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2019年7月24日(水)

独占密着!3万年前の大航海 日本人のルーツに迫る

独占密着!3万年前の大航海 日本人のルーツに迫る

なぜサピエンスだけが大海原を越え日本列島に到達できたのか?この謎に挑む人類学者や考古学者たちが、実際に古代の技術や道具で製作した船で、台湾から沖縄へ渡海する実験に挑んだ。苦節6年間の挑戦の末、ついに今月、初めて200kmの航海に成功、人類学に大きな一歩を刻んだ。 NHKはプロジェクトに独占密着。大海原で繰り広げられた苦闘の航海の裏側を初公開。冒険を可能にした人間ならではのチカラとは?

出演者

  • 田中道子さん (古代舟のこぎ手)
  • 宮田裕章さん (慶応義塾大学教授)
  • 石井光太さん (作家)
  • 武田真一 (キャスター) 、 高山哲哉 (アナウンサー)

独占密着!3万年前の大航海 日本人のルーツは?

武田:日本列島に、私たちの祖先がどうやって渡ってきたのか。それを実際にやってみることで確かめてみようという壮大な実験ですね。

高山:まずは、日本列島には、人類は3つのルートからやって来たと言われているんです。陸続きだったり、距離が短い。これは比較的困難ではなかったというふうに考えられているんです

謎はここなんです。今なお、この「沖縄ルート」は謎に包まれていまして、海の距離が長いんですよね。プラス、黒潮が流れていまして、強い流れですから、これを越えるのは困難であろうと。

実際に、これまで実験が行われてきたんですけれども、一度も成功していないんです。

こちらは、2016年、草を束ねて作った舟で挑んだんですが、草が海水をどんどん吸収して、舟が重くなって前に進めなくなり、断念。失敗に終わりました。

今度こそはと、翌年に竹で作ったイカダで、浮力はあるんですが、スピードが出なくて、黒潮に打ち勝つことができなかったんです。

高山:こうした実験を行ったのは、国立科学博物館のプロジェクトのメンバーの皆さんなんですけれども、とにかくどうしたらいいんだろうと途方に暮れている中、あっ、これがあるじゃないかと。

これは古代の石の斧なんですけれど、これなら何とかなるんじゃないかと、これで作ったのがこちらです。丸木舟。木をくりぬいて作ったんです。

これでダメなら、もう沖縄ルートの謎は解明できないんじゃないか。背水の陣で、3度目の航海に挑みました。

武田:この大航海の舞台裏では、本当にさまざまなドラマがあったんですよね。今夜初公開の独占密着映像でお届けします。


ナレーション 満島ひかりさん(女優)

今夜は、沖縄で育った私、満島ひかりが、3万年前の航海にご案内します。プロジェクトのメンバーが出発地の台湾に入ったのは6月下旬。日本を代表する人類学者の1人、海部陽介さんがリーダーです。

国立科学博物館 海部陽介さん
「3万年前の人を理解するというのは、ある意味、人間をもっと深く理解することだと、僕は思います。どれだけすごいことだったんだろうと知りたいので、自分でやるしかないかなというのを強く思いました。」

キャプテン 原康司さん(シーカヤックガイド)
「いつでも出艇はできる状態に持っていきました。」

舟をこぐのは海のエキスパートたち。カヤックのガイドをはじめ、経験豊富な男女7人が集められました。

アウトドアメーカー社員 田中道子さん
「古代の人が熱い気持ちで島を探すって、どんな気分なんだろうとか、与那国を絶対見つけたいとか思う気持ちが強くなりました。」

キャプテン 原さん
「海の上っていうのは基本的に道がない。自分で道を作る。それがおもしろいですね。(祖先の姿に)近づきたいだけ。少しでも同じ風景を見たいだけ。」

7月7日、七夕。

「行きましょう。」

午後2時38分、いよいよ3万年前の航海の船出です。地図やコンパスなど、現代の機器は使いません。太陽や星の位置など自然のシグナルだけを頼りに航海するのがルールです。

