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2019年10月8日(火)

ディープインパクト 名声いつまでも ~世界に羽ばたく産駒たち~

ディープインパクト 名声いつまでも ~世界に羽ばたく産駒たち~

今年7月にこの世を去った〝最強馬〟ディープインパクト。その存在は今なお国内外において巨大だ。世界中から血統を求めるオファーが殺到、子馬には5億円近い値がつくまでに高騰している。6日に行われる世界最高峰のレース「凱旋門賞」にはディープの血筋であるフィエールマンとキセキも出走。名馬が果たせなかった優勝という夢を、子や孫たちが時を越えて勝ち取るのか?挑戦の舞台裏に密着すると、知られざるディープの物語が見えてきた!

出演者

  • 高橋源一郎さん (作家)
  • 武田真一 (キャスター)

種付け料4000万円!世界が殺到

2006年の暮れ、現役生活を終えたディープインパクトは、ふるさと北海道に戻りました。遺伝子を後世に残すべく、種牡馬(しゅぼば)となったのです。子どもたちは大活躍。去年まで7年連続で獲得賞金1位となり、種付け料は1回4000万円に跳ね上がりました。

海外交渉担当 細田直裕さん
「フランスのエージェントですね。『金額問わず』となっています。」

オファーは世界中から寄せられてきました。

海外交渉担当 細田直裕さん
「名前は出せないですけれど、アイルランドだったり、英国だったり、フランスも。」

世界レベルの名馬を次々と生み出してきたアイルランド。
何年にもわたり、“ディープ詣で”をしてきたのが、世界最大のサラブレッド生産者「クールモア」です。去年、所有するディープの子どもが競馬発祥の地、イギリスの最高峰のレースで優勝。ディープのもとに優れたメス馬を送り、優秀な後継者を手に入れようとしてきました。

セールス担当 デビッド・オラフリンさん
「私たちは、彼の良さをよく知っています。彼が世界のどこにいたとしても、メス馬を送り込みます。最も優秀な種牡馬こそ、何より大事だからです。」

今、欧米やオセアニアなど、競馬をリードしてきた先進国がディープの血統を求め、子どもを次々と輸入しています。

この世を去ってもなお、名声は血統とともに広がり続けているのです。

“日本競馬を変えた”武豊騎手と名馬の夢

ディープインパクトはどんな馬だったのか。すべてのレースで手綱をとったのが、武豊騎手です。

武豊騎手
「この馬はすごいですね。走っているというより、飛んでいる感じ。」

最後の直線で鋭く伸びて、ほかの馬を置き去りにした名コンビ。GIレースで、史上最多タイの7勝を挙げました。

すべてのレースに騎乗 武豊騎手
「乗ってて気持ちよかったですよ。速いだけじゃなくてね。ストライドが大きくて、弾むような走り方だったので。本来、馬っていうのはレースで勝たなきゃいけないとか、普通は無いんでしょうけど、なんか、あの馬はあったんじゃないかなとか思いますしね。自分が勝つとみんな喜ぶなとか、人間っぽい馬でしたね。」

日本競馬界の悲願、それは世界最高峰のレース、凱旋門賞で勝つこと。武騎手は、2006年ディープとともに挑みました。現地に日本人ファンが押し寄せ、圧倒的な1番人気。しかし…。

すべてのレースに騎乗 武豊騎手
「なぜ負けたんだろうとか、ものすごく考えますし、1番は、こういう馬が負けたら、こういう雰囲気になるんだ、これはやっぱり、この馬は負けちゃいけないと思いましたね。」

日本中の夢を乗せて駆け抜けた、ディープインパクト。現役引退後の活躍を含め、日本の競馬に大きなインパクトを与えてくれたと考えています。

すべてのレースに騎乗 武豊騎手
「ディープインパクトは日本で生まれて、日本で走って、日本で種牡馬になって。こういう馬をつくりたいとか、騎手だと、こういう馬に乗りたい、明確な目標になりましたよね。ディープインパクトが。日本競馬を変えたんじゃないですかね。それは今後も続いていきますからね。」

