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2019年10月10日(木)

ノーベル化学賞 吉野彰さん 開発秘話と未来への思い

ノーベル化学賞 吉野彰さん 開発秘話と未来への思い

ノーベル化学賞の受賞が決まった吉野彰さんが生出演。私たちの暮らしに革命をもたらしたリチウムイオン電池。試行錯誤を続けた日々に何を思っていたのか?環境問題への危機感や未来への展望、子どもたちへの強い思いなどを30分たっぷりとうかがう。

出演者

  • 吉野彰さん (ノーベル化学賞受賞・旭化成 名誉フェロー)
  • 武田真一 (キャスター)

“サラリーマン研究者”貫いた信念

武田:「100万分の1のバラ」。ひらめきを成果につなげるための、大切なキーワードだそうですがどういうことなんでしょうか?

吉野さん:研究を始めて、本当に成功するまでの確率というのは、ひらめきなんかも含めまして、恐らく確率的に100万分の1ぐらいなんです。100万分の1といったら、当たりくじを引くのも不可能だと思われるじゃないですか。そうじゃなくて、100万分の1って10のマイナス6乗ですから、10分の1を6回かければ、100万分の1なんですよ。ですから、各ステップごとに10分の1の確率。だから、10%の確率を確実に当てて、それを6回当たりくじを引いたら、結果的に100万分の1の宝くじを当てると。

武田:とてつもない確率のように見えて、一歩一歩上っていけば…。

吉野さん:1個1個、確実にやっていけば、必ず100万分の1のバラが手に入りますと。

武田:今夜は、サラリーマンとして研究を続けてこられた吉野さんが、いかにしてノーベル賞受賞決定に至ったのか、知られざる苦闘を伺っていきます。
そして、こんなキーワードも。「超現代史のススメ」。そして、シーズというのは、種という意味ですね。「シーズの糸をニーズの針穴に通す」。これまた、それぞれどういう意味なんでしょう?

吉野さん:まず超現代史というのは、まさに「超」とありますように、ここ10年、20年ぐらいの歴史がどうだったかということを、ちゃんと理解すると未来が見えてきますよ、という意味なんです。

武田:それは、ここ10年、20年は大体そうだと。もっと、さかのぼらなくてもいいわけですか。

吉野さん:大丈夫です。要するに、未来を予測しようとしたら、今現在から未来を見ると、どうしても、ぼけちゃうんです。ああでもない、こうでもないと。いったん10年前、20年前に戻ると、現在までの部分についても事実としてのデータがありますよね。それの延長線上に未来がありますね。ですから、10年、20年前から今現在を見ると、その先が自然と見えますよという、そういう意味合いです。

武田:そして、シーズというのが、先ほどおっしゃった、100万分の1の研究の種ということですよね。ニーズというのは、人々のニーズを針穴に通す。これもまた難しいですが、どういうことでしょう?

吉野さん:シーズというのは、自分が持っている専門的な能力とか技術とか、いわゆる種ですよね。
ニーズというのは、先ほど申したように、超現代史の見方をすると、今度は10年先、20年先はぼやっと見えてきますよと。これは研究開発がうまくいったときに、10年後、20年後にこれが必要になっていますよ。これがニーズなんですよね。
ですから、技術があって、世の中のニーズがあって、その2つを糸で結ぶと、いとも簡単に研究開発は100%成功しますよと。ところが、実際はシーズもニーズも両方動くものですからね。だから、単にじっとしているものに針穴に糸を通すのであれば、10回ぐらいやれば大体通りますよね。だけど、両方動いている中で穴を通せという、それはまさに100万分の1ぐらいの確率ですよと。言いかえますと、ジェットコースターに乗って針穴に糸を通す。それぐらい難しい。

武田:そうやって、リチウムイオン電池ができたということですが、その開発から実用化、販売まで、実は、川あり、谷あり、大海原あり、という道のりだったんです。

秘話“悪魔の川”“死の谷”…苦難の道のり

吉野さんが電池の開発を始めた1980年ごろ。リチウムという金属が、画期的な材料として注目されていました。しかし、大きな弱点がありました。
あえて、間違った電池の使い方をした実験です。リチウムは、水に触れると燃えやすい性質があります。安全を確保しないと、実用化はできない。吉野さんをはじめ、世界中の研究者がしのぎを削っていました。

