2014年10月29日 (水)
ヨーキさん観察日記(10/20~10/27)
旅はいよいよラストスパート。グレトラ日誌も最終回です。
少々ネタバレ的ではありますが、陽希さんは見事にゴールを迎えることができました。
しかし、最後の追い込みまで来ても尚、生死を分ける闘いが待っていました。
一体どんな壁が立ちはだかったのか!?そしてそれをどうやって乗り越えたのか!?
放送前に写真だけちょっとお見せしちゃいます。
10/20(月)
陽希さんは400㎞歩きの終盤を迎えていました。出発はオホーツク海沿いの街、雄武町。
前日に「もう走れない」と話していましたが、鍼灸師に施術してもらったため足取りは思いの外快調。
海に注ぐ川をいくつも越えていくと、途中、川を遡ろうとするサケを発見。
羅臼岳登山の直後、生まれて初めて遡上を見た という陽希さんは、この日も感激。水面からジャンプする姿を見て喜んでいました。
10/21(火)
順調に北緯45度地点を通過。オホーツク海歩き最後の街、浜頓別に宿泊。
10/22(水)
オホーツク海を離れ、日本海側に通じる峠道に入ります。
「白鳥橋」を渡りながら視線を右に移すとクッチャロ湖が見えてきました。
クッチャロ湖は日本最大のコハクチョウの中継地。毎年二万羽ほどが飛来するといいます。
陽希さんは、白と黒の水鳥群を見つけると、「オセロのようですね…」と得意のユーモアをさりげなく言い放ち、写真をぱちり。
やがて電柱もない長い山道へと消えて行きました。
この日でようやく400kmの行程が終了。長い長い翌日はいよいよシーカヤックで利尻島へ。
天気は快方に向かってはいるものの、果たして……
10/23(木)
早朝、見渡す限りの原野(サロベツ原野)を10㎞ほど西へ駆け日本海側に出ると、目の前に海を隔てて大きな利尻山が見えてきました。
島全体が一つの山のようで美しいのですが、ここで問題発生。
内陸にはなかった速さ7~8m/sはあろうかという強風が吹いてきたのです。
どうするか様子を見ていると、陽希さんは断行を決定。
「明日以降はもっと悪くなるので」と。
どれほどの強風かと言うと、撮影用にチャーターしていた漁船が出港を断ってきたほどでした。
仕方なく、我々は利尻の港から出てくれる漁師さんに急遽依頼。
何とか受け入れてもらえましたが、風も波も激しく、乗船したスタッフ4人の内2人は終始青い顔をしていました。
利尻水道の距離は25kmほど。前回の津軽海峡もほぼ同じ距離で、陽希さんは3時間15分ほどで抜けています。
さて、今回はというと、取材班の船が急行した時には、陽希さんの出艇から2時間が経っていましたが、シーカヤックは全体の三分の一ほどしか進んでいませんでした。
ほぼ向かい風の強風に3mの高い浪。風は昼過ぎに強さを増し、更には利尻島に近づくにつれ山から吹き下ろす島風が強まります。
力を振り絞ってパドルを漕いでも、速度は1~2km/hと、ほとんど前進できません。
潮はロシアに向かって流れていて、力を抜けば外洋に漂流してしまいます。
そんな過酷な状況下で転覆する場面も!!!
どうにかひっくり返ったカヤックに乗り込み、夕闇の利尻島に到着はしたものの、この旅で最も壮絶な闘いとなりました。
9時間の長期戦の後、防波堤に囲まれた静かな港に入った時には、陽希さんの頬を涙が伝っていました。
取材班も、撮影用の漁船から何度手を差し延べようと考えたか。険しい航海でした。
10/24(金)
微風晴天の中、いよいよ100座目の利尻山に向け出発。
しかし、6合目を過ぎた頃から風が出始め、7合目では耐風姿勢を取らないと進めないようになり、8合目半で敗退を決意します。
「勇気ある決断だったと思います」と、最後にして最初の8合目過ぎからの敗退。
これほどシビアな判断ができるようになったとは、陽希さんも成長しました。
10/25(土)
再び強風のため停滞。海は大湿気で台風のような荒波でした。
10/26(日)
最後の利尻山アタック。天気は曇りで、風は朝6、7時頃が静けさのピーク。
風はその後どんどん強くなる予報で、早く下山しないといけません。
そんなわけで陽希さんは朝4時の暗い時間にスタート。ヘッドランプで照らした足元だけを見つめ、黙々と、そして前回の敗退よりも速いペースで登って行きます。
我々もついていくのがやっと。急峻な道がどこまで続くのかと気が遠くなり始めた頃、ようやく利尻山山頂に到着!
気が付けば、標準コースタイム5時間半のところを3時間で登頂してしまいました。
上には心配していた雪も風もなく、狭い頂きは陽希さんと取材班だけが独占。本当に平和な最後の山頂でした。
陽希さんは、祠に向かって「有難うございました!」と気持ちよく最後のお礼を言い、深々と頭を下げていました。
下山すると海際にゴールエリアが設けられており、陽希さんは満面の笑みで旅のフィナーレを迎えました。
記録は208日間と11時間。本当にお疲れ様でした!
10/27(月)
陽希さんは朝一番のフェリーで利尻島を出発。紙テープで祝福された後も、いつまでも甲板から島の人々に手を振っていました。
旅の最後、改めて自然の大きさを見せつけた利尻の海と山。
「百名山ひと筆書き」というチャレンジの厳しさを象徴する100座目でした。
これにてグレトラ日誌は終了です!
でも、第5集の本放送をはじめ、再放送や15分の切り出し版など、放送ではまだまだ楽しめます。
これまでご愛読下さった皆様、拙い文章にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。
投稿時間:19:23 | カテゴリ:今週のゆかいな仲間たち(2014) | 固定リンク
2014年10月28日 (火)
今週のヨーキ(10/18~10/21)
10/18(土) 「ちょっと旅を振り返って」(~紋別市)
宿の隣にある展望台から朝日を浴びるサロマ湖を眺めた。常設の双眼鏡で対岸の町など見てみたら、あまりにはっきり見えるので子供のようにはしゃいだ。
この旅も丸200日が経過した。本当にたくさんの人から助力を頂いて、貴重な経験をさせていただいている。サロマ湖の光る湖面を見て思った。
今日でウトロを出発してから4日目、オホーツク海の中間に位置する紋別市まで歩く。久しぶりに1日の距離が50キロを超える。
明日には稚内までの中間地点に到達する。この旅に暦通りの週末や休日はあまり関係ないが、予定通りなら最後の週末だ。
最近は道を歩いていても声をかけられることが少なくなったので、今日と明日はグンと多くなるかもしれない。
僕の両親もこの週末に富良野から片道3時間掛けて会いに来てくれるそうだ。この歳になって言うのもなんだが、親は本当に心強い存在だ。
週末のためか、早朝は国道も車通りが少なく静かだ。9時を回ると、車の数が増え、レンタカーや北見以外のナンバーを多く見るようになった。今週末は秋晴れで全道行楽日よりとのこと。紅葉と青空とオホーツク海のコントラストが気持ちいい!
大学時代、スキーマラソン大会で来たことのある湧別を昼前に通過、紋別まで30キロとなった。交通量の多い、国道を避けて裏道を歩いた。その時、ふと旅を思い返した。
旅も残り1週間、気がつけばあっという間に月日が流れた。出発前と今では何が変わっただろう!?
自分自身や自分を取り巻く環境など…確実な変化としては、出発時より旅を応援してくれる人、見守ってくれる人の数が圧倒的に増えたことだろう。また、NHKのテレビ放送により、旅やチャレンジへの注目度も放送の回数が増えると共に上がっていった。そして、山や路上などいく先々で駆けつけてくれる方々がスゴい勢いで増えていった。
あまりの反響に駆けつけてくれる方々の対応に奔走され、旅を楽しんだり、集中出来なくなってしまう時もあった。戸惑い、困りながらも失礼の無いように努めたつもりだ。
でも、時にはうまく整理が出来ずに苛立ってしまうこともあった。もしかしたら「笑顔で、笑顔で、丁寧に」と言い聞かせていても、表情や言葉の節々に苛立ちが出てしまっていたかもしれない。大抵、そんなときは後味が悪く、いつも反省していた気がする。まだまだ、器が小さいなぁ、もっとどっしり構えられたらいいのになぁ…などと思っていた。
自分がもっと気持ちの部分で成長すれば、心のゆとりが増えて、どんな状況でも落ち着いて対応できるようになり、穏やかになれるだろうと感じていた。これは今後、家族を持ったり、アドベンチャーレースなどでリーダーを担ったりするときに、一番求められるものになると気付くことができた。
社会には様々なチーム(組織、集団)があり、リーダーになる者もしくは目指す者は、他のメンバーよりもすべてにおいて秀でていることが望ましいかもしれないが、それよりも精神的な部分での折れない支柱となり、どんな状況でも落ち着いて対応できるような気質が必要だと気付かされた。チームの先頭に立ち牽引したり、鼓舞することが一番だと思ってきたが、それよりも大切なことがあると分かった気がする。
とまぁそんなことも思い返しながら歩いていると、あっという間に再び国道に合流した。旅で学ばせていただいたこと、気づかせていただいたことを思い返すのはまた今度にしよう。あまり考え更けていると、せっかくの景色や発見を見落としてしまうので。
あっ!変わったことと言えば笑いシワが出発前より増えた気がする!もしかしたら痩せこけたからかも知れないが…ハッハッハ!!
その後、両親と再会して、手袋を調達した。週末で賑わう紋別の宿には日暮れと同時に到着。
あと1週間、思い残すことのない旅にしよう!!まぁ思い残すことがあったらまた歩き出せばいいかぁ~。
10/19(日) 「色々あった。」(~雄武町)
今日は昨日よりちょっと短い雄武町までの43キロ。50キロと40キロでは肉体的にも精神的にも大きく違い、今日は余裕がありそうだ。
朝から晴天、日曜日の早朝にも関わらず、地元の人たちがパークゴルフを楽しんだり、朝市を開いたりと賑やかだ。
紋別を離れると、早速第一応援者と遭遇した!今日はゴール前の最後の日曜日なので、お会いする人は多くなりそうだ!
サケの遡上がまだ見れる川を渡り、オホーツク海を望む海岸線の道に出るまでにすでに5組の方とお会いした。久しぶりに賑やかな1日になりそうだ!
海岸線を歩いていると、無意識にまたガラス玉がないかと探してしまう。
その時だった!キラキラ輝く丸いものが目に飛び込んできた!咄嗟に砂浜に駆け降りて近寄ると、なんと頭と同じくらいの大きな電球だった!!