“最強馬”に熱視線 目指すは世界の頂点

メイドインジャパン最強の名馬。今年、そのすごさを見せつける現場をカメラがとらえました。
およそ400頭の子馬が取り引きされる競り市。落札価格の平均は5000万円ほどですが、ディープの子どもは桁違いの高値で、次々と取り引きされます。

「1億8,000万円です。」

「1億6,000万円です。」

「2億1,000万円です。」

中でも、今年最も大きな注目を集めたのが、この子馬。生後5か月の乳飲み子です。

バイヤー
「まっすぐ歩かせてくれ。」

海外からやって来た多くのバイヤーたちが、目を光らせます。

「ディープインパクトの男馬は、1億円のお声はございませんか…。」

「1億6,000万円」

「3億円」

「4億2,000万円」

「4億3,000万円」

「4億4,000万円」

「4億5,000万円」

「4億6,000万円」

「4億7,000万円」

オーストラリアのバイヤー
「もちろん、ディープインパクトの血をひく馬に注目しています。当然、ほかの国のバイヤーたちも狙っていますけどね。」

ディープインパクトを生み出したノーザンファーム。世界制覇の夢に、今も挑み続けています。ディープの子どもたちの売却益などで得た資金で、世界で勝つための設備投資を行っていきました。火山灰に細かな石が混ざり、ひづめを痛めやすい土を10年かけて作り変え、柔らかな放牧地に改修。

さらに、調教のためのコースに屋根を取り付け、季節や天気に左右されない環境を整備。走る様子は、常にモニターに映し出され、どんな異変も見逃しません。

ノーザンファーム 調教担当 横手裕二さん
「ディープインパクトで凱旋門賞取れなかったのは、相当、馬主さんも、うちの人間としても悔しかった。世界最高峰と言われているレースを取りに行くという姿勢だけは、うちの会社のDNAとしては残っていると思いますね。ずっと。」

今年の凱旋門賞。ノーザンファームが世界制覇の夢を託した馬の1頭が、ディープインパクトの子ども、フィエールマンです。

持ち味は、父親譲りのレース終盤での鋭い伸び。GIレースを2勝しています。ディープ譲りの脚力を徹底的に磨くためのトレーニングを行っていました。

「ここが、天栄の坂路コースになります。」

2年前に改修した坂道の調教コース。高低差は日本最大の36mです。

飛ぶように駆けた父・ディープ。
900mのコースを1日1、2本のペースで駆け上がり、脚力を徹底的に鍛えます。しかし、坂道での調教は脚に負担がかかるリスクも。そこで、クッション性の高い素材を分厚く敷き詰めることで、脚への負担を最小限に抑えようとしていました。

ノーザンファーム天栄 木實谷雄太場長
「凱旋門賞で言えば、(レースは)2分半前後だと思うんですけども、その2分半のために、すごい長い時間をかけています。だから、その2分半のために出来ることがあれば、少しでも、どんな細かいことであれ、やっていきたい。」

ディープインパクトとともに、世界制覇の夢に挑んできた武騎手。特別な日を迎えました。フランスのGIレースで、ディープの娘に騎乗することになったのです。父・ディープインパクトが成し遂げられなかった夢を、子どもたちといつか実現させたい。武騎手の願いです。

武豊騎手
「ディープインパクトの子も、まだまだ現役もいますし、これからデビューする馬もたくさんいますから、いつかディープインパクトの子どもで、ここに来て勝ちたい。」


ゲスト 高橋源一郎さん(作家)

武田:今夜のゲストは、競馬をこよなく愛する作家の高橋源一郎さんです。私もディープインパクトの走りには魅了されましたけど、現役を引退したあとも日本の競馬界に、こんなに大きな影響を与えていたんですね。

