週刊グレトラ日誌

今週のヨーキさんとゆかいな仲間たち

2014年9月

2014年09月30日 (火)

ヨーキさん観察日記(9/22~9/28)

9月も下旬に入り、北海道は木々が色づいてきました。

絶景の大地に気持ちも高ぶるところですが、陽希さんの身体を異変が襲います。
それはこの旅始まって以来のピンチ!
果たして陽希さんは…

取材現場から今週の様子をお伝えします!


9/22(月) 北海道に入って9日目

 この日の行程は15㎞のアスファルト34㎞の林道歩き。
 日高地方ならではの広大な牧草地を眺めながら幌尻岳へ向かいます。

 早朝、新冠の宿を出た陽希さんはアスファルトの15㎞を足早に歩き終え、人家も牧場もない長い林道に入りました。
 周囲には黄色くなり始めた広葉樹の原生林
 秋の爽やかな木漏れ日を横目に歩いているその時、陽希さんの右足を痛みが襲います

 足首から向う脛にかけて、最初は違和感だったのが、ズキズキと疼くようになってきたのです。
 林道は延々34㎞。10㎞地点を過ぎた頃には、時々立ち止まりかがみ込むようになってしまいました。
 テーピングで処置をしましたが、この日は「明日が心配なので」と、16㎞地点に一軒だけある無人小屋、糸納峰(イドンナップ)山荘までで留めておくことにしました。

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9/23(火) いよいよ幌尻岳

 どの登山口もアクセスが悪く、百名山踏破を目指す多くの登山者が最後に残す難関の山です。
 陽希さんの行程は18㎞の作業用林道の後、登山道の上り4時間と下り7時間に加え、林道と車道を合わせて26㎞
 足に痛みを抱えたまま、無事に踏破できるのか…
 

 この日は長い行程のため、早朝4時に出発。右足首を庇うようにゆっくり足を運びますが、標準コースタイムで5時間50分とある18㎞の林道を、陽希さんは4時間で歩いてしまいました。やはりタダモノではありません
 更に登山道に入ると、「地面が土なので楽になりました」と言いながらスピードアップ!?

 紅葉が盛りの急斜面を登り終えると、結局2時間ほどで山頂に着いてしまいました。しかも下りはコースタイム半分以下の3時間で下山。やはりタダモノではない。

…と思っていると、陽希さんの右足の状態は悪化。歩きながら、この旅で初めて「辛い」という言葉を口にし、ほうほうの体で日高町の宿に着きました。この晩は痛みで眠れなかったと言います。

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9/24(水) さすがの陽希さんも休むかと思いきや・・・

 1日60㎞だった予定を刻み、占冠村までの20㎞歩く!と言い張ります。
 次の目的地は富良野市にある実家。早く落ち着きたいという心境だったのでしょう。

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9/25(木) ついに実家へ

 25日は残り40km。実家が近づくと、小学生たちが校門で待っていたり、近所の方が沿道で声援を送ったりと、次第に故郷に帰ってきた実感が増していきます。口数も増え、悲壮感さえあった表情が明るくなっていくのを見て、我々も少し安心して実家へと見送りました。

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9/26(金)9/27(土) 実家にて休養

 26日は予定通りの休養。この後の旅への雪山装備を整えつつ、足の様子を見ながら静養しました。
 我々の予想を覆したのは27日、足が痛むと出発を見送った頃からでした。
 
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9/28(日)十勝岳を目指すが・・・

 週末に実家に帰ってきた弟の富夢也(とむや)さんと一緒に94座目十勝岳へと出発しますが、4㎞ほど歩いたところで「ダメだ…」と断念。実家へと引き返してしまいます。

 出発して戻るのは、この旅始まって以来のことです。整体の先生に診てもらったところ、一度は「疲労骨折かもしれない」とまで言われましたが、結果は筋挫傷で、最悪の事態は免れました。
 しかし、今この状態で山に入れば、既に積雪のある大雪山や行程の長いトムラウシで再発するのは必至。それでも、休みすぎると利尻岳などでの大量の積雪が予想されます。

 
果たして、この先どうなるのか。陽希さん、最大のピンチはまだ終わっていません。

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投稿時間:13:37 | カテゴリ:今週のゆかいな仲間たち(2014) | 固定リンク


2014年09月30日 (火)

今週のヨーキ(9/22~9/24 北海道歩き-幌尻岳)

9月22日(月)「激痛の新冠ルート」

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 予定の平取ルートが通行できなくなったために、近年登山者が急増しているという、新冠ルートに変更となった。
 新冠ルートは登山口までの林道区間が長く、その距離は56キロにもなる。ほとんどの登山者は一般車両も通行可能な約40キロの林道区間を車で移動するが、もちろん僕は途方もなく長く感じるであろう林道を、ヒグマの存在にビビりながら歩くことになる。
 北海道の中で一番山頂までのアプローチが難しいと言われる意味を、今日からの2日間で思い知ることになるだろう。
 新冠ルートを全部徒歩で歩く人はかなり珍しいそうで、昨日会った地元の方は新冠ルートから登ることをスゴく喜んでいた。

 今日も朝からいい天気だった。お世話になった宿を6時半に出発して、宿から71キロ先の新冠ポロシリ山荘を目指す。
 出発してのどかな牧場を抜けて、15キロ先から砂利の林道になった。ここからは明日登る幌尻岳山頂まで携帯電話は圏外となってしまう。
 一気に人里から離れ、野生動物のテリトリーに入った。北海道独特の秋の匂いがした(個人的に感じている匂い)。
 今日は人間よりも野生動物と遭遇する方が多いだろう。

 林道に入ってすぐに右脚のスネに痛みがなんの前触れもなく走った。ここまで舗装路を長く歩いてきたので、少し張っているのだろうと、違和感と痛みを感じながらも歩き続けた。
 まだまだ先は長く、険しい道のりが続くので、立ち止まっている時間はなかった。
 しかし、痛みは引くどころかだんだんと増していった。くねくねと幾度となく曲がり、激しいアップダウンを繰り返して、ようやく宿から40キロ地点の新冠ダムが見えた。そのときには走り続けてきた足が、止まってしまうほどの痛みとなっていた。

 まだ、目的地の山荘までは30キロ以上も残っている。すでに時刻は1時半を過ぎていた。
 目的地まではたどり着けないと感じて、一つ手前のイドンナップ山荘に泊まることを考えた。宿から53キロ地点にある山荘で昔のダム建設時に使われていた作業員宿舎だ。
 車でその山荘まで入れるので、今はほとんど利用されていないことが予想できたが、なんとか山荘までたどり着こうと必死だった。

 痛みは一向に引かず、明日の幌尻岳に登るためにも、これ以上悪化させたくない気持ちでいっぱいだった。
 明日への不安も募る中、今日山荘までなんとしてもたどり着かなくてはいけないのだが、イドンナップ山荘でさえたどり着けるか微妙な状態だった。1キロ、100メートルが今までで一番長く感じ、いつもよりも時間がどんどんと過ぎていくのを感じていた。
 今までにも登山口までの道のりが砂利の林道だったことは何度もあったが…ここまで長いとは。この幌尻岳への林道がこの旅で断トツで一番長い林道だろう。
 この長い林道を歩くタイミングで、脚の痛みが出てしまい、余計に長く感じることになった。

 ペースがかなり落ちてしまいながらも、なんとか5時前に山荘に到着した。外観は大きな白い家のようだが、中に入ると長い間使われていない感じだった。当時の生活で使用していたものがそのまま置かれていて、ホコリとカビの臭いが漂っていた。1階で寝ようかと思ったが今にも抜け落ちそうな床だったので、2階のわりときれいな部屋を使うことにした。

 水が近くに無いため、家の裏の沢まで藪をこいで今晩と明日の分の4リットルを確保した。
 北海道はエキノコックスという病原菌が生水に含まれるため、本州ではそのまま飲んでいた沢水も全て煮沸する必要がある。日が陰り始めると、谷の深い場所は早く暗くなる。煮沸作業をしていると窓の外はあっという間に暗くなった。

 無人の山小屋で泊まるのも自炊するのもかなり久しぶりだった。腫れて少しの動きでも痛みが出る右のスネを入念にマッサージをしながら、明日のことを鏡を見なくてもわかる不安げな顔をして考えた。

 脚の痛みは回復するだろうか、目的地までたどり着けるか、明日は今日よりも長い距離を歩くけど脚は耐えられるだろうか、など考えれば考えるほど不安な夜となった。唯一助かったのは、日暮れと同時に雷雨になったことだ。
 もし、さらなる無理をして18キロ先の山小屋を目指していたら、脚の状態も含めもっと厳しい状況に追い込まれていたに違いなかった。
 明日の朝に必要な分の水を残し、久しぶりにラーメンを作り、食べて寝た。8時間後の3時に起きたとき、脚の状態が少しでもよくなってほしいと寝袋の中で患部をさすりながら、いつの間にか寝てしまった。明日は4時に出発して、幌尻岳を目指す。





 



9月23日(火)「初めての苦辛」(幌尻岳)

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 夜も明けない3時に起床、こんな時間に起きるのはいつ以来だろうか。

 羊蹄山を登ったのが9月17日、それから6日、ここまで230キロを歩いた。北海道の地を踏んで歩き始めてから10日が経っていた。こんなに朝早く出発する理由は、痛めた右脚をかばいながらの登山となるため、いつもよりもペースが遅くなるからだ。
 焦らず確実に登り下山するためにも,時間に少しでもゆとりを持たせたかった。

 4時にイドンナップ山荘を出発。まずは昨日歩けなかった残りの18キロ分の林道を歩く。脚の状態を確かめながらの時間が続いた。
 普通に歩くよりも、速度は変わらないが、ちょこちょこ走りの方がスネや足首への負担が少なく楽なので、走れるところは積極的に走った。脚のことを考えれば、もっとゆっくりとも思ったが、ゆっくり歩く方が痛かったので走るしかなかった。
 今日は下山後、宿まで約30キロの道のりがあるので、序盤に少しでも時間を稼いでおきたいという気持ちもあった。

 1時間ほどで明るくなり、白い息が出るほど冷え込んでいたが、日差しが出て気温がグンと上がった。これからの季節は太陽のありがたさが身に染みる季節となる。

 出だしは痛みも弱かったが、走る方が楽とはいっても、痛みは治まったわけではない。さすがに限界になり、より足首が動かないようにしっかりとテーピングを施した。かなり適当ではあったが、可動範囲が狭くなり、幸い痛みが出にくくなった。ここでペースを上げれば、また痛みがひどくなる可能性があったので、慎重に走り続けた。

 いつもなら、3時間くらいの距離だが、それでも上出来の3時間40分くらいで昨日泊まるはずだった山荘に着いた。ここからようやく登山道が始まる。もう林道を歩かなくていいと思うと、肩の荷が少しだけ下りた感じだった。

 ここから山頂までは一気に急登となり、予定では2時間後山頂にいる。
 予定通りコースタイムの半分で行けるかは登山道に入ってからの右脚の状態によるが、前回、左脚のときは痛みは山を登ると消えたので、今回も同じだといいなと思っていた。しかし、前回とは少し違うことを一番自分がわかっていたので、脚への配慮はそのままに歩いた。

 初めに小屋から沢沿いを歩くのだが、あまり人が登ってないからか、状態はいいとは言えなかった。
 沢から外れ、いよいよ大好きな急登が始まった。脚の状態は悪くはない。このままのペースを維持してもいい感じだ。ただ、久しぶりの激しい急登に息がかなり上がった。
 長く見上げるような急登を登ること1時間で森林限界を突破した。周りを見渡すと一面、小さな高山植物が赤や黄色に色付いた草紅葉に覆われており見事だった。昨日から痛みと戦い続けてきて、初めて痛みを忘れる瞬間だった。

 そこから、山頂まではあっという間だった。10時10分に93座目の幌尻岳に初登頂した。
 2000メートルの稜線は風も気温も冷たく、長時間の滞在は難しかった。それよりも山頂に立っても達成感がわくことはなく、山頂から先の長い下山ルートが気になっていた。山頂から下山口まではコースタイムで8時間半、今の脚の状態ではまだまだ安心できない距離が残っている。
 北海道一山深い幌尻岳の景色に見とれる余裕もなく、下山を開始した。

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 幌尻岳からトッタ岳を経由して、北トッタ岳までを縦走。眼下には七つ沼カールが見えて、時々その美しさに痛みを忘れることができた。
 北トッタ岳までの約3時間半の行程を1時間半ほどで通過。脚の痛みがそれほど悪化してないのが幸いした。予想以上の出来だった。気を抜くと登山道の岩やハイマツに足を引っ掛けてしまい、炎症で伸ばすことのできないスネを無理に伸ばし、強烈な痛みが出た。

 北トッタ岳には予想以上に登山者が多く、その中には家族で僕に会うために登ってきたという家族もいた。
 いつもなら自然と笑顔になれたが、今日は今までで一番必死すぎて、口は笑っても目が笑っていなかった。
 

 北トッタ岳から西にのびる尾根を下り、肩から下山口のある沢に下りる急坂が始まった。地図で見るとかなりの斜度が予想された。
 今の脚の状態で一番痛みが出るのが下りだったので、スムーズに下りれるか不安だった。しかし、この時だけは痛みが消えて治ってしまったかのように、いつも通りに下ることができた。
 急坂が終わると、沢を何度も横断するのだが、ストックを巧みに使い難なくクリアして林道の終点に到着した。それまで順調に思えた脚の痛みが増し始めて、ここから宿までの約30キロ(林道が21キロ、舗装路が9キロ)の林道と舗装路歩きに暗雲が立ち込めていた。

 ゲートがある登山口に2時半前に到着した。不安だらけで出発したときは、目標の時間に下山できる期待は薄かったが、上出来過ぎる時間に到着した。
 軽く補給をして出発、しっかりと踏みかためられた林道をなるべく走った。歩いていたら宿の夕食の時間に間に合わないのと、早くこの苦痛から解放されたい気持ちが、前へ前へと足を進ませた。

 下山口から宿までの約5時間が、地獄のような時間となった。
 右脚のスネの痛みは痛みを通り越してすでに麻痺していて、膝から下がパンパンに晴れ上がっていた。足が着地するたびに今にもパンっと破裂するんじゃないかと思うほどだった。また、右脚を昨日からかばってきた左脚も腰から下が痛み始めてしまった。

