磯田喜之さんは、2010年5月〜2011年11月のおよそ2年間にわたる旅が終わり帰国しました。
11月20日(日)
アマゾン奥地から飛行機を5本乗り継ぎ、日本に帰ってきました。あわただしく帰ってきた2年3ヵ月ぶりの日本はあいにくの雨模様でしたが、成田空港到着ロビーに向かう通路の「お帰りなさい」の看板を見たときは、日本に帰ってきたんだなという実感と、もう危険なことはないんだなという安心感で、熱くこみ上げてくるものがありました。しかし、たった2年ちょっと日本を離れていただけなのに、周りを歩いている人がみな日本人で、聞こえてくる言葉がすべて日本語という環境は、帰国から一週間たった現在でも違和感をもっています。成田空港に着いた日の夜は、ホテルで働く友人の計らいで、都内の高級ホテル最上階で、東京タワーとスカイツリーを眺めながら優雅な夜を過ごさせてもらいました。酔っぱらっていたので景色はほとんど覚えていないのが残念ですが・・・。実家の大阪へは、夜行バスに自転車を積み込むことができず、自転車をこぐことになりました。中学生のときに泣きながら5時間自転車を押して上った箱根峠も、ロッキー山脈やアンデス山脈を越えてきた体には、ちょっとした丘越え程度に感じ、あっけなく越えてしまいました。最期を看取ることができなかった祖母の仏壇に線香を上げ、旅の途中経過を報告しました。今後は日本で一年間働いて旅の資金を貯め、来年夏ごろを目処に自転車世界一周旅行を再開するつもりです。急な帰国で「旅でござんす」の旅便りは今回が最後になってしまいますが、ぼくの旅を毎週日本の皆さんに発信する「旅でござんす」という場所があったおかげで、旅の中で目にするものやでき事について普段以上によく見てよく考えるようになったし、日常になってしまいました。過酷な環境での走行中や、転覆したアマゾン川イカダ下り中では、リスナーの方々からのメッセージに何度も励まされました。あっという間の2年間でしたが、応援ほんとうにありがとうございました。
11月9日(水)
3日、アマゾン川イカダ下りのゴール、マナウスに到着しました。前回の旅便りでは、あと2日でゴールできると書きましたが、その後、全く流れのない浅瀬の支流に入りこんでしまい、一日中川に入ってイカダを押したり引いたり。毎晩、夜空にこうこうと輝くマナウスの明かりを眺め、いつになったらゴールできるのかと悶々としていました。しかしイカダでマナウスに到着する事は実質不可能なことがわかりました。なので、マナウスの町を過ぎたところをゴールと決め、仲良くなった現地の人にイカダやすべての装備をゆずって、アマゾン川イカダ下りを終了しました。ペルーでスタートしてからちょうど100日、イカダで下った距離はおよそ4000キロ。一度転覆しているので、「無事に」とは言い切れませんが、夜も揺れることなく熟睡できる日々は何事にも変えがたいなと、当たり前のことが身にしみています。大勢の人に心配してもらい、応援のメッセージもいただきました。心身ともに不安な日々の中で本当に心強かったです。ありがとうございました。マナウスにゴールして1週間くらいは酒びたりの日々を送るつもりでしたが、到着早々、実家で祖母がなくなったとの連絡が入り、急遽日本へ帰国する事になりました。今後はオーストラリアにわたり、働いて資金を貯めながら旅を続けて行くつもりでしたが、日本でそのまま1年ほど働いて十分に資金を貯め、改めて旅を再開することに決めました。現在はマナウスから飛行機とバスを乗り継ぎ、アルゼンチンのブエノスアイレスまでもどってきました。11月9日の便で日本へ帰ります。
10月26日(水)
順調に流れに乗り、目的地マナウスまで2日の距離のマナカプルという町に寄っています。
ブラジルに入って2週間、それまでと変わったことといえば、2年間慣れ親しんだスペイン語からポルトガル語に変わって、現地の人とのコミュニケーションがとれなくなったことです。
スペイン語とポルトガル語は似た言語と聞いていたのですが、買い物をするさいの値段すら聞きとれないほど、僕にとっては別物で、あいさつの「オイ!」すら聞き返されてしまうほど発音もむずかしいのです。他に変わったことと言えば、さらに川幅が広くなって対岸ははるか遠くにかすんでいます。5キロくらいあるのでしょうか。川幅が広くなった分だけ嵐のときの波とうねりが激しくなります。数日前にも嵐にあいましたが、わずか30分の間に、丸太の固定が3個所もはずれ、床下から水が入ってきて、いかだが浮いているのがやっとと言うような状況になり、小屋の中ですわっていることすら不可能な大揺れで、パスポートと現金を握りしめ、ひっくり返る寸前にいかだから跳び出そうと泣きそうな思いで荒らしが通り過ぎてくれることを祈っていました。風で岸側に押しつけられて1日こぎ続けたり、夜中にボートが近づいて来て強盗かとひやひやしたり、肉体的のも精神的にも常に張り詰めた状況が続いていましたが、マナウスまで2日のところまで来てしまうと急に寂しくもなってきます。アマゾン川いかだ下りでやり残している、ピラルク、アロワナ釣り。釣り師あこがれの夢の古代魚を釣りあげるため、残り2日分の距離をゆっくりと釣り糸をたれながら下ってゆきたいと思っています。
