週刊グレトラ日誌

今週のヨーキさんとゆかいな仲間たち

今週のヨーキさん(2014)

2014年10月28日 (火)

今週のヨーキ(10/18~10/21)

10/18(土) 「ちょっと旅を振り返って」(~紋別市)

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 宿の隣にある展望台から朝日を浴びるサロマ湖を眺めた。常設の双眼鏡で対岸の町など見てみたら、あまりにはっきり見えるので子供のようにはしゃいだ。
 この旅も丸200日が経過した。本当にたくさんの人から助力を頂いて、貴重な経験をさせていただいている。サロマ湖の光る湖面を見て思った。

 今日でウトロを出発してから4日目、オホーツク海の中間に位置する紋別市まで歩く。久しぶりに1日の距離が50キロを超える。
 明日には稚内までの中間地点に到達する。この旅に暦通りの週末や休日はあまり関係ないが、予定通りなら最後の週末だ。
 最近は道を歩いていても声をかけられることが少なくなったので、今日と明日はグンと多くなるかもしれない。
 僕の両親もこの週末に富良野から片道3時間掛けて会いに来てくれるそうだ。この歳になって言うのもなんだが、親は本当に心強い存在だ。

 週末のためか、早朝は国道も車通りが少なく静かだ。9時を回ると、車の数が増え、レンタカーや北見以外のナンバーを多く見るようになった。今週末は秋晴れで全道行楽日よりとのこと。紅葉と青空とオホーツク海のコントラストが気持ちいい!
 大学時代、スキーマラソン大会で来たことのある湧別を昼前に通過、紋別まで30キロとなった。交通量の多い、国道を避けて裏道を歩いた。その時、ふと旅を思い返した。

 旅も残り1週間、気がつけばあっという間に月日が流れた。出発前と今では何が変わっただろう!?

 自分自身や自分を取り巻く環境など…確実な変化としては、出発時より旅を応援してくれる人、見守ってくれる人の数が圧倒的に増えたことだろう。また、NHKのテレビ放送により、旅やチャレンジへの注目度も放送の回数が増えると共に上がっていった。そして、山や路上などいく先々で駆けつけてくれる方々がスゴい勢いで増えていった。
 あまりの反響に駆けつけてくれる方々の対応に奔走され、旅を楽しんだり、集中出来なくなってしまう時もあった。戸惑い、困りながらも失礼の無いように努めたつもりだ。

 でも、時にはうまく整理が出来ずに苛立ってしまうこともあった。もしかしたら「笑顔で、笑顔で、丁寧に」と言い聞かせていても、表情や言葉の節々に苛立ちが出てしまっていたかもしれない。大抵、そんなときは後味が悪く、いつも反省していた気がする。まだまだ、器が小さいなぁ、もっとどっしり構えられたらいいのになぁ…などと思っていた。

 自分がもっと気持ちの部分で成長すれば、心のゆとりが増えて、どんな状況でも落ち着いて対応できるようになり、穏やかになれるだろうと感じていた。これは今後、家族を持ったり、アドベンチャーレースなどでリーダーを担ったりするときに、一番求められるものになると気付くことができた。

 社会には様々なチーム(組織、集団)があり、リーダーになる者もしくは目指す者は、他のメンバーよりもすべてにおいて秀でていることが望ましいかもしれないが、それよりも精神的な部分での折れない支柱となり、どんな状況でも落ち着いて対応できるような気質が必要だと気付かされた。チームの先頭に立ち牽引したり、鼓舞することが一番だと思ってきたが、それよりも大切なことがあると分かった気がする。

 とまぁそんなことも思い返しながら歩いていると、あっという間に再び国道に合流した。旅で学ばせていただいたこと、気づかせていただいたことを思い返すのはまた今度にしよう。あまり考え更けていると、せっかくの景色や発見を見落としてしまうので。

 あっ!変わったことと言えば笑いシワが出発前より増えた気がする!もしかしたら痩せこけたからかも知れないが…ハッハッハ!!

 その後、両親と再会して、手袋を調達した。週末で賑わう紋別の宿には日暮れと同時に到着。
 あと1週間、思い残すことのない旅にしよう!!まぁ思い残すことがあったらまた歩き出せばいいかぁ~。

 



10/19(日) 「色々あった。」(~雄武町)

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 今日は昨日よりちょっと短い雄武町までの43キロ。50キロと40キロでは肉体的にも精神的にも大きく違い、今日は余裕がありそうだ。
 朝から晴天、日曜日の早朝にも関わらず、地元の人たちがパークゴルフを楽しんだり、朝市を開いたりと賑やかだ。

 紋別を離れると、早速第一応援者と遭遇した!今日はゴール前の最後の日曜日なので、お会いする人は多くなりそうだ!
 サケの遡上がまだ見れる川を渡り、オホーツク海を望む海岸線の道に出るまでにすでに5組の方とお会いした。久しぶりに賑やかな1日になりそうだ!

 海岸線を歩いていると、無意識にまたガラス玉がないかと探してしまう。

 その時だった!キラキラ輝く丸いものが目に飛び込んできた!咄嗟に砂浜に駆け降りて近寄ると、なんと頭と同じくらいの大きな電球だった!!
 割れずにきれいな状態で転がっていた。こんなに大きな電球を手にするのは初めてだし、珍しかったので、ガラス玉の代わりに持ち帰ることにした。たぶん、いか釣り漁船の電球だと思う。

 大きな電球をザックにくくりつけて歩いた。後ろから見たら違和感があったと思うが、本人は珍しいものを見つけてルンルン気分だった。結局、電球は持ち歩くのは危ないので、宅急便で実家に送ることにしたのだが…

 その後も数組の応援者の方々とお会いして、中間となる興部に1時過ぎに着いた。興部で、久しぶりに人と会う約束をしていた。
 一人目は明治大学スキー部の先輩、僕が明大に進学するきっかけになったOBの方で、数年ぶりに会うことになっていた。その方と一緒に昼食を食べた後は、もう一人別の方と会うことになっていた。
 その方は旅のスポンサーでお世話になっている方のご友人なのだが、興部警察署にいるということで、旅で初めて警察署に歓迎された。緊張していたが旅のことなどの話で盛り上がり、気がつけば時間は3時を回っていた!目的地の雄武町まではまだ20キロ以上あったので、走らざるをえなかった。

 食べたものでお腹が一杯だったが、思った以上に走り続けることができたため、歩けば4時間以上かかる距離を2時間半で着くことができた。日曜日の午後ということもあってか、興部から雄武までは一人の方ともお会いしなかった。極端な日だなーと夕日に照らされながら思った。

 宿に着いて、いつものように風呂に入り、ストレッチをして、たらふく夕食を食べた。そして、いつものようにすぐに寝てしまった。最近は知らないうちに寝てしまうことが多く、夜中にふと目が覚めて、消し忘れた電気とテレビを消してもう一度ちゃんと寝直すことが多い。
今日もそんな感じだろう。

 また、知床から出発して200キロを過ぎてから、寝ているときの足のむくみと痛みがひどく、夜中に3、4回はトイレに起きてしまう。あと少しだから頑張って、と毎晩足のケアをしているが、日に日に痛みやむくみは増している。

 明日は再び50キロを超える1日だ。ゴールまで1週間を切っているが、あまり大きな変化はなく、今まで通り歩き続けることに感謝して明日からも歩きたい。

 



10/20(月) 「奪われる体力」(~枝幸町)

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 朝6時半、昨日よりどんよりとした雲の下、雄武を出発。今日から道北は天気が悪くなっていくようだ。
 稚内と網走の中間に位置しており、天気がどちらに傾くか微妙な1日になりそうだった。やはり、昨日の後半のランが予想通り体に大きく疲労を残していた。53キロ先の枝幸まで、我慢の歩きが続きそうだ。

 雄武町から枝幸町までは、今までで一番なにもない区間になった。小さな集落はいくつかあるが、店は30キロ先のコンビニが一軒だけだ。
 そして、今日は内陸からの南西の風が強く、午前中は長い間、海岸線と牧草地帯を抜けたので、風を遮るものがなく、風速10メートル位の風を真横から受け続けた。気温もあまり上がらなかったため、疲労でいつもよりパワフルに歩けない体からどんどん体力が奪われていった。
 さらにこの日の午前中は国道の路肩が傾いて歩きづらく、その影響からか左足底の外側が痛み出してしまい、体への負担が大きくなった。

 風と痛みに耐えること6時間、午後2時前に30キロ先のコンビニに到着した。暖かいものと、軽く食料を補給した。休憩中に足をマッサージしたが痛みが良くなる感じがなかったので、初めてロキソニンを飲むことを決断した。さらに鎮痛軟膏を足に刷り込んで再出発した。枝幸まで23キロ、昨日よりは早く宿に着けそうだが、それは風と足の状態次第だった。

 足の痛みは、薬の効果で驚くほどあっという間に良くなった。そして、風も午前中ほどの強さはなく、防風林も多かったので、体力をさらに削られることはなく順調に距離を稼ぐことができた。

 気温は10度位はあったのが、風の影響でここまで体感気温が低く感じるとは予想外だった。また、同じ距離を歩くのでも、風の有無や強さ、風向きで奪われる体力がこんなにも変わると、身をもって体験した。
 明日は寒くてもいいが風だけは弱くなってほしいと切に思い、初めて訪れる枝幸町に着いた。

 思わぬ難敵との格闘でかなり疲労していたので、宿の近くの鍼灸院にマッサージを依頼して受けることができた。案の定、強烈な施術となった。
 きっと明日は笑顔で浜頓別まで歩けると夢の中で思った。

 



10/21(火) 「さらばオホーツク海」

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 昨日、知床からの距離が300キロを超えた。たどってきた日々を思い返せば、長かったなぁと感じる反面、不思議なことにあっという間だったなぁという感覚もある。
 毎日毎日、歩き続け、目に入ってくるもの全てを脳が記憶吸収していたら、あっという間という感覚にはならないのかもしれない。
 でも、思い返すとインパクトのあったことは覚えているがそれ以外のことは時間が経つにつれて、記憶から削除されてしまっている感じだ。だから、頭に入っている情報をたどっても、あんなに時間がかかったのにあっという間だったなぁと思う気がする。
 今日もそんな1日になるのかな。

 当初の予定ルートでは、今日はまだオホーツク海に沿って北上して、猿払を目指す予定だったが、カヤックのスタート地点が予定の場所よりも20キロほど南になったため、浜頓別から内陸を抜けることになった。浜頓別から日本海側の豊富町までは何もないので、今日は30キロ先の浜頓別の宿に泊まる。
 オホーツク海を眺めながら歩くのも今日が最後だ。明後日には東北以来の日本海に出る。

 朝は小雨が降っていたが、予報の雨天も回復して曇りの1日になった。昨日は南西の風だったが、今日は海からの冷たい北風に変わっていた。午後からは寒気が南下するため、午前中よりも気温が下がるそうだ。明日はさらに下がり、内陸ではマイナス10度近くまで下がるそうで、いよいよ冬本番という感じがしてきた。
 北風に負けず劣らず、ぐんぐん進んだ!昨晩のマッサージが効いたみたいだ。
 痛かった左足底の痛みもほとんどなかった。ほぼトラックだけが行き来する、だーれもいない国道を歩き、6時間位で浜頓別の町に着いた。

 今までで応援の方に全く会わない日はなかったが、今日は久しぶりに誰とも会わなかった。一人廃校の校庭にあったブランコに乗り、オホーツク海を眺めながら、別れを告げた。
 何もない静かな1日はあっという間に過ぎていった。宝物を届けてくれたオホーツク海にありがとうと言って宿でゆっくり休んだ。
 
 明日は日の出前に町を出発する。

投稿時間:17:51 | 固定リンク


2014年10月20日 (月)

今週のヨーキ(10/11~10/17 斜里岳-北海道歩き)

10/11(土) 「斜里岳暴風警報」

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 朝4時に起床、窓を強く揺らす音が聞こえる。外はまだ風が強いようだ。冷たい摩周湖の伏流水で顔を洗い、眠気を飛ばした。
 宿の方のご厚意で、朝ごはんを前夜に用意してもらい、居間で一人炊きたてのご飯をほおばった。いつ以来だろうか…4時過ぎに朝食を食べるのは。
 なかなか、いつものようにがつがつ食べることができなかった。

 なぜこんなに早く起きたかというと、今日中に斜里岳に登りたかったからだ。
 今いる川湯から登山口までは約40キロ、それだけでも十分な距離だが、明後日北海道に接近する台風の影響を受ける前に登りたかった。 
 まだ、宿の方も外も寝静まっている5時過ぎに川湯を出発した。

 風の強さは昨日よりも強くなっている感じがした。昨日の天気予報では晴れとなっていたが、どうやら予報は変わったようだ。風は強かったが、空はわりと明るかったので、大きな崩れはないだろうと思っていた。
 峠を越えて、登山口のある清里町に向かう。町まで続く峠からの下り坂を走った。登山口に11時に着くためには下りや平地では走る必要があった。
 清里の手前の札弦に入ってから、天気はさらに崩れはじめ、雨が降ってきた。空を見上げると空一面を黒く重たい雲が広がっていた。携帯で最新の天気予報をチェックすると、午前中は雨で午後からは曇りとなっていた。しかし、天候よりも風の強さが気がかりだった。
 あとでわかったことだが、弟子屈など網走地方には暴風警報が発令されていたそうだ。街中でも時々15メートルは越える突風が吹いていた。山では軽く20メートルは越えていることが予想できた。

 午後から天気は回復してくるという予報を信じ、走り続けた。札弦市街を通過したときは、雨も止み雲も高くなったので、今日登る気持ちは揺るがなかったが、町を抜けて広大な畑の中に入っても、風の強さは相変わらず強く、すぐ近くに見えるはずの斜里岳はより一層濃い雲に覆われていた。

 ついさっきまで揺るがなかった気持ちが揺らぎ始めた。自分を前に突き動かしているのは二日後に接近する大型台風の動向だけだった。
 99座目の羅臼岳を台風が来る前に登りたかったので、どうにか斜里岳に今日登りたかったのだ。

 しかし、先に進めば進むほど、天候は悪化を続け、一度清里町と登山口に続く道との分岐で、明日に変更するかもう少し様子を見ながら進むか迷ったが、はっきりと決断できないまま登山口に向かってしまった。それからすぐに、小雨だった雨足が本格的に降りだして、暴風雨となった。まさに台風が来ているのではないかと誤解するほどだった。風上を見ると、1時間や2時間で回復するような気配がない雲だった。

 結局、最終的に今日の登山を中止と決断したのは、登山口まで7キロの林道が始まる分岐点だった。ここまで判断を迷わせたのは、台風の存在と今日登りたいという気持ちが大きく影響した。久しぶりに山の直前まで来て、登るのを諦めた。

 風上に向かって、来た道を引き返した。打ち付ける風雨が「決断が遅い!!反省しろ!」と言っているようだった。宿泊先の宿にチェックインが出来ないため、遠回りになるが来た道を引き返し、清里町の温泉までの5キロをとぼとぼ歩き出した。

 この日たまたま、ラジオの取材が入っていて、パーソナリティーの方とディレクターの方が清里町内まで雨のなか取材を兼ねて、一緒に歩いてくれた。旅のことなどをメインにいろんなことを1時間ほど話をしていたら、あっという間に温泉に着いた。

 久しぶりに旅を振り返りながら話す機会が出来て、悪天候だったが楽しい時間となった。悪天候のなか、取材をして頂いた二人に深く感謝した。

 気が付けば、雨で全身ずぶ濡れだった。温泉で体を温めて、濡れた服は乾燥機で乾かすことができた。外の雨風は相変わらず強かった。温泉で昼御飯を食べて4キロ先の宿に向けて歩き、3時過ぎに宿に着いて、今日のことを振り返りつつも、明日に向けて気持ちを新たにした。明日は1日中最高の天気のようだ。

 



10/12(日) 「やっぱり山は晴れがイイ」(斜里岳)

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 日本百名山ひと筆書きの旅も、残り3座となった。昨日、悪天候のために断念した斜里岳に仕切り直して今日登る。

 朝6時過ぎ、昨日の暴風雨が嘘のように晴れ渡り、宿を出ると眩しすぎる朝日に照らされた斜里岳が目の前に鎮座していた。
 鋭くとがった山頂が見え、昨日あの暴風雨の中で登っていたらどうなっていたかが容易に想像が出来て、ゾッとした。
 登らなくて良かったと思いながら、今日の天気に感謝した。

 登山口までは12キロ、手持ちの地図に載っていない農道を斜里岳に向かってひたすら歩いた。なるべくロスなく直線的に!
 どれほど短縮できたかはわからなかったが、勘を便りに歩くのも悪くない。急な林道を歩き登山口には予定通りの時間に着いた。

 9時に登山口を出発、予定では11時に登頂予定だ。
 斜里岳は標高はそれほど高くはないが、登山のレベルとしてはアルプス並みの経験が要求される。
 なぜなら、何度も繰り返す渡渉に加えて、沢登りがあるからだ。

 標高差は800メートルほど、距離は3.6キロほどと雌阿寒岳と同じくらいだが、コースタイムは5時間と長い。
 登山道のほとんどが沢登りになっている山は珍しく、百名山のなかでもほとんどない。
 沢登りになれている登山者もそう多くはないから、コースタイムが長く設定されているようだ。

 以前のコースタイムは現在の約半分に設定されていたため簡単な山と認識されて、遭難者が多かったそうだ。
 現在は数年前から見直されて、長めに設定されている。

 実際に登ってみてわかったが、斜里岳の沢登りは登山経験者というよりも沢登り経験が必要なレベルだと感じた。
 渡渉は比較的登山初心者でも経験はがあると思うが、沢登りとなると経験は少なくなるだろう。

 僕自信はリバーガイドの資格を持っているため、仕事やトレーニングで何度も沢登りや沢下りを経験してきた。したがって、斜里岳の沢登りは危険な場所や注意すべきところをしっかりとおさえながら、比較的簡単に登ることができたが、仕事でお客さんをガイドしている沢と大差ない感じだと印象を受けた。

 また、沢は麓の川に比べて雨が降ってから増水するまでが早いので、登る経験以外にも、必要とされる知識がある。
 初心者の方がもし登るのであれば、なるべく沢登り経験者や登山熟練者、地元のガイドさんと一緒に登った方が望ましいと思った。
 一般的な登山道よりも滑りやすく、負傷する確率が高いのが沢登り、いつもとは違う登山と思って斜里岳を楽しんでほしいなと真剣に思いながら登った。
 久しぶりに今まで以上に一歩一歩を慎重なった。険しく長い沢登りを終えると紅葉が終わり、葉が落ちた白樺が一面に広がった。斜里岳も冬の準備ができているようだ。

 新道と旧道の分岐まで来れば山頂まではあっという間だった。11時前に山頂に到着!登っている最中はそれほど人に会わなかったが、山頂には20人位の方が先に登頂していた。
 三連休の中日で、最高の登山日和、登山好きにとっては登らないと損をするような日だ。昨晩からの冷え込みで、山頂付近は氷っていた。
 そして、遠くに目を向けると、今まで登った250キロ先の大雪山系や十勝岳、雌阿寒岳、雄阿寒岳、次の山羅臼岳までがぐるりと一望できた!昨日ならたぶん10メートル先も見えなかっただろう…。

 今までにも何度も悪天候で山頂からの展望がなかった日もあったが、そんな日はそんな日で、晴れの日には感じることのできない経験ができて良かったと前向きに考えてきた。でも、今回は昨日の暴風雨で中止にしたおかげで、やっぱり山は晴れた方がいい!と思った。

 山頂の標識を前に氷をシャリシャリ(斜里斜里?)食べながら、登頂写真を撮って、三井口に向けて下山を開始した。山頂直下は北斜面だったため登山道は凍っていて、かなりひやひやしながらの下山となった。

 1時に予定通り、登山口に到着!登山口には二組の方が僕のことを待ち構えていた。そのうち一組は今まで応援に駆けつけてくれた人の中で最も遠い、熊本から会いに来てくれた!!懐かしすぎるクマモンのハンカチが嬉しかった。
 今日は下山口から宿までそれほど距離はないと予想していたが、斜里岳の裾野は広く、そこに広がる畑の中を通る農道をひたすら歩いたが、なかなか斜里岳が遠くならなかった。

 結局、登山口から宿までは20キロ以上あったようで、宿に着いたのは日が暮れた5時過ぎだった。
 この日斜里岳は一度も雲がかかることなく、その美しい姿を三連休でこの地を訪れた多くの観光客に「どうだ!」と見せびらかしているようだった。僕も今日1日、斜里岳に魅了された。宿の温泉が充実感たっぷりの体に染み渡った。

 寝る前に西日本で大きな被害を与えている台風の情報を確認、北海道への台風の接近が明後日からと分かったので、長い1日になるが明日の朝4時に宿を出発して、羅臼岳に登ることを決断した。明日にはラスト一座となっているだろう。

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10/13(月・祝) 「ラスト一座への砦」(羅臼岳)

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 3時起床。朝風呂(!?)に入り体を温めて起こした。さぁ今日は長く大切な1日になるぞ!と自分に言い聞かせた。
 4時過ぎ、満天の星空の下を歩き始める。1日の中で一番冷え込んでいる時間帯のため、勝手に鼻水が垂れてきた。暗闇の中、どこまでつながっているかわからない農道を歩いていたのだが、目的の道に出るまで50メートル手前で道が終わってしまった。海釣りに向かう車が林の向こうを何台も通過していくのが見える。藪を抜けやすいところを選び、国道まで突っ切った。林の中にはキタキツネらしき動物が寝ていて起こしてしまった。

 難なく国道に出て一息。ちょうど道路脇の標識に羅臼まで56キロと標されていた。
 羅臼岳の登山口まではここから約35キロ先、まだ頭はボーとしていたが、気を引きしめて一歩一歩力を込めて踏み出した。
 国道に出てから5キロほど進むと、次第に明るくなり穏やかなオホーツク海が目の前に広がった!!

 風は台風が接近しているとは思えないほど穏やかだった。今日は曇りだが、天気は安定してくれる予感がした。旅を通して、以前よりも何となく自然を感じられるようになっていた。

 道が広くなり、安心して歩けるようになってから徐々に走り始めた。下山時間から逆算して、ウトロに8時、宿に9時、登山口に10時という感じで、今のペースと時間を計算しながら走った。大学1年の時に家族旅行で訪れた以来となる知床、途中のオシンコシンの滝を見て懐かしく思った。滝を過ぎてウトロまで5キロの地点からは走るのを止め、歩きながら、20キロ近く走った疲労を回復させた。

 予定より遅くなったが、8時半にウトロに到着。行動食などを買い込んで岩尾別に向かった。
 この旅で一番熊との遭遇が多い場所に足を踏み入れた。

 世界遺産に登録されているためか車の交通量は多いが、無意識に何度も辺りを見渡していた。道路にはついさっき落とされたと思われる大きなウンチがあり、緊張が高まった。紅葉で山がキレイに色づく知床半島を楽しむ余裕はもはやなかった。

 宿に9時半に着いて、不要な荷物を預けて、4キロ先の地の涯温泉に向かった。登山口となる温泉には無料の露天風呂があるので、無事に帰ってきたらここで体を癒してあげようと考えていた。
 10時半に登山口を出発、黄や黄緑、橙などの色鮮やかな紅葉の下をどんどん登った。荷物も軽くなっていたのですでに40キロ近く走り歩いてきたが、体はいい状態だ。雲の影響で昼間なのに少し薄暗かったが、静かで風もなく快適に登っていった。

 自分が熊ならこの時期は標高の高いところにはいないなーと考えながら、一応辺りをキョロキョロしながら歩き、時々遠くの切り株が熊に見えて、ドキッとした!!
 登山口から山頂までは片道約7キロ、コースタイムでは往復8時間半、僕の予定は往復4時間半と考えていた。

 標高1000メートルを超えると気温がグッと下がり1300メートルからは雲の中に入った。何となくだが静寂のなかにも荒々しさを感じる羅臼岳らしい雰囲気があり、どこまでも山が上へと続いているような錯覚に陥った。

 羅臼平にはフードロッカーというものがあり、羅臼岳でテント泊する場合は、ヒグマに襲われないために、食料をテントではない場所に保管する。
 羅臼平から山頂までは前日積もった雪が溶けて凍っていた。滑らないように慎重に登った。最後の一座を登るためには、99座目の羅臼岳が最後の砦であり、それまでの98座全てを積み上げてきて、たどり着いた山である。今までのつながりを最後まで繋げるための大切な一座だと考えていた。
 100座への旅を始めるための扉はもう少しだ。

 山頂が近づくにつれて、雪や氷が険しさを際立たせた。午後1時、羅臼岳の山頂に到着した!!山頂に立つと太平洋からの強風が襲ってきた。南側の斜面は絶え間なく雲が山肌を這うように流れ、上空には時々薄くなる雲から太陽の光が差し込んだ。羅臼岳の陰と陽を見ているようだ。
 さすがに山頂は気温が低く、目まぐるしく変わる山頂からの景色を長時間見続けることができなかった。昨日の斜里岳のような穏やかな日ではなく、気象条件が目まぐるしく変わる方が羅臼岳らしいなぁと感じながら、一礼して下山した。

 雪や氷の部分は今まで以上に慎重に歩き、雲が抜けて遠くに知床五湖が見えるところまで来て、少し緊張がほぐれた。走って快調に下ろうかと思ったが、すでに1日の行動距離が50キロを越えていたので、足はガクガクだった。紅葉を楽しみながらのんびり歩き、3時半に無事に地の涯温泉にたどり着いた。

 あまり時間はなかったが、冷えて疲れた体を温めほぐすために露天風呂に入った。
 紅葉の下で入る温泉は格別だった!それから99座の羅臼岳を登り終えた達成感と安堵感に満ち溢れながら、宿までの4キロの道のりを歩き、4時半に宿に着いた。
 振り返ると、いつの間にか羅臼岳にかかっていた雲が晴れて、先ほどまでいた山頂とは思えないほどくっきりと見えた。まるで僕を暖かく見送ってくれているようだった。

 羅臼岳ありがとうございました!そして、行ってきます!!という気持ちになった。

 



10/14(火) 「久しぶりの休養日」

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 羅臼岳登頂から一夜明け、久しぶりに朝はのんびりと起きた。
 今日はいよいよ北海道に台風が接近する。右足の脛を負傷してから2日に再出発して、今日で13日目となる。利尻岳までの長い陸路に備えて、久しぶりに休養することにした。

 このまま、連泊したかったのだが、携帯電話の電波がなかったので、電波のある10キロ先のウトロに泊まることにした。結局、ウトロの宿のチェックイン時間に合わせて、岩尾別ユースホステルを出発して、雨のなか10キロを歩き、ウトロ市街で食事を食べて、雨風が強くなるなか2時過ぎに宿に着いた。温泉で温まり、久しぶりにのんびり過ごした。

 明日からは利尻岳への最後の旅が始まる。先ずは稚内までの400キロの舗装路が待っている!どんな10日間になるか楽しみだ!!