海部さんは伴走する船に乗り、丸木舟の安全を見守ります。沖に出たとたん、海は荒れ始めました。

海部さん
「ずいぶん、うねりが出ています。あまり良い状況ではないと思います。」

横からのうねりで、容赦なく海水が舟の中に。

こぎ手の1人が排水にかかりっきりになっています。

キャプテン 原さん
「浸水は結構ありましたね。かなり危ない状況ではあったんですね。結構、耐えていました。あの時間は。」

海部さん
「すげー入ってる、ホントに。」

実は、丸木舟は当初、浸水によってバランスを崩し、まともにこぐことすらできませんでした。

「仮止めでちょっとやってみる?実験してみる。」

そこで、浸水を防ぐため、舟の側面に竹の棒を取り付け、前後を覆う工夫を加えました。

「こっちのほうがいいか。このへんにしようか。」

より軽く、バランスよくするために何度も表面を削るなど、少しずつ改良を加えていったのです。

海部さん
「どうぞ。」

出航から2時間、緊急用の無線で、こぎ手キャプテンの原さんが呼びかけてきました。

キャプテン 原さん
「海水温がぬるくなってきた、温かくなってきた感じです。」

海部さん
「了解です。これは明確な黒潮のサインですね。」

ついに世界最大級の海流、黒潮に突入です。北に向かって、秒速1メートル以上の速い流れが、幅100キロも続く黒潮。横断するために考え出されたのが、最短ルートではなく、台湾の南から出発し、黒潮に乗って斜めにこぎ進むルート。当然、こぎ手の負担は大きくなります。

海部さん
「この海流の存在は、昔の人たちも知っていたはずで、流されながら島を目指すという、そういう作戦を立てただろうと。」

舟の最後尾。田中道子さんがしきりに後ろを振り返ります。

田中さん
「ちょっと北に向かってる。」

かじ取り役の田中さんは、遠ざかる台湾の形を見て、舟の位置と方角を判断していたのです。

海部さん
「これはやばい。星が見えんぞ、これは。」

最初の夜を迎えた丸木舟。

針路の手がかりは、七夕の空に輝く星、織り姫のはずでした。しかし、空にはぼんやりと光る月だけ。頼みの星は見当たりません。見渡す限りの闇。荒れた海に浮かぶ丸木舟は針路を見失いかけていました。

キャプテン 原さん
「たぶんすごい蛇行してたと思うんですよね。その指標になる星が断片的にしかでない。辛抱するしかないですね。」

果たして、太古の日本人は、この大海原を渡る技術を持っていたのでしょうか。

高山:結構ずっと続いてますよ。黒い石の層、わかりますかね?

伊豆半島の沖合40キロの神津島。ここに、日本人の祖先が海を渡っていた証拠があるんです。

高山:割れた、黒い黒い。

それがこちら、黒曜石。こんなふうに、ナイフ代わりに使ったと考えられています。

高山:初めて見ました。石で鶏肉を切る。

神津島の黒曜石は、関東一帯の遺跡で数多く見つかっています。海を渡って石を取りに来ていたのではないか。

つまり、3万年以上前の祖先が、高度な航海技術を持っていた証拠だと考えられているんです。

海部さん
「今、ようやく北極星が見えたので。」

針路を見失いかけてから7時間後。ようやく星が現れ始めました。東の空に輝く織り姫を頼りに、夜通しこぎ続けます。そして迎えた朝。手がかりの少ない闇の中でも、何とか正しい方向に進んでいました。

