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2020年12月10日(木)

ルポ 武漢の光と影
~パンデミック1年~

ルポ 武漢の光と影 ~パンデミック1年~

パンデミックから1年。いち早く感染拡大した武漢はいま、“新型コロナを克服した街”として観光客でにぎわい、その闘いを称える展覧会も開催。さらに経済も復調の兆しを見せている。その一方、複雑な思いを抱えているのが、新型コロナで家族を亡くした遺族たちだ。政府の初動の遅れがあったから、多くの市民が犠牲となったのではないか。そう訴える遺族らは当局の監視対象に…。徹底した感染対策でウイルスの封じ込めを行う中国。武漢のありのままの現実をネット上で日記に綴ってきた作家の方方氏は、私たちの取材にこう答えた。「中国人は自由と命を天秤にかけて、命を選んだ」と。パンデミックは世界に何をもたらしたのか…武漢の知られざる光と影から考える。

出演者

  • 多和田葉子さん (作家・ドイツ在住)
  • 武田真一 (キャスター)

“パンデミック1年” “震源地”は今…

武漢で感染が確認されて1年。ウイルスの発生源などを解明するWHO=世界保健機関による詳しい現地調査は、いまだに実現しておらず、国際社会から懸念の声が上がっています。こうした中、武漢での感染者は海外からの入国者を除き、この半年、確認されていないといいます。

武漢市民
「いまはにぎやかな街に戻りました。武漢は、もっとすてきな街になると思います。」

急激な回復を遂げているのが、経済活動です。
武漢に工場がある日系の自動車メーカーは、中国政府の経済対策も背景に、9月には前年に比べて3割以上の増産となっています。

世界経済の最新の見通しでは、主な国の経済成長率はマイナス。唯一、中国はプラス成長が見込まれています。

国が経済活動を推し進める中、企業には感染対策の徹底を求めています。化粧品の瓶のふたなどを製造するメーカーです。朝、出社時には入り口で検温。そして、新しいマスクに交換します。

社員食堂では…。

「試験みたいですね?」

「一定の距離を保つことが必要だ。同じ方向に向かって座り、話すことも禁止しています。」

従業員一人一人の電話番号や、住所などの個人情報を当局に提出。日々の体温を記録し、発熱者が出たら当局に報告しています。

メーカーの社長
「社員のSNSグループを作り、毎日、各社員は自らの健康状態を報告してもらい、各部門がまとめて情報を送っています。もし、ある社員が熱を出したり風邪をひいたら、必ず報告しなければなりません。」



厳しい感染対策は、市民一人一人にも及んでいます。
家族4人で、武漢市内の団地に暮らす、張細姣さんです。一見ごく普通の生活ですが、ことし(2020年)1月の都市封鎖以降、暮らしは一変していました。

張細姣さん
「まだ団地から出られません。」

突然、通告された、終わりの見えない厳しい外出制限。武漢では、都市封鎖と同時に、市民たちを徹底的に管理する仕組みが作られました。
各居住区に当局と通じる管理者を配置。グループチャットを使って当局の通達や感染者の情報をいち早く伝えます。また、ゲートの前では住民の出入りをチェック。さらに、1日2回の検温と報告を義務づけ、感染者が出たら病院に隔離してきました。
4月に都市封鎖が解除された後も、感染者が出た場合、この仕組みを使って居住区を封鎖します。

5月に感染者が確認されたときは、1,000万人近い市民にウイルス検査を実施しました。張さんたち住民の話題は、いまも日々の感染の状況についてです。

「きのうから14日間の隔離だって。」

張細姣さん
「ああ、隔離…。」

「私も見たよ。(海外からの入国者が)87人が隔離された。」

居住区の管理者から、「海外からの入国者の感染が確認された」との通知が来ました。

張細姣さん
「海外から来た人で、PCR検査は陽性になったことを確認した。空港についてから飛行機を降りて、地下鉄2号線に乗った。同じ時間帯に地下鉄2号線に乗った人は、居住区に自ら名乗り出てください。」

