週刊グレトラ日誌

今週のヨーキさんとゆかいな仲間たち

今週のヨーキさん(2016)

2016年01月29日 (金)

今週のヨーキ(12/7~12/13)

12月7日(月)「リアス式海岸63キロ」

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今日はタフな1日になること間違いなし!なぜなら、山陰の日本海側ルートはリアス式海岸が続き、ちょっと内陸の国道を走るので、海に突き出たいくつもの峰を越えていくことになる。一番のアップダウンが続くエリアになるからだ。

さらに追い討ちをかけるのは、予定していた宿泊先がどこも満室で予約が取れなかったので、県境を越えて萩市の須佐町まで1日でいくことになった。距離は63キロになる。先日尾道から三次までが66キロだったことを考えれば、まだ短いが…アップダウンの連続は体への負担は大きい。

結局、この日は63キロのうち50キロを走る結果になった。真っ暗になった夜6時半に宿泊先に到着した。身体中の筋肉という筋肉がパンパンに張っていたことは言うまでもない。ハードな行程の中で、救いだったのは、2日連続で島根県の腱引き師の方に施術をしていただけていることだ。これで明日もいつも通り歩けそうだ。

今年は全国の腱引き師の方々に全面的なバックアップをいただけているので、八ヶ岳の怪我以来、大きな故障が無い。本当に感謝してもしきれない。今日も本当にありがとうございます!


12月8日(火)「田舎の商店」

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皆さんはあるだろうか?初めて行く土地の地元の人しか利用しない小さな商店にふらっと入ったことは…車が主な移動手段になると、買い物をするときに選ぶ店は何でも揃う大型ショッピングセンターや手軽なコンビニエンスストアなど、駐車場もない集落にポツンとある小さな商店には見向きもしないだろう。

一昔前は集落にある自宅からパッと行ける小さな商店が地域の人たちの生活を支えていたはず。大型ショッピングセンターなどの需要が高まるにつれ、町の小さな商店は次々と無くなっていく。しかし、その一方で町の小さな商店に頼らなければいけない高齢者にとっては今でもなくてはならない存在だ。

今日は昨日とはかわり、日本海に面した海岸線を歩いた。そんな最中、町も民家もない時間が続き、ようやく現れた集落に小さな商店がボツり…一瞬通りすぎたが、お腹が鳴った。ピタッ!足を止めてクルリと反転、店を覗き込むとバイプ椅子に座っているおじさんが一人。
「こんにちわ~」
というとおじさんがのんびりとした口調で
「はーい、こんにちわ~」
店の中を見渡して、スナック菓子を手に取った。
「おじさんこれください」
するとおじさんは困った表情を浮かべ
「かみさんが来ないとわからねえなぁ~」
と言われたので、ごみ出しにいったおばちゃんを待つこと3分、おばちゃんが戻ってきた。

「すいません。これいくらですか?」
と聞くと驚きの言葉が!
「困ったね~わたしもわからないのさー」
思わずビックリ「えー!?」と声が出てしまった。
「えーと、じゃあ買えない感じですかね~(^^;)」
と聞くと、少し考えたおばちゃんが
「ん~私らも週に1回店番頼まれてるんだけど、わからねえのはしょうがないから、200円でいいよ!」
と言った。たぶん200円以上はするはずだが、おばちゃんの一声で決着はついた。

ということがあった。普通ならあり得ないことだが、田舎だから許されることかもしれない。昔駄菓子屋で店のおばちゃんが、アメやガム、アイスなどを一つまけてくれたり、安くしてくれたりと、古きよき時間が無くなっていく寂しさとは逆に、まだ田舎にはそういった光景が根強く残る商店を訪れると気付くことができる。

僕の故郷では今年いっぱいで最後の商店が思い出と共に閉店した。この旅では、幾度となく地図にも載っていない小さな商店に助けられてきた。田舎の人口減少とともに商店がつぶれてしまうことに歯止めがきかないのもまた現実なのかもしれない。

さぁ、日本海に別れを告げよう次の田舎の商店に向けて、僕は歩き続ける。


12月9日(水)「カルスト地形秋吉台」

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昨年と同じ道を、今回は九州に向けて逆走している。明後日には九州福岡県に入る。今日のルートは、世界遺産の町萩市からカルスト台地の秋吉台や秋芳洞が有名な美祢市までの42キロを歩く。いつもより少し少なめなので、ゆとりがある1日になりそうだ。