割れずにきれいな状態で転がっていた。こんなに大きな電球を手にするのは初めてだし、珍しかったので、ガラス玉の代わりに持ち帰ることにした。たぶん、いか釣り漁船の電球だと思う。
大きな電球をザックにくくりつけて歩いた。後ろから見たら違和感があったと思うが、本人は珍しいものを見つけてルンルン気分だった。結局、電球は持ち歩くのは危ないので、宅急便で実家に送ることにしたのだが…
その後も数組の応援者の方々とお会いして、中間となる興部に1時過ぎに着いた。興部で、久しぶりに人と会う約束をしていた。
一人目は明治大学スキー部の先輩、僕が明大に進学するきっかけになったOBの方で、数年ぶりに会うことになっていた。その方と一緒に昼食を食べた後は、もう一人別の方と会うことになっていた。
その方は旅のスポンサーでお世話になっている方のご友人なのだが、興部警察署にいるということで、旅で初めて警察署に歓迎された。緊張していたが旅のことなどの話で盛り上がり、気がつけば時間は3時を回っていた!目的地の雄武町まではまだ20キロ以上あったので、走らざるをえなかった。
食べたものでお腹が一杯だったが、思った以上に走り続けることができたため、歩けば4時間以上かかる距離を2時間半で着くことができた。日曜日の午後ということもあってか、興部から雄武までは一人の方ともお会いしなかった。極端な日だなーと夕日に照らされながら思った。
宿に着いて、いつものように風呂に入り、ストレッチをして、たらふく夕食を食べた。そして、いつものようにすぐに寝てしまった。最近は知らないうちに寝てしまうことが多く、夜中にふと目が覚めて、消し忘れた電気とテレビを消してもう一度ちゃんと寝直すことが多い。
今日もそんな感じだろう。
また、知床から出発して200キロを過ぎてから、寝ているときの足のむくみと痛みがひどく、夜中に3、4回はトイレに起きてしまう。あと少しだから頑張って、と毎晩足のケアをしているが、日に日に痛みやむくみは増している。
明日は再び50キロを超える1日だ。ゴールまで1週間を切っているが、あまり大きな変化はなく、今まで通り歩き続けることに感謝して明日からも歩きたい。
10/20(月) 「奪われる体力」(~枝幸町)
朝6時半、昨日よりどんよりとした雲の下、雄武を出発。今日から道北は天気が悪くなっていくようだ。
稚内と網走の中間に位置しており、天気がどちらに傾くか微妙な1日になりそうだった。やはり、昨日の後半のランが予想通り体に大きく疲労を残していた。53キロ先の枝幸まで、我慢の歩きが続きそうだ。
雄武町から枝幸町までは、今までで一番なにもない区間になった。小さな集落はいくつかあるが、店は30キロ先のコンビニが一軒だけだ。
そして、今日は内陸からの南西の風が強く、午前中は長い間、海岸線と牧草地帯を抜けたので、風を遮るものがなく、風速10メートル位の風を真横から受け続けた。気温もあまり上がらなかったため、疲労でいつもよりパワフルに歩けない体からどんどん体力が奪われていった。
さらにこの日の午前中は国道の路肩が傾いて歩きづらく、その影響からか左足底の外側が痛み出してしまい、体への負担が大きくなった。
風と痛みに耐えること6時間、午後2時前に30キロ先のコンビニに到着した。暖かいものと、軽く食料を補給した。休憩中に足をマッサージしたが痛みが良くなる感じがなかったので、初めてロキソニンを飲むことを決断した。さらに鎮痛軟膏を足に刷り込んで再出発した。枝幸まで23キロ、昨日よりは早く宿に着けそうだが、それは風と足の状態次第だった。
足の痛みは、薬の効果で驚くほどあっという間に良くなった。そして、風も午前中ほどの強さはなく、防風林も多かったので、体力をさらに削られることはなく順調に距離を稼ぐことができた。
気温は10度位はあったのが、風の影響でここまで体感気温が低く感じるとは予想外だった。また、同じ距離を歩くのでも、風の有無や強さ、風向きで奪われる体力がこんなにも変わると、身をもって体験した。
明日は寒くてもいいが風だけは弱くなってほしいと切に思い、初めて訪れる枝幸町に着いた。
思わぬ難敵との格闘でかなり疲労していたので、宿の近くの鍼灸院にマッサージを依頼して受けることができた。案の定、強烈な施術となった。
きっと明日は笑顔で浜頓別まで歩けると夢の中で思った。
10/21(火) 「さらばオホーツク海」
昨日、知床からの距離が300キロを超えた。たどってきた日々を思い返せば、長かったなぁと感じる反面、不思議なことにあっという間だったなぁという感覚もある。
毎日毎日、歩き続け、目に入ってくるもの全てを脳が記憶吸収していたら、あっという間という感覚にはならないのかもしれない。
でも、思い返すとインパクトのあったことは覚えているがそれ以外のことは時間が経つにつれて、記憶から削除されてしまっている感じだ。だから、頭に入っている情報をたどっても、あんなに時間がかかったのにあっという間だったなぁと思う気がする。
今日もそんな1日になるのかな。
当初の予定ルートでは、今日はまだオホーツク海に沿って北上して、猿払を目指す予定だったが、カヤックのスタート地点が予定の場所よりも20キロほど南になったため、浜頓別から内陸を抜けることになった。浜頓別から日本海側の豊富町までは何もないので、今日は30キロ先の浜頓別の宿に泊まる。
オホーツク海を眺めながら歩くのも今日が最後だ。明後日には東北以来の日本海に出る。
朝は小雨が降っていたが、予報の雨天も回復して曇りの1日になった。昨日は南西の風だったが、今日は海からの冷たい北風に変わっていた。午後からは寒気が南下するため、午前中よりも気温が下がるそうだ。明日はさらに下がり、内陸ではマイナス10度近くまで下がるそうで、いよいよ冬本番という感じがしてきた。
北風に負けず劣らず、ぐんぐん進んだ!昨晩のマッサージが効いたみたいだ。
痛かった左足底の痛みもほとんどなかった。ほぼトラックだけが行き来する、だーれもいない国道を歩き、6時間位で浜頓別の町に着いた。
今までで応援の方に全く会わない日はなかったが、今日は久しぶりに誰とも会わなかった。一人廃校の校庭にあったブランコに乗り、オホーツク海を眺めながら、別れを告げた。
何もない静かな1日はあっという間に過ぎていった。宝物を届けてくれたオホーツク海にありがとうと言って宿でゆっくり休んだ。
明日は日の出前に町を出発する。
投稿時間:17:51 | カテゴリ:今週のヨーキさん(2014) | 固定リンク
2014年10月20日 (月)
今週のヨーキ(10/11~10/17 斜里岳-北海道歩き)
10/11(土) 「斜里岳暴風警報」
朝4時に起床、窓を強く揺らす音が聞こえる。外はまだ風が強いようだ。冷たい摩周湖の伏流水で顔を洗い、眠気を飛ばした。
宿の方のご厚意で、朝ごはんを前夜に用意してもらい、居間で一人炊きたてのご飯をほおばった。いつ以来だろうか…4時過ぎに朝食を食べるのは。
なかなか、いつものようにがつがつ食べることができなかった。
なぜこんなに早く起きたかというと、今日中に斜里岳に登りたかったからだ。
今いる川湯から登山口までは約40キロ、それだけでも十分な距離だが、明後日北海道に接近する台風の影響を受ける前に登りたかった。
まだ、宿の方も外も寝静まっている5時過ぎに川湯を出発した。
風の強さは昨日よりも強くなっている感じがした。昨日の天気予報では晴れとなっていたが、どうやら予報は変わったようだ。風は強かったが、空はわりと明るかったので、大きな崩れはないだろうと思っていた。
峠を越えて、登山口のある清里町に向かう。町まで続く峠からの下り坂を走った。登山口に11時に着くためには下りや平地では走る必要があった。
清里の手前の札弦に入ってから、天気はさらに崩れはじめ、雨が降ってきた。空を見上げると空一面を黒く重たい雲が広がっていた。携帯で最新の天気予報をチェックすると、午前中は雨で午後からは曇りとなっていた。しかし、天候よりも風の強さが気がかりだった。
あとでわかったことだが、弟子屈など網走地方には暴風警報が発令されていたそうだ。街中でも時々15メートルは越える突風が吹いていた。山では軽く20メートルは越えていることが予想できた。
午後から天気は回復してくるという予報を信じ、走り続けた。札弦市街を通過したときは、雨も止み雲も高くなったので、今日登る気持ちは揺るがなかったが、町を抜けて広大な畑の中に入っても、風の強さは相変わらず強く、すぐ近くに見えるはずの斜里岳はより一層濃い雲に覆われていた。
ついさっきまで揺るがなかった気持ちが揺らぎ始めた。自分を前に突き動かしているのは二日後に接近する大型台風の動向だけだった。
99座目の羅臼岳を台風が来る前に登りたかったので、どうにか斜里岳に今日登りたかったのだ。
しかし、先に進めば進むほど、天候は悪化を続け、一度清里町と登山口に続く道との分岐で、明日に変更するかもう少し様子を見ながら進むか迷ったが、はっきりと決断できないまま登山口に向かってしまった。それからすぐに、小雨だった雨足が本格的に降りだして、暴風雨となった。まさに台風が来ているのではないかと誤解するほどだった。風上を見ると、1時間や2時間で回復するような気配がない雲だった。
結局、最終的に今日の登山を中止と決断したのは、登山口まで7キロの林道が始まる分岐点だった。ここまで判断を迷わせたのは、台風の存在と今日登りたいという気持ちが大きく影響した。久しぶりに山の直前まで来て、登るのを諦めた。
風上に向かって、来た道を引き返した。打ち付ける風雨が「決断が遅い!!反省しろ!」と言っているようだった。宿泊先の宿にチェックインが出来ないため、遠回りになるが来た道を引き返し、清里町の温泉までの5キロをとぼとぼ歩き出した。
この日たまたま、ラジオの取材が入っていて、パーソナリティーの方とディレクターの方が清里町内まで雨のなか取材を兼ねて、一緒に歩いてくれた。旅のことなどをメインにいろんなことを1時間ほど話をしていたら、あっという間に温泉に着いた。
久しぶりに旅を振り返りながら話す機会が出来て、悪天候だったが楽しい時間となった。悪天候のなか、取材をして頂いた二人に深く感謝した。
気が付けば、雨で全身ずぶ濡れだった。温泉で体を温めて、濡れた服は乾燥機で乾かすことができた。外の雨風は相変わらず強かった。温泉で昼御飯を食べて4キロ先の宿に向けて歩き、3時過ぎに宿に着いて、今日のことを振り返りつつも、明日に向けて気持ちを新たにした。明日は1日中最高の天気のようだ。
10/12(日) 「やっぱり山は晴れがイイ」(斜里岳)
日本百名山ひと筆書きの旅も、残り3座となった。昨日、悪天候のために断念した斜里岳に仕切り直して今日登る。
朝6時過ぎ、昨日の暴風雨が嘘のように晴れ渡り、宿を出ると眩しすぎる朝日に照らされた斜里岳が目の前に鎮座していた。
鋭くとがった山頂が見え、昨日あの暴風雨の中で登っていたらどうなっていたかが容易に想像が出来て、ゾッとした。
登らなくて良かったと思いながら、今日の天気に感謝した。
登山口までは12キロ、手持ちの地図に載っていない農道を斜里岳に向かってひたすら歩いた。なるべくロスなく直線的に!
どれほど短縮できたかはわからなかったが、勘を便りに歩くのも悪くない。急な林道を歩き登山口には予定通りの時間に着いた。
9時に登山口を出発、予定では11時に登頂予定だ。
斜里岳は標高はそれほど高くはないが、登山のレベルとしてはアルプス並みの経験が要求される。
なぜなら、何度も繰り返す渡渉に加えて、沢登りがあるからだ。
標高差は800メートルほど、距離は3.6キロほどと雌阿寒岳と同じくらいだが、コースタイムは5時間と長い。
登山道のほとんどが沢登りになっている山は珍しく、百名山のなかでもほとんどない。
沢登りになれている登山者もそう多くはないから、コースタイムが長く設定されているようだ。
以前のコースタイムは現在の約半分に設定されていたため簡単な山と認識されて、遭難者が多かったそうだ。
現在は数年前から見直されて、長めに設定されている。
実際に登ってみてわかったが、斜里岳の沢登りは登山経験者というよりも沢登り経験が必要なレベルだと感じた。
渡渉は比較的登山初心者でも経験はがあると思うが、沢登りとなると経験は少なくなるだろう。
僕自信はリバーガイドの資格を持っているため、仕事やトレーニングで何度も沢登りや沢下りを経験してきた。したがって、斜里岳の沢登りは危険な場所や注意すべきところをしっかりとおさえながら、比較的簡単に登ることができたが、仕事でお客さんをガイドしている沢と大差ない感じだと印象を受けた。
また、沢は麓の川に比べて雨が降ってから増水するまでが早いので、登る経験以外にも、必要とされる知識がある。
初心者の方がもし登るのであれば、なるべく沢登り経験者や登山熟練者、地元のガイドさんと一緒に登った方が望ましいと思った。
一般的な登山道よりも滑りやすく、負傷する確率が高いのが沢登り、いつもとは違う登山と思って斜里岳を楽しんでほしいなと真剣に思いながら登った。
久しぶりに今まで以上に一歩一歩を慎重なった。険しく長い沢登りを終えると紅葉が終わり、葉が落ちた白樺が一面に広がった。斜里岳も冬の準備ができているようだ。
新道と旧道の分岐まで来れば山頂まではあっという間だった。11時前に山頂に到着!登っている最中はそれほど人に会わなかったが、山頂には20人位の方が先に登頂していた。
三連休の中日で、最高の登山日和、登山好きにとっては登らないと損をするような日だ。昨晩からの冷え込みで、山頂付近は氷っていた。
そして、遠くに目を向けると、今まで登った250キロ先の大雪山系や十勝岳、雌阿寒岳、雄阿寒岳、次の山羅臼岳までがぐるりと一望できた!昨日ならたぶん10メートル先も見えなかっただろう…。
今までにも何度も悪天候で山頂からの展望がなかった日もあったが、そんな日はそんな日で、晴れの日には感じることのできない経験ができて良かったと前向きに考えてきた。でも、今回は昨日の暴風雨で中止にしたおかげで、やっぱり山は晴れた方がいい!と思った。
山頂の標識を前に氷をシャリシャリ(斜里斜里?)食べながら、登頂写真を撮って、三井口に向けて下山を開始した。山頂直下は北斜面だったため登山道は凍っていて、かなりひやひやしながらの下山となった。
1時に予定通り、登山口に到着!登山口には二組の方が僕のことを待ち構えていた。そのうち一組は今まで応援に駆けつけてくれた人の中で最も遠い、熊本から会いに来てくれた!!懐かしすぎるクマモンのハンカチが嬉しかった。
今日は下山口から宿までそれほど距離はないと予想していたが、斜里岳の裾野は広く、そこに広がる畑の中を通る農道をひたすら歩いたが、なかなか斜里岳が遠くならなかった。
結局、登山口から宿までは20キロ以上あったようで、宿に着いたのは日が暮れた5時過ぎだった。
この日斜里岳は一度も雲がかかることなく、その美しい姿を三連休でこの地を訪れた多くの観光客に「どうだ!」と見せびらかしているようだった。僕も今日1日、斜里岳に魅了された。宿の温泉が充実感たっぷりの体に染み渡った。
寝る前に西日本で大きな被害を与えている台風の情報を確認、北海道への台風の接近が明後日からと分かったので、長い1日になるが明日の朝4時に宿を出発して、羅臼岳に登ることを決断した。明日にはラスト一座となっているだろう。
10/13(月・祝) 「ラスト一座への砦」(羅臼岳)
3時起床。朝風呂(!?)に入り体を温めて起こした。さぁ今日は長く大切な1日になるぞ!と自分に言い聞かせた。
4時過ぎ、満天の星空の下を歩き始める。1日の中で一番冷え込んでいる時間帯のため、勝手に鼻水が垂れてきた。暗闇の中、どこまでつながっているかわからない農道を歩いていたのだが、目的の道に出るまで50メートル手前で道が終わってしまった。海釣りに向かう車が林の向こうを何台も通過していくのが見える。藪を抜けやすいところを選び、国道まで突っ切った。林の中にはキタキツネらしき動物が寝ていて起こしてしまった。
難なく国道に出て一息。ちょうど道路脇の標識に羅臼まで56キロと標されていた。
羅臼岳の登山口まではここから約35キロ先、まだ頭はボーとしていたが、気を引きしめて一歩一歩力を込めて踏み出した。
国道に出てから5キロほど進むと、次第に明るくなり穏やかなオホーツク海が目の前に広がった!!