 一歩一歩に緊張しながらの走りが続いた。
 歩きたかったが、歩くと再び走り出せなくなりそうだったのと、どこまでも遅くなってしまいそうだったので、苦痛に顔を歪めながらも走り続けた。何度も携帯している痛み止を飲もうかと思ったが、一時的には痛みが引くが炎症が無くなるわけではないし、痛みがなくなって余計にペースをあげてしまう可能性もあり、飲むことでさらに悪化させてしまいそうだったので、飲まずに耐え続けた。

 苦辛すること約4時間半、なんとかギリギリの7時に宿に着くことができた。あまりに長い時間気を張り続けたためか、安心した途端にスゴい疲労が吹き出し、頭痛が出た。2日ぶりの入浴は南アルプスで10日ぶりにお風呂に入った時くらいに嬉しい瞬間だった。

 この旅で初めて、一日中苦辛し続けた。出発から到着までを100とするならば、痛みを忘れて日高山脈の大自然を漫喫出来たのは1パーセント位だろう。無事に登頂して下山、宿に着くまで、痛みに耐えて苦しみながらも、ほぼ予定通りだったことが奇跡に近いと温泉に入って、暖かい布団に入りながら思った。
 温泉に入ったことで、腫れも引き痛みも楽になったが、明日起きた時に脚の状態がどうなっているか不安と希望を抱いて寝た。

 まだ、ゴールまでは1000キロはある。この痛みを抱えながらの旅はかなりのリスクを背負うことになるだろう。旅もあと少しで7000キロに達する、今回のように体のどこかに異常が出ても、おかしくないことだ。ここまで、体調を崩したこと以外では、大きな怪我もなく歩んでこれたことに、自分自身に感謝してもいいだろう。

 もうすぐ実家の富良野に着く、7000キロも歩いて実家にたどり着いた時、どんな心境になるのか楽しみだ。





 



9月24日(水)「痛みに耐えて」

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 朝6時に起きると、痛めた右脚は凝り固まったような感じとなり、起き上がると腫れは引いたが痛みは強い感じだった。
 朝風呂に入って体を温め患部をほぐすと痛みが幾分か軽くなったが、歩くたびに痛みが出るのは変わらなかった。
 予定では今日60キロを歩いて実家のある富良野に着くことになる。しかし、今の脚の状態ではとても1日で実家までたどり着ける感じではないことははっきりとしていた。

 ゴールまでの残りの道のりを考えると、予定を変更して宿泊地の日高でもう1日休養をとるか、1日で行ける距離を分割するかを朝食を食べながら悩み考えた。悩みに抜いた結果、天気もよかったので、脚の状態を確認しながら23キロ先の温泉旅館まで行こうと決めた。行くことを決めたが、まずは宿に宿泊出来るか確認しなくてはならない。確認がとれたことで、より「行こう!」と決心が着いた。

 秋晴れの気持ちのよい空の下、歩き出した。

 朝は気温が低かったので、痛みが歩くたびに強く響いたが、気温が上がるにつれてその痛みも軽くなっていった。だが、歩くスピードは極めてゆっくりで、脚の痛みを気にしながらの歩きが続いた。
 懐かし過ぎる占冠の町を抜けて、自分の故郷に少しずつ近づいているのを実感した。それが、時々痛みを忘れさせてくれた。

 午後5時にこれまた懐かしい、宿泊地の温泉に着いた。
 今日は脚の痛みに耐えながらの歩きとなり、北海道に入って初めて、23キロを7時間かけてゆっくり歩くことになった。

 宿に着く前に見かけたひろーいトウモロコシ畑に、一本だけ獲り残されて凛と立つトウモロコシが誇らしげに見え、ゆっくり歩くことで多くの発見があった。
 明日はようやく故郷だ!しっかりと1日の疲れを温泉で癒すことにしよう!

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2014年09月24日 (水)

ヨーキさん観察日記(9/16~21)

 故郷、北海道に上陸したものの、まだ一つも山に登っていない陽希さん。最初の山、後方羊蹄山への歩きが続きます。


9/16(火) 北海道4日目

 陽希さんは長万部を出発。海沿いの長く真っすぐな車道をひたすら歩きます。

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9/17(水) 北海道5日目

 噴火湾を後にし、内陸に入っていくと、ようやく広大な農地の先に後方羊蹄山が見えてきました。
 しかし、天気は生憎の曇り。雨が降ったり止んだりで、山もなかなか完全な姿を見せてくれません

 前日、我々が下見に行ったときには青空に聳えていたのですが…出発から車道を30㎞ほど歩いたところで登山口到着。もちろん陽希さんは何食わぬ顔で(しかも走って!)登山道に突入します。

 毎度のことですが、さすがです。結局、強風が吹きつける中、コースタイム4時間30分のところを、半分の2時間15分で登ってしまいました。

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 北海道最初の山に感慨深いものがあるかと思いきや、山頂付近に残っていた初雪を目にし、「今年は寒くなるのが例年よりだいぶ早いと思います。先々のことを考えたら焦ってきました」と、早い冬の到来を心配している様子。寒い山頂で短く休憩をした後には、紅葉が始まりかけている斜面を急ぎ足で下り、留寿都村の宿まで10㎞の道のりを走っていました。

 北海道座目は、まだまだ息の抜けないこの旅の険しさを、改めて感じる山となりました。

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9/18(木) 休息日

 朝から冷たい雨。はやる気持ちを抑え、2週間ぶりの休息。
 次に目指すのは日高山脈の主峰、幌尻岳。街からのアクセスが悪いため、なかなか登れない百名山の代表格です。登山口まで200㎞を超える長い道のりを4日間かけて移動します。


9/19(金) 支笏湖

 この日の目的地は支笏湖。道中、何度も車で通過していたというドライブインに初めて立ち寄ると「歩きだからこそ寄ることができた!」と満足そうに、名物のきのこ汁に舌鼓を打っていました。

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支笏湖に着いたのは夕方。
静かな湖面を眺めながら「道が真っすぐで歩きやすく、途中に何もないので60㎞がすぐでしたと笑顔で宿に入っていきました。

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9/20(土) ジョギング

 支笏湖を出発すると、これまた長い直線を歩きます。ここには自転車、歩行者専用道路が設けられていて、陽希さんは気持ちよさそうにジョギングをしていました。
「今、何を考えていますか?」と尋ねると、「ずっと3メートル先の地面を見ています」と笑顔。こ
の日はあっという間に70㎞を走ってしまいました。

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9/21(日) 新冠町

 日高地方に入ると、周囲には競走馬の牧場が目白押し。新冠町には「サラブレッド銀座」という名の通りまであり、初めて訪れる陽希さんも興奮気味。
 「いい尻してるな」と、独特の視点を披露しながら、名馬の像と記念写真を撮るなど、子供のようにはしゃいでこの日の行程を終えました。

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 登山口までは、あと一日。ようやく目の前に幌尻岳が見えてきました。

投稿時間:15:10 | カテゴリ:今週のゆかいな仲間たち(2014) | 固定リンク


2014年09月22日 (月)

今週のヨーキ(9/15~9/21 羊蹄山-北海道歩き)

9/15(月) 「水の量」

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 今日は長万部(おしゃまんべ)という町まで、海を眺めながら歩く。
 海沿いの国道をすごいスピードで通り抜けるトラックなどにビビりながら。

 故郷が北海道と言っても今回の旅で初めて歩く道ばかりで、その日の目的地までの間にある情報は手持ちの地図にのっている情報のみだ。そんな感じなので、これまでにも店が一軒もなくて、食料に困ったこともあった。

 事前にリサーチしなさすぎるのもよくないが、山ではない舗装路を1日中歩くときなどは、場当たりな感じが楽しいので、あまり下調べをせずに毎回歩いている。北海道は他県よりもかなり大きいので、町は少なく、町と町の間も長い。
 今日まで歩いてきたところは比較的大きな町の近くを通過してきたので、「なんにもないなぁ」という実感はそれほどないが、今日からは地図を見てもそれが分かる感じだ。

 予想通り宿泊地の町を出てからコンビニなどの店はおろか、自販機すら見当たらない道が続いた。
 店はなくても自販機さえあれば、日中だけなら何とかなるのだが…半日歩いて見当たらなかった。

 無い可能性が予想できていたので、出発時の水の量を昨日までの倍にした。歩きながら自販機が無いな…と思いつつ、ふと、以前応援に来てくれた方から山に登るときに、最初に持つ水の量に悩むという質問を受けた。
 その場ではいつも自分の判断してきた基準を簡単に話したが、改めて考え直してみた。

 僕の場合だが、まず山に登る前に確認することは、山地図からの情報や最新の情報確認をする。出発から下山までのコースタイム、標高差、急登なのか、樹林帯なのか、岩場なのか、山小屋の数や営業小屋か無人小屋か、水場の数やその水場は季節に影響されるのか、水質は煮沸が必要なレベルなのか、などの情報を確認した後、わからないことがあれば、自治体に問い合わせをして最新の情報を確認する。
 そして、当日持参する装備などを考えながら準備をする。
 当日の天候や気温、自分の行動予定時間や経験や知識、体質などが準備する装備の選択に大きく影響する。

 僕はトレイルランのようなスタイルで山を登ることもあるが、山を走ることよりも走らずに早く登るスピード登山が好きなので、行動予定時間はほとんどコースタイムの3分の1から半分くらいに設定している。したがって荷物は必要最低限のもの(ヘッドライト、予備電池、ファーストエイド、サバイバルブランケット、レインウェア上下、地図、筆記用具、コンパス高度計つき腕時計、着替えのインナーシャツ、携帯電話、予備バッテリー、食料、水分、リカバリーサプリメント、財布など。天候や季節、行程によってはシュラフカバーやツエルト、防寒着なども持つ)しか持たない。様々な判断材料から持っていくものを選択して持参している。

 また、山は都市部と違いトラブルが発生する確率が高く、発生した場合の解決までの時間が長くなる。したがって、小さな判断ミスから大きなリスクは簡単に生まれてしまうので、装備の判断も慎重にしなくてはならない。どんなに適切な装備を持ったとしても自然相手のことなので、必ずリスクは発生する。しかし、リスクを最小限に抑え、かつ起こさないようにする努力はできる。
 山に登る前に考えられるリスクをイメージして、その時の自分の心身の状態や季節や天候、気温、これから登る山の情報、持参していく荷物などと照らし合わせて、一番注意しなくてはいけないことを把握しておくだけでも、リスクを減らすことが出来るし大切なことだと思う。
 シーカヤックで海へ出るときもフィールドは違うが、考える判断材料は同じだ。

 前置きが長くなったがこうしたことからその日、持っていく水の量を決めていけばいいが、初めて登山をする人やまだまだ経験の浅い人には具体的に何リットル持てばいいのか想像がつきにくいと思う。

 僕の場合はペースが早かったり、体質的に代謝が良く汗をかきやすいので、基本的には人よりも多く持つ。
 今の旅に当てはめると、登山口を出発するときは2リットル近く持っている。しかし、途中で一ヶ所でも水場があれば、その量は減らしている。その時にどのくらい減らすかは、ペースや気温、体調、水場までの時間などを考慮して決める。

 このとき大切にしているのは、途中の出発からの経過時間だ。
 自分が今どのくらいのペースで登り、体の状態はどうなのか、このままのペースを維持できるのか、落とした方がいいのかなどを考えて、補給できる水場までの時間を計算する。
 それにより、1回に飲む量や回数なども考える。全く水場の無い山は、より慎重に水分コントロールをしている。あまり汗をかかないように、こまめなウエアリングをしたり、ペースコントロールをしたりする。
 また、行動食も水分が必要なものはあまり持たないようにする工夫も必要だと思う。

 多くの人はどうしても心配になり、多く持ってしまうことがあるが、無くなってしまうよりは多く持った方がいい。
 しかし、持ちすぎることで、荷物が重くなり、体力の消耗を激しくしてしまっている人をよく見かける。これは、水以外の装備も同じことが言えるだろう。
 水は減らそうと思えば減らすことのできるものだが、必要がないのに持ってきてしまったものは減らすことができないので、結局最初から最後まで背負い続けなくてはいけない。

 前回の登山で得た経験や発見を次に活かすためにも、最初にあげた判断材料からその時に登る山のイメージができない場合には、毎回の登山の記録をつけるといい。
 登った山の名前からルート、コースタイムと実際の行動時間、装備の内容、季節や天候、必要のなかった装備やあったらよかったもの、水場の数と背負った水量や下山時に残った水量など、簡単に書き留めておくと、たとえ初めての山であっても、次回登山にいく時の参考になる。そうすることで段々と記録を取らなくても、イメージが出来やすくなってくると思う。
 水の量は下山時に500ミリリットル位残っていると適切だったなと僕は安心する。

 こんなことを考えながら、日暮れ前に長万部の町に着いた。

 



9/16(火) 「なーんにも無い日」

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 今日は大きな峠を二つ越えて、大きな噴火湾の一番北に位置する豊浦まで歩く。
 長万部から豊浦までは約40キロの道のり。間に目立った町はない。パタゴニアを思い出すような海岸線の景色の中、海からの風で流れていく雲と、その下に広がる牧草地を眺めながら黙々と歩いた。

 北海道は道がまっすぐで、遠く1キロ先まで見渡すことができるため、大体の距離感がついてきた。
 自分の歩くペースが早くなったのかもしれないが、意外と1キロの感覚が短く感じている。これは長い北海道を歩くのにいい感覚だと感じていた。
 目立って景色に変化がないのが北海道のいいところでもあるが、今日はあまりに何も無さすぎて、歩きながら何かしら発見が無いかと目を向けるが、本当になーんにも無い日だった。

 そのためか人との出会いがいつもよりも恋しく、出会えたときは嬉しかった。これもまた、どーんと広がった北海道の自然がそう感じさせてくれているのだろう。
 明日は北海道1座目の羊蹄山に登る。

 北海道が故郷だが、羊蹄山に登るのは初めてだ。どんな山か楽しみだ。

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9/17(水) 「北海道一座目羊蹄山」

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 津軽海峡を横断し北海道入りしてから5日目、予定では羊蹄山に登る。

 しかし、昨晩から北海道上空には今年一番の寒気が流れ込んでいて、早朝から不安定な天候となっている。
 昨日よりも10度は違うんじゃないかというくらい、豊浦の朝は冷え込んでいた。道南は比較的天気はいいと天気予報は出ていたが、実際の空模様はそんな感じではなかった。

 津軽海峡を渡ってから羊蹄山までの240キロの道のりも、残り30キロ、今日は登山口までの30キロを先ずは歩かなくてはいけない。その先に北海道一座目の羊蹄山が待っている。

 羊蹄山の麓の町、真狩村までの静かな道を歩く。冷たい雨が降ったり止んだりを繰り返した。日差しが出たり隠れたり、いっこうに天気が安定しない。
 10時半、真狩に到着。目の前に山頂だけ雲を被った羊蹄山がそびえていた。久しぶりに見る羊蹄山はでっかいなぁ…という印象だった。

