮かれていたか。出発の日まで上機嫌だったか。
成田空港まで送ってくれた夫と撮った写真の笑顔にあらわれている。

ただ。成田を発つその時まで、まさか本当に「最後の旅」になるなんて思いもしなかった。
リゾートで充分にヴァカンスを楽しんだ私たちは、帰国の日を明日に控えて、プールサイドでランチをとっていた。
すると、父が突然、頭を抱えて「イタイ、イタイ」と言いだした。膝を抱えてうずくまる。その直後に激しい痙攣がはじまったために、水上飛行機で首都のマーレまで40分かけて搬送された。
その後一ヶ月近く、父はモルディブの病院に入院するのだけれど、診断された「脳梗塞」がよくなる兆候は全くみえない。
日本から迎えの医師と看護師が派遣されることになって、2009年も後一日…という日に、ようやく私たちは日本に帰ることができた。成田空港に着陸した機内から、空港に待機している救急車が見える。先に飛行機から降ろされて、ストレッチャーで運ばれていく父が目に入る。私は身体の力が抜けていくのを感じた。

成田から、高輪の病院に救急搬送されてからの父の人生。
「これが最後よ」と言った言葉どおりになった。
急性期の病院で半年間のリハビリを受けたけれど、「胃ろう」の処置を受け、回復は見られなかった。結局は「療養型医療施設」に入院することになる。
(※胃ろう=主に経口摂取が困難な患者に対し、人為的に皮膚、胃に穴を開けチューブを設置し水分・栄養を流入させるための処置のこと)

この二年間、私はいつも父の容体を思い。切なくて、心が痛み、憂鬱な気持ちから解放されるということがなかった。
誤嚥の危険性があるために、口からの食事は避けた方が安全だと主治医は言う。「胃ろう」から、とろみのついた流動食のようなものを流すのだ。けれど、それでは体力が目に見えて落ちていく。
「家族」として見ていることが辛い。私は「食事がきっかけで死ぬことになっても構いませんから、口から物を食べさせて下さい」と、主治医にかけあった。
けれど、その思いは本当に父の命を奪いかねないほどの危険な望みだったことを数日後に知ることになる。父は「誤嚥性」の肺炎を起こし、大学病院に救急搬送された。一命を取り留めた父は、一ヶ月ほどの入院の後、「医療型療養施設」に戻ることになる。
私は、二度と父に口から食事をさせて欲しいと頼むことはなくなった。

もう私には分からなくなった。
口からは、一切の水も食べ物も採ることはできないのだ。ぼんやりとした意識のなかで、一日中ベッドにいる。ラジオから流れてくる音楽だけが、せめてもの慰めだ。
「生きる」とは一体、どういうことなのだろうか。
口から物を採れない父は、ゆっくり、ゆっくりと弱っていく。時折、大きな目を見開いて、何かを私に訴えている。

お父さん、もっと早く楽になりたかったですか?
私は娘として、わがままでしたか?

この世でただ一人。「お父さん」と呼べる人。どんな姿でも良いから生きていて欲しい。「私」という存在を無条件に認めてくれる人。

*      *      *

結局、はじめに「ヤマ」と言われた夜から
父が逝ったのは、その三週間後のことだった。

一度目の「急変」の夜のことがよく思い出される。
父のベッドの足元に簡易ベッドを据えてもらって、父と私と弟と3人で並んで寝た。
家族三人で、真夜中に狭い空間に身を寄せ合っている。こんな情景はどれだけ久し振りのことだろう。
最悪の事態のなかで、私は一人「思いがけない幸せ」に浸っていた。胸がいっぱいになって、涙がこぼれそうになった。
しばらくして目を覚ますと、父のいびきが聞こえてきた。
「おい、いびきをかいて寝始めたぞ」
いびきをかいて寝ている父を見ていると、まだまだ「強い生命力」があると感じられたものだ。


先日、父の遺品を整理していたら、ノートにメモがしてあった。

「こういう幸せもあるんだなぁ」

「ここは天国だなぁ」
「酒はもう止めて、この島にきて飲むことにしよう。日本では止める」

「よし、絶対に来年も又、ここに来よう」

なんだ、実はお気に召していたのね。
そうよ。魂は自由だもの。いつでもモルディブの海に行ってきてね。


2012年02月10日(金)

