"人として強く" ボクサー村田諒太の闘い

4月9日、“世紀の一戦”に挑んだプロボクサー・村田諒太さん(36)が、試合翌日、「クロ現」の単独インタビューにこたえました。“史上最強”とも言われる、ゲンナジー・ゴロフキン選手との世界頂上決戦。敗れはしたものの村田さんは、「自分には負けなかった」と語りました。 “強さ”とは何か、“生きる”とは何か。大一番を終えた村田さんの言葉に耳を傾けました。
出演者
- 村田 諒太さん (プロボクサー)
- 桑子 真帆 (キャスター)
※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。
村田諒太が語る “世紀の一戦”の真実
激戦を戦い抜いた村田選手。試合翌日の4月10日、単独インタビューに応じてくれました。
<4月10日 インタビュー>

桑子 真帆キャスター:
試合を終えて、けさ目が覚めたときの景色というのはそれまでと違うものなんですか。それとも意外と変わらないのか。
村田選手:
不思議なもので、ぞっとしましたね。
桑子:
ぞっとする?
村田選手:
朝、起きるじゃないですか。試合が終わったって感覚がまだないんですよ、起きた瞬間は。だから起きて、「試合」だと。試合があると思うんですよ。
思った瞬間に不思議なもので、「いや、終わってる」と、「負けたんだ、君は」って自分に言い聞かせるわけですよ。「負けたんだ君は」って言い聞かせながら、試合がないことにほっとするんですよ。
試合が、またあの苦しみが、だからほんとに現実がどれなのか、ちょっと分かんなくなったみたいな、そういう境目みたいな朝ですよね。

ミドル級の世界王座統一戦に挑んだ、村田選手。カザフスタンのゴロフキン選手と激しい打ち合いを繰り広げ、第9ラウンドでKO負けを喫しました。
桑子:
本当にものすごい試合でした。特に序盤は村田さんのほうから前に出て、ゴロフキン選手が後ずさりする。ボディーも食らうというようなシーンもあって。
村田選手:
やっぱりゴロフキンって3ラウンドまでが強いんですよ、いつも。なので3ラウンドまでに絶対相手にペースを渡さないと思って、始めから行くと思って。逆に4、5、6、7になったらチャンスはあると思っていたんですけど、やっぱりそんなに甘いものじゃなかったですね。その辺りのキャリアの差。歴戦の雄というか、やっぱり強い選手とやってきたっていうキャリアの差は、今思うと感じてますね。
“負けても勝っても、引退するかもしれない”
村田選手は、最強の相手との試合にどんな覚悟で臨んでいたのか。取材班は半年前から密着取材を続けていました。
2月下旬に、練習を終えた村田選手が喫茶店に立ち寄ったときのこと。その言葉はおもむろに飛び出しました。

「その状況にならなきゃわからないですけど、もう間違いなく負けたら引退じゃないですか。勝ったら勝ったで、次を考えなきゃいけないと思うんですけど、勝ってもたぶんこれ以上続けるって選択肢がない。でもわかんないな。勝ってみないと。あんなのに勝ったらどんな感覚なのか、想像できない。やっぱり終わってから考えるしかないですね」
負けても、勝っても引退するかもしれない。
村田選手は、このとき勝敗ではない何かを見据えているようでした。
10年前のロンドンオリンピック。村田選手は日本選手として48年ぶりに金メダルを獲得し、一躍脚光を浴びる存在に。翌年、プロに転向。鉄壁のブロックと右ストレートを武器に勝ち続けます。
2017年には世界王者の称号を手にし、名実ともに日本屈指のプロボクサーへと上り詰めました。しかし、その裏で村田選手はある苦悩を抱えていました。

「ボクシングはあなた強いですね。で、中身は?すっからかんですね。それで最強って言って楽しいですか?ってなったときに、むなしいってなっちゃうわけで。ボクシングは強くなってるけど、おまえ実はそれと引き換えにめっちゃ心弱くなってるんだよって」
ボクシングに勝ち続けても心が弱くなるとはどういうことなのか。それは、金メダルを取っても、世界王者になっても拭えずにいた、過去の体験にあると明かしました。
<4月10日 インタビュー>