吉野さんの元同僚 實近健一さん
「(電池の)安全性ですね。朝きたら、電池がないんですよ。いつもやっている場所に。どうしたんだと、そしたら壁の方に電池が飛んでて、電池の中が燃えてた。そこから、安全性をどうするか、一生懸命やった。」

試作した電池に、さまざまな負荷をかける実験を繰り返しました。実際の映像です。

吉野彰さん
「充電した電池に上に鉄の塊をバコンと落として、そういうテストとか、ライフル銃でバンと電池めがけて撃って。」

吉野さんは、当時の苦しい心境を、まるで「悪魔の川」を渡るようだったと振り返っています。実は、吉野さんは入社以来、3つの開発プロジェクトに取り組みながら、いずれも失敗。追い込まれていました。
そんなとき、ある論文が目に留まりました。もう1人の受賞者、グッドイナフ博士たちのアイデア。

リチウムの代わりに、燃えにくい「コバルト酸リチウム」を電極に使うというものでした。吉野さんは、このアイデアを採用した電池を開発。

しかし、もう一方の電極を何にするのか、課題が残りました。吉野さんが目をつけたのは「カーボン」でした。実は、カーボンと一口に言っても、分子構造はさまざまです。どの構造が最適なのか、吉野さん自身が全国の企業を訪ね歩き、サンプルを集めて、一つ一つ試していきました。

吉野彰さん
「あちこち行きましたよ。200~300種類ぐらい評価したと思いますけどね。軒並みダメでしたね。」

ある日、自社で新しいカーボンが開発されたと聞き、早速試します。すると、安定した性能を示し、ようやくリチウムイオン電池の原型が完成したのです。
そして今年。リチウムイオン電池は、新たな用途に力を発揮しました。
千葉県鋸南町(きょなんまち)の小学校です。先月の台風15号で避難所となりました。

「これがリチウム電池のバッテリーです。」

地域全体が停電に見舞われる中、この蓄電池が活躍しました。太陽光パネルから発電した電気を蓄えていたおかげで、5日間、電源を確保することができました。

鋸南小学校 校長 樋口和夫さん
「避難してきた方が、携帯電話だけでも充電させてもらいたいということで、蓄電池のほうから充電ができた。やはり緊急の時には必要だなと、すごく感じました。」

武田:大きな被害を受けた災害現場でも、吉野さんたちの開発されたリチウムイオン電池が、人々の大きな助けになっている。どういうふうにご覧になりましたか?

吉野さん:そういった、いわゆる非常時災害時に、そういう蓄電システムがありますと、例えば、電気自動車って、少しずつ普及し始めていますので、電気自動車1台は大体一般家庭2日分の電気があるんです。ですから、この間の千葉の大停電、10万戸停電しましたと。だったら、10万台の電気自動車を送ってあげれば停電なんかなくなるわけですよね。ですから、そういうシステムを早く作らないといけないですよね。

武田:台風がまた接近してますが、リチウムイオン電池で、少しでも多くの方々の助けになるといいなと思いました。そんな吉野さんが、リチウムイオン電池の研究を始めたのは1981年。入社10年目ぐらいの頃ですよね。実は、それまでいくつか研究をしながら、なかなかそれがうまくいかなくて、ようやくたどり着いたのが、リチウムイオン電池の研究シーズだったわけですが、その間はどうだったんですか?やはり、早く自分のテーマを見つけたいというような思いがおありだったんじゃないですか。

吉野さん:普通、基礎研究というのは、大体1人か2人で大体2年間ぐらい少しやってみるわけですね。当初、考えていたような結果が出るかどうかを見て、その先、継続するか、そこでやめて次のテーマに移るか、大体2年ごとに見ていくわけなんですね。私がリチウムイオン電池の研究をするまでに3つ、ほかのテーマでやりました。ということは、3つは見事に失敗しましたということですね。ただ、失敗というのは当然、失敗の原因がありますから。技術が未熟だったのか、マーケットの読みが甘かったのか、その辺に当然、反省がありますからね。次は、その辺をうまくやっていくとか、いろいろ考えながら、4度目あたりになりますと知恵もついてきますので。過去の失敗を教訓にね。それで、研究をどういうふうに進めていくと100万分の1の確率が当たるかどうかが、なんとなく見えてきましたということになる。