 



10/15(水) 「はじめの一歩」

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 さぁ!最後の一座への旅が今日から始まる。
 台風一過で朝から気持ちのいい天気だが、この時期の北海道は台風の影響で寒気が流れ込むために厳しい冷え込みとなった。道内各地の主要な峠では積雪が記録されて、通行止めになっていた。言うまでもなく標高の高い山は今シーズン一番の冠雪となっただろう。

 先日斜里岳を登った後、台風の動向で、羅臼岳に登る日を台風が来る前か過ぎた後にするか判断した。その時、ウトロの気温が台風が来る前と過ぎた後では5度も違い、また台風が過ぎるのが夜間だったため、山間部での積雪が予想された。その事も選択の条件の一つとなり、そのほかに1日の距離と行程、時間、体の状態なども考慮して、なんとか行けそうだったので、台風が来る前に登ることにした。
 結果、今日の羅臼岳はまさに冬の山となっていた。

 今までは冠雪しても積雪量が少なかったので、山は真っ白という感じではなかったが、今日の羅臼岳は中腹位から積雪していて、山頂付近は予想だが30センチ以上は積雪があってもおかしくない見た目だった。もし、今日登っていたら、今の携帯している装備ではリスクは高かった。運がいいと言えば運がいいが、気温に注目しておいて良かったと思いながら、台風のうねりが残るオホーツク海を眺めつつ斜里に向けて歩いた。

 今日は短めの40キロだったので、初日としては少し物足りないかもしれないが、最後だからと初日から意気込んでも終盤で息切れしてしまうので、このくらいがちょうど良かった。
 途中、オホーツク海に流れ出る川を覗き込む観光客がいて、話しかけるとサケが遡上していると教えてくれた。サケの遡上を見るのは初めてで、体長50センチくらいはありそうなサケが何匹も泳いでいた。感動だった!

 それからは数人の方が応援に駆けつけてくれたり、冠雪した別海山や斜里岳を眺めながら歩き、4時前に斜里駅前の宿に着いた。利尻岳までのはじめの一歩は順調に終えたかに思えた。部屋に入り荷物を置いて着替えようと思って、ポケットに入れていた手袋を取り出した。

 「あれ!?片方がない!」すぐにどこかに落としたと気付いた。すぐ近くにあるかも、と宿を飛び出した!!しかし、来た道を走り続けても、どこにも見当たらない…もしかしたらと可能性のありそうな所まで走った。それでも見つからなかった。

 気温が低いとき用の暖かい手袋でかなり重宝していただけにガックリきた。旅の序盤にも手袋を無くしていたので、必ず立ち止まったときやザックから荷物を出した後には辺りを確認してから歩き出していたが…どうやら今回は歩いている最中に落ちてしまったみたいだ。諦めきれなかったが、日が暮れてしまいかなり冷え込んできたので、気持ちを切り替えて宿に戻った。

 結局、宿から往復16キロも走ってしまっていた。40キロで終わったはずの1日が、56キロになっていた。かなりいいペースで走ったので、宿につく頃には下半身はパンパンに張っていた。寝る前に整体マッサージを受けることができたのが救いだった。

 明日は網走まで。もう二度と落とし物はしないと誓った。

 



10/16(木) 「海からの宝物」

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 8時に斜里駅前を出発。今日の目的地は45キロ先の網走。

 斜里川を渡り、国道は海岸沿いではなく少し内陸を通っているので、地図に載っていない海岸沿いの砂利道を歩いた。砂利道からはほとんど海が見えなかったが、海と砂利道の間にハマナスが群生していた!ハマナスが自生しているのは始めてみる。かなりの範囲に自生していた。

 斜里を出てから1時間ほどで砂利道が行き止まりになってしまった。運よく川を渡り、わたった先からは網走まで続いてそうな砂浜を歩いた。固く歩きやすい波打ち際を歩くが、打ち寄せる波に翻弄された。久しぶりに一人で無邪気に歩いた。右側には広いオホーツク海、左側には打ち寄せた漂着物が散乱していた。

 ドラマのような手紙の入ったビンなんかないかなぁ…と漂着物を何となく眺めながら歩いていると、太陽の光に反射してひときわ光るものが目に留まった!最初はビンの底かと思ったが、近づいてそれがなにか分かるとテンションが上がった!!
 野球ボールサイズのガラス玉だった。今は漁具として使われているか分からないが、昔の浮きに使っていたものだ。漁港やおみやげ屋さんなどで見たことがあったが、浜に打ち上げられているものを拾うのは初めてだった。形もよく、艶もあるが、ただのガラス玉。しかし宝物を見つけた気分だった。歩いていくと、さらに2個もゲットした!

 何だかドラゴンボールを探し歩いている気分になった。何とか7つ揃えたいなーと思っていたが、砂浜を歩くのに思った以上に筋力を使ったようで、2時間ほど歩いてドラゴンボール探しを諦め、舗装路に戻ることにした。足の裏には優しいが、他の部分への負担が大きいことを感じ、砂浜でのトレーニングは効果が高いと実感した。オホーツク海にしばしの別れを告げて、一般道に戻れそうな道を見つけて、舗装路に戻った。足への負担は大きいが、グリップ力と移動速度に感動した。

 3時間ほど、海から離れ再びオホーツク海が見えるところまで戻ってきたときには、すでに網走市に入っていた。海で拾った宝物は大切な思い出として、しっかりと梱包して、自宅に送った。まだまだ続くオホーツク海で、また宝探しをする機会があると思う。あと4つのドラゴンボールをゲットしたら願い事が叶うかもしれない。もし叶うならどんな願いがいいだろう。
 オホーツク海沿いを走るワンマンディーゼル車を眺めながら、そんなことを考えた。

 今日の目的地が山を越えた向こうにある網走刑務所の近くの宿だったので、網走市内に入る前に、山越えの近道を選んだ。意外とアップダウンが激しかったが、公園内の藪を抜けたりなどして、最後まで楽しく、いつもよりちょっと冒険ぽい1日になった。明日はどんな冒険が待っているだろう。

 



10/17(金) 「地図に翻弄」

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 朝6時半、宿を出発した。網走からサロマ湖の中間まで歩く約45キロの道のりだ。
 ふと、ゴール予定までの日数をカウントした。このまま進むと歩き始めてから、206日目でゴールとなる…と言うことは、いつもと変わらぬ日を迎えてはいるが、今日は199日目、明日で200日だ!!

 今日は網走から稚内まで続く国道238号線を主に歩く。国道を歩き続ければ浜頓別までは約220キロだが、今日は直線距離で10キロほどの山越えをして、距離を短縮する予定だ。アップダウンが激しく体力面でハードだが、時間と距離は確実に稼ぐことができる!

 今までも幹線道路から外れて、山越えなどをすることは多々あった。ただ、気を付けなくてはいけないのは手持ちの地図の情報が少なく、あまり正確ではないということだ。これまでにも地図に載っていない道が出てきたり、分岐が出てきたりなど、迷う場面があったが何とかコンパスで方角を確かめたりしながら、クリアーしてきた。
今日も問題ないだろうと思っていた。

 出発してすぐに、国道から逸れて脇道に入り、近道を狙ったが…地図に載っている道は網走刑務所の敷地内で立ち入り禁止となっていた! 
 「あちゃー」という感じだった。地図にはなにも書いていない。見るからに通れそうな感じではあった。もしかして今日はこんな日か!?と不安がよぎった。結局、遠回りをすることになったが、こんなときはいつも、これも旅の醍醐味だと気持ちを切り替えてきた。

 再び国道に戻り、湖沿いのサイクリングロードを歩いた。湖畔の紅葉した林のなかを抜けるいい道だ。暫く歩き、山越えをする場所にたどり着いた。山というより大きな丘のようだが、丘全体が畑になっていて国道から何本も丘に向かって砂利道が延びていた。
 僕が歩く砂利道の入り口にはバス停があり、そのバス停の名前が目印と地図には書かれていた。その通りの場所に来たのだが、実際の場所と地図の場所が合っていないような気がしていた。でも、地図に書いてあるバス停が目の前にあるのでここで間違えないと思って先に進んだ。

 地図に載っている林道を歩いているはずなのに、なんとなく実際の場所としっくりこない。それでも17万分の1だから細かい道の曲がりなどは気にせずに方角だけを確認して進んだ。30分ほど行った所で、地図に載っている場所とは違う場所にいることが決定的となった。本来なら十字路のところがT字路になっていた。
 地図が間違っているのか、実際の場所が間違っているのか、手持ちの地図では判断が難しかったが、地形を大きくとらえて、目的の方向に近い道を選んだ。そして、途中からは地図に載っていない伐採林道を藪をこぎながら半ば強引に山を下りて道に出た。下りた先に大きな川があるので橋を見つけなくてはいけないのだが、現在地がわからないので、どちらに向かったら橋があるか分からなかった。運よく地元の人に教えてもらい難を逃れた。

 橋を渡り大きな道に出てようやく自分がどこにいるかがはっきりした。ほとんどロスなく来ていたが、やはり実際歩いてきた砂利道と地図の道は間違っていた。原因は目印のバス停の位置が地図に記されている場所からズレていたことだ。本来のバス停は3つ手前の入り口だったようだ。「あー!もー!」と思いつつ、物言わぬ地図に何を言ってもしょうがないとあきらめた。まぁ、方角だけを頼りに進むワクワクドキドキ感も楽しかったので、総合的にはOKとした。

 さらに1時間ほど歩いて、午後2時に国道へ再び合流した。雨も降ってきて、空が暗くなり、何となく近道したようなしていないような感じになった。アドベンチャーレースでも学んできたが、地図と現実は必ずしも合致していないと今日のことで再確認した。
 旅には地図は欠かせないアイテムだが、人が作っているものであり、作ったその時と現実では違いが出てくることもあると思っていてもいいかもしれない。

投稿時間:15:24 | 固定リンク


2014年10月14日 (火)

今週のヨーキ(10/3~10/10 大雪山-雄阿寒岳)

10/3(金) 「考える日」

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 復帰2日目、温泉効果もあって、昨日の疲労や故障部分の悪化もなくいい感じだ。
 今日は明日登る大雪山(旭岳)の中腹にある旭岳温泉までの道のりを歩く。
 距離は約46キロとそれほど長くないが、美瑛の丘などの峠越えが連続しタフな感じだ。
 それと人気のない道を歩くので、熊との遭遇の可能性が高い。

 朝、どんよりとした空模様の中出発、旭川地方は1日を通して冷たい雨が降るようだ。
 雨なら山で降られるよりも下道を歩くときの方が助かる。

 いつものように宿の出発直後から、NHKスタッフに囲まれて撮影が始まった。
 そんな中、遠巻きに僕らのことを見ている人がいた。白金温泉は観光地なので朝から観光客が歩いており、僕に会いに来たのかがよくわからず、自分から駆け寄って行くのも変なので気にせず歩き始めた。あとから振り返ると、遠く離れていてもこちらを見ていたので、もしかしたらカメラがあったので近づけなかったんじゃないかと思い、自分の中でどうしたら良かったのか、歩きながら考えることになった。

 思い切って自分から話しかけた方が良かったのか、カメラを止めてもらい話しかけてもらいやすく配慮した方が良かったのか…話しかけて来るのを待つべきだったのか。何とも判断に迷う距離感だった。それがきっかけでこんなことを振りかえり考えた。

 故障中の休養で、初めてテレビで放送された番組をすべて見た。第4話が一番自分自身考えさせられた。旅の序盤は、今ほどプレッシャーや期待は大きくなく、のびのび自由奔放に旅をしていたと思う。それから、徐々にテレビの放送などで反響が広がり、アルプスを抜けたあとからは、想像以上にたくさんの応援と反響があった。テレビやネットの力の大きさに改めて驚かされた。

 旅の目的のひとつでもある「このチャレンジングな旅を通じて、田中陽希という人間を知ってもらう」という部分は、テレビをきっかけに旅を知ってもらい、結果として反響も大きくなり、目的の達成に近付けたのではと思う。しかし、旅の中盤、自分の中で多種多様な応援と反響の大きさをうまく整理や吸収ができずにいた。

 狙い通りのはずなのに…名前だけが一人歩きをして大切な中身(自分自身)が追い付いていなかった。そのため、第4話にも少し出ていたが、戸惑いや葛藤、苛立ちが押さえきれずに出てしまっていた。

 初めての経験や感覚だった。スゴくありがたいし助かることなのだが、それが多種多様過ぎて、全てを柔軟に受け入れることができないでいた。

 そんな心の葛藤を今までにも日記などで書いていたが、それを読んでいただいた方からは、多くの励ましなどフォローをいただいた。そのたびに救われたり、力をもらったりすることができた!
 少しずつだが、多くの方々の考え方や期待などに対して、先ずはどんな場合であれ感謝しようと思うようになっていった。時にはうまく実践できないこともあったが、気持ちの部分では大きな変化になったと思っている。確かなのはゆとりが出たかなと感じていることだ。

 北海道に入り、残りの山の数も減っていく中で、最近は旅が終わりに近づく寂しさも感じるときがある。望んでいるゴールなのに…不思議な感じだ。
 また、今までとは違う変化も出てきた。それは旅の原動力だ。
 初めのころは壮大ですごい旅をやってみたい!!スゴくおもしろそう、という単純な思いで旅を続けてきた。
 そんな中、旅の途中ではあまりの期待や応援がプレッシャーとなり、初心を感じられなくなったときもあった。

 しかし、心にゆとりが出始めてからは再び、初心を取り戻しつつ今までプレッシャーと感じていた期待や応援が徐々に自分の背中を押してくれたり、支えてくれたりしていると実感し始めた。それが北海道に入ってからさらに強く感じて、今は多くの方々の応援や期待に応えたいという気持ちになっている。

 今はプレッシャーや責任が旅を続けるためのいい緊張感を生んでくれている。最後の頂まで皆さんよろしくお願いします!



 




10/4(土) 「久しぶりの兄弟登山」(大雪山旭岳)

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 今日は北海道の最高峰、大雪山旭岳に登る。8年ぶりに登るのだが、天気は昨日と同じような感じだ。た
 だし心配だった雪は気温が下がらなかったため降ることはなく、山頂付近も溶けてしまっているようだ。

 当初の計画では、2週間ほど早く登る予定だったので、旭岳からトムラウシ山までは山小屋宿泊で一泊二日の行程だった。
 しかし、予定より2週間遅いことや例年より雪が降るのが早いこと、痛めた足の状態を考慮して、旭岳は往復することにした。
 それで、今日のゴールを天人峡温泉にして、明日は長丁場にはなるが、天人峡からトムラウシ山を登りトムラウシ温泉まで抜ける計画に変更した。

 クロスカントリースキーの選手時代、高校大学を通じて毎年のように合宿などで訪れた旭岳温泉を出発して登山口に向かった。
 登山口には10年ぶり位に一緒に登ることになった弟が待っていた。本当は足を痛めていなければ先週末に十勝岳に一緒に登る約束をしていたが、長い休養となったため、1週間遅れで旭岳に一緒に登ることになった。
 週末しか休めない弟と何とかタイミングがあって良かった。旭岳が一緒に登れる最後のチャンスだった。今もクロスカントリースキーの選手を続けている弟の体力は僕よりも数倍上なので、今日の行程は彼にとっては物足りないかもしれない。

 二転三転したがこの旅で弟と登れる機会ができて良かった。結果的に二人にとって、馴染みのある山に登ることができた。天気が悪かったが、久しぶりに最近のことや家族の思出話などをしながら、時に笑いながら楽しく登ることができた。

 父は本来、弟に今僕がやっているようなチャレンジをして欲しかったそうなのだが、僕がやりたいことを全力でやっているように、弟も土俵は違うが、もっと競争の激しい場所でチャレンジを続けている。僕の夢はクロスカントリースキーの選手としてオリンピックに出ることだったが、今は弟に自分の夢を託している。(…と僕が勝手に思っているだけだが。)

 山頂には出発から2時間ほどで到着した。さすがに山頂に雪は無かったが風が強く寒かった。長居をする必要がなかったので、記念写真をとってすぐに下山した。1時間ほどで下山し、この日休みだった両親が旭岳温泉まで会いに来ていたので、予定では弟はここでゴールだったが、両親に弟の車を天人峡まで持っていってもらい、結局最後までいくことになった。(天人峡までの登山道で熊に会いたくなかったので、弟に来てもらいたかったのが本音。)

 寒さで思った以上に体力を消耗していたので、ビジターセンターで休憩と昼食を食べてから天人峡へ向けて出発、約1時間半ほどで紅葉が見頃の天人峡に着いた。

 またひとつ弟との思い出ができた!しっかりと補強した足を労いつつ、明日のために早めに休むことにした。

 




10/5(日) 「雪のトムラウシ」(トムラウシ山)

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 距離約29キロ、コースタイム約17時間、北海道の9座の中で一番の長さ。1泊2日の行程を今日は9時間で抜ける予定だ。
 大雪山系一番の難所となるトムラウシ山に今日はアタックする。

 昨晩からの冷え込みで、1600メートルから上は雪が積もっていることが予想されたので、初冬の雪山に対応できるように装備の交換や補充をした。靴は今までのトレランシューズではなくゴアテックスのトレッキングシューズに替え、ロングスパッツを着用して、アイゼンを携帯した。
 あまり、慎重になりすぎて装備を持ちすぎるのも体への負担になるので、1日を通じて天候が安定することも加味し、最低限のものを携帯することにした。特に今日は新雪を長時間歩くため、荷物が無くてもいつもより負担が大きくなるので、装備の選択には配慮した。 

 荷物は少しでも軽い方がケガのリスクも少なくなるからだ。山道の行程が長く、環境が厳しくなればなるほど、装備の選択には気を付けなくてはいけない。

 7時に天人峡を出発、渓谷に差し込む朝日で紅葉がきれいだ。先ずは中間地点にある化雲岳をめざす。序盤は紅葉が綺麗な森の中を歩き、2時間ほどで森林限界を抜けた。草紅葉が生い茂る中を進むと雲の中から昨日とは別人のような真っ白になった旭岳が見えた。雪化粧をした大雪山をみて「ドデカいなー!」と改めて思った。

 木道の終わり頃から辺りの低木や笹に雪がつき始め、徐々に真っ白い世界に覆われていった。前日の雨で登山道は川となり、雪と氷の重みで笹やハイマツは登山道に覆い被さって、抜けるのに悪戦苦闘した。そこを抜けると、一夜で初冬となった銀世界が広がっていた。登山道のマーキングは消え、所々にある小さなケルンと他の登山者の足跡をなぞりながら化雲岳を目指した。

 出発から4時間ほどで、化雲岳に到着。間近には岩が積み重なったようなトムラウシ山が見え、振り返るとどっしりとした大雪山とそこから続く主稜線が化雲岳へと延びていた。ここからトムラウシ山まではだだっ広い稜線を歩くのだが、雪の量が多いため登山道は相変わらず分かりにくく、吹雪いたり濃霧になれば容易に遭難してしまうことが想像できた。

 天候が急変しやすいトムラウシ山で天気が安定している日に当たって良かった。山頂までは5キロ、途中にはロックガーデンがあるので、天気が良くても安心は出来なかった。
 何故なら、大きな岩を飛び石のように抜けていくロックガーデンでは、雪でマーキングが見えなくなるので、登山ルートが全くわからなくなってしまう。また、雪が積もったことで滑りやすく踏み抜きやすくもなるので慎重な判断が必要だ。

 ロックガーデンの手前で先を行っていた他の登山者が引き返してきた。なんと、幌尻岳で会った方だった。話を聞くとロックガーデンで道を見失って、引き返してきたそうだった。本格的な雪山になれば、登山道を気にせずにもっとシンプルに地形を見て、方角を確かめながら進めばいい。

 この時期に登るのは初めてだが、例え雪でルートが分かりにくくても、しっかりと地図と周りの地形を見て、大きな方角間違えをしなければ遭難の危険性は少ない。ただし、地図とコンパスを持っていることと地図読みができることが必要な条件となってくる。あとは現場での観察力が一番重要だと思う。しっかりと見える範囲を見渡して、見えるところから道標などの人工物やかすかに見えるマーキングなどをいかに素早く見つけるかが大切だと僕は思っている。

 道なき道を行くことがあるアドベンチャーレースでは、ルートファインディングという能力が必要で、よく遠くを見るため、今回の旅でもその経験が生きている。現在地をしっかり把握して視界が良いときは、見えるところまで見て、これから進む方向のイメージを僕はよくしている。
 今回もほとんど、ミスなく山頂まで続くロックガーデンを抜けることができた。ただし、天候が悪く視界が良くないときの雪が積もった状況では、ルートを正確にたどるのは難しく、遭難を回避するためにはより長い時間とGPSなどの装備が必要になってくる。

 トムラウシ山に近づくにつれて西からの風が強くなった。予定より少し遅れたが、1時過ぎに念願のトムラウシ山に登頂した。先日登った十勝岳がスゴく近くに感じ、遠くには苦闘した幌尻岳が見えた。時折風が弱くなると、太陽の暖かさも感じることができた。これで96座目、難所と考えていた北海道の屋根を無事に登頂することができた。

 宿泊先のトムラウシ温泉に着くまでは気が抜けないが、トムラウシ山から見える山々に見とれた。昨日は弟と一緒に登頂したが今日は一人だったので、雪だるまを作って、トムくんと名付けて一緒に登頂写真を撮った。

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 10月に入ってから日に日に夕暮れが早くなっているので、日が暮れない内に下山するためにも2時前に下山を開始した。下山する東側斜面はそれほど雪は積もっていなかった。また、他の登山者の足跡も多く、後でわかったことだが、その中のほとんどが、僕に会うために登った方たちのものだった。予定よりも1時間遅く出発したので、山頂に着く時間が遅くなってしまった。この場を借りてありがとうございましたと伝えたい。

 ゴーロやぬかるみの多い登山道を抜け、最後は熊の出そうな林を抜けて、4時半に20年ぶり位に訪れるトムラウシ温泉に到着した。昔と全く変わってしまったトムラウシ温泉は大きなホテルのようだった。北海道の山で一番名残惜しい山頂になったが、山頂からみるいつもとは逆の十勝岳連峰の景色がなんとも印象深かった。

 さぁ、あとゴールまで4座、700キロだ!!

