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2021年4月13日(火)

“同居孤独死”
親と子の間に何が起きているのか

“同居孤独死” 親と子の間に何が起きているのか

今、同居している親の死に気づかず子どもが放置するケースが各地で相次いでいる。一つ一つを詳しく調べたところ、仕事を持ち外からは「普通」の生活をしていると思われていた子どもが放置するケースが少なくないことが分かってきた。私たちは遺体を放置した人々を独自に取材。「早く気づくべきだった」「親に申し訳ない」。一つ屋根の下でも、生活は別々。互いに干渉しないようにして暮らしている親子。同居する親子にいま何が?

出演者

  • 重松清さん (作家)
  • NHK記者
  • 井上 裕貴 (アナウンサー) 、 保里 小百合 (アナウンサー)

"同居孤独死"親子の間に何が… 全国で相次ぐケース

保里:孤独死というと、1人暮らしの人が誰にも気付かれずに亡くなるイメージがありますが、今、家族と一緒に暮らしているのに気付かれないまま亡くなる"同居孤独死"とも呼ばれるケースが相次いでいます。

井上:高齢の夫婦で認知症などで通報できない場合もあるのですが、今回私たちが注目したのは、子どもが親の死に気付かないだけでなく、気付いた後も放置するケースです。

保里:去年、親の遺体を放置したとして同居する子どもが逮捕された事件は、取材班で把握できただけで少なくとも28件に上りました。

井上:その詳細です。親は80代が多く、子どもは50代というケースが目立ちました。中でも衝撃を受けたのが、働くなど実際社会とつながりを持ちながら、親の遺体と暮らしていた人も9人いたということです。

保里:取材を進めると、決してひと事ではない事情が見えてきました。

"同居孤独死" 親子の間に何が… 全国で相次ぐ 親の遺体を"放置"

去年の秋、私たちは拘留されていた男性を訪ねることから取材を始めました。半年もの間、親の遺体を放置し続けた40代の男性。職員にいざなわれ、軽く会釈をしてから、いすに座りました。

父親の死に気付かなかったという当時のことを尋ねると、淡々と答え始めました。

男性
「警察からは『早く連絡すればよかった』と言われました。ただそのころは、考えている余裕がありませんでした」

しっかりとした受け答え。この人が長い間、父親の遺体と暮らしていたとは信じられませんでした。この2日後に始まった裁判。男性は罪を認めて反省しているとして、執行猶予付きの有罪判決を受けました。

去年、子どもが同居する親の遺体を放置し逮捕されたケースは、取材班が把握できただけでも28件。そのうちの9件は、仕事などをしながら親と同居する子どもが引き起こしています。

会社員、配達員、派遣社員…。その多くは、50代の働き盛りの人たちでした。なぜ社会とつながりがあるかに見える人たちが、親の遺体を放置するのか。私たちは、事件の深層をさらに探ることにしました。

"同居孤独死" 親子の間に何が… 父の死気づかず"遺体放置" 当事者の告白

男性の取材を始めてから3週間後。裁判を終えた男性が役に立つのであればと、インタビューに応じました。私たちは、親子の関係を幼少期から聞くことにしました。

「幼少期、家族との暮らしはどのような生活でしたか」

父親の遺体を放置した男性
「普通に一般的な暮らしでしたけど、父親が転職が多かった人なんで、いろんな所に引っ越しをしたりはよくありましたね」

父親が30歳のときに生まれ、両親と姉の4人で暮らしていた男性。父親は、営業職や工場勤務など仕事を転々としてきたといいます。

仕事の合間を縫って親戚も交えてキャンプに出かける、ごくありふれた家族だったという男性。趣味や考え方が似ていたという父親について、こう語りました。

男性
「父親は歴史とか好きだったんで、僕も歴史が好きだったんで、小さいときは大河ドラマとか一緒に見たり、洋画見たりしていました」

「その時の、お父さんとの関係は」

男性
「普通ですよ。特に話さないとかというのではないです」

しかし、中学2年生のときに両親は離婚。男性は高校時代からアルバイトを始め、自分1人の時間を重視するようになっていったといいます。

大学進学を機に1人暮らしを始めた男性は、小売業に就職。父親と離れて暮らす生活は、10年以上続くようになっていました。

男性
「たまに電話はしてましたし、向こうからかかってくることもあったので、休みを取れるタイミングで帰ったりとか、長期休暇のときに帰ったりしてました」

事件が起きる8年前、親子に転機が訪れます。それは、父親の退職がきっかけでした。脳に持病を抱えていた父親。1人暮らしをさせるのは不安だと、姉が言い出したといいます。