武田:そうして、リチウムイオン電池というテーマに巡り合って、それをなんとか物にしようと研究、開発を始められるわけですけれども。最初はプラスチックをテーマになさって、それがだんだん最終的には炭素という素材に行き着くわけですけれども。3年あまりですよね。その期間を、吉野さんは「悪魔の川」と呼んでいらっしゃるわけですが。これはどんなプレッシャーがあったんですか?「悪魔の川」と呼ぶぐらいですが。

吉野さん:基本的に「悪魔の川」は、アメリカのミシシッピ川のことを言っているんですね。東海岸から夢を求めて西海岸に向かった人がまず、ミシシッピー川にぶつかります。これが「悪魔の川」なんですよね。ですから、基礎研究は1人か2人かの非常に孤独な研究ですので。ああでもない、こうでもないと言われて新しいことを見つけていく。孤独な仕事なんですよ。ですから当然、いろんな壁にぶつかっても、誰にも相談するわけにもいかないので。その中でいろいろ苦労しながら、まだ未熟かもしれないけれど、なんかおもしろそうなものができそうだというのが、この「悪魔の川」を乗り切ったということなんです。

武田:サラリーマンとしてはプレッシャーもお感じになりますよね。周りや上司からも、早く成功を出せと言われたんじゃないですか?

吉野さん:基本的に確率の低い仕事ですので、それでめげていたら続きませんのでね。

武田:そして基礎研究の次にくるのが、製品化や事業化。「死の谷」ということですが、実は製品化した、まさにリチウムイオン電池の、これは開発された当初のものですか?

吉野さん:当初に近いものですね。

武田:立派なものができました。しかし、そのあとも、ここに至るまでも「死の谷」というものがあるわけですね。どういうことですか?

吉野さん:「死の谷」というのは、基礎研究で一応おもしろそうなものができましたよね。だけど、問題点をいっぱい抱えているわけです。例えば、評価項目が100あるとしますと、図抜けて良い特性が1つ、残りの99は全部問題点ですよと。ということは、99の問題点を解決せんといかんわけですよね。まさに、次から次に出てくる問題を片っ端から解決していかないといけないというのが、この「死の谷」なんですね。

武田:その1つの例が、先ほどVTRでもあったような、安全性のテストであったりとか、そういうことですね。当時「死の谷」の時期というのは、ほかの会社もリチウムイオン電池、高性能な二次電池というものを開発しようと、しのぎを削っていた時期なんですよね。どうだったんですか。ほかの会社に負けてはならないという思いというのは、おありだったんですか?

吉野さん:当然その時点では、まだ表には出てきませんので、開発段階ですから。当然、ほかの人たちも似たようなことをやっているなというのは、当然予想しますよね。ですから、そのときに、例えば負極に使うカーボンの材料がどれだけ優位性があるか。そういったことを考えていかないといけないわけです。少なくとも自分では自信を持っているつもりでやっていかないと、なかなか「死の谷」は乗り越えられない。

武田:「死の谷」を乗り越えるためには、例えば、ライバル企業に協力を仰ぐこともあったと伺っていますけれども、相当な決断じゃないですか?

吉野さん:そうなんですけど。旭化成は材料メーカーなものですから、電池の事業を考えたら、どうしても素人なものですから、お互い、社内で議論しても答えが出てこないわけですよ。そうすると、意外に素直に第三者の意見を聞いてみようじゃないのという。そういうことは非常にやりやすかったというのは、逆に非常に大きなメリットになったかもしれない。具体的には、電池メーカーのしかるべき人を紹介していただいて、何と何を解決したらこれは本物になるよとか、いろんな適切なアドバイスをいただきましてね。それがやっぱり「死の谷」を乗り越えられた大きな要因だったと思います。

武田:そして「死の谷」を乗り越えて、ようやく製品化にこぎつけるわけですけれども。そのあとも試練が続くと。数年間は、なかなか売れなかったそうですね。このときの状況を、まさに市場での生存競争を勝ち抜かなければならない「ダーウィンの海」と表現されているんですが、ここまで研究者として関わっていかなければならない?