ところが…。

海部さん
「今、彼寝てるかなひょっとして。原君、横になって寝てるね。」

夜通しこいだ疲れが出たのか、舟の上で仮眠を取り始めました。田中さんはこぐ手を止めて、りんごをかじっています。

海部さん
「今は何か止まってますね。飛び降りた?たぶんトイレでしょう。」

太陽が昇ると、気温は33度を突破。強い日ざしが、こぎ手の体力をさらに消耗させます。台湾から120キロまで進み、方角の頼りになる陸地はもう見えません。

すると…。

海部さん
「これ以上東に行くと、ちょっとまずいかなと思い始めているんですが。」

海部さんの様子が慌ただしくなります。

海部さん
「もうはっきり言って外れている。途中までまっすぐ行ってたんだけど、このあたりで流れが変わって、だんだんこっちにそれてきた。実は与那国はここにあるんです。今こっちへ行こうとしている。」

順調に北東に進んでいた舟が、今度は真東へ。このままでは、与那国島を捉えることはできません。さらに…。

海部さん
「そして、まったく逆方向に行きだした。西ですね。迷走が始まっちゃっている。東に向かっていて危ないなと言っていたのが、今は実は逆走が始まっています。北へ向かい、今は西へ向かい始めちゃっている。」

原因は、真上に昇った太陽。東西を示す手がかりが使えなくなっていたのです。航海始まって以来、最大のピンチです。

海部さん
「どういう終わり方をするか、そろそろ考えなきゃいけない。」

与那国島まではまだ100キロ以上。このまま航海を続けるか、海部さんは決断を迫られていました。


ゲスト 田中道子さん(古代舟のこぎ手)

ゲスト 宮田裕章さん(慶応義塾大学教授)

ゲスト 石井光太さん(作家)

武田:こぎ手の1人、田中道子さんにお越しいただきました。いやぁ、お疲れさまでした。

田中さん:ありがとうございます。

武田:大海原のど真ん中で、自分の居場所は分からないですよね?

田中さん:方角は分かっていても、やはり海のどこにいるかっていうのは全く分からないので。

武田:方角は星や太陽を見るそうなんですけれど、それが見えない時は何を見るんですか?

田中さん:それが見えない時は、風とか海のうねりとか、そういう情報をしたり、時には、こぎ手の排せつ物とかを見たりとか、そういうので流れを。

高山:流れるから、方向がこっちだとか?

田中さん:そういうのもやったりとか。

武田:でも、居場所が分からないと不安ですよね。

田中さん:不安ですけれども、こぎ手みんなでいろんな情報を、自然の中の変化を見つけて一生懸命方向を見極めていきました。

武田:宮田さんは、プロジェクトリーダーの海部さんと話してこられたそうですけれども、どんな点に興味を持ちましたか?

宮田さん:海部さんからは、今回のルートは大陸から押し出されて漂流して、偶然たどりついたものではないと。歴史の1ページの中で、大陸から日本人が渡ってきたと書かれているんですが、ここにやはり明確な意志と覚悟があって海を越えてきたんじゃないかと、こういうお話なんですが、実際、体験されていかがでしたか?

田中:偶然じゃないですね。やっぱり、本当に厳しい、もう針の穴を行くような感じではあるので。偶然だと行けないっていうのが、今回やって、はっきり分かったと思います。

武田:針の穴をどうやって行ったのかということなんですが、ちょうど舟は台湾と与那国島の真ん中辺りで方向を見失ったように見えました。その状況をどう打開したのか、続きをご覧ください。

舟は迷走を続け、2時間が経過。

海部さん
「大丈夫かな。」

不安を募らせる海部さん。しかし、丸木舟のキャプテン原さんは、冷静に進むべき針路を探していました。

キャプテン 原さん
「南中時(太陽が真上)で(方角が)わからなかったときに、島がありそうな雲が何個もあったので、それをちょっと目指して見えるかどうか行ってみようみたいなことをしていた。太陽が傾いたので。これは東じゃないな、こっちに行ったら南になるというので修正を入れたんです。」