男性
「姉は結婚して子どもは小さかったので、それで一緒に暮らすのは難しいかということで、僕が引き取る形になりました」

1人の生活になじんでいた男性。その変化にためらいを覚えながらも、父親とある約束をすることで同居を決めたといいます。

男性
「『動けるうちは自分のことは自分でやってね』と言っておいたので、それをちゃんとやっていれば別にいいよという形でしたね。抵抗はありましたけど、選択肢はそれしかないので、断るのは無理かなと思って」

移り住んだのは、後に事件が起きた東海地方にある家賃6万円ほどのアパートでした。その部屋の撮影が許されました。

間取りは3LDK。男性はこの洋室を使っていました。

そして父親は、扉を開けてすぐの6畳の和室で過ごしていました。

2人の共同スペースとなっていたリビング。このキッチンで男性は、生活環境が変わった父親のために食事を作っていました。

男性が仕事から帰ると、父親が風呂を沸かしてくれていたといいます。慣れない土地で始まった、2人の生活。家に閉じこもりがちだった父親の健康を気遣い、男性はある提案をしていたと語りました。

男性
「ずっと家にいると、どうしても足腰弱くなるので、動きなさいという意味で『何でもいいから仕事探しなさい』と役所行ったりとかつきあいました」

2人なりに互いを気遣い、支え合っていた親子。しかし、その存在が地域の中で知られることはありませんでした。

近所の人
「知らないですね」

「名前も聞いたことない?」

近所の人
「聞いたことないですね」

「直接あったことはないですか」

近所の人
「全然ない。ほとんど、みんな知らんと思う」

かろうじて、親子のことを知る人が見つかりました。父親が年に数回通っていた、喫茶店の女性です。

喫茶店 女性
「ここですね。ほとんどここ(の席)」

この席で父親はコーヒーを頼み、たばこを吸いながら30分ほど過ごしていたといいます。

喫茶店 女性
「(父親は)『おはようございます』とか、うちは犬を飼っているから『かわいいね』とか、そういう会話はありますね。『これピースだな、懐かしいな』と言っていましたけどね」

喫茶店 女性
「全然(地域との)交流はないと思う。孤立しているなと。男の人と息子さん2人だからなんか事情があるのかなって。息子さんのことは私も聞くんだけど、避けるような感じ、あまり言いたくない。だからあまり仲良くないのかな」

2人きりで何とか成り立たせようとしてきた、同居生活。それはどのように事件へとつながっていったのか。取材から、2人の間にささいなすれ違いが積み重なっていった過程が見えてきました。

同居から数か月たったころ、父親は警備員のアルバイトを始めました。一方、男性は、ドラッグストアに転職し、早い日には朝6時半から働いていました。親子が顔を合わせることは、次第になくなっていったといいます。

男性
「僕が帰る時間も遅く、11時くらいになっていて、その時は父親は寝ていたので、家帰ったら(自分が)まずやることって、レコーダーに撮っていたものを見ながら酒飲んで寝る」

さらに男性は、父親のある態度に不満を抱くようになっていったと明かしました。

男性
「どうしても僕がごはんとか、身の回りの世話をしていたのが、やってもらって当たり前みたいな感じになってきた」

"身の回りのことは自分でやる"と、互いに決めて始めた同居生活。父親は、その約束を守っていないように見えたといいます。

男性
「(父親は)古い人間なので、親の面倒は子がみるもんだと価値観として持っていたので、やってもらうのが当然となると、仕事しているから全部は面倒みられないよと、徐々に僕のやることを少なくしていった」

男性は、父親のために食事を作ることをやめるようになっていきました。少しでも父親と顔を合わせないように、仕事帰りに漫画喫茶に寄るなど、直接家に帰らないことも増えていったといいます。

男性
「家にいる時はゲームだったり、本読んだりとか自分していたので、そこを邪魔しないでみたいな。向こうから話しかけられたりとかはありましたけど、自分から会話するということは、あまりなかったです」

一つ屋根の下で同居しながらも、親子の関係は断ち切られていきました。そして、同居生活が始まってからおよそ8年がたった去年の2月ごろ。父親は亡くなりました。

父親が通っていた喫茶店の女性は、その異変を感じ取っていました。

喫茶店 女性
「2月終わりごろ、いつも(父親が)ここの前を通って買い物に行くから見ているでしょう。だけど、それが見えなくなって。なんだかな、病気かな、なんかおかしいなと感じたんですよ」