野上奈津&西岡奈緒子「女性限定☆筋疾患患者の会」のほかのエントリーへ

コメント
  • なっちゃんのお父様が、モルディブで倒れられた時のこと、今でもはっきり覚えてるよ。
    澄みわたった空と同じ色の海。
    モルディブのことをあまり知らなかった私は、現地から更新されるブログに興味津々だったよ。
    それが突然、お父様が緊急入院して、しばらく日本に帰れなくなったと。
    あの時は、お父様のご容態はもちろんのこと、旦那さんもいなくて、知らない国で一人でお父様に付き添ってるなっちゃんのことを、さぞかし心細いだろうと案じたよ。

    お正月前に日本に帰ってくることができたけど、あれから親子で辛い闘病生活が始まったね。
    肺炎で苦しむ親を見ていても、それでもまだ生きていてほしいっていう気持ち、とってもわかる。
    愛する人の命があるってことが、どれほど尊いことか。
    その命が消えてしまった後、悲しみを乗り越えていくのは容易じゃないよね。

    でも、顔を上げて歩き始めたなっちゃんのこと、お父様は天国から目を細めて安心してらっしゃると思います。

    投稿者: マッキー | 2012年2月11日

  • じゃあ、お父さんはモルディブにいるんだね。
    日本は寒いしね。
    そのうち奈津もモルディブに会いに行かなきゃね。

    投稿者: ゆみこ | 2012年2月12日

  • 遺漏して六年の母をおもい、なつさんの気持ち、分かります。切なかったことでしょう。
    最後に、ちゃんと日本でお酒をやめようって、ちゃんと思ってくださってたんですね。
    おとうさん、今頃はあたたかいところで、のんびり、だれにもとめられずに好きなお酒を召し上がっているんでしょうか。お母さんと二人、乾杯しておられることでしょう。
    お父さんらしく、生ききられましたね。なつさんは、お父さんに似ておられます。

    投稿者: daria | 2012年2月14日

  • お父様の、手書きの年賀状、、、
    ぜひもう一度見てみたかったと、そんな思いの今の私です。
    合掌。

    投稿者: 礼子 | 2012年2月15日

  • こうして記事にしてしまうととても短く感じますが、旅行に行かれてからこれまでの奈津さんとお父様のこと、簡単にはまとめられない作業だったことと思います。
    この長い間、奈津さんが全力でお父様のことを考えていらしたお気持ちは暖かい愛となり、いつまでもお父様をサポートされると思いますし、奈津さんにもお父様の愛がいつでも身近に感じることができると信じています。
    何かに真剣に向き合い、闘った方には必ず大きな贈り物が届くということも私は信じています。

    投稿者: naoko | 2012年2月17日

  • ハートネットに初めてコメントさせていただきます。咲セリの母、可南です。
    何度かお目にかかってお話もさせていただいていたし、つい先日も東京でお目にかかっていたのに・・ 残念なことに 今日、この文章を読ませていただきました。
    パソコンが苦手で、娘の記事すらコメントなど書いたことがないのに、奈津さんのお父様への想いを読ませていただいて、どうしようもない想いに駆られて、コメントを残させていただきます。
    父を送って ずいぶん経つ私ですが・・そして生前は、お父さん子ではあったのですが 父の存在が当たり前過ぎて、愛情にすら、深く考えることがなかったのです。
    亡くなってから・・より父は私の中で濃く生き始めました。
    私が自身の存在を自分で否定しそうになった時ですら、亡くなったはずの父が 「可南は可南でいい」と言ってくれているような気がしました。
    陶人形作家である私は・・父を思って作っている作品が、いくつかあります。
    私なりの方法で、父の証を作り続けたいと思っています。
    お父様は、「ここにいるよ」と、奈津さんに これからも伝えていかれるだろうし・・・奈津さんは、ハートネットやいろんなところで、お父様のことを語られたり書かれたりすることで、他者の中にも より広くお父様は存在し続けるのだろうなあ・・と思っています。
    いつか・・ゆっくり、生でそんな話しができる日が来ること願います。

    投稿者: 可南(カナン) | 2012年2月24日

  • ☆ マッキー様 ☆

    お返事が遅くなりました。
    そして、コメントを有難う。

    モルディブでの騒動から二年、父が逝ってから約4ヶ月が経ちました。
    マッキーちゃんには、色々ご心配をおかけしました。

    父の闘病中、私が分からなくなってしまったことの一つに「どう生き、どう死ぬか」というものがあります。ただただベッドで寝たきりでいて、食べることすら許されず(胃ろう増設の為)、天井を見上げるだけの日々を過ごす父を見ていることが辛くて切なくて。