高橋さん:競馬ファンの1人として言わせていただきますと、名馬の条件って、もちろん強い勝ち方をするって、例えば、3冠を取ると名馬と呼ばれますが、実はそれは半分で、もう1つ、名種牡馬、種馬として活躍すると。両方合わせれば、真の名馬となりますが、それはなかなかいないですね。今、種牡馬っていうのが、ディープインパクトは7年連続といいましたけど、かつても何年も連続で種牡馬としてトップになっている馬は何頭かいたんですが、それが時代を作った名種牡馬ということになるんですが。日本で生まれて、日本でいい成績を出して、ずっとトップを続けてきた種馬、日本産の名馬というのはディープインパクトが初めて。

武田:これまでは海外から来た馬だったり。

高橋さん:そういう馬だったり、活躍しても1位にまではなれなかったりということで、上り詰めて、なおかつ、ずっとその座をキープし続ける馬は初めてだったんです。

武田:ディープインパクト、“史上最強”といわれて本当に輝かしい成績を残しました。

今、お話にあったように、種牡馬としても国内だけで1600頭以上もの子どもが誕生。その子たちが獲得した賞金、お話にあったとおり7年連続で1位。中央競馬のGIレースを制した馬も37頭に上るんですね。

この影響、日本にとどまらず海外にも子どもたちを送り出していまして、今10か国以上で子どもが、種牡馬としてディープの子孫を増やしていると。高橋さん、世界中の競馬場を訪れた手記もお書きになっていますけど、ディープインパクトが世界に与えた影響、なぜこれほどディープの血が求められるのか。なぜですか?

高橋さん:ひと言で言うと、どの国の競馬生産者も強い血がほしい。どうしても、ヨーロッパでもアメリカでもオーストラリアでも、そこでのリーディングサイアー(子どもの獲得賞金が年間最多の種牡馬)なんですね。種牡馬。その種牡馬の期待値ばかりになってしまうので、海外にいる強い馬の血をいつも探しているんです。日本は残念ながら、そういう馬で注目されたことはなかった。馬が走って強いなということがあっても、その血を欲しいとまでは言われなかったんですが、初めて、日本馬として海外から、この馬の血は欲しいと強く求められた。これも初めてです。

日本競馬にもたらしたものとは

武田:だから、日本の競馬の歴史を変えたとまでいわれていると。惜しくも今年の7月に死んでしまったわけですけれども、やはり日本の競馬の歴史というのを、そういう意味で大きく変える偉大な存在と言えるわけですね。

高橋さん:今も言いましたけど、日本は長い間、世界の競馬の中では遠くで競馬をやっているなという。お金はあるけど、賞金は高いけど馬の質は大したことがない。それが90年代から海外で活躍する馬も出てきたんですね。大きなレースを勝ったり。それでも、まだ種牡馬にはどうかと。要するに最終的に求められているのは、競馬では走る馬のすばらしい血。そのことを、初めて海外で認められたのがディープインパクト。そういう馬が、今まで日本で生まれた馬としては1頭もいなかったので、そういう意味で、僕の感じは、日本の競馬が初めて本当の意味で競馬の世界史に載ったと、ディープインパクトによって。

3代の夢 世界最高峰に挑む

武田:そのディープインパクトも勝てなかった舞台。それが世界最高峰のレース、フランス凱旋門賞です。今年はディープインパクトの血を引く馬が2頭挑戦。その夢を追う人々に密着しました。

牧場をつくって80年以上。今年、凱旋門賞に初めて挑む人たちがいました。日本有数の馬産地、北海道日高町です。この牧場で育ったディープインパクトの孫が、世界最高峰のレースに挑もうとしていました。その名はキセキ。ダイナミックな走りを武器にGIレースを制しました。
牧場の3代目、下河辺行雄さんです。これまで、凱旋門賞は手の届かない夢の舞台でした。

