クローズアップ現代

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2019年4月17日(水)
死にざま指南 看護師僧侶が説く

死にざま指南 看護師僧侶が説く

自宅で最期を迎えたいと望んでも、実際には多くの人が病院で亡くなる日本。今、自然な最期を迎える方法を説く女性が共感を集めている。看護師であり僧侶でもある玉置妙憂さん(53)。夫を看取った体験から臨床宗教師となり、死の間際、肉体と心に起きる変化の詳細や自宅での看取りに必要な準備などを指南している。さらに、アジアで「死の質・QOD」が最も高いとされる先進地・台湾を取材。死は敗北ではないと語る玉置さんと、死にゆく人に寄り添うために何が必要かを考える。

出演者

  • 玉置妙憂さん (看護師・僧侶)
  • 宮田裕章さん (慶應義塾大 教授)
  • 石井光太さん (作家)
  • 武田真一 (キャスター) 、 高山哲哉 (アナウンサー)

死にざま指南 ~看護師僧侶の取り組み~

看護師の専門学校の卒業式。現れたのは、剃髪した作務衣姿の女性。

玉置妙憂さん(53)
「みなさんおはようございます。今ご紹介あずかりました、玉置と申します。
皆様方の勉強されてきたカリキュラムの中に、死ということをきちんと学ぶ時間がありましたでしょうかね。」

学生たちに、人の死について問いかけたのは、玉置妙憂(たまおき みょうゆう)さん。
現役の看護師であり、そして高野山で修行した僧侶でもあります。
玉置さんは、死に向き合ってきた経験を今年、一冊の本にまとめました。

(玉置さん朗読)
今は昔と違って死が身近でなく、経験値がありません。死にゆくとき、人の心と体にどのような変化が起こるのか。看取る人が、どう行動すればいいのか。そのようなことを知っておくことで、「ああすればよかった」という後悔を減らすことが出来るかも知れません…。

本では延命治療をせず、自然な死を迎えるときの心と体の変化が詳細に描かれています。

(玉置さん朗読)
死の予兆は、おおむね3か月前から現れ始めます。
多くの場合、始めに現れるのは、内向きになることです。人に会ったり出かけたりしなくなり、テレビや新聞も見たくなくなります。
その代わりこれまでどういうことをしてきたかなどしきりに話したりします。一生懸命自分自身の人生の整理をしているのです。
もうじき死ぬということは、ごくあたり前として食は細くなります。周囲はそれが分かりませんから、心配して病院に連れて行きます。栄養を入れれば餓死は免れます。とはいえ、着地体制に入った人がもう一度元気になって歩けるようになる、ということではありません。

玉置妙憂さん
「死というものが操作できるようになってしまったということです。選択することになっちゃったんです。昔はシンプル、食べられなくなったら、飲めなくなったら選択する余地なく終わりだったんです。だけれど今は直接、胃に栄養入れることが私たちにはできます。心臓が止まると思ったら、薬を使って動かすことができます。一体どこで死の線引きをしますかというのが曖昧になっちゃったんです。」

(玉置さん朗読)
死までの期間が1か月を切ると血圧や心拍数などが不安的になり、肌や爪、手足の血色が悪くなります。
亡くなる2週間から1週間ほど前になると、たんが増えて、のどからゴロゴロ音がします。苦しいだろうと心配になりますが、端から思うほど本人は苦しくないと言われています。

亡くなるまで24時間を切ると、あごを上下に動かしてする下顎呼吸が始まります。人が亡くなる際の自然なプロセスです。

心停止の前に、それまで出なかった尿と便がいっぺんにバッと出ます。血圧が低下して体中の筋肉が緩むためです。
そのおかげで亡くなった後の体の中はきれいに空になっています。人は自分で自分の体をきれいにして、亡くなるのです。

玉置妙憂さん
「人のためにお役に立ちたいと思ってここにいらしているんだと思います。頑張っていただきたいと思います。ありがとうございました。」

看護専門学校 卒業生
「実際に“延命処置ってどこからなんだろう”っていう話を聞いたときに、もうちょっとそういうところを深く、家族と話していかないといけないなというふうに思いました。」

