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2021年10月19日(火)
密着 斎藤佑樹 “ハンカチ王子”最後の日々

密着 斎藤佑樹
“ハンカチ王子”最後の日々

今月17日「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手(33)が現役を引退する。15年前、甲子園をわかせた田中将大投手との投げ合い。「自分は“持っている”」と自信を胸にプロの世界へ。しかし11年間でわずか15勝。「なぜ斎藤は投げ続けるのか」、高校大学の1年先輩のディレクターが密着を続けてきた。「いつか自分は輝ける」2軍でも斎藤は自分の可能性を諦めていなかった。そして引退を告げられた。大きな注目と期待に苦しみ、それでもプライドを捨てずに生きてきた斎藤佑樹の最後の日々を見つめる。

※放送から1週間は「見逃し配信」がご覧になれます。こちらから

出演者

  • 斎藤 佑樹さん (北海道日本ハムファイターズ)

密着 斎藤佑樹 "ハンカチ王子"最後の日々

17日、引退した日本ハム・斎藤佑樹投手、33歳。プロで挙げた勝利は、僅か15勝。苦闘を続けた野球人生でした。

斎藤佑樹投手
「ほとんど思いどおりにはいきませんでしたが、やり続けたことに後悔はありません」

15年前の、あの夏。「ハンカチ王子」として日本中の注目を集めました。田中将大投手と投げ合い、つかんだ栄光。

<大学時代>

斎藤佑樹投手
「何か持っている、こういう人生なのかなと思います」

しかしプロ入り後はけがに苦しみ、大半が2軍暮らし。いつまで現役を続けるのか、周囲の厳しい視線にさらされながら戦い続けてきたのです。

そんな斎藤投手を見つめてきたのは、野球部の1年先輩の髙屋敷仁ディレクター。

そこにあったのは、ボロボロになってもなお、みずからの可能性を諦めない男の姿。

斎藤佑樹投手
「最近よく夢で見るのは、ボールを自由自在に操れる能力が舞い降りてきて、思い通りに投げている」

ハンカチ王子と呼ばれた男が、最後にたどりついた境地とは。

どん底でも諦めない "なぜ投げ続けるのか"

<千葉 鎌ヶ谷 6月>

マスコミやファンのいない2軍球場。ブルペンで斎藤は一人投げ続けていた。

球速は、130キロ台前半。全盛期の150キロに遠く及ばない。1軍で最後に勝ったのは4年前。プロとしてはどん底の状態が続いていた。

髙屋敷仁ディレクター
「なんで斎藤は投げ続けられるのかなと、ちょっと思ったけどね」

斎藤佑樹投手
「やっぱり僕もそれはすごい最近考えていて、もしこれが野球じゃなかったら、こんなに続けられるかなって思いますし。投げるってことが好きだからここまで続けられると思いますし。18歳の頃に甲子園で優勝して、大学でも優勝して、プロでも最初の方は少し勝てて、そこからまた勝てなくなってきて、だからこそもう1回、思うように投げたいという気持ちもあるのかなと思っていますね」

どんな状況でも前を向く姿。それは、あのころの斎藤と変わっていなかった。

ハンカチ王子として戦ってきた人生

高校時代、早稲田実業のエースだった私、髙屋敷仁。その座を奪ったのが、1年後輩の斎藤佑樹。期待されればされるほど力を出す。そんな男だった。

あの夏、大会史上最多の948球を投げた。肩へのダメージを心配する声もあったが、チームを背負い一人で投げ抜いた。

田中将大、柳田悠岐、そして坂本勇人。同い年の選手は「ハンカチ世代」と呼ばれた。

<大学時代>

斎藤佑樹投手
「"ハンカチ世代"って、誰かがつけてしまったものはしょうがないじゃないですか。誰かがどれだけ活躍しても"ハンカチ世代"って変わらないと思うんですよね。それなのに"ハンカチがいない、どこいった"って言われるのが絶対嫌じゃないですか。常にトップでいたい」

早稲田大学でも、1年からエースとして日本一に貢献。大舞台で輝く姿は、こんなことばで語られた。「あいつは、何か持っている」。

斎藤佑樹投手
「"斎藤は何か持っている"と言われ続けてきました。何を持っているのか、確信しました。仲間です」

4球団が競合の末、ドラフト1位で日本ハムへ。プロの世界でどこまでのぼり詰めるのか、周囲の期待は膨らんでいった。

1年目は6勝6敗。それでも2年目には、開幕投手に抜てきされた。すると、プロ初完投勝利。期待に応えてみせた。

その年が最後の輝きだった。

この年の日本シリーズで、肩を壊した。腕と肩甲骨の間にある、関節唇(かんせつしん)の損傷。斎藤の投手人生を、大きく狂わせることになった。

翌年はゼロ勝、その次の年は2勝。プロ3年目以降にあげた勝利は、僅か4勝。鎌ケ谷の2軍球場が、斎藤の居場所となった。

勝てない日々でも失わなかった"闘争心"