下河辺牧場 下河辺行雄代表
「北海道の日高から出たっていうのがまた、誇りに思えるかなっていうのも思います。なかなか、そういうチャンスって恵まれませんし。」

この牧場から凱旋門賞に挑戦する馬が生まれたのは、祖父と父のある決断がきっかけでした。30年前、世界に通用する馬を作りたいと、アメリカから1頭のメス馬を買い付けます。すると、その娘がGIレースで2着に。2代目の俊行さんは、この血統を牧場の柱として育てていくことを決めました。そこで牧場は大きな決断をします。その馬に、種付け料が高額のディープインパクトを交配することにしたのです。

下河辺牧場 先代 下河辺俊行さん
「(高額な)ディープインパクトを付けるということは、それだけの心構え、リスクを持って、付けるわけです。ある程度、経営だからソロバンはじかなきゃいけない。もちろん(リスクは)ありますよ。それよりも、やっぱりなんか、夢を追っかける。」

そして、孫として生まれたのがキセキでした。
親子3代かけて作り上げてきた馬が、ついに夢の舞台に立たせてくれることになったのです。

下河辺牧場 下河辺行雄代表
「先代、先々代が一生懸命、土を作って、草を作って、日高に馬産っていうものを根づかせてくれた。それを自分たちが継いで、育ててきたという自負はありますし、思い入れっていうのは、すごくありますよね。」

決戦の舞台はフランス。キセキは、8月半ばから現地で調整を続けていました。
3年間付きっきりで世話をしてきた、清山宏明さんです。清山さんは、キセキの走りにディープの面影を感じていました。

キセキ担当 清山宏明調教助手
「乗っている者から感じる、膝元のさばきの軽さというのは、ディープインパクトの軽やかさと能力の高さはしっかり遺伝していると思う。」

凱旋門賞に挑むにあたって清山さんは、簡単には勝てない1つの理由を見つけました。注目したのが、地元で調教されている馬たちが毎日歩く「遊歩道」です。

キセキ担当 清山宏明調教助手
「滑るんですよね。踏むときに、蹴るときに。だから余計に力を入れて踏ん張って歩いていかないと、前に進めない。」

フランスの競馬場は日本よりも芝が深く柔らかいため、蹴るには、より強い力が必要です。この深い土に勝てる脚力が必要なのではないか。清山さんは、新たな課題を見つけていました。

キセキ担当 清山宏明調教助手
「フランス競馬の馬たちが凱旋門賞に勝っているのは、こういうところに何かある。だから早く、その答えがどこにあるのか、自分たちの中で模索しながら。」

98回目の凱旋門賞、当日。
コースには、1週間ほど前から降り続いた雨の影響が出ていました。柔らかな芝と土が多くの水分を含んで、ぬかるんでいたのです。日本の競馬場にはないほど厳しい条件の馬場になっていました。柔らかな馬場は、序盤からスタミナを容赦なく奪っていきます。最後の直線、キセキをはじめ、日本の馬たちの走りから力強さがなくなりました。いずれも、下位でのゴール。世界制覇の夢、牧場の初めての挑戦が終わりました。

下河辺牧場 下河辺行雄代表
「亡くなった先々代の祖父も含め、つないで積み重ねてもらったものに、僕は連れてきてもらっている感覚。本当に感謝。(ディープインパクトの)血統も日々の管理も、明日から積み重ねて、来られたらいい。」

凱旋門賞に挑戦することとは

武田:なかなか手が届かない。でも手にしたい。凱旋門賞の価値ってどんなものですか。

高橋さん:よく、凱旋門賞ってなんですばらしいんですかって言われるんですけど、すごく簡単に言うと、今の競馬はイギリスで発生したんですね。250年ぐらい前。今の3冠のスタイルも全部イギリスで作ったんですが、それを見て、同じように競馬をやっていたフランスが作ったのが、世界チャンピオンを決めるワールドカップみたいなもの。そういえば分かると思いますが、最初はパリ大賞典を150年ぐらい前に作ったんですが、それはそんなにうまくいかなかった。およそ100年前に作ったのが凱旋門賞で、イギリスの最高の馬とフランスの最高の馬、それにほかの国からも集まって、真のチャンピオンを決めると。イギリスも作ったんですが、そっちもそんなにいかなくて。結局、今でも芝の世界の最高のレースは凱旋門賞ということで、ワールドカップですね。