実は迷走ではなく、島影を求めて舟を動かし続けていたのです。

海部さん
「2時間ぐらいロスしましたからね。ここからが勝負。明るいうちに島を見つけられるかどうかです。」

こぎ手たちの体力の消耗を心配する海部さん。すると案の定、休憩が増え、舟のスピードが半分にまで落ちてしまいました。

「目標見つからない。」

この時、大海原の真ん中で、原さんは3万年前の祖先に自分を重ねていました。

キャプテン 原さん
「クルーが疲労困ぱいで、こぐ気力もなかったんで、一瞬思ったことは、3万年前の人も相当怖かっただろうなと。すごい怖い思いをして海に出たんだろうな。」

その時、こぎ手の1人が勢いよく海の中へ。次々に飛び込むこぎ手たちから聞こえてきたのは、意外にも笑い声でした。

海部さん
「みんな飛び込んでる。」

キャプテン 原さん
「一人が欠けてもだめなので、みんな結構やっぱりきついのでね。いかに面白おかしくするとか、きついところはまたやる気に変えていくとか。」

厳しいときにこそ相手を思いやり、支え合うことができる、私たち人間。

海部さん
「目標のために自分を律して我慢するだとか、何かそういうことって僕らしますよね。旧石器人だって当然これ持ってないと(航海)できるわけないと思うんですよ。」

2日目の夜、日中に島を発見できず、航海は予定より大きく遅れていました。

少しでも進みたいはずの舟では…。

海部さん
「もう今寝てる。」

なんと舟をこがずに全員で休息に入る決断のようです。当初の予定にはなかった行動です。

海部さん
「丸木舟まだ漂流しているでしょ?」

与那国島のはるか北に流されてしまうかもしれない危険な賭けです。休息から、すでに4時間。

海部さん
「スギメ(丸木舟)が向こうにいます。今どうしているんだろう。」

朝5時前、ようやくこぎ手たちが動き始めました。

取材班
「体調はどうです?」

キャプテン 原さん
「体調はいいです。寝たんで。」

寝ている間に、一体どこに流されていたのか。方角は北東。なんと舟はまるで与那国島に導かれるように、真っ直ぐと流されていたのです。

キャプテン 原さん
「いずれ島が見えてくるだろうという思いがありました。こぐ必要がないです。あとは勝手に潮が運んでくれる。自分の経験則のなかでは、あそこがそのラインに来てたので、じゃあ寝ようかと言って寝たんです。」

黒潮に逆らうのではなく、その力を借りれば、与那国島にたどりつける。原さんはこれまでの航海の経験から、そう確信していたのです。

キャプテン 原さん
「ほんのちょっと人間が工夫すれば、そういう繰り返しやった知識さえあれば、黒潮が島まで運んでくれる大きな今でいればエンジンみたいなものだったり、動力だったり、それを利用しない手立てはないというか。本当に人間らしさですよね。そうあるべきだと僕は本来思います。それが本当のこの星に生きる人間の能力だと思います。」

そして朝6時、ついに目の前に与那国島が現れました。

海部さん
「陸地ですね明らかに。最高ですよ。このためにやってきたんですから。これを見るために、ずっとやってきた。いやぁすごい。」

プロジェクト開始から6年。当初の予定を超えた45時間の大航海でした。



武田:田中さん、感極まったゴールでしたけれども、航海の途中は、やっぱり極限状態だったんじゃないでしょうか?

田中さん:2日目の夜はもう疲労困ぱいして、結構こぎ手の人たちは、本当は見えてないものが見えてしまったりとか。

武田:見えてないもの?

田中さん:島探しに入っていたので、光を探していたんですけれど、「あそこに町明かりがある」っていう感じで、こぎ出していくと、光が何も見えなくなって、また「あっちにも光がある」って言っても、また見えなくなって。で、1人の人が「もう休もう」ということで、「もう疲れてるから、もう休もう」というところで、みんな休憩を取ることになったんですけれど。本当に見えないものが見えてしまいました。

武田:石井さんは、人類の歴史にも関心があって取材もされているということですけれども、田中さんにお聞きになりたいことはありますか?