同世代のライバルとは、大きく差をつけられた。それでも闘争心は失っていなかった。田中将大の話になると表情が変わる。

斎藤佑樹投手
「毎回毎回聞かれるのは、ちょっとうっとうしいというか。何回も答えていることなので、もういいでしょって感じですけどね。正直負けられないっていう気持ちもありますし、負けたくないっていう気持ちもありますけど、現段階で何を言っても何も認めてもらえないわけじゃないですか。でもいつかは勝ちたいっていう気持ちもありますよね、同世代には」

しかし、斎藤の肩が元に戻ることはなかった。そして去年、右肘のじん帯を断裂。投手にとって致命傷ともなるけがを再び負い、引退もうわさされた。

<契約更改 2020年12月>

斎藤佑樹投手
「肘を治して、また来年頑張りますという話をしました」

斎藤は現役続行を決断。「結果を出していないのに特別扱いではないか」。そんな声も上がった。

<契約更改から2週間後>

髙屋敷仁ディレクター
「あえて言うけど、1軍で1回も投げていない中で斎藤の年で契約されたことっていうのは、客観的に見たら"何でなの"という声があると思うんだけど」

斎藤佑樹投手
「そこをずっと僕も考えていましたけど、世の中的にみていわゆる不公平だとか、そういうのを感じる人がいるのもわかりますけど、ただこれ僕の個人の意見なんで僕だけのことを考えて言うと、僕はただ野球をしたいだけです。だから自分から引退しろって言われるかもしれないですけど、それは矛盾しているというか、自分の気持ちに対して矛盾しているなって。野球やりたいのに、自分から引退しますっておかしいじゃないですか。逆にそれは、最後まで野球を自分ができるまではやりたいと思っているので。なんか変なこと言ってます?」

髙屋敷仁ディレクター
「球団も何で斎藤を戦力として契約しているのか、これだけ一緒にやってきているのかっていうことは、自分としては知ってみたいなと思って」

斎藤佑樹投手
「僕も知りたいです」

フロントとしてチームの編成にも関わってきた、木田コーチに聞いた。

髙屋敷仁ディレクター
「"特別扱いじゃないか"という声もあったと思うんですけど、どう答えられますか?」

日本ハム 木田優夫ファーム総合コーチ
「特別扱い、もちろんされた部分というのはあったのかもしれないけど、特別扱いしてもらうことも実力。プロ野球の世界はそういうものなので。別に何も斎藤自身、気にすることないと思う」

髙屋敷仁ディレクター
「斎藤に、それ聞いてくれって言われたんですよ」

日本ハム 木田優夫ファーム総合コーチ
「何で斎藤に投げさせるかっていったら、それまでの斎藤がやって来たもの、それに僕らの期待。斎藤がこうやってくれたらチームがもっとうまくいくとか、そういう期待があって投げさせる。それすらなかったら、それは投げさせない」

ことし2月の沖縄キャンプ。斎藤は、球速を上げるためのフォーム改造に取り組んでいた。

連日およそ200球。プロに入って最も多くの球数を投げた。新たな挑戦を始めた、斎藤。今シーズンの目標は何か聞いてみると…。

斎藤佑樹投手
「怒られちゃうかもしれないですけど、やっぱり1 軍で1勝すること。それが1つのボーダーラインかなと思いますね」

髙屋敷仁ディレクター
「10年前、ここを人をすごい人を連れて歩いていた時の1勝に対する気持ちはとは違う?」

斎藤佑樹投手
「全然違いますね。1勝の価値、1勝の重みみたいのは全く違いますね。11年前ここ歩いてる時の僕は、"1勝なんて簡単だろ"と思ってましたよ、多分。その時に考える1勝と、今目指す1勝とは明らかに差がありますし、今1勝しろって言われたら相当難しいことだと思うんですけど」

現役続行か、引退か、揺れる思い

シーズンが開幕して3か月。2軍生活は続いていた。キャンプからの取り組みの効果は上がらず、1軍から声がかかることはなかった。このころ斎藤に相談されることが増えた。

斎藤佑樹投手
「どう思います?逆に。僕が来年続ける要素があるとしたら、何があると思います?」

髙屋敷仁ディレクター
「今の気持ちをまだ保っていたら。いまやってる感じが、"もうことしが最後だから"と思って頑張れているんだったら、もう終わりかなと思うけど」

斎藤佑樹投手
「僕の気持ちじゃなくて、チームの首脳陣だったとして、フロントの方だったとしてどうですか」

斎藤が思いをつづったノートがある。

"続けられるか、やめるのか。いつかその時はやってくるとわかっているけど…"

