週刊グレトラ日誌

今週のヨーキさんとゆかいな仲間たち

今週のヨーキさん(2016)

2016年02月23日 (火)

今週のヨーキ(12/14~12/20)

12月14日(月)「ふらっと」

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前回の休養日から数えて、12日目の朝が来た。ベットから起きるなり、たまにある左脇腹辺りの鈍痛が…。出発時間が迫っていたので、とりあえず朝食を食べた。しかし、予想通り腹痛に襲われ、体調が崩れてしまった。今日は豊後大野市まで55キロの行程だったが、さすがの僕も心が折れた。急いで予約していた宿に連絡して、宿泊日の変更や今日の宿を探して、予定を変更した。そのあと、薬を飲んでチェックアウトギリギリまで部屋で寝た。

11時、チェックアウトしてホテルを出発する。外は気持ちよく晴れていた。僕の体調も寝たおかげで回復している。予定変更したので、今日は大分市内までの25キロとなった。のんびり九州の紅葉を見ながら歩いた。昼過ぎちょっと小腹が空いたなぁーと思って、椎茸を栽培している「きのこの里」にふらっと立ち寄った。ログハウスの建物に実家を思い出し、安らいだ。

席に座り、(栽培している椎茸を使った)きのこの里うどんを注文した。間もなくして、うどんが登場した。関西風の出汁のきいたうどんに椎茸の天ぷらがのっている。まずは天ぷら一口食べると、椎茸の甘さが口に広がった。もくもくとうどんを食べていると、そこに4人組のおばちゃんが大きな椎茸の入ったカゴを抱えながら、入ってきた。「こんにちわ」と声をかけるとおばちゃんたちは皆笑顔で「こんにちわ」と答えてくれた。おばちゃんたちもふらっと立ち寄ったようだ。椎茸を買うだけのつもりがアイスクリームが目に留まり、「あら、アイスクリームがあるわよ♪アイスクリーム食べていきましょうよ~」の一人のおばちゃんの一言で、アイスクリームを注文していた。

うどんを食べる僕とアイスクリームを食べるおばちゃんと一緒に大きな丸テーブルを囲むことになった。自然とおばちゃんたちと話が始まり、椎茸は大分県の名産で同じ品種なのに、季節によって、形や大きさが違ったり呼び名が違ったりすることを知った。春や秋はかさが薄く大きく広がり、冬は肉厚でかさは広がらないそうで、「どんこ」とかわいい名前で呼ばれる。おばちゃんたちは別府の方で、気持ちのいい日なので、一人のおばちゃんの家に集まっていたそうだ。それで家からきれいに色づく山を見て秋を感じ、「ちょっとあそこに行ってみない?」ということで、ふらっと今いる場所まで登ってきたという。その話を聞いて、僕はいい話を聞いたな~と思った。家から見える山に季節を感じ、ふらっと登りにいく。車は使ってはいるが、おばちゃんたちにとっては十分山を登っているんだな~と感じた。

また、甲信越では例年より早い紅葉が、九州大分は例年より遅いということも、おばちゃんたちが教えてくれた。さすがの九州も厳しい冬が待っていると予想していたが、予想外に師走の中旬でまだ紅葉を楽しめていることに喜びを感じた。そしてなんと!おばちゃんの中には93歳のおばあちゃんもいることを最後に教えてくれた。自然ないい笑顔をするおばちゃんたちと、記念にと写真を1枚撮り「また、どこかでふらっと会いましょう♪」と言って、きのこの里を出発した。初めての師走の九州で、いい出会いをした1日となった。


12月15日(火)「今でしょ」

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大崩山までの移動を中2日の予定を3日に変更したのが昨日。今日は2日目、豊後大野市三重町までの30キロを歩いた。

1日を振り返ってみると、とにかく川に沿って歩き、30分おきに通過するローカル線の列車の音を聞いて歩いた印象だけが残っていた。特にこれと言ったことはしていないのだが、急ぐわけでもなく、田舎道をトボトボと歩くだけの時間が静かで、心地よかったのはしっかりと覚えている。今ある時間を大切に、田んぼの畦道に咲く小さな花がそう言った。

明日の一歩は今の一歩から♪いつもならあっという間に過ぎる30キロがとても長く感じた。


12月16日(水)「トトロに会って」

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今日は一気に宮崎県に入り大崩山の麓まで迫る。今いる三重町から国道326号線に入ると、民家や商店はなくなり、山間を抜ける道となった。ただ、大型トラックなどの車が頻繁に行き交う音が谷間に響き、違和感を感じながら歩いた。鳥のさえずりや山の声はほとんど聞こえない。寂しさも感じながらも、この道があるおかげで、いくつもの山を越えずに、大崩山までいけるありがたさも感じずにはいられなかった。