村田選手:
僕の中のテーマとして、高校3年生のときに初めて全日本選手権に出て。決勝まで行って別に普通にやればいい勝負ができる相手だったのに、相手の強いっていう評判に負けちゃって。で、もうびびっていっちゃって、1ラウンドで負けちゃった記憶があって。もう一つが北京オリンピックの予選のときに、対戦相手の外国人選手がやっぱり強いと。そこには勝てないんだという心理が働いていて、両方とも負けてしまって。それは相手に負けただけじゃなくて、自分に負けてしまったっていう。
だから、僕は「強くなりたい、強くなりたい」ってずっと思ってたんですけど、強いとは何かって言ったら相手に勝つとか負けるっていうのはもう神が決めるところでもあるので。そうではなくて、自分を認めてあげられるかどうかだと思っていたので。だから、自分が逃げない。そういった同じ過ちを繰り返さない。あのときの悔しい思いをした、情けない思いをした自分というものを乗り越えるんだと。
コロナ禍 2年以上試合ができない日々
勝敗だけではなく、人間としての弱さを乗り越えることを目指してきた村田選手。しかし、そのための試合ができない日々が続きました。
コロナ禍で、試合は7回にわたり延期や中止。2年以上、闘うことを許されなくなりました。
「ああもう嫌だと。なんできょうジム行くんだと。いや、でも俺は機械なんだと。もう淡々と、別にモチベーションは関係ないと。淡々と俺は練習をするだけの人間、それでいいんだと」
3月、練習の合間に公園に立ち寄った村田選手。桜の木の前で足を止めました。目を向けたのは満開の桜ではなく、その幹でした。

「こういう桜みたいにパッときれいに見えたかもしれないけど、やっぱり人生こればっか咲かせようと思って、こっち(幹)を見てなかったですもんね。
試合ってのは、これ(花)ですよね。練習で本来こっち(幹)が作られてくるんでしょうね。ボクシングにおいてじゃないんだよな、結局。
人間としてどうあるかとか、何も花が咲かなくなった、試合がなくなった、注目されなくなったときに、この幹がしっかりしているか。これが人間としてしっかりとしているかどうかなんでしょうね。
それがないと、永遠にボクシングをしなければ輝かない人間になっちゃいますよね。
これ(幹)がある限りは、ことし咲かなくても来年咲かなくても、何年後かに咲くっていけますもんね。結局強さってここなんだろうな」
人として強くなる。そのために必要だったのが、最強と呼ばれる男との一戦でした。
人間としても強い“真の王者”ゴロフキン
ミドル級の頂点に君臨してきたカザフスタンの英雄、ゲンナジー・ゴロフキン選手。43戦41勝。世界王座を19回連続で防衛。村田選手がデビュー以来、憧れ続けた存在でした。
ゴロフキン選手の強さとはどういうものなのか。7年前、試合を観戦した村田選手は、その神髄を目の当たりにしました。
圧倒的な勝利を収めたゴロフキン選手に、このとき村田選手が感じたのはボクサーとしての強さだけではありませんでした。試合直後にも関わらず、ゴロフキン選手が控え室に招き入れてくれたのです。

<取材・2015年>
「忙しいのに、時間をとってくれてありがとう」
「いつでもいいよ。次はいつ来るんだ?」
「いつでも来たいです。あなたと一緒にトレーニングしたいです」
ゴロフキン選手は、村田選手との合同練習を受け入れてくれました。練習に向き合う姿勢や誠実な人柄。そして、人間としての強さ。
「練習に打ち込む態度もすごく紳士的でしたし、人間性もすごく紳士だったんですね。その辺りはすごくリスペクトしてますね」
そして、ようやく実現した闘い。興行規模、数十億円に上る日本ボクシング史上最大のタイトルマッチとなりました。
下馬評は、圧倒的にゴロフキン選手有利。それでも、村田選手は最強のボクサーと戦い抜いたとき初めて弱い自分を超えられると考えていました。
<4月10日 インタビュー>

村田選手:
もうゴロフキンって最強のチャンピオンですし、名実ともに最強だと思っているので。その選手に対してぶつかっていければ、思い残すところがないというか。やっぱり北京オリンピックの予選で負けたあとに何を思い残したかっていうと、本気でやってない自分なんですね。
本気でぶつかりに行ってない自分であって、そこに今回の試合の意味があるんだっていうふうに思いを変えていたので。だから、試合前も自分へのチャレンジだ、チャレンジだ、チャレンジだって。ゴロフキンじゃないと、こんな気持ちにさせてもらえなかったですね。ここまで追い込めなかった。
“世紀の一戦”ゴロフキン戦へ
ゴロフキン選手を想定した、スパーリング。村田選手は自分のスタイルを貫き通そうとしていました。前へ、前へと攻めるボクシング。ゴロフキン選手の強烈なパンチを受けたとしてもひるまず、近い距離で打ち合いたいと考えていました。
試合が3週間後に迫ったこの日、村田選手が胸の内を明かしてくれました。