風は台風が接近しているとは思えないほど穏やかだった。今日は曇りだが、天気は安定してくれる予感がした。旅を通して、以前よりも何となく自然を感じられるようになっていた。
道が広くなり、安心して歩けるようになってから徐々に走り始めた。下山時間から逆算して、ウトロに8時、宿に9時、登山口に10時という感じで、今のペースと時間を計算しながら走った。大学1年の時に家族旅行で訪れた以来となる知床、途中のオシンコシンの滝を見て懐かしく思った。滝を過ぎてウトロまで5キロの地点からは走るのを止め、歩きながら、20キロ近く走った疲労を回復させた。
予定より遅くなったが、8時半にウトロに到着。行動食などを買い込んで岩尾別に向かった。
この旅で一番熊との遭遇が多い場所に足を踏み入れた。
世界遺産に登録されているためか車の交通量は多いが、無意識に何度も辺りを見渡していた。道路にはついさっき落とされたと思われる大きなウンチがあり、緊張が高まった。紅葉で山がキレイに色づく知床半島を楽しむ余裕はもはやなかった。
宿に9時半に着いて、不要な荷物を預けて、4キロ先の地の涯温泉に向かった。登山口となる温泉には無料の露天風呂があるので、無事に帰ってきたらここで体を癒してあげようと考えていた。
10時半に登山口を出発、黄や黄緑、橙などの色鮮やかな紅葉の下をどんどん登った。荷物も軽くなっていたのですでに40キロ近く走り歩いてきたが、体はいい状態だ。雲の影響で昼間なのに少し薄暗かったが、静かで風もなく快適に登っていった。
自分が熊ならこの時期は標高の高いところにはいないなーと考えながら、一応辺りをキョロキョロしながら歩き、時々遠くの切り株が熊に見えて、ドキッとした!!
登山口から山頂までは片道約7キロ、コースタイムでは往復8時間半、僕の予定は往復4時間半と考えていた。
標高1000メートルを超えると気温がグッと下がり1300メートルからは雲の中に入った。何となくだが静寂のなかにも荒々しさを感じる羅臼岳らしい雰囲気があり、どこまでも山が上へと続いているような錯覚に陥った。
羅臼平にはフードロッカーというものがあり、羅臼岳でテント泊する場合は、ヒグマに襲われないために、食料をテントではない場所に保管する。
羅臼平から山頂までは前日積もった雪が溶けて凍っていた。滑らないように慎重に登った。最後の一座を登るためには、99座目の羅臼岳が最後の砦であり、それまでの98座全てを積み上げてきて、たどり着いた山である。今までのつながりを最後まで繋げるための大切な一座だと考えていた。
100座への旅を始めるための扉はもう少しだ。
山頂が近づくにつれて、雪や氷が険しさを際立たせた。午後1時、羅臼岳の山頂に到着した!!山頂に立つと太平洋からの強風が襲ってきた。南側の斜面は絶え間なく雲が山肌を這うように流れ、上空には時々薄くなる雲から太陽の光が差し込んだ。羅臼岳の陰と陽を見ているようだ。
さすがに山頂は気温が低く、目まぐるしく変わる山頂からの景色を長時間見続けることができなかった。昨日の斜里岳のような穏やかな日ではなく、気象条件が目まぐるしく変わる方が羅臼岳らしいなぁと感じながら、一礼して下山した。
雪や氷の部分は今まで以上に慎重に歩き、雲が抜けて遠くに知床五湖が見えるところまで来て、少し緊張がほぐれた。走って快調に下ろうかと思ったが、すでに1日の行動距離が50キロを越えていたので、足はガクガクだった。紅葉を楽しみながらのんびり歩き、3時半に無事に地の涯温泉にたどり着いた。
あまり時間はなかったが、冷えて疲れた体を温めほぐすために露天風呂に入った。
紅葉の下で入る温泉は格別だった!それから99座の羅臼岳を登り終えた達成感と安堵感に満ち溢れながら、宿までの4キロの道のりを歩き、4時半に宿に着いた。
振り返ると、いつの間にか羅臼岳にかかっていた雲が晴れて、先ほどまでいた山頂とは思えないほどくっきりと見えた。まるで僕を暖かく見送ってくれているようだった。
羅臼岳ありがとうございました!そして、行ってきます!!という気持ちになった。
10/14(火) 「久しぶりの休養日」
羅臼岳登頂から一夜明け、久しぶりに朝はのんびりと起きた。
今日はいよいよ北海道に台風が接近する。右足の脛を負傷してから2日に再出発して、今日で13日目となる。利尻岳までの長い陸路に備えて、久しぶりに休養することにした。
このまま、連泊したかったのだが、携帯電話の電波がなかったので、電波のある10キロ先のウトロに泊まることにした。結局、ウトロの宿のチェックイン時間に合わせて、岩尾別ユースホステルを出発して、雨のなか10キロを歩き、ウトロ市街で食事を食べて、雨風が強くなるなか2時過ぎに宿に着いた。温泉で温まり、久しぶりにのんびり過ごした。
明日からは利尻岳への最後の旅が始まる。先ずは稚内までの400キロの舗装路が待っている!どんな10日間になるか楽しみだ!!
10/15(水) 「はじめの一歩」
さぁ!最後の一座への旅が今日から始まる。
台風一過で朝から気持ちのいい天気だが、この時期の北海道は台風の影響で寒気が流れ込むために厳しい冷え込みとなった。道内各地の主要な峠では積雪が記録されて、通行止めになっていた。言うまでもなく標高の高い山は今シーズン一番の冠雪となっただろう。
先日斜里岳を登った後、台風の動向で、羅臼岳に登る日を台風が来る前か過ぎた後にするか判断した。その時、ウトロの気温が台風が来る前と過ぎた後では5度も違い、また台風が過ぎるのが夜間だったため、山間部での積雪が予想された。その事も選択の条件の一つとなり、そのほかに1日の距離と行程、時間、体の状態なども考慮して、なんとか行けそうだったので、台風が来る前に登ることにした。
結果、今日の羅臼岳はまさに冬の山となっていた。
今までは冠雪しても積雪量が少なかったので、山は真っ白という感じではなかったが、今日の羅臼岳は中腹位から積雪していて、山頂付近は予想だが30センチ以上は積雪があってもおかしくない見た目だった。もし、今日登っていたら、今の携帯している装備ではリスクは高かった。運がいいと言えば運がいいが、気温に注目しておいて良かったと思いながら、台風のうねりが残るオホーツク海を眺めつつ斜里に向けて歩いた。
今日は短めの40キロだったので、初日としては少し物足りないかもしれないが、最後だからと初日から意気込んでも終盤で息切れしてしまうので、このくらいがちょうど良かった。
途中、オホーツク海に流れ出る川を覗き込む観光客がいて、話しかけるとサケが遡上していると教えてくれた。サケの遡上を見るのは初めてで、体長50センチくらいはありそうなサケが何匹も泳いでいた。感動だった!
それからは数人の方が応援に駆けつけてくれたり、冠雪した別海山や斜里岳を眺めながら歩き、4時前に斜里駅前の宿に着いた。利尻岳までのはじめの一歩は順調に終えたかに思えた。部屋に入り荷物を置いて着替えようと思って、ポケットに入れていた手袋を取り出した。
「あれ!?片方がない!」すぐにどこかに落としたと気付いた。すぐ近くにあるかも、と宿を飛び出した!!しかし、来た道を走り続けても、どこにも見当たらない…もしかしたらと可能性のありそうな所まで走った。それでも見つからなかった。
気温が低いとき用の暖かい手袋でかなり重宝していただけにガックリきた。旅の序盤にも手袋を無くしていたので、必ず立ち止まったときやザックから荷物を出した後には辺りを確認してから歩き出していたが…どうやら今回は歩いている最中に落ちてしまったみたいだ。諦めきれなかったが、日が暮れてしまいかなり冷え込んできたので、気持ちを切り替えて宿に戻った。
結局、宿から往復16キロも走ってしまっていた。40キロで終わったはずの1日が、56キロになっていた。かなりいいペースで走ったので、宿につく頃には下半身はパンパンに張っていた。寝る前に整体マッサージを受けることができたのが救いだった。
明日は網走まで。もう二度と落とし物はしないと誓った。
10/16(木) 「海からの宝物」
8時に斜里駅前を出発。今日の目的地は45キロ先の網走。
斜里川を渡り、国道は海岸沿いではなく少し内陸を通っているので、地図に載っていない海岸沿いの砂利道を歩いた。砂利道からはほとんど海が見えなかったが、海と砂利道の間にハマナスが群生していた!ハマナスが自生しているのは始めてみる。かなりの範囲に自生していた。
斜里を出てから1時間ほどで砂利道が行き止まりになってしまった。運よく川を渡り、わたった先からは網走まで続いてそうな砂浜を歩いた。固く歩きやすい波打ち際を歩くが、打ち寄せる波に翻弄された。久しぶりに一人で無邪気に歩いた。右側には広いオホーツク海、左側には打ち寄せた漂着物が散乱していた。
ドラマのような手紙の入ったビンなんかないかなぁ…と漂着物を何となく眺めながら歩いていると、太陽の光に反射してひときわ光るものが目に留まった!最初はビンの底かと思ったが、近づいてそれがなにか分かるとテンションが上がった!!
野球ボールサイズのガラス玉だった。今は漁具として使われているか分からないが、昔の浮きに使っていたものだ。漁港やおみやげ屋さんなどで見たことがあったが、浜に打ち上げられているものを拾うのは初めてだった。形もよく、艶もあるが、ただのガラス玉。しかし宝物を見つけた気分だった。歩いていくと、さらに2個もゲットした!