長いトンネルを抜けると、小さな集落に出た。相変わらず国道は行き交う車で賑やかだ。ふと地図を見ると、国道から2キロほど入ったところになんと「トトロのバス停」があると出ていた。熱狂的なジブリファンではないが、ジブリ作品は好きだ。(余談だが僕が一番好きなのは「天空の城 ラピュタ」)子供の頃に一度は見ている「となりのトトロ」、寄ってみたい気持ちに掻き立てられた。

ちょっと急ぎ足で、歩くこと15分、民家の前に小さなバス停が。覗くとトトロとそれに気付いて、目と開いた口がふさがらないさつきとメイがいた!それに便乗して僕も同じ表情をして、写真を1枚撮った。

さらにちょっと道を進むとネコバスもあった。バス停は本当に実在する停留所で、「トトロ」ではなく「ととろ」とあった。トトロの森は埼玉県所沢市にあるのは有名な話だが、まさか大分県にもトトロがいるとは♪意外な場所での遭遇で僕はご満悦な気分だった。そして、まさかこのあと、地図にない林道に迷い混むことになるとは予想もしていなかった。

道の駅で、腹ごしらえをしてから、県境のトンネルを抜けて、宮崎県に入った。ここで、温泉県の大分県ともお別れだ。すぐに国道からそれると、祝子川温泉に続く峠越えの道に入った。宿は温泉のすぐ近く、約16キロの道のりだ。

ふと登山地図を手に取りルートを確認すると、大きく迂回しながら峠を越える道(16キロ)と温泉の真上に位置する矢立峠を越える登山道が載っていた。距離も時間も短縮できそうなので、矢立峠越えを目論んだ・・・がしかし、登山口に続く林道に入ると、地図に載っていない違う林道に来ていることに気づいた。気づいた時にはすでに1キロ以上登っていた。もと来た道に戻りながら、「やっぱり急がば回れだな~」と呟いた。北海道から幾度となく痛い目をみながら、教訓にしてきたことだった。九州に来ても、やっぱり急がば回れだった。

結局、元の道に戻り予定通りの道を走り、夕方に祝子川温泉に到着した。1日終わってみれば、43キロが50キロになっていた。温泉が疲れたからだに染み渡った。明日は九州の人が皆口を揃えて美しいと言う、大崩山に登る。


12月17日(木)「険しさと美しさは紙一重」

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東北の山を登っている頃に、行く先々の山で九州からの登山者によくお会いした。時にはたまたま同じ宿になり、九州の山の話で盛り上がった。お会いした九州の人たちのほとんどが、口を揃えて「九州では大崩山が一番好きけんよ~」「大崩山はよかよ~」「大崩山は九州一よ~!」などと嬉しそうに教えてくれた。その時の記憶がしっかりと焼付いていたので、大崩山は長い間楽しみにしていた一座だった。待ちに待ったその山に今日!これから登る。

事前の情報で、当初予定していた坊主尾根コースは、岩場の一部が凍結している可能性があり、冬季は危険が大きいと聞いた。また、今日だけ寒気の影響で九州でも高い山は雪が降るとなっていたので、凍結の確率は高いと予想した。そこで、最短の二枚ダキコースを選んだが、数年前の台風で大きい崩落があり、登山道は埋まり、落石が誘発しやすい状況。登山地図には、通行可能とあるが、現在ではほとんど利用する登山者はいないという…。今日のコンディションだと、雪が積もり凍結してしまった場合坊主尾根の方がリスクが高いと判断した。

しかし、二枚ダキコースもリスクが低いわけではない。また、湧塚コースが一番リスクは低いが、コースタイムが長く、下山後に高千穂町までの40キロが控えていたため、登山の時間が長くなるのは避けたかった。朝起きてからも、最終的にどこにするか悩んでいた。宿泊先の大崩山に詳しいおばちゃんが、「冷え込んだけど、今年はまだ冷え込みが遅いから、氷はそこまではってないと思うよ~山を見たけど、そこまで白くなってないからね~」とアドバイスをしてくれた。さらに悩みながら、宿を出発。登山口までの4キロを歩きながら大崩山を見て、考え続けた。

あっという間に登山口について、最終的に選んだのは坊主尾根コース!気温や山頂部分の雪の状況、コースタイム、リスクの高い部分の時間の長さなど様々な理由から決定した。あとは、大崩山の真髄を自分の足で歩いてみたかった。それが最後に自分の背中を押した。そうと決めたら、気持ちもスッキリ!集中して8時過ぎに出発した。祝子川沿いをいいペースで歩き、山小屋を通過して川を渡り、早速坊主尾根に入ると、一気に傾斜が厳しくなっていった。