昨年、美祢市に宿泊したときに、お世話になった地元の方から、秋吉台や秋芳洞の魅力を熱心に話していただいた。残念ながら昨年はすぐ近くにいながら、雨天となってしまったので、次回ゆっくり見に来ようと考えていた。今年は「まさか歩いて、ここに来ることになるとは!」という場面がたびたびある。ということで!今日もまさにそんな日になりそうだ。

1日の距離にゆとりが出ると、時間のゆとりも出るので、せっかちのスイッチが入らなくて済む♪放射冷却で全国的に今年一番の冷え込みとなり、萩の町もしっかりと冷え込んだ。白い息を吐きながら、通学中の学生たちがたくさん歩いていた。その中を僕は学生たちとは逆方向に向かって歩く。

萩の小さな城下町から、明治維新の立役者たちがたくさん誕生し、都に出るために萩往還を歩いたのだろう。何を思い歩いたのか…僕の旅とは全く違う次元の志をもって歩いたのだろう。旅を通じて、歴史ある道を歩くと、この道から様々な物語が始まったのだろうと考える。

朝の冷え込みは太陽の光とともに和らいだ。走り歩きを繰り返し、秋吉台の入り口には12時に到着した。見慣れた杉林の山の奥に、明らかに違う雰囲気の山が見える。ワクワクドキドキが高まる中、杉林を抜けると、目の前にすすきが見渡す限りに広がった。勢いよく「うわぁー!すげぇー!日本にこんなところがあるんだなぁ~」とこぼれた。広大な敷地は一面金色の草原だった。その中にポツポツと石灰岩が頭を出している。標高は200メートル以上あるのだが、3億5千万年前は海底だったというのだから驚きだ。

ただただ、秋吉台の中央部を歩きながら、「すごいな~パタゴニアみたいだなー日本だとは思えないなー異世界だなー」などと驚きの言葉が続いた。地図を見た感じではそれほど時間もかからずに、秋芳洞の黒谷口に着けると思っていたが、予想以上に秋吉台は広く大きかった。

1時間半ほどかかって、秋芳洞の黒谷口に到着した。今後は3億年前の地底の世界に足を踏み入れる。案内板を見て初めて知ったが、洞窟は約1キロもあった。もちろん、フラットな道ではないので、意外と時間がかかるようだ。必要はないが、気持ちを高めるためにヘッドライトを装着。この旅3度目の洞窟内探検に出発した。

本格的な鍾乳洞に入るのは久しぶりで、3億の時が作り出す地下の世界に、ここでも驚きの連続となった。通常とは逆コースなので、下から登ってくる観光客とすれ違う。大半は韓国や中国からの観光客だった。主な鍾乳石には説明のガイダンスが流れ、どのようにしてこんな形なったかなど詳しく説明してくれる。ガイダンスには英語、韓国語、中国語があり国際化が進んでいるのを感じた。数ある鍾乳石の中で一番驚いたのが、地下の富士山だった。長い年月をかけて成長していった富士山は「洞内富士」と呼ばれていた。

約30分の秋芳洞散策を終えて、3億年前の世界から戻ってくると、遊び疲れたのか急にお腹が空いた。お土産屋の前を歩いていると、美東町の特産物ゴボウを使ったゴボウうどんが目に留まった。すでに店の外まで、ゴボウの匂いが漂っていた。匂いに誘われ、ゴボウうどんを注文♪数分後、麺にもゴボウが練り込まれていて、その上には素揚したゴボウがふんだんに乗っているゴボウうどんが登場した。食物繊維が豊富なゴボウうどんは遊び疲れた体にぴったりな味とボリュームだった。満腹になったためか、食堂に差し込む日差しが心地よくうとうとしてしまった。(うどんを食べたあとに、写真やサインに応じたが、元気がなかったのは、ただ眠かっただけです。笑顔が少なくすみませんでした(^^;))

その後、眠い目を擦りながら美祢市内までの19キロを走った。久しぶりの大きな寄り道は、いい思い出となった♪


12月10日(木)「見えたぞ九州!」

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朝起きると予報通りに外は雨だった。今日の夕方には関門トンネルを抜けて、九州福岡県に上陸する。旅もようやく最終ステージに入るわけだ。まさに冬の冷たい雨が降る中、下関を目指す。予報では夕方から注意報が出るほどの荒れた天気になるようだ。先を急ぎたいが雨と寒さで予想以上に体力が奪われる。ただ淡々と歩くことだけに集中した。最短距離を行くため、何度か幹線道路を外れ、山を越えて、昼頃に土砂降りの国道2号線に出た。