6畳の和室で息を引き取った父親。死因は持病によるものでした。男性は裁判で、数年前に父親の体調の異変を感じたときのことをこう証言していました。

男性
「3年前、ガタッという音がしました。部屋を見たら父親の意識がなくて、救急車を呼びました」

しかし今回、男性が父親の異変に気付くことはありませんでした。そのころ、自分だけの時間を持ちたいと趣味のキャンプに出かけ、家を不在にすることが多かったのです。

男性
「何か倒れる音とかしていれば、『どうした?』と今までどおり見ていたと思うので、その前兆をキャッチできなかったのが一番痛いですね」

さらに、このころの状況について、男性は裁判で気になる証言をしていました。

弁護士
「2月に異変を感じましたか」

男性
「全く感じませんでした。2月中からコロナで仕事が非常事態となり、余裕がありませんでした」

ドラッグストアの店長となっていた男性は、大勢の客の対応に追われていました。

男性
「マスク、消毒液、体温計。『無いよ』と言っているのに、お客さんは聞いてくるので。その対応を延々している。そのストレスはすごかったですね」

その後も男性は、父親が亡くなっているとは思わず生活を続けます。それまでも父親は知らぬ間に九州の親戚を訪ねることがあり、今回も家を空けていると考えたといいます。

男性
「九州に行っているだろうと。2週間くらい行くことが多いので、そのうち帰って来るかという」

「最後に会話したこと、覚えているのは?」

男性
「普通の挨拶くらいだったかなというのと…まあ、それくらいかな」

「(父親と)連絡はとっていなかった?」

男性
「とってないですね。そこまで気にしてなかった」

自宅では異臭がし始めていました。しかし男性が和室のふすまを開け、父親の死に気付くことはありませんでした。

男性
「(仕事で)余裕がなくて、部屋の掃除とかできなかった。部屋のトイレ掃除もやれていなかったので、(臭いは)それかなと思った。今、父親がどういう状況なのか気にしていなかったというのが、正直なところです」

「姿が見えないこと、気になったりは?」

男性
「そう思うでしょうけど、帰ってすぐ寝て、また仕事へ行く感じだったので、僕自身は本当に余裕がなかった」

途絶えてしまった親子のつながり、その死に居合わせなかったこと、仕事のストレス。いくつもの要因が重なった末の、同居孤独死でした。

男性が父親の死に気付いたのは、亡くなってから2か月後。明らかな腐敗臭を感じたときでした。しかし、男性が警察に通報したり、家族に連絡をしたりすることはありませんでした。

男性
「もうそこで捕まっちゃうんだと思ったので、だったらそのことを考えずにこのままにしようと思ってしまった。姉とかにも迷惑かけられない。その時点で誰かに相談する選択肢をなくした」

男性は、和室の前に芳香剤を置いて暮らしていました。

「父親が亡くなった中で生活できるのかなと」

男性
「そのことに関してはたぶん理解されないだろうと思うんですけど、考えないようにしていたとしか言えないですね。全部割り切って考えない。シャットダウンする」

父親の遺体を放置し続けた生活が終わったのは、亡くなってから半年後。親戚から、父親と連絡が取れないと電話がかかってきたことがきっかけでした。もう隠しきれないと追い詰められた男性は、自殺を決意します。姉に、「ごめんなさい」とメッセージを残した男性。学生時代に暮らした地方で命を絶とうと移動するさなか、姉から通報を受けた警察に逮捕されました。裁判で父親への思いを問われた男性は、こう答えました。

男性
「父を弔えなかったことを後悔しています。いつか父の弔いをしたいと思っています」

"同居孤独死" 親子の間に何が… 当事者取材から見えたこと

井上:取材に当たった、大石記者に聞きます。大石さん、男性の状況を頭では理解できたのですが、気持ちがなかなかついていかないといいますか、なぜ?という思いなのですが、男性から直接話を聞いて何を感じましたか。

大石真由 記者(NHK名古屋):取材する前は半年間遺体と暮らした人ということで、ある種の先入観を持っていたのですが、会ってみると慣れた1人暮らしを捨てて、病気の父親を受け入れて世話をするような真面目な人でした。

井上:確かなやり取りがありましたよね。

大石:はい。そして仕事に対する責任感も非常に強く、自殺を考えるほど追い込まれたときも店長の自分にしかできない仕事があり、それを終えてから死のうとしたと語っていたのが印象に残っています。