看護専門学校 卒業生
「新しく4月から働く時に、知れたことでがんばれると思ったので、本当にありがとうございました。」

今、看護師僧侶として穏やかで自然な死を迎える心構えを説く玉置さん。
しかし、かつては玉置さんも常に延命治療に全力で取り組むべきだと信じていました。
玉置さんを変えたのは、愛する人をみとった、強烈な体験です。

玉置妙憂さん
「彼(夫)はいつもこれ(カメラ)を持っていて、日記代わりですね。なにか『おっ』って思うものがあったら、パシャパシャって。 」

きっかけは10年前。カメラマンだった夫・哲さんに見つかった膵臓がんでした。
哲さんは、手術や治療を拒み、自宅で過ごしたいと玉置さんに訴えます。

玉置妙憂さん
「看護師としては常々やっていることであれば、治療をするというほうに導くというのがやるべきことだと思ったし、もうひとつ家族という立場があったので、家族とすると、治療しないっていうのは、愛がないみたいに感じたんですよね、その時。 」

しかし、哲さんはかたくなでした。このベッドでゆっくりと体が衰え、死に向かっていったのです。

玉置妙憂さん
「点滴もしなかったのでね。そういう風にすると、ほどよく枯れてくんですよね。本当の意味で。物理的にドライになっていくんですよ。それはある種、衝撃で。いや、きれいなもんだなっていうか。すばらしいな、美しいっていう。」

玉置さんは、それまでの患者との向き合い方は、間違っていたのではないかと、考え始めました。
あるがん患者との会話を、今でも悔やんでいます。

玉置妙憂さん
「『来年の桜、俺は見られないかもしれない』『どう思う?見られないだろう』みたいな話をされた時に。いやまいったなって思ったんです。たぶん、見られないんです、事実的には。」

このときの自分の対応は、死にゆく人の心に寄り添うのを拒んだ、とても冷酷なものだったのではないか?

玉置妙憂さん
「私はとっさに、『そういえば、隅田川の桜を見に行ったことあります?』なんて、桜つながりで返したんですよね。ひどい話ですよね、相手の人にとったら。来年の桜を見られるんだろうかって。“俺はそこまで生きていると思う?”っていう質問をぶつけてきたんですよね。」

死の話題を避け、患者の孤独に寄り添えなかった玉置さん。それ以来、男性は一切同じ話をすることなく、やがて亡くなったといいます。
死にゆく人と向き合う時、医療ではない何かが、必要ではないのか。玉置さんは、宗教にそのヒントを求め、46歳のとき、出家します。高野山で200日間に及んだ修行。玉置さんの心に、ある気づきが生まれました。

玉置妙憂さん
「医療が救いますよっていうのは今までの私のスタンスでしたけど、それも違う。仏様が救ってくださいますよっていうのはこっち(宗教)しかないから、それも危ないと思うんです。それだけじゃない考え方というか、流れが同時進行であって良いと思うんですよね。」

玉置さんは看護師を続けながら、資格をとって臨床宗教師になり、穏やかな最期を迎えるための活動を始めました。
今は、以前の自分とは違う心構えで、患者と向き合えるようになったといいます。

玉置さん
「こんにちは。」

この日訪ねたのは、夫に先立たれた99歳の女性。

深澤愛子さん(99)
「やっぱり弱っていくのは楽じゃないです。」

玉置さん
「弱っていくのがね。お体がね。」

深澤さん
「みんな亡くなっちゃいましたからね。」

玉置さんはじっと耳を傾け、そして死生観を語りかけます。

玉置さん
「じゃ先生は死んだら何もない。」

深澤さん
「うん。先生は?」

玉置さん
「私は粒みたいになって」

深澤さん
「また人間になる?」

玉置
「人間かどうかわからない。次は虫かもしれないし、花かもしれないし。わからないけどなんか、そんなイメージ。」

死の不安を受け止め、共に語り合う。
それが穏やかな最期につながると考えています。

ゲスト 玉置妙憂さん(看護師・僧侶)
ゲスト 石井光太さん(作家)
ゲスト 宮田裕章さん(慶應義塾大 教授)