 




10/6(月) 「ドキドキの林道」

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 今日から復帰後初の長い舗装路歩きが始まる。今回は3日間かけて雌阿寒岳までの約150キロを歩く。今日は鹿追町瓜幕までの50キロだ。
 20年前はトムラウシ温泉までの40キロは荒れた林道だったが、現在は5キロ近くまで舗装されていて、昔より行きやすくなっている。その道を町に向かって、歩き続けた。道は整備されているが、まだまだ山奥なのでもちろん携帯の電波は入らなかった。

 なーんにも変化のない道を歩いていると、どこからか「モーモー」と鳴く声が聞こえてきた。進んでいくと、何棟も建ち並ぶ大きな牛舎があらわれて、見るとどの棟も子牛ばかりが入っていた。肉牛や乳牛の子供たちのようだ。あまりにかわいいので足を止めて写真を一枚撮った。

 子牛にバイバイした後は、再び何もない道が続いた。お昼を回っても気温はあまり上がらなかったため、汗はほとんどかかなかった。トムラウシから30キロほど行ったところで、思わぬ応援があった。地元の方が北海道を型どった手作りクッキーを差し入れてくれた!首にかけられるようにヒモが着いていたので、金メダル風に首にかけながらいただいた。自然と嬉しさと笑顔が出てくる出会いだった。

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 それからすぐ、今日の核心部となる誰も通らない長い山越えの林道に入った。熊がいつでてもおかしくない薄暗い砂利道を気持ちを強く保ち、黙々と歩いた。ガサッと音がするたびにビクつきながら…。時々、いつものように「こんにちわ~、お邪魔しまーす!」などと叫びながら歩いた。僕なりの熊対策だ。今日はいつも以上に何度も叫んだ。

 地図には12キロと書いてあったが、道の途中にある朽ちた標識を見ると実際の距離はもっとあったようだ。進むにつれて地図にない林道の分岐がいくつも出てきて、確信の持てないまま、方角と道に着いた車のタイヤ跡などを見て道を選んでいった。使っている地図が17万分の1の地図なので細かい林道が載っているはずもない。

 林道に入ってから約2時間で、地図に載っている山向こうの道に出た。ようやくほっと一息着くことができた。
 林道の後半はドキドキの連続だった。それから1時間ほどで宿に到着。この旅初のトレーラーハウスが今日の宿になった。隣接するレストランで、大きなチーズハンバーグを食べ、寝床に着いた。林道の緊張から解き放たれて、爆睡だった。



 




10/7(火) 「雄大」

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 十勝の牧場の朝は早い。夜も明けぬ時間から牧場のトラクターが動く音が聞こえて目が覚めた。まだ4時前だった。
 連日、北海道の朝の冷え込みは厳しさを増すばかり、初めてのトレーラーハウスの中の冷え込みも厳しかった。

 寒さでなかなか布団から出れず…慌てて起きたときには6時を回っていた。朝食の時間が6時半だったので寒さに震えながら、唯一の暖房器具である電気ストーブに当たりながら準備を急いだ。


 外に出ると、近くの牧場から漂う香ばしい牛ふんの匂いが歓迎してくれた。静かなレストランで一人朝食を食べて、スカッと晴れた秋空に飛び出した。

 今日は昨日よりちょっと長い、足寄までの60キロを歩く。どーんと広がる十勝平野の北側を東に向けてひたすら歩いた。
 広大な農地や牧場が広がる中を、これぞ北海道!という感じの景色を一日中眺めながら歩き続けた。行けども行けども、景色は似たり寄ったり、車で通りすぎるのにはちょうどいいが、歩くのにはちょっと退屈かもしれない…。まぁ、僕は好きな景色だから、退屈とは感じなかったが。

 はるか遠くをずーっと見渡せる場所も北海道ならでは、だ。まさに雄大!特に今日は天気も気温も景色も場所も全てが揃っていた気がする。久しぶりに「旅」をしてるなぁと感じた日だった。

 




10/8(水) 「あっという間!?」

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 トムラウシ温泉を出発してから3日目。これまで全く見えなかった雌阿寒岳が今日には見えてくるだろう。雌阿寒岳までの150キロ以上の道のりも、気付けば今日で終わる。

 旅のはじめの頃と今では距離に対する感覚が変わってきている。1日50キロ以上が普通になり、次の山までの総距離が200キロ位でも、あまり遠いと感じることが少なくなった。なので今回の阿寒岳までの150キロも感覚的には近いなぁと感じている。7000キロを超えると感覚がおかしくなってしまうのかもしれない…。結構、体に負担をかけているはずだが、愚痴一つこぼさずに動き続けてくれている体に今日も感謝した。

 雌阿寒岳までの舗装路最終日は、軽めの43キロ。昨日よりは早めに到着できそうだ。早く着いて3日間頑張ってくれたからだを温泉で癒してあげたいと思った。紅葉が里までおりてきて雌阿寒岳に近づくにつれて紅葉が深まる山間の国道を歩き続けた。

 午後4時半、夕日に染まる雌阿寒岳が見える麓の野中温泉に到着した。宿に入ると、この旅のことを知っていたようで、嬉しい歓迎をうけた。3日ぶりの温泉で体をほぐしながら、ここまであっという間の3日間だったなーと振り返った。明日は久しぶりの1日2座。雌阿寒岳と雄阿寒岳、どんな表情をしているか楽しみだ。

 




10/9(木) 「女山!男山!」(雌阿寒岳、雄阿寒岳)

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 朝6時半、野中温泉の方に見送られ、背筋がピンと伸びるような空気の中に飛び出した。今日は東北の磐梯山と安達太良山を登った時以来の1日2座。旅の計画当初は雌阿寒岳に登る予定だったが、旅が始まってから雄阿寒岳が本当の百名山だと知った。それじゃあ雄と雌で一つなんだから、2つ登った方がいいと思い行くことにした。幸いあまり離れておらず、いい距離感の夫婦だったので、1日で登る計画が立てられた。

 先ずは、活火山の雌阿寒岳。御嶽山の噴火があったので以前より活火山への入山が慎重になったが、宿にある火山活動の情報は安定を示していた。最新の情報を確認しておけば少しは安心できる。また、標高は雄阿寒岳より高いが、登山口からの標高差はそれほどない。見上げた感じではあっという間に登れるなぁという印象だった。

 体がまだ起ききっていなかったので、苔が生い茂る松林の中をゆったりとしたリズムで登った。
 北海道の森林限界は低く、雌阿寒岳は活火山のためだろう、登山口から30分位で森林限界を抜けて、一気に視界が開けた。朝日で眼下に雌阿寒岳の影が写っていた。今日は最高の登山日和になりそうだ。

 山頂が近づくにつれて傾斜が急になってきたが、登山道は歩きやすく快適で、リズムが作りやすい感じだった。出発から1時間で九合目に到着し、山頂には1時間10分ほどで到着。登ってみてびっくり!活動中の火口が3つもあった。火山活動は安定と出ていたが、音と煙はスゴい音と勢いがあった。

 山頂はその大きな火口に囲まれるようにあった。東には阿寒湖と雄阿寒岳が見えて、眼下には阿蘇山を思い出すような火山独特な山肌が広がっていた。噴火口との距離は今までの活火山の中では一番近いかもしれない。(焼岳のほうが近いかもしれないが見えなかったのでわからない…)

 気持ちがいい朝日を浴びてのんびり景色を眺めたくなるような感じだったが、朝一のため山頂の冷え込みは厳しかった。寒さのためか、左の脛に痛めた右足に似た痛みが走った。入念なストレッチをしてから下山を開始した。

 滑らかな曲線のような下山道はとても気持ちが良かった。火山帯を抜けるとガラッと雰囲気は変わり、どんどんと笹と松の森になっていった。5キロの林道を抜けて、10時過ぎに阿寒湖に出た。急ぎ足で雄阿寒岳を目指した。

 途中に宿泊先のホテルに必要のない荷物を預けて、荷物を軽くして雄阿寒岳に挑んだ。標高は低いが登山口からの標高差は雌阿寒岳よりもあった。山頂までのコースタイムは3時間半、荷物も軽くなったので30%位(1時間10分位)で登る予定を立てていた。

 久しぶりに身軽になったので、これなら行ける自信があった。登山口を12時に出発。阿寒湖の畔を歩き、徐々に登り始めた。
 雌阿寒岳と同じように、山頂が近く感じたが、登りはじめて30分位で雌阿寒岳よりも険しく距離が長いことを実感した。傾斜が急なため長く蛇行を繰り返して登るので、見た目の距離以上に長く、登山道は落ち着かない感じで雌阿寒岳よりも慌ただしい感じだった。登りに大切なリズムがとりにくい山だなという印象だった。

 また、地図にある一合目から九合目までが等間隔ではなく、五合目で8割が終わっているという他の山にない距離感を刻んでいた。
 五合目まで展望がなかったためか、1時間近く男坂のような急坂を登り、行けども行けども山頂が近づいている気配を感じない山だった。登りながら、なぜ標高は雄阿寒岳より低いのに雄阿寒岳とついたのかがわかった気がした。身軽になったとはいっても本日2座目、雄阿寒岳の急坂がボディブローのようにききはじめ、ようやく五合目に着いたときには、すでに1時間が過ぎていた。久しぶりにヘロヘロになって、五合目で阿寒湖を見ながら、どっしりと腰を下ろした。

 五合目からは比較的ダラダラと登って行くのだが、ボディブローが効きすぎて、足に力はなかった。結局、山頂到着には1時間半以上かかってしまった。いつもなら急坂になればなるほどコースタイムは長く計算されているのだが、雄阿寒岳のコースタイムはかなり厳しく設定されているなと感じた。雄阿寒岳を甘く考えていたところを見事に山に見抜かれて、滅多打ちにされた気分だった。
 改めて、地図からだけではわからない山の力を強く印象づけられた。

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 活火山だけど女性のような曲線を持つ阿寒岳と、静かな阿寒湖を見下ろしながら、一歩足を踏み入れると外からはわからない荒々しさがある雄阿寒岳。僕は2つを登りそんな印象を受けた。雄阿寒岳の山頂から見えた雌阿寒岳がとても美しかった。

 雄阿寒岳の下山は登りとはガラッと変わり、快調におりてくることができた。再び阿寒湖のホテルに戻り、明日からの舗装路に備えていつもよりも入念なマッサージを受けた。
 久しぶりの1日2座で体はいつもよりも疲れていたが、雌阿寒岳と雄阿寒岳を両方登ることで2つで1つなのかなと思えた。残り3座。

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10/10(金) 「道東に人を」

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 北海道は広くてデカイ。9月12日に北海道に上陸してからもうすぐ1ヶ月。予定外の休養はあったが、本州ならいくつもの県を渡り歩けただろう。実際にスタートから1ヶ月で九州から四国まで歩いてしまっているので、そう考えると北海道の広さが他の都府県を圧倒していることがわかる。北海道の西の端から東に向かって横断しているが、東の端の知床半島はまだまだ先だ。

 大雪山系を越えて、道東に足を踏み入れるのは高校時代の家族旅行以来だ。今日は阿寒湖から峠を越えて、弟子屈の川湯まで歩く。道東に来て、改めて北海道は本当に難しい地名が多いと感じている。弟子屈(テシカガ)もまたなかなか読めないと思う。道南もキレイな湖が多かったが、道東も日本を代表する湖が多い。弟子屈には摩周湖や屈斜路湖などがある。また、いつかはカヌーで下ってみたい釧路川やこの旅では立ち寄れなかった釧路湿原も美しい場所だ。

 朝、7時半に宿を出て、紅葉に包まれた峠越えの道を雄阿寒岳に見送られて歩き、峠を越えてからは秋の風を受けながら、快調に弟子屈に続く坂をかけ降りた。予想では6時に宿につくはずだったが、思った以上に体が軽く、4時半に川湯駅前の宿に着いた。

 予定では明日、斜里岳に登るので、寝坊したらダメなのだが、再出発してからもうすぐ10日が経つのでそろそろ休養したい気持ちではあった。

 北からの風が強さを増すなか、近くの日帰り温泉で疲れを癒して、宿では珍しい地物の魚などの炉端焼きを振る舞っていただいた。宿の方と一緒に食事をするアットホームな感じで、旅の話や宿の歴史などゆっくり食事をしながら話をした。そんな話の中で心に残ったのは、道東にはなかなか人が足を運んでこないということだった。

 冒頭でも北海道は広いと話したが、その広さは九州2つ分にもなる。
 北海道の人でもなかなか道東の方に足を運ぶ機会は少なく、ほとんどは札幌や旭川、小樽、函館など道央道北、道南に集中してしまう。観光客になればもっと顕著になり、北海道旅行の定番は札幌近辺や旭川、美瑛、富良野などを回る2泊3日が主流。日高山脈と大雪山系を越えても十勝止まりだとご主人が話していた。また、足が遠くなる理由としては、道央に比べ、道外から飛行機などのアクセスが良くないことも指摘していた。
 知床が世界遺産に登録されても、道東全体が盛り上がっているわけではなさそうだ。

 弟子屈辺りの自然を紹介したりガイドしたりするネイチャーガイドもしているご主人は、道東のありのままの自然に魅せられて、14年前に移住してきたそうだ。それから、たくさんの人に道東の良さを知ってもらうために活動を続けてきたそうなのだが、なかなか道東が活気づかないと嘆いていた。

 その話を聞いて、この旅をきっかけに道東を訪れる人が増えたらいいなと思いつつも、同じ北海道人として、道東にあまり目を向けたことがなかったことを恥ずかしく思った。その地に住み、その地が好きだからこそ多くの人に見て、感じてもらいたい。ご主人の想いがもっと広まることを願った。

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 今、僕に出来ることは実際に歩き感じたことや、今回のようにそこに住む人から聞いた話などを伝えること。
 少しでも力になれたら旅を続けている意義があるかもしれない。

 北海道はデカイ、だから視野をもっと広げてみよう!知らない新しい北海道を見ることができるだろう。

投稿時間:20:59 | 固定リンク


2014年10月07日 (火)

今週のヨーキ(9/25~10/2 富良野-十勝岳)

9月25日(木) 「故郷へ」

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 今日、順調に歩くことができれば故郷の富良野にたどり着く。
 昨晩は前日の歩きによる痛みが出て目が覚めてしまった。夜中にもう一度温泉に入り、痛みを和らげて何とか安眠することができた。
 朝起きると、朝の冷え込みで痛みは戻っており、すぐ温泉に向かった。30分かけてゆっくり体を温めて、じっくり脚の痛みと向き合った。脚の痛みはかなり回復したので、朝食を食べ、8時過ぎには実家に向けて出発した。

 実家までの距離は40キロ、決して楽な距離ではない。
 足の痛みによっては厳しい状況に追い込まれてしまうことも覚悟していた。
 朝一は放射冷却の冷え込みから、スタート直後は足が冷えてしまい痛みが強くなったが、天気が良かったため気温がどんどん上昇し、痛みは徐々に少なくなっていった。

 富良野に続く国道を、今日も一歩一歩着実に歩いた。
 ゆっくりだが、思い出のある場所を通過していくと、心が弾んだ。
 昼過ぎには実家のある麓郷まで20キロとなり、さらにうれしさが自然と込み上げた。
 だが、宿から実家までの40キロの道のりに店はなく、昼食を食べていなかったので、空腹に襲われた。
 そのため、実家に電話をして食料を持ってきて欲しいと頼んだ。
 こんなことができるのは実家が近くにあるからできること、今日は特に助かった。

 富良野まで続く国道から離れ、僕が現役でクロスカントリースキーの選手をしていたときに練習コースとしていた道に入った。家までは16キロ、足の痛みはもちろんあったが、7,000キロ近く歩いてきて、思い出の詰まった故郷の景色を目にし、どんどんとエネルギーが湧いてきた。
 これぞ富良野の景色という、秋の収穫に追われる広大な畑や山々の景色を眺めながら歩いていると、食料をお願いした母が駆けつけてくれた。

 空腹を満たし元気に再出発、そのあとすぐに、さらに嬉しいことがあった。
 道沿いの樹海小学校の子供たちがなんと沿道で待ち構えていて、僕のことを応援してくれた!
 小学校の時に、野球の試合でよく対戦したことのある学校だったこともあり、スゴく嬉しかった。

 子供たちと少し話をすると、人数が減ったけど今も野球部はあり、女の子も野球をしていると聞いて驚いた。
 子供たちのどこまでも響く「よーきさんがんばって~!!!」と言う声が心に響いて、背中を押してくれた!!
 さらに地元に帰ってきた実感が沸いた。

 残りの道のりは、秋が始まった峠道を同行するスタッフに故郷の思い出を話したりしながら歩いた。
 あっという間に峠を越え、気がつけば故郷の麓郷に入っていた。夕日に沈む麓郷の畑も収穫された玉ねぎの入ったコンテナが並んでいた。
 麓郷の町並みの奥には、明後日登る予定の十勝岳連峰が見えた。変わらず美しい山並みを見ることができて、北海道の中心まで来たことを実感した!

 実家までの道すがら、地元に戻ってきている幼なじみや、懐かしい地元の方々がお手製の旗を持って応援に駆けつけてくれていた。こんな風に地元の地を踏むとは、この計画をする前は考えてもいなかったが、実際に旅を計画し出発して、ここまで7,000キロ近く歩いてたどり着いたことが、自分自身信じられなかった。とても不思議な感覚だった。こんなことは最初で最後になるだろうと、故郷の景色や地元の方の僕を労ってくれる言葉を聞きながら思った。

 日暮れ前の午後5時半に無事に実家に着いた。
 この半年で、実家の周りの雰囲気の変化を感じたが、変わらぬ実家の佇まいにほっとした。

 まだ、旅は残り1,000キロを切っただけで終わったわけではないが、何とかもってくれた脚を労い、今日と明日は実家でゆっくり休もう。
 津軽海峡を渡って以来の再開となる父と母の笑顔に迎えられて、家路に着いた。

 



9月26日(金) 「休みと痛み」

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 昨日、無事に実家に着いたが、脚を痛めてからの4日間移動の代償は大きかった。

 朝起きると、幼なじみの弟さんが鍼灸師ということで、特別に家まで治療に来てくれた。そのお陰で負傷した脚をかばっていた左脚の張りはかなりほぐれ、痛めた右脚の腫れもかなり引いてくれたが、痛みは引いてはいなかった。
 朝風呂に入り脚をほぐして何とか痛みを和らげることはできた。

 日中はゆっくり過ごせるかと思ったが、明日以降の大雪山系で使用する装備の整理や準備に追われてあっという間に1日が過ぎた。
 あともう1日休みが欲しいと思った。
 とはいえ痛めた右脚を動かしていなかったためか痛みがかなり緩和されたので、明日行けるかどうかを試すために父と散歩に出掛けた。しかし、1キロと持たず痛みが強くなり断念した。

 結果的にまだやらなくてはならないことがあったのでちょうど良かったが、痛みの感じではもう1日休んだだけでは急激に良くなる感じではなかった。不安で一杯になっていた。

 多くの方々からの応援や期待、自分自身の体の状態の悪さ、旅の予定などのプレッシャーが重くのし掛かっていた。この状況を早く脱したい。
 


 

9月27日(土) 「御嶽山」

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 実家に帰ってきてから3日目、脚の状態が良くなかったため今日もう1日休むことにした。
 というより、状態としてはとても歩ける状況ではなかった。

 昨晩、仕事が休みの弟が札幌から帰って来ていたので朝食はにぎやかだった。
予定では明日、一緒に十勝岳に登る。
 日中は、昨日やり残してしまったことを片付けた。

 テレビを見ながら昼食を食べているときに、信じられないニュースが飛び込んできた。
 それは、この旅でも登った御嶽山の噴火のニュースだった。
 映像はまだなかったが、ニュース速報で多くの登山者が巻き込まれた可能性があることを伝えていた。

 夕方のニュースで噴火の瞬間の映像が流れた。すさまじい映像だった。
 この映像を見た人は誰もが驚愕したと思う。

 週末で御嶽山も紅葉シーズンだったため、多くの登山者が山頂を目指し登っていたそうだ。
 僕が登った時は山開き前で、しかも天気が悪かったため、自分以外の登山者はいなかった。
 犠牲者が多くなりそうとの報道を見ながら、自分が登った時期の噴火だったら…と思った。

 事が起きたばかりで情報が少なく、どの報道機関も進展がない状況だったが、多数の行方不明者や山小屋で避難している人がいると伝えていた。
 天災とはいえ、結果的に不運が重なってしまった、と報道を見ながら心が痛くなった。
 秋の紅葉シーズン、週末の土曜日、天候、時間帯、予兆、噴火の場所、風向きなどの条件が揃ってしまった感じだ。
 自分の旅を応援してくれている方が犠牲になってしまったのではないかと思うとさらに胸が痛んだ。

 旅の中で何度も自然の力に対して、人は無力だと思うことがあった。
 この旅に直接影響があったわけではないが、この御嶽山噴火で、改めて自然の力を予測する難しさと、その力の前では無力だと痛感させられた。

 まだ、被害の全容がわからない状況だが、犠牲者がこれ以上増えないことを祈りつつ、負傷された方々へ、心よりお見舞いを申し上げると共に、犠牲になられた方々のご冥福をただひたすら祈るしかできなかった。
 



9月28日(日) 「苦渋の決断引き返すか進むのか…」

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 御嶽山噴火のニュースから一夜明けて、その後の状況が気になりつつ、朝4時に起きてから十勝岳に向けて登る準備をした。
 足の状態にはかなり不安があったが、先に進まなくてはと様々なプレッシャーが自分を突き動かしていた。
 5時半に一緒に登る弟と一緒に、両親やかつてスキーでお世話になった方、近所の方々に見送られて出発した。
 これから、登る十勝岳は雲に隠れてしまっていたが、朝焼けがきれいだった。

 足の痛みを確かめながら歩いた。
 長くかばいながらの歩きが続いたので、いつもの歩きができなかったが、いつも通りに歩こうとしても無意識にかばってしまっていた。
 それほどペースを上げずに確かめながら歩いたが、前に進みたいという気持ちとは裏腹に歩くたびに痛みが強くなり始めていた。
 実家に着く前の痛みよりは軽かったが、この先、痛みをこらえて歩き続ければ、たった1日で元通りになる感じだった。
 それでも、動いて体が温まれば痛みも和らぐと信じ、痛みが出るたびにストレッチを繰り返しながら歩いたり走ったりした。

 家から2キロほどいったところで、今日行くことを諦めかけたが…悩んだ末にもう少し歩いて状態が回復するかを歩きながら観察することにした。痛みは断続的だったが、今考えればとても行っていい状況ではなかった。
さらに2キロ歩いたが、痛みが引くことはなかった。

 今日は止めると決断した後も、一人家に戻る最中この判断が正しかったかどうか分からなくなっていた。
 色んな不安要素が冷静な判断を鈍らせていたかもしれない。来た道のりを1時間半かけてゆっくり戻った。

 今までの旅で初めて、出発して進んでから引き返すことになった。宿ではなく実家で良かったと、家に着いた時に思った。
 戦意喪失で帰宅といった感じだったが、帰ってきた僕をあたたかく両親が迎えてくれて、少し落ち込んだ気持ちが晴れた。

 明日には行こう、行けるだろうと願った。
 朝早かったので、熱い風呂に入ってゆっくり昼寝をした。明日から仕事の弟は元気に札幌に帰っていった。

 夕方、見送ってくれた知り合いが、僕の足の状態を案じて市内の整骨院の先生をわざわざ家まで連れてきてくれた。
 特別に診察をしてもらい、まさかの言葉が帰ってきた。
 「疲労骨折の疑いがありますね。」、家の中に緊張が走った。
 詳しく調べるために、もう一度市内の整骨院まで戻って、エコー検査機を取りに行ってくると、急いで家を出ていった。
 先生が戻ってくるまで、不安な時間が続いた。

 先生は1時間ほどで戻ってきて、エコー検査が始まった。
 入念な検査の結果、骨の異常が見られないと言われ両親共々安堵した。さらに検査を進めて、検査の結果は筋挫傷という診断だった。慢性的な使いすぎによって、起きてしまったようだ。

 先生からは1日2日でよくなる状態ではないと伝えられた。完治するには最低でも1週間は必要なようだ。
 だが、そこまでの時間の余裕がないことを伝えると痛みを軽減するためのテーピング方法を教えてくれた。
 この方法でだましだまし行くか、あと2日様子を見てから行くかは自分自身で判断してくださいと言って、帰られた。
 疲労骨折ではないと分かって、安心したと同時に、何時完治するかわからない状況で、何時出発するかを決めるのに悩んだ。
 取り敢えず明日の朝、教えてもらったテーピングをして、試しに歩いてみて、痛みが少なければ行こうと決断した。今夜も不安を抱えたまま寝た。


 



9月29日(月) 「ルート再検討」

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 3日間休養をしたため、休養してから一番脚の状態は良かったが、不安で頭が一杯だった。
 自分自身でも分かっていたが、とても出発しようという状態にはなっていなかったと思う。

 とりあえず、テーピングをして歩いてくることにした。いつもと変わらない静かな麓郷を歩いた。
 テーピングによって今までで一番いい状態だったが、不安がぬぐいきれなかった。
 歩き、悩み、また歩き悩んだ。そうしている間に時間が過ぎていった。

 家に戻り、まだ悩んでいる僕を見た母に「行きたくない気持ちが見え見えだよ」と言われた。
 図星だった。
 昨日からの不安が増幅して、考えれば考えるほど不安に包まれた。

