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2020年7月22日(水)

既読のつかないSNS ~テクノロジーでよみがえる“命”~

既読のつかないSNS ~テクノロジーでよみがえる“命”~

亡くなった家族や友人が使っていたSNSのアカウントに、死後もメッセージを送り続ける人たちが増えている。なにげないできごとを報告したり、生きていたときに伝えられなかった思いを吐露したり‥「既読はつかないけれど、スマホの中で生きているみたい‥」テクノロジーの発達によって、故人との向き合い方が少しずつ変わろうとしている。亡くなった家族の、性格、趣味、声などのデータを取り込み、AIで「人格」を再現。死後も「まるで生きているように」コミュニケーションできるシステムの開発も進められている。韓国では、ガンで亡くなった娘をVR空間に再現、親と“再会”させるプロジェクトが話題になった。「悲しみを癒やすことができた」と語る母親。しかし、「死者への冒涜ではないか」といった声も多く、ネット上で議論が巻き起こっている。遺影や墓の前で故人を弔ってきた人間。テクノロジーの発展で、死生観はどう変わり、私たちはどこに向かうのか、考えていく。

出演者

  • 島薗進さん (東京大学名誉教授・上智大学グリーフケア研究所所長)
  • 合田文さん (IT企業経営者)
  • 武田真一 (キャスター)

“亡き人と話したい…” 既読のつかないSNS

亡くなった妹に、SNSでメッセージを送り続ける女性がいます。浜田節子さん、57歳。妹の令子さんを2年前、がんで亡くしました。

“天国で見てますか? カープ バカ勝ち~”

令子さんが大好きだった広島カープの試合結果や、日常の何気ない出来事を伝えています。

浜田節子さん
「なんかいいことがあったら、すぐ送ったりしてますね。喜んでくれるかなと思って。カープ好きなんで、妹は。」

浜田さんが、SNSでメッセージを送るようになったきっかけ。それは令子さんのお葬式。悲しみのあまり、ついあることばをぶつけてしまったのです。

浜田節子さん
「お棺に入ってる妹に向かって、『ずるい』って言いました。泣きながら『ずるい、ずるい』って。なんで私より先に逝ったんかなっていう。」

5年にわたる闘病生活。本当は、ねぎらいのことばをかけたかった浜田さん。その思いを伝えることにしました。

“令子さん よく頑張ったね。お疲れさま”

“いっぱい いっぱい 天国に届け~
ありがとう ありがとう”

浜田節子さん
「口でちゃんと『頑張ったね』って言えなかったので、その代わりですかね。『本当はこう思っているんだよ』みたいな感じ。」

妹ともっと話しておけばよかった。浜田さんは、ことあるごとにメッセージを送るようになりました。その数は80件を超えています。

浜田節子さん
「心の片隅には妹が読んでいると思ってますけどね。どこかでね。」


なぜ、亡くなった家族や友人にSNSでメッセージを送るのか。NHKがインターネットで呼びかけたところおよそ100人から回答が寄せられました。

20代 男性
“送ることによってモヤモヤが晴れたり、天国の母のために頑張ろうという気持ちになれる。”

50代 女性
“仏壇に手を合わせるよりも、文字にして送った方が届く気がした。”

SNSを使うことで、気持ちの整理ができたという人が数多くいました。


スマホの中では、まだ友人は生きている。そう感じながらメッセージを送り続ける人もいます。
岡山県で暮らす、佐藤恵さん(仮名)です。3年前、親友を亡くしました。職場で知り合った2人。結婚をきっかけになかなか会えなくなり、メールやSNSで10年にわたって交流してきました。

佐藤恵さん
「子どもの写真をお互い『こんな成長しているよ』って送り合ってて。お互いの生活を大事にしながら、それでも必ずお互いの誕生日は思い出すし、『元気にしてる?』って(メッセージを)送る、送り合うっていう。」

そんなある日、親友が突然がんで亡くなりました。佐藤さんは葬儀に立ち会い、遺体に対面。友人の死をいったんは受け入れました。しかし、友人の誕生日、佐藤さんはこれまでのようにメッセージを送りました。

佐藤恵さん
「LINEの中では生きている人なんですよね、やっぱり。現実世界ではいないから、もう(友人の死を)認めざるを得ないんですけど、携帯電話のLINEの中には(友人は)生き続けているから、LINEを開けば彼女のアカウントはあるので、もうずっとそこに存在し続けてくれてるんですよね。」

SNSのアカウントがある限り、佐藤さんはメッセージを送り続けると言います。

佐藤恵さん
「これからもずっと変わりなく(メッセージを)送っていきますね。ずっと一緒に、一緒に年をとります。」

“亡き人”へのSNSのメッセージ、あなたは送りますか?


