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2022年12月12日(月)

“物語”にできることを探して 新海誠監督と東日本大震災

“物語”にできることを探して 新海誠監督と東日本大震災

11月に公開され大ヒットを記録するアニメーション映画『すずめの戸締まり』。しかしその一方で、東日本大震災を物語の中核に据えたことに、「実際の災害をファンタジーやエンタメを交えて描いてよいのか」との声も上がり、大きな議論を巻き起こしています。監督の新海誠さんは、なぜ正面から東日本大震災を描いたのか…。「エンタメ作品でこそ、社会的な問題と向き合いたい」と語る監督の思いの深層に、桑子キャスターが迫りました。

出演者

  • 新海 誠さん (アニメーション監督)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

話題作「すずめの戸締まり」 新海誠監督に迫る

桑子キャスターが訪ねたのは、「すずめの戸締まり」が制作されたアニメスタジオ。

アニメーション監督 新海誠さん
「ここが一応、監督のデスクということになっていて、僕はここにふだんは座っております」
新海誠さん
「絵コンテで実際の映像に近いものを作っていくわけですけど、ちょっとだけお見せします」
桑子 真帆キャスター
「あっ、すごい。あ、ほぼ一緒。尺も一緒ですね」
新海誠さん
「そうなんです。アニメの場合は最初に尺を決めるんです」

こうして作られた映画「すずめの戸締まり」。

主人公は17歳の少女・鈴芽と、全国を旅する青年・草太。

物語の象徴となるのは「扉」です。

「扉」から災いの元凶である赤黒い塊「ミミズ」が現れます。主人公たちが全国各地にある「扉」に、ミミズを閉じ込めて災害を鎮める。そうした「戸締まり」の物語なのです。

話題になっているのは「扉」のある場所です。過去に災害に見舞われた土地と重なっているのです。

2018年、豪雨による土砂災害が起きた愛媛。

1995年に阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸。

さらに100年前に関東大震災が起きた東京を経て、鈴芽は東北へと向かいます。

新海誠監督が語る 東日本大震災への思い

桑子 真帆キャスター:
いろんな感情に包まれるといいますか。新海さんらしい、くすっと笑ってしまうコミカルなところもあれば「怖い」とか「苦しい」とか、あと温かい気持ちにもさせてもらって。中でも、ここまで東日本大震災を真正面からストレートに描くんだという驚きがあって。

アニメーション監督 新海誠さん:
2011年の3月11日ですね。あの日、日本中の人が、ある種、心を書き換えられるような瞬間だったと思うんです。

僕は全く直接の被災者ではなく、当時東京で「星を追う子ども」というアニメーション映画を作っていて仕上げの最中だったんですが、本当に大変なことが起きていると思いました。

でも、映画の締め切りはあるからエンタメのアニメーション映画を作っていくわけです。だけど、やっぱりいろんなことを思うわけです。今でも続いているのは、強い"後ろめたさ"のような感情で。

桑子:
後ろめたさ。

新海さん:
はい。自分が被災者でなかったことの後ろめたさ。あるいは「あ、自分の住んでる場所ではなかった」というふうにほっとしてしまうような後ろめたさ。「私があなただとしてもおかしくなかった」という紙一重で、でも自分はエンタメ映画を今も作っているという後ろめたさ。そういうものがずっと続いて。

桑子:
実際に、東日本大震災が起きて4か月後に東北に行かれたそうですね。そこで絵を描かれたと。

新海さん:
宮城の名取の閖上(ゆりあげ)なんですが、今は全然違う風景が広がっていますけれども、当時はすべて波にさらわれたあとの建物の基礎だけが残るような、ほとんど荒野になっている風景がずっと続いていて。

僕が印象的だったのは、鳥がたくさん鳴いているのですが、中でも、すずめがいっぱい鳴いているわけです。すずめっていうのは人里に住む鳥ですから、人の生活がないのに、もう家はないのにすずめだけが鳴いている。すごく不思議な風景だなというふうに思いました。

桑子:
この1枚の絵と、新海さんが見た風景というのは間違いなく今も新海さんの中に強く残っているわけですね。

新海さん:
そうですね。僕は多分、あのぐらいの時期に割り切ったというか――割り切ってしまったと思うんですよね。自分の仕事はアニメを作ること以上に、上手にできることは他にどうもなさそうだと。だとしたら、この先時間がかかってもいいから、エンタメでしかできない、今回起きた出来事に対しての自分たちなりの関わり方というものがあるのではないかと思いました。それが、2016年の「君の名は。」という映画につながっていきました。