「あと3週間じゃないですか。こんなに3週間が来てほしくないような、早く過ぎ去ってほしいような。そういう充実ともいえるし、プレッシャーともいえるし。ゴロフキンとやってパンチ力が強いだろうし、当たって倒れたら怖いなという気持ちはもちろんあります。
ありますけど、じゃあびびってこっちが遠慮がちにやっていたら、相手が殴ってこないかというとそんなことはないわけで。
怖いですよ、いまだに。試合は嫌だし、いつも言うじゃないですか、解放されるって、やっと。それって結局、試合をしなければいけない。殴られる、負ける可能性の恐怖から解放されたいというのが一番あるので、それはありますよ。それはないとか言えないし、言ったらうそになるので、そういう恐怖はある」
村田選手は、かつて自分に弱さをもたらしていた恐怖と向き合おうとしていました。
そして、試合当日。
序盤、村田選手は前へ前へと攻め立てます。強打のゴロフキン選手を後ろに下がらせ、主導権を握ります。
しかし、中盤。ゴロフキン選手が史上最強たるゆえんを見せつけます。どこから飛んでくるか分からない、変幻自在のパンチ。そして、多彩なコンビネーションで追い詰められていきます。
それでも村田選手は、前に出る姿勢を失うことはありませんでした。
第9ラウンド。前に出た瞬間でした。ゴロフキン選手の強烈な右フックを浴び、村田選手は倒れました。
「ここで村田サイドから今、タオルが投げ込まれました。村田、敗れました」
世紀の一戦は終わりました。
戦いの果てに見つけた“強さ”とは
<4月10日 インタビュー>

桑子 真帆キャスター:
村田さんはボクシングを通して、自分の本当の強さをずっと探求していらっしゃったと思っていて、今回のゴロフキン選手との試合の前に恐怖は相当なものがあるけれど、恐怖と闘うってどんな境地なんだろうと思って。
村田選手:
やっぱりやってみるとね、ゴロフキンはゴロフキンしかいないから。結局は慣れなんてものはないですよね。じゃあ慣れることが大事なのかとか、恐怖がなくなることが大事なのかっていうと、別にそんなんじゃないなと思って、恐怖のままでいいんだと思って。
怖くていい、怖いけど進むんだって、そういう気持ちでいれたので。最終的にはそういう気持ちになれたので。だからこんなかけがえのない日々、ないですよね。もう1回経験しろって言われたらめっちゃ嫌ですよ。絶対、断固拒否しますよ。だけど結果として、結局そこに立ち向かうことが人間を作っていくというか、そんなもんなんじゃないかなと。
だから、すごくありがたい機会をくれた。やっぱりゴロフキン選手じゃないとこんな気持ちにさせてくれなかった。変な話、勝てると思ってる相手だったら、こんな気持ちにさせてくれなかった。恐怖っていうものが絶対的なマイナス要因ではないってことなんです、人生において。
桑子:
今は自分が思い描いている人間に近づけていますか。それとも、なれましたか。
村田選手:
前よりかは近づきました。試合前よりかは近づいたと思います。確かにゴロフキンよりも弱かった。きのう(9日)の試合ではゴロフキンより弱かった。だから世界一じゃない、それは認める。
だけど、「お前は強さをちゃんと追いかけたよ。だから、お前もこのまま頑張っていな、いろんなことある。いろんなつらいことがお前の人生ある。だけど、このまま頑張れ」って昔の僕に対して今、声をかけてあげられるかなとは思うので。そういう気持ちにさせてくれるゴロフキン選手にやっぱり感謝してますし、そういった意味で強くなったかどうかっていうと強くなれたかなと思います。
相手に勝つうんぬんっていうことばっかり追いかけるのではなくて、やっぱり自分に勝つこと。そして自分に負けなかった。"勝つ"じゃなくていい、"負けない"でいいと思います。自分に負けない、勝ったと思える。この気持ちっていうのはやっぱり何事にも代えがたいんだなと。勝利以上のものをもらえた気がします。
桑子:
KOされて、下をずっと見ていらっしゃって。そこから顔を上げたときの感情って覚えていらっしゃいますか。何とも言えない表情をされていて。

試合前に村田さんが「負けたら引退、勝っても続ける選択肢がない」とおっしゃっていて、戦い終えた今はどんなふうに感じていますか。
村田選手:
確かにもっとやりたい。ああ、やりたい。だけど、これはどうなんだろう。そこはやっぱり冷静な判断をしていかなきゃいけないので。だから、この期間にしっかりその判断を下せるようにしなきゃいけないし、今の僕としてはこの辺りがほんとはいい辞め時なんだろうとは思ってます。ただ、まだ答えは出せないので。うん、そんな感じですかね。
桑子:
村田さんが桜の木の下にいらっしゃって、花を見上げて「これは試合だ」と。大事なのはこの幹の部分なんだと。これからその桜の木を、幹を作っていく上でどういう村田諒太という人間を見せていただけますか。
村田選手:
えてして人間は花だけ見てしまう。自分も自分の花だけ見てしまう。そうじゃないよなって。見ろ、この堂々とした幹の部分。そして力が全ての栄養を下から吸収していくような力強い根を見た瞬間に、やっぱりそこだなと。それってやっぱり人間としてどうあるかだと思うんですよ。だから、人の目に見えない所でもしっかり根を張って、そういうような人生をこれから歩む。そっちのほうが大事でしょうね。
・ 「勇気は恐怖とともにある」プロボクサー村田諒太 “世紀の一戦”を終え語ったこと
・ “闘う哲学者” 村田諒太の歩んだ道
・ 情熱の炎は消えず 村田諒太・激闘の果てに(2017年5月30日放送)