武田:亡くなった家族や友人へ、SNSでメッセージを送る。こうした動きを受けまして、フェイスブックでは、亡くなった人のアカウントを残すサービスをすでに行っています。また、ツイッターにも、亡くなった人のアカウントを残してほしいという多くの声が寄せられているということです。
ネットを巡る動きに詳しいIT企業の経営者の合田さん。合田さんだったら、メッセージを送ってみたいと思いますか?

ゲスト合田文さん (IT企業経営)

合田さん:共感しながらVTRを見ていたんですけれども。というのも、祖父がちょうど3か月前に亡くなりまして。コロナウイルスで大変なときなので、葬儀にも行けなかったんですね。見送ることもかなわなくて、祖父の死にいまだに向き合えていないところがあって、先ほどもあったように、「本当は言いたいことを伝えられなかった」「向き合うためにSNSにメッセージを送っている」というところに、すごく心を動かされました。

武田:大切な人を失った悲しみそこから立ち直っていくことを支える。それを「グリーフケア」といいますけれども、その専門家の島薗さん。SNSで、なぜこうした動きが広がっているとお感じになりますか?

ゲスト島薗進さん (東京大学名誉教授・上智大学グリーフケア研究所所長)

島薗さん:人は死ぬといなくなるんですが、ある意味では生きていますよね。心の中で生きている。その人と私のつながりは、なくならないですよね。それは、人類にとってはずっとそうだったと思うんだけども、「死んだらもういない」という、それこそが現実なんだと、そういう意識が次第に強くなってきていた。死者が生きているということを、素直に認めないような文化になってきたのかもしれない。ところが、SNSのおかげで、あるいはウェブ空間のおかげで、生きている死者と(つながりが)続いているということが、文化を超えて自然なことだと。人類にとったら、もしかしたらこちらのほうが普遍的なことなんじゃないかというふうに思ったりしますね。

武田:死者と常につながっていたいという思いというのは、形は変わっても自然なことなんですね。

島薗さん:だからこそ、いろいろな儀式もある。命日に何かをしたりする。ただ、それがかつては「共にする」ことだったと思うんですね。心の中にいるという意味では自分ひとりのことなんですが、しかし、共にする場がいろいろあった。日本人は割とそういうのは好きというか慣れているというか、お墓参りに行ったり、お仏壇に行ったり、法事があったり。それを共にやる家族だったり、村人だったり、そういう文化があったと思いますが、近代文化というのは一人一人それぞれ違う。それから、つながりもその人によって違うので、「共にする」ことがしにくい。それから、みんな孤独になってきていて、本当に大事な人というのが少ない。ですので、すそ野が失われるということは非常につらい。そういうことで、どうやったら、そういう悲しみを共にしながら自分の支えを取り戻していけるかという、そういう新しい探究の時代になっていると。だから「グリーフケア」というようなことばが、私も関係あるなというふうに、皆さんが思う時代になっていると思います。

武田:実は私も父親を6年前に亡くしたんですけれども、父のLINEに「元気?」とか書いてみたこともあるんですよ。ただやっぱり、書いてみたはいいんですけど、既読もつかないですし、もちろん返事もないですよね。だから、父はもういないんだなという事実をつきつけられた感じがして、かえって寂しくなってしまったんですが。
NHKが行ったアンケートでも、そんな声が寄せられています。多くは「心の整理がついた」という声なんですけれども、中には「何も返事がないのは悲しかった」とか「もうこの世にいないと再認識させられた」という声もあるんですけれども。

合田さん:先ほど先生がおっしゃっていたように、死をみんなで分かち合うような時間というのは、実はLINEとかでもとれるなと思っていて。例えば、私も祖父が亡くなったときに、遺影をどれにするとかって、孫とかおばとかと一緒に選んだりしたんですね。その時間は確かに祖父の死を1人で受け止めるというよりも、みんなでどういうふうにしていこうかという感じだったんですけど、ことSNSで1対1の話し合いになると、2人でしていたコミュニケーションが、いつの間にか1人になってしまうという喪失感をよけいに感じるんじゃないかなというふうに思いました。