 真狩のコンビニで早めの昼御飯を食べてエネルギーをしっかり蓄えてから、3キロ先の登山口に向かった。未だに天気は安定せずに、断続的に雨が降ったり止んだりを繰り返した。雲に隠れている山頂は見るからに寒そうだ。
 決してベストな条件ではなかったが、登れないわけではなかった。最も注意しておきたい雷は発生してはいないのと、コースタイムと今日の自分の体調を考えると、日暮れ前に十分に下山できるスケジュールだった。
 それと昨日の大雪山の初冠雪が自分の背中を押した気がする。

 予定の時間よりも若干遅れて真狩の登山口を出発、登山口には近くの町から駆けつけてくれた方々がいて、暖かく声援を送ってくれた。
 朝から降っている雨の影響で、登山道は五合目位まで滑りやすい状態が続いた。
 北海道の長い舗装路歩きを考えて、今まで使っていた靴よりも少しロード向きの靴を履いていたため、下山するまで撮影スタッフよりも多く滑り、転けた気がする。トレッキングポールがなかったら、もっと転けていたかもしれない。

 真狩コースは、コースタイムが5時間なのだが、序盤から長いつづら登りが続き、思った以上に距離が長く感じた。
 六合目辺りから洞爺湖方面が見えたが、晴れていればもっときれいなんだろうな、と思いながら、今日は確実に北海道一座目を登り、下山することに集中した。八合目からは完全に雲の中に入ってしまった。

 午後2時に山頂の火口に到着し、そこから真っ白な雲の中を火口を半周、出発から2時間で羊蹄山山頂に登頂した。
 山頂に着くとこんな条件にも関わらず、僕に会うために登って、山頂で待っていた方がいた。

 普通なら登らないような条件で、山頂は軽く雪が降るくらいの気温の中、2時間以上待っていたと聞いた時は、正直、素直に喜べない自分がいた。
 身勝手かもしれないが僕は旅の流れの中で登り、今日のように午後から登ることや天候が悪い中でも登ってきた。そうなると山頂での滞在は必然的に短くなり、体にかかる負担は少ないが、山頂まで会いに来る方は違う。
 今までも、何百人という方が山頂で会うために待っていた。時には半日以上待ったという方も少なくなかった。
 その度に感謝と謝罪の気持ちで一杯になった。

 今までは天候があまり悪くない時の方が多かったので、結果的に待たせてしまってもそれほどリスクは高くなかったと思う。東北に入ってからは雨天の日が多く、山頂はすでに秋を感じる寒さだった。
 こんな日に登るのは自分くらいだろうと思っていた日でも、大勢ではないが,山頂や途中の登山道で応援に来てくれた人達と出会った。
その度に驚き、複雑な気持ちが生まれていた。
 自分が登ることで、他の人にもリスクを負わせてしまっているのではないかと…。そういう気持ちの時は、自分のことよりも、会いに来た方々が無事に下山したかどうかが気になってしまった。

 これは、山だけに限らず、すべての場所で同じ気持ちを持っている。
 車やバイクで会いに来た方、山で会う方全ての方に対して、別れ際に「ありがとうございます。お気をつけて!」と言ってきた。感謝の気持ちと無事を祈る気持ちが強いためだ。

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 僕も悪天候で登るときのリスクが高いことは分かっている。自分の判断に責任を持って今まで登ってきた。今回ももちろん同じだった。
 会いに来てくださる方々も自分の意思と判断、責任で登っていると思うが、登りに来る動機はもちろん僕にある。これからの北海道の山は,今まで登ってきた山よりも寒さや環境が厳しくなってくる。当然のように夏山よりもリスクは高くなり、判断もシビアになってくるだろう。
 山頂で会いたいという思いは凄くありがたく,うれしいことではあるが、どうか適切な判断で行動をしていただきたいと切に願う。
 羊蹄山での一幕はとても複雑な気持ちになり、登りに来るかもしれない方々のことを考え、なるべく条件のいい日に登った方がいいのではと真剣に考えることになった。

 山頂で会った方々はとても喜び、惜しみ無い声援を送ってくれた。素直に感謝をしたが、先に下山を始めたときには、2時間以上も待たせてしまい、わずかな時間しか話すことが出来ずにすいません、どうか無事に下山してくださいと願っていた。大雪山系や利尻岳はどうなるか不安にかられた。

 喜茂別コースは風下側のため、穏やかだった。
 そして、真狩コースよりも紅葉が進み、ナナカマドが雲がかかった霧の中で赤く染まっていた。羊蹄山がすべて色づくのも今年は早いかもしれない。1時間半ほどで下山した。雨はすっかり止み、雲の隙間から夕日が指していた。

 今日の宿まではあと10キロ。中学校の修学旅行やスキーオリエンテーリングなどの思い出がつまったルスツリゾートが今日の宿になった。ルスツリゾートで働いている方との縁で、リゾートホテルに泊まることができた。
 その方との縁に感謝しながら走った。
 最後は日が暮れてしまい、どしゃ降り雨の中、ルスツリゾートに着いた。御飯!お風呂!!といいイメージを活力に走ってきた。
 久しぶりに高級感漂うベットで寝たときは、1週間くらい滞在したい気持ちになった。

 こうして、日の出から日暮れまでみっちり動き続けた、北海道1座目の羊蹄山が無事に終わった。次は200キロ先の幌尻岳だ!!



 



9/18(木) 「快適空間の誘惑に負けて…」

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 朝6時、窓の外はどんよりとした雲と見るからに冷たい雨が降っていた。
 快適なルスツリゾートのベットが「起きなくては…」と思う僕をなかなか解放してくれない。

 外はどしゃ降りの冷たい雨、誘惑に負けて…休養、と頭を一瞬よぎったが「大雪山が初冠雪したぞー今年の冬は早いぞー」と自分に言い聞かせて立ち上がった。

 でも、体は気持ちに便乗してくれなかった。
 取り敢えず朝食を食べながらよーく考えようと思い、朝食を食べた。

 気持ちは変わらなかったが一応レストランを出ると…雨は強さを増していた。
 今までもこんな日でも元気よく歩いたぞ!と言い聞かせて部屋へ。いつもよりも準備が進まないのは分かっていたが、取り敢えず出てしまえば体は雨の中でも動き出してくれるだろうと信じて、一先ずチェックアウトした。

 さぁ行こうかといつもより重くなった腰を浮かせて、歩き出したときに電話が鳴った。今回、ルスツリゾートに泊まることができた恩人の方からだった。
 お礼を伝えてさぁ行こうかと思っていたが、天気が悪くて寒いことを伝えると、即答で「もう一泊して休んでいったら?」とありがたいお言葉を頂いた。
 行かなきゃと思っていた気持ちがフッと消えて、さっきまで「休みたいなぁ」という気持ちを押さえていたのが、解放されて一気に「休もう!」という気持ちに変わった。恩人の方の絶妙なタイミングでの電話と言葉に感謝した。

 振り返れば岩手県盛岡で休んでから、2週間が経っていた。いいタイミングで休むことができて本当によかったと心底思った。
 念のため、準備もしたので外の状況を確認した。予想通り気温は低く、冷たい雨が降って、昨日よりも安定しない天気だった。
 こうして、北海道最初の休養は突然やって来た。気持ちのいいベットは最高だった。

 明日は天気が回復するので、66キロの長丁場だが、快調に歩けそうだ!!


 



9/19(金) 「緊張の連続」

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 朝4時半に目が覚めた。体がスッキリしないので、浴室で熱いシャワーを浴び、まだ内臓が動いてくれていなかったが、コンビニで買ってきた朝食をゆっくり食べた。
 出発予定が朝6時だったが、朝食をゆっくりとったので6時半となった。東の空が眩しいくらいに晴れていた。

 今日は支笏湖温泉までの66キロの道のりだ。
 大きな峠を二つ越えるので、今までのような海沿いの平坦な道のりとは訳が違う。また、札幌や小樽方面と苫小牧を結ぶ国道のため、トラックなど大型車の交通量が多く、安心してのんびり歩くという感じにはならなそうだ。

 予想通り、朝一から国道を行き交う車は多く、信号がほとんど無いので、国道はあたかも高速道路のようだった。横を通り過ぎるトラックなどの風圧に耐えながら歩き、走った。
 日没前に着くには、歩くだけでは着かないので、午前中から少しずつ走った。前日に休んだおかげで、予想以上に登りも下りも走ることができた。改めて体を休める大切さを知った。

 支笏湖温泉までの間は、山越えのため町はなく、唯一あるのは大滝村の道の駅だけだ。
 道の駅に隣接するきのこレストランは、以前車で通った時から気になっていたので、今日はそこで昼食をとることを決めていた。午前11時半にきのこレストランに到着、ようやく出発から張りつめていた緊張を緩めることができた。
 休日ではないのに、きのこレストランはたくさんの人でにぎわっていた。

 30分ほど休憩して、再び行き交う車に怯える時間に戻った。早速、猛スピードで通りすぎるトラックの風にあおられた。今までは気づかなかったが、こうして北海道の道を歩いてみると、特に郊外は歩行者に優しくない道が多いと感じた。
 車道は広いが路肩は狭く、歩きにくい。そしてほとんどの車が平然と速度を落とさず、歩行者の脇を通りすぎていく。
 都市部以外はほとんど歩行者のいない幹線道路に、歩道をつけてほしいとは思わないが、せめて、歩行者や自転車が安心して歩ける幅の路肩はつくってほしいと強く思っている。

 結局、道の駅から先は、残りの距離や危険な国道を早く抜けるために走った。
 午後2時半にようやく安心して歩ける支笏湖湖畔の広い歩道に合流して、緊張していた体の力も少し抜け、大丈夫だとわかっているのだが、条件反射的に大型車が凄い音をたてて通過すると体が強ばった。
 その緊張も徐々に落ち着いたが、北海道に入ってから、思い描いていたような壮大な景色を見ながら気持ちよく歩くとは程遠い感じだった。

 先週の大雨の影響が残る支笏湖を回り、日暮れと同時に支笏湖温泉に着いた。休み明けで快調に歩けたが、思った以上に体は疲労していた。

 明日は久しぶりの70キロを越える移動となる。よーき大移動だ!


 



9/20(土) 「70キロ!?」

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 今日から9月も下旬に入る。予定では1ヶ月後利尻島に上陸している頃だ。

 旅も残り1ヶ月、ひろーい北海道もあっという間に過ぎてしまうのだろうか。
 支笏湖温泉を朝6時半に出発、3組の方が朝から宿まで応援に駆けつけてくれた。世間はシルバーウィークで連休のようだ。
 今日は支笏湖温泉から日高富川までの約70キロの道のり、西日本以来の封印していた距離だ。景色の変化も大きくなる。

 支笏湖から南下して、北海道の海の玄関口苫小牧を通過、海岸線を東に約30キロの移動となる。苫小牧の工業地帯から日高地方にある、競走馬の聖地へと移動していく。

 支笏湖温泉を出てすぐに、苫小牧市内まで続くサイクリングロードを見つけた。
 朝から20キロ以上も狭い道を歩くのかぁ…と少し不安だったが、車を気にすることなく歩けるサイクリングロードは心身ともにかなり助かった。歩く環境は最高だったが、なかなか体が起きず、結局、苫小牧市内には11時に着いた。
 後半のことを考えると、10時には着きたかったが、なかなかそう簡単にはいかないようだ。
 苫小牧から目的地まではまだ45キロ以上も残っている。
 昼食を食べて少し休んだら、体が大分動くようになった。時刻はすでに12時半、かなりペースをあげる必要があったため、タイミングよく体が起きてくれて良かった。
 また、苫小牧を出てすぐのところで、職場のラフティングクラブに毎年遊びに来てくれる常連のお客様が、仕事と休みのタイミングを合わせて北海道まで会いに来てくれた!久しぶりの再会でスゴく驚き、パワーをもらうことができた。
 応援に来ていただける方の中でも、とくに家族や友人、仲間などは僕にとってのパワースポットになっている。とても強い追い風を受けることができて、午後はほぼ走り続けることができた。

 夕方に日高町内に入り、屋久島を出発した頃はまだ田んぼを耕していたのが、この旅で初めて稲刈りをしている風景を見て、季節が過ぎる早さと、自分が長い距離をあっという間に歩いてきたんだなぁと実感した。
 北海道は米だけでなく色んな作物が収穫の時期を迎えている。大きな機械であっという間に刈り取られる稲をみて、新米を食べたくなった。新米と出会うのはいつになるだろう。

 6時半に予想以上の早さで宿に到着した。一瞬、本当に70キロあったのかな…と思ったが、地図をみて距離を計算するとちゃんと70キロだった。
 さぁこのままお風呂に入って、夕食を食べて寝ようと思っていたが、実は宿につく前に思いがけない出会いがあった。

 地元の方が自転車に乗って会いに来てくれて、走りながら町まで話をする機会があり、その話の中で出張マッサージを探していると相談した。
 すると、「富川の町にはいないが、自分は整体の資格を持っているので、よければマッサージしましょうか?」という夢にも思っていなかった申し出を頂いた。
 ほぼ即答で是非ともお願いしますと申し込んだ、という経緯があり、宿に着いたあと、まさかのプロの方からの念入りなマッサージを受けることができた。70キロを歩いた日に、これ以上無いタイミングの出会いに感謝して、マッサージを受けながら爆睡した。
今日という日に感謝だ。

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9/21(日) 「予定になかった1日」

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 今日は直前の幌尻岳までのルート変更により、増えてしまった距離40キロ分を歩く。

 日高富川から名馬が多く誕生している新冠を目指す。昨日の70キロの約半分という感じなので、比較的楽な1日になりそうだなーと久しぶりに能天気に考えていた。
 天気は昨日よりもさらによくなり、場所によっては夏日になるくらい暖かかった。この天気で大雪山に積もった雪が溶けてくれることを願った。

 週末で、さらに日高から先は高速道路がなくなるため、唯一の国道はかなり混んでいた。のんびり歩くのは今日も難しそうだ。時々、海岸線まで出てみたりしながら、サラブレッド銀座と呼ばれる新冠を目指した。

 予定では5時に着くはずだったが、結局最後は走って帳尻合わせ、午後6時に宿に着いた。
 明日から2日間山に入るので、食料などで荷物がかなり増えた。
 実家と同じログハウスのカワイイ宿は居心地がよく快適に過ごすことができた。宿のご夫婦が実はこの旅のことを知っていた方だったので、ルート変更でまさかの宿泊に凄く喜んでくれた。

