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2022年4月12日(火)

人間っておもしろい! 藤子不二雄Ⓐ 秘蔵映像で迫る”漫画人生”

人間っておもしろい! 藤子不二雄Ⓐ 秘蔵映像で迫る”漫画人生”

「忍者ハットリくん」「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」など数々のヒット作を生み出した漫画家・藤子不二雄Aさんが88歳で亡くなりました。人間の“陰”の部分に目を向け、人の弱さを愛し、個性豊かなキャラクターを描き続けた藤子さん。生前に撮影された、瀬戸内寂聴さんとの対談など、未公開の映像と証言で“異才”の素顔に迫りました。

※「藤子不二雄A」さんの「A」は○の中にAです。

出演者

  • 奥田 瑛二さん (俳優・映画監督)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

異才 藤子不二雄A 名作を生んだ原点は

都内にある出版社には、藤子不二雄Aさんが亡くなる直前に描いた未公開の原稿が残されていました。

描かれていたのは藤子さんの漫画家人生の原点、トキワ荘での日々でした。

1950年代、若手漫画家たちが共に生活しながら成功を夢みていた「トキワ荘」。住んでいたのは、手塚治虫に憧れた石ノ森章太郎や、赤塚不二夫、そして藤子・F・不二雄こと藤本弘さん。藤子不二雄Aこと、安孫子素雄さんでした。

当時トキワ荘で暮らしていた水野英子さんは、漫画を愛する若者の熱気にあふれていたといいます。

トキワ荘出身 漫画家 水野英子さん
「漫画を描きたい人たちの天国だった。ここへ来れば、漫画の話が自由にできる。(藤子さんは)男の方たちばかりだと、ざっくばらんな方でよくふざけてもいたらしいです」

当時漫画は「悪書」と呼ばれ、頭を使わない、教育によくないと全国各地で排除する動きが広がっていました。

水野英子さん
「とにかく漫画を描ける状態が、ここ(トキワ荘)にあるわけです。漫画が差別されていた時代だったので。ここ(トキワ荘)でなければ、そういう話はできなかった。そういう雰囲気はなかった」

逆風の中でも、次々と作品を世に送り出した藤子さんたち。戦後のエンターテインメントの新たな道を開拓し、漫画を1つの文化にまで押し上げていったのです。

<2011年 インタビュー>

藤子不二雄Aさん
「時代もありますし、みんなが自分の漫画にプライドを持っていたわけです。僕らは僕らで自分の漫画があるから、他の人が売れても自分の領域と違うから。みんな自信を持っているから、いずれよみがえるだろうという意味で夢を持ち続けられたことがよかった」

7年間住んだトキワ荘を出て独立すると、いくつもの連載を抱える売れっ子漫画家となった藤子さん。

仕事を終えたあとの楽しみは、夜の街へ繰り出すことでした。店で出会った見知らぬ客ともすぐに仲よくなり、イラストもプレゼント。求められれば、自分の作品の主題歌も熱唱します。

そんな藤子さんが生みだしたのが、修行中の忍者がさまざまな騒動を巻き起こす「忍者ハットリくん」。人間の世界に突然やってきた怪物たちのギャグ漫画、「怪物くん」。家族を支えるためゴルフで賞金稼ぎをする、「プロゴルファー猿」。

こうした独特なキャラクターを生みだし、ヒット作を次々と世に送り出しました。

"人間の弱さ"見つめて

中でも藤子さんの代名詞といえば「ブラックユーモア」。子ども向けから一転、人間の弱さや欲望など、陰の部分を笑いを交えて描きました。

「笑ゥせぇるすまん」の主人公である喪黒福造(もぐろふくぞう)という名の謎のセールスマンは、社会や人生に不満を持つ人たちに巧みに近づいていきます。

しかし、喪黒にそそのかされ欲に溺れてしまうと身の破滅を招きます。


喪黒福造
「高いビルがどんどんたつのに比例して 孤独な人々もどんどんふえております」

「わたしの仕事は こういった淋しい人たちに夢と希望をあたえるステキなおともだちを紹介することなのです」

「さあ つつみかくさず本心をさらけだしなさい!」

漫画「笑ゥせぇるすまん」のセリフより

<生前のインタビュー>

藤子不二雄Aさん
「まあ一種の人間というのはね、ずっと1本の道を通るわけにいかないわけでね。ときどき横道それたりいろいろするけど、その人に合わないことをやると、とんでもないことが起こるぞという、ひとつの教訓的な漫画で描いたわけです」