武田:やはり悲しみを共にする、先ほど先生もおっしゃいましたけど、「支え合う」ということが欠かせないということなんですかね。

島薗さん:そういうふうに思いますが。しかし、なかなかそういう場が持ちにくい。だからこそSNSがとても身近になって、SNSを通して死者との関係を取り戻したいというふうにもなってきていると思います。しかし、武田さんもご自身のことをおっしゃいましたが、何かさっきの方のお話を聞いても少し、「これで大丈夫なのか」というね。どこへ向かっていくんだろうかという、そういう迷いのようなものもあるのかなというふうに感じました。


武田:亡き人にSNSでメッセージを送るという人たちについて見てきたんですけれども、デジタル技術の進化によって、亡くなった人と、こんなコミュニケーションをすることも可能になっているんです。アメリカで開発されたアプリでは、亡くなった人と会話をすることができるといいます。AI=人工知能に、亡くなった人の職業や趣味など100を超えるデータを入力。その人のいわばクローンを作っているんです。生前、好きだった歌も歌ってくれます。

AIアプリ開発者 ジェームス・ブラホスさん
「本物の家族の声を聞けるのです。すばらしい感覚です。(亡き人が)すぐそばにいて、いつでも会えるのです。」

武田:このアプリはアメリカですでに販売されていまして、現在500人近い人が、亡くなった家族や友人と日常的にコミュニケーションをしているということなんです。さらに、韓国では仮想現実の最新技術を使うことで驚くべき試みが行われました。

亡き人と話したい… デジタルでよみがえる“命”

ことし(2020年)2月、韓国で放送された、あるテレビ番組が世界の注目を集めました。亡くなった娘と、仮想現実の世界で再会した母親のドキュメンタリーです。
番組に出演した母親、チャン・チソンさんが仮想現実の世界で娘に会いたいと考えたのは、ある理由からでした。

チャン・チソンさん
「これが7歳のときで、こっちは6歳。」

娘のナヨンちゃんは、突然がんを宣告され、わずか2週間で亡くなりました。7年間という短い人生しか送らせてあげられなかった。そのことを謝りたかったのです。

チャン・チソンさん
「私の過ちで娘が病気になったのではと、自分を責めてばかりいました。『もっとそばにいてあげられなくて、ごめんね』と伝えたかったのです。」

今回の企画を立ち上げたテレビ局では、仮想現実の世界であっても娘に会いたいというチソンさんの願いを、半年かけてかなえました。
ナヨンちゃんをよみがえらせるため、体型が似ている子どもを160台のカメラで撮影。3DのCGを作り上げました。

表情やしぐさは残されていた写真から再現。声は生前録音されていたもの。それに、同年代の子どもたちの声を使いました。

そして、ナヨンちゃんとの再会の日。チソンさんはゴーグルをつけて、仮想現実の世界に行きました。

ナヨンちゃん
「ママ。」

チャン・チソンさん
「どこにいるの?」

ナヨンちゃん
「ママ、どこにいたの?ママ、私のこと考えてたの?」

チャン・チソンさん
「毎日考えてるわ。」

ナヨンちゃん
「ママにすごく会いたかった。」

チャン・チソンさん
「ママもあなたに会いたかったよ。ナヨンちゃん。」

短い人生しか送らせてあげられなかった。そのことを謝ろうとしたとき、ナヨンちゃんのほうから話しかけてきました。

ナヨンちゃん
「ママ、悲しいの?ママ、泣かないで。」

チャン・チソンさん
「泣かないよ、ママはもう泣かないよ。あなたをいっぱい愛するから。もっといっぱい愛するから。ママはまだやるべきことがあるから、それを終えてナヨンちゃんのところに行くね。そのとき、仲良く一緒にいようね。愛しているわ、ナヨンちゃん。」

「ずっと感じていたもどかしさや、言いたいけど伝えられなかったことを少しでも伝えることができたから、気持ちが少し軽くなった感じがします。悲しみがすべて消えたわけではないし、吹っ切れたわけでもないけど、少し気が楽になりました。」

番組の放送後、世界中から「親子の永遠の愛に感動した」といった反響の声が寄せられました。一方、「現実にいない娘を思い出させることは残酷」「心の傷を広げる」という批判的な意見も数多くありました。
デジタル技術でよみがった“命”、あなたはどう思いますか?

死生観は変わるか?

武田:ナヨンちゃんのことばは、AIの技術なども使って再現されているということです。合田さんは、お母さんの気持ちをどうご覧になりましたか?

合田さん:まず、すごい技術だなというところと、お母さんは少し救われたんじゃないかなというのと、あと、祖父が死んだばかりなので、もし現れたら私も涙せずにはいられないなというふうに感じました。

武田:亡き娘にもう一度会って、親としての思いを伝えたい。それを仮想現実で実現できる時代になっているわけですけれども、島薗さんは、こういった時代をどうお考えになっていますか?