この夏。斎藤の心を動かす戦いがあった。

実況
「日本、やりました!24人全員でつかんだ金メダル」

田中将大や柳田悠岐、そして坂本勇人。かつて「ハンカチ世代」と呼ばれた選手たちが躍動した。

このころのノート。

"東京オリンピックには正直言うと出たかった"

斎藤佑樹投手
「悔しいのは悔しいですよね。同じアスリートとして、自分がそこに行けなかったというのは。例えば18歳の頃だったら確実に目指せるポジションにいましたし、目指せるチャンスもあったのに自分の努力不足もあったでしょうし、けがってこともあったでしょうし、今思えばどれをとっても言い訳ができないので、それが悔しかったりしますね」

髙屋敷仁ディレクター
「これ最後にするけど、率直にマーくんとか見て、すごいなと思うの?」

斎藤佑樹投手
「やっぱり思いますよね。どっかで負けないぞって思っていましたけど、プロに入って経験を積んで、メジャーに行って、活躍して、やっぱりすごいなと思いますし、今でもその気持ちは変わらないですね」

髙屋敷仁ディレクター
「いらっとした?」

斎藤佑樹投手
「いらっとしないですよ。いい意味でいったら僕もおおらかになったというか。そういう質問に対して一喜一憂することもももちろんないですけど、よくない意味でいったら闘争心が無くなってきたのかなと思う」

本当の斎藤佑樹を認めたとき、ハンカチ王子は引退した

9月22日、斎藤に呼び出された。

斎藤佑樹投手
「結論から言うと、引退をするということになりました」

斎藤は決断した。

斎藤佑樹投手
「またズルズル続いていくと、野球は大好きですけど、どっかで自分の人生の中で区切りを決めないと次に進めないなと思っている時がきょうだったので。誰に相談することもできないというか、最後、僕が決断しないといけないですし」

髙屋敷仁ディレクター
「ファーム(2軍)で投げてから迷っていたと思うんだけど、決断しなかった理由は何だと思う?」

斎藤佑樹投手
「心のどこかで、まだやれるんじゃないか。自分の中での期待がありましたし、本気で140キロ台のボールを投げて1軍で勝てるかもしれないと本気で期待してたんで、それはあったかもしれないですね」

髙屋敷仁ディレクター
「ファームでずっと投げて肩が痛かったのもあると思うけど、思うように投げられなかったというのが」

斎藤佑樹投手
「思うように投げれなかったのが一番大きいですかね。他の選手、チームメイトを見ていて、応援する気持ちが強くなってきたというか。本当はライバルであるはずのチームメイトに対して、本気で頑張ってほしい、活躍してほしいって思ってきた。選手としての闘争心みたいなものが無くなってきているんだろうなと感じましたし、そんな中でけがでマウンドに行って、自分の思うような球を投げられない。そんな状態でも投げさせてもらっている、チャンスをもらっていることに歯がゆさを感じていたりしていたので、今回の決断に至るにはって感じですかね」

みずからの可能性を信じて、現実にあらがうように生きてきた斎藤。ありのままの自分を受け入れたとき。それが終わりのときだった。

ハンカチを捨てた斎藤 最後のマウンドへ

<10月1日>

斎藤佑樹投手
「おはようございます。今シーズン限りで引退することにしました。勝負の世界でこんなことを言ったらあんまりよくないかもしれませんが、みんなと一緒に野球ができてとても楽しかったですし、特にことし1年は充実した幸せな1年でした。いままでありがとうございました」

残された日々。チームメートに話しかける姿があった。

斎藤佑樹投手
「聞きたいことがたくさんあるから、他の選手に"なんでそんなに球速いの?"とか、"高校の時、どんな練習をしてたの?"とか。今の時間とか会話とか、大事にしたいなって思いますね」

<10月3日>

2軍での最後の登板。プロ生活の大半を過ごしたこのマウンド。

最後の1球。132キロのストレートだった。

斎藤佑樹投手
「今の自分が出せる最大限のフォーシームだったので、悔いなく投げられました。いろんなことを考えた時間が、鎌ヶ谷で多かったかなと思いますね。ここで過ごした時間は、僕の人生にとってはとても大事な時間でしたね」

今も色あせない、あの夏の輝き。その代償のように歩んできた、苦しみの日々。

最後に聞いた。斎藤はプロ野球人生から何を得たのか。

斎藤佑樹投手
「たくさんのことを知りましたね。高校、大学で結果を残すことができて、そのままプロに来て、活躍できると思ってきましたけど、やっぱりそんなに甘くなかった。ただその中から自分が活躍するために見出さないといけないことはたくさん考えましたし、考える過程が僕にとってはこの先の人生において、きっと大事なんだろうなと感じましたね」

髙屋敷仁ディレクター
「やりきったと思ってる?」

斎藤佑樹投手
「野球はやりきりました」


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