クローズアップ現代

毎週月曜から木曜 総合 午後10:00

Menu
彼女は部屋の隅で泣いていた 埋もれてきた強制不妊手術の悲劇

彼女は部屋の隅で泣いていた 埋もれてきた強制不妊手術の悲劇

2018年5月10日

知的障害や精神障害を理由に子供を産めない体にされた人たちがいる。「不良な子孫の出生防止」を掲げ、平成8年まで続いた旧優生保護法。この法律により不妊手術を強いられた人は、分かっているだけで1万6,000人以上。しかしその実態は長く明らかにされてこなかった。いま、こうした人たちが国を相手に謝罪や補償を求め、裁判を起こし始めている。なぜ、人権を踏みにじる事態が起きたのか。100人を超える関係者への取材から浮き彫りになったのは、社会全体が不妊手術を後押ししていた実態。しかも、このままでは当事者の多くが救済されない現状も見えてきた。

16歳のある日 何も告げられないまま手術は行われた

仙台市の飯塚淳子さん(仮名・70代)。不妊手術を強制された過去を告白した。家庭が貧しく、満足に学校に通えなかった飯塚さんは、知能テストの点数が低いことを理由に、中学生の時に軽度の知的障害と診断された。16歳のある日、宮城県内の診療所に連れていかれ、何も告げられないまま麻酔をかけられたという。それは卵管を縛る不妊手術だった。その後、両親の会話から、子どもを産めなくなった事実を知った。

飯塚さんは20代で結婚。しかし、子どもができないことで次第に夫婦関係が悪化し、離婚。30代で再婚したが、夫に手術の事実を告げると家を出ていったという。不妊手術がなければ、明るい家庭が築けたのではないか。飯塚さんは、50年余り苦しみを抱え続けてきた。

「やっぱり、うらやましいなって。子どもがいたら、こういう家庭だろうなとか、いろんな思いはあります。本当に戻れるなら、16歳にかえしてもらいたい。」(飯塚さん)

「本人と家族の幸せのため」 “善意“の名のもとに広がった強制手術

優生保護法が作られたのは昭和23年。終戦直後、大量の引き揚げ者や出産ブームによる人口急増が大きな社会問題だった。その対策として、中絶の容認とともに重視されたのが、障害者の不妊手術だった。その根底にあったのは「不良な子孫を排除し、優良な遺伝子だけを残そう」という優生思想。人権をないがしろにした誤った思想をもとに、強制手術が始まったのである。今から見れば人権侵害といえる事態は、なぜ広がっていったのか。

当時の状況を知る宮城県の元職員に話を聞くことができた。障害者の施設や病院だけでなく、地域ぐるみで障害が疑われる子どもがいないか積極的に探していたという。

「学校はあるし、民生委員はあるし、親が通告する場合もあります。あるいは警察。『どうやら頭が悪いんじゃないか』とか、『こんな癖があって困っている』とか。」(宮城県の元職員)

こうして集められた子どもたちは、医師が診断をした後、県の審査会を経て、本人の同意なく手術が行われていった。
さらに取材を進めると、宮城県では、昭和32年に始まったある運動がこうした流れを加速させていたことが分かってきた。「愛の十万人県民運動」だ。運動の目的は、寄付を募り、障害者施設を作ることだったが、同時に不妊手術の徹底も掲げられた。「障害者が子どもを産まないようにすることが、本人と家族の幸せのためだ」という“善意”の呼びかけの下に、強制不妊手術は広がっていったのである。
手術を強いられた子どもたちの姿を目の当たりにした人も見つかった。男性が働いていた障害者施設では、親の承諾があれば、本人の同意がなくても手術を受けさせられていたという。
「『自分の好きな人と一緒になって家族を持つんだ』という話をよくしていました。(手術のあと)部屋の隅で泣いていました。『もうお嫁さんに行けないんだ』と。何と言ってなぐさめていいか分かりませんでした。」(障害者施設の元職員)
優生保護法による強制不妊手術は、47都道府県全てで行われ、ピークは昭和20年代から30年代。中には9歳の少女もいた。わかっているだけで1万6000人。国はその数だけは把握しているものの、誰が手術を受けたのか、その人たちが今どうしているかは分かっていない。

人生を踏みにじられた人たちをどう救済するのか

この問題が注目されるようになったきっかけは、今年1月に1人の女性が起こした裁判だった。女性には重い障害があり、親族が、このままでは事実が埋もれてしまうと声を上げたのだ。しかし、事実を掘り起こし、多くの人たちを救済するのは容易ではない。NHKが今年3月、自治体などに調査した結果、1万6,000人のうち8割の人の手術記録が残っていないことが分かったのだ。

非行を理由に宮城県の施設に入所し、14歳で不妊手術を強いられたという北三郎さん(仮名・70代)。報道で提訴の動きを知り、自らも国を訴えることを決断した。北さんは裁判のため手術の記録の開示を県に要求。ところが回答は「一切残っていない」というものだった。体に残る手術痕や当時の施設職員の記憶が証拠にならないかと懸命に手がかりを探したが、手術が強制されたものだと証明できるものは見つかっていない。

「あとは何を証拠に出せばいいのか、自分でも分かりません。どんなふうな形にしてやっていけばいいのか。」(北さん)

同じような事態は全国の自治体で起きている。国の統計で最も多くの手術が行われた北海道では、全ての保健所を対象に不妊手術の調査を行ってきたが、30の保健所のうち記録が残されていたのは、わずか4か所だった。
北さんは、40年以上連れ添った妻に、ずっと手術のことを言えなかった。初めて事実を打ち明けたのは、妻が亡くなる直前だったという。
「隠していることがあるんだ。『何?』と言うから、実は俺、小さい時に子ども産めないような手術をしていて悪かったと。妻は『うーん』と、うなずいただけで、『私のことよりも、ちゃんと食事をとってね。必ずご飯だけはしっかり食べてよね』と、そう言いながら、息をひきとりました。女房に対して、あぁ、すまなかったな。(国に)私らの気持ちをくんでもらいたいという気持ちでいっぱいです。」
国はこれまで、この旧優生保護法について、当時は合法だったとしてきた。しかし、裁判や超党派の議員連盟などが救済に向けた議論を始めたことを受け、実態調査に乗り出している。

多くの人たちの人生を踏みにじった強制不妊手術。その根底にあった“優生思想”は決して過去のものではない。優生思想について長年研究をしている早稲田大学の森岡正博教授はこう訴える。

「優生思想は、誰かが持っているのではなく、全員が持っていると思うんですよ。濃淡はあるとしても、みんなが持っている。それはもうなくならないかもしれません。だけれども大事なのは、われわれ皆が持っている優生思想が現実社会にあふれ出てきて、誰か弱い人の人権や尊厳を傷つけていくというところにストップをかける。この仕組みを考えないといけないと思います。」(早稲田大学 森岡正博教授)

国が、国際的な批判を受けて優生保護法を廃止したのは平成8年のことだ。しかしその時、社会はほとんどこの問題に注目せず、謝罪や救済も進まなかった。問題を埋もれさせてきた責任は重い。私たちの心の中に、かつての誤った思想は本当に残っていないだろうか。自らの胸に問い続けたい。

この記事は2018年4月28日に放送した「“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~」を元に制作しています。

もっと読む