 結局、悩みながら、これから出発したとしても登頂できる時間を過ぎてしまったので、今日も休むことにした。
 連日、はっきり判断しない僕に振り回されてしまっている、家族や撮影スタッフに申し訳ない気持ちだった。

 1日1日ではなく、気持ちにもう少しゆとりを持たせるために思いきって2日休むことにした。
 そう決めたことで、今まででよりも少し気持ちに余裕ができた。

 明日も休めるという気持ちからゆとりが生まれ、空いた時間で再度、ゴールまでのルートや宿泊地などを確認した。
 今回の休みがそれほど大きな遅れにならないと分かったことで、さらに気持ちが楽になった。あとは自分の回復力を信じることになった。

 この、休養中に御嶽山噴火の状況が日々進展を見せていて、多くの方々が無事に下山される中、その一方で多くの方々が心肺停止という状況が報道されていた。確認ができていない不明者も多くいるという状況に何も言うことができない自分がいた。
 一人でも多くの生還と救出を祈るとともに、亡くなられた方々へのご冥福を祈った。
 登山者から投稿された映像の、緊迫した状況を伝える噴火直後の壮絶な状況が、目に焼き付いた。

 



9月30日(火) 「6ヶ月経過」

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 今日で9月が終わる。脚を痛めてから5日目の休養となった。
 ちょうど一ヶ月前、9月に入ったのは鳥海山から早池峰山までの道中だった。
 9月の前半は東北のラストスパートといった感じの中、天候が安定しない日々が続いた。山頂がスッキリ晴れて次登る山や遠くの山まで一望できたのは、記憶をたどると早池峰山くらいだっただろうか。
 東北の山それぞれに魅力や独特な雰囲気があり、想像以上に多くの人に親しまれている山ばかりという印象だった。
 また、旅の反響もさらに大きく広がり、天候に関係なく駆けつけてくれる方々の熱意に驚き、感謝した。

 約4ヶ月かけて82座の本州の山々を歩き繋いできた。
 それと同時に多くの方々の思いも繋がってきたと思っている。

 9月12日に津軽海峡を横断して、旅の佳境となる北海道の地を踏んだ。北海道だけで約1,400キロの道のり、まだまだ先は長い。
 だが、最後となる北海道にたどり着けたことで、今まで感じたことのない力が無意識に湧いてきた。
 やはり、故郷の地というのは今まで歩いてきた土地とは感じるものが違うのかもしれない。

 北海道の序盤、故郷の富良野までの道のりは、再び舗装路歩きとの戦いとなった。
 西日本以来の200キロを超える舗装路は浮き立つ気持ちとは関係なく、じわじわと体に疲労を蓄積させていった。
 その結果、移動距離が500キロを超えた時に、痛みとなってなんの前触れもなく現れた。その痛みは強烈でこの旅で初めて心のそこから辛いと感じた。
 何とか気合いで痛みに耐えて、故郷の地までたどり着いたが、痛みにこらえて動き続けた代償は大きかった。
 筋挫傷と診断され、シンスプリンに近い感じだ。25日に故郷に着いてから休養が5日。明日もう1日安静にしてから再出発する。
 切りよく10月1日からと思ったが、体の状態を優先するべきだと判断した。

 ここまで、6ヶ月93座に登頂して、約7,000キロを歩いてきた。旅そのものが山あり谷ありの連続だったが、ここまで歩いて来れたのは、間違えなく多くの方々の支えにより、山越え、谷越えの手助けをしてくれていたと感じている。
 あと約3週間で利尻島にたどり着けるだろう…まだまだ旅を楽しむ時間が残っている。
 残り7座で何を得ることができるか楽しみだ。
 



10月1日(水) 「最終の7ヶ月目」

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 昨日、旅に復帰するには切りよく10月1日からと思ったが、まだまだ楽しまなくてはいけない利尻までの旅を考えて、もう1日しっかり休んだほうがいいと判断した。
 今までであればこんなに贅沢に休むことはなかった。ましてや行けそうな感じだった5日目の状態を考えれば、確実に出発していただろう。
 しかし、慎重になりすぎるぐらい慎重になったのは、幌尻岳での痛みをもう二度と味わいたくないという思いが心の中に刻まれていたからだ。
 この判断は良かったと思っている。明日気持ちよく胸を張って出発する為に必要な時間になった。

 嬉しいことに、3日前に診察してくださった整骨院の先生が明日出発することを聞きつけて、出発前にもう一度診察をしてくれることとなった。
 仕事終わりに駆けつけてくれた先生にエコー検査を受け、3日前よりも挫傷部分がかなり回復していることを確認することができた。
 先生の「この状態なら明日は出発できるね」と笑顔で言ってくれた言葉に安堵した。

 また、そのあとには急なお願いだったが、再び幼なじみの弟さんの鍼灸治療とマッサージを受けることができて、出発前夜に体をしっかり整えることができ感無量だった。
 改めて、この旅が多くの方に支えられていることを実感した。

 1日遅れだが、明日最後の月となるであろう7ヶ月目の旅が始まる。今日の休みが最終的に適切だったと振り返る自分が想像できた。
 
 明日からよーき機関車が再始動する!
 



10月2日(木) 「復活戦」 (十勝岳)

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 今日は6日間の故障者リスト入りから久しぶりの一軍復帰となる。
 復帰初日の相手はいきなりの強敵、富良野岳から十勝岳までの縦走だ。
 無事に完投(完登)できるか不安の立ち上がりとなったが、痛めた部分は先生に教えていただいた通りにしっかりとテーピングで補強していたので、登山口までの舗装路と砂利道は状態を確認しながらも、順調な歩き出しとなった。

 原始ヶ原までの山肌は丁度紅葉が始まっている感じだった。
 コースタイムに対してどのくらいのペースで行けるか不安だったが、痛めたところ以外はかなり疲労も抜けていたので、意識していないのにコースタイムの40%位で歩けていた!自分でも驚きだった。
 原始ヶ原に着いたときにはスタート前の不安が少し減っていた。
 広大な原始ヶ原の草紅葉がとてもきれいだった。

 原始ヶ原を抜けると、富良野岳へ向けて一気に登りが急になった。
 浮き石の多いザレ場を抜けると昨日の冷え込みで低木の枝がきれいに凍っていた。樹氷を見るのはアルプス以来だった。
 そこからさらに標高を上げていくと、雲に隠れて見えない富良野岳の山頂が突然現れた!雲の中に懐かしい富良野岳の標識が見えた。
 気がつけば登山口を出発してからたったの2時間半で登頂してしまった!
 山頂付近は亀の手のような形をした霜(雪?)があちこちに見られた。

 復帰初日としては上々な出だしだったので、精神的にかなりゆとりができ、十勝岳までの縦走路は久しぶりに山の景色と懐かしい思い出を振り返りながら歩くことができた。さらに雲の切れ間からは実家のある麓郷を見ることができた。
 高校時代にトレーニングで走りまくった富良野岳や十勝岳、あの頃からすでに13年も時が経っていた。
 細かい変化はあったが、山は相変わらず雄大で美しかった。富良野岳よりも真っ白な十勝岳の雪化粧がその美しさを際立たせていた。

 富良野岳を出発してから2時間40分で8年ぶりに十勝岳の山頂に立つことができた!富良野岳から精神的にゆとりが出たが、足への配慮はし続けていた。その甲斐あって、縦走中強い力が入ったとき以外はほとんど痛まなかった。
 後半は凍った雪などを楽しみつつも、気を抜くことはなく歩き続け、復帰戦を無事に完投(完登)することができた。
 さすがに2,000メートルを越えている山頂は気温が低く、風の力で山頂の標識にきれいに張り付いた雪の結晶が冬の訪れを告げていた。
 雲の上にかすかに見える次の相手、旭岳(大雪山)はもっと真っ白だった。

 その後、紅葉が見事な望岳台に下山して4時に宿泊先の白金温泉に到着。
 温泉と美味しい食事で復帰戦となった今日の疲れを癒した。
 故障者リスト入り前と変わらず、また歩けたことに感謝だ。

投稿時間:18:15 | 固定リンク


2014年09月30日 (火)

今週のヨーキ(9/22~9/24 北海道歩き-幌尻岳)

9月22日(月)「激痛の新冠ルート」

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 予定の平取ルートが通行できなくなったために、近年登山者が急増しているという、新冠ルートに変更となった。
 新冠ルートは登山口までの林道区間が長く、その距離は56キロにもなる。ほとんどの登山者は一般車両も通行可能な約40キロの林道区間を車で移動するが、もちろん僕は途方もなく長く感じるであろう林道を、ヒグマの存在にビビりながら歩くことになる。
 北海道の中で一番山頂までのアプローチが難しいと言われる意味を、今日からの2日間で思い知ることになるだろう。
 新冠ルートを全部徒歩で歩く人はかなり珍しいそうで、昨日会った地元の方は新冠ルートから登ることをスゴく喜んでいた。

 今日も朝からいい天気だった。お世話になった宿を6時半に出発して、宿から71キロ先の新冠ポロシリ山荘を目指す。
 出発してのどかな牧場を抜けて、15キロ先から砂利の林道になった。ここからは明日登る幌尻岳山頂まで携帯電話は圏外となってしまう。
 一気に人里から離れ、野生動物のテリトリーに入った。北海道独特の秋の匂いがした(個人的に感じている匂い)。
 今日は人間よりも野生動物と遭遇する方が多いだろう。

 林道に入ってすぐに右脚のスネに痛みがなんの前触れもなく走った。ここまで舗装路を長く歩いてきたので、少し張っているのだろうと、違和感と痛みを感じながらも歩き続けた。
 まだまだ先は長く、険しい道のりが続くので、立ち止まっている時間はなかった。
 しかし、痛みは引くどころかだんだんと増していった。くねくねと幾度となく曲がり、激しいアップダウンを繰り返して、ようやく宿から40キロ地点の新冠ダムが見えた。そのときには走り続けてきた足が、止まってしまうほどの痛みとなっていた。

 まだ、目的地の山荘までは30キロ以上も残っている。すでに時刻は1時半を過ぎていた。
 目的地まではたどり着けないと感じて、一つ手前のイドンナップ山荘に泊まることを考えた。宿から53キロ地点にある山荘で昔のダム建設時に使われていた作業員宿舎だ。
 車でその山荘まで入れるので、今はほとんど利用されていないことが予想できたが、なんとか山荘までたどり着こうと必死だった。

 痛みは一向に引かず、明日の幌尻岳に登るためにも、これ以上悪化させたくない気持ちでいっぱいだった。
 明日への不安も募る中、今日山荘までなんとしてもたどり着かなくてはいけないのだが、イドンナップ山荘でさえたどり着けるか微妙な状態だった。1キロ、100メートルが今までで一番長く感じ、いつもよりも時間がどんどんと過ぎていくのを感じていた。
 今までにも登山口までの道のりが砂利の林道だったことは何度もあったが…ここまで長いとは。この幌尻岳への林道がこの旅で断トツで一番長い林道だろう。
 この長い林道を歩くタイミングで、脚の痛みが出てしまい、余計に長く感じることになった。

 ペースがかなり落ちてしまいながらも、なんとか5時前に山荘に到着した。外観は大きな白い家のようだが、中に入ると長い間使われていない感じだった。当時の生活で使用していたものがそのまま置かれていて、ホコリとカビの臭いが漂っていた。1階で寝ようかと思ったが今にも抜け落ちそうな床だったので、2階のわりときれいな部屋を使うことにした。

 水が近くに無いため、家の裏の沢まで藪をこいで今晩と明日の分の4リットルを確保した。
 北海道はエキノコックスという病原菌が生水に含まれるため、本州ではそのまま飲んでいた沢水も全て煮沸する必要がある。日が陰り始めると、谷の深い場所は早く暗くなる。煮沸作業をしていると窓の外はあっという間に暗くなった。

 無人の山小屋で泊まるのも自炊するのもかなり久しぶりだった。腫れて少しの動きでも痛みが出る右のスネを入念にマッサージをしながら、明日のことを鏡を見なくてもわかる不安げな顔をして考えた。

 脚の痛みは回復するだろうか、目的地までたどり着けるか、明日は今日よりも長い距離を歩くけど脚は耐えられるだろうか、など考えれば考えるほど不安な夜となった。唯一助かったのは、日暮れと同時に雷雨になったことだ。
 もし、さらなる無理をして18キロ先の山小屋を目指していたら、脚の状態も含めもっと厳しい状況に追い込まれていたに違いなかった。
 明日の朝に必要な分の水を残し、久しぶりにラーメンを作り、食べて寝た。8時間後の3時に起きたとき、脚の状態が少しでもよくなってほしいと寝袋の中で患部をさすりながら、いつの間にか寝てしまった。明日は4時に出発して、幌尻岳を目指す。





 



9月23日(火)「初めての苦辛」(幌尻岳)

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 夜も明けない3時に起床、こんな時間に起きるのはいつ以来だろうか。

 羊蹄山を登ったのが9月17日、それから6日、ここまで230キロを歩いた。北海道の地を踏んで歩き始めてから10日が経っていた。こんなに朝早く出発する理由は、痛めた右脚をかばいながらの登山となるため、いつもよりもペースが遅くなるからだ。
 焦らず確実に登り下山するためにも,時間に少しでもゆとりを持たせたかった。

 4時にイドンナップ山荘を出発。まずは昨日歩けなかった残りの18キロ分の林道を歩く。脚の状態を確かめながらの時間が続いた。
 普通に歩くよりも、速度は変わらないが、ちょこちょこ走りの方がスネや足首への負担が少なく楽なので、走れるところは積極的に走った。脚のことを考えれば、もっとゆっくりとも思ったが、ゆっくり歩く方が痛かったので走るしかなかった。
 今日は下山後、宿まで約30キロの道のりがあるので、序盤に少しでも時間を稼いでおきたいという気持ちもあった。

 1時間ほどで明るくなり、白い息が出るほど冷え込んでいたが、日差しが出て気温がグンと上がった。これからの季節は太陽のありがたさが身に染みる季節となる。

 出だしは痛みも弱かったが、走る方が楽とはいっても、痛みは治まったわけではない。さすがに限界になり、より足首が動かないようにしっかりとテーピングを施した。かなり適当ではあったが、可動範囲が狭くなり、幸い痛みが出にくくなった。ここでペースを上げれば、また痛みがひどくなる可能性があったので、慎重に走り続けた。

 いつもなら、3時間くらいの距離だが、それでも上出来の3時間40分くらいで昨日泊まるはずだった山荘に着いた。ここからようやく登山道が始まる。もう林道を歩かなくていいと思うと、肩の荷が少しだけ下りた感じだった。

 ここから山頂までは一気に急登となり、予定では2時間後山頂にいる。
 予定通りコースタイムの半分で行けるかは登山道に入ってからの右脚の状態によるが、前回、左脚のときは痛みは山を登ると消えたので、今回も同じだといいなと思っていた。しかし、前回とは少し違うことを一番自分がわかっていたので、脚への配慮はそのままに歩いた。

 初めに小屋から沢沿いを歩くのだが、あまり人が登ってないからか、状態はいいとは言えなかった。
 沢から外れ、いよいよ大好きな急登が始まった。脚の状態は悪くはない。このままのペースを維持してもいい感じだ。ただ、久しぶりの激しい急登に息がかなり上がった。
 長く見上げるような急登を登ること1時間で森林限界を突破した。周りを見渡すと一面、小さな高山植物が赤や黄色に色付いた草紅葉に覆われており見事だった。昨日から痛みと戦い続けてきて、初めて痛みを忘れる瞬間だった。

 そこから、山頂まではあっという間だった。10時10分に93座目の幌尻岳に初登頂した。
 2000メートルの稜線は風も気温も冷たく、長時間の滞在は難しかった。それよりも山頂に立っても達成感がわくことはなく、山頂から先の長い下山ルートが気になっていた。山頂から下山口まではコースタイムで8時間半、今の脚の状態ではまだまだ安心できない距離が残っている。
 北海道一山深い幌尻岳の景色に見とれる余裕もなく、下山を開始した。

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 幌尻岳からトッタ岳を経由して、北トッタ岳までを縦走。眼下には七つ沼カールが見えて、時々その美しさに痛みを忘れることができた。
 北トッタ岳までの約3時間半の行程を1時間半ほどで通過。脚の痛みがそれほど悪化してないのが幸いした。予想以上の出来だった。気を抜くと登山道の岩やハイマツに足を引っ掛けてしまい、炎症で伸ばすことのできないスネを無理に伸ばし、強烈な痛みが出た。

 北トッタ岳には予想以上に登山者が多く、その中には家族で僕に会うために登ってきたという家族もいた。
 いつもなら自然と笑顔になれたが、今日は今までで一番必死すぎて、口は笑っても目が笑っていなかった。
 

 北トッタ岳から西にのびる尾根を下り、肩から下山口のある沢に下りる急坂が始まった。地図で見るとかなりの斜度が予想された。
 今の脚の状態で一番痛みが出るのが下りだったので、スムーズに下りれるか不安だった。しかし、この時だけは痛みが消えて治ってしまったかのように、いつも通りに下ることができた。
 急坂が終わると、沢を何度も横断するのだが、ストックを巧みに使い難なくクリアして林道の終点に到着した。それまで順調に思えた脚の痛みが増し始めて、ここから宿までの約30キロ(林道が21キロ、舗装路が9キロ)の林道と舗装路歩きに暗雲が立ち込めていた。

 ゲートがある登山口に2時半前に到着した。不安だらけで出発したときは、目標の時間に下山できる期待は薄かったが、上出来過ぎる時間に到着した。
 軽く補給をして出発、しっかりと踏みかためられた林道をなるべく走った。歩いていたら宿の夕食の時間に間に合わないのと、早くこの苦痛から解放されたい気持ちが、前へ前へと足を進ませた。

 下山口から宿までの約5時間が、地獄のような時間となった。
 右脚のスネの痛みは痛みを通り越してすでに麻痺していて、膝から下がパンパンに晴れ上がっていた。足が着地するたびに今にもパンっと破裂するんじゃないかと思うほどだった。また、右脚を昨日からかばってきた左脚も腰から下が痛み始めてしまった。

 一歩一歩に緊張しながらの走りが続いた。
 歩きたかったが、歩くと再び走り出せなくなりそうだったのと、どこまでも遅くなってしまいそうだったので、苦痛に顔を歪めながらも走り続けた。何度も携帯している痛み止を飲もうかと思ったが、一時的には痛みが引くが炎症が無くなるわけではないし、痛みがなくなって余計にペースをあげてしまう可能性もあり、飲むことでさらに悪化させてしまいそうだったので、飲まずに耐え続けた。

 苦辛すること約4時間半、なんとかギリギリの7時に宿に着くことができた。あまりに長い時間気を張り続けたためか、安心した途端にスゴい疲労が吹き出し、頭痛が出た。2日ぶりの入浴は南アルプスで10日ぶりにお風呂に入った時くらいに嬉しい瞬間だった。

 この旅で初めて、一日中苦辛し続けた。出発から到着までを100とするならば、痛みを忘れて日高山脈の大自然を漫喫出来たのは1パーセント位だろう。無事に登頂して下山、宿に着くまで、痛みに耐えて苦しみながらも、ほぼ予定通りだったことが奇跡に近いと温泉に入って、暖かい布団に入りながら思った。
 温泉に入ったことで、腫れも引き痛みも楽になったが、明日起きた時に脚の状態がどうなっているか不安と希望を抱いて寝た。

 まだ、ゴールまでは1000キロはある。この痛みを抱えながらの旅はかなりのリスクを背負うことになるだろう。旅もあと少しで7000キロに達する、今回のように体のどこかに異常が出ても、おかしくないことだ。ここまで、体調を崩したこと以外では、大きな怪我もなく歩んでこれたことに、自分自身に感謝してもいいだろう。

 もうすぐ実家の富良野に着く、7000キロも歩いて実家にたどり着いた時、どんな心境になるのか楽しみだ。





 



9月24日(水)「痛みに耐えて」

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 朝6時に起きると、痛めた右脚は凝り固まったような感じとなり、起き上がると腫れは引いたが痛みは強い感じだった。
 朝風呂に入って体を温め患部をほぐすと痛みが幾分か軽くなったが、歩くたびに痛みが出るのは変わらなかった。
 予定では今日60キロを歩いて実家のある富良野に着くことになる。しかし、今の脚の状態ではとても1日で実家までたどり着ける感じではないことははっきりとしていた。

 ゴールまでの残りの道のりを考えると、予定を変更して宿泊地の日高でもう1日休養をとるか、1日で行ける距離を分割するかを朝食を食べながら悩み考えた。悩みに抜いた結果、天気もよかったので、脚の状態を確認しながら23キロ先の温泉旅館まで行こうと決めた。行くことを決めたが、まずは宿に宿泊出来るか確認しなくてはならない。確認がとれたことで、より「行こう!」と決心が着いた。

 秋晴れの気持ちのよい空の下、歩き出した。

 朝は気温が低かったので、痛みが歩くたびに強く響いたが、気温が上がるにつれてその痛みも軽くなっていった。だが、歩くスピードは極めてゆっくりで、脚の痛みを気にしながらの歩きが続いた。
 懐かし過ぎる占冠の町を抜けて、自分の故郷に少しずつ近づいているのを実感した。それが、時々痛みを忘れさせてくれた。

 午後5時にこれまた懐かしい、宿泊地の温泉に着いた。
 今日は脚の痛みに耐えながらの歩きとなり、北海道に入って初めて、23キロを7時間かけてゆっくり歩くことになった。

 宿に着く前に見かけたひろーいトウモロコシ畑に、一本だけ獲り残されて凛と立つトウモロコシが誇らしげに見え、ゆっくり歩くことで多くの発見があった。
 明日はようやく故郷だ!しっかりと1日の疲れを温泉で癒すことにしよう!