武田:人が死に至る姿、お話を伺っているだけでも本当に厳かな気持ちになりましたけれども、そういうふうに人の死が理解できていたとしても、はたして本当にその場で心穏やかにいられるものなのか。ちゃんと向き合って寄り添えるものなのか。私は正直、自信がないんですね。やはり延命治療を望む方もいらっしゃると思うんですよ。

玉置さん:そうです。もちろん、どんなことをしてでもこの命を続けていくって宣言した方もいらっしゃいました。だから、何もしないというのもその方の価値観、人生であろうし、どんなことをしてでも命を、延命治療、とにかくすべてできることはっていうのも、もちろんオッケーです。

石井さん:本当に死というのは、僕はいろんなあり方があると思うんですね。大切なのはご本人自身が何を望むか、何を大切にするか。そこの部分を周りの人が必死になって理解して、同じように大切にしてあげる必要があるのかなと思っているんですね。
ある病院でホームレスの方がずっと延命を嫌がっていて、最後、どうしてもうまくいかない、治療もうまくいかないとなった時に、彼が1つだけ願い事を言ってきたんですね。それは何かっていうと、動物愛護協会に募金したいって言い始めたんです。

「ホームレスで暮らしていた時に、猫とか犬だとか、そういったところがすごく味方になってくれたので募金したいんだ」と。その時にみんなが、じゃあなになにをリサイクルで売ってとか、余っているお金で募金しようねというふうに一生懸命やったんですよね。その時に、そのホームレスの方がすごくいい亡くなり方をした。周りにいる方もすごく納得できた。その納得するものがあるかどうかっていうのはすごく大きくて。それをやる人が、玉置さんのような形で僧侶であるっていうことも1つだと思うし、それはボランティアの人でもいいと思うし、看護師さんでも誰でもいいと思うんですよね。

玉置さん:もちろんそうですね。私はたまたま、自分自身のバックボーンとして宗教っていうものがあっただけなんですね。本当は家族でも看護師でも、いろんな方が、町のおばさんだってできるはずなんですよ。

武田:「いまは死は身近ではない」という、玉置さんのお言葉もありましたよね。

宮田さん:これは日本だけではなく、東アジアに共通するんですけれども、死を、どちらかといえば遠ざけてきた。がんの告知をしないという傾向がこれまで強かった。あるいは余命についても、どうしても伝えない方向の選択肢をとってきた。一方で、間近に迫っている多死社会に関して、どう受け止めるかというのは非常に重要だなと。

高山:調べてみると、1960年代まで、圧倒的に日本では在宅で亡くなる方、家で亡くなる方が多かったんですけど、その10年後に病院死が逆転するんですよね。それまでは、何か語るっていう人がいなくても、見て、“死ぬってこういうことなんだ”とか、“じゃあ自分はどう死ぬんだろう”と想像するチャンスがあったというデータもあるんですよね。

玉置さん:私たちの通常の感覚からすると、やっぱり死というものを、だめなもの、避けたいもの、見たくないものと思っているので、目の前に誰が見ても(死が)明らかに近づいてきてるのに、しかも、当のご本人もそれをひしひしと感じているのに、口にするとみんなが知らん顔をするって、それは、私もいっぱい失敗してきましたから、申し訳ないことしたなと思って、最近はあえてちゃんと話題に、見えているものだから話そうという。

石井さん:僕自身もホスピスの取材なんかしていて、すごくそれは思います。本人は、逆に言うと、それをしゃべってくれない、許容してくれない人に対してあんまり信頼しないんですね。本人が目の前にあるものを一緒に共有していくということがお互いの信頼構築につながって、いまの生というものを、生きる質を上げていくことにつながるんじゃないのかなと思いますけどね。