何だかドラゴンボールを探し歩いている気分になった。何とか7つ揃えたいなーと思っていたが、砂浜を歩くのに思った以上に筋力を使ったようで、2時間ほど歩いてドラゴンボール探しを諦め、舗装路に戻ることにした。足の裏には優しいが、他の部分への負担が大きいことを感じ、砂浜でのトレーニングは効果が高いと実感した。オホーツク海にしばしの別れを告げて、一般道に戻れそうな道を見つけて、舗装路に戻った。足への負担は大きいが、グリップ力と移動速度に感動した。
3時間ほど、海から離れ再びオホーツク海が見えるところまで戻ってきたときには、すでに網走市に入っていた。海で拾った宝物は大切な思い出として、しっかりと梱包して、自宅に送った。まだまだ続くオホーツク海で、また宝探しをする機会があると思う。あと4つのドラゴンボールをゲットしたら願い事が叶うかもしれない。もし叶うならどんな願いがいいだろう。
オホーツク海沿いを走るワンマンディーゼル車を眺めながら、そんなことを考えた。
今日の目的地が山を越えた向こうにある網走刑務所の近くの宿だったので、網走市内に入る前に、山越えの近道を選んだ。意外とアップダウンが激しかったが、公園内の藪を抜けたりなどして、最後まで楽しく、いつもよりちょっと冒険ぽい1日になった。明日はどんな冒険が待っているだろう。
10/17(金) 「地図に翻弄」
朝6時半、宿を出発した。網走からサロマ湖の中間まで歩く約45キロの道のりだ。
ふと、ゴール予定までの日数をカウントした。このまま進むと歩き始めてから、206日目でゴールとなる…と言うことは、いつもと変わらぬ日を迎えてはいるが、今日は199日目、明日で200日だ!!
今日は網走から稚内まで続く国道238号線を主に歩く。国道を歩き続ければ浜頓別までは約220キロだが、今日は直線距離で10キロほどの山越えをして、距離を短縮する予定だ。アップダウンが激しく体力面でハードだが、時間と距離は確実に稼ぐことができる!
今までも幹線道路から外れて、山越えなどをすることは多々あった。ただ、気を付けなくてはいけないのは手持ちの地図の情報が少なく、あまり正確ではないということだ。これまでにも地図に載っていない道が出てきたり、分岐が出てきたりなど、迷う場面があったが何とかコンパスで方角を確かめたりしながら、クリアーしてきた。
今日も問題ないだろうと思っていた。
出発してすぐに、国道から逸れて脇道に入り、近道を狙ったが…地図に載っている道は網走刑務所の敷地内で立ち入り禁止となっていた!
「あちゃー」という感じだった。地図にはなにも書いていない。見るからに通れそうな感じではあった。もしかして今日はこんな日か!?と不安がよぎった。結局、遠回りをすることになったが、こんなときはいつも、これも旅の醍醐味だと気持ちを切り替えてきた。
再び国道に戻り、湖沿いのサイクリングロードを歩いた。湖畔の紅葉した林のなかを抜けるいい道だ。暫く歩き、山越えをする場所にたどり着いた。山というより大きな丘のようだが、丘全体が畑になっていて国道から何本も丘に向かって砂利道が延びていた。
僕が歩く砂利道の入り口にはバス停があり、そのバス停の名前が目印と地図には書かれていた。その通りの場所に来たのだが、実際の場所と地図の場所が合っていないような気がしていた。でも、地図に書いてあるバス停が目の前にあるのでここで間違えないと思って先に進んだ。
地図に載っている林道を歩いているはずなのに、なんとなく実際の場所としっくりこない。それでも17万分の1だから細かい道の曲がりなどは気にせずに方角だけを確認して進んだ。30分ほど行った所で、地図に載っている場所とは違う場所にいることが決定的となった。本来なら十字路のところがT字路になっていた。
地図が間違っているのか、実際の場所が間違っているのか、手持ちの地図では判断が難しかったが、地形を大きくとらえて、目的の方向に近い道を選んだ。そして、途中からは地図に載っていない伐採林道を藪をこぎながら半ば強引に山を下りて道に出た。下りた先に大きな川があるので橋を見つけなくてはいけないのだが、現在地がわからないので、どちらに向かったら橋があるか分からなかった。運よく地元の人に教えてもらい難を逃れた。
橋を渡り大きな道に出てようやく自分がどこにいるかがはっきりした。ほとんどロスなく来ていたが、やはり実際歩いてきた砂利道と地図の道は間違っていた。原因は目印のバス停の位置が地図に記されている場所からズレていたことだ。本来のバス停は3つ手前の入り口だったようだ。「あー!もー!」と思いつつ、物言わぬ地図に何を言ってもしょうがないとあきらめた。まぁ、方角だけを頼りに進むワクワクドキドキ感も楽しかったので、総合的にはOKとした。
さらに1時間ほど歩いて、午後2時に国道へ再び合流した。雨も降ってきて、空が暗くなり、何となく近道したようなしていないような感じになった。アドベンチャーレースでも学んできたが、地図と現実は必ずしも合致していないと今日のことで再確認した。
旅には地図は欠かせないアイテムだが、人が作っているものであり、作ったその時と現実では違いが出てくることもあると思っていてもいいかもしれない。
投稿時間:15:24 | カテゴリ:今週のヨーキさん(2014) | 固定リンク
2014年10月20日 (月)
ヨーキさん観察日記(10/14~10/19)
99座を登り終え、いよいよ残り1座となった陽希さんの旅。
いつものようにサクッと登れればいいのですが、最後の利尻岳はそうはいきません。
まず400㎞の道のりを歩かねばならず、そこから険しい日本海のシーカヤック、そして最後に雪の利尻岳登山と大きな困難が待ち受けています。
今週はその一つ目、400㎞の旅に突入です。
◆10/14(火)
朝から雨がぱらつく中、前日登った羅臼岳の麓を出発。
台風19号が接近するタイミングでしたが、台風は低気圧となって旅に大きく影響することはありませんでした。
陽希さんも一安心。どこかで一日休養をとる予定だったため、この日は10㎞だけ進んで脚を休めました。
◆10/15(水)
オホーツク海沿岸の一本道を行く400㎞大移動の始まりです!
……と、スケール感はありますが、とにかく何もない道をひたすら歩く忍耐の行程。
初日から陽希さんはもくもくと歩きます。
道中、ふと後ろを振り返ると、羅臼岳が真っ白になっているではありませんか!?
そう、前日の低気圧で山は雪が降ったのです。
陽希さんは「台風前に登っておいてよかった」と胸をなでおろしていました。
◆10/16(木)
一本道といっても道は意外に曲がっているため、陽希さんは直線的に進もうとします。
斜里の街を出ると国道を逸れ、地図にない海岸沿いの砂利道を選択。
やがてその道も曲がり始めると、いよいよ砂浜を歩くことに。
実は、砂浜歩きはこの旅の初モノ。
砂に脚をとられて速くは進みませんが、打ち寄せる波と追いかけっこをするなど、終始足取り軽く、嬉しそうに歩いていました。
この日のゴールは網走。監獄博物館の前で記念写真を撮って一日を終えました。
◆10/17(金)
前日までで90㎞を歩いてきた陽希さん。この日は網走湖沿岸のサイクリングロードを行きます。
依然、稚内へと続く国道に沿って進みますが、やがて道が山を大きく迂回するようになると、山を越えショートカットしようと農道に入りました。
広大な畑を横目に気持ちよく歩いていると、突然問題発生! なんと地図に載っている道がない!????
仕方なく、別の方角に行く道を辿ると、森林伐採か何かのために付けられた廃道のような道を発見。
方角は合っているものの、雑草が生い茂り、何本もの倒木が道を遮断して荒れ放題。
しかも、道は途中で別の方角に曲がり始め、陽希さんは更に険しい藪に入らざるをえませんでした。
とはいえ、タダモノではない陽希さんは「アドベンチャーレースみたいです」と笑いながら、生い茂る雑草をかき分けて山を下りて行きました。
◆10/18(土)
日本第3位の大きさを誇るサロマ湖畔で朝を迎えました。宿前の展望台に上がると、思わず「でけぇ!」と驚きの声。
湖上には早くもシベリアから飛来した白鳥の姿が見られます。
しかし、歩いてしばらくすると陽希さんのテンションは低く、その理由を聞いてみると「疲労がたまってで走れない」とのこと。行程もそろそろ200㎞。
やはり日に日に疲れは蓄積しているようです。
◆10/19(日)
紋別市を出発。この日は、恐らくグレトラ最後の日曜日。あちこちから応援の方が駆けつけ、声援をおくります。
その都度、陽希さんは立ち止まり、誠意をもって挨拶をしていました。
更に、心配した両親が道端で見舞ったり、昔世話になった先輩が来たり、知り合いに挨拶に行ったりとなかなか先に進めませんでした。
結局、宿に着いたのは夕方6時を過ぎ、ほぼ真っ暗な時間になってしまいました。
シーカヤックが出る港までは、まだ150㎞残っています。
週間天気予報では、この後寒波が来るんだとか…… 旅は大詰め。
しかし前途は多難なようです。
投稿時間:15:02 | カテゴリ:今週のゆかいな仲間たち(2014) | 固定リンク
2014年10月14日 (火)
今週のヨーキ(10/3~10/10 大雪山-雄阿寒岳)
10/3(金) 「考える日」
復帰2日目、温泉効果もあって、昨日の疲労や故障部分の悪化もなくいい感じだ。
今日は明日登る大雪山(旭岳)の中腹にある旭岳温泉までの道のりを歩く。
距離は約46キロとそれほど長くないが、美瑛の丘などの峠越えが連続しタフな感じだ。
それと人気のない道を歩くので、熊との遭遇の可能性が高い。
朝、どんよりとした空模様の中出発、旭川地方は1日を通して冷たい雨が降るようだ。
雨なら山で降られるよりも下道を歩くときの方が助かる。
いつものように宿の出発直後から、NHKスタッフに囲まれて撮影が始まった。
そんな中、遠巻きに僕らのことを見ている人がいた。白金温泉は観光地なので朝から観光客が歩いており、僕に会いに来たのかがよくわからず、自分から駆け寄って行くのも変なので気にせず歩き始めた。あとから振り返ると、遠く離れていてもこちらを見ていたので、もしかしたらカメラがあったので近づけなかったんじゃないかと思い、自分の中でどうしたら良かったのか、歩きながら考えることになった。
思い切って自分から話しかけた方が良かったのか、カメラを止めてもらい話しかけてもらいやすく配慮した方が良かったのか…話しかけて来るのを待つべきだったのか。何とも判断に迷う距離感だった。それがきっかけでこんなことを振りかえり考えた。
故障中の休養で、初めてテレビで放送された番組をすべて見た。第4話が一番自分自身考えさせられた。旅の序盤は、今ほどプレッシャーや期待は大きくなく、のびのび自由奔放に旅をしていたと思う。それから、徐々にテレビの放送などで反響が広がり、アルプスを抜けたあとからは、想像以上にたくさんの応援と反響があった。テレビやネットの力の大きさに改めて驚かされた。
旅の目的のひとつでもある「このチャレンジングな旅を通じて、田中陽希という人間を知ってもらう」という部分は、テレビをきっかけに旅を知ってもらい、結果として反響も大きくなり、目的の達成に近付けたのではと思う。しかし、旅の中盤、自分の中で多種多様な応援と反響の大きさをうまく整理や吸収ができずにいた。
狙い通りのはずなのに…名前だけが一人歩きをして大切な中身(自分自身)が追い付いていなかった。そのため、第4話にも少し出ていたが、戸惑いや葛藤、苛立ちが押さえきれずに出てしまっていた。
初めての経験や感覚だった。スゴくありがたいし助かることなのだが、それが多種多様過ぎて、全てを柔軟に受け入れることができないでいた。
そんな心の葛藤を今までにも日記などで書いていたが、それを読んでいただいた方からは、多くの励ましなどフォローをいただいた。そのたびに救われたり、力をもらったりすることができた!
少しずつだが、多くの方々の考え方や期待などに対して、先ずはどんな場合であれ感謝しようと思うようになっていった。時にはうまく実践できないこともあったが、気持ちの部分では大きな変化になったと思っている。確かなのはゆとりが出たかなと感じていることだ。
北海道に入り、残りの山の数も減っていく中で、最近は旅が終わりに近づく寂しさも感じるときがある。望んでいるゴールなのに…不思議な感じだ。
また、今までとは違う変化も出てきた。それは旅の原動力だ。
初めのころは壮大ですごい旅をやってみたい!!スゴくおもしろそう、という単純な思いで旅を続けてきた。
そんな中、旅の途中ではあまりの期待や応援がプレッシャーとなり、初心を感じられなくなったときもあった。
しかし、心にゆとりが出始めてからは再び、初心を取り戻しつつ今までプレッシャーと感じていた期待や応援が徐々に自分の背中を押してくれたり、支えてくれたりしていると実感し始めた。それが北海道に入ってからさらに強く感じて、今は多くの方々の応援や期待に応えたいという気持ちになっている。
今はプレッシャーや責任が旅を続けるためのいい緊張感を生んでくれている。最後の頂まで皆さんよろしくお願いします!
