クローズアップ現代

毎週月曜から木曜 総合 午後10:00

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特集 第6回 クロ現

「クローズアップ現代」(以下、クロ現)は始まってすでに18年を超えて、放送回数は3100回を超えています。
普通に考えると「ずいぶん長く続いている番組なのだな」というだけなのですが、週に1回のウイークリー番組ではなく、毎週月曜日から木曜日までゴールデンタイムに週に4回、帯番組として18年以上続いていることは、改めて考えてみると、あまりないことではないか?とも思います。

18年も前といえば、時はバブル崩壊直後、携帯電話もインターネットもほとんど普及していなかった時代です。オフィスではワープロで文書を作るのが普通になってきたころです。

1993年4月5日月曜日の夜9時30分(※クロ現は最初の7年間は夜9時30分からの放送でした)、クロ現の第1回の放送が始まりました。

番組は国谷裕子キャスターのこんな挨拶で始まりました。

『4月からの新番組「クローズアップ現代」、この番組では毎週月曜日から木曜日まで世の中の関心事に真正面から取り組み、掘り下げてお伝えしようと思います!』

1回目のタイトルは『ロシア・危機の構図』。ロシアで続く大統領と議会の間の権力闘争、その危機の裏側を追った番組でした。

その後、18年以上も続くことになるクロ現は、どんな思いのもとに生まれたのでしょうか?
今回の特集ではクロ現の"誕生秘話"を探ってみたいと思います。

クロ現は どんなふうに始まったのか?

第1回目の放送は18年前ですから、現在の制作スタッフには当時のメンバーは残っていません。
すでにNHKのほかの部署に異動になっています。
そこで第1回当時の制作スタッフを探し出し、どんな思いで番組を始めたのかをききました。

クロ現のねらいは

当時はまだまだ「取材したVTRで番組全編を作る」という考え方が主流だったのですね。
番組のなかで"起承転結"があって、これを見れば全部わかります、みたいな番組です。
でもそうやって作っていると、取材した素材の鮮度が落ちるというか、いちばん素材が生きるタイミングに放送できないわけです。そこで「たとえ"番組"としては"半ナマ"であっても、生きのいい素材をベストのタイミングで出そう」ということでクロ現の構想は始まりました。あえてVTRで完結しなくても、キャスターとゲストに、生きのいい素材を投げて、そこからスタジオで深めていけばいいという発想です。
実際に制作を始めると、視聴者の関心が高いうちに放送しなければならないので、ひとりの制作者で作るのではなく、チームで制作することが多くなりました。とても短い時間で準備して、そのテーマのいちばんいいタイミングで放送ができると、すごく手応えを感じることができましたね。

スタッフの意思統一のために作った「クロ現憲法」中村 均さん(クロ現のスタート当時のデスク)

クロ現が始まる1993年の1月から準備を始めていました。
クロ現は夜9時30分からの番組だったので「930準備室」というチームを組織して、どんな番組にするのか?
実際に週4回放送するとなるとどんなラインナップになるのか?シミュレーションを作って考えていました。
『取材した映像だけでは「現代」は伝えきれない』『取材映像にスタジオで情報をプラスすることで、より深く、わかりやすく、身近に伝える』。・・・そんな議論を重ねていたのですが、方針をわかりやすく見せるには「憲法」が必要だと考えました。そこで作ったのが、全5条からなる「クロ現憲法」です。準備を進めていたスタッフ全員に配りました。

例えば、始まって2か月目に、アメリカに留学していた日本人留学生射殺事件の裁判がアメリカの銃規制にどんな影響を与えているかをテーマにクロ現を制作しました。
VTRでは「裁判記録の検証」や「アメリカ現地の受けとめ方」を"素材"として見せながら、スタジオでゲストとともに考えていく構成にしました。

国谷キャスターがスタジオで最初に発したのは、事件のとき加害者が叫んだ「Freeze!(動くな!の意味)」という言葉。
事件の象徴となる言葉を冒頭でいきなり紹介して視聴者を引き込むことをねらった"スタイル"でした。

実際には毎日ちがう素材、新しい素材で、限られた時間で番組を作っているのだから、「憲法」から若干ずれる場合もあるのですよね。でもそうなった途端に番組は精彩を欠いて、視聴率にもすぐ反応が出ました。日々どれだけ工夫を続けられるかが勝負の番組になりましたね。

 クロ現では「

もともと「日本海でロシアによる核廃棄物投棄が行われていた」というスクープ情報で第1回のクロ現を作ろうと準備を進めていました。ところが「それより前に、いまロシアの体制そのものが大変なことになっている。これをやらなくていいのか」ということになり、急きょ「第1回はそっちで行こう」という話になりました。核廃棄物問題は第1週の水曜日に放送することになったのですが、「では第1回の放送は誰が担当するのか?」ということになり、結局、クロ現の第1週は、月曜日も水曜日も制作チームに私が参加することになったという経緯です。

クロ現制作の現場では、"「見る側」の関心に応える"ことをいつも意識するように、と繰り返し話し合っていました。これは一見当たり前のことだけれど、テレビ番組を日々作っていると、「見る側」の関心はどこか?という疑問を持ち続けることを忘れて「伝える側」の論理で作ってしまいがちです。それを排除して、"「見る側」の関心"をいつも最優先にすること。ここを忘れずにいこうという思いで制作していました。こうした情報番組は毎日が"手づくり"なので、いまのクロ現の制作現場でも常に同じ課題を抱えていますよね。

「ロシア・危機の構図」放送回サムネイル画像 「ロシア・危機の構図」放送回サムネイル画像 1993年4月5日(月)放送
ロシア・危機の構図

企画書の段階では「スクープ930」だった!