保里:周りに迷惑をかけたくないという気持ちが強かったのでしょうか。

大石:そうですね。周りを気遣うあまり、助けを求められなかったのではないかと感じました。さらに、ほかの家族との関わりも少なく、地域との関わりも少なく、社会とつながっているようでつながっていなかったのではないかと感じました。

保里:とても重い指摘だなと感じるのですが、今回の事件のように亡くなったことに気付きながら放置するという事態に至らないまでも、亡くなっていることに気付かないケースについてデータがあります。
大阪市では、ここ3年で86人。また同じ条件を東京23区に当てはめると、448人。

さらに兵庫ではその背景を分析していて、家族関係の希薄が原因とされたケースは4割近くを占めました。

井上:なぜこうした事態が起きているのか。家族を題材にした小説を多く執筆してきた、重松清さんに聞きました。

"同居孤独死" 親子の間に何が… 作家・重松清さんと読み解く"背景"

井上
「気づけなかったことについて、何が根本にあると思いますか?」

作家 重松清さん
「もし僕が母親と一緒に生活するとなったら、自分には自分の生活パターン、リズムがあるし、おふくろにはおふくろの生活のリズムもある。『自分の生活のリズムに合わせてくれ』と言いづらいんじゃないかと思う。1人暮らしは本当にわかりやすく1人ですね。しかし2人暮らしでも、もしかしたら1人暮らしが2つ、たまたま1つ屋根の下にいるだけかもしれないし。家族が一緒にいるんだから大丈夫だろうという、丸投げ感・安心感は今そこにすがり過ぎてしまうと、同じような同居孤独死は今後も起こりうるんじゃないか」

井上
「理解できないのが、見つかったあと放置し続けた事実」

重松清さん
「僕は息子さんが取材のときに、『割り切った』、『シャットダウンした』という言い方をしていて、似たような思いは僕にもどこかあると思う。忙しさのなかで『この話はもう考えずにおきたい』。新型コロナの一番パニックになっているときのドラッグストアの店長として消耗しきって、"シャットダウン"がたくさんあって、一番大事なものまでシャットダウンしてしまった感じがする。いろんなもののタイミングが最悪のだぶり方をしてしまった事件だけど、1つ1つは僕たちにも単発で起こりうるだろうし、僕たちも持っているものかもしれない」

井上
「同居孤独死というのは、どんなことを問いかけていると思いますか?」

重松清さん
「最後の最後に先送りできないものがあるわけで、それがたぶん人が亡くなることだと思う。人が亡くなっていなくなるのではなくて、そこに亡骸(なきがら)が残るわけです。それは見て見ぬふりはできない。自宅で亡くなり、なおかつ相談する家族もそばにいない、近所に相談できる人もいなくて。人が死ぬ・親が亡くなることに対して、僕たちは本当に弱いんだと思う。弔いをしなければいけない側の"底力"みたいなものが減ってきている。減ったなかで僕たちは生きているんだと思う」

"同居孤独死" 親子の間に何が… 対策のヒントはどこに?

井上:重松さんのインタビューの詳細は、下記のリンクからご覧いただけます。

保里:大石さん、どうすればこうした事態を防げるのか。取材していて、今何を感じていますか。

大石:取材の中で同居している母の死に数日間気付かなかった、別の男性と手紙などでやり取りすることができました。その際に印象的だったのは、「孤独死以上のことをしてしまった、2度とこういう悲劇が起きないでほしい」ということばです。大きな後悔を抱えた男性が強調したのは、母親とのコミュニケーション不足でした。
さらに親の遺体を放置した人たちは取り調べに対し、「どうしたらいいか分からなかった」、「怖かった」などと話し、親の死に直面して戸惑い、行動できなかった様子もうかがえました。

井上:何か1つこれが原因だったと言えないだけに難しさもありますし、やはり親子の問題だけと捉えるのもどうなんでしょう。どう思いますか。

大石:私も答えにたどり着けていないのですが、さまざまな要因が絡み合ったこの問題は、自分や周りの人たちにも起こりうることだと私たち自身が胸に留めて考えていくことが大事だと思いました。

井上:取材した重松さん、こうもおっしゃっていました。

作家 重松清さん
「家族は大切だけど、万能じゃない。何か頼りにできる"手すり"になる存在があれば、安心して暮らせるのではないか」

井上:この"手すり"ですが、「最近お父さんどう?」などと周りがひと声かけていれば、もしかしたら最悪の事態は避けられたかもしれないと。家族と一緒に暮らしているから安心だと思わず、勇気をもって声をかける。そういった姿勢が大事になってくると感じました。

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