この作品が生まれた背景には何があったのか。

トキワ荘時代から70年近くも親交があった、アニメーション作家の鈴木伸一さん。ラーメンが好きだった鈴木さんは、漫画の中では「小池さん」としてたびたび登場しています。

70年近く親交 アニメーション作家 鈴木伸一さん
「僕はネタにされるのが楽しかった。うれしかったですよ。おもしろくて、それを見ているのがおもしろくて。だからそのうち僕は『小池さん』のファンになっちゃったわけです。『まだ出ないかな』と思ったりして」

藤子さんがブラックユーモアを描くようになったのは、パートナーだった藤本さんの存在が大きかったと鈴木さんは見ています。

鈴木伸一さん
「藤本氏はどちらかというと、正統派な漫画ですよ。いわゆるね、手塚先生の系統のね。それに僕ね、何か知らないけれども(藤子さんは)その裏側というか、その頃から裏側を描きたいっていうところがあったんじゃないでしょうかね。人間の持っている醜さとかね。そういったものも描いて出せるんじゃないか、ユーモアの中にね。そういう所まで広げちゃったわけですよね、彼はね『笑ゥせぇるすまん』でね」

当時藤本さんは「ドラえもん」を世に送り出し、押しも押されもせぬ人気漫画家となっていました。

一方の藤子さん。ずっと複雑な感情を抱いていました。当時の苦しかった気持ちを自伝的作品の中に残しています。


「しかし……何故だろう?僕がメインで描いた作品の連載が長く続かないのは…」

漫画「愛…しりそめし頃に…」より

2019年10月に行われた瀬戸内寂聴さんとの対談の最中、お酒も少し入ったところで思わず本音がこぼれました。

<2019年10月 瀬戸内寂聴さんとの対談より>

藤子不二雄Aさん
「初めはほら、ハットリくんとか怪物くんとか、わりとまともなギャグを描いてたんですけど、30歳になると、藤本君という人は天才ですから、ドラえもんを描いてから20歳になっても30歳になっても40歳になってもドラえもんを描けたけど、僕はわりといろんな遊びをしてたからだんだん子ども漫画を描くのが苦痛になってきてね。いや、俺このまま描いてたらダメになるし、藤本のマネージャーになるしかないと思って悩んだんですよ」

人間の“陰と陽”を見つめたまなざし

その苦悩は、どのように傑作につながっていったのか。

東京・六本木の路地裏。足しげく通っていたバーです。

40年来の友人 バーのママ マコさん
「先生はね、焼酎。焼酎のウーロン茶割りなんです、いつも。それをカプカプ飲んで。酔っ払ってくるとね『いやん』とか言って、ご機嫌だと。本当におもしろい人でしたよ」

藤子さんと40年近くのつきあいがある店主のマコさんは、時折見せる鋭い観察眼が印象的だったと振り返ります。

マコさん
「人前ではこう明るくワーッてやってるんだけど、実はちょっと冷めてる部分が見えたりする。たまにね、あの色付き眼鏡の下が、目がちょっと怖いときがあるんですよ。普通の人はたぶん見てないだろうけど、私は何か見てて、今こういうことを思ってるんじゃないかなとか。人間を見るというか、なんかもう見透かされてるような感じ」

藤子さんは、自宅のある神奈川県川崎市から仕事場のある新宿区まで、電車で40分かけて通っていました。電車や町なかで見かける人たちも、作品のモデル候補でした。

<漫画「笑ゥせぇるすまん」より>
通勤電車で、窓の外を眺める定年間近の真面目なサラリーマン。実は、車窓から見える女性が気がかりで、会ってみたいという気持ちを抑え込んでいました。その心の隙間を、喪黒がすかさずついてきます。

