2009.9.29
今週はNHK総合『経済ワイドビジョンe』でメインキャスターを務める野田稔さんの登場です。コンピューターシミュレーションの専門家として大手シンクタンクに勤められた野田さんの20代をお届けします。
vol.85 野田稔 さん
Profile
1957年生まれ。東京都出身。明治大学大学院グローバルビジネス研究科教授、株式会社ジェイフィール代表取締役社長、株式会社リクルート ワークス研究所 特任研究顧問を務める他、テレビ・ラジオなどの出演も多数。株式会社野村総合研究所経営コンサルティング一部部長、株式会社リクルートフェロー、多摩大学経営情報学部教授を経て現職。

経済ワイドvision e
僕は中学生になったころから将来の仕事を決めていたんです。体が弱かったことや、ずっとボーイスカウトをやってたこともあって、病気やけがで困ってる人を助けることがとても大切なことだと思ってたんですね。それで救命救急の専門医になりたかったんです。それこそ自分の正しく生きる道だと思ってたんですね。

ですから結構まじめに勉強しました。ところが医学部を受験してはじめてわかったことがありまして、僕は色弱なんですよ。志願書に嘘は書けないので、勝手に「弱度」って付けて「弱度の色弱」って書いたら、ある大学の学科試験の後に色覚異常の検査があって「駄目です」ってことになっちゃったんです。今は問題なく入れるのですが、当時の医学部では色覚異常の人に対して入学制限をしていたんです。

それで浪人することになったのですが、医者になれないことにものすごいショックを受けまして、勉強する気なんか全くなくなっちゃったんです。そんなときに、亡くなった祖父から「人間の医者ができないんだったら、会社の医者になりゃ良いじゃないか」と、公認会計士という道があることを教えてもらったんですね。それで「数字を使うのか。自分に合ってるかも」と思って公認会計士の試験の先生を調べたら、一橋大学の先生が多かったので一橋大学の商学部を選んだんです。入試合格後すぐ、大学に入る前から簿記の勉強を始めました。簿記では帳簿の左右でそれぞれ膨大な足し算をして数字を合わせなきゃいけないのですが、僕は数学は好きだけど計算は嫌いなんですよ。「全然合わねぇ、これ……」と思って、なんと入学式の前に早々と諦めちゃいました。
そこからは「じゃ~、まあいっか」って、僕はジャマイカ人と言ってるんですけど(笑)、特にやりたいことも無い、中途半端な状態になっちゃったんです。

2年生のゼミで、僕は理科系が好きだったから物理学を取ってたんですね。それで3年になるときに「このまま先生のゼミで行きますよ」って言ったらゼミの担当教官に「文系の大学でしかできないことをやるべきだ。管理工学って知ってるか。君に合ってると思う」って言われて、管理工学のゼミに入ったんです。これはハマりましたね。
管理工学は数学を使って社会現象をモデル化する学問なんですけど、好きな数学が自由自在に使えて、それで社会現象をシミュレートする。あのときの感覚を簡単に言うとワクワクなんですけど、世界の未来をこの手に握っているような気分でした。

大学4年生になって就職ということになったときに、先生が「野村総合研究所から求人が来てるよ。ただ、この研究室から1人だけだ。だれか行きたいやつはいるか?」って言われて、僕ともう1人が手を挙げました。先生は「おまえら2人で話し合って決めろ」って言われたんです。そのもう1人は親の後を継いでコンサルタントになることが決まっていた男だったんですね。だから僕は彼に「お前はもう決まってるんだから俺に譲れよ」って言ったら「ああ、いんじゃないの」ってことで、僕が野村を受けることになったんです。僕は当時まだ珍しかったパソコンを使って、マンマシンシミュレーションをしていたんですね。その話をしたら「それはおもしろいな」ということで、野村総研にコンピューターシミュレーションの専門家として入社したんです。

野村総研に、私は“研究員”で入社したので、スゲェカッコいいことが待ち受けてるだろうと期待してました。
実際に野村総研の本社は、鎌倉の銭洗い弁天の裏の山を5万坪持っていて、その山頂に建っている白亜の四階建ての、建築デザイン賞を取ったようなカッコいい研究所なんです。その山の麓から立体交差の道路を私道として持ってて、山を回り込みながら入って行くんです。もうカッコいいったらありゃしない。
ところが入ってみると、まぁ~、ヒドい……。もうね、タコ部屋っていうのはこういうことだなっていう、野麦峠とか蟹工船とかっていう言葉が浮かびましたよね。

まず会社の麓に独身寮があるんですよ。要するに職住混在なんですね。その独身寮にぶち込まれて、もう夜も昼もないわけです。朝8時40分に会社に行き、5時か6時に一度寮に帰ってご飯を食べて、Tシャツと短パンになってまた会社に上がり、そのまま1時2時まで働くんです。また帰って来て寮で愚痴たれながらビール飲んで寝て、また8時40分にでかけて、――延々これを繰り返すんですよ。

で、仕事たるや、後になってみると非常に意味のある仕事だったんですけど、「なんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ」と思うぐらいにヒドい仕事ばっかりやらされた。
まず最初にヤラされたのが、先輩にくっついていって、先輩がお客さんと話してるところでひたすらメモを取らされる。それがある程度できるようになったら、こんどは怒られながら会議の板書。そんなことばっかりなんですよ。

そんなことをしているときにドサッと分厚い統計書を渡されまして、そこに数字があまりに小さいので「x」って書いてある項目があるんです。その数字は複数枚の統計書から連立方程式をたてれば特定できるんですけど、それを手計算でコツコツ解いてひたすら集計表に写す作業をやらされるんです。考えてみたら、それをやると統計書の構造が頭の中にできるので、将来なにか新しいことを考えるときにどこから数字を持って来て計算をすれば必要な数値が出せるかがわかるんですね。でもそんなことがわかるようになるのはずいぶん経ってからなんです。やってる最中は仕事の自分にとっての価値なんてちっともわからない。

それから、新聞の切り抜き、雑誌記事収集なんていうのもずいぶんヤラされました。嫌々やっていたら、先輩から「野村総研っていうのはとてつもない情報源を持っていて巨大なコンピューターがあって、軍事研究なんかもやっていると噂になってるけど、そんなものは全く嘘なんだ。確かに我々は、最終的には日本がどうあるべきかというような、大きな提言をする。でもそのデータソースは新聞や町の人の声を丹念に集めて構成する。それが野村なんだ」ってことを言われました。野村総研が使うデータの大部分は公開情報なんですよ。徹底的に現場の生のデータにこだわるんです。足で稼がされました。
「手計算」に「メモ取り」に「新聞の切り抜き」ですか。当時のシンクタンクって意外と地道な作業をされていたんですね。後半ではそんな野田さんに転機が訪れます。