去年とは全く違う天候の中ひたすら歩いていたが、予定よりも下関の到着が遅くなりそうだったので気持ちを奮い立たせて走った。そしてようやく、海面まで下がった雲の向こうに待望の大陸「九州」が見えた!高ぶる気持ちに走るペースも上がる。

海岸線に出ると、すっぽりと雲に包まれた関門海峡にかかる橋が見え、どんどんその距離が近づいていく。いよいよ、関門トンネルを抜けるときが来た。同時に7月に歩き始めた本州ともお別れになる。

関門トンネルの入り口の前には、僕の名前を呼ぶ人や手を振る人など応援の人が多数集まっていた。去年は一人静かに九州から本州に渡ったが、明らかに1年前とは状況が一変していることを感じた。20人くらいの人たちに「いってらっしゃい♪」と見送られながら、地下の人道トンネルに下りた。

人だけが通れる人道トンネルは変わらず、散歩する人や生活道として利用する人が行き交っていた。トンネル内の県境にも僕を待つ人が。お決まりの県境での写真撮影をして、九州側の出口に向かった。トンネル内でも数人の応援の方が九州の出口まで見送りに来てくれた。

下関へとのびるトンネルに一礼して、地上に向かった。地上に出るとそこにもたくさんの応援の人が「ようこそ九州へ」と書かれたプラカードを持って歓迎してくれた。寒さでかなり疲れていたが、九州上陸を一瞬だけ喜んだ。少し余韻に浸りたかったが、天気が急速に崩れ始めていたので、駆けつけてくれた人たちに「ありがとうございました!」と言って、小倉に向けて走り出した。雨風ともに一層強くなり、宿に着いたときは身体中びっしょりだった。今回の九州上陸はたくさんの人に迎えられて、体は冷えていたが、心暖まる時間となった


12月11日(金)「最後の大陸」

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朝起きると、昨日の雨が収まっていて安心した。今日は一気に英彦山の麓まで歩みを進める。今日から本格的な九州の旅が始まるわけだ。

天気は1日中はっきりしない感じではあったが、昨日に比べれば、天国だ。小倉から2時間もすると、家より田畑が多くなった。騒がしい都会よりも、僕は田舎道の方が安らぐ。平日ではあったが、朝から九州の人がたくさん応援に駆けつけてきた。最初はポツポツだったが、昼が近づくにつれて、その数は増えていった。

そんな中、恐ろしいことが起きた。

大型トラックが行き交う国道322号線を歩いているときにちょうど長い峠のトンネルに入った。トンネルは上りと下りでそれぞれ独立していて、歩道は上り(対向斜線側)のトンネルにあった。トンネルに入って中間くらいに来たときに一台の車が、「よーきさーん」と叫びながら僕を追っかけて来た。一瞬目を疑った!えっ!!前方からはトラックや車が接近してくる!!とっさに「逆走ですよ!!」と叫んだ。運転している人はなんのことかわからない顔をした。次の瞬間トラックが勢いよくクラクションを鳴らし、運転している人はハッとして気づいた。運よくトラックや乗用車など対向車が避けてくれたが、数百メートル先には次のトラックが迫っていた。一方通行の二車線のトンネルだから走る車はかなりのスピードを出していた。慌てて切り返して、Uターンをしている車を祈る気持ちで見ていた。

迫っていた車が気づいて減速した為、なんとか大事故にならずに済んだが、身も凍るような場面を目の当たりにして、僕は事故にならずに良かったとほっとした気持ちと運転していた人への怒りが込み上げた。

トンネルを抜け、少し冷静さを欠いているところに先程の運転主が現れた。笑顔で「いやー命拾いしました。よーきさんに助けられました」と言った。自分が起こしたこと、一歩間違えれば大事故になっていたことを全く反省も恐怖も感じていない様子に僕はカチンと来てしまった。
「助けられましたではないですよ!ご自分がしたことわかってますか!?ご自分で運転していて、トンネルを抜けてきたのに、そのトンネルに引き返すって…大事故にならなくて本当に良かったですよ。」
「よーきさんをトンネルで見つけて無我夢中で…すいません。写真を一緒にいいですか?」
その言葉にあきれて何も言えなかった。