<2019年10月 瀬戸内寂聴さんとの対談より>

藤子不二雄Aさん
「電車に乗ると、時間帯によって満員電車の時もあるし、すいてる時もある。僕は必ず乗客の顔をこうやって観察するんですよ。この人はどういう家庭を持って、どういう仕事をしてということを想像する。すごくやっぱりわくわくする。いろんな体験を漫画を描くことによって、自分が疑似体験というんでしょうかね。そういうのがね、なんかおもしろいというんでしょうかね」

ギャンブルがやめられない。
競争社会についていけない。
外の世界とエンを切りたい。
日常生活に満足できない。

バーのママ・マコさんは、欲望に負けそうになる自分自身さえも作品に盛り込んでいたのではないかと話しました。

マコさん
「『笑ゥせぇるすまん』なんかのストーリーだって、人間の欲とかそういうものを描いているわけじゃない。本当はそういう部分を先生も持ってるんだなって。あれは人の話のように描いてるけど、実は自分の中にもそういう部分を持ってるんじゃないかなって私は思ったんですよね。陰と陽が交差したような、そういう性格というのは変だけど、そういう人でしたね」

さらに、ヒトラーのそっくりさんが町に引っ越してきたという「ひっとらぁ伯父サン」という漫画では。


ヒットラー伯父さん
「奥さん方へはおさわがせしたおわびに 一万円ずつさしあげます」

「わしはあなたに千円をはらわねばならないんです」

漫画「ひっとらぁ伯父サン」のセリフより

金や欲望に目がくらんだ市民によって、社会全体が崩壊していくさまをコミカルに描きました。日本を代表するアニメーション監督の宮崎駿さんは、この作品を「毒があって傑作」と評しています。

人間の負の側面、平和のはかなさをユーモアで包んで伝えていた藤子さん。自分も含めた心の弱さを持った人たちへ、エールを送り続けていたのかもしれません。

<生前のインタビュー>

藤子不二雄Aさん
「かなりグレーからブラックに近づいてるんじゃないでしょうか。社会そのものがね。人間もそうですし、非常に寂しいことですけどね。ただ人間はやっぱり向上心というか、もっとよくなろう、もっとよくなろうという気持ちでね、頑張っているのがやっぱり人間のおもしろさだと思うんですけど。今日まで来れたのは漫画を描いてきたからで、漫画を描いてこなかったら、おそらくどこかで挫折してたと思う」

天才の素顔とは

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、30年以上にわたって藤子さんと親交があり「笑ゥせぇるすまん」の実写ドラマにもご出演された俳優の奥田瑛二さんです。

長らく交流があって、その中での思い出というと今、どんなことが思い起こされますか。

スタジオゲスト
奥田 瑛二さん(俳優・映画監督)
30年以上にわたって藤子さんと親交

奥田さん:
本当にいろんな思い出がありますから、思い出というのは口にできないものですよ。それはそれとして宝物ですけどね。

桑子:
確かに残っていらっしゃる。奥田さんからご覧になって、藤子さんってどんな方でしたか。

奥田さん:
今もVTRで両面が出てきたじゃないですか。お酒飲んで歌を歌っているときと、仕事をしているとき。お酒、食事をしているときは僕もよくしゃべるほうなんですけど、お互いがしゃべりっ放しですね。それで仕事の話は一切しなくて、何を話したか本当に記憶にないぐらいなんですよ。映画が大好きでしたから、映画の話はよくしましたね。

桑子:
性格というと、どんな性格でしたか。

奥田さん:
漫画の中の主人公は弱い人をお書きになっているんだけど、性格はすごいしっかりした強い人。それで、ある意味潔癖なところがあって。僕は、敢然と王道にパーンと走ってるのを見抜きましたね。

桑子:
潔癖ですか。

奥田さん:
ええ、潔癖。

桑子:
すごい気さくでフランクなイメージがありますけども。

奥田さん:
でもそれを言うと「やめなさい、やめなさい」って言われるんですよ。

桑子:
どんなことを言うと、そう言われるんですか?