10月5日(水)
イキトスを出港すると、エクアドルのアンデス山脈から流れてくる川と合流して、アマゾン川はさらに広くなり、川幅は広い所で4、5キロもあります。天気のいい時の水面は相変わらず穏やかで鏡のように青い空を映しているのですが、時季的な問題なのか、毎日のようにスコールに見舞われます。遠くの方の入道雲が灰色に変わって雨が落ちてきそうなると、すぐにイカダを岸に着けなくては大変なことになります。風の次には波が高くなり始めてイカダは大揺れし、イカダを漕ぐどころか揺れの激しさでデッキに出ることすらできません。小屋の窓や出入り口に取り付けてあるビニールシートを下ろして雨への備えを終えると、イカダの中では会話もなく黙々と、非常時に備えた荷づくりをするのです。そのうち雨が降り始め、あっという間に滝の真下にいるような豪雨に変わり、イカダの小屋ごと持って行ってしまいそうな突風が吹き荒れ、波は激しく壁に叩きつけ、今にもイカダがバラバラになってしまいそうな恐怖の時間が続きます。1時間くらいで終わることが多いのですが、お昼時に天ぷらをあげていてスコールがやって来たときはさすがにパニックになりました。アマゾン川で天ぷら?と、なんともミスマッチな気もしますが、時間のあり余ったイカダ生活では食事は重要です。この間寄った村では大根を見つけたので乾燥ダシをたっぷり効かせたおでんを煮込んでみたり、パン生地をふくらませてドーナツを作ったりと、手間暇をかけて楽しんでいます。二日前にコロンビアのレティシアという町に到着しました。ここはペルー、ブラジルと接した、手続きなしに国境を行き来することが出来る三国国境地帯で、現地人から気を付けろと何十回、何百回と聞かされてきたゲリラの暗躍する危険なエリアの真ん中です。入出国手続きのために3つの国を何度も行き来きしましたが、やはり治安は良くなさそうに見えます。さらに不安な事には、相棒の宮路君が自転車旅行にもどるため、この町でイカダを降りることになりました。ここからはさらに広くなるアマゾン川を一人で下ることになります。
9月17日(土)
アマゾン川を下っている間に、旅で出会った旅行者から気になるメールが届いていました。
それはぼくたちよりひと月遅れで、アマゾン川をイカダで下る旅行者が他にもいるという内容でした。具体的に何人で、どこからスタートするかというようなことは書かれていませんでしたが、
その旅行者と何度かメールのやり取りをして、ここイキトスで出会う事ができました。彼はぼくたちとは別の支流から2週間前にイカダ下りを始めた旅人で、なんと日本人です。さらには、彼も自転車旅行者で、おまけに大阪人で実家が近所、同じスイミングスクールに通っていたという偶然付き。地球の裏側のジャングルの奥地で、しかも同じイカダで旅をしている自転車乗りの日本人がいるなんて信じられない・・・。彼もぼくの泊っているホテルに移ってきたので、毎晩おそくまで語り明かしました。大阪弁同士なので、いったん話し始めるとその勢いは止まりません。ぼくより八つも若い、幼馴染のような友人ができました。そして今朝、彼はブラジルに向けて出港していきましたが、ついさっき、パスポートの再発行に行っていた相方・宮路君がリマから戻ってきたので、ぼくたちも明日の朝出発して、先に出た彼に追いつきたいと思います。
9月10日(土)
3日前にペルーアマゾン最大の都市、イキトスに到着しました。相棒の宮路君はパスポート再発行のためリマへ向かったので、あと10日間ほどここでお留守番をしていることになりました。30万人が暮らすイキトスの町ですが、ビルと呼べるような建物は数えるほどしかなく、バイクを改造した3輪タクシーがやかましく走りまわるほこりっぽい町です。イキトスには外国人旅行者が多いせいか、買い物をする時、値段をふっかけてきたり、ツアーの客引きがしつこく付きまとったりしてきます。40日の間のんびりとしたイカダ生活を送ってきたので、行きかうバイクの音や人の多さにどっと疲れてダウンしてしまいました。イカダで立ち寄った村々はかやぶきの質素な家が並び、みな裸足だったり子どもたちは服すら着ていませんでした。貧しい中でも人々はとても親切で、あれこれと世話を焼いてくれました。普段なら今ごろ、そろそろイカダを岸に着け、夕食用の魚を釣ったり蚊よけのネットを張ったりしている時間なんだなあと、たった3日間イカダから離れただけで、なんだかとてもイカダ下りがなつかしいです。
7月26日(日)
出港準備が整いました。昨日は港につないだイカダの上で一泊してみて、イカダ生活の雰囲気がだいたいつかめましたが、波の高さやどれだけ揺れるかや、一日に進める距離などは出発してみないと分かりません。ぼくたちの出港の雰囲気を感じてか、大勢の人がイカダにやってきて、良い旅を!幸運を!と祈ってくれました。浦瀧さん、リスナーの方々、応援メッセージをありがとうございました。いまは興奮と不安が入り混じって体が少し震えていますが、命を最優先に考えて、とりあえず生きて帰ってきます。そろそろ時間ですね。それでは、アマゾン川いかだ下り、行ってきます!