吉野さん:基本的にはそうだと思います。やり方はいくつか。いわゆる分業システム。バトンタッチしていくというやり方もあるんですけれども、通してやるのが一番正しいと思います。
「ダーウィンの海」は要するに、ひと言でいいますと、世の中に新しいものが出ていったときに、当然世の中の人は初めてそれを知るわけですよね。そうすると、まず使い方が分かりません。どういう使い方をしたら、どういう利便性が出てくるとか、世の中の人に教えてあげないと売れないわけですね。ですから、多分リチウムイオン電池に限らずに、新しいものが世の中に出て行くときに、必ずそういうような「ダーウィンの海」の期間がありますと。それは、ある日突然動き出すんです。ちょうど1990年ぐらいから「ダーウィンの海」にもまれていったわけです。
突如、動き出したのが1995年になるんですよ。まさにウィンドウズ95ですね。IT革命が世界で一斉にスタートが切られました。まさに「ダーウィンの海」を乗り越えたのは、1995年ですよね。なんでこんなことが起こるかといいますと、みんな、待っているんですよ。新しい電池を使おうとする…。例えばパソコンメーカーさんとか、携帯電話メーカーさんとか。だけど、新しいものだから当然リスクがありますよね。先頭を切るのはいやだと。とはいえ、誰かが走り出したら、すぐ走れるようにしておきましょうと。そういうことで関心はあるけれども、まだ買わないよという時期が、どうしても発生するんですね。これが「ダーウィンの海」の基本だと思います。1995年に誰かがスタートしたら、一斉に、みんなわーっとスタートした。それが、もうまさに垂直立ち上がりで。IT革命というのは、すさまじい動きだったですね。

武田:ただ、まさに機が熟したということですが、そのチャンスをものにするためには、やっぱり長い川を渡って谷を越えて、海をさらに渡って、機が熟す、うまいタイミングで準備ができていないと、この波には乗れないということですよね。

吉野さん:先ほど言いましたが、先読みというんですかね。正確には読みきれないですよ。だけど、しかるべき時期に必ず、IT革命に相当するような大きな変革が起こるだろうという、ある程度の確信は必要ですよね。

武田:その確信を胸にじっと、がしんしょうたんで努力を続けてきているということですね。
吉野さんの研究成果とノーベル賞の受賞決定。今後、何をもたらしていくんでしょうか。こんな方々に話を聞いています。

世界を変えるリチウムイオン電池

2002年サラリーマンとしてノーベル化学賞を受賞した、田中耕一さん。今回の受賞は、企業に勤める多くの研究者たちの励みになるといいます。

2002年ノーベル化学賞受賞 田中耕一さん
「私自身、企業の中で基礎研究を行わせてもらうことができた。それを、たとえ発表したとしても、あまり評価されない。吉野先生が受賞されたことで、企業が基礎研究を日本の中で行っている。みんながやりがい、前に進もうという気概をもてる機会になったのではないか。」

吉野さんの研究成果は宇宙開発でも。国際宇宙ステーションでは、太陽の光で発電した電気をリチウムイオン電池で蓄電。宇宙飛行士の生活や命を守り、科学の進歩に貢献しているのです。

JAXA宇宙飛行士 大西卓哉さん
「新しいステージに、宇宙開発を導いてくれた存在のひとつだと思う。ひとりの宇宙飛行士として感謝しているし、それを使って、これから先、どんな新しい発見をできるか、とても楽しみ。」

電池に革命をもたらした吉野さん。
長年連れ添ってきた、妻の久美子さんは…。

妻 久美子さん
「ふだんは、家のことは一切手伝おうともしない。ゴロゴロしていることが多い。ノーベル賞をとるなんて、つゆとも思っていなかった。(夫が)辛抱強くやってきた、たまものかなと思う。」

武田:家では、電池が切れていらっしゃるときもあるんですか?