10/4(土) 「久しぶりの兄弟登山」(大雪山旭岳)
今日は北海道の最高峰、大雪山旭岳に登る。8年ぶりに登るのだが、天気は昨日と同じような感じだ。た
だし心配だった雪は気温が下がらなかったため降ることはなく、山頂付近も溶けてしまっているようだ。
当初の計画では、2週間ほど早く登る予定だったので、旭岳からトムラウシ山までは山小屋宿泊で一泊二日の行程だった。
しかし、予定より2週間遅いことや例年より雪が降るのが早いこと、痛めた足の状態を考慮して、旭岳は往復することにした。
それで、今日のゴールを天人峡温泉にして、明日は長丁場にはなるが、天人峡からトムラウシ山を登りトムラウシ温泉まで抜ける計画に変更した。
クロスカントリースキーの選手時代、高校大学を通じて毎年のように合宿などで訪れた旭岳温泉を出発して登山口に向かった。
登山口には10年ぶり位に一緒に登ることになった弟が待っていた。本当は足を痛めていなければ先週末に十勝岳に一緒に登る約束をしていたが、長い休養となったため、1週間遅れで旭岳に一緒に登ることになった。
週末しか休めない弟と何とかタイミングがあって良かった。旭岳が一緒に登れる最後のチャンスだった。今もクロスカントリースキーの選手を続けている弟の体力は僕よりも数倍上なので、今日の行程は彼にとっては物足りないかもしれない。
二転三転したがこの旅で弟と登れる機会ができて良かった。結果的に二人にとって、馴染みのある山に登ることができた。天気が悪かったが、久しぶりに最近のことや家族の思出話などをしながら、時に笑いながら楽しく登ることができた。
父は本来、弟に今僕がやっているようなチャレンジをして欲しかったそうなのだが、僕がやりたいことを全力でやっているように、弟も土俵は違うが、もっと競争の激しい場所でチャレンジを続けている。僕の夢はクロスカントリースキーの選手としてオリンピックに出ることだったが、今は弟に自分の夢を託している。(…と僕が勝手に思っているだけだが。)
山頂には出発から2時間ほどで到着した。さすがに山頂に雪は無かったが風が強く寒かった。長居をする必要がなかったので、記念写真をとってすぐに下山した。1時間ほどで下山し、この日休みだった両親が旭岳温泉まで会いに来ていたので、予定では弟はここでゴールだったが、両親に弟の車を天人峡まで持っていってもらい、結局最後までいくことになった。(天人峡までの登山道で熊に会いたくなかったので、弟に来てもらいたかったのが本音。)
寒さで思った以上に体力を消耗していたので、ビジターセンターで休憩と昼食を食べてから天人峡へ向けて出発、約1時間半ほどで紅葉が見頃の天人峡に着いた。
またひとつ弟との思い出ができた!しっかりと補強した足を労いつつ、明日のために早めに休むことにした。
10/5(日) 「雪のトムラウシ」(トムラウシ山)
距離約29キロ、コースタイム約17時間、北海道の9座の中で一番の長さ。1泊2日の行程を今日は9時間で抜ける予定だ。
大雪山系一番の難所となるトムラウシ山に今日はアタックする。
昨晩からの冷え込みで、1600メートルから上は雪が積もっていることが予想されたので、初冬の雪山に対応できるように装備の交換や補充をした。靴は今までのトレランシューズではなくゴアテックスのトレッキングシューズに替え、ロングスパッツを着用して、アイゼンを携帯した。
あまり、慎重になりすぎて装備を持ちすぎるのも体への負担になるので、1日を通じて天候が安定することも加味し、最低限のものを携帯することにした。特に今日は新雪を長時間歩くため、荷物が無くてもいつもより負担が大きくなるので、装備の選択には配慮した。
荷物は少しでも軽い方がケガのリスクも少なくなるからだ。山道の行程が長く、環境が厳しくなればなるほど、装備の選択には気を付けなくてはいけない。
7時に天人峡を出発、渓谷に差し込む朝日で紅葉がきれいだ。先ずは中間地点にある化雲岳をめざす。序盤は紅葉が綺麗な森の中を歩き、2時間ほどで森林限界を抜けた。草紅葉が生い茂る中を進むと雲の中から昨日とは別人のような真っ白になった旭岳が見えた。雪化粧をした大雪山をみて「ドデカいなー!」と改めて思った。
木道の終わり頃から辺りの低木や笹に雪がつき始め、徐々に真っ白い世界に覆われていった。前日の雨で登山道は川となり、雪と氷の重みで笹やハイマツは登山道に覆い被さって、抜けるのに悪戦苦闘した。そこを抜けると、一夜で初冬となった銀世界が広がっていた。登山道のマーキングは消え、所々にある小さなケルンと他の登山者の足跡をなぞりながら化雲岳を目指した。
出発から4時間ほどで、化雲岳に到着。間近には岩が積み重なったようなトムラウシ山が見え、振り返るとどっしりとした大雪山とそこから続く主稜線が化雲岳へと延びていた。ここからトムラウシ山まではだだっ広い稜線を歩くのだが、雪の量が多いため登山道は相変わらず分かりにくく、吹雪いたり濃霧になれば容易に遭難してしまうことが想像できた。
天候が急変しやすいトムラウシ山で天気が安定している日に当たって良かった。山頂までは5キロ、途中にはロックガーデンがあるので、天気が良くても安心は出来なかった。
何故なら、大きな岩を飛び石のように抜けていくロックガーデンでは、雪でマーキングが見えなくなるので、登山ルートが全くわからなくなってしまう。また、雪が積もったことで滑りやすく踏み抜きやすくもなるので慎重な判断が必要だ。
ロックガーデンの手前で先を行っていた他の登山者が引き返してきた。なんと、幌尻岳で会った方だった。話を聞くとロックガーデンで道を見失って、引き返してきたそうだった。本格的な雪山になれば、登山道を気にせずにもっとシンプルに地形を見て、方角を確かめながら進めばいい。
この時期に登るのは初めてだが、例え雪でルートが分かりにくくても、しっかりと地図と周りの地形を見て、大きな方角間違えをしなければ遭難の危険性は少ない。ただし、地図とコンパスを持っていることと地図読みができることが必要な条件となってくる。あとは現場での観察力が一番重要だと思う。しっかりと見える範囲を見渡して、見えるところから道標などの人工物やかすかに見えるマーキングなどをいかに素早く見つけるかが大切だと僕は思っている。
道なき道を行くことがあるアドベンチャーレースでは、ルートファインディングという能力が必要で、よく遠くを見るため、今回の旅でもその経験が生きている。現在地をしっかり把握して視界が良いときは、見えるところまで見て、これから進む方向のイメージを僕はよくしている。
今回もほとんど、ミスなく山頂まで続くロックガーデンを抜けることができた。ただし、天候が悪く視界が良くないときの雪が積もった状況では、ルートを正確にたどるのは難しく、遭難を回避するためにはより長い時間とGPSなどの装備が必要になってくる。
トムラウシ山に近づくにつれて西からの風が強くなった。予定より少し遅れたが、1時過ぎに念願のトムラウシ山に登頂した。先日登った十勝岳がスゴく近くに感じ、遠くには苦闘した幌尻岳が見えた。時折風が弱くなると、太陽の暖かさも感じることができた。これで96座目、難所と考えていた北海道の屋根を無事に登頂することができた。
宿泊先のトムラウシ温泉に着くまでは気が抜けないが、トムラウシ山から見える山々に見とれた。昨日は弟と一緒に登頂したが今日は一人だったので、雪だるまを作って、トムくんと名付けて一緒に登頂写真を撮った。
10月に入ってから日に日に夕暮れが早くなっているので、日が暮れない内に下山するためにも2時前に下山を開始した。下山する東側斜面はそれほど雪は積もっていなかった。また、他の登山者の足跡も多く、後でわかったことだが、その中のほとんどが、僕に会うために登った方たちのものだった。予定よりも1時間遅く出発したので、山頂に着く時間が遅くなってしまった。この場を借りてありがとうございましたと伝えたい。
ゴーロやぬかるみの多い登山道を抜け、最後は熊の出そうな林を抜けて、4時半に20年ぶり位に訪れるトムラウシ温泉に到着した。昔と全く変わってしまったトムラウシ温泉は大きなホテルのようだった。北海道の山で一番名残惜しい山頂になったが、山頂からみるいつもとは逆の十勝岳連峰の景色がなんとも印象深かった。
さぁ、あとゴールまで4座、700キロだ!!
10/6(月) 「ドキドキの林道」
今日から復帰後初の長い舗装路歩きが始まる。今回は3日間かけて雌阿寒岳までの約150キロを歩く。今日は鹿追町瓜幕までの50キロだ。
20年前はトムラウシ温泉までの40キロは荒れた林道だったが、現在は5キロ近くまで舗装されていて、昔より行きやすくなっている。その道を町に向かって、歩き続けた。道は整備されているが、まだまだ山奥なのでもちろん携帯の電波は入らなかった。
なーんにも変化のない道を歩いていると、どこからか「モーモー」と鳴く声が聞こえてきた。進んでいくと、何棟も建ち並ぶ大きな牛舎があらわれて、見るとどの棟も子牛ばかりが入っていた。肉牛や乳牛の子供たちのようだ。あまりにかわいいので足を止めて写真を一枚撮った。
子牛にバイバイした後は、再び何もない道が続いた。お昼を回っても気温はあまり上がらなかったため、汗はほとんどかかなかった。トムラウシから30キロほど行ったところで、思わぬ応援があった。地元の方が北海道を型どった手作りクッキーを差し入れてくれた!首にかけられるようにヒモが着いていたので、金メダル風に首にかけながらいただいた。自然と嬉しさと笑顔が出てくる出会いだった。
それからすぐ、今日の核心部となる誰も通らない長い山越えの林道に入った。熊がいつでてもおかしくない薄暗い砂利道を気持ちを強く保ち、黙々と歩いた。ガサッと音がするたびにビクつきながら…。時々、いつものように「こんにちわ~、お邪魔しまーす!」などと叫びながら歩いた。僕なりの熊対策だ。今日はいつも以上に何度も叫んだ。
地図には12キロと書いてあったが、道の途中にある朽ちた標識を見ると実際の距離はもっとあったようだ。進むにつれて地図にない林道の分岐がいくつも出てきて、確信の持てないまま、方角と道に着いた車のタイヤ跡などを見て道を選んでいった。使っている地図が17万分の1の地図なので細かい林道が載っているはずもない。
林道に入ってから約2時間で、地図に載っている山向こうの道に出た。ようやくほっと一息着くことができた。
林道の後半はドキドキの連続だった。それから1時間ほどで宿に到着。この旅初のトレーラーハウスが今日の宿になった。隣接するレストランで、大きなチーズハンバーグを食べ、寝床に着いた。林道の緊張から解き放たれて、爆睡だった。
10/7(火) 「雄大」
十勝の牧場の朝は早い。夜も明けぬ時間から牧場のトラクターが動く音が聞こえて目が覚めた。まだ4時前だった。
連日、北海道の朝の冷え込みは厳しさを増すばかり、初めてのトレーラーハウスの中の冷え込みも厳しかった。
寒さでなかなか布団から出れず…慌てて起きたときには6時を回っていた。朝食の時間が6時半だったので寒さに震えながら、唯一の暖房器具である電気ストーブに当たりながら準備を急いだ。
外に出ると、近くの牧場から漂う香ばしい牛ふんの匂いが歓迎してくれた。静かなレストランで一人朝食を食べて、スカッと晴れた秋空に飛び出した。
今日は昨日よりちょっと長い、足寄までの60キロを歩く。どーんと広がる十勝平野の北側を東に向けてひたすら歩いた。
広大な農地や牧場が広がる中を、これぞ北海道!という感じの景色を一日中眺めながら歩き続けた。行けども行けども、景色は似たり寄ったり、車で通りすぎるのにはちょうどいいが、歩くのにはちょっと退屈かもしれない…。まぁ、僕は好きな景色だから、退屈とは感じなかったが。
はるか遠くをずーっと見渡せる場所も北海道ならでは、だ。まさに雄大!特に今日は天気も気温も景色も場所も全てが揃っていた気がする。久しぶりに「旅」をしてるなぁと感じた日だった。