今までにも、ちょっとそれはどうなの?!という場面はあったが、注意しても皆さん「大丈夫大丈夫」と言っている。今日トンネルでの一件からいつも以上に車の運転マナーが目についてしまった。よくみかけるのが、運転しながらの携帯電話をもって撮影する人やノロノロ運転。携帯電話をもっての運転はそもそも法律違反、ノロノロ運転は後続車に迷惑をかけてしまう。また、狭い道での停車や駐車は渋滞や他の車への迷惑にもなる。また、わき見(僕を見ながら)運転では、赤信号の交差点に侵入していく車も。

わざわざ、直接応援に来てくださることはありがたく嬉しいことだけど、応援の前に最低限守らなくてはいけないことがあるのではないだろうか。なので、この日はそれはないでしょうという応援者からの応援は気持ちよく受け止められなかった。

車を運転する人ならわかってくれるはずだと思い、日記に書きました。


12月12日(土)「九州1座目」

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まだ日の出前の6時半過ぎに宿を出発。朝早くから宿の前には応援の方がすでに待っている。土曜日ということでたくさんの応援の方と会いそうな予感だ。

今日はこれから大切な第一歩、九州1座目の英彦山に登る。英彦山と言えば、日本三大修験山の1つ。大昔から神聖な場所となっている。登山道は参道であり、山頂には英彦山神宮の御本社(上宮)がある。したがって、登山というよりも参拝に行くような感じだろう。もちろん、出発は表参道となる銅鳥居から。

7時半に参道入り口に到着、鳥居から続く石畳と石段を見て、息を飲んだ。その誰もいない静かな参道を見て、大昔から時が止まったような空間にこれから足を踏み入れることに対して、自然と脱帽して上宮まで歩く気持ちになった。一歩一歩踏みしめている石段、長い年月動かず参道を行き交う人々を見守ってきたのだろう。

ふと足元から前方に目を向けると、この山の主(鹿)たちが顔を出している。参道脇にはいくつもの宿坊が建ち、中には看板はあっても建物はすでに無くなっている宿坊もあった。そこからさらに急な石段を登っていくと、立派な英彦山神宮奉幣殿の前に出た。この地の神様にご挨拶と感謝を伝えて、本格的な山登りに入った。上宮までは2.5キロ、霧が立ち込めた参道は霊山の雰囲気を一層引き立てている。今までにもいくつもの修験者の山や霊山を登ってきたが、英彦山は別格だった。山頂の上宮まで、崩れたりしているところがあるものの石段が続いていた。前評判通りの世界だ。いや僕の想像していた世界よりも上をいっている。最後まで脱帽していたのもその現れだと思う。

山頂手前では、英彦山の歴史にも触れた。今の入山料となる「関銭」がこの英彦山から始まったことや、産霊神社には修験時代に役行者の木像が安置されていたことなどを知った。

最後の鳥居をくぐると英彦山中岳の上宮まですぐとなった。上宮前には冷たい風が吹き付ける中、たくさんの応援登山者が待っていてくれた。朝一で登ったのに、その人数の多さにビックリした。

まずは、上宮で無事の登頂のお礼を伝えてから最高点の南岳に行き、再び中岳に戻り、立派な英彦山山頂の標識の前で集まった応援の方々と一緒に写真を撮って、北岳を経由して、高住神社に下山した。

下山口では懐かしい人たちと再会した。東北の姫神山を登った日に宿で一緒になった九州の山の会の皆さんと、九州の山の話で盛り上がった。相変わらずの元気な姿に、思わず「本当にここまで歩いてきましたよ♪」と皆さんと握手を交わした。たくさんの応援方に見送られながら、次なる山、思い出の由布岳に向かった。

この日の宿泊先は玖珠町、昨年の饅頭屋のおばちゃんたちとの出会いや突然アイスをくれたおじちゃんが懐かしい。玖珠町まで、大分県の山間の田舎道を季節外れの暖かい日差しを浴びながら走り続けた。田舎道にもたくさんの応援の方が現れて、今年は今年の出会いを胸に刻んだ。


12月13日(日)「思い出の山」

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日一日と九州も冬が深まるのを感じながら、白い息を残し玖珠町を出発した。週末とも重なり、朝からたくさんの人が「頑張って~」「応援してます!」「由布岳で待ってます♪」と声をかけてくれた。僕もその声に手を振りながら走った。

前日の夜に九州に来て初めて腱引き師の先生にガッツリ体を整えていただいたので、朝から快調に走れた。由布岳までは途中に大きな峠があるため、玖珠町を出てからはだんだんと傾斜が厳しくなっていった。

