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2023年3月6日(月)

それでも、故郷を残したい 原発事故12年 双葉町の再出発

それでも、故郷を残したい 原発事故12年 双葉町の再出発

「最も難しい」とされてきた故郷への帰還が始まりました。福島第一原発が立地し、町の96%を帰還困難区域が占めた双葉町。去年8月に町の中心部で避難指示が解除されましたが、現在町に住むのは60人ほど。 しかし、それでも「故郷を残したい」と願う人々が、避難先から“通う”ことで復興に携わるという動きが出ています。どうすれば故郷を残せるのか。原発事故から12年、自問自答しながら困難に立ち向かう双葉町の人々を追いました。

出演者

  • 伊澤 史朗さん (双葉町 町長)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

原発事故から12年 双葉町の復興は今

桑子 真帆キャスター:
私は今、福島県双葉町に来ています。この場所は、福島第一原発から3キロほどのところに位置しています。

目の前には復興のために新たな産業団地が建設され、その隣には除染で出た土や草木などを30年間保管する中間貯蔵施設が広がっています。

ピンク色で示したところが「帰還困難区域」です。今も避難指示が出ています。このうち双葉町は当初、町の面積の96%が帰還困難区域で「最も帰還が難しい町」ともいわれてきました。

2022年8月、緑色で示した「特定復興再生拠点区域」とされた一部の地域で避難指示が解除。被災した自治体の中で最も遅く帰還が始まりました。

しかし今、町で暮らしているのは60人ほど。こうした中で見られるのは、町には戻らなくとも避難先から通ってふるさとを残そうとする、いわば"通い復興"という動きです。

戻れずとも"通い復興" 奮闘する双葉町民

早朝の双葉町を走る、1台の車。

吉田知成さん
「この辺を通ると『よし、双葉町に入った。きょう1日仕事はじまるよ』っていう感覚です」

吉田知成さん、47歳。毎日片道50キロの道のりを通い続けています。

着いた先は、町の中心部にある1軒のガソリンスタンド。復興を支えたいと、祖父の代から続くスタンドを再開させました。

吉田知成さん
「やっぱり自分の地元をなんとかしたいとか。地元が頑張らないと、誰も頑張らないよね。皆さんに『よかったよ、開いてて』とか『助かった』って言ってもらえるのが最高の瞬間」

この日向かったのは、新たに建設された災害公営住宅。ここでのガスの検針も事業者がいないため、知成さんが引き受けています。町には今、商業施設や学校、大型の病院などもなく、生活インフラが十分整っていません。

知成さんが暮らすのは、いわき市。まだ家族で双葉町に暮らすことはできないと考え、一人で生活しています。

震災後に生まれた 娘・凛さん
「もしもし」
吉田知成さん
「東京、寒くなかった、きょう」
娘・凛さん
「寒かった」

9歳の娘と妻が暮らすのは東京です。

吉田知成さん
「こっち雪降ったよ、きょう。あしたも降りそうだね」
娘・凛さん
「いいな」
吉田知成さん
「よくないんだよ、寒いんだよ、パパは(笑)」

娘の学校や家族の東京での生活を守りながら、ふるさとの復興にも携わりたい。これからも"通い復興"を続けるつもりです。

吉田知成さん
「一緒に住みたいという思いだけで、こっちに連れて来る必要はない。(今の生活を)奪うことになるので。向こう(東京に)帰って週末の時間とか過ごしてると、なかなかこっちに戻ってくるのとかつらい時期もありましたけれど、双葉町のために頑張りたいから1人でこっちに来てますし」

避難生活から12年 故郷から遠く離れて

12年前の原発事故。双葉町は全町避難を強いられ、7,000人が町での暮らしを奪われました。受け入れ先を求め、全国各地にバラバラに避難することになったのです。

福島県外で最大の避難先となった、埼玉県加須市。役場機能も移転され、大勢の双葉町民がここで長期の避難生活を余儀なくされました。今でも370人の双葉町民が、この町で暮らしています。

双葉町埼玉自治会 会長 吉田俊秀さん
「自分の生まれ故郷だから、双葉を最後まで愛している。でも、ここはここで生活の拠点に、第二のふるさとになっちゃうのかな」

避難生活が長引くにつれ、多くの人がこの地で生活基盤を築くようになりました。

7年前に加須市で理容店を再開させた、大井川繁光さん。震災前、大井川さんは双葉町で家族と理容店を営んでいました。

加須市で理容店を再開 大井川繁光さん
「元の家です。もう何十年ってあっちに暮らしたんだから。帰りたいよ、本当に」

家族との生活のため避難先での営業再開を決めましたが、2022年に避難指示が解除されてからは気持ちは複雑です。

大井川繁光さん
「おれだけ。(双葉町に)行かないのは。あとはみんな行くんじゃないか」
吉田俊秀さん
「そんなことない」
大井川繁光さん
「やっぱり夜、寝られない」
吉田俊秀さん
「周りの人の話を聞くと、眠れなくなるか」
大井川繁光さん
「眠れなくなる。ゆうべは、お経を読んだ。寝られなくて」