石井さん:人類の歴史というのは、助け合いの歴史でもあると思うんですよね。人類って、ものすごく弱いんですけれども、それは助け合うことによって、獣から身を守ったり、農耕したり、狩猟したり、そして社会をつくっていく。本当にずっと助け合うことによって発展してきたものがあると思うんです。実際、今回のこの舟の旅というのは、まさに助け合いだと思うんですけれども、田中さんが体験した、この舟の中の助け合いというのは、どういったようなものだったんでしょうか?

田中さん:言葉なくして、みんなで連携して水を出すとか、こぐとか、そういうのはもちろんあったんですけれども、そういう優しい言葉とか、そういうのだけじゃなくて、時に厳しい言葉とかも、甘えが出ると、この自然の中では太刀打ちできないというところがあって、そういう言葉がけもあったと思うんですけれども、私にとっても、それはすごく、逆に「やるぞ」っていう気持ち、そういう気持ちを奮い立たせてくれたところがあったと思います。

武田:厳しい、お互いのやり取りがありながらも、絆はやっぱり。

田中さん:もちろん、そうですね。同じ与那国を目指すという熱い気持ちは持っていたので。

武田:そう考えると、人類ってやっぱりすごいなと思うんですけれども、いかがですか?

宮田さん:ネアンデルタール人など、ほかのヒト族は歴史から消えていく中で、なぜホモ・サピエンスだけ残ったか。まだ明確な結論はないんですけれども、ホモ・サピエンスだけは可能であった1つが、まさに今回の挑戦ですよね。長距離航海で海を越えるということなんです。田中さんたちの挑戦からは、個々の力が弱くても協力していくということだったり、あるいは、お互いに考えを共有して目標に向かうっていうこと、あるいは好奇心、探求心、これで新しい生き方とか、新しい多様な生き方を切り開いていく、こういったことが我々学べました。
農業革命とか、産業革命、人類の転換点ってあるんですが、これってやっぱり1人ではできなくて、新しい価値を共に創造するということで生まれてきたと。現代を生きる我々の課題を考える上でも、この挑戦というのは、非常に重要な示唆を投げかけてくれたかなと思いましたね。

石井さん:僕、自然の中で生きるって厳しいことだと思うんですね。でも、やっぱり人間の特性って、その中でも夢とか希望を描けることだと思うんです。ここが動物と違うところで、僕は実際、少数民族の人とかと一緒に暮らしたことあるんですけれど、皆さんやっぱり、山の向こうに何かがあるに違いない、ユートピアとか、そういったものを描く。だからこそ、今ものすごくつらいんだけれども頑張ろう、そして明日への希望に結び付ける。人間っていうのは、本当につらい中でも、そういった希望や夢を抱くことによって、そして明日を見て、明日に進んでいくというような生き物だと思うんです。その昔、日本に来た人たちというのは、舟で本当に5人の男と5人の女性がいれば、子孫繁栄するということだったと思うんですけれども、そういったような人たちが、そういった希望を抱いて日本に来ました。その時にどういった希望を日本に描いていたのか、どういったような夢を描いていたのか、そういったことを今一度、考えてみたいなと思っています。

武田:どんな思いで海にこぎ出したんでしょうかね。田中さんは何を感じられましたか?

田中さん:夢ばっかりじゃなくて、やっぱりここから出たいという、やっぱりマイナスの部分も何かあった、出なきゃいけないという気持ちもあったんじゃないかって。夢ばっかりを追って行ったんじゃない、どうしても出なきゃいけない状況があったんじゃないかなっていうのを、今回、そういう海と向き合って感じました。

武田:出なきゃいけない状況?

田中さん:何かここから、しがらみとか、何かあったりとか、そういうプラスだけじゃない、そういうマイナス、命を懸けてでも何か新しい光を見つけたいという。

武田:それはやっぱり行きたいっていうこと?

田中さん:もちろん、そうですね。行って何かを変えたいという。

武田:本当にお疲れさまでした。

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