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震災で変わったのは、将来の夢に対する思いの強さ|「あの日」の子どもたちへの10の質問

東日本大震災を経験し、大切な人やものを失った子どもたちに、いまだから語れる気持ちを尋ねる、「『あの日』の子どもたちへの10の質問」。

今回答えていただいたのは、岩手県大槌町出身の齊藤和希さん(20)。震災当時は9歳、小学3年生でした。

大槌町の自宅を津波で流された齊藤さん。震災は起きてほしくなかったけれど、「人を助ける仕事がしたい」という夢を与えてくれた出来事でもあったと振り返ります。
この春、自衛隊に入るという夢をかなえた齊藤さんに、「10の質問」をしました。(2022年2月)

齊藤和希さんへの10の質問(再生すると音声が出ます)
齊藤さん

最近あったうれしいことは…そうっすね、何でもいいんですよね?彼女から、成人祝のプレゼントをもらったことです。映していいのかな?帽子。高いやつらしいんですけど。これです。これが最近あったうれしいことです。

齊藤さん

震災を思い出すのは、やっぱりテレビで震災のことが流れてきたときとか、3月11日になるとやっぱり思い出します。同じような天気とか、特に思い出します。

齊藤さん

変わったことは、将来の夢に対する思いの強さです。変わらなかったことは、その他全部です。

幼いころから、救急救命士や消防士になりたいと思っていた齊藤さん。震災が起きて避難所にいたとき、自衛隊の人たちが人を救助する姿を見て、「自分も人を助ける仕事がしたい」と強い憧れが芽生えました。高校卒業後、地元で働いていましたが、この春、その夢をかなえて、自衛隊に入隊することになりました。

齊藤さん

自衛官を目指していたと思うんですけど、人生まだ当時のころから10年しか生きていないですけど、いろいろなエピソードがたくさんあります。いいこと、楽しいことやつらいこと、たくさん経験します。でも最終的に、なりたいと思っていた自衛官には、夢がかなうことはできたので、どんなときも諦めずに頑張ってください。

齊藤さん

最初の5年間は長かったです。ただ、その最初の5年を乗り越えて、あっという間でした。中学校に入ったころから、一瞬でした。いまだに気持ちは中学生のままです。

齊藤和希さん
齊藤さん

10年後…たぶん自衛官になって、今の希望どおりになれば、自衛隊の衛生、救急救命士をやって、たぶん子どももいると思います。救命士として、自衛官として、父親としてやっていると思います。たぶん…そうだといいですけど。

齊藤さん

「救命士になれましたか?」って。「無事に救命士になれましたか?」

齊藤さん

会いたい人は、自分の震災当時の親友で、今は確か山形にいるはずなんですけど。当時の親友に伝えたいことは、「震災で離れ離れになったけど、お互い全然違う道を歩んでいるけど、お前のことは忘れないし、これからもしもいつか会う日があれば、そのときは楽しく話しながら酒を飲みましょう」。

齊藤さん

家族は…今の自分は20歳ですけど、すごくわがままな人生を生きてきたと思うんですけど、この20年のわがままな自分をしっかり育ててくれて、感謝しています。これから自分は家を出て、独り立ちして、自衛官としてやっていきますけど、自分も自分の家族みたいな存在になりたいので、自分の子どもが、これから将来産まれたら、自分も同じように育てて、優しく厳しく育てていきたいと思います。

齊藤さん

自分の宝物は、自分の周りにいてくれる人全員が宝物です。自分が専門学校中退になって、もう生きているのがつらかったときに自分を救ってくれたのは、自分の友達ですし、彼女ですし。これからも、宝物と思っている人たちに、「こいつの友達でよかった」、「こいつの彼女でよかった」、「こいつの会社の同僚でよかった」って思ってもらえるような、立派な自衛官になりたいと思います。ありがとうございました。

だけど、震災は自分に夢をくれた

齊藤和希さんと震災当時の恩師・新沼美恵先生の対話はこちら

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