島薗さん:今の女性の方は、本当に深い慰めを得られたんだなということが分かります。そのために長い時間をかけて、技術的にもそうですけれども、シナリオというか、自分にとってここがどうしても伝えたいことなんだという、よく考えられた上でドラマに自演したようなところがあると思いますね。こういうことで慰められるということはよく分かりますが、これだけの時間をかけて、費用もかかって、これは何度も繰り返すというふうなことにならないだろうかと。あまりに強い体験なので、もしこれが簡単にできるようになったら、それがあとによい影響だけを残すと言えるかどうか。恐らくこれで打撃があるんじゃないかと感じた人は、自分の経験に照らすと「これはちょっと」と感じたと思うんですね。そういうこともあり得ると思います。

武田:死を受け入れて悲しみを乗り越えるために、こうしたテクノロジーを使う。合田さんはどうご覧になりますか?

合田さん:今おっしゃったように、もっと簡単にみんながこれをできるようになったら、例えば仮想現実の世界に亡くなった方、例えば、おじいちゃんおばあちゃんを呼び出してお盆を一緒に過ごすとか、そういったことができるようになる世界も、もしかしたらくるかもしれないなと考えながら見ていたんですけれども。「肉体を失ったら死」というふうな私たちの死への捉え方が、一つ変わってきそうだなとは思っていて。要はデジタルの世界にもうひとつ命が生まれてくるような、そんな感覚を覚える方もいらっしゃるんじゃないかなと思うと、1つ議論のポイントとなってくると思っているのは、亡くなった方の本当の意思なのか。AIでいろいろな生前のデータを入れて、新しく自分が言ったことではないことを言わされてしまうみたいなところが、本当にその人の意思なのかというところと、はたまた残された方々の気持ちの整理みたいなところもあるので、どちらを優先していくのだろうかみたいなところは、議論のポイントになったりするのかなと思いました。例えば、臓器移植のときに意思を記しておくカードがあるじゃないですか。そんな感じで、「あなたは死後に、AIの世界に仮想現実の世界で生きていくということに同意しますか」みたいな同意書ができたりとか、そんなことも考えたりしました。

武田:ただ、テクノロジーで亡くなった人が、あたかもよみがえるというようなことが起きるとしますと、死を受け入れて乗り越えるということの妨げに、もしかしたらならないかという気もしますけれども、そこはどうなんでしょうか?

島薗さん:そういうことはあるだろうと思いますね。先ほどの韓国の方もそうなんだけれども、生き残っている人のしたいことを形に表しているんですけれども、例えば、夢に亡くなった方が出てきてというのは、多くの方は経験して、それで涙で枕がぬれるなんていう経験をお持ちの方はたくさんおられると思うんだけれども、思いがけない形で出てこられる。こちらの思うままではない、その中には辛いこともあるかもしれないというね。
グリーフケアの理論の大もとを作ったフロイトは、「喪の仕事」ということばで言いました。失った大事なものを、そのことに納得していくための長い仕事がある。心はその仕事をしていくんだということなんですがね。

そういう悲しみの仕事を行っていくというプロセス、それが何かちょっと飛び越えちゃって、「これが解決です」というふうになると少し違うなと。こちら側の思ったとおりに行くというのは少し違う。何が本当に大切なものだったかということを、だんだん分かっていくというね。その辺がグリーフケアにとっては本当は大切なところで。だからこそ1人で大丈夫なのか、何かやはり共にしながら導きを得ていくというようなことが必要なんじゃないかなと感じたりします。

合田さん:例えば、亡くなった人がいるということを受け止めていくということが今、大切だっておっしゃいましたけど、例えば、もう感じなくてもいい痛みとか、感じなくてよくなった痛み、苦しみというのもあるじゃないですか。例えば麻酔ができて、手術で苦しまず、痛みを少しでも軽減できるようになったとか。そういう人間の発明で変わってきた、痛みの軽減みたいなところもあると思うんですけれども、人が亡くなったときに出てくる痛み、苦しみということは、やっぱり感じたほうが…?

島薗さん:多くの方は、悲しみはなくてよかったとは思わない。悲しみはつらいことなんだけど、悲しみのおかげで何が大切なのかということも分かるし、自分も成長した。そして、人の気持ちももっと理解できるようになった。そういうことが大事だなというふうに思いますね。

武田:その「喪の仕事」が、こういった技術でもし実現できるとすれば、大きな力にもなり得る可能性がありますね。

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