10/8(水) 「あっという間!?」
トムラウシ温泉を出発してから3日目。これまで全く見えなかった雌阿寒岳が今日には見えてくるだろう。雌阿寒岳までの150キロ以上の道のりも、気付けば今日で終わる。
旅のはじめの頃と今では距離に対する感覚が変わってきている。1日50キロ以上が普通になり、次の山までの総距離が200キロ位でも、あまり遠いと感じることが少なくなった。なので今回の阿寒岳までの150キロも感覚的には近いなぁと感じている。7000キロを超えると感覚がおかしくなってしまうのかもしれない…。結構、体に負担をかけているはずだが、愚痴一つこぼさずに動き続けてくれている体に今日も感謝した。
雌阿寒岳までの舗装路最終日は、軽めの43キロ。昨日よりは早めに到着できそうだ。早く着いて3日間頑張ってくれたからだを温泉で癒してあげたいと思った。紅葉が里までおりてきて雌阿寒岳に近づくにつれて紅葉が深まる山間の国道を歩き続けた。
午後4時半、夕日に染まる雌阿寒岳が見える麓の野中温泉に到着した。宿に入ると、この旅のことを知っていたようで、嬉しい歓迎をうけた。3日ぶりの温泉で体をほぐしながら、ここまであっという間の3日間だったなーと振り返った。明日は久しぶりの1日2座。雌阿寒岳と雄阿寒岳、どんな表情をしているか楽しみだ。
10/9(木) 「女山!男山!」(雌阿寒岳、雄阿寒岳)
朝6時半、野中温泉の方に見送られ、背筋がピンと伸びるような空気の中に飛び出した。今日は東北の磐梯山と安達太良山を登った時以来の1日2座。旅の計画当初は雌阿寒岳に登る予定だったが、旅が始まってから雄阿寒岳が本当の百名山だと知った。それじゃあ雄と雌で一つなんだから、2つ登った方がいいと思い行くことにした。幸いあまり離れておらず、いい距離感の夫婦だったので、1日で登る計画が立てられた。
先ずは、活火山の雌阿寒岳。御嶽山の噴火があったので以前より活火山への入山が慎重になったが、宿にある火山活動の情報は安定を示していた。最新の情報を確認しておけば少しは安心できる。また、標高は雄阿寒岳より高いが、登山口からの標高差はそれほどない。見上げた感じではあっという間に登れるなぁという印象だった。
体がまだ起ききっていなかったので、苔が生い茂る松林の中をゆったりとしたリズムで登った。
北海道の森林限界は低く、雌阿寒岳は活火山のためだろう、登山口から30分位で森林限界を抜けて、一気に視界が開けた。朝日で眼下に雌阿寒岳の影が写っていた。今日は最高の登山日和になりそうだ。
山頂が近づくにつれて傾斜が急になってきたが、登山道は歩きやすく快適で、リズムが作りやすい感じだった。出発から1時間で九合目に到着し、山頂には1時間10分ほどで到着。登ってみてびっくり!活動中の火口が3つもあった。火山活動は安定と出ていたが、音と煙はスゴい音と勢いがあった。
山頂はその大きな火口に囲まれるようにあった。東には阿寒湖と雄阿寒岳が見えて、眼下には阿蘇山を思い出すような火山独特な山肌が広がっていた。噴火口との距離は今までの活火山の中では一番近いかもしれない。(焼岳のほうが近いかもしれないが見えなかったのでわからない…)
気持ちがいい朝日を浴びてのんびり景色を眺めたくなるような感じだったが、朝一のため山頂の冷え込みは厳しかった。寒さのためか、左の脛に痛めた右足に似た痛みが走った。入念なストレッチをしてから下山を開始した。
滑らかな曲線のような下山道はとても気持ちが良かった。火山帯を抜けるとガラッと雰囲気は変わり、どんどんと笹と松の森になっていった。5キロの林道を抜けて、10時過ぎに阿寒湖に出た。急ぎ足で雄阿寒岳を目指した。
途中に宿泊先のホテルに必要のない荷物を預けて、荷物を軽くして雄阿寒岳に挑んだ。標高は低いが登山口からの標高差は雌阿寒岳よりもあった。山頂までのコースタイムは3時間半、荷物も軽くなったので30%位(1時間10分位)で登る予定を立てていた。
久しぶりに身軽になったので、これなら行ける自信があった。登山口を12時に出発。阿寒湖の畔を歩き、徐々に登り始めた。
雌阿寒岳と同じように、山頂が近く感じたが、登りはじめて30分位で雌阿寒岳よりも険しく距離が長いことを実感した。傾斜が急なため長く蛇行を繰り返して登るので、見た目の距離以上に長く、登山道は落ち着かない感じで雌阿寒岳よりも慌ただしい感じだった。登りに大切なリズムがとりにくい山だなという印象だった。
また、地図にある一合目から九合目までが等間隔ではなく、五合目で8割が終わっているという他の山にない距離感を刻んでいた。
五合目まで展望がなかったためか、1時間近く男坂のような急坂を登り、行けども行けども山頂が近づいている気配を感じない山だった。登りながら、なぜ標高は雄阿寒岳より低いのに雄阿寒岳とついたのかがわかった気がした。身軽になったとはいっても本日2座目、雄阿寒岳の急坂がボディブローのようにききはじめ、ようやく五合目に着いたときには、すでに1時間が過ぎていた。久しぶりにヘロヘロになって、五合目で阿寒湖を見ながら、どっしりと腰を下ろした。
五合目からは比較的ダラダラと登って行くのだが、ボディブローが効きすぎて、足に力はなかった。結局、山頂到着には1時間半以上かかってしまった。いつもなら急坂になればなるほどコースタイムは長く計算されているのだが、雄阿寒岳のコースタイムはかなり厳しく設定されているなと感じた。雄阿寒岳を甘く考えていたところを見事に山に見抜かれて、滅多打ちにされた気分だった。
改めて、地図からだけではわからない山の力を強く印象づけられた。
活火山だけど女性のような曲線を持つ阿寒岳と、静かな阿寒湖を見下ろしながら、一歩足を踏み入れると外からはわからない荒々しさがある雄阿寒岳。僕は2つを登りそんな印象を受けた。雄阿寒岳の山頂から見えた雌阿寒岳がとても美しかった。
雄阿寒岳の下山は登りとはガラッと変わり、快調におりてくることができた。再び阿寒湖のホテルに戻り、明日からの舗装路に備えていつもよりも入念なマッサージを受けた。
久しぶりの1日2座で体はいつもよりも疲れていたが、雌阿寒岳と雄阿寒岳を両方登ることで2つで1つなのかなと思えた。残り3座。
10/10(金) 「道東に人を」
北海道は広くてデカイ。9月12日に北海道に上陸してからもうすぐ1ヶ月。予定外の休養はあったが、本州ならいくつもの県を渡り歩けただろう。実際にスタートから1ヶ月で九州から四国まで歩いてしまっているので、そう考えると北海道の広さが他の都府県を圧倒していることがわかる。北海道の西の端から東に向かって横断しているが、東の端の知床半島はまだまだ先だ。
大雪山系を越えて、道東に足を踏み入れるのは高校時代の家族旅行以来だ。今日は阿寒湖から峠を越えて、弟子屈の川湯まで歩く。道東に来て、改めて北海道は本当に難しい地名が多いと感じている。弟子屈(テシカガ)もまたなかなか読めないと思う。道南もキレイな湖が多かったが、道東も日本を代表する湖が多い。弟子屈には摩周湖や屈斜路湖などがある。また、いつかはカヌーで下ってみたい釧路川やこの旅では立ち寄れなかった釧路湿原も美しい場所だ。
朝、7時半に宿を出て、紅葉に包まれた峠越えの道を雄阿寒岳に見送られて歩き、峠を越えてからは秋の風を受けながら、快調に弟子屈に続く坂をかけ降りた。予想では6時に宿につくはずだったが、思った以上に体が軽く、4時半に川湯駅前の宿に着いた。
予定では明日、斜里岳に登るので、寝坊したらダメなのだが、再出発してからもうすぐ10日が経つのでそろそろ休養したい気持ちではあった。
北からの風が強さを増すなか、近くの日帰り温泉で疲れを癒して、宿では珍しい地物の魚などの炉端焼きを振る舞っていただいた。宿の方と一緒に食事をするアットホームな感じで、旅の話や宿の歴史などゆっくり食事をしながら話をした。そんな話の中で心に残ったのは、道東にはなかなか人が足を運んでこないということだった。
冒頭でも北海道は広いと話したが、その広さは九州2つ分にもなる。
北海道の人でもなかなか道東の方に足を運ぶ機会は少なく、ほとんどは札幌や旭川、小樽、函館など道央道北、道南に集中してしまう。観光客になればもっと顕著になり、北海道旅行の定番は札幌近辺や旭川、美瑛、富良野などを回る2泊3日が主流。日高山脈と大雪山系を越えても十勝止まりだとご主人が話していた。また、足が遠くなる理由としては、道央に比べ、道外から飛行機などのアクセスが良くないことも指摘していた。
知床が世界遺産に登録されても、道東全体が盛り上がっているわけではなさそうだ。
弟子屈辺りの自然を紹介したりガイドしたりするネイチャーガイドもしているご主人は、道東のありのままの自然に魅せられて、14年前に移住してきたそうだ。それから、たくさんの人に道東の良さを知ってもらうために活動を続けてきたそうなのだが、なかなか道東が活気づかないと嘆いていた。
その話を聞いて、この旅をきっかけに道東を訪れる人が増えたらいいなと思いつつも、同じ北海道人として、道東にあまり目を向けたことがなかったことを恥ずかしく思った。その地に住み、その地が好きだからこそ多くの人に見て、感じてもらいたい。ご主人の想いがもっと広まることを願った。
今、僕に出来ることは実際に歩き感じたことや、今回のようにそこに住む人から聞いた話などを伝えること。
少しでも力になれたら旅を続けている意義があるかもしれない。
北海道はデカイ、だから視野をもっと広げてみよう!知らない新しい北海道を見ることができるだろう。
投稿時間:20:59 | カテゴリ:今週のヨーキさん(2014) | 固定リンク
2014年10月14日 (火)
ヨーキさん観察日記(10/6~10/13)
北海道の屋根、大雪山系を終え、一安心した陽希さん。残された山はあと4座です。
ゴールに向け、旅はどんな展開を見せるのか。
秋が深まる北海道の10月、今週の様子を取材現場から報告します。
◆10/6(月)
97座目の阿寒岳に向けてトムラウシ山麓の宿を出発。紅葉萌える森を下っていきます。
陽希さんは前日、難関のトムラウシ山を登り終えたためか、少し肩の荷が下りた様子。
軽快に歩く陽希さんにこの後の旅について聞くと、
「気にしているのは最後の利尻岳。そこまでの3座は息抜きです」
と、ゆとりの表情を見せていました。
…と、ここで取材班が感じたのは、利尻岳が気になるのは当然。
でも、それまでの3座が「息抜き」とは、それは慢心ではないか!?
反対に苦労するのではないか!?という悪い予感でした。
そしてそのことは、この後想像通り的中することに…
◆10/7(火)
阿寒岳に向けての車道歩き。雄大な十勝平野を抜け足寄(あしょろ)の街へ。
◆10/8(水)
「阿寒国立公園」の看板を過ぎると、雌阿寒岳が目の前にそびえます。
大歓迎された麓の温泉宿では旅の疲れを充分にほぐし、皆既月食を拝むなどして心身ともにリラックスしていました。
◆10/9(木)
いよいよ97座目、「息抜き」の阿寒岳登山です。
阿寒岳は雄阿寒岳(おあかんだけ)と雌阿寒岳(めあかんだけ)という二つの山の総称。
標高が高いのは雌阿寒岳で、深田久弥さんが登ったのは雄阿寒岳。
ということで、陽希さんは両方登ることに決めていました。
まずは噴煙立ち上る雌阿寒岳。
苔むした針葉樹林を抜けると一気に展望が開け、眼下に噴火口が見えてきます。
その縁を辿ると間もなく山頂で、陽希さんの言葉通り簡単に登頂してしまいました。
しかし、雄阿寒岳はそうはいきませんでした。
「さくっと登りたい」と話していたにもかかわらず、前半のハイペースが祟って途中でダウン。
座り込んでしまい、「こういう登り方はスマートじゃないですね…」と苦言を呈しながらの山頂となりました。
下山後、陽希さんは「息抜き」と考えていた自身を反省。
標高やコースタイムだけで判断してはいけないと、改めて兜の緒を締めなおしていました。
その通り!最後まで気を抜くなかれ!