 山の情報をしっかりと教えてもらったり、日高の歴史なども聞くことができたりで、回り道ではあったが、いい1日となった。
 明後日にはいよいよ幌尻岳に登る。しかし、その前に明日の登山口までの70キロの道のりが待っている。
 さぁ、北海道一山深い幌尻岳はどんな風な姿を見せてくれるだろう。

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2014年09月16日 (火)

今週のヨーキ(9/8~9/14 八甲田山~)

9/8(月) 「90座」(八甲田山)

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 今日は約40キロの長い舗装路歩きの後、節目の90座目、八甲田山に登る。
 岩手山を登ってから、比較的天気に恵まれているためか、あっという間にここまで来た感じがしていた。

 今日の十和田湖は昨日以上に静かで、気温が低く何だかはりつめた印象だ。
 大学時代に合宿で十和田湖を訪れた時から、丸9年が経っていた。
 記憶の片隅にある奥入瀬渓流を通って、八甲田山に向かう。
 十和田湖から緩やかに下る奥入瀬渓流は、軽く走りながら森林浴を楽しむにはちょうどよかった。

 1時間ほど走り、途中の休憩所で早めのランチにした。
 朝御飯がおにぎり2つだったのでお腹が空いてしまったのもあったが、3キロ先から店がなくなり、八甲田山まで長い登りになるので、補給する必要があった。
 お腹が満たされたところで再出発。食べた直後に走れるかな…と思っていたが、今日は予想以上に体が動いてくれた。
 前日に長時間走ったにも関わらず、珍しく翌日も快調であった。自分の体のなかで何が起こっているのだろうか。

 奥入瀬渓流を抜け、登山口到着予定の2時に向けて、ひたすら急坂を登り続けた。
 途中、弘前市で子供たちに剣道を教えているという御夫婦が、うれしいメッセージを書いた大きな模造紙を車に張り付けて登場したり、八戸や青森市などから今日も多くの人が会いに来てくれた。

 予定より10分ほど遅れて、登山口となる酸ヶ湯に着くと、多くの人が出迎えてくれ、皆さんいい笑顔で拍手と声援を送ってくれた。登る前の力になった。
 登山口で軽く補給をして、20分に出発。山頂には遅い時間にも関わらず、僕に会うために登っている方がいると教えてもらったので、なるべく早く登頂する気で駆け足で登った。僕が急げば、待っていてくれる方に早く会えて、焦らずに下山してもらうことができる。
 もちろん、ペースを上げながらも、できる範囲で景色を楽しんだり、写真を撮ったり、色々と五感を使って山を感じている。トレーニングの時のような速さでも、考え方や心の状態は全然違う。

 初めて八甲田山に登ったが、登山道の保護のために麻かヤシの毛のようなものを長い土嚢のようにして、登山道が雨水などが流れて削らないようにしているようだった。少しふかふかしているので、膝に優しい感じだ。
 そんな気づきもありつつ、硫黄の臭いが立ち込める谷を抜けると、今日2度目の雨が降り始めた。
 うわぁ…また、山頂が雲に隠れてしまう!と悔しがりながらも先を急いだ。

 山頂までの急登を一気に上がると、7名ほどの登山者がいて、僕が着くと皆さんから拍手とおめでとうございます!という言葉を頂いた。会いに来てくれた方の中には、知り合いもいて思わず笑みがこぼれた。
 山頂からの景色を諦めていたが、到着したあと徐々に天気が回復して、節目の90座目の登頂を自然もよくここまで来たなと祝ってくれているようだった。

 残り10座、ゴールを意識する数となって、何かしら今までの山とは違うものを感じるかと思っていたが、何も特別なことは感じず、いつもと変わらない心境だった。
 ただ言えるのは、山頂から諦めていた八甲田の山々、自然を一望することができて、自然に強く感謝した。
 長い舗装路から、午後の遅い時間にも無事に登頂できて一安心、もう少し雲の切れ間から見える西日を眺めていたい気持ちもあったが、明日からもまだまだ旅は続くので、遅くならないように、宿泊先の酸ヶ湯へ下山した。

 次は東北最後で本州最後の岩木山となる。登頂した時、どんなことを感じるだろうか…。そんなことを考えながら、名湯の酸ヶ湯で1日の疲れをとることにした。




 



9月9日(火) 「地上波に生出演」

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 昨日、八甲田山に登っているときに、「明日の夕方のゆうどきネットワークという番組内で、旅の紹介をする事になったから、是非電話での生出演をしてくれないか」という打診があった。
 12分間の旅の映像のあとに、3分間のインタビューを受けるという内容だ。これまで何度かラジオの電話出演はあったが、テレビは初めて、時間は3分間しかなく分かりやすく完結な内容が要求される。ラジオでも10分がスゴく短く感じたのに、3分間はあっという間だろう。
質問の内容は少ないが、この旅はそう簡単に伝えるのは難しいな…と自分の中で旅を振り替える必要があった。

 少し緊張と不安はあったが、難しく考えても仕方ないとそんなに考え込まず、端的に完結に分かりやすく…だけどストレートに話そうと最終的には思った。落ち着いた所で話ができたらと思っていたので、出演前に宿に着こうと、弘前市内に入ってからは走り続けた。

 ギリギリの5時半すぎに宿に着いたが、宿までの上り坂を急いで走ってきたので全身汗だく。息は切れてしまい、ゆっくり落ち着いていられない状況ではあった。
 しかし、あまりに汗が吹き出してくるので、1分でシャワーを浴びてさっぱりして、出演3分前にようやく落ち着くことができた。
 3分はあっという間で、質問の内容を頭に入れつつ、電話の向こうから聞こえてくるアナウンサーの方の声に反応して、こんにちわ!初めまして!と返事をした。
 我ながら比較的いい感じで話せたと思ったが…時間のことがすっかり頭から抜けていて、話しきる前にアナウンサーからの突然の「ありがとうございました!この先も頑張って下さい」という言葉が降ってきて、慌ててありがとうございました、と返した。生出演は突然終了してしまったように思えた。

 あまりの慌てた感じの終わり方に、思わず笑ってしまったが、他の場所でテレビを見ていたディレクターが戻ってきて、良かったんじゃない?と言ってくれて、ホッとした。
 僕はテレビを見ずに電話に集中していたが、テレビでは、最後の時間を気にして少し慌ててる感じがスタジオの方にも出ていたようだ。時間通りに話すのは話したいことが多いだけに、難しいと感じた。
 だが、地上波に生出演できて、この旅が自分の知らないところでもどんどん広がっていることを実感する一時だった。
 明日は久しぶりに朝から登山が始まる。

 



9月10日(水) 「本州最終座と雷」(岩木山)

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 今日で91座目。四国から本州に渡って4ヶ月。本州だけで、82座登った。これから登る岩木山で本州最後の百名山となる。
 朝はきれいに晴れて、スッキリと岩木山神社の鳥居の間から山頂が見えた。コースタイムでは4時間半、予定では2時間で登り、9時半には登頂を狙っていた。
 理由は午後から天候が崩れて雷雨になる予報が出ていたからだ。

 宿を出発すると,以前お会いした、地元で剣道を教えている方が教え子の家族を連れて会いに来てくれていた。
 子供たちは通学前にも関わらず、道着に着替えてくれていて、来てくれた方々の熱い思いを感じて、朝から励みになった。
 短い間だが熱い視線を感じながら、岩木山の登山口に向かった。

 岩木山神社で、登らせていただく前のごあいさつをしてから、登り始めた。
 標高1000メートル位までは樹林帯の中を進んで、鳥海山と岩木山の鞍部に出るまでは急な沢の中を登っていった。
 途中には清水とは言えないほどの豊富な量の湧き水があり、ラストスパート前にしっかりと喉を潤すことができた。
 とても冷たくて美味しかった。暑さで少しバテていたが、この水のおかげで回復し山頂まで一気に駆け上がった。

 また岩木山は修験者の行場にもなっており、この清水は修験者の方にとってもありがたい存在なんだろう。
 その後予報よりも早く山頂付近が厚い雲に覆われ始め、天候が崩れるのが早いかもしれないと予測した。

 山頂は予想通り気温が低く、風が冷たかった。そんな条件の中数名の方が山頂で待ってくれていて、拍手とおめでとうという言葉を頂き、ありがとうという気持ちで一杯になった。
 短い間だが、写真撮影などをして、天候のことがあるので早めに下山を開始。下山前に岩木山の奥社にお礼をしてから、赤倉コースに向かった。

 下山を始めてから30分位で遠くから聞こえていた雷がだいぶん近くなっていることを感じて、下山のペースを早めたが、あっという間に雨が降りだし、風も吹き始めた。
 尾根を歩いていたので、少しでも低いところにと思い、姿勢を低くしながら歩き続けたが、雨が激しさを増して、雷の音が真上に感じた瞬間!左斜め前方のすぐそばに雷が落ちて、撮影スタッフ含め全員が、直後の強烈な雷鳴と地響きで茂みの中に倒れ込むように、隠れた。この旅で初めて,全員が身の危険を本気で感じた瞬間だった。

 雨はさらに強くなり、雷が自分達の真上に居座り続けた。荷物やストックを投げ捨て、体ひとつで茂みの中に身を潜めてた。
雷は何度となく鳴り響き、光り続けた。

 一番近くに落ちたときは、あまりの衝撃と恐怖から,強く握りしめた手が勝手に震え出した。
 あまりの恐怖から見上げることができず、祈るような思いで身を縮めた。

 延々と続きそうだった雷雨は,30分ほどで過ぎ去ったが、その30分は生きた心地が全くしなかった。
 今回は、はじめて全員がヤバイと感じて、同じように自分達に落ちないことを祈った。

 雨が止んで辺りが明るくなったことを確認してから逃げるように下山した。
 下山口に到着して緊張から解き放たれると、極度の緊張からか疲れがどっとでて、しばらくは動けなかった。

 山で一番遭遇したくないものは雷と誰もが答えると思う。
 今回、初めて至近距離で雷と遭遇してしまい、改めてその恐怖と二度と体験したくないと強烈に感じた。
 岩木山は雷によってより強く記憶に刻まれることになった。

 宿へ向かう道すがら、振り返ると、夕陽を浴びたおだやかな岩木山があの恐怖を和らげてくれるように美しく見えた。

 



9月11日(木) 「見えたぞ北海道!」

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 今日で本州最終日となる。
 屋久島を出発して5ヶ月と11日、約6300キロを歩き、走り、登り、下り、漕いで来た。
 明日、津軽海峡を渡れば、いよいよ待ちに待った北海道に上陸する。
 今日1日は、旅の中で記憶にも記録にもしっかりと刻まれる日になりそうだ。

 宿を8時過ぎに出て、昼前には日本海まで来た。その後一度峠越えをして、再び日本海に出たところで約6ヶ月ぶりに両親と再会した。実家のある富良野市から津軽海峡横断に必要なシーカヤックを届けるために海を越えて、青森まで来てくれていた。

 母を訪ねて三千里ではないが、今までの休暇に里帰りするのとは、全く違う再開となった。当たり前だが両親の顔を見ると、自然と安心できた。それほど深くは話さなかったが、二人の笑顔が今までとは少し違って見えた気がする。
 再会した場所が道の駅だったので、久しぶりに一緒に食事をしてから、両親は先に竜飛岬に向かい、僕も後を追うように海岸線の道を走って、竜飛岬に向かった。

 竜飛岬の手前には本州最後の長い峠越えの道があり、そこを越えると、眼下に竜飛岬と津軽海峡と北海道を見渡すことができた。気持ちが早く竜飛岬に着きたいと動いたため、残り8キロの下りは一気に走り下りた!

 峠から30分位で竜飛岬の近くまでつき、日本で唯一無二の階段国道を記念に歩き、4時40分に竜飛岬に到着。
 本州、東北ラストランは夕陽を浴びる穏やかな津軽海峡を眺めて終わった。

 宿で再び両親と合流して、軽くシーカヤックを漕いで試運転をした。夕暮れには明日対岸で待つために早朝のフェリーに乗る両親を見送って、宿に入った。

 振り返れば東北もあっという間だったが、短いと感じながらも確かな日々を過ごしてきた。
 さぁ、気持ちはすでに北海道に向かっている。津軽海峡は明日どんな顔を見せてくれるだろうか。


 



9月12日(金) 「不安と緊張の3時間半」

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 朝、4時半夜が明ける前に起床。いよいよ本州から離れる日がやって来た。
 東北に入ってから1ヶ月、天候に恵まれない日が多かったが、大きなトラブルやケガもなく、青森県竜飛岬まで来れたことにまずは感謝した。
 窓から外を見ると真っ暗だったが、波は静かな音を立てていた。バタバタと準備をする。
 緊張からか、気持ちが落ちつかない。
 夜が明けて間もない5時半に宿を出発、東の空は晴れて気持ちのいい朝日が見えた。
 だが、西の空は夜のようなどす黒い雲に覆われて、雷の音が聞こえた。

 津軽海峡を渡るのは初めて、もちろん誰でも初めては緊張するものだが、もしかすると大隅海峡を横断するときよりも不安や緊張は大きかったかもしれない。
 不安と緊張が高ぶる中、出発の時間が刻一刻と近づく。
 久しぶりのカヤックに準備がもたつき、予定より30分遅れで出発した。
 昨日、竜飛岬に着いたときに出ていた岬から巻き込む潮は無くなっていた。

 運よく今日の満潮が6時40分頃だったので、潮止まりのタイミングで出発出来たのが幸いしたのかもしれない。
 岬から出ると少しだけ波が出たが、予報の1メートルには満たない程度だった。風向きは西から弱く3メートルといった感じだろうか。波やうねりも西からだった。
 津軽海峡は日本海からの潮が太平洋側へと基本的に抜ける潮流となっているので、あまりに海が荒れて風が強くなると、あっという間に東に流されてしまうのだが、今日はその可能性は低い感じだった。

 最初の30分ほどは上空の雲の動きや風向き、日本海からのタンカーやフェリーの場所、マグロ漁船の場所や移動方向などを絶え間なく気にしながら、体が慣れるまで、あまり力を入れずに漕いだ。
 しばらくすると、対岸で北海道が全く見えなくなるほどの雨が着岸予定である福島町の方で雷鳴をあげながら降り出していた。すると、進行方向に散らばっていた20隻ほどのマグロ漁船がその雷雲から逃げるように、一斉に南西の日本海へ動き出した。