7月24日(日)
船職人は2日でイカダが完成すると豪語していましたが、8日目になってようやく完成しました。しかし完成したイカダを見に行くと、イカダの上の小屋に壁がありません。しょうがないので自分たちで材木を買いに行って壁を張り、さらにペイントをしてようやく昨日の夕方に完成しました。今日は一日ゆっくりと最後の休息をとり、明日は荷物を積み込んでイカダで一泊して、明後日の朝、出港したいと思っています。現地の人と話すときは楽しそうにイカダ旅の計画を語っていますが、いま現在、不安で不安でしょうがありません。パドルで漕いでもほとんど進まない重いイカダなので、集落に立ち寄っての食料補給や国境を越える時にイミグレーションオフィスまでたどり着けるか分かりません。幅数十キロのアマゾン川本流上をポツンと漂っている時のことを想像すると、心細くて泣いてしまいそうです。ぼくは人より怖がりなので、何かを始める時はいつもこんなふうに弱気になってしまいます。とはいえ準備も完璧にできたし、もし誰かにやめろと言われたとしても何が何でも実行するだろうし、いまのこの不安は出発前の儀式のようなものだと思います。さあ、気持ちを入れ替え、あさってアマゾン川イカダ下りをスタートします。
7月17日(日)
アマゾン源流の町プカルパへやってきた翌日、さっそくアマゾン川下りのためのイカダ製作を依頼しに行ってきました。幅3メートル長さ5メートルの丸太で組んだイカダの上に、3畳ほどの小屋を乗せてもらいたいと注文すると、代金は日本円で3万円ほどで、たった2日で完成するとのこと。木を切って運ぶ所から始めるのにたったの2日とは速すぎると思っていましたが、案の定、今日で5日目になりますがまだ完成していません。しかし、イカダが完成するまでの間にすることは山ほどあって、朝から一日中買い物に歩きまわっています。強盗の被害にあってもいいよう、普段自転車旅行に使ってる本格的なキャンプ道具は持ってきていないので、スプーンやお皿から、金づち、のこぎり、水を入れる為の60リットルのタンクや、物々交換でお金の代わりになるタバコ、動物を絞めるためのナタなど、食料を抜いた荷物の重さが70キロほどになりました。さらに、食料と水で100キロ以上、乗員2名を加えると合計350キロ近い重量がイカダに載ることになります。もはやパドルで漕いで進むことは不可能のようで、小さなエンジンでも買おうかと冗談半分で話し合っていますが、それにしても・・・暑い!!ひと月前までマイナス10℃以下になる南極のすぐ近くにいたのに、今は40℃を越える熱帯ジャングルです。
現在、ぼくと相棒のふたり揃って体調を崩しているので、イカダの製作はもう少し遅れてくれたほうが都合が良かったりします。今から大冒険に向かうというのに、まったく軟弱な体です。
7月10日(日)
2週間ほどかけて、ウシュアイアから6000キロ離れたペルーのリマまで北上してきました。
ほとんどの時間をバスの中で過ごす毎日でしたが、休憩でバスから降りるたびにどんどん暖かくなっていきます。ウシュアイアではダウンジャケットでも寒くて凍えていたのに、リマに着いた時にはTシャツになっていました。リマでは3日間滞在して、川下り用に備えて食材やお鍋などを中心に買って歩きました。今夜のバスで、アマゾン川イカダ下りのスタート地点、プカルパに向けて出発します。プカルパではイカダの製作の依頼、警察で情報収集、食料・日用品の買い物などなど、やることがいっぱいです。のんびりとしたイカダ下りの前には、忙しい日々が続きます。