登山口を出発してから1時間ほどで、見上げるとばかでかい岩の群れが現れた。いよいよ大崩山の世界が始まった。花崗岩が折り重なり、切り立った尾根を形成していた。えっ!?ここを行くの!?という感じの岩登りが始まった。ロープ、ハシゴ、ハシゴ、ハシゴ、ロープ、ワイヤーと続く。標高はどんどん上がり、展望は一気に開けた。眼下には祝子川や谷間の小さな集落が、見上げるとまだまだ続く岩山が見える。

象のように見える像岩の下をトラバースするところが、坊主尾根の核心部。緊張感が最高潮に。入り口に立ち先を見ると、凍っていないようだと分かって安心した。気をゆるめず、慎重に抜けた。岩場を抜けるのに時間が予定よりかかったので、難所を抜けてからペースアップ!最後の小積ダキに上がると、隣には湧塚コースの岩峰が見える。あちらもすごい岩の群、回りを見渡すと同じくらいの高さの山はほとんど中腹が岩場だった。

小積ダキから山頂までは景色が一辺した。樹林帯の中を歩き、春には一面アケボノツツジが広がるのだろうとイメージしながら、うっすら雪が積もる道を歩いた。葉が落ちて冬眠を始めた木々が雪化粧をしている中、10時過ぎに登頂した!

山頂には厳しい寒さの中、応援のために登っていた人たちがいた。皆さん笑顔で山頂は温かい空気で包まれた。大崩山の魅力は一際目を見張るほどの岩場だが、近くからも遠くからも、険しさや厳しさは一目瞭然だ。でも、この山は険しさと美しさが同じ場所に共存していた。実際に登ってみて、険しい山であることも、この山の美しさも味わったが、大崩山はでかい!四季を通じてこの山が見せてくれる魅力は岩場だけではない。次は是非春の大崩山に会いに来てみたいと下山しながら考えていた。

昼前に無事下山。高千穂町に向かって走り続けた。途中の日之影町で長野でたまたま一緒になったご夫妻と再会した。家業がお茶農家ということで、ご自宅に案内してしていただき、お茶などをごちそうになった。宮崎弁の弾丸トークのおばちゃんたちに見送られて、高千穂町までラストスパートを始めた。


12月18日(金)「神話の町から」

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神話伝説の町、高千穂に来るのは今回が2度目。数々の神話がこの地から誕生した。天照大神の天岩戸伝説や日本創世のころ伝説など、古事記や日本書紀に記されている。

神話伝説の町も昨夜の放射冷却で冷え込み、氷点下になった。朝靄も特別な感じがする。まだ、目が覚めたばかりの町には一足先に学生たちの足音が響いていた。僕も負けじと一歩一歩しっかりとした足取りで今日の目的地に舵をきった。神話の世界を堪能するのはまた次回になりそうだ。高千穂峡に架かる橋の上から、町を見下ろしながら思った。

熊本県との県境までは神話街道が続く、通りすぎる集落には必ず神々の石像を祀る小屋があった。どれも同じような作りで、中には形や表情の違う5体の像があった。神話の里ならではだろうか。

出発してから3時間で熊本県に入った。峠からは高く噴煙をあげる阿蘇山が見えた。峠にあった特産物の直売所で特ホル丼を食べて、上手いと人気の馬肉を使った桜コロッケを一年半越しでGETして感動!食べながら歩いていると、道端に「九州のへそ」と書かれた石碑とオブジェが。北海道のへそ富良野が故郷の僕にとっては親しみが湧き、偶然の発見に嬉しくなった。

気持ちが自然とウキウキした状態で、山都町に向けて歩いた。日差しは一日中絶え間なく降り注いだが空気は冷たく、標高の高い山は白く雪化粧をしていた。明日も冷え込みそうな空気を感じる夕暮れの山都町に到着した。


12月19日(土)「老婆心」

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今朝も冷え込みは厳しく、水溜まりは凍り、霜が降りている。約160年前に造られた通潤橋をじっくり観察した。四方を川でかこまれた白糸台地の農地に水を引き込むために、考えられたのがこの橋で、橋の高さまで上流6キロから水路を造り、水の力をうまく利用して、見事に水を引き込んでいる。これを160年も前に可能にし、かつ今も現役ということにさらに驚いた。また、水が漏れない仕組みに漆喰目地を用いられており、その技術の高さにも脱帽だ。