◆10/10(金)
次の斜里岳に向けて車道歩き。55㎞を進みます。
◆10/11(土)
だんだん斜里岳に近づきますが、今度は風雨に阻まれます。
40㎞を歩いた後に斜里岳に登ろうとすると、風速20m/sに迫る強風に見舞われ、この日の登頂を断念。
簡単には登らせてくれません。
◆10/12(日)
待った甲斐あって無風快晴。
しかし、陽希さんが選んだ最短コースは沢沿いの熟練者向けで、度重なる渡渉に急な滝の横を登ったりと、これまでにない険しいルートでした。
登りきった陽希さんは「ちょっと足を滑らせれば命を失いかねない」と、表情をこわばらせていました。
登山道も様々。決して自然を舐めてかかってはいけないのです。
◆10/13(月)
この旅の最東端となる知床半島、羅臼岳を目指します。
台風19号の接近前に登りたいと、約35㎞を歩いてからの登山。
いつもに増して急ぎ足で登りますが、標高差1400mある山頂は簡単に近づいてきません。
しかし、こういう場面で焦っていた陽希さんにも少し変化が…
途中でギアチェンジし、適度なペースに変更。その甲斐あってか、氷雪に囲まれた寒い山頂でもテンションを下げることなく充分に達成感を味わっていました。
99座目を登り終え、「簡単な山なんてないですね」と実感のこもった一言。
これで百名山もあと一座。ゴールの利尻岳を目指し、颯爽と山を下りていきました。
紅葉真っ盛りの森を抜け登山口へと戻ると、そこには無料の露天風呂が!
子供のようにはしゃぎながら湯に浸かる陽希さんを見て、取材班もホッとしました。
ここから先は400㎞の車道歩き。そして荒波のシーカヤックに、間違いなく積雪のある雪山登山。
乗り越えなければならない数々の難関が控えています。果たして旅はどうなるのか!?
グレートトラバース、最後まで目が離せません!!
投稿時間:19:30 | カテゴリ:今週のゆかいな仲間たち(2014) | 固定リンク
2014年10月07日 (火)
今週のヨーキ(9/25~10/2 富良野-十勝岳)
9月25日(木) 「故郷へ」
今日、順調に歩くことができれば故郷の富良野にたどり着く。
昨晩は前日の歩きによる痛みが出て目が覚めてしまった。夜中にもう一度温泉に入り、痛みを和らげて何とか安眠することができた。
朝起きると、朝の冷え込みで痛みは戻っており、すぐ温泉に向かった。30分かけてゆっくり体を温めて、じっくり脚の痛みと向き合った。脚の痛みはかなり回復したので、朝食を食べ、8時過ぎには実家に向けて出発した。
実家までの距離は40キロ、決して楽な距離ではない。
足の痛みによっては厳しい状況に追い込まれてしまうことも覚悟していた。
朝一は放射冷却の冷え込みから、スタート直後は足が冷えてしまい痛みが強くなったが、天気が良かったため気温がどんどん上昇し、痛みは徐々に少なくなっていった。
富良野に続く国道を、今日も一歩一歩着実に歩いた。
ゆっくりだが、思い出のある場所を通過していくと、心が弾んだ。
昼過ぎには実家のある麓郷まで20キロとなり、さらにうれしさが自然と込み上げた。
だが、宿から実家までの40キロの道のりに店はなく、昼食を食べていなかったので、空腹に襲われた。
そのため、実家に電話をして食料を持ってきて欲しいと頼んだ。
こんなことができるのは実家が近くにあるからできること、今日は特に助かった。
富良野まで続く国道から離れ、僕が現役でクロスカントリースキーの選手をしていたときに練習コースとしていた道に入った。家までは16キロ、足の痛みはもちろんあったが、7,000キロ近く歩いてきて、思い出の詰まった故郷の景色を目にし、どんどんとエネルギーが湧いてきた。
これぞ富良野の景色という、秋の収穫に追われる広大な畑や山々の景色を眺めながら歩いていると、食料をお願いした母が駆けつけてくれた。
空腹を満たし元気に再出発、そのあとすぐに、さらに嬉しいことがあった。
道沿いの樹海小学校の子供たちがなんと沿道で待ち構えていて、僕のことを応援してくれた!
小学校の時に、野球の試合でよく対戦したことのある学校だったこともあり、スゴく嬉しかった。
子供たちと少し話をすると、人数が減ったけど今も野球部はあり、女の子も野球をしていると聞いて驚いた。
子供たちのどこまでも響く「よーきさんがんばって~!!!」と言う声が心に響いて、背中を押してくれた!!
さらに地元に帰ってきた実感が沸いた。
残りの道のりは、秋が始まった峠道を同行するスタッフに故郷の思い出を話したりしながら歩いた。
あっという間に峠を越え、気がつけば故郷の麓郷に入っていた。夕日に沈む麓郷の畑も収穫された玉ねぎの入ったコンテナが並んでいた。
麓郷の町並みの奥には、明後日登る予定の十勝岳連峰が見えた。変わらず美しい山並みを見ることができて、北海道の中心まで来たことを実感した!
実家までの道すがら、地元に戻ってきている幼なじみや、懐かしい地元の方々がお手製の旗を持って応援に駆けつけてくれていた。こんな風に地元の地を踏むとは、この計画をする前は考えてもいなかったが、実際に旅を計画し出発して、ここまで7,000キロ近く歩いてたどり着いたことが、自分自身信じられなかった。とても不思議な感覚だった。こんなことは最初で最後になるだろうと、故郷の景色や地元の方の僕を労ってくれる言葉を聞きながら思った。
日暮れ前の午後5時半に無事に実家に着いた。
この半年で、実家の周りの雰囲気の変化を感じたが、変わらぬ実家の佇まいにほっとした。
まだ、旅は残り1,000キロを切っただけで終わったわけではないが、何とかもってくれた脚を労い、今日と明日は実家でゆっくり休もう。
津軽海峡を渡って以来の再開となる父と母の笑顔に迎えられて、家路に着いた。
9月26日(金) 「休みと痛み」
昨日、無事に実家に着いたが、脚を痛めてからの4日間移動の代償は大きかった。
朝起きると、幼なじみの弟さんが鍼灸師ということで、特別に家まで治療に来てくれた。そのお陰で負傷した脚をかばっていた左脚の張りはかなりほぐれ、痛めた右脚の腫れもかなり引いてくれたが、痛みは引いてはいなかった。
朝風呂に入り脚をほぐして何とか痛みを和らげることはできた。
日中はゆっくり過ごせるかと思ったが、明日以降の大雪山系で使用する装備の整理や準備に追われてあっという間に1日が過ぎた。
あともう1日休みが欲しいと思った。
とはいえ痛めた右脚を動かしていなかったためか痛みがかなり緩和されたので、明日行けるかどうかを試すために父と散歩に出掛けた。しかし、1キロと持たず痛みが強くなり断念した。
結果的にまだやらなくてはならないことがあったのでちょうど良かったが、痛みの感じではもう1日休んだだけでは急激に良くなる感じではなかった。不安で一杯になっていた。
多くの方々からの応援や期待、自分自身の体の状態の悪さ、旅の予定などのプレッシャーが重くのし掛かっていた。この状況を早く脱したい。
9月27日(土) 「御嶽山」
実家に帰ってきてから3日目、脚の状態が良くなかったため今日もう1日休むことにした。
というより、状態としてはとても歩ける状況ではなかった。
昨晩、仕事が休みの弟が札幌から帰って来ていたので朝食はにぎやかだった。
予定では明日、一緒に十勝岳に登る。
日中は、昨日やり残してしまったことを片付けた。
テレビを見ながら昼食を食べているときに、信じられないニュースが飛び込んできた。
それは、この旅でも登った御嶽山の噴火のニュースだった。
映像はまだなかったが、ニュース速報で多くの登山者が巻き込まれた可能性があることを伝えていた。
夕方のニュースで噴火の瞬間の映像が流れた。すさまじい映像だった。
この映像を見た人は誰もが驚愕したと思う。
週末で御嶽山も紅葉シーズンだったため、多くの登山者が山頂を目指し登っていたそうだ。
僕が登った時は山開き前で、しかも天気が悪かったため、自分以外の登山者はいなかった。
犠牲者が多くなりそうとの報道を見ながら、自分が登った時期の噴火だったら…と思った。
事が起きたばかりで情報が少なく、どの報道機関も進展がない状況だったが、多数の行方不明者や山小屋で避難している人がいると伝えていた。
天災とはいえ、結果的に不運が重なってしまった、と報道を見ながら心が痛くなった。
秋の紅葉シーズン、週末の土曜日、天候、時間帯、予兆、噴火の場所、風向きなどの条件が揃ってしまった感じだ。
自分の旅を応援してくれている方が犠牲になってしまったのではないかと思うとさらに胸が痛んだ。
旅の中で何度も自然の力に対して、人は無力だと思うことがあった。
この旅に直接影響があったわけではないが、この御嶽山噴火で、改めて自然の力を予測する難しさと、その力の前では無力だと痛感させられた。
まだ、被害の全容がわからない状況だが、犠牲者がこれ以上増えないことを祈りつつ、負傷された方々へ、心よりお見舞いを申し上げると共に、犠牲になられた方々のご冥福をただひたすら祈るしかできなかった。
9月28日(日) 「苦渋の決断引き返すか進むのか…」
御嶽山噴火のニュースから一夜明けて、その後の状況が気になりつつ、朝4時に起きてから十勝岳に向けて登る準備をした。
足の状態にはかなり不安があったが、先に進まなくてはと様々なプレッシャーが自分を突き動かしていた。
5時半に一緒に登る弟と一緒に、両親やかつてスキーでお世話になった方、近所の方々に見送られて出発した。
これから、登る十勝岳は雲に隠れてしまっていたが、朝焼けがきれいだった。
足の痛みを確かめながら歩いた。
長くかばいながらの歩きが続いたので、いつもの歩きができなかったが、いつも通りに歩こうとしても無意識にかばってしまっていた。
それほどペースを上げずに確かめながら歩いたが、前に進みたいという気持ちとは裏腹に歩くたびに痛みが強くなり始めていた。
実家に着く前の痛みよりは軽かったが、この先、痛みをこらえて歩き続ければ、たった1日で元通りになる感じだった。
それでも、動いて体が温まれば痛みも和らぐと信じ、痛みが出るたびにストレッチを繰り返しながら歩いたり走ったりした。
家から2キロほどいったところで、今日行くことを諦めかけたが…悩んだ末にもう少し歩いて状態が回復するかを歩きながら観察することにした。痛みは断続的だったが、今考えればとても行っていい状況ではなかった。
さらに2キロ歩いたが、痛みが引くことはなかった。
今日は止めると決断した後も、一人家に戻る最中この判断が正しかったかどうか分からなくなっていた。
色んな不安要素が冷静な判断を鈍らせていたかもしれない。来た道のりを1時間半かけてゆっくり戻った。
今までの旅で初めて、出発して進んでから引き返すことになった。宿ではなく実家で良かったと、家に着いた時に思った。
戦意喪失で帰宅といった感じだったが、帰ってきた僕をあたたかく両親が迎えてくれて、少し落ち込んだ気持ちが晴れた。
明日には行こう、行けるだろうと願った。
朝早かったので、熱い風呂に入ってゆっくり昼寝をした。明日から仕事の弟は元気に札幌に帰っていった。
夕方、見送ってくれた知り合いが、僕の足の状態を案じて市内の整骨院の先生をわざわざ家まで連れてきてくれた。
特別に診察をしてもらい、まさかの言葉が帰ってきた。
「疲労骨折の疑いがありますね。」、家の中に緊張が走った。
詳しく調べるために、もう一度市内の整骨院まで戻って、エコー検査機を取りに行ってくると、急いで家を出ていった。
先生が戻ってくるまで、不安な時間が続いた。
先生は1時間ほどで戻ってきて、エコー検査が始まった。
入念な検査の結果、骨の異常が見られないと言われ両親共々安堵した。さらに検査を進めて、検査の結果は筋挫傷という診断だった。慢性的な使いすぎによって、起きてしまったようだ。
先生からは1日2日でよくなる状態ではないと伝えられた。完治するには最低でも1週間は必要なようだ。
だが、そこまでの時間の余裕がないことを伝えると痛みを軽減するためのテーピング方法を教えてくれた。
この方法でだましだまし行くか、あと2日様子を見てから行くかは自分自身で判断してくださいと言って、帰られた。
疲労骨折ではないと分かって、安心したと同時に、何時完治するかわからない状況で、何時出発するかを決めるのに悩んだ。
取り敢えず明日の朝、教えてもらったテーピングをして、試しに歩いてみて、痛みが少なければ行こうと決断した。今夜も不安を抱えたまま寝た。
9月29日(月) 「ルート再検討」
3日間休養をしたため、休養してから一番脚の状態は良かったが、不安で頭が一杯だった。