沿道からの応援もあり、長い上り坂にも我慢強く走った。しかし、応援の方々は僕が何でこんなに汗だくになって、走っているか本当の理由は知らない。由布岳の麓には名湯由布院温泉がある!3年前に登った時も湯布院の温泉や商店街で食べ歩きをした思い出がある。今日登る由布岳と湯布院は僕にとっては二つで一つ!どちらも欠かせない。ということで、由布岳を登る前に、できるだけ湯布院で食べ歩きや温泉に入る時間を確保したかったので走っていた。

また途中には今の僕にとって大きな転機となった、旅の始まりの地にも立ち寄った。それは豊後中村駅♪小さな駅だが僕にとっては大きな場所。茅葺き屋根の駅は3年前と変わらず、そこにあった。

峠を11時前に通過して、湯布院までは一気に駆け下った。懐かしい町並みが見えてくる前に、しっかりと山頂部分が雲に包まれた由布岳が見えた。思わず「3年前と一緒だぁ~」と苦笑いした。まぁこんなことはよくあると気持ちを切り替えて、湯布院の観光地となっている商店街に向かった。

日曜日ということで、学生や子供を連れたファミリーがたくさん湯布院を笑顔で歩いていた。皆、昼時なので必ずと言っていいほど何かを食べながら歩いていた。3年前並んで買った有名なロールケーキは長蛇の列が出来ていたので今回は見送り、商店街に入ってすぐに焼鳥の匂いに誘われて焼き鳥から食べ歩きがスタート。それから豊後牛コロッケと金賞コロッケを食べ比べて、(僕は豊後牛コロッケの方が好きです♪)締めはこってりのばくだん焼きを食べた。大分県は唐揚げが有名だが、こってりとした揚げ物を食べすぎて、唐揚げまでは手が出なかった。

軽い満腹のまま、3年前に2度も入った外湯「下の湯」で、湯布院まで走った汗を流して、1時半にようやく西登山道の入り口を出発した。

たぶんたくさんの応援の方が山中で待ちわびていることは予想していたが、どうしても思い出の地、湯布院で散策したかった。僕の中では由布岳と湯布院は一つと考えているので、待たせてしまっていると分かっていても、ここは譲れない時間だった。

3年前と同じコースを登りながら記憶をたどった。前回も同じような天気ではあったが、季節は1ヶ月ほどずれているため、この山独特な笹の草原はより一層黄色く色づき、金色に輝いていた。寒い冬だけしか見られない由布岳の魅力をまた一つ、見ることができた。そこから少し標高が上がると、もう山は雲に包まれた。どうやら、山頂から麓の町や九州の山を見渡すことは今回もお預けとなりそうだ。

前回と一番大きく変わったことは、登山道や山頂などで応援してくれる人たちに見守っていただきながら、登っていることだ。皆さん、それぞれに体力やスケジュールに合わせて、僕と入れ違うように、由布岳を下山していたが、途中途中すれ違いざまに、皆さんから「頑張って~」の声をいただいた。その光景は、まさに旅行く人を導き安心させてくれる街道沿いの燈籠のような感じだった。僕にとっては元気と笑顔をくれる燈籠のような存在になっていることに気づいた。

たくさんの人からパワーをもらい、西峰と東峰の分岐に着くと、そこにもたくさんの人が待っていた。前回来たときと同じように鎖場が続く、最高峰の西峰を先に登り、再び分岐まで戻り東峰に登った。どちらの山頂にも、冷たい風が吹き抜けるなか、待っている方がいた。中には6時間待っている人も。日暮れが早いこの時期に3時近くまで山頂にいることは、暗い中での下山となる。自分が登頂しないと、自分が下山しないと、いつまでも山頂にとどまる人たちがいるということを久しぶりに強く感じた。それは、僕が久しぶりに午後からの登山となったからかもしれない。自己判断とはいっても、やはり僕にも責任はあるのだ。

暗くなる前に下山という予定通り、超特急で下山した。金色の草原が夕日に染まり、神秘的だったのが忘れられない。下山口でも、熱烈な歓迎を受けた。さすがの僕も朝から走り通しで、下山を終えたときはクタクタだった。

由布岳の山頂からの景色は次回の三度目の正直で実現しよう!そう誓って、由布岳を後にした。

投稿時間:16:45 | カテゴリ:今週のヨーキさん(2016)


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