投稿時間:13:07 | 固定リンク


2014年09月22日 (月)

今週のヨーキ(9/15~9/21 羊蹄山-北海道歩き)

9/15(月) 「水の量」

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 今日は長万部(おしゃまんべ)という町まで、海を眺めながら歩く。
 海沿いの国道をすごいスピードで通り抜けるトラックなどにビビりながら。

 故郷が北海道と言っても今回の旅で初めて歩く道ばかりで、その日の目的地までの間にある情報は手持ちの地図にのっている情報のみだ。そんな感じなので、これまでにも店が一軒もなくて、食料に困ったこともあった。

 事前にリサーチしなさすぎるのもよくないが、山ではない舗装路を1日中歩くときなどは、場当たりな感じが楽しいので、あまり下調べをせずに毎回歩いている。北海道は他県よりもかなり大きいので、町は少なく、町と町の間も長い。
 今日まで歩いてきたところは比較的大きな町の近くを通過してきたので、「なんにもないなぁ」という実感はそれほどないが、今日からは地図を見てもそれが分かる感じだ。

 予想通り宿泊地の町を出てからコンビニなどの店はおろか、自販機すら見当たらない道が続いた。
 店はなくても自販機さえあれば、日中だけなら何とかなるのだが…半日歩いて見当たらなかった。

 無い可能性が予想できていたので、出発時の水の量を昨日までの倍にした。歩きながら自販機が無いな…と思いつつ、ふと、以前応援に来てくれた方から山に登るときに、最初に持つ水の量に悩むという質問を受けた。
 その場ではいつも自分の判断してきた基準を簡単に話したが、改めて考え直してみた。

 僕の場合だが、まず山に登る前に確認することは、山地図からの情報や最新の情報確認をする。出発から下山までのコースタイム、標高差、急登なのか、樹林帯なのか、岩場なのか、山小屋の数や営業小屋か無人小屋か、水場の数やその水場は季節に影響されるのか、水質は煮沸が必要なレベルなのか、などの情報を確認した後、わからないことがあれば、自治体に問い合わせをして最新の情報を確認する。
 そして、当日持参する装備などを考えながら準備をする。
 当日の天候や気温、自分の行動予定時間や経験や知識、体質などが準備する装備の選択に大きく影響する。

 僕はトレイルランのようなスタイルで山を登ることもあるが、山を走ることよりも走らずに早く登るスピード登山が好きなので、行動予定時間はほとんどコースタイムの3分の1から半分くらいに設定している。したがって荷物は必要最低限のもの(ヘッドライト、予備電池、ファーストエイド、サバイバルブランケット、レインウェア上下、地図、筆記用具、コンパス高度計つき腕時計、着替えのインナーシャツ、携帯電話、予備バッテリー、食料、水分、リカバリーサプリメント、財布など。天候や季節、行程によってはシュラフカバーやツエルト、防寒着なども持つ)しか持たない。様々な判断材料から持っていくものを選択して持参している。

 また、山は都市部と違いトラブルが発生する確率が高く、発生した場合の解決までの時間が長くなる。したがって、小さな判断ミスから大きなリスクは簡単に生まれてしまうので、装備の判断も慎重にしなくてはならない。どんなに適切な装備を持ったとしても自然相手のことなので、必ずリスクは発生する。しかし、リスクを最小限に抑え、かつ起こさないようにする努力はできる。
 山に登る前に考えられるリスクをイメージして、その時の自分の心身の状態や季節や天候、気温、これから登る山の情報、持参していく荷物などと照らし合わせて、一番注意しなくてはいけないことを把握しておくだけでも、リスクを減らすことが出来るし大切なことだと思う。
 シーカヤックで海へ出るときもフィールドは違うが、考える判断材料は同じだ。

 前置きが長くなったがこうしたことからその日、持っていく水の量を決めていけばいいが、初めて登山をする人やまだまだ経験の浅い人には具体的に何リットル持てばいいのか想像がつきにくいと思う。

 僕の場合はペースが早かったり、体質的に代謝が良く汗をかきやすいので、基本的には人よりも多く持つ。
 今の旅に当てはめると、登山口を出発するときは2リットル近く持っている。しかし、途中で一ヶ所でも水場があれば、その量は減らしている。その時にどのくらい減らすかは、ペースや気温、体調、水場までの時間などを考慮して決める。

 このとき大切にしているのは、途中の出発からの経過時間だ。
 自分が今どのくらいのペースで登り、体の状態はどうなのか、このままのペースを維持できるのか、落とした方がいいのかなどを考えて、補給できる水場までの時間を計算する。
 それにより、1回に飲む量や回数なども考える。全く水場の無い山は、より慎重に水分コントロールをしている。あまり汗をかかないように、こまめなウエアリングをしたり、ペースコントロールをしたりする。
 また、行動食も水分が必要なものはあまり持たないようにする工夫も必要だと思う。

 多くの人はどうしても心配になり、多く持ってしまうことがあるが、無くなってしまうよりは多く持った方がいい。
 しかし、持ちすぎることで、荷物が重くなり、体力の消耗を激しくしてしまっている人をよく見かける。これは、水以外の装備も同じことが言えるだろう。
 水は減らそうと思えば減らすことのできるものだが、必要がないのに持ってきてしまったものは減らすことができないので、結局最初から最後まで背負い続けなくてはいけない。

 前回の登山で得た経験や発見を次に活かすためにも、最初にあげた判断材料からその時に登る山のイメージができない場合には、毎回の登山の記録をつけるといい。
 登った山の名前からルート、コースタイムと実際の行動時間、装備の内容、季節や天候、必要のなかった装備やあったらよかったもの、水場の数と背負った水量や下山時に残った水量など、簡単に書き留めておくと、たとえ初めての山であっても、次回登山にいく時の参考になる。そうすることで段々と記録を取らなくても、イメージが出来やすくなってくると思う。
 水の量は下山時に500ミリリットル位残っていると適切だったなと僕は安心する。

 こんなことを考えながら、日暮れ前に長万部の町に着いた。

 



9/16(火) 「なーんにも無い日」

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 今日は大きな峠を二つ越えて、大きな噴火湾の一番北に位置する豊浦まで歩く。
 長万部から豊浦までは約40キロの道のり。間に目立った町はない。パタゴニアを思い出すような海岸線の景色の中、海からの風で流れていく雲と、その下に広がる牧草地を眺めながら黙々と歩いた。

 北海道は道がまっすぐで、遠く1キロ先まで見渡すことができるため、大体の距離感がついてきた。
 自分の歩くペースが早くなったのかもしれないが、意外と1キロの感覚が短く感じている。これは長い北海道を歩くのにいい感覚だと感じていた。
 目立って景色に変化がないのが北海道のいいところでもあるが、今日はあまりに何も無さすぎて、歩きながら何かしら発見が無いかと目を向けるが、本当になーんにも無い日だった。

 そのためか人との出会いがいつもよりも恋しく、出会えたときは嬉しかった。これもまた、どーんと広がった北海道の自然がそう感じさせてくれているのだろう。
 明日は北海道1座目の羊蹄山に登る。

 北海道が故郷だが、羊蹄山に登るのは初めてだ。どんな山か楽しみだ。

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9/17(水) 「北海道一座目羊蹄山」

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 津軽海峡を横断し北海道入りしてから5日目、予定では羊蹄山に登る。

 しかし、昨晩から北海道上空には今年一番の寒気が流れ込んでいて、早朝から不安定な天候となっている。
 昨日よりも10度は違うんじゃないかというくらい、豊浦の朝は冷え込んでいた。道南は比較的天気はいいと天気予報は出ていたが、実際の空模様はそんな感じではなかった。

 津軽海峡を渡ってから羊蹄山までの240キロの道のりも、残り30キロ、今日は登山口までの30キロを先ずは歩かなくてはいけない。その先に北海道一座目の羊蹄山が待っている。

 羊蹄山の麓の町、真狩村までの静かな道を歩く。冷たい雨が降ったり止んだりを繰り返した。日差しが出たり隠れたり、いっこうに天気が安定しない。
 10時半、真狩に到着。目の前に山頂だけ雲を被った羊蹄山がそびえていた。久しぶりに見る羊蹄山はでっかいなぁ…という印象だった。

 真狩のコンビニで早めの昼御飯を食べてエネルギーをしっかり蓄えてから、3キロ先の登山口に向かった。未だに天気は安定せずに、断続的に雨が降ったり止んだりを繰り返した。雲に隠れている山頂は見るからに寒そうだ。
 決してベストな条件ではなかったが、登れないわけではなかった。最も注意しておきたい雷は発生してはいないのと、コースタイムと今日の自分の体調を考えると、日暮れ前に十分に下山できるスケジュールだった。
 それと昨日の大雪山の初冠雪が自分の背中を押した気がする。

 予定の時間よりも若干遅れて真狩の登山口を出発、登山口には近くの町から駆けつけてくれた方々がいて、暖かく声援を送ってくれた。
 朝から降っている雨の影響で、登山道は五合目位まで滑りやすい状態が続いた。
 北海道の長い舗装路歩きを考えて、今まで使っていた靴よりも少しロード向きの靴を履いていたため、下山するまで撮影スタッフよりも多く滑り、転けた気がする。トレッキングポールがなかったら、もっと転けていたかもしれない。

 真狩コースは、コースタイムが5時間なのだが、序盤から長いつづら登りが続き、思った以上に距離が長く感じた。
 六合目辺りから洞爺湖方面が見えたが、晴れていればもっときれいなんだろうな、と思いながら、今日は確実に北海道一座目を登り、下山することに集中した。八合目からは完全に雲の中に入ってしまった。

 午後2時に山頂の火口に到着し、そこから真っ白な雲の中を火口を半周、出発から2時間で羊蹄山山頂に登頂した。
 山頂に着くとこんな条件にも関わらず、僕に会うために登って、山頂で待っていた方がいた。

 普通なら登らないような条件で、山頂は軽く雪が降るくらいの気温の中、2時間以上待っていたと聞いた時は、正直、素直に喜べない自分がいた。
 身勝手かもしれないが僕は旅の流れの中で登り、今日のように午後から登ることや天候が悪い中でも登ってきた。そうなると山頂での滞在は必然的に短くなり、体にかかる負担は少ないが、山頂まで会いに来る方は違う。
 今までも、何百人という方が山頂で会うために待っていた。時には半日以上待ったという方も少なくなかった。
 その度に感謝と謝罪の気持ちで一杯になった。

 今までは天候があまり悪くない時の方が多かったので、結果的に待たせてしまってもそれほどリスクは高くなかったと思う。東北に入ってからは雨天の日が多く、山頂はすでに秋を感じる寒さだった。
 こんな日に登るのは自分くらいだろうと思っていた日でも、大勢ではないが,山頂や途中の登山道で応援に来てくれた人達と出会った。
その度に驚き、複雑な気持ちが生まれていた。
 自分が登ることで、他の人にもリスクを負わせてしまっているのではないかと…。そういう気持ちの時は、自分のことよりも、会いに来た方々が無事に下山したかどうかが気になってしまった。

 これは、山だけに限らず、すべての場所で同じ気持ちを持っている。
 車やバイクで会いに来た方、山で会う方全ての方に対して、別れ際に「ありがとうございます。お気をつけて!」と言ってきた。感謝の気持ちと無事を祈る気持ちが強いためだ。

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 僕も悪天候で登るときのリスクが高いことは分かっている。自分の判断に責任を持って今まで登ってきた。今回ももちろん同じだった。
 会いに来てくださる方々も自分の意思と判断、責任で登っていると思うが、登りに来る動機はもちろん僕にある。これからの北海道の山は,今まで登ってきた山よりも寒さや環境が厳しくなってくる。当然のように夏山よりもリスクは高くなり、判断もシビアになってくるだろう。
 山頂で会いたいという思いは凄くありがたく,うれしいことではあるが、どうか適切な判断で行動をしていただきたいと切に願う。
 羊蹄山での一幕はとても複雑な気持ちになり、登りに来るかもしれない方々のことを考え、なるべく条件のいい日に登った方がいいのではと真剣に考えることになった。

 山頂で会った方々はとても喜び、惜しみ無い声援を送ってくれた。素直に感謝をしたが、先に下山を始めたときには、2時間以上も待たせてしまい、わずかな時間しか話すことが出来ずにすいません、どうか無事に下山してくださいと願っていた。大雪山系や利尻岳はどうなるか不安にかられた。

 喜茂別コースは風下側のため、穏やかだった。
 そして、真狩コースよりも紅葉が進み、ナナカマドが雲がかかった霧の中で赤く染まっていた。羊蹄山がすべて色づくのも今年は早いかもしれない。1時間半ほどで下山した。雨はすっかり止み、雲の隙間から夕日が指していた。

 今日の宿まではあと10キロ。中学校の修学旅行やスキーオリエンテーリングなどの思い出がつまったルスツリゾートが今日の宿になった。ルスツリゾートで働いている方との縁で、リゾートホテルに泊まることができた。
 その方との縁に感謝しながら走った。
 最後は日が暮れてしまい、どしゃ降り雨の中、ルスツリゾートに着いた。御飯!お風呂!!といいイメージを活力に走ってきた。
 久しぶりに高級感漂うベットで寝たときは、1週間くらい滞在したい気持ちになった。

 こうして、日の出から日暮れまでみっちり動き続けた、北海道1座目の羊蹄山が無事に終わった。次は200キロ先の幌尻岳だ!!



 



9/18(木) 「快適空間の誘惑に負けて…」

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 朝6時、窓の外はどんよりとした雲と見るからに冷たい雨が降っていた。
 快適なルスツリゾートのベットが「起きなくては…」と思う僕をなかなか解放してくれない。

 外はどしゃ降りの冷たい雨、誘惑に負けて…休養、と頭を一瞬よぎったが「大雪山が初冠雪したぞー今年の冬は早いぞー」と自分に言い聞かせて立ち上がった。

 でも、体は気持ちに便乗してくれなかった。
 取り敢えず朝食を食べながらよーく考えようと思い、朝食を食べた。

 気持ちは変わらなかったが一応レストランを出ると…雨は強さを増していた。
 今までもこんな日でも元気よく歩いたぞ!と言い聞かせて部屋へ。いつもよりも準備が進まないのは分かっていたが、取り敢えず出てしまえば体は雨の中でも動き出してくれるだろうと信じて、一先ずチェックアウトした。

 さぁ行こうかといつもより重くなった腰を浮かせて、歩き出したときに電話が鳴った。今回、ルスツリゾートに泊まることができた恩人の方からだった。
 お礼を伝えてさぁ行こうかと思っていたが、天気が悪くて寒いことを伝えると、即答で「もう一泊して休んでいったら?」とありがたいお言葉を頂いた。
 行かなきゃと思っていた気持ちがフッと消えて、さっきまで「休みたいなぁ」という気持ちを押さえていたのが、解放されて一気に「休もう!」という気持ちに変わった。恩人の方の絶妙なタイミングでの電話と言葉に感謝した。

 振り返れば岩手県盛岡で休んでから、2週間が経っていた。いいタイミングで休むことができて本当によかったと心底思った。
 念のため、準備もしたので外の状況を確認した。予想通り気温は低く、冷たい雨が降って、昨日よりも安定しない天気だった。
 こうして、北海道最初の休養は突然やって来た。気持ちのいいベットは最高だった。

 明日は天気が回復するので、66キロの長丁場だが、快調に歩けそうだ!!


 



9/19(金) 「緊張の連続」

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 朝4時半に目が覚めた。体がスッキリしないので、浴室で熱いシャワーを浴び、まだ内臓が動いてくれていなかったが、コンビニで買ってきた朝食をゆっくり食べた。
 出発予定が朝6時だったが、朝食をゆっくりとったので6時半となった。東の空が眩しいくらいに晴れていた。

 今日は支笏湖温泉までの66キロの道のりだ。
 大きな峠を二つ越えるので、今までのような海沿いの平坦な道のりとは訳が違う。また、札幌や小樽方面と苫小牧を結ぶ国道のため、トラックなど大型車の交通量が多く、安心してのんびり歩くという感じにはならなそうだ。

 予想通り、朝一から国道を行き交う車は多く、信号がほとんど無いので、国道はあたかも高速道路のようだった。横を通り過ぎるトラックなどの風圧に耐えながら歩き、走った。
 日没前に着くには、歩くだけでは着かないので、午前中から少しずつ走った。前日に休んだおかげで、予想以上に登りも下りも走ることができた。改めて体を休める大切さを知った。

 支笏湖温泉までの間は、山越えのため町はなく、唯一あるのは大滝村の道の駅だけだ。
 道の駅に隣接するきのこレストランは、以前車で通った時から気になっていたので、今日はそこで昼食をとることを決めていた。午前11時半にきのこレストランに到着、ようやく出発から張りつめていた緊張を緩めることができた。
 休日ではないのに、きのこレストランはたくさんの人でにぎわっていた。

 30分ほど休憩して、再び行き交う車に怯える時間に戻った。早速、猛スピードで通りすぎるトラックの風にあおられた。今までは気づかなかったが、こうして北海道の道を歩いてみると、特に郊外は歩行者に優しくない道が多いと感じた。
 車道は広いが路肩は狭く、歩きにくい。そしてほとんどの車が平然と速度を落とさず、歩行者の脇を通りすぎていく。
 都市部以外はほとんど歩行者のいない幹線道路に、歩道をつけてほしいとは思わないが、せめて、歩行者や自転車が安心して歩ける幅の路肩はつくってほしいと強く思っている。

 結局、道の駅から先は、残りの距離や危険な国道を早く抜けるために走った。
 午後2時半にようやく安心して歩ける支笏湖湖畔の広い歩道に合流して、緊張していた体の力も少し抜け、大丈夫だとわかっているのだが、条件反射的に大型車が凄い音をたてて通過すると体が強ばった。
 その緊張も徐々に落ち着いたが、北海道に入ってから、思い描いていたような壮大な景色を見ながら気持ちよく歩くとは程遠い感じだった。

 先週の大雨の影響が残る支笏湖を回り、日暮れと同時に支笏湖温泉に着いた。休み明けで快調に歩けたが、思った以上に体は疲労していた。

 明日は久しぶりの70キロを越える移動となる。よーき大移動だ!


 



9/20(土) 「70キロ!?」

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 今日から9月も下旬に入る。予定では1ヶ月後利尻島に上陸している頃だ。

 旅も残り1ヶ月、ひろーい北海道もあっという間に過ぎてしまうのだろうか。
 支笏湖温泉を朝6時半に出発、3組の方が朝から宿まで応援に駆けつけてくれた。世間はシルバーウィークで連休のようだ。
 今日は支笏湖温泉から日高富川までの約70キロの道のり、西日本以来の封印していた距離だ。景色の変化も大きくなる。

 支笏湖から南下して、北海道の海の玄関口苫小牧を通過、海岸線を東に約30キロの移動となる。苫小牧の工業地帯から日高地方にある、競走馬の聖地へと移動していく。

 支笏湖温泉を出てすぐに、苫小牧市内まで続くサイクリングロードを見つけた。
 朝から20キロ以上も狭い道を歩くのかぁ…と少し不安だったが、車を気にすることなく歩けるサイクリングロードは心身ともにかなり助かった。歩く環境は最高だったが、なかなか体が起きず、結局、苫小牧市内には11時に着いた。
 後半のことを考えると、10時には着きたかったが、なかなかそう簡単にはいかないようだ。
 苫小牧から目的地まではまだ45キロ以上も残っている。
 昼食を食べて少し休んだら、体が大分動くようになった。時刻はすでに12時半、かなりペースをあげる必要があったため、タイミングよく体が起きてくれて良かった。
 また、苫小牧を出てすぐのところで、職場のラフティングクラブに毎年遊びに来てくれる常連のお客様が、仕事と休みのタイミングを合わせて北海道まで会いに来てくれた!久しぶりの再会でスゴく驚き、パワーをもらうことができた。
 応援に来ていただける方の中でも、とくに家族や友人、仲間などは僕にとってのパワースポットになっている。とても強い追い風を受けることができて、午後はほぼ走り続けることができた。

 夕方に日高町内に入り、屋久島を出発した頃はまだ田んぼを耕していたのが、この旅で初めて稲刈りをしている風景を見て、季節が過ぎる早さと、自分が長い距離をあっという間に歩いてきたんだなぁと実感した。
 北海道は米だけでなく色んな作物が収穫の時期を迎えている。大きな機械であっという間に刈り取られる稲をみて、新米を食べたくなった。新米と出会うのはいつになるだろう。

 6時半に予想以上の早さで宿に到着した。一瞬、本当に70キロあったのかな…と思ったが、地図をみて距離を計算するとちゃんと70キロだった。
 さぁこのままお風呂に入って、夕食を食べて寝ようと思っていたが、実は宿につく前に思いがけない出会いがあった。

 地元の方が自転車に乗って会いに来てくれて、走りながら町まで話をする機会があり、その話の中で出張マッサージを探していると相談した。
 すると、「富川の町にはいないが、自分は整体の資格を持っているので、よければマッサージしましょうか?」という夢にも思っていなかった申し出を頂いた。
 ほぼ即答で是非ともお願いしますと申し込んだ、という経緯があり、宿に着いたあと、まさかのプロの方からの念入りなマッサージを受けることができた。70キロを歩いた日に、これ以上無いタイミングの出会いに感謝して、マッサージを受けながら爆睡した。
今日という日に感謝だ。

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9/21(日) 「予定になかった1日」

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 今日は直前の幌尻岳までのルート変更により、増えてしまった距離40キロ分を歩く。

 日高富川から名馬が多く誕生している新冠を目指す。昨日の70キロの約半分という感じなので、比較的楽な1日になりそうだなーと久しぶりに能天気に考えていた。
 天気は昨日よりもさらによくなり、場所によっては夏日になるくらい暖かかった。この天気で大雪山に積もった雪が溶けてくれることを願った。

 週末で、さらに日高から先は高速道路がなくなるため、唯一の国道はかなり混んでいた。のんびり歩くのは今日も難しそうだ。時々、海岸線まで出てみたりしながら、サラブレッド銀座と呼ばれる新冠を目指した。

 予定では5時に着くはずだったが、結局最後は走って帳尻合わせ、午後6時に宿に着いた。
 明日から2日間山に入るので、食料などで荷物がかなり増えた。
 実家と同じログハウスのカワイイ宿は居心地がよく快適に過ごすことができた。宿のご夫婦が実はこの旅のことを知っていた方だったので、ルート変更でまさかの宿泊に凄く喜んでくれた。

 山の情報をしっかりと教えてもらったり、日高の歴史なども聞くことができたりで、回り道ではあったが、いい1日となった。
 明後日にはいよいよ幌尻岳に登る。しかし、その前に明日の登山口までの70キロの道のりが待っている。
 さぁ、北海道一山深い幌尻岳はどんな風な姿を見せてくれるだろう。

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投稿時間:15:03 | 固定リンク


2014年09月16日 (火)

今週のヨーキ(9/8~9/14 八甲田山~)

9/8(月) 「90座」(八甲田山)

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 今日は約40キロの長い舗装路歩きの後、節目の90座目、八甲田山に登る。
 岩手山を登ってから、比較的天気に恵まれているためか、あっという間にここまで来た感じがしていた。

 今日の十和田湖は昨日以上に静かで、気温が低く何だかはりつめた印象だ。
 大学時代に合宿で十和田湖を訪れた時から、丸9年が経っていた。
 記憶の片隅にある奥入瀬渓流を通って、八甲田山に向かう。
 十和田湖から緩やかに下る奥入瀬渓流は、軽く走りながら森林浴を楽しむにはちょうどよかった。

 1時間ほど走り、途中の休憩所で早めのランチにした。
 朝御飯がおにぎり2つだったのでお腹が空いてしまったのもあったが、3キロ先から店がなくなり、八甲田山まで長い登りになるので、補給する必要があった。
 お腹が満たされたところで再出発。食べた直後に走れるかな…と思っていたが、今日は予想以上に体が動いてくれた。
 前日に長時間走ったにも関わらず、珍しく翌日も快調であった。自分の体のなかで何が起こっているのだろうか。

 奥入瀬渓流を抜け、登山口到着予定の2時に向けて、ひたすら急坂を登り続けた。
 途中、弘前市で子供たちに剣道を教えているという御夫婦が、うれしいメッセージを書いた大きな模造紙を車に張り付けて登場したり、八戸や青森市などから今日も多くの人が会いに来てくれた。

 予定より10分ほど遅れて、登山口となる酸ヶ湯に着くと、多くの人が出迎えてくれ、皆さんいい笑顔で拍手と声援を送ってくれた。登る前の力になった。
 登山口で軽く補給をして、20分に出発。山頂には遅い時間にも関わらず、僕に会うために登っている方がいると教えてもらったので、なるべく早く登頂する気で駆け足で登った。僕が急げば、待っていてくれる方に早く会えて、焦らずに下山してもらうことができる。
 もちろん、ペースを上げながらも、できる範囲で景色を楽しんだり、写真を撮ったり、色々と五感を使って山を感じている。トレーニングの時のような速さでも、考え方や心の状態は全然違う。

 初めて八甲田山に登ったが、登山道の保護のために麻かヤシの毛のようなものを長い土嚢のようにして、登山道が雨水などが流れて削らないようにしているようだった。少しふかふかしているので、膝に優しい感じだ。
 そんな気づきもありつつ、硫黄の臭いが立ち込める谷を抜けると、今日2度目の雨が降り始めた。
 うわぁ…また、山頂が雲に隠れてしまう!と悔しがりながらも先を急いだ。

 山頂までの急登を一気に上がると、7名ほどの登山者がいて、僕が着くと皆さんから拍手とおめでとうございます!という言葉を頂いた。会いに来てくれた方の中には、知り合いもいて思わず笑みがこぼれた。
 山頂からの景色を諦めていたが、到着したあと徐々に天気が回復して、節目の90座目の登頂を自然もよくここまで来たなと祝ってくれているようだった。

 残り10座、ゴールを意識する数となって、何かしら今までの山とは違うものを感じるかと思っていたが、何も特別なことは感じず、いつもと変わらない心境だった。
 ただ言えるのは、山頂から諦めていた八甲田の山々、自然を一望することができて、自然に強く感謝した。
 長い舗装路から、午後の遅い時間にも無事に登頂できて一安心、もう少し雲の切れ間から見える西日を眺めていたい気持ちもあったが、明日からもまだまだ旅は続くので、遅くならないように、宿泊先の酸ヶ湯へ下山した。

 次は東北最後で本州最後の岩木山となる。登頂した時、どんなことを感じるだろうか…。そんなことを考えながら、名湯の酸ヶ湯で1日の疲れをとることにした。




 



9月9日(火) 「地上波に生出演」

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 昨日、八甲田山に登っているときに、「明日の夕方のゆうどきネットワークという番組内で、旅の紹介をする事になったから、是非電話での生出演をしてくれないか」という打診があった。
 12分間の旅の映像のあとに、3分間のインタビューを受けるという内容だ。これまで何度かラジオの電話出演はあったが、テレビは初めて、時間は3分間しかなく分かりやすく完結な内容が要求される。ラジオでも10分がスゴく短く感じたのに、3分間はあっという間だろう。
質問の内容は少ないが、この旅はそう簡単に伝えるのは難しいな…と自分の中で旅を振り替える必要があった。

 少し緊張と不安はあったが、難しく考えても仕方ないとそんなに考え込まず、端的に完結に分かりやすく…だけどストレートに話そうと最終的には思った。落ち着いた所で話ができたらと思っていたので、出演前に宿に着こうと、弘前市内に入ってからは走り続けた。

 ギリギリの5時半すぎに宿に着いたが、宿までの上り坂を急いで走ってきたので全身汗だく。息は切れてしまい、ゆっくり落ち着いていられない状況ではあった。
 しかし、あまりに汗が吹き出してくるので、1分でシャワーを浴びてさっぱりして、出演3分前にようやく落ち着くことができた。
 3分はあっという間で、質問の内容を頭に入れつつ、電話の向こうから聞こえてくるアナウンサーの方の声に反応して、こんにちわ!初めまして!と返事をした。
 我ながら比較的いい感じで話せたと思ったが…時間のことがすっかり頭から抜けていて、話しきる前にアナウンサーからの突然の「ありがとうございました!この先も頑張って下さい」という言葉が降ってきて、慌ててありがとうございました、と返した。生出演は突然終了してしまったように思えた。