ふるさとから離れ、避難生活を続ける大井川さん。心の支えにしている歌があるといいます。

大井川繁光さん
「『兎(うさぎ)追ひし かの山』。この歌を歌ったとき、ここ(心)どう思いますか。悲しいときにはこの歌を歌って、風呂で歌って。普通の人では分からない、ふるさと」

進まない町への帰還。

復興庁のアンケートでは、双葉町民の6割以上が「戻らないと決めている」と回答しています。

"通い復興"で故郷を残したい

ふるさとを思う人たちのために何ができるのか。ここにも"通い復興"で模索を続ける人がいます。

飲食店を再開 山本敦子さん
「また、ここに来てる。双葉町にいるというのも不思議なんだよね、自分でも」

町に新たにできた産業施設で飲食店を再開させた、山本敦子さんです。ガソリンスタンドを経営する吉田知成さんの姉です。

敦子さんの店の看板メニューは「スペシャルサンド」。

山本敦子さん
「(豚)カツです。これは160g入っているので、『でかっ!』って言うお客さんの声を聞きたいがためにでかくする」

敦子さんの店はもともと母親が営んでいました。地元の人たちの憩いの場だったといいます。

山本敦子さん
「学生とかも親には話せないことをちょっと話したりとか。みんな来る、毎日来る」

原発事故の後、敦子さんは横浜で避難生活を送り、ふるさとに帰ることを諦め自宅も購入しました。それでも町に飲食店が足りないという話を耳にし、復興の手助けをしたいと町に通うことを決意。家族と共に福島県内に戻り、店を再開させたのです。

山本敦子さん
「ふるさとの味だったり、双葉町が残っていてもそういうものを感じられなくなったらさみしい。自分のできることでやれることがあるならば1回やってみようと」

しかし、双葉町で店を営業するには苦労が伴います。

例えば、食材の買い出し。双葉町には仕入れ先が1軒もなく、スーパーやコンビニも無いため、毎日1時間かけていわき市に出かけています。

こうして営業を続ける敦子さんのお店。ゆくゆくは町の人たちにも立ち寄ってもらいたいと考えていますが、今訪れるのは復興事業に携わる人が中心です。

山本敦子さん
「(付け合わせに)キャベツは?」
「いらない」
山本敦子さん
「野菜食えよ」
「じゃあ、野菜も」
山本敦子さん
「(笑)」
山本敦子さん
「ほぼほぼ(元の双葉町民は)あまりお見かけしません。(元の双葉町民は)帰らない。住むどころか、来ることすらもしなくなると、とっても感じています」

敦子さんはこの日、弟の知成さんと食事を共にしました。人がいない町で何ができるのか。2人は、もどかしさを感じています。

吉田知成さん
「人が住むとか人が集うとか、そういうのが必要なわけで。でもそのためには、われわれにできることは限界がある」
山本敦子さん
「あるある。こういう居酒屋みたいな感じで(店を)やって『きょうは何があるの?』みたいな、そういう店もいいなと思う。いろんな、広がるじゃん、アイデア」
吉田知成さん
「新しいアイデアがね」
山本敦子さん
「なのに、それもできなくなっちゃうでしょ」
吉田知成さん
「環境整備だ、環境整備、まずは。じゃないと来る人も来ない」

双葉町長に聞く 故郷を復興するには

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
町を離れていてもふるさとを思う皆さんの姿、町長としてはどのようにご覧になりましたか。

スタジオゲスト
伊澤 史朗さん
福島 双葉町 町長

伊澤さん:
商業再開とかいろんな事業の再開はなかなか厳しいんですよね。だったら、行政が関わって事業を再開してもらうような取り組みというのはやらなくてはならないと。まずそういうものができて人を呼び込むような仕組みを作っていかないと、町の復興というのはなかなか厳しいなと感じました。

桑子:

双葉町の復興計画をもとに作られた、町全域の模型をお借りしています。高速道路のインターチェンジから町の中心部へとつながる道路を造り、その両側に災害公営住宅などの住居や商業施設、そして企業を誘致するための産業団地も建設するということになっており、目標として2030年ごろまでに居住人口2,000人を目指すと。この目標をどのようにして達成しようと考えているのでしょうか。

伊澤さん:
避難先で生活が安定してしまうというか、そこで自分の生活の基盤が整ってしまうという方が現実的に大勢おられるのは分かっています。

私は「二地域居住」というのをだいぶ前からお話をさせてもらっています。「双葉に戻りたい」と思って戻ってきてくれるのも時間がかかってもいいのではないかと思っていますので、どちらをメインにするかということをあまりこだわらず、行き来できるような制度の設計で、どうやって生活できるような環境を整備するかということをまず町として考えました。

桑子:
避難している人たちからは「財政面で人が戻っていないところに施設を造るのはどうなのか」という声も上がっていると聞いています。

伊澤さん:
「そんなことをするんだったらば、そのお金を私たち避難をしてる人たちに配ったらいいのではないか」という意見も、実は私が町長に就任した当時はだいぶ言われたんです。

