



養老町立高田中学校です。
会議室に、縦150センチ横170センチほどの、大きな絵があります。池のほとり、漁具の上のフクロウが、小さいながらも写実的に描かれ、印象的です。
この絵の作者、土屋輝雄です。
明治42年、養老山脈のふもと、養老町の中心部、高田で生まれました。
幼い頃両親は離婚、残った母も12歳の時なくなり、母の姉・ちかに育てられました。

ちかは新しいもの好きで、この時代には珍しい「女性の写真店主」でもありました。子どもの頃の2枚の写真は、ちかが撮影したものです。
地元の寺には、8歳の輝雄が描いた「とらの絵」が残っています。
当時から、なんでもよく出来る子どもでした。

恵那市の中山道広重美術館です。いま、輝雄のスケッチ画や資料を集めた展覧会が開かれています。
岐阜県美術館が所蔵する中から60数点を展示しています。
後年の輝雄の写真は、右足を立てて写っています。14歳のある雪の朝、輝雄は登校途中に転倒して股関節を強打、しかし、予後が悪く、自力では立てなくなってしまいました。
細かく書かれた当時の日記です。朝夕の往診や家の中での療養生活を送る日々の、苦しい心境がわかります。
1月15日
梅もだいぶん冬風にほころびかけてゐる
僕はたまらなくなってとびだしたくなってきた
その中に先生が見えたのでチュウシャをしていただいた
3月6日
今に櫻は堤に春のかすみとさきにほひ(略)野べには春日にめぐまれて
すみれ たんぽぽ れんげ草(略)
ぼくははやくこの春のたのしみを野山に海にあじわひたいと思っては
身をもがいている
窓から見える世界に尊敬とあこがれを持ちながら、輝雄は絵に描きました。
対象のものに近づきたい、このカケスは羽根一本一本を忠実に観察、精密に描かれています。

これは昆虫です。細かい観察は、色使いにも現れます。絵そのものの美しさに圧倒されます。
赤ペンで書いたメモ。もっと対象のものに迫りたいという思いが現われています。
このほかにも、何気ない庭先での光景など、ごく身近な対象物を生き生き描きました。
描いている間は痛みも忘れたといいます。
中山道広重美術館 学芸員 福田訓子さん:
不自由な体で自分が動けない部分を、生きている者たちが動いている姿を見ながら、うらやましさみたいなものといとおしさを感じていた。その中で命を見つめ、命を大切にしている気持ちが絵の中にこめられていった。
昭和12年、28歳の時、京都の日本画家に師事。構図などの技術を学びます。
昭和16年、この「鶏舎」という作品が大阪市美術展で初入選。
その後も戦後にかけて、大きな展覧会にも入選を続けました。
鶏は好きなモチーフでした。
養老町美術協会 会長 伊藤恭子さん:
土屋輝雄先生の画廊の前を通ると、鶏の掛け軸がいっぱいかかっていた。鶏が大好きな先生だなと思った。
ようやく松葉杖で動けるようになったのは、けがから20年後。
終戦直前には、妻しゅうさんと結婚し、二人の子どもを授かりました。
志うさんの弟:栗田安忠さん、和子さん夫妻は、当時のことを振り返ります。
安忠さん:
「土屋輝雄さんの体では、志うちゃんもかわいそうだな」と世間では言われていました。でも、姉はしっかりしていて、「私は輝雄さんのためなら一生尽くします」と言っていました。
安忠さんの妻 和子さん:
やっぱり絵かきさんなので、絵を一生懸命描いていらした。お姉さんと子どもはいつもいっしょで、お父さんを支えていました。

戦後は家族の支えを得て、自分の絵の傍ら、こどもや主婦に絵を教えました。
絵かきさんと呼ばれ、やさしい先生だったと振り返る人は、今もたくさんいます。

生涯を養老で暮らした輝雄は、50年前、52歳でこの世を去りました。
全国的に注目されるようになったのは最近ですが、輝雄が逆境に負けず絵に残した、命の力、すばらしさは、50年の歳月を経たいま、人々を引きつけています。
<土屋輝雄展>
場 所: 中山道広重美術館(恵那市)
期 間: 2月12日(日)まで 月曜休館 ※観覧無料
問い合わせ: 中山道広重美術館 TEL (0573)20−0522