 あまりの慌てた感じの終わり方に、思わず笑ってしまったが、他の場所でテレビを見ていたディレクターが戻ってきて、良かったんじゃない?と言ってくれて、ホッとした。
 僕はテレビを見ずに電話に集中していたが、テレビでは、最後の時間を気にして少し慌ててる感じがスタジオの方にも出ていたようだ。時間通りに話すのは話したいことが多いだけに、難しいと感じた。
 だが、地上波に生出演できて、この旅が自分の知らないところでもどんどん広がっていることを実感する一時だった。
 明日は久しぶりに朝から登山が始まる。

 



9月10日(水) 「本州最終座と雷」(岩木山)

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 今日で91座目。四国から本州に渡って4ヶ月。本州だけで、82座登った。これから登る岩木山で本州最後の百名山となる。
 朝はきれいに晴れて、スッキリと岩木山神社の鳥居の間から山頂が見えた。コースタイムでは4時間半、予定では2時間で登り、9時半には登頂を狙っていた。
 理由は午後から天候が崩れて雷雨になる予報が出ていたからだ。

 宿を出発すると,以前お会いした、地元で剣道を教えている方が教え子の家族を連れて会いに来てくれていた。
 子供たちは通学前にも関わらず、道着に着替えてくれていて、来てくれた方々の熱い思いを感じて、朝から励みになった。
 短い間だが熱い視線を感じながら、岩木山の登山口に向かった。

 岩木山神社で、登らせていただく前のごあいさつをしてから、登り始めた。
 標高1000メートル位までは樹林帯の中を進んで、鳥海山と岩木山の鞍部に出るまでは急な沢の中を登っていった。
 途中には清水とは言えないほどの豊富な量の湧き水があり、ラストスパート前にしっかりと喉を潤すことができた。
 とても冷たくて美味しかった。暑さで少しバテていたが、この水のおかげで回復し山頂まで一気に駆け上がった。

 また岩木山は修験者の行場にもなっており、この清水は修験者の方にとってもありがたい存在なんだろう。
 その後予報よりも早く山頂付近が厚い雲に覆われ始め、天候が崩れるのが早いかもしれないと予測した。

 山頂は予想通り気温が低く、風が冷たかった。そんな条件の中数名の方が山頂で待ってくれていて、拍手とおめでとうという言葉を頂き、ありがとうという気持ちで一杯になった。
 短い間だが、写真撮影などをして、天候のことがあるので早めに下山を開始。下山前に岩木山の奥社にお礼をしてから、赤倉コースに向かった。

 下山を始めてから30分位で遠くから聞こえていた雷がだいぶん近くなっていることを感じて、下山のペースを早めたが、あっという間に雨が降りだし、風も吹き始めた。
 尾根を歩いていたので、少しでも低いところにと思い、姿勢を低くしながら歩き続けたが、雨が激しさを増して、雷の音が真上に感じた瞬間!左斜め前方のすぐそばに雷が落ちて、撮影スタッフ含め全員が、直後の強烈な雷鳴と地響きで茂みの中に倒れ込むように、隠れた。この旅で初めて,全員が身の危険を本気で感じた瞬間だった。

 雨はさらに強くなり、雷が自分達の真上に居座り続けた。荷物やストックを投げ捨て、体ひとつで茂みの中に身を潜めてた。
雷は何度となく鳴り響き、光り続けた。

 一番近くに落ちたときは、あまりの衝撃と恐怖から,強く握りしめた手が勝手に震え出した。
 あまりの恐怖から見上げることができず、祈るような思いで身を縮めた。

 延々と続きそうだった雷雨は,30分ほどで過ぎ去ったが、その30分は生きた心地が全くしなかった。
 今回は、はじめて全員がヤバイと感じて、同じように自分達に落ちないことを祈った。

 雨が止んで辺りが明るくなったことを確認してから逃げるように下山した。
 下山口に到着して緊張から解き放たれると、極度の緊張からか疲れがどっとでて、しばらくは動けなかった。

 山で一番遭遇したくないものは雷と誰もが答えると思う。
 今回、初めて至近距離で雷と遭遇してしまい、改めてその恐怖と二度と体験したくないと強烈に感じた。
 岩木山は雷によってより強く記憶に刻まれることになった。

 宿へ向かう道すがら、振り返ると、夕陽を浴びたおだやかな岩木山があの恐怖を和らげてくれるように美しく見えた。

 



9月11日(木) 「見えたぞ北海道!」

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 今日で本州最終日となる。
 屋久島を出発して5ヶ月と11日、約6300キロを歩き、走り、登り、下り、漕いで来た。
 明日、津軽海峡を渡れば、いよいよ待ちに待った北海道に上陸する。
 今日1日は、旅の中で記憶にも記録にもしっかりと刻まれる日になりそうだ。

 宿を8時過ぎに出て、昼前には日本海まで来た。その後一度峠越えをして、再び日本海に出たところで約6ヶ月ぶりに両親と再会した。実家のある富良野市から津軽海峡横断に必要なシーカヤックを届けるために海を越えて、青森まで来てくれていた。

 母を訪ねて三千里ではないが、今までの休暇に里帰りするのとは、全く違う再開となった。当たり前だが両親の顔を見ると、自然と安心できた。それほど深くは話さなかったが、二人の笑顔が今までとは少し違って見えた気がする。
 再会した場所が道の駅だったので、久しぶりに一緒に食事をしてから、両親は先に竜飛岬に向かい、僕も後を追うように海岸線の道を走って、竜飛岬に向かった。

 竜飛岬の手前には本州最後の長い峠越えの道があり、そこを越えると、眼下に竜飛岬と津軽海峡と北海道を見渡すことができた。気持ちが早く竜飛岬に着きたいと動いたため、残り8キロの下りは一気に走り下りた!

 峠から30分位で竜飛岬の近くまでつき、日本で唯一無二の階段国道を記念に歩き、4時40分に竜飛岬に到着。
 本州、東北ラストランは夕陽を浴びる穏やかな津軽海峡を眺めて終わった。

 宿で再び両親と合流して、軽くシーカヤックを漕いで試運転をした。夕暮れには明日対岸で待つために早朝のフェリーに乗る両親を見送って、宿に入った。

 振り返れば東北もあっという間だったが、短いと感じながらも確かな日々を過ごしてきた。
 さぁ、気持ちはすでに北海道に向かっている。津軽海峡は明日どんな顔を見せてくれるだろうか。


 



9月12日(金) 「不安と緊張の3時間半」

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 朝、4時半夜が明ける前に起床。いよいよ本州から離れる日がやって来た。
 東北に入ってから1ヶ月、天候に恵まれない日が多かったが、大きなトラブルやケガもなく、青森県竜飛岬まで来れたことにまずは感謝した。
 窓から外を見ると真っ暗だったが、波は静かな音を立てていた。バタバタと準備をする。
 緊張からか、気持ちが落ちつかない。
 夜が明けて間もない5時半に宿を出発、東の空は晴れて気持ちのいい朝日が見えた。
 だが、西の空は夜のようなどす黒い雲に覆われて、雷の音が聞こえた。

 津軽海峡を渡るのは初めて、もちろん誰でも初めては緊張するものだが、もしかすると大隅海峡を横断するときよりも不安や緊張は大きかったかもしれない。
 不安と緊張が高ぶる中、出発の時間が刻一刻と近づく。
 久しぶりのカヤックに準備がもたつき、予定より30分遅れで出発した。
 昨日、竜飛岬に着いたときに出ていた岬から巻き込む潮は無くなっていた。

 運よく今日の満潮が6時40分頃だったので、潮止まりのタイミングで出発出来たのが幸いしたのかもしれない。
 岬から出ると少しだけ波が出たが、予報の1メートルには満たない程度だった。風向きは西から弱く3メートルといった感じだろうか。波やうねりも西からだった。
 津軽海峡は日本海からの潮が太平洋側へと基本的に抜ける潮流となっているので、あまりに海が荒れて風が強くなると、あっという間に東に流されてしまうのだが、今日はその可能性は低い感じだった。

 最初の30分ほどは上空の雲の動きや風向き、日本海からのタンカーやフェリーの場所、マグロ漁船の場所や移動方向などを絶え間なく気にしながら、体が慣れるまで、あまり力を入れずに漕いだ。
 しばらくすると、対岸で北海道が全く見えなくなるほどの雨が着岸予定である福島町の方で雷鳴をあげながら降り出していた。すると、進行方向に散らばっていた20隻ほどのマグロ漁船がその雷雲から逃げるように、一斉に南西の日本海へ動き出した。

 マグロ漁の盛んな津軽海峡は船が縦横無尽に動くので、波や風よりも船との接触に注意をしなくてはいけなかった。常に360度の船の位置を監察しながら漕ぐ時間が続いた。

 かなり至近距離にならないと船から僕を発見することはかなり難しいので「漁船からは見えてるだろう」などと思っては絶対に危険であり、早め早めに自分の視界に入る船の進行方向や停滞しているのか、ゆっくり進んでいるのか、スピードをあげているのか、旋回するのかなどを予測して判断し、行動を起こさなくてはいけない。そんな時間が2時間ほど続いた。

 今回、使ったカヤックはかなり船脚が早かったため予想以上に早く、2時間ほどで前半の直線距離にして24キロ、海峡の一番潮の流れが早い部分を乗り切ることができた。
 波は海峡の真ん中まで来ると、風の影響ではなく潮流と台風の影響による太平洋からのうねりがぶつかり、色んな方向から三角波が発生しており、不安定な波のなか、常に辺りを監察しなくてはならず、かなりの集中力が要求された。

 そうこうしているうちに、マグロ漁船はすべて進行方向からいなくなり、大きな雷雲は函館の方に移動していったため、対岸の福島の町が、天候の回復とともに肉眼でとらえられるようになった。
 少しの追い風追い波だったので、若干だが予定のルートよりも東側に流されていたが、渡島半島に近づくに連れて、潮の流れが弱まり、太平洋からのうねりを使って、徐々に予定のルートに戻ることができ た。
 現在地や予定のルートとの比較をするのに、今回もGPSを用いた。

 出発から2時間を過ぎたあたりから疲労が溜まり始め、徐々に漕ぐ力も弱まってしまい、速度が前半の半分くらいまで落ち、我慢の時間が続いた。
 海上は、かなり穏やかになってきてはいたが、初めての津軽海峡、完全に潮の影響を受けない漁港近くまでいかない限り油断は出来ないと、気を緩めることはしなかった。
 案の定、穏やかになったり、風向きが変わったりして、漁港直前では予想通り白神岬から巻き込む潮と太平洋から湾に沿って流れる潮がちょうど福島吉岡の漁港前でぶつかるようで、今回も漁港に近づくに連れて潮がぶつかり三角波がたち始め、徐々に潮が東から西に流れ始めた。
 見た目では今日一番の早さだった。ここぞとばかりにペースをあげて、うまく追い波も使いながら、それほど流されることなく最後の潮を渡り切ることができた。

 そこからは安心して漁港まで漕ぐことができたが、フッと気が抜けたとたんに、張りつめていた緊張が途切れて一気に疲れが吹き出した。様々なことを考えて判断しなくてはいけないのだが、今回は予想以上に早く着くことができて、自然や運に助けられたと強く感じた。
 だが、もちろん運だけでは渡ることはできない。自然相手のことだから、予測が出来ないことが多くリスクも高くなる。
 しかし、適切な判断力や観察力、集中力、決断力、行動力、実戦力、経験値、技術力、 適応能力、予測力などがあり上手く機能すれば、リスクも最大限下げることができる。あとは自然の力を借りたり、上手く利用したり出来れば、それが運と言われるものとなると考えている。
 今回はいつもと違う状況が自分自身にあったので、よりリスクを高く感じていて、それが不安や緊張として、心身に大きな負担を与えていた。それは、旅の影響で上半身の筋力がかなり落ちたことだった。
 だが、その他の部分で結果的に補うことができたし、運も味方についてくれたため、気にしていた不安要素は、それほど重要ではなかったことを知った。だが、その事があったためにいつも以上に慎重になったことは確かだ。

 1日分の体力をだった3時間半で使いきって、無事に北海道に上陸することができた。明日から最終北海道ラウンドのゴングが鳴る。


 



9月13日(土) 「最終ラウンド 北海道」

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 昨日の疲労はほぼ抜けたが、久しぶりに激しく上半身を動かしたため、わずかに筋肉痛になっていた。
 今日からこの旅最後の都道府県、北海道の旅が始まる。北海道だけで、約40日を要し、距離は1400キロを越える。数字だけでも北海道の大きさが分かる。

 故郷でもある北海道。終盤の難所と考えていた津軽海峡を無事に渡ることが出来て、肩の荷が下りたこともあり、これから歩いて進んでいくことへのワクワク感やドキドキ感、北海道に本当にたどり着けたことへの喜びがふつふつと湧いてきた。
 だが、今いる渡島半島は、実家のある富良野市から一番遠い場所、土地勘は全くない。北海道はかなり広いので、故郷であっても行ったことのない土地が多く、この先歩くのがすごく楽しみだ。

 北海道に上陸するまでは、焦りの原因ともなるのであまり気にしないようにしていたが…雪の事が気にかかり日本アルプスを抜けてからは足早に進み、みなかみ町で体調を崩してしまった。
 体調が回復してから、青森に入るまではあまり先を気にせず、体調を考えた旅を優先してきたが、実際のところ北海道が近づくに連れて無意識に焦ってしまっている。西日本の頃は時間をあまり気にせず、今よりも自由奔放に日々を過ごしてきた。

 僕自身の気持ちもそうだが、旅を続けていく中で、旅を取り巻く環境も大きく変化していったので、旅に対する僕自身の気持ちや考え方も変化してきたように思える。
 旅を楽しもうという気持ちが全面に出ていた西日本の時よりは、楽しみながらも体調やスケジュールを考えた旅、確実にゴールするための旅という意識が強くなったと思う。

 今はほとんど寄り道はしなくなった。日々、宿を出発して目的地までただひたすら歩くそんな感じだろうか。
 心境や旅に対する思いが変化し、旅を無事に終えることへの使命感や責任感が増しているが、旅を止めたい、辛い、大変だしイヤだ、という気持ちは自分でも不思議なくらい生まれてこない。
 北海道に上陸して、かなり楽になったので、北海道の大自然のようにのびのびとゴールまで歩き続けようと思う。
 さぁ、今日は北斗市までの66キロ!どんな初日になるだろう。



 



9月14日(日) 「恐ろしい北海道の道」

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 今日は昨日より少し短めの51キロ、大きな噴火湾に面した落部という町まで移動する。
 昨日までの不安定な天気も回復して、秋晴れで空気は冷たく、歩くにはちょうどいい日になりそうだ。

 お世話になった宿を出発してから、国道まで2キロとなったところで、まさかの人と遭遇した!
 アドベンチャーレース仲間の方で、今年の3月から日本の沿岸を自転車で走り続けていて、旅の序盤の島根県で一度会っていた。他の仲間から北海道を回っていることは聞いていたが、僕が北海道に渡るときにはすれ違いで青森に渡ってしまうと思っていたので、まさかの再会に驚き元気な姿を見て、嬉しくなった。
 国道に到着するまでのわずかな時間だったが、お互いの近況や旅のことなどを話した。
 手段は違っても、自分の力で旅をしている仲間に二度も会えるのはかなり幸運なことだと思った。お互いの旅の無事と東京での再会を約束し、それぞれの旅に戻った。

 国道は三連休の中日ということもあって、かなりの交通量だった。しかも、一般道なのだが高速道路かと思うほどのスピードを出す車ばかりだった。北海道の道路は道幅が広く、まっすぐで信号機も少ないので、スピードが出しやすいのだろう。
 路肩や歩道も広いが、脇を通る車の音は速度が出ているため、今まで歩いてきた地域よりかなり大きく、うるさい。歩いていなければ気がつかないことだが、北海道の雄大な景色を楽しむというような感じには残念ながらなれない感じだ。

 また、少しでも遅い車がいれば、なんのためらいもなくガンガン抜かしていく。今日だけでも何台もの車がスピードを出して、追い抜いていくのを見た。路肩は広いが道も広いので、歩行者がいてもほとんどの車は速度を落とさずに、通過していく。ちょっとの接触で取り返しのつかないことになりそうだ。客観的に見て北海道の車は都道府県の中で一番恐いと感じた。
 国道5号線は大げさかもしれないが高速道路といった感じで、そこを歩いているようなイメージをしたら、その恐ろしさが分かるかもしれない。
 

投稿時間:15:13 | 固定リンク


2014年09月09日 (火)

今週のヨーキ(9/1~9/7 早池峰山-八幡平)

9/1(月) 「思い」

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 今日から9月に入ります。
 この旅も出発してから振り返れば、5ヶ月が過ぎました。移動距離は6,000キロになろうとしてます。
 今日は早池峰山への移動歩行2日目。距離はちょっと短くなって56キロになります。
 朝から秋晴れで、気持ちがいい中を岩手県に向けて歩きます!

 道端の狭い国道107号を歩いていると、今日も多くの方々が応援に駆けつけてくれました。
 そんな中、会う方からほとんどから同じようなことを言われました。

「一人で歩いてるんだ。NHKの方々を引き連れて歩いていると思ってた。」

 今までも同じようなことを言われて、その度に、旅の内容などを説明させていただいてきました。
 旅で出会う人から感じたことは、テレビの放送だけを見ている方の多くが、僕の旅をNHKがサポートしていると思っている、ということです。

 今回はいい機会なので、僕の旅に対する想いと撮影スタッフへの思いを書きたいと思います。

 この旅は多くの方々の決して表には出てこないサポートによって、成り立ってます。
 旅をしているのは僕だけですが、いろんな場面で支えてくれている方々と一緒に旅をしている気持ちです。

 孤独や単独と言われますが、僕はそれを望んではいません。少し矛盾するかもしれませんが。
 旅を始めるときの僕の思いは、あまり語ってはいませんでしたが、旅を通していろんな人と出会い、つながりの輪を大きくしたいと思っていました。人との出会いが自分の成長につながると思っているからです。

 旅人は一人ですが、この旅はチームで動いています。旅を支えてくれている人、旅で出会った人、応援してくれている人、この旅に関わっている人全てが、旅のチームだと考えています。だから、単独だとは考えてません。

 旅の序盤でテント泊を止めたのも実際に旅をしてみて自分の想いと違うと感じたからです。
 もちろん体への負担や旅を成功させるために止めた理由もあります。

 旅が動き出し、スタートラインに立つまでに、多くの方々の協力を得ることができて、今もなお、それはありがたいことに継続中です。

 NHKに今回の旅を提案させていただき、番組として決定するまでに、プロデューサーの方などにはかなりの力を注いでいただきました。7ヶ月間も一人の旅を追い続けるという不確定要素が多いにも関わらず、番組がここまで続けてこられているのはNHKの素晴らしいスタッフ陣のチームワークによって支えられています。
 直接的なサポートはもちろんありませんが、ひとつの番組を成功させようと、同じ志を僕ももっていることは確かです。

 NHKの撮影班が全山帯動すると決まった時に、一座も一人で登れる山がないと分かったときは、番組が決まった喜びもありましたが、残念な気持ちも正直ありました。
 だから、撮影班は極力一人で登り歩いている旅のリアルなドキュメンタリーを守るために、接触は最低限とし、客観的にとらえるためしっかりと線引きをしてきました。

 撮影のためにお互いに持ちつ持たれつのことはありましたが、それも必要最低限で、僕の考えや選択に対しての否定や肯定 も必要最低限です。緊急時以外を除いて。

 旅を映像に残すことが出来ているのも、多くの方々がうまく噛み合うことで可能になっています。影に隠れてしまっているが撮影スタッフの努力は、僕なんかよりも素晴らしいと近くで見ていて日々感じます。

 旅も残り2ヶ月、まだまだ気を抜けませんが、旅を自分なりに楽しみ、感じていきたいと考えてます。
 言葉も大切ですが、表情や動きなどから自分を表現していきたいと思います。

 


9/2(火) 「移動歩行最終日」 

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 昨日までの2日間で115キロ歩いたので、今日は40キロとやさしい日になりそうだ。
 だが2日間の疲労は大きく、久しぶりに朝がスッキリと起きることができず、さらに暑さは3日間で一番となった。

 田園地帯や小さな町を抜け、どんどんと人里から離れていった。
 気がつけば、時刻は3時過ぎ、まだ見ることのできない早池峰山の方向の山々は、すでに西日を受けていた。
 日が短くなっているのを感じた。

 途中、名古屋からバイクで旅をしながら会いに来ました!という女性に会った。
 久しぶりにあんなに大興奮している人に会ったな、と思うくらい満面の笑顔で喜んでいた。
 ぼーっと歩いていた僕は「名古屋から来ました!!」と聞いて驚き、僕も嬉しくなり元気が湧いた。
 名古屋から来て、東北を楽しんでくれていることがまた嬉しかった。

 素敵な出会いをした後はドキッとする出会いがあった。
 宿まで5キロとなった地点を歩いていると、正面からパトカーが走ってきた。
 すると手前で減速して、路肩に停車、運転席の警察官が手招きをしてきた。
 「えっ!?何かやったのか?」
 
 と自問自答。緊張が走った。
 でも、考えたが何も思い当たることがない・・・。
 今までに一度だけ、山への道を歩いているときに、どこまでいくのか聞かれたことはあったが無言で手招きされることはなかった。

 運転席から下りてきた警察官が一言。

 「あんたが百名山歩いて登っている人か?」と。
 一瞬「ん!?」と思った。

 話をすると、警察官のおじさんも山登りが好きなようで、山好きの地元の人との話の中で僕のことが話題になり、早池峰山に来たときには是非とも会いたいと思っていたそうだ。
 ということで、記念写真を撮って、なんのこともなく宿に向かうことになった。久しぶりにドキッとする日だった。

 結局、宿についたのは日暮れ、宿の方には大歓迎を受けて、美味しいご飯をたらふくいただいた。
 特に郷土料理のぬっぺ汁とひっつみは美味しかった!東北最長の160キロのロードが幕を閉じた。
 明日は久しぶりの登山です。

 


9/3(水) 「岩手の山」 (早池峰山)

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 岩手県に入ってから3日目。中4日で久しぶりの登山、87座目の早池峰山に登る。
 今までに一度も見たことも登ったこともない山なので、この山に対するイメージは白紙だ。どんな山なのかドキドキしていた。

 登山口までの約5キロの舗装路がいい準備運動になった。あと2キロ先、峠からの登りやすい尾根道コースもあったが、距離の短い最短コースで、かつ好きな直登コースを選んだ。
 斜度が急なため、遠回りとなる尾根道コースよりコースタイムは長かったが、僕の場合は直登コースのほうが登りの時間を短縮できるので、今までも選択肢がある場合は直登コースを選んできた。

 午前8時過ぎに登山口をスタート、準備運動が出来ていたので、体にしっかりと力が入った。10分程で林から抜けて、これから登る壁のような急登が目の前に広がった。
 そして、山頂付近の鬼の角のような岩が、人を寄せ付けないような雰囲気を出していた。
 山頂まで見上げることができる急登は、僕の登山意欲を掻き立てるので、いつも以上にスピード登山となる。
 この早池峰山のルートもまさにぴったりの急登だったので、途中の冷たい湧き水を飲んだら、一気に山頂まで登ろうというスイッチが入ってしまった。

 結果、出発から1時間で山頂に到着した。山頂には天気がよかったためか、多くの人が登頂されていた。

 そこから見える早池峰山の北側は、直登してきた南側とは全く雰囲気が違った。
 深い緑の低木が綺麗な絨毯のように遠くの方までゆったりと広がっていた。
 早池峰山も二つの顔を持つ山だなという印象だ。

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 東北は火山からできている山が多いせいか、登りと下りでガラリと印象が変わる山が多い気がする。
 その絨毯の先に目をやると遠く岩木山まで見ることができた。地元の方が岩木山が見えるほど晴れるのは珍しいと言っていた。

 この旅で初めて、本州最後の岩木山まで肉眼でとらえることができた。
 そして、東北の残りの4座全てを見ることができて、着実に東北を北上してきたことを一番強く実感した瞬間だった。

 午前10時半過ぎに下山を開始。宮古市側に下山ルートをとったのだが、早池峰山は滑りやすい蛇紋岩が多く、予想以上に時間がかかってしまった。
 でも、滑りそうになる度にプロレスラーのような声をあげながら、頭で技をイメージして仮想プロレスをやっていたので、意外とヒヤヒヤしながらも楽しく下山できた。午後12時に無事に下山したあと、今日の本当の戦いが待っていた。

 事前の情報では、今日の宿まで35キロだったが、計算し直すと42キロはあるようだった。
 山を登ったあとにフルマラソンはちょっとボリュームがある感じがしたが、気持ちは行く気満々だった!
 宮古市と盛岡市の区界峠までがかなり登っていたので予想以上に時間がかかったが、盛岡市までは走りやすい坂だったので、ほとんど走ることができて、予想よりも1時間早く宿に到着した。

 早池峰山を下山後のロードは久しぶりに本当に何もない国道で少し不安になったが、山陰で感じたドキドキ感がよみがえって、懐かしく感じた。岩手県最初の早池峰山はお気に入りの急登となった。

 


9/4(木) 「大寝坊からの念願のわんこそば」

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 前日は久しぶりに厳しい1日となったためか、出発予定時間を3時間もオーバー、大慌てで支度をしてチェックアウトをした。時刻は10時半過ぎ、すでに岩手山に登れる時間は過ぎていると悟った。

 不本意ではあるが、大寝坊が諦めていたわんこそばを食べるチャンスを与えてくれた!
 わんこそばを食べたくて以前調べたことがあり、100杯食べると記念の手形がもらえることを知っていたので、時間の経過と共にわんこそばを食べる気持ちが強くなっていった。絶対に100杯を達成したい!百名山の達成の前に景気づけに100杯達成しようと言う感じだ。

 宿泊先の方に紹介してもらった、わんこそばの老舗に向かった。
 時刻は午前11時、店に入り席に通されると大広間ではすでにテレビで見た光景そのままに、お椀片手にそばをすすり、隣には入れ子のお給仕さんが、そばを構えて立っていた。机の上には食べたそばの数だけお椀が積まれており、お給仕さんの祭りのような掛け声が飛び交い、独特な雰囲気があった。

 僕がわんこそばに挑戦する映像をおさえるということで、誰もいないテーブル席に通された。他の人たちがわんこそばを食べている姿を見た時点ですでに雰囲気に飲まれていたようで、久しぶりにスゴく緊張していた。
 アドベンチャーレースのスタート前より緊張していたと思う。

 準備が整うと、お椀がずらっと乗ったお盆を持ってお給仕さんが現れて、ルール説明をしてくれた。
 そばを入れてもらう少し大きめのお椀には蓋がしてあって、箸を持って蓋を開けたら試合開始になるようだ。

 100杯食べる気満々だったが、本当に食べられるか不安がよぎり、緊張がピークに達した。
 お椀を持つ手が震えていた。ひとつ深呼吸をして、いざスタート!