 マグロ漁の盛んな津軽海峡は船が縦横無尽に動くので、波や風よりも船との接触に注意をしなくてはいけなかった。常に360度の船の位置を監察しながら漕ぐ時間が続いた。

 かなり至近距離にならないと船から僕を発見することはかなり難しいので「漁船からは見えてるだろう」などと思っては絶対に危険であり、早め早めに自分の視界に入る船の進行方向や停滞しているのか、ゆっくり進んでいるのか、スピードをあげているのか、旋回するのかなどを予測して判断し、行動を起こさなくてはいけない。そんな時間が2時間ほど続いた。

 今回、使ったカヤックはかなり船脚が早かったため予想以上に早く、2時間ほどで前半の直線距離にして24キロ、海峡の一番潮の流れが早い部分を乗り切ることができた。
 波は海峡の真ん中まで来ると、風の影響ではなく潮流と台風の影響による太平洋からのうねりがぶつかり、色んな方向から三角波が発生しており、不安定な波のなか、常に辺りを監察しなくてはならず、かなりの集中力が要求された。

 そうこうしているうちに、マグロ漁船はすべて進行方向からいなくなり、大きな雷雲は函館の方に移動していったため、対岸の福島の町が、天候の回復とともに肉眼でとらえられるようになった。
 少しの追い風追い波だったので、若干だが予定のルートよりも東側に流されていたが、渡島半島に近づくに連れて、潮の流れが弱まり、太平洋からのうねりを使って、徐々に予定のルートに戻ることができ た。
 現在地や予定のルートとの比較をするのに、今回もGPSを用いた。

 出発から2時間を過ぎたあたりから疲労が溜まり始め、徐々に漕ぐ力も弱まってしまい、速度が前半の半分くらいまで落ち、我慢の時間が続いた。
 海上は、かなり穏やかになってきてはいたが、初めての津軽海峡、完全に潮の影響を受けない漁港近くまでいかない限り油断は出来ないと、気を緩めることはしなかった。
 案の定、穏やかになったり、風向きが変わったりして、漁港直前では予想通り白神岬から巻き込む潮と太平洋から湾に沿って流れる潮がちょうど福島吉岡の漁港前でぶつかるようで、今回も漁港に近づくに連れて潮がぶつかり三角波がたち始め、徐々に潮が東から西に流れ始めた。
 見た目では今日一番の早さだった。ここぞとばかりにペースをあげて、うまく追い波も使いながら、それほど流されることなく最後の潮を渡り切ることができた。

 そこからは安心して漁港まで漕ぐことができたが、フッと気が抜けたとたんに、張りつめていた緊張が途切れて一気に疲れが吹き出した。様々なことを考えて判断しなくてはいけないのだが、今回は予想以上に早く着くことができて、自然や運に助けられたと強く感じた。
 だが、もちろん運だけでは渡ることはできない。自然相手のことだから、予測が出来ないことが多くリスクも高くなる。
 しかし、適切な判断力や観察力、集中力、決断力、行動力、実戦力、経験値、技術力、 適応能力、予測力などがあり上手く機能すれば、リスクも最大限下げることができる。あとは自然の力を借りたり、上手く利用したり出来れば、それが運と言われるものとなると考えている。
 今回はいつもと違う状況が自分自身にあったので、よりリスクを高く感じていて、それが不安や緊張として、心身に大きな負担を与えていた。それは、旅の影響で上半身の筋力がかなり落ちたことだった。
 だが、その他の部分で結果的に補うことができたし、運も味方についてくれたため、気にしていた不安要素は、それほど重要ではなかったことを知った。だが、その事があったためにいつも以上に慎重になったことは確かだ。

 1日分の体力をだった3時間半で使いきって、無事に北海道に上陸することができた。明日から最終北海道ラウンドのゴングが鳴る。


 



9月13日(土) 「最終ラウンド 北海道」

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 昨日の疲労はほぼ抜けたが、久しぶりに激しく上半身を動かしたため、わずかに筋肉痛になっていた。
 今日からこの旅最後の都道府県、北海道の旅が始まる。北海道だけで、約40日を要し、距離は1400キロを越える。数字だけでも北海道の大きさが分かる。

 故郷でもある北海道。終盤の難所と考えていた津軽海峡を無事に渡ることが出来て、肩の荷が下りたこともあり、これから歩いて進んでいくことへのワクワク感やドキドキ感、北海道に本当にたどり着けたことへの喜びがふつふつと湧いてきた。
 だが、今いる渡島半島は、実家のある富良野市から一番遠い場所、土地勘は全くない。北海道はかなり広いので、故郷であっても行ったことのない土地が多く、この先歩くのがすごく楽しみだ。

 北海道に上陸するまでは、焦りの原因ともなるのであまり気にしないようにしていたが…雪の事が気にかかり日本アルプスを抜けてからは足早に進み、みなかみ町で体調を崩してしまった。
 体調が回復してから、青森に入るまではあまり先を気にせず、体調を考えた旅を優先してきたが、実際のところ北海道が近づくに連れて無意識に焦ってしまっている。西日本の頃は時間をあまり気にせず、今よりも自由奔放に日々を過ごしてきた。

 僕自身の気持ちもそうだが、旅を続けていく中で、旅を取り巻く環境も大きく変化していったので、旅に対する僕自身の気持ちや考え方も変化してきたように思える。
 旅を楽しもうという気持ちが全面に出ていた西日本の時よりは、楽しみながらも体調やスケジュールを考えた旅、確実にゴールするための旅という意識が強くなったと思う。

 今はほとんど寄り道はしなくなった。日々、宿を出発して目的地までただひたすら歩くそんな感じだろうか。
 心境や旅に対する思いが変化し、旅を無事に終えることへの使命感や責任感が増しているが、旅を止めたい、辛い、大変だしイヤだ、という気持ちは自分でも不思議なくらい生まれてこない。
 北海道に上陸して、かなり楽になったので、北海道の大自然のようにのびのびとゴールまで歩き続けようと思う。
 さぁ、今日は北斗市までの66キロ!どんな初日になるだろう。



 



9月14日(日) 「恐ろしい北海道の道」

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 今日は昨日より少し短めの51キロ、大きな噴火湾に面した落部という町まで移動する。
 昨日までの不安定な天気も回復して、秋晴れで空気は冷たく、歩くにはちょうどいい日になりそうだ。

 お世話になった宿を出発してから、国道まで2キロとなったところで、まさかの人と遭遇した!
 アドベンチャーレース仲間の方で、今年の3月から日本の沿岸を自転車で走り続けていて、旅の序盤の島根県で一度会っていた。他の仲間から北海道を回っていることは聞いていたが、僕が北海道に渡るときにはすれ違いで青森に渡ってしまうと思っていたので、まさかの再会に驚き元気な姿を見て、嬉しくなった。
 国道に到着するまでのわずかな時間だったが、お互いの近況や旅のことなどを話した。
 手段は違っても、自分の力で旅をしている仲間に二度も会えるのはかなり幸運なことだと思った。お互いの旅の無事と東京での再会を約束し、それぞれの旅に戻った。

 国道は三連休の中日ということもあって、かなりの交通量だった。しかも、一般道なのだが高速道路かと思うほどのスピードを出す車ばかりだった。北海道の道路は道幅が広く、まっすぐで信号機も少ないので、スピードが出しやすいのだろう。
 路肩や歩道も広いが、脇を通る車の音は速度が出ているため、今まで歩いてきた地域よりかなり大きく、うるさい。歩いていなければ気がつかないことだが、北海道の雄大な景色を楽しむというような感じには残念ながらなれない感じだ。

 また、少しでも遅い車がいれば、なんのためらいもなくガンガン抜かしていく。今日だけでも何台もの車がスピードを出して、追い抜いていくのを見た。路肩は広いが道も広いので、歩行者がいてもほとんどの車は速度を落とさずに、通過していく。ちょっとの接触で取り返しのつかないことになりそうだ。客観的に見て北海道の車は都道府県の中で一番恐いと感じた。
 国道5号線は大げさかもしれないが高速道路といった感じで、そこを歩いているようなイメージをしたら、その恐ろしさが分かるかもしれない。
 

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2014年09月16日 (火)

ヨーキさん観察日記(9/8~9/14)

 

グレトラの旅も、いよいよ本州最後の県青森県に入りました。
日照時間も日に日に短くなり、肌寒くなるとともに秋の訪れを感じる今日この頃です。
そして今週はついに北海道へ上陸!さて、どんな旅になったのでしょうか!?

◆9/8(月) 早朝
 十和田湖畔を出発した陽希さんは、一路八甲田山へ。
美しさ日本一と言われる渓流、奥入瀬川のせせらぎと、純白のブナの森で目を楽しませながら
八甲田山最高峰・高岳の登山口に到着

ロード40㎞の疲れを感じさせない力強い足取りで登頂すると
「いい準備運動になりました」と満面の笑顔をたたえます。
その超人ぶりを知る我々も、終盤90座目にして改めて驚かされました。

90座目の感想を聞くと、「次の岩木山は本州最後なので、そっちで頭がいっぱいです」とひと言。
行程の長さのせいもあり、少々の中だるみ感があった東北も、いよいよ緊張感が増してきたようです。

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◆9/9(火) 移動日
八甲田山麓の酸ヶ湯から長い車道を弘前市内へ下り、そこから再び上ります。
たわわに実ったリンゴ畑を抜け、91座目岩木山麓に到着!

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◆9/10(水) いよいよ
本州最後の百名山、岩木山登山の朝を迎えました。
記念すべき一日となるこの日でしたが、グレートトラバース最大のピンチに襲われることになります。

朝、雲一つない青空の下、快調に登りたいところでしたが、起き抜けで体が動かず、思わぬ苦戦を強いられます。
途中、激しく汗をかき、立ち止まる場面も。
ペースダウンし、ようやく山頂にたどり着いた頃には、すっかり曇り空になってしまいました。
最大の危機はこの直後に訪れます。

なんと山頂でゴロゴロ鳴り始めた雷が、下山する陽希さんのすぐ近くに落ちたのです! 
見上げると、頭上すぐ近くに巨大な雷雲が滞留し、我々を射程距離に置いているではありませんか!!! 

仕方なく、陽希さんも我々も、大きな雨粒でずぶぬれになりながら、ザックを投げ捨て、藪の中に逃げ込みました。
幾度となく起こる雷鳴を耐え忍んだ30分がどれほど長かったことか。
「生きた心地がしなかった」のは陽希さんばかりではありません。
しかし、それでも撮影を続けたHカメラマンの度胸のよさには頭が下がりました。
この時の様子は第5集で!乞うご期待!

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◆9/11(木) 更に津軽平野を北上
シーカヤック出港地の竜飛崎に到着。ルート上の本州最北端でしたが、
到着の興奮よりも、次に待ち受ける津軽海峡越えへの緊張の方が勝っていたようです。
出港を翌朝に控え、準備に忙しい陽希さんでした。


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◆9/12(金)
旅の中盤からずっと気にしていた津軽海峡出港の日を迎えました。
津軽海峡は潮の流れが速く、風も強いことで知られています。
海が荒れると何日も続くことがあるため、長く停滞しなければならないかもしれないと、陽希さんもずっと恐れてきました。

ところがこの日は無風で、潮の流れも穏やかに、海は凪いでいました。
「緊張してきた」 と繰り返しながらも、6時半、一人漕ぎ出します。

上半身の筋力不足を案じてきた陽希さんでしたが、パドリングは力強く、
あっという間に流れの早い所を通過し、24㎞を3時間半で渡りきってしまいました。
海から上がると 「北海道第一歩だ!」 と声を上げ、故郷への上陸を喜んでいました。
本当にお疲れ様でした。何事もなくてよかったです!

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◆9/13(土) 北海道に上陸
北斗市への車道歩き。

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◆9/14(日) 八雲町落部まで

92座目羊蹄山はなかなか近づいてきません。
舞台は終盤に入りましたが、この先にはまだまだ長い道のりが待ち受けています。

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2014年09月09日 (火)

今週のヨーキ(9/1~9/7 早池峰山-八幡平)

9/1(月) 「思い」

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 今日から9月に入ります。
 この旅も出発してから振り返れば、5ヶ月が過ぎました。移動距離は6,000キロになろうとしてます。
 今日は早池峰山への移動歩行2日目。距離はちょっと短くなって56キロになります。
 朝から秋晴れで、気持ちがいい中を岩手県に向けて歩きます!

 道端の狭い国道107号を歩いていると、今日も多くの方々が応援に駆けつけてくれました。
 そんな中、会う方からほとんどから同じようなことを言われました。

「一人で歩いてるんだ。NHKの方々を引き連れて歩いていると思ってた。」

 今までも同じようなことを言われて、その度に、旅の内容などを説明させていただいてきました。
 旅で出会う人から感じたことは、テレビの放送だけを見ている方の多くが、僕の旅をNHKがサポートしていると思っている、ということです。

 今回はいい機会なので、僕の旅に対する想いと撮影スタッフへの思いを書きたいと思います。

 この旅は多くの方々の決して表には出てこないサポートによって、成り立ってます。
 旅をしているのは僕だけですが、いろんな場面で支えてくれている方々と一緒に旅をしている気持ちです。

 孤独や単独と言われますが、僕はそれを望んではいません。少し矛盾するかもしれませんが。
 旅を始めるときの僕の思いは、あまり語ってはいませんでしたが、旅を通していろんな人と出会い、つながりの輪を大きくしたいと思っていました。人との出会いが自分の成長につながると思っているからです。

 旅人は一人ですが、この旅はチームで動いています。旅を支えてくれている人、旅で出会った人、応援してくれている人、この旅に関わっている人全てが、旅のチームだと考えています。だから、単独だとは考えてません。

 旅の序盤でテント泊を止めたのも実際に旅をしてみて自分の想いと違うと感じたからです。
 もちろん体への負担や旅を成功させるために止めた理由もあります。

 旅が動き出し、スタートラインに立つまでに、多くの方々の協力を得ることができて、今もなお、それはありがたいことに継続中です。

 NHKに今回の旅を提案させていただき、番組として決定するまでに、プロデューサーの方などにはかなりの力を注いでいただきました。7ヶ月間も一人の旅を追い続けるという不確定要素が多いにも関わらず、番組がここまで続けてこられているのはNHKの素晴らしいスタッフ陣のチームワークによって支えられています。
 直接的なサポートはもちろんありませんが、ひとつの番組を成功させようと、同じ志を僕ももっていることは確かです。

 NHKの撮影班が全山帯動すると決まった時に、一座も一人で登れる山がないと分かったときは、番組が決まった喜びもありましたが、残念な気持ちも正直ありました。
 だから、撮影班は極力一人で登り歩いている旅のリアルなドキュメンタリーを守るために、接触は最低限とし、客観的にとらえるためしっかりと線引きをしてきました。