吉野さん:いやいや、そんなことはないですよ。週に1日、日曜日ぐらいは充電です。ごろごろ充電です。

武田:大西さんも、感謝していますというふうにおっしゃっていましたが、まさに宇宙開発まで加速させて、私たちの暮らしも、本当に大きく革命を起こすぐらいの変化を引き起こしたリチウムイオン電池だと思いますが、そういう意味では、本当にその恩恵にあずかるものとしては、これだけの20年以上にわたる苦闘があったことを改めて知って、私もやっぱり1人のユーザー市民として、本当に感謝の言葉といいますか。

吉野さん:いえいえ、こちらこそありがとうございます。

武田:電池というのは本当に必要不可欠なものですが、それを開発した方が、今ここにいるということに、すごく大きな喜びを感じております。企業で研究、開発にあたられましたが、企業で研究することのよさというのは、今、改めてどういうふうにお感じになっているでしょう?

吉野さん:例えば、大学の研究では、どちらかというと基礎研究で何か新しいものを見つけましょうというところで、大体終わるわけですよね。企業の場合は、先ほど言いましたように、その先のステップ開発、今度はマーケットを立ち上げる。まさに、世界の動きと関わり合いながら物を出していって、それを広めて、最終的にはそれで世界を変える。これは研究開発の一番のだいご味だと思いますので、それができるのが企業の研究ですよね。

武田:それは、やっぱり振り返ってみて楽しかった?

吉野さん:少なくともIT革命で世界が一変しましたよね。それは別に、リチウムイオン電池だけでということをいっているわけじゃないんですが、大きな変革で、リチウムイオン電池が非常に大きな貢献をしましたねと。それは非常に楽しいうれしい話ですよね。

武田:リチウムイオン電池が開く今後の可能性ですが、吉野さんはET革命というふうにおっしゃっています。ETということはどういうことなんでしょうか。

吉野さん:ETの「E」というのはエネルギー。過去はITですよね。「I」はインフォメーション。大きな変革が起こりました。今度の「E」は、エネルギーの分野で大きなテクノロジーの変革が起こりますよ。そういう意味のETですね。

武田:ここにリチウムイオン電池が大きな貢献をできるということは、どういうことでしょう。

吉野さん:リチウムイオン電池は、電気をためられますので、夜もエネルギーを、いったん電気という形でためられるわけですよ。必要なときに必要なところに供給する。まさに、もし災害が起こったら、緊急時にそこから電気を取って最低限必要な電力を取る。宇宙船も多分一緒だと思うんですけどね。そういう機能を持っていますので、これは何を意味するかといいますと、今、大きな課題になっています、地球環境問題。これもまさにエネルギーを、どううまく生み出して、どううまく有効に使うかということですよね。そういうときに、リチウムイオン電池が非常に大きく、IT革命で1つ貢献しました、次はこっちで貢献しなさいよと。これは実は、ストックホルムも今回の私の受賞の理由として、2つ挙げてるんですよね。

武田:ノーベル委員会も、化石燃料が不要になる社会を実現する可能性を開いたとおっしゃっていますが、まさに吉野さんの電池によって新しい時代が開ける可能性もありますか。

吉野さん:あると思います。そのためにリチウムイオン電池も、もっともっと性能を上げる努力も当然必要なんですけど、電気をためるというのは、今の地球環境問題に対して答えを出す、1つの大きな武器になると思います。

武田:吉野さんが科学を志したきっかけになった1冊の本がこちら。イギリスの科学者ファラデーという人が書いた「ロウソクの科学」。ロウソクがなぜ燃えるのかとか、ひもといた本なんですけども、これを読んで、子ども心に科学っておもしろそうだなと思ったということですね。

吉野さんは次の世代。科学に関心のある若者たちに、どんなメッセージを送りたいですか?

吉野さん:どの人も、あるどこかの時期に、誰かに刺激を受けて、こういうような分野で将来こうなってやろうという、必ずそういう局面があると思うんですよ。私の場合は「ロウソクの科学」が1つのきっかけになりました。化学、ケミストリーがおもしろそうだねと。結局それが、最終的にリチウムイオン電池までつながりましたということになったと思います。

武田:何かやっぱりおもしろがる、自分の興味のシーズを見つけると。

吉野さん:好奇心をくすぐるようなイメージですよね。無理やり、こうしなさいよと言っちゃだめなので。自然と好奇心を持って、関心を持って。すると、当然いい仕事につながっていきますよ。

武田:まだまだリチウムイオン電池、謎が残されているということですので、今後の研究に期待しております。どうも今日は本当にありがとうございました。そして、おめでとうございます。

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