新しい番組を作る前には当然、企画書のようなものがあるわけですが、こういった資料は実際に番組が始まるとあまり必要がなくなってしまいます。日々バタバタ仕事をしているうちに企画書はどこかにいってしまって、そのまま消失してしまうものです。
ところが、当時デスクを務めていた中村均さんは18年前に作った「クロ現のもととなる企画書」をまだ保存していました。なんと整理整頓の行き届いた方なのでしょう!

スクープ930(仮)の企画書 画像

企画書のタイトルは「平成5年度 新番組 スクープ930(仮)」。
冒頭にご紹介したように、クロ現は最初の7年間「夜9時30分」からの放送でした。
「9時30分」からの放送だから「スクープ930」!?

また、表紙には『ニュース番組と大型番組の中間に位置し、取材者・制作者の視点を重視した情報企画番組。日本と世界、そして時代のうねりを正面からとらえ、そのうねりの発信源であるニュースの"追跡・先取り・分析・展望"を機動的におこない、視聴者の「今、より深く知りたい」という欲求・関心に応えていく』と書かれています。『うねり』って・・・、すごい表現ですね。

企画書の内容を見せていただくと、制作体制から、ラインナップのシミュレーションまで、ほぼ現在のクロ現そのものです。18年前の企画力やシミュレーションが完璧だったというか、なんというか、ある意味では、まったくブレのない番組なのですね。

なぜ18年以上続いているのか?

第1回のクロ現を作っていた当時、この番組がその後18年間も続くとスタッフは思っていたのでしょうか?
当時のスタッフ3人のお答えは「そんなことはまったく考えていなかった」とのこと。
3人に「なぜクロ現は18年間以上続いていると思いますか?」ときいてみました。
「番組の中心となる国谷キャスターという存在が大きい」という当然の回答に加えて、ちょっと自画自賛ながら、こんなことを・・・

"クロ現への信頼感"みたいなものができたからではないでしょうか。
「何か大きな事態が起きれば、必ずクロ現でやってくれる」みたいな信頼感です。
毎回、ベストのタイミングで生きのいい素材を提示するために、記者やディレクターが、事件や事態に時間制限の一本勝負で取り組む。そして半ナマの素材をキャスターが受けとめて、ゲストとともに深めていく。
こういうスタイルで作る情報番組に代わるものはなかなかないと思います。

天城靱彦さん
(クロ現のスタート当時の編集責任者)

「新しいことをやる」というふうに組織のなかで意思統一ができて、最初に「明快なスタイル」を提示できたことがよかったのではないかと思います。
実際には、その時代、その時代でいろいろなニュースや新しい動きがあって、そのなかで、スタッフが毎日工夫してやってきたということなのです。ただ毎日どれだけ創意工夫できるかという意味では、最初に明快なスタイルを提示していたことで、スタッフが何を目指して進めばいいのかわかりやすかったという面はあったと思います。

中村 均さん
(クロ現のスタート当時のデスク)

クロ現2年目に阪神淡路大震災とオウム事件がありました。
この時期に「大きな関心を集めるニュースを前にクロ現はどういう放送を出していくのか?」という事態に直面したことが大きかったと思います。
阪神淡路大震災のときは、被害の広がり、被災者の課題、防災対策の検証、復興に向けた新たな動きなど、とにかく毎日、震災をテーマにして放送しました。オウム事件のときも、日々新しい動きが次々に出るなか、ニュースで伝えきれない部分を掘り下げて放送しました。結果として「視聴者の関心を集める大きな事態に対しては、状況が動き続けているなかでも、番組として真正面からきっちり取り組む」という姿勢を2年目に示すことができたことが、クロ現の存在感を大きくすることにつながったのではないかと感じています。
クロ現ではVTR中にその日の内容を右上にスーパーしています。いまは当たり前になっているこうした取り組みですが、クロ現は90年代半ばからもう始めていたのですよね。きっかけは「途中から番組を見ると何をやっているかわからない」という視聴者の声でした。挑戦的な演出や、失敗するかもしれない試みも、クロ現は"番組の文化"として大事にしてきたのですよ。

中田裕之さん
(クロ現第1回のディレクター)

「なぜクロ現は18年間以上続いていると思いますか?」という質問を国谷キャスターにもしてみました。
すると…

「クロ現が始まった1993年はいろいろな意味で"転換点"になっていた年です。
政治では55年体制が崩壊し、2年続けて地価が下落するなど"土地神話"が終焉を迎え、日産の座間工場が閉鎖するなど高度経済成長を支えた自動車産業にも陰りが出ました。終身雇用や年功序列といったそれまで当たり前だったことも当たり前でなくなりました。1993年にこの番組が始まったのは偶然かもしれません。
でも結果として、"時代の大転換期"だったので、"30分1テーマ"で社会の底流で何が起きているかを伝えるこの番組へのニーズが高まったのではないかと思います」

というお答えでした。

ところで、企画書の段階では「スクープ930」だったはずの番組が、なぜ「クローズアップ現代」というタイトルになったのでしょうか? この質問も当時のスタッフ3人にきいてみました。3人は「もちろん"志"としては、毎回スクープをねらうのだけれども・・・」と言いつつ、ではなぜ「スクープ930」にならなかったのか?ときくと、お答えは・・・

「まあ現実には・・・、そんなに毎日、スクープできるわけないから・・・」

・・・とのこと。そりゃそうですが、なんだかその考え方が、テレビマンらしいというか、いい加減というか、とても現実的な割り切り方だと感じました。

これからもクロ現の長い歴史に恥じぬように、視聴者のみなさんからの"信頼"に応えて、クロ現の新たな歴史を切りひらいていきたいと考えております。