 撮影のためにお互いに持ちつ持たれつのことはありましたが、それも必要最低限で、僕の考えや選択に対しての否定や肯定 も必要最低限です。緊急時以外を除いて。

 旅を映像に残すことが出来ているのも、多くの方々がうまく噛み合うことで可能になっています。影に隠れてしまっているが撮影スタッフの努力は、僕なんかよりも素晴らしいと近くで見ていて日々感じます。

 旅も残り2ヶ月、まだまだ気を抜けませんが、旅を自分なりに楽しみ、感じていきたいと考えてます。
 言葉も大切ですが、表情や動きなどから自分を表現していきたいと思います。

 


9/2(火) 「移動歩行最終日」 

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 昨日までの2日間で115キロ歩いたので、今日は40キロとやさしい日になりそうだ。
 だが2日間の疲労は大きく、久しぶりに朝がスッキリと起きることができず、さらに暑さは3日間で一番となった。

 田園地帯や小さな町を抜け、どんどんと人里から離れていった。
 気がつけば、時刻は3時過ぎ、まだ見ることのできない早池峰山の方向の山々は、すでに西日を受けていた。
 日が短くなっているのを感じた。

 途中、名古屋からバイクで旅をしながら会いに来ました!という女性に会った。
 久しぶりにあんなに大興奮している人に会ったな、と思うくらい満面の笑顔で喜んでいた。
 ぼーっと歩いていた僕は「名古屋から来ました!!」と聞いて驚き、僕も嬉しくなり元気が湧いた。
 名古屋から来て、東北を楽しんでくれていることがまた嬉しかった。

 素敵な出会いをした後はドキッとする出会いがあった。
 宿まで5キロとなった地点を歩いていると、正面からパトカーが走ってきた。
 すると手前で減速して、路肩に停車、運転席の警察官が手招きをしてきた。
 「えっ!?何かやったのか?」
 
 と自問自答。緊張が走った。
 でも、考えたが何も思い当たることがない・・・。
 今までに一度だけ、山への道を歩いているときに、どこまでいくのか聞かれたことはあったが無言で手招きされることはなかった。

 運転席から下りてきた警察官が一言。

 「あんたが百名山歩いて登っている人か?」と。
 一瞬「ん!?」と思った。

 話をすると、警察官のおじさんも山登りが好きなようで、山好きの地元の人との話の中で僕のことが話題になり、早池峰山に来たときには是非とも会いたいと思っていたそうだ。
 ということで、記念写真を撮って、なんのこともなく宿に向かうことになった。久しぶりにドキッとする日だった。

 結局、宿についたのは日暮れ、宿の方には大歓迎を受けて、美味しいご飯をたらふくいただいた。
 特に郷土料理のぬっぺ汁とひっつみは美味しかった!東北最長の160キロのロードが幕を閉じた。
 明日は久しぶりの登山です。

 


9/3(水) 「岩手の山」 (早池峰山)

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 岩手県に入ってから3日目。中4日で久しぶりの登山、87座目の早池峰山に登る。
 今までに一度も見たことも登ったこともない山なので、この山に対するイメージは白紙だ。どんな山なのかドキドキしていた。

 登山口までの約5キロの舗装路がいい準備運動になった。あと2キロ先、峠からの登りやすい尾根道コースもあったが、距離の短い最短コースで、かつ好きな直登コースを選んだ。
 斜度が急なため、遠回りとなる尾根道コースよりコースタイムは長かったが、僕の場合は直登コースのほうが登りの時間を短縮できるので、今までも選択肢がある場合は直登コースを選んできた。

 午前8時過ぎに登山口をスタート、準備運動が出来ていたので、体にしっかりと力が入った。10分程で林から抜けて、これから登る壁のような急登が目の前に広がった。
 そして、山頂付近の鬼の角のような岩が、人を寄せ付けないような雰囲気を出していた。
 山頂まで見上げることができる急登は、僕の登山意欲を掻き立てるので、いつも以上にスピード登山となる。
 この早池峰山のルートもまさにぴったりの急登だったので、途中の冷たい湧き水を飲んだら、一気に山頂まで登ろうというスイッチが入ってしまった。

 結果、出発から1時間で山頂に到着した。山頂には天気がよかったためか、多くの人が登頂されていた。

 そこから見える早池峰山の北側は、直登してきた南側とは全く雰囲気が違った。
 深い緑の低木が綺麗な絨毯のように遠くの方までゆったりと広がっていた。
 早池峰山も二つの顔を持つ山だなという印象だ。

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 東北は火山からできている山が多いせいか、登りと下りでガラリと印象が変わる山が多い気がする。
 その絨毯の先に目をやると遠く岩木山まで見ることができた。地元の方が岩木山が見えるほど晴れるのは珍しいと言っていた。

 この旅で初めて、本州最後の岩木山まで肉眼でとらえることができた。
 そして、東北の残りの4座全てを見ることができて、着実に東北を北上してきたことを一番強く実感した瞬間だった。

 午前10時半過ぎに下山を開始。宮古市側に下山ルートをとったのだが、早池峰山は滑りやすい蛇紋岩が多く、予想以上に時間がかかってしまった。
 でも、滑りそうになる度にプロレスラーのような声をあげながら、頭で技をイメージして仮想プロレスをやっていたので、意外とヒヤヒヤしながらも楽しく下山できた。午後12時に無事に下山したあと、今日の本当の戦いが待っていた。

 事前の情報では、今日の宿まで35キロだったが、計算し直すと42キロはあるようだった。
 山を登ったあとにフルマラソンはちょっとボリュームがある感じがしたが、気持ちは行く気満々だった!
 宮古市と盛岡市の区界峠までがかなり登っていたので予想以上に時間がかかったが、盛岡市までは走りやすい坂だったので、ほとんど走ることができて、予想よりも1時間早く宿に到着した。

 早池峰山を下山後のロードは久しぶりに本当に何もない国道で少し不安になったが、山陰で感じたドキドキ感がよみがえって、懐かしく感じた。岩手県最初の早池峰山はお気に入りの急登となった。

 


9/4(木) 「大寝坊からの念願のわんこそば」

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 前日は久しぶりに厳しい1日となったためか、出発予定時間を3時間もオーバー、大慌てで支度をしてチェックアウトをした。時刻は10時半過ぎ、すでに岩手山に登れる時間は過ぎていると悟った。

 不本意ではあるが、大寝坊が諦めていたわんこそばを食べるチャンスを与えてくれた!
 わんこそばを食べたくて以前調べたことがあり、100杯食べると記念の手形がもらえることを知っていたので、時間の経過と共にわんこそばを食べる気持ちが強くなっていった。絶対に100杯を達成したい!百名山の達成の前に景気づけに100杯達成しようと言う感じだ。

 宿泊先の方に紹介してもらった、わんこそばの老舗に向かった。
 時刻は午前11時、店に入り席に通されると大広間ではすでにテレビで見た光景そのままに、お椀片手にそばをすすり、隣には入れ子のお給仕さんが、そばを構えて立っていた。机の上には食べたそばの数だけお椀が積まれており、お給仕さんの祭りのような掛け声が飛び交い、独特な雰囲気があった。

 僕がわんこそばに挑戦する映像をおさえるということで、誰もいないテーブル席に通された。他の人たちがわんこそばを食べている姿を見た時点ですでに雰囲気に飲まれていたようで、久しぶりにスゴく緊張していた。
 アドベンチャーレースのスタート前より緊張していたと思う。

 準備が整うと、お椀がずらっと乗ったお盆を持ってお給仕さんが現れて、ルール説明をしてくれた。
 そばを入れてもらう少し大きめのお椀には蓋がしてあって、箸を持って蓋を開けたら試合開始になるようだ。

 100杯食べる気満々だったが、本当に食べられるか不安がよぎり、緊張がピークに達した。
 お椀を持つ手が震えていた。ひとつ深呼吸をして、いざスタート!

 お椀に入れられるそばは、すでにつけ汁に一度つけて味がついており、茹でたてなのか温かかった。
 お給仕さんの「はい、どんどん。」 「はい、頑張って~!」の掛け声と共に、どんどん口に流し込んでいった。
 食べると言うより飲む感じだ。一度に飲み込めない量のときはリズムが狂い、胸につかえてしまうときがあった。

 楽しむ暇なくあっという間に30杯が終わり、追加のそばを取りに行くためにお給仕さんが席をはずした。
 この待ち時間で我に返り満腹感が増していく気がした。30杯で通常のざるそば、2枚分らしい。

 再びおきゅうじさんが最初の倍の量を持って現れて、再開。30杯から先は百名山にちなんで、登ってきた山々や地域を思い返しながら食べた。
 60杯位までは順調に美味しくいただけたが、東北に入り、80杯に達する頃には満腹を通り越していた。
 東北の山をなんとか乗りきり、90杯から先は意地で押し込んだ。百名山を達成する前にわんこそばで100杯を達成させないと!!

 100まで道のりで薬味はゴマを数回つけただけ、後はそのまま飲み続けた。おきゅうじさんが何度か味は変えなくていいですかと聞いてくるが、とにかく早く100まで達したくなっていた。
 この旅で痩せて大分小さくなった胃は、限界だったにちがいない。それでもよく頑張ってくれた胃に感謝した。

 100杯で勢いよく蓋を閉めたが、お給仕さんの目は鋭く、蓋を開けると1センチほどのそばの切れ端が残っていた。あちゃーと思った隙に、さっと101杯目を入れられてしまった。もう限界だったので慎重に食べ終えて、渾身のスピードで蓋を閉めて、見事というか、なんとか記念の手形がもらえる100杯を食べることができた。

 それから1時間位は店から出ることが出来ないほど動けなくなった。

 休んでいる最中にお店の方からお店の歴史を伺うことができた。

 創業は明治40年、わんこそばを始める前は、中庭がある大きな料亭だったそうで、盛岡は内陸だったために昔は海の新鮮な幸をたらふく食べることができず、限られた食材で来ていただけるお客様をもてなしたそうだ。

 少しでもお腹いっぱいになってもらうためにそばを振る舞ったとのこと。ただし、普通の一人前で出していたら100人分を一度に出すことができないので、一口分の量を100人分、一度にゆでられる鍋を使って小分けに出し、それを何度も繰り返していたことが、今のわんこそばの起源ということのようだ。
 今ではその部分だけが残り、わんこそばという食べ方が有名になったということ。

 話の流れで、わんこそば以外になんとカツ丼が地元の方も何度も食べに来るほど人気らしく、それを先に聞いていれば!!と思った。
 僕がカツ丼が大好物と聞いて店の方がスゴくすすめてくれたので、今日のこのあとの予定を考え直して、結局、夕食にカツ丼を食べに来ることにした。

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 結果、一旦朝出た宿に戻り休憩し、お店まで再び歩き、また宿まで戻りもう一泊する事にした。この選択が吉と出るか凶と出るかは自分次第。
 確かなのは、念願のわんこそばを食べ、記念の手形をもらうことができて、大好きなカツ丼を食べて、久しぶりに上手いと納得のいくカツ丼に出会えて、満足だったことだ。
 旅で日本三大そばをちゃっかり達成してました。

 


9/5(金) 「どしゃ降りのち岩手山」 (岩手山)

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 昨日の誘惑に負けてしまった結果、出発間際に外はどしゃ降りの雨となった。
 予報が少しずれ込み、今日の日中、盛岡は雨に変わっていた。心境を表すのであれば「ガーン!」といった感じだろう。

 新調したレインウエアをまとって、どしゃ降りの盛岡の街に飛び出した。寒いと予想したが意外にも蒸し暑く、レインウエアの透湿性能はフル回転だっただろう。
 午前11時過ぎには予報よりも早く天気が回復して、雨が止んだ。天気が少し助けてくれた。登山口に向かう途中、雨の中駆けつけてくれた方がいて、今日も背中を押してもらった。
 また、5年ぶりにラフティングガイドの大先輩とも再会することができて、雨で少し疲れていた体にパワーをいただくことができた。

 午前12時前に到着した登山口にも応援者の方々がいて、今年最後になるであろうスイカを頂いた。
 松川温泉まではコースタイムで9時間半、約半分の5時間を予定していたので一気に登り、一気に下るために水分などしっかりと補給をしてからスタートした。馬返し口からの登山道は二合目から林間ルートの新道と溶岩石がゴロゴロとある歩きにくい旧道に別れるのだが、旧道の方が直登で視界が開けていてると聞いていたので迷わず旧道を選んだ。

 八合目まで来ると急登は終わり、山頂直下の広い緩やかな斜面となる。そこからは風も強さを増し、雲の影響を徐々に受け、体感気温は10度を切った。
 早池峰山の山頂から見た綺麗な山頂は、結局一度も見ることができなかった。そこから30分程で山頂に到着した。

 この天気の中で山頂で僕に会うために待っている人がいると予想していた。その方たちの下山開始が遅くならないようにと思い、登頂目標を2時にしていたが20分オーバーしてしまった。

 今までにも僕の到着が早いと予想して、朝早くから登り、結局到着が遅くなり、5時間以上結果的に待たせてしまったことが度々あったので、少しでも早く登頂して、ゆとりを持って下山してほしいという気持ちが強かった。なので、可能な限り登りは飛ばしてきた。
 登山の怪我や事故のほとんどが下山中に起こることが多く、焦りなども原因の一つとなる。今日もそんな思いで登ったが、山頂で待っていた二人の方を1時間も待たせてしまった。
 聞くまでもなく山頂は寒かったので、また「ありがとう」という気持ちよりも「すみません」という気持ちが強く出てしまった。短い間だったが20分ほどの滞在で、下山を開始した。

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 今日のルートは下山の方が長かったので、暗くなる前に宿に着くためにも急ぐ必要があった。鬼ヶ城の岩尾根を歩き、5時過ぎに松川口に到着して安堵した。
 岩手山の山頂から岩手県を見下ろすことは出来なかったが、岩手山の大きさを自分の足で踏み締めることは出来ただろう。
 明日は八幡平、気がつけば東北も、残り3座となった。

 


9/6(土) 「大歓迎の八幡平」 (八幡平)

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 今日も長丁場の1日となる。
 松川温泉から八幡平まで20キロ、八幡平から宿まで30キロ、舗装路が多いが高低差がかなりある感じだ。広大な八幡平火山帯を縦断する。
 土曜日だからか、朝7時過ぎに宿を出ると、早速会いに来ましたという方々が朝早くから待っていた。皆さんそれぞれに思いを持って、駆けつけているようだった。