今、恐れているのが、家族の誰かが風邪などで体調を崩した場合です。

「怖くて(薬を)買えないんです。」

「どうして?」

「実名制だから。私たちは薬局で、実名制で薬を購入しなければなりません。居住区の管理者が一緒じゃないと、薬を売れないと言われました。」

「普通の風邪だけど、実際は、薬を買うことは、新型コロナの患者を探すための手がかりになっています。当局はそれを証拠に隔離する可能性があるんです。」

実際に、私たちは風邪薬を買うため、薬局を訪れてみました。

「身分証明書の提示が必要ですよ。それがなければ買えません。誰がこの薬を購入したか、体温、電話番号も含めて詳しく登録されます。国がこの政策を打ち出したのは、新型コロナ感染の可能性を壊滅したいからなんです。」

当局による厳しい管理を強いられる張さん。命を守るためには、致し方ないと考えるようになったといいます。

張細姣さん
「健康に生きることは、何よりもうれしいことだと話しています。欲望などどうでもよく、一家が健康安全に生きられればそれでいい。特に高い望みはなくなりました。収入だってどうでもいい。食べるものがあればそれで十分なんです。」

こうした中、世界に先駆けてウイルスに打ち勝ったと宣伝する中国。

「中国が世界の防疫を支援する偉大さを、世界に知らしめたのです。」

武漢市内で開かれている展覧会では、中国政府の施策の数々が紹介されています。僅か10日で大規模な臨時病院を建設し、医療崩壊を食い止めたとすること。全国各地から、医療従事者が武漢に駆けつけ、治療に当たったこと。ウイルスを克服するために闘った武漢の人々をたたえ、戦勝ムードを誇示しているのです。



こうした状況に、危機感を募らせる人がいます。
武漢のありのままの現実をつづった日記をネットで公開し、中国や海外で反響を呼んできた、武漢在住の作家・方方さんです。

時に、政府の対応を批判した日記は、幾度となく削除されてきました。

「武漢日記」より
“誰が何ゆえに、武漢の歴史上未曽有の封鎖を招いたのか。九百万人を、自宅に閉じ込めておくのはある意味奇観だが。絶対に自慢してはいけない”

私たちのインタビューに、書面で応じた方方さん。過去のすべての作品が、中国では出版できない状況に追い込まれていました。

高揚感が漂う今の中国について、独特の表現でこうつづりました。

武漢在住の作家 方方さん(書面)
「中国人は、政府の指示に従うのが習慣になっています。だから、政府の命令で九百万人もの武漢市民が、どんなに苦しく大変でも、できる限り協力しました。自由と命を天秤にかけて、ほとんどの中国人が命を選んだのです。」

この1年、当局の対応に翻弄され続けてきたのが、新型コロナウイルスによって家族を亡くした遺族たちです。

新型コロナで父親を亡くした 張海さん
「父が最後にここへ来たとき、ここに座っていた。」

その一人、父親を亡くした張海さんは、1月17日、大たい骨を骨折した父親を手術のために武漢の病院に入院させました。

張海さん
「これを見ると非常に腹正しい。彼らは大うそをついて人命を無視しているから。」

当時、張さんが信じたのは当局の発表。市内の感染拡大は制御できるとしていました。

武漢市 担当者(当時)
「人から人への感染可能性はゼロではないが、そのリスクは低く、対策を講じれば予防もコントロールも可能だ。」

さらに、当局は医師らが流した“感染に警鐘を鳴らす情報”を、デマだと打ち消してもいました。
しかし、父親の入院から3日後の1月20日…。

中国保健当局専門チームトップ 鍾南山氏
「いま、人から人へ感染すると断言できます。」

骨折の手術を終えた父親はすでに発熱していました。その後、感染が確認。

「撮っちゃダメだ!」

入院から2週間後に亡くなりました。

武漢が深刻な感染状況だと早く伝えられていれば、父を病院に連れて行かなかった。張さんは、今も悔いています。

張海さん
「おやじ、私を許してください。武漢でこれほど感染状況が深刻だとわからなかった。とても悔しいと謝りました。父が亡くなって半年以上たったが、この苦い記憶は決して忘れることができません。」