でも、双葉町が何でこういう状況になったのですか。町が問題を起こしたのか、町民がいろいろ問題を起こしたのかというと全然ないわけです。このまま破綻して町が崩壊していいのかというのは、ずっと私は疑問に思っていたんです。

そんなに人がいないのにそんな施設と言いますけれども、施設を造らなければ人も集まらない。取り組んでいかないと町の復興は進まないということで、これは絶対必要だと思うものをしっかりと検討させていただいて造っていく考えでいます。

桑子:
なかなか先行きが見えていない状況なわけですが、実はこんなデータもあります。

町とのつながりを持ちたいと考える人が66%に上っているんです。こうした人たちのために何ができるのか始まった取り組みがあるんです。

故郷を残したい 再び皆で集う場を

建設業を営む、福田一治さん。福田さんもまた双葉町に通い、復興事業に携わっています。そのかたわらで進めていることがありました。

避難先で建設業を営む 福田一治さん
「双葉町でやる、ダルマ市のダルマです」

双葉町内で江戸時代から行われているとされる「ダルマ市」を、福田さんが復活させようというのです。

ダルマみこしを担いで町なかを練り歩き、巨大なダルマを引き合って商売繁盛や無病息災を願います。年に一度、町のみんなが集まる自慢の行事です。

みこしを率いる福田さん。毎年仲間と共に参加してきました。

福田一治さん
「町並みは変わったけど、ダルマ市は変わらないよと。やっぱりそこが祭りのいいところだと思う」

しかし、原発事故でふるさとを追われて以来、双葉町でのダルマ市は開催できなくなりました。福田さん自身も、自宅がある場所は「帰還困難区域」に指定されました。

終わりの見えない避難生活。いつもふるさとを思っていました。

2016年 いわき市の仮設住宅にて 福田一治さん
「双葉に帰れないんだよ。終わっちゃうんだよ。それでいいのか。みんな頑張ろうぜ。双葉に帰るまで頑張ろうぜ。絶対復興するから」

ふるさとで、もう一度町の人たちとの再会を願う福田さん。12年ぶりに双葉町でのダルマ市開催にこぎつけました。

福田一治さん
「この会場に来た時、帰ってきたなと思う気持ちになってもらいたい。あぁ双葉に帰ってきたと」

ダルマ市当日。全国の避難先から双葉町民が続々と集まりました。

「きょうは会えると思っていた。ここに来ればみんなと会えるから」
埼玉県加須市から参加 吉田俊秀さん
「こういう場、大事だよね」
「大事、大事」
飲食店を再開 山本敦子さん
「一瞬にして戻るでしょ」
「このままここにいたい。知っている人ばかりだから」
山本敦子さん
「みんなで『一瞬にしてワープしたよね』と」

福田さんがダルマみこしの先頭に立ちます。

福田一治さん
「ただいまより、ダルマみこし様が参ります。ダルマみこし様におかれましては、無病息災、家内安全、商売繁盛、大変ご利益のあるダルマみこしでございます」

来場者数は、のべ3,000人。12年間待ち望んだふるさとでの時間です。

福田一治さん
「地図には載る、書類には残るよ。じゃあそこで『何をやってるの?』と。『双葉町ってなぁに?』と言われたとき『地図にある町』、それじゃ双葉町がなくなったのと一緒だよ。継承していかないと双葉町がなくなっちゃうから。ずっと祭りがあるからこそ、双葉町。これだね、ずっと思いはあった」

双葉町長に聞く "心の故郷"を残すために

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
伊澤さんもダルマ市に参加されたそうですね。いかがでしたか、この双葉町でのダルマ市。

伊澤さん:
今映像を見て福田君が言った気持ち、全くそうだなと思いました。何よりダルマ市が自分たちのふるさとでできたというのが非常にうれしかったのと、町民の人たちがここに来ると双葉の人に会える。全く同じ気持ちですね。

桑子:
伊澤さんにとって、ふるさとが残った、何をもってふるさとが残ったと言えるとお考えですか。

伊澤さん:
ダルマ市だったり夏の盆踊りだったり、それが田舎に住んでいる人たちのDNAなのかなという感じがしているんですよ。ですから、やはりどれだけ双葉を知っている人たちがここに戻ってくるかということが、双葉のいろいろな伝統文化であったりを継承していけるということにつながるのかな。そういったものが残るということが戻ってきたという感じになるのではないですかね。

故郷を残す 新たな一歩

町に通い、復興に携わってきた吉田知成さん。高校の同級生たちを集め、あるプロジェクトを立ち上げました。双葉町内に新しく大型の洗車場を建設しようとしているのです。

3月1日、洗車場の工事が始まりました。双葉町に関わる人を一人でも増やしたい。新たな取り組みが芽を出し始めています。

ガソリンスタンドを再開 吉田知成さん
「新しい町になるために、いろいろな人たちがここに入ってきて『新生双葉町』と言いましょうか。第一歩、みんなで踏み出せる、先頭を切っていきたいなと思っています」
見逃し配信はこちらから ※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

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