 忘れ物があったりして、松川温泉を結局8時に出発した。今日登る八幡平は百名山の中で一番舗装路から近い山頂になるので、それほど焦ってはいなかった。八幡平の登山口まではかなり涼しく、ときどき雨も降ったが、12時過ぎには雲は高くなり、風も穏やかになった。
 レストハウスで軽く休憩しているときも応援者の方々に会ったりして、登山口に着くまでにすでに20人くらいに会った気がする。

 山頂に向かう道を途中間違えて、火口池経由の道に進んでしまったが、結果的に八幡平のついつい見とれてしまう景色を見ることができたのでよかった。大きな火口池のそばを通る木道がどこまでも続いていて、次来た時は家族でゆっくり散策しに来ようと思うほど、ひかれる景色だった。
 「さぁ、山頂に行こう!」と歩みを再び登山道に向けた。

 山頂が近づくとざわめきが聞こえた。カーブを抜けると、目の前に人だかりができていた。
 八幡平の山頂は樹林帯の中にあるので、それほど広くはないのだが、限られたスペースいっぱいに応援者の方々が待ち構えていた。インパクトは蔵王山の時よりもあったかもしれない。40人位はいただろうか。凄い拍手と喝采の中ハイタッチをしながらの登頂となった。
 昨日の岩手山とは状況がガラリと変わっていた。

 誰かの掛け声で集合写真を撮ったり、サイン会が始まったりしたのだが、狭いスペースだったため、他の一般登山者に迷惑をかけてしまう結果となってしまった。
 これだけの人数を限られたスペースのなかで一人一人対応するのは難しく、何も知らない他の登山者への配慮もしなくてはならないので、驚きの大歓迎ではあったが、いつも以上に気を使うことにもなった。
 山頂は特に多くの登山者が目指す場所なので、一人一人が一登山者であることを忘れずに、みんなで少しでも過ごしやすい山頂にしていければと思った。

 午後1時半くらいから、最後まで残っていただいていた方々に見送られて下山した。
 午後7時に鹿角市に着くまでにも、多くの方が駆けつけてくれて、1日で100人近い人に出会ったような気がした。宿に着く頃にはいろんな意味でいつも以上に疲れているのを実感した。

 


9/7(日) 「なつかしい再会と驚きの出会い」

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 今日の秋田県は朝から申し分ない天気だ。
 昨日の午後に鳥海山以来一週間ぶりに秋田県に戻ってきたが、今日の夕方には秋田県から出てしまう。秋田県には東北の他の県のように、一座まるごと県内にある山がないが、僕の人生の中では思い出の多い場所である。

 ほとんどがクロスカントリースキー関係の思い出ばかりだが、ここまでの旅の中で一番多く、懐かしいスキー仲間との再会したのが秋田県だ。大学の先輩との再会、まだ現役で続けている同期との再会、高校、大学時代の仲間との再会、どれもわずかな時間ではあったが、大きな力を得ることができた再会だった。
 秋田の地、その中でも一番の思い出の場所、鹿角市を訪れることができてよかった。なつかしい再会のあとは思いがけない、驚きの出会いがあった。

 鹿角市内から外れ大湯温泉を過ぎ、誰も歩いていない国道を歩いていたら前方から大きなバックパックを背負った人が歩いてくるのが見えた。久しくバックパックを背負って一般道を歩いている人を見てこなかったので、目を疑った。
 距離が縮まり、お互いの顔が認識できる距離になって、初めて歩いて来た人が海外の方だとわかった。自然と笑みがお互いこぼれ、挨拶を交わした。ヒッチハイカーかと思ったが、話をするとどうやら違うようで、僕と同じように徒歩で旅をしているそうだ。

 8月末から北海道の南幌を出発し、18年前に住んでいた名古屋まで歩きながら向かう途中の各地で、世界の発展途上国とされる65カ国を14年間かけて回ってきた経験を伝えるために、プレゼンテーションやディスカッションなどの活動しているそうだ。

 目的は違っても、歩き旅をしている人と会うのは、この旅が始まってから二人目となった!
 海外の方では初だ。少しだけどお話しすることができて、日本人以上に日本の良さを知っていて、日本が好きなんだというのを感じた。短い間だったが、スゴく元気を頂いたし、歩き旅ならではの共感もあった。彼の活動と、旅の成功を願って、別れた。

 これが最後の歩き旅人との出会いになるかもしれない。
 これから向かう北海道はもうすぐ冬だ。

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2014年09月09日 (火)

ヨーキさん観察日記(9月3日~9月7日)

◆9月3日

鳥海山登頂後、山形県を抜け岩手県に入った陽希さん。
まずは早池峰山に登ります。

花の山として有名な早池峰ですが、見ごろは6月下旬から7月上旬にかけて。
山には遅咲きの花が僅かに残るだけで、残念ながらお花畑までとはいきませんでした。
しかし、この日は久しぶりの快晴
多くの応援の方に迎えられた山頂からは、四方に延々と続く、山並みの絶景を望むことができました。

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◆9月4日
早池峰山からの約40kmの道のりの疲れもあってか、まさかの大寝坊
10時半、ようやく起きてきた陽希さんは、予定変更し、休息をとることにしました。

そこで、ここぞとばかり、日本三大そばの一つ、わんこそばを食べに盛岡市街の老舗へ。
男性の平均は50杯とのことでしたが、陽希さんは100名山にちなんで100杯達成を宣言

「険しい山に登るより緊張しています。」と言いながらも、食べ始めると、次々に椀を空けていきます。
ところが、60杯を過ぎたころからややペースが落ち、80杯を超えると、噛まずに流し込むようになっていきます。
果たして・・・と思いましたが、ここで男を見せ、何とか100杯を達成!
最後は蓋を閉める前に一杯入れられてしまい101杯となりましたが、見事、記念の手形をゲット。

感想を聞くと、「60杯までは美味しく食べられました。最後は意地でしたね」とのこと。
夕食には同じ店で絶品のかつ丼を頂き、有意義な一日を締めくくっていました。

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◆9月5日
陽希さんは無事に岩手山に登頂。
曇天の中、風雨にさらされ散々でしたが、その日の宿は平安時代からの湯治場と伝わる秘湯、松川温泉
東北は山の周りに温泉が多く、温泉好きの陽希さんは毎日嬉しそう
ここでも内湯、露天風呂に朝風呂と、温泉を堪能しました。

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◆9月6日
八幡平

車道が山頂直下まで通っているため、この旅で最も山道が短い山です。
それでも、途中、池や沼の眺望を楽しみ、整備された石畳を忍者走りして我々をわせるなど、凝縮した登山になりました。
しかも、山頂では30人を超える応援の方が花道を作ってお出迎え。
陽希さんも、照れながらも嬉しそうに花道をくぐり、89座目の登頂を果たしました。

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◆9月7日
十和田湖畔への移動日

50kmに及ぶ車道歩きでしたが、高校・大学時代の友人に会ったり、歩いて名古屋まで行くという外国人に出会ったりと、いい出会いに、一日中上機嫌。

夕刻、本州最後の県、青森県に入り、十和田湖畔に着くと、暮れなずむ空と静かな湖面が陽希さんを待っていました。
ここで感傷的になるかと思いきや、湖畔に立った陽希さんの目は、ここまでの道のりを振り返るというより、更に北に際立つ頂、八甲田山に、はっきりと向けられていました。

本州はあと2座。その後は厳しい津軽海峡越えが待っています。
「勝負はこれから」という陽希さんの気合を感じた瞬間でした。

 

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2014年09月02日 (火)

今週のヨーキ(8/25~8/31 朝日岳-鳥海山)

8/25(月) 「走り続けて60キロ!」 

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 あまりにも心地よすぎる蔵王温泉の朝を迎えた。
 一瞬、もう一泊したい気持ちにかられたが・・・グッとこらえた。
 朝食をキャンセルしていたのだが、女将さんが「お腹すくでしょ?」 ということでオニギリを持たせてくれた!
 母のような優しさを感じて、出発前からホッとした。

 後ろ髪は無いが、後ろ髪を引かれるような思いで、蔵王温泉を出発。
 しかし、まだ今日はどのあたりまで行くか決めかねていた。
 
 体が 「どんどん行こう」 というのか、 「ゆっくり行こう」 というのか反応を待っていた。
 タラタラと山形市に続く坂道を歩き、10時ごろに国道に出て、それからさらに1時間後にようやく体が動き始めた。
 それに合わせて朝日岳の登山口にある朝日鉱泉という宿に電話して営業しているか聞いてみた。

 昨年の台風で山間部の林道がいたるところで崩落しているため、朝日鉱泉は営業していないと予想していた。
 だが・・・電話をすると普通に宿の方が出て、いつも通り営業しているとのことだった。
 歩いて今いるところから宿に向かうことを話すと宿の方は察しが早い。

「日本百名山一筆書の田中さんですか?」
「はい、そうです。」
「歩行者なら通行できますので大丈夫ですよ!今どちらですか?」
「蔵王駅の近くです。」

 そんな会話をすると、遅くなっても良いということだったので、予約をすることにした。
 一応、「日暮れまでには着きます。」 と伝え、自分自身にプレッシャーと緊張感を持たせた。

 事務局に現在地からの距離を調べてもらうと残り47キロだった。
 時刻は午前11時。日暮れまで7時間半か・・・時速7キロだったら、なんとか間に合う!
 さっきまでタラタラと、とりあえず朝日岳方面に歩いていた状況から一転して行くぞ~!走るぞ~!モードになった。
 気持ちに上手く体も乗ってくれたので、予想以上にからだが動いてくれた。
 体と気持ちがすっと久しぶりに合致した。

 おかげさまで、今日も多数の方が応援に駆けつけてくれたが、走っていたため、駆けつけてくれた方への対応が少し雑になってしまったかもしれない。
 走りながら、もう少し良い対応の仕方があったのでは?!もう少し違った言葉のかけ方があったのでは?!と振り返り反省していた。
 短い間でも、皆さんいい笑顔で見送ってくれるので、こちらも笑顔で走り去ることができた。

 朝日川沿いの林道に入ると一気に人気はなくなり、逆にアブが襲撃し始めた。また飯豊山の悪夢が甦った。
 残り14キロのところで4時半になった。結局約2時間ひとりアブから逃げるように走り続けることになった。
 だが、おかげで予定していた時間通り、日暮れ前に宿に着くことができた。アブの功名かな?!

 朝日鉱泉はこんな山奥にこんなきれいで立派な宿が!!と思うほどいい感じの宿で、蔵王温泉から60キロ頑張って来た甲斐があったと感じることができ、1日の終わりに、いい宿いい人いい時間になると、幸せになると思った。

 明日はどんな終わりになるかな。

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8月26日(火) 「東北初の雨の山頂」 (朝日岳~志津温泉)

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 朝日鉱泉は、それほど標高が高くないのだが、朝起きると窓からの冷たい風に身震いした。昨日よりも今日は確実に寒くなっていた。
 朝日岳の山頂は雲の中だったが、蔵王山の時のようにまったりできる感じでは無い、ということが気温だけで想像がついた。

 ラジオの天気予報では、一日中曇りと言っていたので、暑い中登るよりは寒いくらいがちょうどいいと、喜んでいたが、その喜びも数時間後には無くなることになる。

 美味しい朝食をたらふく食べて、6時半に宿を出発した。
 今日も笑顔で暖かく見送ってもらえる幸せを感じて、朝日岳へと続く沢沿いの道へと進んだ。
 沢沿いの道にはブナ林が広がり、渓流釣りには持ってこいの川が流れていた。

 4度ほど本流を渡るときに、手作り感がある吊り橋を使うのだが、その手作り感がスリルを一段と引き立てていた。
 沢を1時間ほど歩き、出合いに合流、そこからいよいよ本格的な朝日岳への登山が始まる。尾根に取り付くやいきなりの急登が始まった。

 だが、すでに1時間ほど歩いていたので快調に登った。標高が1200メートルを越えた辺りから、雲行きが怪しくなり、次第に冷たい霧雨が降ってきた。

「あれ?曇りでは??」

 すぐにカッパを着て体が冷えるのを防いだが、標高が上がるにつれて、気温は下がり、風雨は強くなり、自然と体温が下がっていく。
 山頂直下の小屋まで頑張ろうとペースを維持して、なにも見えなかったガスの中から突然山頂が現れた!
 出発から3時間弱で山頂に到着した。

 アルプスを思わせる朝日連峰は、見る影もなかったが、また今度!と気持ちを切り替え、一目散に小屋に向かった。 
 しかし、小屋は避難小屋と書かれていて、人気が無かった。
 
 地図には有人小屋のマークになっていたので、てっきり軽食や飲み物を売っている小屋かと予想していたが、どうやらそうではないようだ。

 小屋の管理人さんに別れを告げ、再び雨の中に飛び出した。止む気配はなく、滑りやすい登山道をなるべくはやく慎重に歩いた。早く標高を下げて、気温が少しでも高いところに行きたかった。

 足早に下山している途中に、大きな浮き輪を掲げて応援者が現れた。
 現れたのは蔵王山でも応援に駆けつけてくれた方だった。スゴくインパクトがあったので驚いた。
 山に浮き輪?!雲海を泳ぐイメージをしたそうだ。とにかくビックリだった。

 雨の中だったので、先に下山させていただき、1時間半ほどで下山して、県道へ続く林道に下りた。
 宿泊先は、明日登る月山の麓にある志津温泉。県道との合流地点から20キロ先、あまりにもお腹空いたので途中の集落で山菜そば御膳を食べて空腹を復活させて、6時過ぎに志津温泉に無事に到着した。

 東北初の雨の山旅は、曇りのち雨のち曇りで幕を下ろした。
 
 明日の月山は、今日よりいい天気になるといいな。
 



8月27日(水) 「月山と宿坊」 (月山)

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 85座目となる月山は、出羽三山の一つに数えられ、以前から夏山スキーとしても有名な山だ。
 昨日に引き続き朝からどんよりとした天気だ。気温が低かったので雨が降らないことだけを願った。

 ブナ林が見事な自然博物園経由のコースで、月山を目指した。
 標高が上がるにつれて濃い霧に包まれ、ふと脇に目をやると大きな雪渓が目に飛び込んできた。
 濃い霧と一体化していて気づかなかった。

 牛首まで来ると風が強くなり、体感気温が一気に下がった。
 すでに体温を維持するカロリーが足りていなかったが、山頂小屋で補給すればなんとかなると考えていたので、カッパを着て寒さをしのぎ登り続けると山頂小屋まではすぐについた。

 そのまま山頂に行ってもよかったが、出発から3時間半で到着したので、少し補給もかねて休憩することにした。この小屋にいる3人の子供たちが、なんとも可愛く無邪気だった。