高山:実はみとりの死のケアのプロフェッショナル、専門家というのは、実はいろんなアプローチがありまして、こちら、玉置さんの「臨床宗教師」など、いろんなスタイルがあるんですけども、なかなか、われわれに身近という感覚が得られない。

武田:こうした取り組みが日本でなかなか広まらない中、玉置さんが注目するのが台湾の仕組みです。

先月、玉置さんは世界でも珍しい終末期医療が行われている、台湾大学に足を運びました。
ここでは患者のケアを医師と僧侶が一体となって行います。

医師
「患者の回復が難しいため終末のケアを考える必要が出てきました。」

臨床宗教師
「患者はまだ心の準備ができていません。宗教師が介入するのは早いと思います。」

臨床宗教師と医師が議論して、ケアの方針を決めています。

台湾大学では24年前から、僧侶に医学教育を行い、臨床宗教師の育成に取り組んできました。僧侶は15週間かけて心理学や末期患者への医療処置など専門知識を学びます。

この日、余命わずかな患者へのケアに、玉置さんも立ち会いました。
蕭宇さん(51)。舌ガンが全身に転移し、延命は困難。もはや会話もできない状態です。鎮痛剤のみの治療に家族も同意。ひと月前から宗教師が、死を受け入れるための心の整理を行ってきました。

臨床宗教師
「老い、病気、死。それは誰もがいずれは経験することです。仏教の教えに「死」はありません。仏の世界へ旅立つのです。それは私たちが安らぎを得られる場所です。」

医師
「起き上がりますか?」

看護師
「起き上がりたいみたいです。」

蕭宇さんの妻
「ゆっくりね。」

医師
「病状は深刻です。でも、穏やかさも見えます。彼の表情に絶望感はありません。」

蕭宇さんの妻
「そうですね。」

この日の夜、蕭さんは静かに息を引き取りました。

玉置妙憂さん
「臨床宗教師がしっかり医療の中でケアチームに入っているなというのを改めて感じました。スタッフの中できちんと相互理解が深く進んでいるなというのを感じました。」

台湾の「死の満足度」クオリティオブデスはアジアで1位。特に評価されているのが徹底した法律の整備です。患者には、治療の選択を保証し、それを尊重し亡くなっても、医師は責任を問われないと定めました。

台湾大学病院 陳慶餘医師
「法律ができて生きているときに、終末期のことをしっかり選択できるようになりました。台湾の取り組みは非常に先進的だと思います。」

民間の取り組みも、玉置さんは注目しています。ここは、会費や寄付で運営されている臨床宗教師の派遣ステーションです。仏教徒以外の人のために、僧侶だけでなく、ボランティアの育成にも力をいれています。ボランティアは家族をみとった経験のある人や、自ら病を抱える人など100人ほど。

講師
「心を落ち着かせ、そこ座り、ただ寄り添うのです。これはとても重要なことです。」

資格をもった臨床宗教師から、傾聴のノウハウなどのトレーニングを受け、派遣されています。

さらに宗教を信仰していない人へのケアも行っています。この日ボランティアが訪ねたのは楊竣皓さん(21)。生まれつき肺と心臓に難病を抱え、治療は困難と診断されています。

ボランティア
「ゼイゼイしているわ。疲れている?」

楊竣皓さん
「大丈夫。」

仏教を信仰していない楊さんのため、宗教師は同席していません。かつては自殺を試みるなど自暴自棄だったという楊さん。訪問2回目のこの日。楊さんは自分が死んだあとについて、語り始めました。

楊竣皓さん
「どんなことでもいいので、人助けがしたいです。」

自分の死後、臓器提供のドナーになりたい。それが楊さんの希望でした。

楊竣皓さん
「自分はもう治らないから。必要としている人に体をあげて、役立ててほしい。」

ボランティア
「広い心を持っているんですね。自分の体を捧げることができるなんて。」

楊竣皓さん
「体はただの入れ物で、たとえ亡くなっても本当の意味での死ではないと思っています。自分の残した物がこの世でまだ誰かの役に立てるなら、こんなに嬉しいことはない。」