奥田さん:
エロスの話。

桑子:
そういうことですね。なるほど。でも、そういうものを作品に結構描いてらっしゃるイメージですけれど。

奥田さん:
そうですよね。キスしてるシーン、喪黒福造の「笑ゥせぇるすまん」でもありますからね。そういう意味では、描くのは自分と紙との戦いですからどうでも描けるけど、人から具体的に言われると「ううっ、やめなさい」ってなる。それがおもしろいんですよね。純なんですね。

桑子:
純?

奥田さん:
純でシャイ。

桑子:
藤子さんが監督をされました実写版の「笑ゥせぇるすまん」では、まさに作品作りをお二人でされたと思うのですが、どんなストーリーだったのかご紹介させていただきます。

奥田さんが演じられたのは主人公の喪黒ではなく、いつも悪夢にうなされている中年のサラリーマンです。男性はある日、突然目の前に現れた喪黒にみずからの悩みを打ち明けます。

「わたしのところへ電話して下さい」と言われ、言われたバーに行ってそこで悩みを伝えるわけです。「それはつらいですね。でも、ご安心下さい。あなたのためにいいものを用意しました」。

夢を操作できるという「魔法のキャンディ」で、見たい夢を見ることができるということです。ただし、喪黒は「一晩に一粒だけにしてください」と忠告をするのですが、このあとこの男性は?

奥田さん:
その見たい夢というのが、女性なんです。美人の女性が出てきて、1対1で仲よくなって口説かれて「私とつきあってください」と言われてびっくりして、それで夢が消えるわけですよね。

またキャンディが飲みたい、次進展していくのを見る、また消える。じゃあ、もうだめだといってがばがばって飲んでしまったが最後。

もう行くところまで行くんだけれど、その展開がもう怖いわけですよ。飲んじゃったことによって「1錠だと言ったでしょう」と、喪黒福造の天罰が下るわけです。

桑子:
ドーンと、絶望の淵に追いやられる。その人間の欲というものをまさによく描いた作品だと思うのですが、人の弱さというのを描こうとされたのはどうしてだと奥田さんはお考えですか。

奥田さん:
それはやはりクリエーターとして、ものづくりとして弱い人を描くということは強い人じゃないと描けないと思うんです。だからクリエーターとして、漫画家として、ぐうっといらしたわけですよね。

弱い人というのはいろんな要素としては魅力がいっぱいちりばめられて、いろんな種類の方がいらっしゃるからそこにちょっと異型な喪黒福造という悪い人といえば悪い人なんですけど、それがドーンときて、それとの対比で世の中を写し出すというようなことが見てる人にしみこんでくるんじゃないかなと思っていて。

桑子:
強い人でないと、あの弱さというのは描けない?

奥田さん:
そうですね。弱い人が「俺は弱いんだ」とか、いいかげんに弱い人もいっぱいいますけど、やっぱり描けないと思う。強いからこそ物事にまい進できるし。それはもう才能の一つですよね。

桑子:
その弱さもさまざまあって、それを描くということはそこに愛を感じるということでもあるんでしょうかね。

奥田さん:
安孫子さんは、人間愛というかそれが至上主義的にあったと思います。

桑子:
近くにいてご覧になって感じていたということですね。この人間の弱さを認めて愛するという作品に込めたメッセージは、これからも世代を越えて伝わっていきます。

藤子不二雄Aが最後に描こうとしたもの

およそ40年前、藤子さんが小学生たちに語りかける映像が残されていました。テーマは「自信を持つにはどうしたらいいか」。


1983年 おはよう広場より>
藤子不二雄Aさん
「僕らトキワ荘のころは、石ノ森章太郎さんとかね、赤塚不二夫さんとみんなね、同じアパートに住んでたわけね。みんな一生懸命漫画を描いてる。あの人はうまい漫画描くけど、自分は下手だなってがっかりしたりすることがあるわけ。そういう時に友達から『君の漫画はこういうところが面白い』と言われると、すごくうれしくなって一層友達に喜ばれるような面白い漫画を描こうと頑張っちゃう。友達に褒めてもらうとか、応援してもらうことが、すごく自信になる」

そんな藤子さんが最後に描こうとしたものは…。

「四畳半…いつも近くに仲間がいた…」

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