通潤橋に感動したあとは、たんたんと熊本市に向けて歩いた。昼過ぎに、トイレを借りたくて小さなガソリンスタンドに立ち寄った。店のおじさんに挨拶をして、借りたあとは事務所にいるおじさんに向かって、「ありがとうございました!」と脱帽して一礼した。

よし!行こうと思い歩き始めると、後ろから店のおじさんが事務所から出てきて、
「あのさぁ~それでもいいかもしれないけど、出来れば事務所の扉をあけて挨拶をしてほしかったなぁ~あなたは特にテレビに出てる人だし、色んな人が見ているから、そういうところはしっかりとやった方がいいと思うよ!最近は挨拶もなく勝手に使っていく人もいるからね~あなたならどうかな~と思って事務所から見てたけど、口うるさいことかもしれないけど、老婆心だと思って!それじゃあ気をつけて!」
それを面と向かって言われたとき、久しぶりの注意に僕はそんな簡単なことができなかった恥ずかしさで一杯になった。自分自身の未熟さを改めて感じ反省した。それと同時に、おじさんからの注意をありがたいことだと感じた。

あなたは扉をあけて相手の顔を見てお礼を伝えることはできますか?


12月20日(日)「島原湾往路」

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ピンと張りつめた空気の中、夜明け前に宿を出発。向かうは島原湾!今日は島原湾をシーカヤックで横断する日。瀬戸内海を横断したときから約1ヶ月、前回は10キロほどだったが、島原湾は約22キロとなり、距離も時間も長くなる。旅の終盤は心身の蓄積された疲労や上半身の筋力低下もあるので、楽勝ではないだろう。

また、初めて漕ぐ島原湾は干満の差が大きかったり、海苔養殖の漁船の往来が激しいエリアを通過することであったり、内海とはいえ注意しなくてはいけない要素が多く、不安は今回も付きまとった。

出発地点の漁港までは10キロと、ウォーミングアップにはちょうどよかった。朝靄の向こうには、どでかい普賢岳が見えた。今日は対岸が見えているので、目標ができて少し安心して漕げそうだ。

10時の出発目標に合わせて、8時半に漁港に到着し、久しぶりのシーカヤック装備の準備をした。島原湾横断には、今回も昨年の大隅海峡横断の時に使用したSOUTHERN WORKSさんのシーカヤック(安定感、操作性、直進性など総合力がある)を使わせていただく。また、サポートは関西のアドベンチャーレースの仲間のご夫妻がわざわざ九州まで来てくれた。シーカヤックの装備を漁港まで運び、待機してくれていたサポートメンバーと合流、海上の状況やコンディションなどを話ながら、抜けのないように準備を整えた。

10時、予定通りに出発。準備中に集まった応援の人たちに見送られて出発した。漁港を出ると、目の前に海苔の養殖地が見渡すがぎりに広がっていた。また、海の中に電信柱が立っていて、初めて見る景色にビックリした。風もなく波も穏やかで、視界もよく、干潮のタイミングではあったが、僕が通ったルートには影響は全くなかった。海苔養殖地帯を抜けると、広大な定置網(これも海苔養殖?)が広がった。海苔養殖の漁船が縦横無尽に通過する。国道航路に出るまで、緊張の時間が続いた。

1時間ほどで、国道航路に合流して、少しホッとした。しかし、緊張の糸は対岸につくまでは当然のように切ることはできない。国道航路には30分おき位にフェリーや高速船が行き来した。

波や風は島原に渡りきるまで、ほとんどなかった。しかし、平成新山の雪化粧に見えていた山頂が火山活動の噴煙だと分かった最後の1時間が一番緊張の時間となった。島原湾の島原近郊は海底が複雑な地形をしていることから、潮が激しく動いていた。さらに休日ということで釣り船やレジャーボートがたくさん出ていて、その中を抜けていくことになった。しっかりと上陸地点の秩父が浦が見えてくるまで、漕ぎ続けるためにも、空腹をこらえた。

最後はヘロヘロになりながら、それでも予定通りの3時間で島原湾往路を無事に終えられた。3時間の中で、リラックスして久しぶりのシーカヤックを楽しめたのは一時だけ、ほとんどの時間は顔を強張らせながらとなった。3時間漕ぎきったときに、アドベンチャーレースでは3倍以上の時間を漕ぎ続けることもあるのに、自分のパドリングパワーの低下を強く実感した。

フラフラになりながら、サポートの友人の力を借りて、シーカヤックを片付けて、明日の普賢岳に向けて、体を休めた。

投稿時間:15:30 | カテゴリ:今週のヨーキさん(2016)


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