当局が情報を隠ぺいしていたのではないか。張さんは、武漢市などを相手取り、訴訟を起こそうとしましたが、受理されませんでした。

そこで、習近平国家主席に宛てた嘆願書を書き、事態を打開しようとしました。しかし…。

「ネットに情報をあげたな。」

張海さん
「何をあげたっていうんだ?」

「自分が一番わかっているだろう。」

理由も告げられず、警察署で事情聴取を受けさせられました。

「嘆願書を書いたかどうか、正直に言ってほしい。」

張海さん
「習主席への嘆願書は、郵送で中央弁公庁に送りました。」

「郵送だな?」

張海さん
「そうです。これはあなた方が言う、合法的な手段です。」

「その中で訴えを…。」

張海さん
「私は情報を隠蔽した武漢市の役人を、処罰してほしいと要望しています。一市民として、国家指導者に書簡を送るのも、私の権利です。」

張さんが解放されたのは、4時間後でした。

張海さん
「私は最後まで、責任追及をやめないです。本当に腹が立ちます。法治とは何だ?隠蔽した人を摘発しないで、隠蔽を告発した人をいじめるなんて、本当に腹立たしい。」

当局の責任を追及しようと模索する張さん。
しかし今、遺族の中には訴えることを諦め始める人も出てきました。24歳の一人娘を亡くした楊敏さんは、これまで張さんらと行動を共にしてきました。

「(遺影を)取り上げろ。連れていけ。」

「何をする!」

楊敏さん
「私のものを奪うなんて。」

しかし、その後、楊さんは当局から監視されるようになったといいます。

楊敏さん
「居住区の人が警察を連れてきて、家の出入り口を封鎖して、私を外出させないようにしたのです。」

さらに圧力は家族にも及び、“仕事を失うことになるから、政府を訴えるのはやめてくれ”と家族から懇願されたといいます。

楊敏さん
「怖いです。」

張海さん
「あきらめずに続けるべきです。恐れてはいけません。」

楊敏さん
「でも私は、この重荷を背負いたくないのです。家族の給料があるかないかで、生活が全然違うものになってしまいます。恐怖心があります。あなたの一言二言で、心の中の恐怖が取り除けるというわけではないのです。」

感染拡大から1年。遺族の声が封じられていく現実に、張さんは焦燥感を募らせています。

張海さん
「さまざまな形で抑圧されたことで、私がやっていることは、もしかして間違っているのではないかという感覚にとらわれるのです。当局がそういった雰囲気を作るのです。自分自身でも疑いを抱いてしまうこともあります。自分がやっていることは結局のところ、頑張って続けるべきなのだろうかと。」

作家の方方さんは、遺族の思いが踏みにじられている現実について、こう答えています。

方方さん(書面)
「この災難を、まるで盛大なお祭りであるかのような扱いをしていますが、実のところかなり危険であり、媚(こ)びへつらいと迎合の声しか許されず、まっとうな批判でさえ容認できない社会は、実のところ、かなり危険であり、未来などありません。」



厳しい統制が続く中、生き方を模索する人も出ています。
封鎖期間中にボランティアとして活動した林文華さんは、武漢で感染が拡大する前は、社会の問題にほとんど関心がなかったといいます。前代未聞の都市封鎖で林さんが目の当たりにしたのは、政府の支援が届かず困窮する人々の姿でした。

居ても立っても居られず始めたのが、ボランティアでした。感染者や医療従事者の送迎を行い、ネット上に動画を公開しました。

「病院に行く術がなかったから、ほんと助かったわ。」

自宅で療養する感染者に、薬を届ける活動も行いました。

「人を助けているあなたは、きっと報われますよ。」

林さんは今、社会の問題を映像で発信し続けたいと考えるようになりました。

林文華さん
「コロナは、私たちがやりたいことの後押しをしてくれました。やりたいと思っていたことをやろうと、決意させてくれたんです。」

ボランティア仲間
「みんな、どう社会に役立つか考えていると思う。」

方方さん(書面)
「あれほど多くの人が亡くなり、多くの家庭が崩壊したのです。今後も多くの人の人生に、影を落とすことでしょう。ある国の文明度をはかる基準は、都市の繁栄でもなく、軍隊がどれだけ強大かということでもなく、科学技術がどれだけ発達しているかでもありません。私が思う基準は、弱者に対して、国がどういう態度をとるかということです。」