 腹ごしらえをしてさぁ行くか!と意気込んで外を見ると、突然の雨。
 結局、雨が小降りになるまでさらに30分ほど待った。

 小降りになり始めた12時頃に、山頂となる月山神社に向かった。
 小屋からは目と鼻の先ほどの距離、入り口の鳥居をくぐると、撮影禁止の張り紙が目に止まった。
 山頂は境内となっていて、神聖な場所のためだった。山頂となる本宮に上がる前には、参拝料とお祓いを受けることになっているため、僕もお祓いを受けた。
 
 この旅初の山頂で記録(写真)を撮れない山となったが、しっかりと記憶に残すことは出来た。
 月山が今もなお長い歴史と伝統をしっかりと守り受け継いでいることを、少しだけだが感じることができた。
 今までの山にない雰囲気がこの山にはあった。

 今日の宿となる宿坊街手前には、国宝の羽黒神社五重塔があったので、せっかくなので立ち寄ることにした。
 立派な杉に囲まれた五重塔は壮観で大昔にタイムスリップしてしまったような感覚になった。

 人生初の宿坊。本来は修験者の方たちが修行に入る前に泊まるための宿、一般人が泊まれることに驚いた。
 宿坊街には大小様々な宿坊が軒を連ねていて、今日、お世話になる大進坊という宿坊の門構えから、外観もかなり立派な宿坊だった。
 鳥居のような門をくぐる前に緊張感に包まれた。

 宿坊の方々に丁重に招かれて、背筋がピンとなり、自然と気持ちが引き締まるような感じがした。
 宿坊には、他にも月山に登った方や観光できた人が泊まっているようだった。

 お風呂に入りさっぱりしたあとは、いよいよ精進料理をいただく。
 案内された部屋で席につくと、お膳の上にイメージとは違う見事な料理が並んでいた。

 不思議に思ったので宿坊の方にうかがったところ、精進料理には一汁一菜のようなものもあるが、それは修行をするときに食すことが多く、本来は出羽三山の山に入る前に体の中から清めるために、神からの恵みとされる山で採れる山菜やキノコなどその土地の自然から採れるものを食す料理を、精進料理とも言うそうだ。

 そのため、山菜などが採れない夏などには、春に採った山菜を宿坊独自の保存方法で保存して、調理するときは保存する前の味を損なわないように戻し、代々受け継がれている調理方法で調理することで、それぞれの素材の味を上手く引き出しているそうだ。

 現在は伝統を守りつつ、一般の方が多く泊まる機会が増えたため、新しいものも取り入れつつアレンジした精進料理を提供しているそうだ。これも、350年という宿坊の長い歴史のなかで培われてきた技であり、伝統だと感じた。長きにわたり守られていることの素晴らしさを感じることができた。
 精進料理を食べられたことで、内側からリフレッシュできた気がして、いい夢が見られそうだ。

 宿坊に泊まる機会をこの旅が作ってくれたことに感謝した。

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8月28日(木) 「宿坊で清められたあとのスコール」 (出羽三山)

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 宿坊の朝は神様へのご祈祷から始まる。6時半に宿泊者全員が出席して、ご祈祷が始まった。
 参列者を代表して祈祷の最後に神様への「玉ぐし奉てん」をお供える大役(自分にとって)を担うことになり、いつになく緊張したが、スゴくいい経験をさせていただいた。
 朝から身が引き締まる思いだった。

 また祈祷の際は、宮司様から名前を呼び上げられ、旅の安全を祈願していただくなど、ありがたいお言葉をいただくことができた。
 30分ほどでご祈祷は終わり、その後、精進料理の朝食。どれも工夫が凝らしてあり、味も素晴らしかった。
 食事中に宿坊の方から、宿坊の歴史などを聞くことができ、宿坊街には30件ほどの宿坊があり、昔から各宿坊には地方から来る檀家さんがどの宿坊に泊まるか決まっているそうで、ちなみに僕が泊まった大進坊さんは、主に千葉県の檀家さんが代々泊まって来たそうだ。
 
 今もなお毎年一度は必ず檀家さんは各宿坊に足を運び、冬になると各宿坊の宮司さんは檀家さんの地を訪れて、挨拶回りをするそうだ。出羽三山の宿坊は古くから檀家さんとのつながりが強く、長きにわたり絶えることが無かったそうだ。

 昔はお互いにそれぞれの地を訪れるのに、一ヶ月以上の時間を費やしたそうで、五穀豊穣などを祈祷するために村や地区を代表して行ったため、その責務は大きく、宿坊までの道のりも命懸けだったそうだ。中には命を落としてしまう人もいたという。
 今は千葉県以外からの方も泊まることができるようで、最近では若い方も多く宿坊に泊まったり、羽黒山での修行に参加していると聞いて驚いた。

 朝の静かな朝食を終えて、8時に宿坊を出発した。
 気持ちはすっきりとしていたが、体はそうもいかなかったようで・・・。
 出発して400メートルで、マッサージの看板が目に留まってしまい、そのまま転がりこんだ。

 旅には 「初めて」 が付き物だ。
 1日の終わりにマッサージを受けることはあったが、始まりに受けるのは初めてだった。
 1時間のマッサージで、体もリフレッシュできたので、ようやく明日登る鳥海山に向けて歩き出した。

 午前中は天候は安定していたが、徐々に庄内平野を黒い雲が覆い始め、遠くの方からすごい勢いで降り始めているのが見えた。
 ほどなくして、僕の歩いていた辺りも雨が降り始め、忍者のごとく逃げたが、一瞬で豪雨に巻き込まれ、全身ずぶ濡れになった。天からの水により身も心も清められた気がした。
 スコールは一度で終わりかと思ったが、結局二度雨に打たれることになった。

 雨に打たれたが、今日は意外に気温が高かったので気温が下がって、ペースをあげることができたので、スタートの遅れを取り戻すことができて、結果的には恵みの雨となった。
 何とかその後もペースを維持できたので、日暮ギリギリで宿に到着することができた。

 明日は東北の代表的な山、鳥海山にお邪魔する。

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8月29日(金) 「鳥海山」 (鳥海山)

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 出羽富士と呼ばれる鳥海山に今日は登る。
 朝は日差しも出ていたので気持ちよく登れそうだ。

 山頂までのコースタイムは7時間半、今日の行程は比較的短かったので、明日からの170キロのロードに備えて、ゆっくり登ることにした。
 
 昔は出羽三山に数えられていたこともある鳥海山。湯の台からの登山道には石段や祠など、昔の参道の名残が残っていた。

 出発から1時間半ほどで森林限界を抜けて、辺りが開けようやく鳥海山の山頂まで見ることができた。印象は富士山を上から潰した感じで、どっしりとしていた。
 その脇の登山道にはまだまだ秋は早いよ、と言わんばかりに夏の花が咲いていた。飯豊山と同じように、遅くまで雪が残るため長い間、夏の高山植物が楽しめるようだ。

 しかし、時々吹く風は確実に秋の訪れを伝えていた。
 その後、約2か月ぶりくらいに雪渓を歩いた。毎日のように雪渓や残雪の上を歩いたアルプスが懐かしかった。

 鳥海山には「チョウカイ」とつく名の植物があり、その一つに「チョウカイアザミ」がある。
 それからきているのかは分からないが、今日一番の急登は「あざみ坂」というようだ。
 実際に登っている最中に、野アザミよりも大きく、色の濃いアザミが群生していた!

 出発から3時間ほどで外輪山に到着した。外輪山をぐるーと半周して火口内にある山頂へは一度火口まで下りて登り返すようだ。
 山頂に行く前に小屋によって、祀られている神様へのご挨拶と補給をすることにした。
 小屋に到着して間もなく、あっという間にお鉢は雲に覆われ、冷たい雨が降り始めた。
 天気が崩れるのが思った以上に早かった。

 山頂は小屋からはすぐだった。大きな岩の群れのような山頂に着くと、見覚えのある二人がいた。一人は職場の後輩、もう一人はクロスカントリースキーの友人で13年ぶりの再会だった。雨の中待っていてくれたみたいだ。

 職場の後輩といっても年齢は同い年、でも、職場では弟のような感じだった。
 スキーの友人は秋田県の強豪校で、夏合宿を僕の母校とよく合同で行っていた。中学校時代に全国経験がなかった僕にとっては、初めて他県の同級生の力を目の当たりにしたときでもあった。高校時代は全く歯が立たなかった。

 のんびり思出話でもと思ったが、天候も悪かったので、皆それぞれのタイミングで下山した。言葉は少なかったが、お互いの笑顔だけで十分だった気がする。

 下山は慎重に歩いた。火山ということもあり、足がとられやすかったからだ。雨は下山中断続的に降り続け、予定よりも1時間ほど遅れて下山口に着いた。
 そこから宿までは天候が回復してくれたので、気分よく歩いた。

 夕方5時半に宿に到着。夏の暑さもかなり体力を消耗するが、連日の雨は、自分の想像以上に体力を消耗させていたようだ。明日からの170キロに体が持ちこたえてくれるか不安がよぎったまま寝た。

 



8月30日(土) 「休もう!」

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 さぁ、早池峰山までの東北最長ロード区間に行くぞ~!と意気込んでいたが・・・
 起きられない・・・あと30分・・・起きられない・・・。

 眠気覚ましに温泉に入るが・・・部屋に戻ってきて目が覚めるどころか気持ちよくなり・・・ゴロン。
 予定していた時間よりも1時間ほど遅れて朝食を食べたが、すっきりと晴れた空と鳥海山を見て
 よし休もう!!と決意した。明らかに体が休みたがっていた。

 前回休んでからちょうど2週間経っていたので、体が休みたがるのも自然なことだ。

 朝食後直ぐにもう一泊出来るか確認し、すでに予約していた早池峰山までの宿に宿泊日変更の電話をした。
 土曜日だったが連泊することができて、他の宿泊先も変更ができて一安心。
 昨日まで無意識に張りつめていた緊張感も一旦切れたことで、肩の力が抜けたようだった。

 さぁーて、ゆっくり部屋でくつろごうかな、と思っていたら、部屋の電話が鳴った。出ると、どうやらフロントに僕に会いに来た方がいるとのことだった。
 土曜日で、「休みまーす」とFacebookにアップしていたし、会いに来る方はいるだろうとは予想していたので、あまり驚きはしなかった。直ぐに向かった。

 フロントに行き、はじめましての挨拶をして、差し入れを頂き、写真を撮ったりサインを書いたりして、皆さんいい笑顔でご満悦になられて宿をあとにしていく。
 午前中、こんなやり取りが30分おきくらいにあった。わざわざ遠方から会いに来てくれているので、大変ありがたいことです。

 多くの方が、旅の成功を祈ってくれていて、少しでも力になりたいと活動資金となる応援グッズを購入していただいたり、直接資金を出資していただいたりしているので、旅が始まる前からもっと感じてたはずなのだが・・・
 これも初の試みであるこの旅を通して考えさせられて、学ばさせていただいている。

 そんなことを考えながら、休みはあっという間に過ぎていった。

 明日からは、東北最後の竜飛岬までノンストップとなる。まだ見たことのない行ったことのない場所でどんなことを感じるか楽しみだ。
 さぁ!わずかな時間だが少しでも多く体を休めることにしよう。

 



8月31日(日) 「170キロロード初日」

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 久しぶりの朝から気持ちのいい快晴となった。
 暑さが戻ってきたかと思ったが、吹く風は少しひんやりとしていた。
 夏晴れではなく、秋晴れのようだ。道にはサルビアやコスモスといった秋の花がすでに満開となっていた。

 今日から3日間ほど山から離れて、東北最長のロード区間に突入する。
 初日の今日は休み明けということもあり、最長の60キロの行程だ。
 
 水田の大きく垂れ下がる稲穂をみて、もうすぐ新米が食べられる!と思いながら、峠越えの田舎道を歩いていると、後ろから「やっと見つけたぁー!」という声を出しながら、ロードバイクで登場したのは、アドベンチャーレース仲間の友人だった。

 遅い夏休みを使って、竜飛岬からロードバイクで南下してきたそうで、ついでにちょっとルートを変更して僕に会いに行こうと思ったそうだ。久しぶりにアドベンチャーレース仲間に会えて、嬉しかった。
 
 いつもならタラタラと歩いてしまう日中も、仲間が来てくれたおかげでメリハリができ、長い峠越えの山間部をあっという間に通過することができ、久しぶりに話をしながら歩いたり話ができて、気晴らしにもなって感謝した。

 ただ通った場所には全く店がなく、横手市内に入るまで何も食べることができず、せっかくなのでご馳走になろうと思っていたのにそれが叶わなくて残念だった。
 でも友人は日頃僕らが企画するレースでしごかれてばかりいるので、今日は自転車に乗りながら僕をしごいている感じがよかったようで、ご満悦だった。

 山間部を抜けたところで友人と別れて、一人横手市に向けて走り去った。別れ際のうそ泣きはいい演出だったかなぁ。

 そこから宿まではほぼ走りっぱなしで、到着する頃にはへろへろだった。
 結局、日中にほぼ何も食べずに走ったので、今日の体重は久しぶりに67キロになっていた。
 夕食をしっかりと食べて、ふかふかの布団に潜り込んだ。

 次のレース仲間は誰が来るかな~!

投稿時間:20:01 | カテゴリ:今週のヨーキさん(2014) | 固定リンク


2014年09月01日 (月)

ヨーキさん観察日誌(8月25日~29日)

8月25日朝日連峰に向かって蔵王温泉を出発した陽希さん。

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山での疲れた様子から我々も体調を気にしていましたが、温泉で元気になったのか、60㎞に及ぶ車道歩きでは力強い走りを見せてくれました。

夏の暑さも少しずつやわらぎはじめ、どうにか調子も落ち着きつつあります。
その上、8月下旬は天気がはっきりせず、曇りがちな日が続きました。


8月26日大朝日岳では急登に喘いだものの、曇り空と雨で暑さを凌ぐことができ

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8月27日月山

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8月29日鳥海山でも、曇りがちな天候に救われました。

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おかげで、いつも汗だくの陽希さんが、少しだけ涼しそうに登ることができています。

しかし、8月も終わりになると、曇った山の上は肌寒く、秋の訪れを感じます。
 「北海道の秋は、本当に寒いんですよ…」と陽希さんは嘆くように言います。

東北も、残すところ岩手県と青森県の5座。9月半ばには北海道に突入です。

最後は寒さとの闘いになりそうな百名山一筆書きの旅。でも、まずは秋の紅葉を楽しみましょうね、陽希さん!?

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