『君の名は。』『天気の子』 災害をアニメで描く

東日本大震災から3年後に企画された「君の名は。」。

都会に暮らす少年・瀧と、田舎町に暮らす少女・三葉が夢を介して入れ代わる物語です。

三葉は、震災をほうふつとさせる大きな災害に巻き込まれます。瀧の懸命の努力が三葉の命を救うストーリーです。

さらに、2019年に公開された「天気の子」でも新海さんは再び災害を描きました。東京が浸水する異常気象の物語です。

なぜ、新海さんは災害をテーマにし続けるのでしょうか。

アニメーション監督 新海誠さん:
あの時に僕たちが、みんな素朴に感じた「あんな出来事、分かっていたらなんとか止められたんじゃないか」とか。みんなが、被災者であろうと当事者でなくても、願ったわけですよね、「生きていてほしかった」というふうに。それを映画の中で、そのままに描いたつもりだったんです。

でも、災害をなかったことにする映画であるというふうに言われて。腹も立ったんですが、いちばん強く思ったのは、「なんて自分は映画の語り方が下手なんだろう」と。思っていたことと全く違う伝わり方をしてしまったと思いました。毎回映画を作り終わると「だめだった」、「下手だった」と思うんです。キャラクターに感情移入させることがもっときちんとできさえすれば、災害に遭った人になったような気持ちにさえ観客をすることができれば、もっと違う感想を持ってくれたはずだと。

だから、感情移入させるための技術がやはり足りていないんだろうと思って、「すずめの戸締まり」では「君の名は。」、「天気の子」と作ってきて、うまくいかなかった部分を今度こそ違う形で届ける形に作り直すんだというような気持ちがあったので、そのやり方の中で自然にもっとストレートに語ろうと思いました。

そうすれば、10年以上前に思った後ろめたさであったりとか、エンタメでしかできないことというのが少しできたことになるのかなという気がしたんです。

新海誠監督が東北へ 被災地の声に触れる

作品に込めた思いは果たして届くのか。

12月3日、新海監督は観客に向き合うため、東北の舞台挨拶に向かいました。

アニメーション監督 新海誠さん
「作っている最中は自信があるんですけど、公開すると途端にもっとできることがあったんじゃないかとか、テーマからしてよかったんだろうかとか、いろんなことを考え始めてしまって。もう取り返しはつかないわけですけど。(被災した方々の)本当の感情みたいなものを、いくつ知ることができるか」

今回は通常の舞台挨拶と違い、観客との質疑応答の時間が多く設けられました。

福島出身の男性
「僕も震災のときは福島にいて、原発の件でこの宮城県に来て、震災を描くにあたっていろいろ悩んだことがあると思うんですけど、被災者の僕は監督の伝えたいメッセージが伝わってきました。本当に面白かったです」

新海さんも、自分が抱える不安な気持ちを率直に伝えます。

アニメーション監督 新海誠さん
「この映画を気に入っていただけたら、とてもうれしく思います……というような話をふだんはいろんな場所でするんです。ただ、東北に立って皆さんを前にして、こういう映画をあなたたちは観たかったんですよねとは、僕はなかなか言えないなと同時に思ったりします」

被災地の人たちはどう感じているのでしょうか。

福島から仙台に避難した家族
「貴重な時間、きっかけを与えられて、家族で震災に向き合うことができました。『ああ、そういえばそんな記憶がある』とか、家族で話し合うきっかけになった」
震災で友人を亡くした女性
「私は震災で友人を津波で亡くしているんです。1週間、行方不明で。映画を観て、このまま生きていていいんだな、明日につなげられるんだなって思いました」

一方で複雑な思いを抱えている人もいます。

宮城で被災した女性
「私、震災を覚えているぎりぎり一番低い世代だと思うんですけど、その世代ごとに感じるものは違うと思うので、心に深い傷を持った方に『絶対見て』と言えるのはちょっと違うかな」
福島で被災した女性
「私は福島にいたので、原発事故もあれば、おじいちゃんを津波で亡くしているのがあるので、見る気にはならなかったですね、あまり。思い出して嫌な思いをしたくないので、見ないかなと」