自分自身でも分かっていたが、とても出発しようという状態にはなっていなかったと思う。
とりあえず、テーピングをして歩いてくることにした。いつもと変わらない静かな麓郷を歩いた。
テーピングによって今までで一番いい状態だったが、不安がぬぐいきれなかった。
歩き、悩み、また歩き悩んだ。そうしている間に時間が過ぎていった。
家に戻り、まだ悩んでいる僕を見た母に「行きたくない気持ちが見え見えだよ」と言われた。
図星だった。
昨日からの不安が増幅して、考えれば考えるほど不安に包まれた。
結局、悩みながら、これから出発したとしても登頂できる時間を過ぎてしまったので、今日も休むことにした。
連日、はっきり判断しない僕に振り回されてしまっている、家族や撮影スタッフに申し訳ない気持ちだった。
1日1日ではなく、気持ちにもう少しゆとりを持たせるために思いきって2日休むことにした。
そう決めたことで、今まででよりも少し気持ちに余裕ができた。
明日も休めるという気持ちからゆとりが生まれ、空いた時間で再度、ゴールまでのルートや宿泊地などを確認した。
今回の休みがそれほど大きな遅れにならないと分かったことで、さらに気持ちが楽になった。あとは自分の回復力を信じることになった。
この、休養中に御嶽山噴火の状況が日々進展を見せていて、多くの方々が無事に下山される中、その一方で多くの方々が心肺停止という状況が報道されていた。確認ができていない不明者も多くいるという状況に何も言うことができない自分がいた。
一人でも多くの生還と救出を祈るとともに、亡くなられた方々へのご冥福を祈った。
登山者から投稿された映像の、緊迫した状況を伝える噴火直後の壮絶な状況が、目に焼き付いた。
9月30日(火) 「6ヶ月経過」
今日で9月が終わる。脚を痛めてから5日目の休養となった。
ちょうど一ヶ月前、9月に入ったのは鳥海山から早池峰山までの道中だった。
9月の前半は東北のラストスパートといった感じの中、天候が安定しない日々が続いた。山頂がスッキリ晴れて次登る山や遠くの山まで一望できたのは、記憶をたどると早池峰山くらいだっただろうか。
東北の山それぞれに魅力や独特な雰囲気があり、想像以上に多くの人に親しまれている山ばかりという印象だった。
また、旅の反響もさらに大きく広がり、天候に関係なく駆けつけてくれる方々の熱意に驚き、感謝した。
約4ヶ月かけて82座の本州の山々を歩き繋いできた。
それと同時に多くの方々の思いも繋がってきたと思っている。
9月12日に津軽海峡を横断して、旅の佳境となる北海道の地を踏んだ。北海道だけで約1,400キロの道のり、まだまだ先は長い。
だが、最後となる北海道にたどり着けたことで、今まで感じたことのない力が無意識に湧いてきた。
やはり、故郷の地というのは今まで歩いてきた土地とは感じるものが違うのかもしれない。
北海道の序盤、故郷の富良野までの道のりは、再び舗装路歩きとの戦いとなった。
西日本以来の200キロを超える舗装路は浮き立つ気持ちとは関係なく、じわじわと体に疲労を蓄積させていった。
その結果、移動距離が500キロを超えた時に、痛みとなってなんの前触れもなく現れた。その痛みは強烈でこの旅で初めて心のそこから辛いと感じた。
何とか気合いで痛みに耐えて、故郷の地までたどり着いたが、痛みにこらえて動き続けた代償は大きかった。
筋挫傷と診断され、シンスプリンに近い感じだ。25日に故郷に着いてから休養が5日。明日もう1日安静にしてから再出発する。
切りよく10月1日からと思ったが、体の状態を優先するべきだと判断した。
ここまで、6ヶ月93座に登頂して、約7,000キロを歩いてきた。旅そのものが山あり谷ありの連続だったが、ここまで歩いて来れたのは、間違えなく多くの方々の支えにより、山越え、谷越えの手助けをしてくれていたと感じている。
あと約3週間で利尻島にたどり着けるだろう…まだまだ旅を楽しむ時間が残っている。
残り7座で何を得ることができるか楽しみだ。
10月1日(水) 「最終の7ヶ月目」
昨日、旅に復帰するには切りよく10月1日からと思ったが、まだまだ楽しまなくてはいけない利尻までの旅を考えて、もう1日しっかり休んだほうがいいと判断した。
今までであればこんなに贅沢に休むことはなかった。ましてや行けそうな感じだった5日目の状態を考えれば、確実に出発していただろう。
しかし、慎重になりすぎるぐらい慎重になったのは、幌尻岳での痛みをもう二度と味わいたくないという思いが心の中に刻まれていたからだ。
この判断は良かったと思っている。明日気持ちよく胸を張って出発する為に必要な時間になった。
嬉しいことに、3日前に診察してくださった整骨院の先生が明日出発することを聞きつけて、出発前にもう一度診察をしてくれることとなった。
仕事終わりに駆けつけてくれた先生にエコー検査を受け、3日前よりも挫傷部分がかなり回復していることを確認することができた。
先生の「この状態なら明日は出発できるね」と笑顔で言ってくれた言葉に安堵した。
また、そのあとには急なお願いだったが、再び幼なじみの弟さんの鍼灸治療とマッサージを受けることができて、出発前夜に体をしっかり整えることができ感無量だった。
改めて、この旅が多くの方に支えられていることを実感した。
1日遅れだが、明日最後の月となるであろう7ヶ月目の旅が始まる。今日の休みが最終的に適切だったと振り返る自分が想像できた。
明日からよーき機関車が再始動する!
10月2日(木) 「復活戦」 (十勝岳)
今日は6日間の故障者リスト入りから久しぶりの一軍復帰となる。
復帰初日の相手はいきなりの強敵、富良野岳から十勝岳までの縦走だ。
無事に完投(完登)できるか不安の立ち上がりとなったが、痛めた部分は先生に教えていただいた通りにしっかりとテーピングで補強していたので、登山口までの舗装路と砂利道は状態を確認しながらも、順調な歩き出しとなった。
原始ヶ原までの山肌は丁度紅葉が始まっている感じだった。
コースタイムに対してどのくらいのペースで行けるか不安だったが、痛めたところ以外はかなり疲労も抜けていたので、意識していないのにコースタイムの40%位で歩けていた!自分でも驚きだった。
原始ヶ原に着いたときにはスタート前の不安が少し減っていた。
広大な原始ヶ原の草紅葉がとてもきれいだった。
原始ヶ原を抜けると、富良野岳へ向けて一気に登りが急になった。
浮き石の多いザレ場を抜けると昨日の冷え込みで低木の枝がきれいに凍っていた。樹氷を見るのはアルプス以来だった。
そこからさらに標高を上げていくと、雲に隠れて見えない富良野岳の山頂が突然現れた!雲の中に懐かしい富良野岳の標識が見えた。
気がつけば登山口を出発してからたったの2時間半で登頂してしまった!
山頂付近は亀の手のような形をした霜(雪?)があちこちに見られた。
復帰初日としては上々な出だしだったので、精神的にかなりゆとりができ、十勝岳までの縦走路は久しぶりに山の景色と懐かしい思い出を振り返りながら歩くことができた。さらに雲の切れ間からは実家のある麓郷を見ることができた。
高校時代にトレーニングで走りまくった富良野岳や十勝岳、あの頃からすでに13年も時が経っていた。
細かい変化はあったが、山は相変わらず雄大で美しかった。富良野岳よりも真っ白な十勝岳の雪化粧がその美しさを際立たせていた。
富良野岳を出発してから2時間40分で8年ぶりに十勝岳の山頂に立つことができた!富良野岳から精神的にゆとりが出たが、足への配慮はし続けていた。その甲斐あって、縦走中強い力が入ったとき以外はほとんど痛まなかった。
後半は凍った雪などを楽しみつつも、気を抜くことはなく歩き続け、復帰戦を無事に完投(完登)することができた。
さすがに2,000メートルを越えている山頂は気温が低く、風の力で山頂の標識にきれいに張り付いた雪の結晶が冬の訪れを告げていた。
雲の上にかすかに見える次の相手、旭岳(大雪山)はもっと真っ白だった。
その後、紅葉が見事な望岳台に下山して4時に宿泊先の白金温泉に到着。
温泉と美味しい食事で復帰戦となった今日の疲れを癒した。
故障者リスト入り前と変わらず、また歩けたことに感謝だ。
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2014年10月07日 (火)
ヨーキさん観察日記(9月29日~10月5日)
旅の終盤、右足負傷という大ピンチを迎えた陽希さん。
果たしてその後の展開は……
今週も取材現場からリポートします!
9月29日(月) 出発にトライするものの・・・
3日間の休養が明け、富良野の実家で4日目の朝を迎えました。
右足首の状態が良ければ出発すると話していたこの日、
まずは様子をみようと表を歩いてみます。
しかし、玄関の扉を開け、ウッドデッキの階段を下りる姿が既に痛々しい。
10分ほど歩いてはみますが、やはり無理でした。
右足首は曲げ伸ばしできず、踵から着地することも蹴ることもできていません。
陽希のお母さんも、かける言葉に困っている様子。努めて無関心を装う姿が気の毒なほどでした。
9月30日(火) 計画を練り直す
休養5日目のこの日も「痛くてダメ」。
しかし、回復の兆しが見えてきたのか、この後の計画を徹底的に練り直していました。
如何に短い日程でゴールにたどり着くか、
如何に荷物を減らして脚への負担を軽減するか、
不安な面持ちではありましたが、前向きになってきました。
そしてこの日、2日後の出発を決意します。
10月1日(水)
予定通り休養。
10月2日(木) 驚異的な復活!
6日間の休養を明けた陽希さんが家から出てきました。
果たして足の運びは…… と見てみると、意外にスムーズ!
テーピングで固定した状態ではありますが、見違えるほどの軽い足取りで
十勝岳へと出発していきました。
すると登山口までの10㎞のロードを見る見るうちに歩き終え、実家から見える富良野岳へは
6時間の標準コースタイムを2時間20分で歩いてしまいました。
このことで陽希さんのテンションも更にあがります。
ハイマツに付いた氷を手に取って振り回したり、氷を口に含んで噴き出し
「スペシウム光線!」
とウルトラマン真似事をしたりと、無邪気に遊びながら美しい稜線を歩いていました。
気付いてみれば、あっという間に95座目、十勝岳の山頂に立っていました。
なんという回復力!! しかもこの後、同じ症状が再発することはありませんでした。
陽希さんは、やはりタダモノではありません。
10月3日(金) 大雪山系旭岳の登山口に移動
見ごろを迎えた紅葉の林道を快調に歩きます。
10月4日(土) 兄弟で目指す旭岳
現役のクロスカントリースキーヤーでもある弟の富夢也(とむや)さんが合流し、一緒に旭岳を目指します。
二人にとって旭岳は懐かしいトレーニングの場。スキーの話題で持ちきりで、とても楽しそうに歩いていました。
とはいえ、旭岳は陽希さんが以前から雪の量を恐れていたれていた山。
どんな状態かと登ってみると、ここ数日、比較的暖かい日が続いたこともあって、
雪はほとんどなく、登山道は快適。
怪我のことも気にならないのか、ぐんぐんスピードも上がっていきます。
しかし、5合目を過ぎた頃から霧雨が降り出し、風も強まり、
これまでで最も寒く冷たい山頂となってしまいました。もちろん絶景のはずの展望はゼロ。
「寒いー!」と連発しつつ、二人は足早に下山していきました。
それでも弟さんは爽やかに「いい記念にになりました」とニコニコ顔。
兄に似てとても気持ちのいい青年でした。
10月5日(日) 一面の雪景色のトムラウシ
いよいよ大雪山の奥地に鎮座するトムラウシ山です。
最盛を迎えた天人峡の紅葉を横目に登山スタート。
快調に登って行くと…… なんと一面雪景色ではありませんか!!!???
きっと、前の晩に降った雨が、上の方では雪だったのでしょう。
ハイマツについた雪を振り払いながら進む為、全身びっしょり。
しかも、主稜線まで行くと風が出て、またまた寒く厳しい登山となりました。
しかし、運も持っているのが陽希さん。晴れていたのが幸いし、服もしっかり乾きました。
もちろん展望は最高。
雪の稜線の彼方に十勝岳連峰や旭岳と、登ってきた山々を見渡すことができます。
そして、岩の要塞のような凛々しい山頂に到達。もちろん陽希さんのテンションも最高潮。
絶景を眺めながら可愛らしい雪だるまを作って短いひと時を楽しんでいました。
足の方も完全復活。本当によかったです!
投稿時間:17:20 | カテゴリ:今週のゆかいな仲間たち(2014) | 固定リンク