    そんな時。マッキーちゃんがTwitterで呟いているのを目にしたの。「人間は寝たきりでも、人生を最後までまっとうしなければいけない」(正確ではないかもしれないけれど)って。
    私はその言葉に衝撃を受けて、何だか救われた思いがしたのでした。マッキーちゃんに会いに行って話を聞きたい!と思った。

    本心では、父にどんな姿でも生きていて欲しい。そう願っていたから。けれど、それは私のエゴなのかな…と、悩んでもいたから。

    今もね、ふっと寂しくなるのよ。父に会いたいなぁって。でも、4ヶ月の「時」を経て変わったことは、最近思い浮かべる父は「笑顔」なの。
    少し前までは、肺炎で苦しそうな表情ばかりだったのに。

    こうして、少しづつ父のことも「思い出」に変わ
    っていくのでしょうね。
    いつも有難う。

    投稿者: 野上 奈津 | 2012年3月27日

  • ☆ ゆみこ様 ☆

    お返事が遅くなりました。
    コメントをどうも有難う。

    父は今頃、どこにいるんだろう?
    先日、お彼岸のお墓参りに行った時、とてもとても不思議な感覚がして、思わず話し掛けちゃった。

    「お父さんは、ここには居ないよね?」って。

    まだ私の中では、父は生きているんだね。

    さて、父はモルディブかスペインのどちらかだと思うんだけど…。陽気にやってくれていることを願うわ♪

    投稿者: 野上 奈津 | 2012年3月27日

  • ☆ daria様 ☆

    お返事が遅くなりました。
    コメントを有難うございます。

    dariaさんのお母様も胃ろうを増設されているのね。本当に、娘としては切ないことよね。
    父の、胃ろうから栄養を流し込む姿を見て、はじめてdariaさんが昔「食べること」に対して熱く語っていた意味が分かったの。私もね、今なら分かる。その思いが。

    父が旅立って約4ヶ月…。まだ寂しくて仕方ない。
    けれどね、dariaさんの言う通り、ようやく「笑顔で一杯やっている父」の顔を思い出せるように
    なってきました。

    お母様、お大事になさって下さいね。

    投稿者: 野上 奈津 | 2012年3月27日

  • ☆ 礼子様 ☆

    お返事が遅くなりました。
    コメントを有難うございます。

    父の字、私も大好きでした。
    今でも父の手帳を開いて、あの個性的な字を目にすると懐かしい思いがこみあげます。

    父のことを思って下さって感謝します。

    礼子さんも、どうかご自愛下さいませ。

    投稿者: 野上 奈津 | 2012年3月27日

  • ☆ naoko 様 ☆

    お返事が遅くなりました。
    コメントを有難うございます。

    私たち父娘は、母親を早くに亡くしたせいか、「共依存」という特殊な関係にあったのかもしれません。

    寝たきりの父は父じゃない!という思い…。元気になってくれることを信じての二年間でした。切なくて、やるせなくて。
    もう一度、自分の足で立って歩いて、笑顔を見せて欲しかったのです。
    最期の時を迎える日が恐ろしくて、緊張の解けない日々でした。

    naokoさんの言葉に救われます。この二年間のことが、いつか「思い出」に変わる日がきますよね。温かなお言葉に感謝します。

    投稿者: 野上 奈津 | 2012年3月27日

  • ☆ 可南様 ☆

    お返事が遅くなりました。
    そして、コメントを有難うございます。

    思いがけずコメントを下さって、とても嬉しく…最後の方では、ちょっと涙ぐんでしまいました。

    私と父とは「共依存」という関係で、よく「奈津は親孝行ね」と言われましたが、それとは違うものだと思うのです。
    依存していた対象(父)を亡くしてしまった衝撃は、想像していたものを超えていました。
    けれど今は、ゆっくりとですけれど、「悲しみ」が「思い出」に変化しつつあります。

    可南さんはお幸せですね。

    > 「可南は可南でいい」と言ってくれているような気がしました。

    こんな風に「自分」という人間を全面的に肯定してくれる存在が「親」というものなのでしょうね。そのお父さまを、「陶人形」という形で残されることが出来るなんて素敵です。

    一筋縄ではいかなかった、散々手を焼いた父の話…是非、可南さんとお喋りしてみたいです。その時を楽しみにしていますね。

    投稿者: 野上 奈津 | 2012年3月29日

※現在新規コメントは受け付けておりません
トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://cgi2.nhk.or.jp/cgiblog/tb.cgi/42399

トラックバックについての注意事項

ピープルTOPにもどる