映画の受け止め方が互いに大きく異なる親子がいました。石巻で被災した、木村汐里さんと父の美輝さんです。津波で母と兄を亡くし、現在は2人で暮らしています。

木村美輝さん
「最初は汐里と2人で見にいこうって話になって、いとこから『覚悟して行ったほうがいいよ』と」
木村汐里さん
「SNSで『(映画で)地震警報が流れる』みたいなのがあって、そしたら全然地震警報とかのレベルじゃない衝撃を受けた感じですね」
木村美輝さん
「すごかったもんな。フラッシュバックするような。もう涙が止まらない状況が多かったかなとは思いますね。2人で鼻水垂らしながらマスクの中がいっぱいになってしまって」

実は、汐里さんはこれまで母と兄を亡くしたことを友人たちに話すことができていませんでした。しかし、この映画がきっかけで初めてその気持ちを話せたといいます。

木村汐里さん
「友だちと4人で見に行って、私含めて3人が泣いてて。見終わった後に友だちに私の家の事情、話してなくて、家の事情話したら、そのとたんに泣き始めちゃって、みんなで。(震災の)話をすると、空気が重くなっちゃうので、できるだけしないようにしてたんですけど、この映画見てくれて泣いてくれたら、やっぱり分かってくれるかなと思って、今だったら言えるかなと思って言ったんですけど。『汐里ちゃんのことを考えてみたら、ほんとに涙が、私今でも止まらない』って言われて、すごい泣いてくれて、共感してくれて」

映画を通じて、友人と深く共感し合えた汐里さん。

一方、父の美輝さんは、それでもやはり被災した当時を思い出したくなかったといいます。

木村美輝さん
「正直なこと言うと(この映画は)『本当にありえねえな』というのが本当に正直な気持ちです。もちろん自分たちがその時のこと、亡くなった人たちのこともあるからだけど、それを思い出すと嫌で嫌でしょうがなくて。あえて(舞台に)東北を選んで現場に足を運んで作ってくれたと思うんですけれども、どういう思いでこの映画を作ったのか」
木村汐里さん
「私は7年しかお母さんと一緒にいないんですけど、お父さんは結構一緒にいたので、絶対私よりもつらいというのが大きいと思うんですよ。だから、そういう部分だったら自分より絶対つらい思いしてるだろうな。『すずめの戸締まり』を見て思ったりもしましたね」

"物語"に何ができるのか 新海誠 アニメ監督の覚悟

アニメーション監督 新海誠さん:
僕は直接こういうお声を聞けることがないので――舞台挨拶で来てくださるお客さんは前提としては好意を持って来てくださっている方々なので、僕が東北の被災した県に行って舞台挨拶に立っても逆に励ましてくれたりするんです。

でも、その外側には、舞台挨拶に来ないような方々には、きっと全然違う言葉があるんだろうなと思ってはいて、それを今少しだけでも見ることができてよかったなと思います。

ただ、2011年の瞬間に多くの人が、グラデーションはあるにせよ2つに分かれてしまったというか、「経験した人」と「経験していない人」に分かれてしまって、何を作ろうが何をやろうが、多分その溝のようなものは埋まらないような気もしますね。

だけど、じゃあ、埋まらないから黙っていればいいのかとか、誰の心も傷つけないような映画作りをすればよかったのかというと、やっぱりそれも違うとどうしても思ってしまうところはあって。

桑子 真帆キャスター:
そこはどうしてなのでしょうか。

新海さん:
簡単に答えられることではないのですが、ただ、何かを作って発信すること自体がどうしたって暴力性を帯びるわけです。誰かの気持ちを強く揺さぶってしまう、殴ってしまう、たたいてしまう。それが小説だろうが映画だろうが何だって暴力性があって、それはものを作るということから切り離せないと思います。

誰も傷つけないような映画作り、誰も傷つけないような暴力のないような表現をするということは、誰の心にも触れないように注意深く、心のいちばん痛がるかもしれないところには近づかないことだと思うんです。全部回避して距離を取って作れば傷つけないかもしれないけれど、きっと心も動かせないと思う。

とても勝手な気持ちではありますけど、僕は自分が何かを見たり人と話す時は、自分の心を動かしてほしいと思うし、そういうものを見たいと思うので、自分の作るものも誰かの心を動かすような力のあるものを作りたいとどうしても思います。