武田:だから、なんとしても勝ちたい?それを日本馬が勝てば…。

高橋さん:歴史的ですね。凱旋門賞はヨーロッパ調教馬以外で、勝った馬はいないので。それをもし、日本馬が勝ったら競馬の歴史が変わる。変えたいですね。ワールドカップで勝つようなものですから。

武田:キセキという馬が出てきましたが、父がルーラーシップという馬で、母の父がディープインパクト。そういう意味で、私たち分かりやすくディープの孫と呼ばせていただいていますが、生産牧場もディープの血を入れるのは相当なチャレンジだったと。

高橋さん:さっきも言っていましたし、種付け料が4000万ぐらいします。1回つけてしまうと元に戻らないので、ある意味、特に小さい牧場にとっては牧場の進退をかけての勝負だった。でも、それにディープインパクトも応えてきた。それが信頼だったんですね。

“最強馬”名声いつまでも

武田:高橋さんは武豊騎手とも親交があるようですが、日本でトップジョッキーですよね。それでも海外に挑戦する。その意味は何というふうにおっしゃってるんですか。

高橋さん:親交があるというほどではないんですけども、お話もしたり、彼を追いかけてフランスやアメリカに行ったりしました。彼は、本当に初期から多分、デビュー3年目ぐらいから海外遠征をして、特にリーディングジョッキー、トップになってから、長期の遠征をしてるんですね。アメリカ、フランスに1年、2年。ある意味、収入を失う覚悟で行って、一からやると。そういう騎手はほとんどいなかったんですね。日本のトップジョッキーが世界を目指すということで、恐らく彼の中に役割意識ですね。つまり、競馬ってもともと世界的なものなのに、騎手や馬や調教師が飛び出さなくてどうする。僕が先頭に立ってやるということで、続けてこられたんじゃないでしょうかね。

武田:そうしたいろんな人のチャレンジ精神によって、今、日本の競馬がどんどん羽ばたこうとしているわけですが、凱旋門賞は日本馬の初挑戦から50年。なかなか勝てない。これ、いつ勝てるのかと。気が遠くなりそうなんですけど、それでも諦めないことってどういうことなのでしょう。

高橋さん:競馬というのは、もともと1頭しか勝てない。勝者は1人なんですね。そういう意味で、いつも競馬に、騎手も、調教師も、生産者も、競馬ファンも含めて、みんな見果てぬ夢を追う。その頂上にダービー馬がいたり、名馬がいたりする。そう考えると競馬は、250年以上前にイギリスで生まれたんですけど、そのころから1頭の不滅の名馬を作ろうと、見果てぬ夢を追いかけてきたものだから、そういう意味では、ずっと競馬は発生以来、同じように不可能な夢に挑戦し続けてきたんじゃないですか。今年で98回ですね。100回目の記念ぐらいに勝ってもらえるとうれしいですね。でも、すでに2着には何度かなっていますし。僕は、実はそんなに難しいことはないんじゃないかという気もするんですけどね。

武田:僕も好きで買うんですが、負けてばかりで。それでもやっぱり、人生諦めちゃいけないんだよということを学ぶために買っていると妻に言うんですけど、なかなか理解されないです。

高橋さん:つらい勉強ですね。20年前には日本馬が海外で活躍できるなんて、誰も夢にも思わなかった。それが、もうすぐ勝てるところまできたので、もう少しですね。僕が生きている間に勝ってほしいです。

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