 お椀に入れられるそばは、すでにつけ汁に一度つけて味がついており、茹でたてなのか温かかった。
 お給仕さんの「はい、どんどん。」 「はい、頑張って~!」の掛け声と共に、どんどん口に流し込んでいった。
 食べると言うより飲む感じだ。一度に飲み込めない量のときはリズムが狂い、胸につかえてしまうときがあった。

 楽しむ暇なくあっという間に30杯が終わり、追加のそばを取りに行くためにお給仕さんが席をはずした。
 この待ち時間で我に返り満腹感が増していく気がした。30杯で通常のざるそば、2枚分らしい。

 再びおきゅうじさんが最初の倍の量を持って現れて、再開。30杯から先は百名山にちなんで、登ってきた山々や地域を思い返しながら食べた。
 60杯位までは順調に美味しくいただけたが、東北に入り、80杯に達する頃には満腹を通り越していた。
 東北の山をなんとか乗りきり、90杯から先は意地で押し込んだ。百名山を達成する前にわんこそばで100杯を達成させないと!!

 100まで道のりで薬味はゴマを数回つけただけ、後はそのまま飲み続けた。おきゅうじさんが何度か味は変えなくていいですかと聞いてくるが、とにかく早く100まで達したくなっていた。
 この旅で痩せて大分小さくなった胃は、限界だったにちがいない。それでもよく頑張ってくれた胃に感謝した。

 100杯で勢いよく蓋を閉めたが、お給仕さんの目は鋭く、蓋を開けると1センチほどのそばの切れ端が残っていた。あちゃーと思った隙に、さっと101杯目を入れられてしまった。もう限界だったので慎重に食べ終えて、渾身のスピードで蓋を閉めて、見事というか、なんとか記念の手形がもらえる100杯を食べることができた。

 それから1時間位は店から出ることが出来ないほど動けなくなった。

 休んでいる最中にお店の方からお店の歴史を伺うことができた。

 創業は明治40年、わんこそばを始める前は、中庭がある大きな料亭だったそうで、盛岡は内陸だったために昔は海の新鮮な幸をたらふく食べることができず、限られた食材で来ていただけるお客様をもてなしたそうだ。

 少しでもお腹いっぱいになってもらうためにそばを振る舞ったとのこと。ただし、普通の一人前で出していたら100人分を一度に出すことができないので、一口分の量を100人分、一度にゆでられる鍋を使って小分けに出し、それを何度も繰り返していたことが、今のわんこそばの起源ということのようだ。
 今ではその部分だけが残り、わんこそばという食べ方が有名になったということ。

 話の流れで、わんこそば以外になんとカツ丼が地元の方も何度も食べに来るほど人気らしく、それを先に聞いていれば!!と思った。
 僕がカツ丼が大好物と聞いて店の方がスゴくすすめてくれたので、今日のこのあとの予定を考え直して、結局、夕食にカツ丼を食べに来ることにした。

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 結果、一旦朝出た宿に戻り休憩し、お店まで再び歩き、また宿まで戻りもう一泊する事にした。この選択が吉と出るか凶と出るかは自分次第。
 確かなのは、念願のわんこそばを食べ、記念の手形をもらうことができて、大好きなカツ丼を食べて、久しぶりに上手いと納得のいくカツ丼に出会えて、満足だったことだ。
 旅で日本三大そばをちゃっかり達成してました。

 


9/5(金) 「どしゃ降りのち岩手山」 (岩手山)

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 昨日の誘惑に負けてしまった結果、出発間際に外はどしゃ降りの雨となった。
 予報が少しずれ込み、今日の日中、盛岡は雨に変わっていた。心境を表すのであれば「ガーン!」といった感じだろう。

 新調したレインウエアをまとって、どしゃ降りの盛岡の街に飛び出した。寒いと予想したが意外にも蒸し暑く、レインウエアの透湿性能はフル回転だっただろう。
 午前11時過ぎには予報よりも早く天気が回復して、雨が止んだ。天気が少し助けてくれた。登山口に向かう途中、雨の中駆けつけてくれた方がいて、今日も背中を押してもらった。
 また、5年ぶりにラフティングガイドの大先輩とも再会することができて、雨で少し疲れていた体にパワーをいただくことができた。

 午前12時前に到着した登山口にも応援者の方々がいて、今年最後になるであろうスイカを頂いた。
 松川温泉まではコースタイムで9時間半、約半分の5時間を予定していたので一気に登り、一気に下るために水分などしっかりと補給をしてからスタートした。馬返し口からの登山道は二合目から林間ルートの新道と溶岩石がゴロゴロとある歩きにくい旧道に別れるのだが、旧道の方が直登で視界が開けていてると聞いていたので迷わず旧道を選んだ。

 八合目まで来ると急登は終わり、山頂直下の広い緩やかな斜面となる。そこからは風も強さを増し、雲の影響を徐々に受け、体感気温は10度を切った。
 早池峰山の山頂から見た綺麗な山頂は、結局一度も見ることができなかった。そこから30分程で山頂に到着した。

 この天気の中で山頂で僕に会うために待っている人がいると予想していた。その方たちの下山開始が遅くならないようにと思い、登頂目標を2時にしていたが20分オーバーしてしまった。

 今までにも僕の到着が早いと予想して、朝早くから登り、結局到着が遅くなり、5時間以上結果的に待たせてしまったことが度々あったので、少しでも早く登頂して、ゆとりを持って下山してほしいという気持ちが強かった。なので、可能な限り登りは飛ばしてきた。
 登山の怪我や事故のほとんどが下山中に起こることが多く、焦りなども原因の一つとなる。今日もそんな思いで登ったが、山頂で待っていた二人の方を1時間も待たせてしまった。
 聞くまでもなく山頂は寒かったので、また「ありがとう」という気持ちよりも「すみません」という気持ちが強く出てしまった。短い間だったが20分ほどの滞在で、下山を開始した。

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 今日のルートは下山の方が長かったので、暗くなる前に宿に着くためにも急ぐ必要があった。鬼ヶ城の岩尾根を歩き、5時過ぎに松川口に到着して安堵した。
 岩手山の山頂から岩手県を見下ろすことは出来なかったが、岩手山の大きさを自分の足で踏み締めることは出来ただろう。
 明日は八幡平、気がつけば東北も、残り3座となった。

 


9/6(土) 「大歓迎の八幡平」 (八幡平)

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 今日も長丁場の1日となる。
 松川温泉から八幡平まで20キロ、八幡平から宿まで30キロ、舗装路が多いが高低差がかなりある感じだ。広大な八幡平火山帯を縦断する。
 土曜日だからか、朝7時過ぎに宿を出ると、早速会いに来ましたという方々が朝早くから待っていた。皆さんそれぞれに思いを持って、駆けつけているようだった。

 忘れ物があったりして、松川温泉を結局8時に出発した。今日登る八幡平は百名山の中で一番舗装路から近い山頂になるので、それほど焦ってはいなかった。八幡平の登山口まではかなり涼しく、ときどき雨も降ったが、12時過ぎには雲は高くなり、風も穏やかになった。
 レストハウスで軽く休憩しているときも応援者の方々に会ったりして、登山口に着くまでにすでに20人くらいに会った気がする。

 山頂に向かう道を途中間違えて、火口池経由の道に進んでしまったが、結果的に八幡平のついつい見とれてしまう景色を見ることができたのでよかった。大きな火口池のそばを通る木道がどこまでも続いていて、次来た時は家族でゆっくり散策しに来ようと思うほど、ひかれる景色だった。
 「さぁ、山頂に行こう!」と歩みを再び登山道に向けた。

 山頂が近づくとざわめきが聞こえた。カーブを抜けると、目の前に人だかりができていた。
 八幡平の山頂は樹林帯の中にあるので、それほど広くはないのだが、限られたスペースいっぱいに応援者の方々が待ち構えていた。インパクトは蔵王山の時よりもあったかもしれない。40人位はいただろうか。凄い拍手と喝采の中ハイタッチをしながらの登頂となった。
 昨日の岩手山とは状況がガラリと変わっていた。

 誰かの掛け声で集合写真を撮ったり、サイン会が始まったりしたのだが、狭いスペースだったため、他の一般登山者に迷惑をかけてしまう結果となってしまった。
 これだけの人数を限られたスペースのなかで一人一人対応するのは難しく、何も知らない他の登山者への配慮もしなくてはならないので、驚きの大歓迎ではあったが、いつも以上に気を使うことにもなった。
 山頂は特に多くの登山者が目指す場所なので、一人一人が一登山者であることを忘れずに、みんなで少しでも過ごしやすい山頂にしていければと思った。

 午後1時半くらいから、最後まで残っていただいていた方々に見送られて下山した。
 午後7時に鹿角市に着くまでにも、多くの方が駆けつけてくれて、1日で100人近い人に出会ったような気がした。宿に着く頃にはいろんな意味でいつも以上に疲れているのを実感した。

 


9/7(日) 「なつかしい再会と驚きの出会い」

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 今日の秋田県は朝から申し分ない天気だ。
 昨日の午後に鳥海山以来一週間ぶりに秋田県に戻ってきたが、今日の夕方には秋田県から出てしまう。秋田県には東北の他の県のように、一座まるごと県内にある山がないが、僕の人生の中では思い出の多い場所である。

 ほとんどがクロスカントリースキー関係の思い出ばかりだが、ここまでの旅の中で一番多く、懐かしいスキー仲間との再会したのが秋田県だ。大学の先輩との再会、まだ現役で続けている同期との再会、高校、大学時代の仲間との再会、どれもわずかな時間ではあったが、大きな力を得ることができた再会だった。
 秋田の地、その中でも一番の思い出の場所、鹿角市を訪れることができてよかった。なつかしい再会のあとは思いがけない、驚きの出会いがあった。

 鹿角市内から外れ大湯温泉を過ぎ、誰も歩いていない国道を歩いていたら前方から大きなバックパックを背負った人が歩いてくるのが見えた。久しくバックパックを背負って一般道を歩いている人を見てこなかったので、目を疑った。
 距離が縮まり、お互いの顔が認識できる距離になって、初めて歩いて来た人が海外の方だとわかった。自然と笑みがお互いこぼれ、挨拶を交わした。ヒッチハイカーかと思ったが、話をするとどうやら違うようで、僕と同じように徒歩で旅をしているそうだ。

 8月末から北海道の南幌を出発し、18年前に住んでいた名古屋まで歩きながら向かう途中の各地で、世界の発展途上国とされる65カ国を14年間かけて回ってきた経験を伝えるために、プレゼンテーションやディスカッションなどの活動しているそうだ。

 目的は違っても、歩き旅をしている人と会うのは、この旅が始まってから二人目となった!
 海外の方では初だ。少しだけどお話しすることができて、日本人以上に日本の良さを知っていて、日本が好きなんだというのを感じた。短い間だったが、スゴく元気を頂いたし、歩き旅ならではの共感もあった。彼の活動と、旅の成功を願って、別れた。

 これが最後の歩き旅人との出会いになるかもしれない。
 これから向かう北海道はもうすぐ冬だ。

投稿時間:16:20 | 固定リンク


2014年09月02日 (火)

今週のヨーキ(8/25~8/31 朝日岳-鳥海山)

8/25(月) 「走り続けて60キロ!」 

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 あまりにも心地よすぎる蔵王温泉の朝を迎えた。
 一瞬、もう一泊したい気持ちにかられたが・・・グッとこらえた。
 朝食をキャンセルしていたのだが、女将さんが「お腹すくでしょ?」 ということでオニギリを持たせてくれた!
 母のような優しさを感じて、出発前からホッとした。

 後ろ髪は無いが、後ろ髪を引かれるような思いで、蔵王温泉を出発。
 しかし、まだ今日はどのあたりまで行くか決めかねていた。
 
 体が 「どんどん行こう」 というのか、 「ゆっくり行こう」 というのか反応を待っていた。
 タラタラと山形市に続く坂道を歩き、10時ごろに国道に出て、それからさらに1時間後にようやく体が動き始めた。
 それに合わせて朝日岳の登山口にある朝日鉱泉という宿に電話して営業しているか聞いてみた。

 昨年の台風で山間部の林道がいたるところで崩落しているため、朝日鉱泉は営業していないと予想していた。
 だが・・・電話をすると普通に宿の方が出て、いつも通り営業しているとのことだった。
 歩いて今いるところから宿に向かうことを話すと宿の方は察しが早い。

「日本百名山一筆書の田中さんですか?」
「はい、そうです。」
「歩行者なら通行できますので大丈夫ですよ!今どちらですか?」
「蔵王駅の近くです。」

 そんな会話をすると、遅くなっても良いということだったので、予約をすることにした。
 一応、「日暮れまでには着きます。」 と伝え、自分自身にプレッシャーと緊張感を持たせた。

 事務局に現在地からの距離を調べてもらうと残り47キロだった。
 時刻は午前11時。日暮れまで7時間半か・・・時速7キロだったら、なんとか間に合う!
 さっきまでタラタラと、とりあえず朝日岳方面に歩いていた状況から一転して行くぞ~!走るぞ~!モードになった。
 気持ちに上手く体も乗ってくれたので、予想以上にからだが動いてくれた。
 体と気持ちがすっと久しぶりに合致した。

 おかげさまで、今日も多数の方が応援に駆けつけてくれたが、走っていたため、駆けつけてくれた方への対応が少し雑になってしまったかもしれない。
 走りながら、もう少し良い対応の仕方があったのでは?!もう少し違った言葉のかけ方があったのでは?!と振り返り反省していた。
 短い間でも、皆さんいい笑顔で見送ってくれるので、こちらも笑顔で走り去ることができた。

 朝日川沿いの林道に入ると一気に人気はなくなり、逆にアブが襲撃し始めた。また飯豊山の悪夢が甦った。
 残り14キロのところで4時半になった。結局約2時間ひとりアブから逃げるように走り続けることになった。
 だが、おかげで予定していた時間通り、日暮れ前に宿に着くことができた。アブの功名かな?!

 朝日鉱泉はこんな山奥にこんなきれいで立派な宿が!!と思うほどいい感じの宿で、蔵王温泉から60キロ頑張って来た甲斐があったと感じることができ、1日の終わりに、いい宿いい人いい時間になると、幸せになると思った。

 明日はどんな終わりになるかな。

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8月26日(火) 「東北初の雨の山頂」 (朝日岳~志津温泉)

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 朝日鉱泉は、それほど標高が高くないのだが、朝起きると窓からの冷たい風に身震いした。昨日よりも今日は確実に寒くなっていた。
 朝日岳の山頂は雲の中だったが、蔵王山の時のようにまったりできる感じでは無い、ということが気温だけで想像がついた。

 ラジオの天気予報では、一日中曇りと言っていたので、暑い中登るよりは寒いくらいがちょうどいいと、喜んでいたが、その喜びも数時間後には無くなることになる。

 美味しい朝食をたらふく食べて、6時半に宿を出発した。
 今日も笑顔で暖かく見送ってもらえる幸せを感じて、朝日岳へと続く沢沿いの道へと進んだ。
 沢沿いの道にはブナ林が広がり、渓流釣りには持ってこいの川が流れていた。

 4度ほど本流を渡るときに、手作り感がある吊り橋を使うのだが、その手作り感がスリルを一段と引き立てていた。
 沢を1時間ほど歩き、出合いに合流、そこからいよいよ本格的な朝日岳への登山が始まる。尾根に取り付くやいきなりの急登が始まった。

 だが、すでに1時間ほど歩いていたので快調に登った。標高が1200メートルを越えた辺りから、雲行きが怪しくなり、次第に冷たい霧雨が降ってきた。

「あれ?曇りでは??」

 すぐにカッパを着て体が冷えるのを防いだが、標高が上がるにつれて、気温は下がり、風雨は強くなり、自然と体温が下がっていく。
 山頂直下の小屋まで頑張ろうとペースを維持して、なにも見えなかったガスの中から突然山頂が現れた!
 出発から3時間弱で山頂に到着した。

 アルプスを思わせる朝日連峰は、見る影もなかったが、また今度!と気持ちを切り替え、一目散に小屋に向かった。 
 しかし、小屋は避難小屋と書かれていて、人気が無かった。
 
 地図には有人小屋のマークになっていたので、てっきり軽食や飲み物を売っている小屋かと予想していたが、どうやらそうではないようだ。

 小屋の管理人さんに別れを告げ、再び雨の中に飛び出した。止む気配はなく、滑りやすい登山道をなるべくはやく慎重に歩いた。早く標高を下げて、気温が少しでも高いところに行きたかった。

 足早に下山している途中に、大きな浮き輪を掲げて応援者が現れた。
 現れたのは蔵王山でも応援に駆けつけてくれた方だった。スゴくインパクトがあったので驚いた。
 山に浮き輪?!雲海を泳ぐイメージをしたそうだ。とにかくビックリだった。

 雨の中だったので、先に下山させていただき、1時間半ほどで下山して、県道へ続く林道に下りた。
 宿泊先は、明日登る月山の麓にある志津温泉。県道との合流地点から20キロ先、あまりにもお腹空いたので途中の集落で山菜そば御膳を食べて空腹を復活させて、6時過ぎに志津温泉に無事に到着した。

 東北初の雨の山旅は、曇りのち雨のち曇りで幕を下ろした。
 
 明日の月山は、今日よりいい天気になるといいな。
 



8月27日(水) 「月山と宿坊」 (月山)

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 85座目となる月山は、出羽三山の一つに数えられ、以前から夏山スキーとしても有名な山だ。
 昨日に引き続き朝からどんよりとした天気だ。気温が低かったので雨が降らないことだけを願った。

 ブナ林が見事な自然博物園経由のコースで、月山を目指した。
 標高が上がるにつれて濃い霧に包まれ、ふと脇に目をやると大きな雪渓が目に飛び込んできた。
 濃い霧と一体化していて気づかなかった。

 牛首まで来ると風が強くなり、体感気温が一気に下がった。
 すでに体温を維持するカロリーが足りていなかったが、山頂小屋で補給すればなんとかなると考えていたので、カッパを着て寒さをしのぎ登り続けると山頂小屋まではすぐについた。

 そのまま山頂に行ってもよかったが、出発から3時間半で到着したので、少し補給もかねて休憩することにした。この小屋にいる3人の子供たちが、なんとも可愛く無邪気だった。

 腹ごしらえをしてさぁ行くか!と意気込んで外を見ると、突然の雨。
 結局、雨が小降りになるまでさらに30分ほど待った。

 小降りになり始めた12時頃に、山頂となる月山神社に向かった。
 小屋からは目と鼻の先ほどの距離、入り口の鳥居をくぐると、撮影禁止の張り紙が目に止まった。
 山頂は境内となっていて、神聖な場所のためだった。山頂となる本宮に上がる前には、参拝料とお祓いを受けることになっているため、僕もお祓いを受けた。
 
 この旅初の山頂で記録(写真)を撮れない山となったが、しっかりと記憶に残すことは出来た。
 月山が今もなお長い歴史と伝統をしっかりと守り受け継いでいることを、少しだけだが感じることができた。
 今までの山にない雰囲気がこの山にはあった。

 今日の宿となる宿坊街手前には、国宝の羽黒神社五重塔があったので、せっかくなので立ち寄ることにした。
 立派な杉に囲まれた五重塔は壮観で大昔にタイムスリップしてしまったような感覚になった。

 人生初の宿坊。本来は修験者の方たちが修行に入る前に泊まるための宿、一般人が泊まれることに驚いた。
 宿坊街には大小様々な宿坊が軒を連ねていて、今日、お世話になる大進坊という宿坊の門構えから、外観もかなり立派な宿坊だった。
 鳥居のような門をくぐる前に緊張感に包まれた。

 宿坊の方々に丁重に招かれて、背筋がピンとなり、自然と気持ちが引き締まるような感じがした。
 宿坊には、他にも月山に登った方や観光できた人が泊まっているようだった。

 お風呂に入りさっぱりしたあとは、いよいよ精進料理をいただく。
 案内された部屋で席につくと、お膳の上にイメージとは違う見事な料理が並んでいた。

 不思議に思ったので宿坊の方にうかがったところ、精進料理には一汁一菜のようなものもあるが、それは修行をするときに食すことが多く、本来は出羽三山の山に入る前に体の中から清めるために、神からの恵みとされる山で採れる山菜やキノコなどその土地の自然から採れるものを食す料理を、精進料理とも言うそうだ。

 そのため、山菜などが採れない夏などには、春に採った山菜を宿坊独自の保存方法で保存して、調理するときは保存する前の味を損なわないように戻し、代々受け継がれている調理方法で調理することで、それぞれの素材の味を上手く引き出しているそうだ。

 現在は伝統を守りつつ、一般の方が多く泊まる機会が増えたため、新しいものも取り入れつつアレンジした精進料理を提供しているそうだ。これも、350年という宿坊の長い歴史のなかで培われてきた技であり、伝統だと感じた。長きにわたり守られていることの素晴らしさを感じることができた。
 精進料理を食べられたことで、内側からリフレッシュできた気がして、いい夢が見られそうだ。

 宿坊に泊まる機会をこの旅が作ってくれたことに感謝した。

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8月28日(木) 「宿坊で清められたあとのスコール」 (出羽三山)

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 宿坊の朝は神様へのご祈祷から始まる。6時半に宿泊者全員が出席して、ご祈祷が始まった。
 参列者を代表して祈祷の最後に神様への「玉ぐし奉てん」をお供える大役(自分にとって)を担うことになり、いつになく緊張したが、スゴくいい経験をさせていただいた。
 朝から身が引き締まる思いだった。

 また祈祷の際は、宮司様から名前を呼び上げられ、旅の安全を祈願していただくなど、ありがたいお言葉をいただくことができた。
 30分ほどでご祈祷は終わり、その後、精進料理の朝食。どれも工夫が凝らしてあり、味も素晴らしかった。
 食事中に宿坊の方から、宿坊の歴史などを聞くことができ、宿坊街には30件ほどの宿坊があり、昔から各宿坊には地方から来る檀家さんがどの宿坊に泊まるか決まっているそうで、ちなみに僕が泊まった大進坊さんは、主に千葉県の檀家さんが代々泊まって来たそうだ。
 
 今もなお毎年一度は必ず檀家さんは各宿坊に足を運び、冬になると各宿坊の宮司さんは檀家さんの地を訪れて、挨拶回りをするそうだ。出羽三山の宿坊は古くから檀家さんとのつながりが強く、長きにわたり絶えることが無かったそうだ。

 昔はお互いにそれぞれの地を訪れるのに、一ヶ月以上の時間を費やしたそうで、五穀豊穣などを祈祷するために村や地区を代表して行ったため、その責務は大きく、宿坊までの道のりも命懸けだったそうだ。中には命を落としてしまう人もいたという。
 今は千葉県以外からの方も泊まることができるようで、最近では若い方も多く宿坊に泊まったり、羽黒山での修行に参加していると聞いて驚いた。

 朝の静かな朝食を終えて、8時に宿坊を出発した。
 気持ちはすっきりとしていたが、体はそうもいかなかったようで・・・。
 出発して400メートルで、マッサージの看板が目に留まってしまい、そのまま転がりこんだ。

 旅には 「初めて」 が付き物だ。
 1日の終わりにマッサージを受けることはあったが、始まりに受けるのは初めてだった。
 1時間のマッサージで、体もリフレッシュできたので、ようやく明日登る鳥海山に向けて歩き出した。

 午前中は天候は安定していたが、徐々に庄内平野を黒い雲が覆い始め、遠くの方からすごい勢いで降り始めているのが見えた。
 ほどなくして、僕の歩いていた辺りも雨が降り始め、忍者のごとく逃げたが、一瞬で豪雨に巻き込まれ、全身ずぶ濡れになった。天からの水により身も心も清められた気がした。
 スコールは一度で終わりかと思ったが、結局二度雨に打たれることになった。

 雨に打たれたが、今日は意外に気温が高かったので気温が下がって、ペースをあげることができたので、スタートの遅れを取り戻すことができて、結果的には恵みの雨となった。
 何とかその後もペースを維持できたので、日暮ギリギリで宿に到着することができた。

 明日は東北の代表的な山、鳥海山にお邪魔する。

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8月29日(金) 「鳥海山」 (鳥海山)

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 出羽富士と呼ばれる鳥海山に今日は登る。
 朝は日差しも出ていたので気持ちよく登れそうだ。

 山頂までのコースタイムは7時間半、今日の行程は比較的短かったので、明日からの170キロのロードに備えて、ゆっくり登ることにした。
 
 昔は出羽三山に数えられていたこともある鳥海山。湯の台からの登山道には石段や祠など、昔の参道の名残が残っていた。

 出発から1時間半ほどで森林限界を抜けて、辺りが開けようやく鳥海山の山頂まで見ることができた。印象は富士山を上から潰した感じで、どっしりとしていた。
 その脇の登山道にはまだまだ秋は早いよ、と言わんばかりに夏の花が咲いていた。飯豊山と同じように、遅くまで雪が残るため長い間、夏の高山植物が楽しめるようだ。

 しかし、時々吹く風は確実に秋の訪れを伝えていた。
 その後、約2か月ぶりくらいに雪渓を歩いた。毎日のように雪渓や残雪の上を歩いたアルプスが懐かしかった。

 鳥海山には「チョウカイ」とつく名の植物があり、その一つに「チョウカイアザミ」がある。
 それからきているのかは分からないが、今日一番の急登は「あざみ坂」というようだ。
 実際に登っている最中に、野アザミよりも大きく、色の濃いアザミが群生していた!