災害を後世に伝える "物語"が果たす役割

震災を正面から扱った「すずめの戸締まり」。大規模なアニメ作品としては画期的だという専門家がいます。

日本映画大学 准教授 藤田直哉さん
「一番驚かされるのは、東日本大震災の発災直後の状況を思わせる場面を直接アニメにしていたということで、これはおそらくこれまで成されたことがないんじゃないか。忘却にあらがうとか、多少刺激をしてしまったとしても、そこで何が起きて、そこにいた人が何を感じていたのかを伝えることほうが大事だという判断をしたのではないか」

新海さんの災害を"物語"で伝えようというアプローチ。実は古くから行われていました。

例えば江戸時代、多数の死者を出した安政の大地震。その原因として描かれたのは「ナマズ」でした。それを「要石」という重しで封じ込め、地震を抑えたいと願ったのです。

桑子 真帆キャスター:
新海さんも、これまで巫女さんを題材にされたり、今回も神話の話ですよね。

アニメーション監督 新海誠さん:
起きた出来事を物語で考えるというのは、人間の持っている基本的な機能ですよね。僕たちはそういう生き物だと思います。

桑子:
事実の記憶としてではなく。

新海さん:
最初は事実の記憶であっても、それがだんだん物語の形にしていって残って伝えられていくということを1,000年、2,000年と繰り返してきたのが人間だと思います。それが神話ですし、昔話ですし、童話ですし、そういうものを読んで人は育っていくわけですよね。

ですから、エンターテインメントとか、物語とか、漫画とか、アニメとかを作ってる人たちは、みんなそういうことを多かれ少なかれやっているような気がしますし、僕も何千年も続いてきた営みと同じようなことをパソコンを使ってみんなでやっているという気持ちが、とても強くはっきりとあります。

新海誠監督が語る 村上春樹の存在

桑子 真帆キャスター:
今回、鈴芽が村上春樹さんの「かえるくん、東京を救う」と通ずるものがあるという声もよく届いていると思うのですが、やはり村上さんの存在というのは。

アニメーション監督 新海誠さん:
今回、僕の映画の中で災害の元となる現象としてミミズが扉から吹き出てくるというのがあるのですが、ミミズという現象のネーミングの直接の由来は「かえるくん、東京を救う」という短編小説ですね。

村上春樹さんが、阪神・淡路大震災の後に書いた短編小説。「すずめの戸締まり」と同じ、「ミミズ」が地震の元凶として描かれています。そのミミズと、かえるくんが闘い、東京を守る物語です。

新海さん:
村上春樹がやっぱりうまいなと思うのは、"みみずくん"とか"かえるくん"というネーミングですよね。しかも新宿区役所の地下にいると。僕たちの生きている世界と地続きの世界でありながらも、どこか、寓話として、それこそ神話の想像力で物語を紡いでいるような気がして。そういう彼のうまさみたいなものを学びたいと思っているところはすごくありますね。

新海誠監督が語る エンターテインメントの力

桑子 真帆キャスター:
最後に、エンターテインメントとしての力はどういうものだと思いますか。

アニメーション監督 新海誠さん:
災害に関していえば、寄り添うとか、励ますとか、慰めるということが作品でできるとは思っていないんです。でも、できると思っているのは、やりたいと思っているのは「共感させる」ということはできると思うんです。感情移入してもらうということはできると思うので。

自分はあの場所にいなかったけれど、あの場所にいたとしたらどうだったろうと。それがエンタメとしてうまく機能すれば、あのころ無関係だった多くの人が映画を見てる最中に鈴芽になることができたのではないかという気はして。それが実はエンタメにしかできないような、何かを考えることなのではないかと思うんです。

誰かに共感するとか誰かに感情移入するというのは、人間のすごく大事な不思議な力だと思うんです。何で誰かに僕たちは共感できるの?って、不思議に思うじゃないですか。

桑子:
確かに、他人なのに。

新海さん:
自分のためだけ考えて歩いていけばいいのに、僕たちはそれができないわけです。共感や感情移入が、人間社会をちゃんと社会の形としてキープさせ続けている。ぎりぎりの要石のようなものだと思います。

この映画を見て、観客が鈴芽になることができたとしたら――これはすごく大それた話ですけど、少しだけ社会の空気が吸いやすくなるというか、人が人に共感することがもう少しだけ増えると、その分だけ社会は寛容になるわけじゃないですか。そういう社会にするために、少しだけエンタメができることがあるような気が僕はしています。

そのための能力のようなもの、語る能力のようなものが欲しくて欲しくて、もっと向上したくて。そこは止まらないというか、それが欲しいですね、僕は。

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