作家 多和田葉子さん「パンデミックで世界は…」

感染を抑えたとする中国。一方、欧米や日本では今、感染制御に苦しんでいます。
今のこの事態をどう考えたらいいのか、私たちは、ドイツ在住で世界的作家の多和田葉子さんに、VTRを見てもらいました。

作家・ドイツ在住 多和田葉子さん
「私たち、みんなどこに住んでいても、コロナをこの1年で感じたんですけども、そのコロナというものが(武漢は)非常に近いというか、肌に触れてくるような、非常に直接的なコロナを体験したんだな、という感じ。ドイツ以上に。人間と人間の間が近い、それから政府の暴力も近い。肉体的に、コロナとその政治というものを体験しているっていう感じがしたんですね、ドイツより。」

国民の自由や、権利を重んじるドイツに暮らす多和田さん。武漢の現実は、権力がどこまで国民の権利を制限することが許されるのか、問いかけているといいます。

武田
「方方さんは、中国で感染拡大が抑えられている今の状況を“自由と命を天秤にかけて、中国人は命を取った”という表現をしているんですが。」

多和田葉子さん
「独裁的に政策をとったほうがスピードが速いから、だから独裁制のほうが話し合って決める民主制よりもいいんだ、みたいなね、そういう議論が起こってきてしまうことがすごく怖くて。自由を守る民主制か、それとも命を守る独裁制かみたいな、対称のさせ方というのかな。これはちょっと間違っていると思うんですね。」

武田
「一方で、日本や欧米各国は、国民、民主主義というものをあくまで守りながら、ただ感染拡大を防ぐという、そのバランスを取るということについては、必ずしもうまくいっているとは言えないと思うんです。」

多和田葉子さん
「これは、ドイツでは一番最初に言われたことで、メルケル首相も最初の公式な発言の中で、まず弱者を守ることだと。それは老人であるとか、病人であるとか。実際の政策の中では、必ずしもうまくいかなかった部分もあるんですけども、少なくとも何が大切なのかっていうことを、すぐにはっきりと分かりやすく国民に伝えたということですかね。同じウイルス、コロナウイルスというものを、世界中の人たちが今、経験していると。
それに対して、どういうふうに反応するかを見たときに、例えばドイツだったら、民主主義を壊さずに、いかにこれに対応するかということが課題になっているという気がするんですね。日本の場合はどっちかというと、なるべく、あまりいろいろ事を起こさずに、おとなしくして、うつむいて災難が済むのをじっと待とうみたいな、そういう感じに見えるんですね。どのやり方が有効なのかは、コロナウイルスに関しては、まだ答えが全然出てないと思う。」

武田
「国家が徹底的な統制によって、感染拡大を抑えつけた。一方で、抑圧に対して抗議の声を上げるという、方方さんのような方もいらっしゃる。私たち一人一人に、今改めて突きつけられていることがあるとすると、どういうことでしょうか?」

多和田葉子さん
「個人個人がどんどん新しい情報を得て勉強して、一体どういうことをしたらいいのかということを、考えるということですよね。やめてはいけないというのかな。今、私たちが知っていることはまだ全部じゃないわけで、ほとんどのことはわかっていないわけなので、やっぱり大切なのは、情報を交換し合うことだと思うんですよね。できるだけ遠くのこと、外のこと、自分に関係ないことを貪欲に知ってやろうっていうか。今こそ、それがすごく大切だと思います。」

中国のような厳しい管理による感染対策は、他の国ではできないと多和田さんは言います。私たちに問われているのは、徹底的に議論を尽くして、この危機を乗り切る方策を私たち自身で考えること。そのためにも、内に籠もるのではなく、世界の人々がどう行動しているのかを一人一人が知ることが大切なのではないでしょうか。