 出発から3時間ほどで外輪山に到着した。外輪山をぐるーと半周して火口内にある山頂へは一度火口まで下りて登り返すようだ。
 山頂に行く前に小屋によって、祀られている神様へのご挨拶と補給をすることにした。
 小屋に到着して間もなく、あっという間にお鉢は雲に覆われ、冷たい雨が降り始めた。
 天気が崩れるのが思った以上に早かった。

 山頂は小屋からはすぐだった。大きな岩の群れのような山頂に着くと、見覚えのある二人がいた。一人は職場の後輩、もう一人はクロスカントリースキーの友人で13年ぶりの再会だった。雨の中待っていてくれたみたいだ。

 職場の後輩といっても年齢は同い年、でも、職場では弟のような感じだった。
 スキーの友人は秋田県の強豪校で、夏合宿を僕の母校とよく合同で行っていた。中学校時代に全国経験がなかった僕にとっては、初めて他県の同級生の力を目の当たりにしたときでもあった。高校時代は全く歯が立たなかった。

 のんびり思出話でもと思ったが、天候も悪かったので、皆それぞれのタイミングで下山した。言葉は少なかったが、お互いの笑顔だけで十分だった気がする。

 下山は慎重に歩いた。火山ということもあり、足がとられやすかったからだ。雨は下山中断続的に降り続け、予定よりも1時間ほど遅れて下山口に着いた。
 そこから宿までは天候が回復してくれたので、気分よく歩いた。

 夕方5時半に宿に到着。夏の暑さもかなり体力を消耗するが、連日の雨は、自分の想像以上に体力を消耗させていたようだ。明日からの170キロに体が持ちこたえてくれるか不安がよぎったまま寝た。

 



8月30日(土) 「休もう!」

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 さぁ、早池峰山までの東北最長ロード区間に行くぞ~!と意気込んでいたが・・・
 起きられない・・・あと30分・・・起きられない・・・。

 眠気覚ましに温泉に入るが・・・部屋に戻ってきて目が覚めるどころか気持ちよくなり・・・ゴロン。
 予定していた時間よりも1時間ほど遅れて朝食を食べたが、すっきりと晴れた空と鳥海山を見て
 よし休もう!!と決意した。明らかに体が休みたがっていた。

 前回休んでからちょうど2週間経っていたので、体が休みたがるのも自然なことだ。

 朝食後直ぐにもう一泊出来るか確認し、すでに予約していた早池峰山までの宿に宿泊日変更の電話をした。
 土曜日だったが連泊することができて、他の宿泊先も変更ができて一安心。
 昨日まで無意識に張りつめていた緊張感も一旦切れたことで、肩の力が抜けたようだった。

 さぁーて、ゆっくり部屋でくつろごうかな、と思っていたら、部屋の電話が鳴った。出ると、どうやらフロントに僕に会いに来た方がいるとのことだった。
 土曜日で、「休みまーす」とFacebookにアップしていたし、会いに来る方はいるだろうとは予想していたので、あまり驚きはしなかった。直ぐに向かった。

 フロントに行き、はじめましての挨拶をして、差し入れを頂き、写真を撮ったりサインを書いたりして、皆さんいい笑顔でご満悦になられて宿をあとにしていく。
 午前中、こんなやり取りが30分おきくらいにあった。わざわざ遠方から会いに来てくれているので、大変ありがたいことです。

 多くの方が、旅の成功を祈ってくれていて、少しでも力になりたいと活動資金となる応援グッズを購入していただいたり、直接資金を出資していただいたりしているので、旅が始まる前からもっと感じてたはずなのだが・・・
 これも初の試みであるこの旅を通して考えさせられて、学ばさせていただいている。

 そんなことを考えながら、休みはあっという間に過ぎていった。

 明日からは、東北最後の竜飛岬までノンストップとなる。まだ見たことのない行ったことのない場所でどんなことを感じるか楽しみだ。
 さぁ!わずかな時間だが少しでも多く体を休めることにしよう。

 



8月31日(日) 「170キロロード初日」

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 久しぶりの朝から気持ちのいい快晴となった。
 暑さが戻ってきたかと思ったが、吹く風は少しひんやりとしていた。
 夏晴れではなく、秋晴れのようだ。道にはサルビアやコスモスといった秋の花がすでに満開となっていた。

 今日から3日間ほど山から離れて、東北最長のロード区間に突入する。
 初日の今日は休み明けということもあり、最長の60キロの行程だ。
 
 水田の大きく垂れ下がる稲穂をみて、もうすぐ新米が食べられる!と思いながら、峠越えの田舎道を歩いていると、後ろから「やっと見つけたぁー!」という声を出しながら、ロードバイクで登場したのは、アドベンチャーレース仲間の友人だった。

 遅い夏休みを使って、竜飛岬からロードバイクで南下してきたそうで、ついでにちょっとルートを変更して僕に会いに行こうと思ったそうだ。久しぶりにアドベンチャーレース仲間に会えて、嬉しかった。
 
 いつもならタラタラと歩いてしまう日中も、仲間が来てくれたおかげでメリハリができ、長い峠越えの山間部をあっという間に通過することができ、久しぶりに話をしながら歩いたり話ができて、気晴らしにもなって感謝した。

 ただ通った場所には全く店がなく、横手市内に入るまで何も食べることができず、せっかくなのでご馳走になろうと思っていたのにそれが叶わなくて残念だった。
 でも友人は日頃僕らが企画するレースでしごかれてばかりいるので、今日は自転車に乗りながら僕をしごいている感じがよかったようで、ご満悦だった。

 山間部を抜けたところで友人と別れて、一人横手市に向けて走り去った。別れ際のうそ泣きはいい演出だったかなぁ。

 そこから宿まではほぼ走りっぱなしで、到着する頃にはへろへろだった。
 結局、日中にほぼ何も食べずに走ったので、今日の体重は久しぶりに67キロになっていた。
 夕食をしっかりと食べて、ふかふかの布団に潜り込んだ。

 次のレース仲間は誰が来るかな~!

投稿時間:20:01 | 固定リンク


2014年08月26日 (火)

今週のヨーキ (8/18~8/24 磐梯山から蔵王山)

8/18(月) 猛暑に座布団一枚

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 昨日までのどんより空から一転、今日は朝から快晴だ。
朝8時に湯野上温泉を宿の方に笑顔で見送られて出発。
会津若松へと続く街道をひたすら歩き続けた。
 
 時間が経つにつれ、気温はぐんぐん上昇し、国道沿いのコンビニに何度も逃げ込んだ。
僕にとってコンビニは暑さから逃げる避難所になっている。

 昼時に会津若松についたので名物のソースカツ丼を食べた。
今まで見たことのないロースカツがどんぶりに乗っかっていた。
女性なら一切れで十分すぎる厚さと大きさだった。

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 カツ丼というより豚カツを食べた感じだったが、胃の中ははち切れんばかりに肉で埋めてくされていた。
食後に再び猛暑の中に飛び出すことになったが、この暑さの中、肉厚の豚カツを消化するにはかなり内臓に負担がかかったと思われる。現に歩行中何度も胸焼けを繰り返した。

 1日の移動距離は42キロと比較的短く昨日よりも楽な行程なのだが、気温が違うだけでこうも体への負担や疲労度が違うのかと改めて実感。よく35度を超えた関東を歩き通せたなと思った。

 まさに今日は暑さに座布団一枚だった。

 


 


8/19(火) 長かった10座 (磐梯山~安達太良山)

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群馬県水上で体調を崩し、登り慣れた谷川岳がまるでエベレストのように感じたあの日から2週間。ようやく今日、予定通り進めば、80座に達する。
 アルプスを抜けてから一気に70座に王手をかけ谷川岳という長いトンネルを抜けてから80座までの10座は長く険しい道のりだった。

 朝一に磐梯山に登り、午後に安達太良山に登る。磐梯山へのルートは傾斜の急なルートからアプローチした。前日の暑さによる疲労がほとんど抜けていない・・・。
 山頂に着くまでに磐梯山でもかなりの量の汗をかいた。
 この一座目から体調と相談しながらの登山となった。今日中に安達太良山に登れるか不安がよぎったが・・・。

 一通り汗をかききって、しっかりと水分補給をしてからはだいぶ回復することができた。
下山途中で、裏磐梯の景色を一望したが、表と裏では景色が一変したので驚き、感動した!
 次は裏磐梯からゆっくり登ろうと思う。

 磐梯山の麓に下りるとセミの鳴き声が激しさを増し、風の無い谷間の田園地帯を抜け、安達太良山に向かうためにコンビニで休憩と補給をした。
 その最中にも多くの方が僕を見つけて、笑顔で駆け寄ってくれた。

 いろいろ話すなどして予定より一時間以上遅れてコンビニを出発。
 安達太良山に登れるかギリギリの時間だった。
 磐梯山をおりる際に安達太良山から先のルートについて、地元の方から情報を得て急遽ルート変更をすることにした。

 西吾妻山までの縦走路は、一部がかなり藪が深く時間がかかるということだった。
 また連日の暑さで疲労が大きかったので、不本意ではあるが安達太良山と吾妻山はピストンすることにした。これも、旅を続けるために必要な選択だ。
 安達太良山にアタックできるギリギリの午後1時に宿泊先の宿に着いて、必要の無い荷物を預けて、足早に出発した。コースタイムの半分で日没前に宿に戻って来れられる時間だった。

 安達太良山は山頂までの距離はあるが比較的緩やかに登っていくのと、標高がそれほど高くないのが救われた。
 火山活動が見られる火口を覗き見ながら山頂を目指した。宿を出発してから、2時間半で80座目の安達太良山に登頂。
 ここまでの10座は安定しない天候に悩まされたり、病み上がりの完全回復しないからだと相談しながらの日々が続き、心身ともに浮き沈みの激しい10座となった。
 旅を楽しめる余裕がある日や無い日の繰り返し。旅を続け、また旅のいい流れを作ることに集中してきた。80という数字を強く実感した時、ほんの少し感極まった。

 80はやっぱり大きい。テストで80点を取れたらその日の夕食はハンバーグみたいな感じかな?
 2座目となると、足の踏ん張りも弱くなっていたが、下山開始から1時間半後に、湯量日本一の中の沢温泉に無事に戻ってきた。

 次の吾妻山を登れば東北の山も残り10座。90座の頂は何を感じさせてくれるだろう。

 



8/20(水) 吾妻山

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静かな朝を迎えている中の沢温泉街を1人吾妻山に向けて歩き出した。
 当初のルートを大きく変更したため、磐梯山に向かって戻るようなルートになった。

 今日も昨日と同じように早朝から強い日差しが照りつけていた。
 出発から3時間半で宿泊先に着いた。ルートを変更したため吾妻山も安達太良山と同じように拠点からの往復となった。必要の無い荷物を宿で預かってもらい、10時過ぎに再出発。

 登山口までの舗装路をひた歩き、スキー場内の林道を登り、ゴンドラ駅で軽く昼食をとった。
 といっても塩ラーメンを頼んだので軽くにはならなかったが、このラーメンが後々、吾妻山までの登りで消化不良を起こして、腹痛の原因となってしまった。

 再出発後してから30分ほどすると、胸焼けと腹痛が襲ってきた。
 ラーメンを消化するために内蔵がフル回転しなくてはいけないのだが、暑い中、動き続けているため、エネルギーが内蔵まで行き渡っていない感じだった。
 そのためにお腹に力が入らずに登りのペースが落ちてしまった。
 我慢の時間は山頂近くの小屋まで続いた。

 山頂手前の避難小屋付近には小規模だが湿原があり、小さな花も咲いていて穏やかな稜線となっていた。天気はいまいちだったが、静かで小屋に泊まって静かな時間を楽しみたいなと感じた。

 昨日登った磐梯山や安達太良山とは一変して、吾妻山は森林限界が高く、山頂は平ヶ岳の様に平な丘のような感じで、林に囲まれているため展望は全くなかった。
 それでも、山頂には今か今かと待ちわびた方々が僕の登頂を待っていた。

 連日、山頂で出迎えてくれる方が必ずいて、嬉しいやら恥ずかしいやら。
 山頂での滞在は体が冷えてしまったのもあったので、短時間になってしまったが、それでも皆さんいい笑顔で僕のことを送り出してくれた。

 下山はお腹の調子も少しよくなったので、スピーディに下山できた。
 宿までのながーい下り坂を走り、夕方5時には、無事1日の行程を終えることができた。

 下山の林道では山頂で出迎えてくれた方が車で追い越して、再びエールをおくってくれた。
 ここから先はどんどん北上して、応援に駆けつけにくくなるから、
 今日が最後になるよ,という言葉が嬉しくもあり、なんだか寂しくもあった。
 
 多くの方の想いに押されている感じがして明日も元気よく一歩が踏み出せそうだ!!
 



8/21(木) 喜多方に来たかったぁ!!

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今日の最大の目的は喜多方ラーメン。

 朝5時半に五色沼を出発、32キロ先の喜多方にはちょうど昼時に着く予定だ。
 標高が高いのと朝から曇っていて涼しかったため、会津盆地に入るまで快適に走り歩きができた。涼しいだけでこんなにも体への負担が少なく、ラクなんだとあらためて実感。
 もしかすると暑さはこの旅の最大の敵なのかもしれない。

 途中、喜多方市内に入る前に地元の親子が駆けつけてくれて、小学5年生の「鉄人」と書いて「てつひと」と読む子供と一緒歩きながら、学校の話などをする機会があり、スゴく楽しかった。
 その方に喜多方に来たからにはラーメンを食べたいと話すと、行列ができる名店を教えていただいて、早速向かった。

 店に着くと、昼12時前にもかかわらず、すでに10人くらいの行列が出来ていた。一瞬、熱海で並んだラーメン屋さんの再来かと思ったが、20分ほどの待ち時間で中にはいることができて、チャーシューラーメン大盛りを頼んだ。

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 初の本場喜多方ラーメンは醤油味でしっかりとした味だけど、後味はさっぱりで暑い夏でもするする食べられる感じだった。
 麺は好きな縮れ太麺で、スープがよくからみ食べごたえがあって大満足!!
 喜多方に来た甲斐があった。

 外に出ると僕が並んだときの倍以上の列が出来ていた。その後、会津盆地の暑さはピークに達し、明日登る飯豊山の登山口にある宿までの21キロの道のりを暑さに負けることなくガンガン歩き走った。最後の5キロは川沿いの道だったため大量のアブと格闘しながら走り続けることになり、喜多方ラーメンの美味しい思い出はアブの大群によってかき消されてしまった。

 明日の飯豊山はどんな山旅になるだろうかまたアブの大群との格闘で終わってしまうのだろうか・・・。

 



8/22(金) 雪渓と花の飯豊山、そしていい出会い (飯豊山)

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 アブとの格闘から一夜明け、今日も朝からアブとのバトルが再開。
 宿を出発してから1時間ほどで登山道に入り、太陽が雲から顔を出すと一気に暑さがヒートアップした。
 
 途中にある、民宿のご主人が切り出したという清水で喉を潤したが、今までで一番美味しいと感じた湧き水だった!
 スゴく冷たく柔らかくゴクゴク飲むことができた。しっかりと水分補給をしたあとに飯豊山までのながーい稜線に出た。

 細い稜線の東斜面は、谷川岳の一ノ倉沢のような雰囲気だった。稜線分岐の三国岳に着くと山肌にどっしりと残る大きな雪渓が目に飛び込んできた。大きな雪渓を見るのは約2ヵ月ぶりだ。

 切合小屋に出発から2時間半で到着、スゴく人柄のいい二人の小屋番の方に歓迎された。
 小屋の付近ではニッコウキスゲなど季節外れの花も多く見られ、季節が1ヶ月位ずれているような感じだった。
 小屋の方に聞くと飯豊山は万年雪が多く、少しずつ溶けていく雪渓の下から次々と新たな花が咲くので他の山では1週間くらいしか楽しめない花もここでは1ヶ月位楽しむことができるそうだ。 
 思ってもいなかった景色や花を見ることができて、飯豊山の自然の仕組みに驚いた。

 三国岳から見えた大雪渓は地元では御鏡雪と言われ、昔から山からの美味しい水で作られる米の水田を耕すときに、会津の方たちは飯豊山までの雪渓を見て時期を判断していたそうだ。
 米処ならではの山と生きる習慣を知ることができた。

 切合小屋から飯豊山までの道のりは往復のため、小屋に荷物を置かせていただいて、飯豊山に向かった。
 小屋からも山頂は見えず、ふた山越えてようやく山頂を見ることができた。
 東北一山深いことが実感できた。
 山頂には西日本からツアーに参加して、飯豊山に登りに来た方が10人以上いて、中には今日百名山を達成したという方もいた。
 達成して何か感じましたか?と聞いたが特に何も変わらないとのことだった。元々、百名山を登りたくて登山を始めたわけではなく、気が付けば百名山のなかで80ほど登っていたので、それなら全部登ってみようと思ったそうだった。
 今までにも同じような境遇の方が多く、今回の僕の旅のように、1座目から百名山を登ると決めている人は稀なケースだと、ここでも感じた。
 百名山を達成した方が「私も残りの20座はやっつけでやって来たが、あなたはもっとやっつけだ」と興味深いことを言われた。

 初めて言われた旅の表現だったが、そうかもしれないなぁと思いつつも、やっつけでできるほど甘くはない、とも思う自分もいた。
 捉え方ひとつで最高の誉め言葉にも、けなし言葉にもなると感じた。その言葉を聞いた他の山を楽しむ皆さんが笑顔と笑い声が溢れたので、その反応が言葉の意味を語っていた。

 今までも思い続けてきたが、日本には百名山だけではなく他にも数えきれないほどのいい山がある。この旅では百名山を旅のテーマにもしているが、色んな山があるように、登山のスタイルや楽しみ方、山や自然に対する考え方、関わり方がいっぱいあっていいと思ってきた。

 それぞれに考え方があるように山のスタイルがあっていいのでは。だから、比べる必要も無いと僕は思う。ただし、忘れてはいけないのは、あくまでも山を楽しむことができているのは、山や自然から目には見えない恩恵を受けてできていることであり、それに感謝しながら山は楽しむものという気持ちではないだろうか。

 僕は飯豊山に来て小屋の方やツアー参加者や他の登山者の人たちとの関わりのなかで改めてそう感じた1日だった。

 ありがとう飯豊山。


 



8/23(土) 60キロ

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 体調を崩してから初めての60キロ歩行となった今日。朝から飯豊山の疲れが残るなか体は思いのほか軽く、動いてくれた。

 31度まで日中の気温は上がったが、上手く体も順応してくれた。
 久しぶりの1日で60キロを歩く行程だったが、最後の宿までの登り坂以外は、意外にも順調に進んだ1日だった。明日は1度だけ登ったことのある蔵王山に登る。
 



8/24(日) のんびり蔵王山 (蔵王山)

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 最近の宿での口癖は「明日の出発は朝5時でお願いします」
 だが、最近は一度も言った時間に出発したことがない。毎日のように寝坊をしてしまっている。

 今日もいつものように寝坊して、予定の時間を2時間もオーバーしての出発になった。
 朝が苦手な訳ではないが・・・。
 昨日の60キロは、ここ最近では一番大きな疲労を体に残したようだ。
 朝7時過ぎに出発するも、天城山を登った時のように体は前に進みたがらなかった。
 出発早々に、今日の目的地までたどり着けないことを悟った。
 まぁ、東北に入ったからには、足早に山を登ることが多かったので、久しぶりにのんびり時間を気にせずに登るのもいいなぁと思った。
 そのタイミングがコースタイムの短い蔵王山で良かった。

 蔵王山は山頂までほとんど車で行けるので、わざわざ下から登る人はいない。
 誰もいない登山道を歩いていると、途中のスキー場のゲレンデに見覚えのある姿を発見した。カッパクラブの同期入社した元同僚だった。約1年ぶりの再会に、お互いの外見の変化に一喜一憂した。旅の途中で連絡をもらっていて、蔵王山に来たら一緒に登る約束をしていて、今朝出発前に連絡をもらっていたのだが、かなり早く出発すると予想していたようで、3時間近く登山口で待たせてしまったようだった。

 合流してから、一緒に働いていた時以来の登山をすることになった。
 会社には、登山部が社内に存在していて、よくみんなでみなかみ町近辺の山に登りに行った。もちろん、僕も同僚も部員だった。

 その後、心地よい穏やかな風が吹くなか、2時間ほどで5年ぶりに刈田岳に登頂した。
 同僚は宮城県出身だが、刈田岳や蔵王山のお鉢は久しぶりということもあって、僕以上にテンションが上がっているようだった。
 刈田岳周辺は、ほぼ観光地で、登山者よりもお鉢を見にきた観光客の方が多く登山者は逆に浮いてしまう感じだった。
 レストハウスの釜カツ丼が目に留まったので、まだ時間は朝10時半だったが、はや飯にすることにした。

 午前11時に、ようやく蔵王山最高峰の熊野岳を目指すことに。途中、すれ違うかたから山頂でたくさんの人が待っていることを聞いた。
 肉眼で山頂が見えるのだが、見える範囲でもかなりの方がいるように見えた。

 午前11時半過ぎに山頂に到着した。すると山頂にいたほとんど人が、カメラを片手に押し寄せてきた。
 その規模に驚いた!!ざっと数えても50人位はいただろうか。
 ひと通り撮影会とサイン会が終わってから山頂の標識に向かった。

 山頂での自分のやることが終わり、午後1時過ぎに下山を開始した。

 静かな登山道で今日のことを同僚と話ながら下山。午後2時半には蔵王温泉に到着した。
 同僚とは、お互いの今後の健闘をたたえ別れた。その後、今日の宿泊地を蔵王温泉に設定し、現地で宿探しをと思っていた。
 そうしたら待ち構えていた地元の方の友人が温泉宿をやっていると紹介してくれ、運よく探す手間が省け、温泉街の雰囲気の良い宿で泊まることができた。
 
 今日は本当に、いい出会いが多い1日だった。ゆっくり蔵王山を楽しめたことに感謝。

 

投稿時間:17:52 | 固定リンク


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