じっと見守る母親。ボランティアが歩み寄り、そっと語りかけます。この女性も、かつて病で家族を失い、苦しんだ経験がありました。

楊竣皓さんの母親
「(息子を)手放したくない。」

ボランティア
「気持ちはわかります。私も同じ経験をしました。でも彼は大丈夫です。自分をしっかり持っています。私なんか必要ないくらいです。それはあなたという母親がいるからです。私が来る前からずっと寄り添ってきたからです。胸をはってください。あなたの息子はとてもすばらしい人生を生きています。」

楊竣皓さんの母親
「ありがとうございます。」

武田:この台湾の仕組み、胸を打つものがあったと思うんですけれども、日本でこういった仕組みを実現するには何が必要なんでしょうか。

玉置さん:難しい原因が2つあると思っているんですけれども、1つは宗教というものが前面に出てしまった場合の拒否感ですね。2つ目は、何といっても資金ですね。必ず出てきてしまうんです。あちらの台湾はですね、訪問していった先でお話を聞いたあと、では、いくらですなんて、もちろんやってないです。お金をもらってないんですね。じゃあなぜあの場が、あの方々の活動がキープされているかというと、全部お布施です。国に頼らない、そして、お布施の文化がないこの日本で、どうやって資金を調達するかというのが大きな課題です。

石井さん:例えば海外の場合ですと、それは必ずしも国のお金に頼らないっていう風潮もあるんですよね。やはりそれを地元の企業だったり、昔からのお金持ちというのが社会貢献として支える。この部分はやはり完全にボランティアで、でも、その資金というのは民間から出ているんだっていうところで、きちんと分けるっていう方法もあると思うんです。ただ1つ、僕は問題があると思うのは、玉置さんのような方がたくさんいればいいというのは事実なんですが、資格を持ったプロフェッショナルが出てくると、ついついみんながそれに任せてしまうという問題も別に生じると思うんですね。やはり社会だとか、地域だとか、家族だとか、そういった中で支えた上で、玉置さんのような方をどう中に導き入れていくか。ここのほうがいちばん重要なんじゃないのかなというふうに思いますけどね。

玉置さん:私は、私の立ち位置を猫みたいなものだと思っているんですね。

武田:猫。

玉置さん:例えば、老夫婦2人向き合って話もしないけれども、真ん中に猫ちゃんが1匹いると、猫を介して話すとかあるじゃないですか。

武田:なるほど、ありますね。

玉置さん:そういう感じで、死というものを身近に感じて、緊張しているご家族の中に1人猫的な存在がいると、その猫ちゃんを、それが私だと自負しているんですけれど、そこを通過していろんな会話が成り立つという関わり方がベストだと思います。

宮田さん:介護の現場で何がいちばん共通して大事になっていくかというと、やはりその人が大事にしているものを一緒に大事にすると。こういうことだろうと。例えば、亡くなる前に野球見に行きたかったなと。で、一緒に行くと。あるいは、自分が人生を捧げてきた田んぼをもう一度見てみたい。そこに一緒に行くと、それだけで涙があふれている。その中で、死と、自分の人生というものに1つの区切りをつけながら、一緒に、残りの人生を生きていく。こういった中で重要になるのは、大事なものを一緒に大事にしていくということなのかなというふうに思います。

玉置さん:心をケアしようとするのは技術ではなくて、やはりその人の、それぞれの人のパーソナリティというか、生きてきた蓄積というか、そういうものによるケアになってくると思うんですね。だから、資格があればできるとかいうものではないし、どなたでも、本当にその方のことを考えて相対すれば、自然に生まれてくる、波動といいますか、空気といいますか、そういうものが作り上げてくれるものだと思います。

武田:きょうはどうもありがとうございました。

玉置さん:ありがとうございました。