クローズアップ現代

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2018年10月16日(火)
いじめ 非正規 恋… 歌に託した人生 ~ある歌集・異例のヒット~

いじめ 非正規 恋… 歌に託した人生 ~ある歌集・異例のヒット~

「サラダ記念日」の大ブームから30年、平成の時代をうたった一冊の短歌集がいま大きな話題を集めている。作者は萩原慎一郎さん、去年32歳で自ら命を絶った。学生時代のいじめ、その後の精神的不調そして非正規として働いた人生・・・。過酷な日々とともに夢や恋も歌にした。発行部数は通常の歌集の200倍に達している。自らも感銘を受けたという又吉直樹さんとともに、萩原さんが残そうとしたメッセージに迫る。

出演者

  • 又吉直樹さん (お笑い芸人・小説家)
  • 語り:向井理さん (俳優)
  • 武田真一・田中泉 (キャスター)

挫折 夢 恋 エール… ある歌集 異例のヒット

バブルの時代に空前の短歌ブームを起こした「サラダ記念日」。それから30年、平成の時代を詠った一冊の短歌集が今、大きな話題を集めています。

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“頭を下げて 頭を下げて牛丼を 食べて頭を下げて暮れゆく”

作者の萩原慎一郎さん。

去年(2017年)6月、歌集が出版される直前に、32歳で自ら命を絶ちました。学生時代のいじめや非正規として働く人生。過酷な日々を詠いながら、夢や恋、そして同じような境遇にある人たちへのエールも歌にしました。

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“消しゴムが 丸くなるごと苦労して きっと優しくなってゆくのだ”

“作業室にてふたりなり 仕事とは関係のない話がしたい”

歌集は増刷を重ね、発行部数は通常の200倍に達しています。

“自分のことかと思った。”

“迫ってくるものがすごい。”

“心をわしづかみにされた。”

“やりきれない。”

“背中を押された。”

共感の声が寄せられています。

“シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは 誰かが捨てねばならず”

30代 非正規雇用
「今日を生きるというか、今を肯定してくれるような感じがあって、安心するんですよね。」

NHKの「全国短歌大会」に出場した萩原さんの映像が残っています。

“一人ではないのだ そんな気がしたら 大丈夫だよ 弁当を食む”

高い評価を受けた萩原さん。この1年後、帰らぬ人となりました。萩原さんの部屋は、家族が今も当時のまま残しています。

この机でパソコンに向かい、毎日のように短歌を創作していたといいます。萩原さんはどう生きてきたのか。今回私たちは、母親がまとめた手記や未公開の短歌などを特別に提供してもらいました。
中学受験で志望校に合格した萩原さん。大好きだった野球部に入部しますが、そこで いじめを受けるようになります。

母親の手記より
“監督から怒鳴られ、おどおどして萎縮している様子を真似して度々からかわれました。部活が終わると、通学カバンがゴミ箱、掃除用具入れ、トイレなどに放置されました。「生きている価値がない」「顔が気持ち悪い」という暴言や暴力が続きました。”

退部を余儀なくされた萩原さん。たまたま書店で手にした、俵万智さんの歌集を読み、自分の思いを短歌で表現するようになりました。

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“現実に食われてしまいし夢もあり グローブ捨てて鉛筆握る”

“助走をつけてハードルを ひとつひとつと飛び越えていけばいいのだと 春”

高校でもいじめは続きました。卒業後、萩原さんは大勢の前に出られなくなり、精神科に通い始めました。それでも、通信制の大学で6年間学び、社会復帰を目指して就労支援施設に通いました。そして27歳の時、ようやく働き始めます。

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“昨日より ステップアップしていたい 鏡の前で髭を剃りつつ”

就いた仕事は、書店の倉庫の在庫管理や研究機関の事務員。非正規雇用でした。

母親の手記より
“仕事はコピー用紙の交換、シュレッダー、広報誌の発送の手伝い、資料の整理などでした。一生懸命でしたが、帰宅後、「僕も病気にならなければ」と辛くなることもあったようです。”

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“街風に吹かれて「僕の居場所など あるのかい?」って疑いたくなる”

“夜明けとは ぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから”

短歌に寄せられた声です。

短歌に寄せられた声
“一度非正規になってしまうと、一生非正規のままで「敗者復活」はない。先が見えない生活を詠んだ歌に共感しました。”

将来を思い描けないつらさを歌にした萩原さん。しかし、決して生きることを後ろ向きに捉えてはいませんでした。

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“消しゴムが 丸くなるごと苦労して きっと優しくなってゆくのだ”

この歌に励まされたと声を寄せてくれた女性がいます。ケイコさん、49歳です。

7月に、3年間勤めていた派遣会社から雇い止めにあいました。生計のめどが立たなくなり、生きる希望さえ持てなくなった中で、萩原さんの歌に出会いました。

非正規で働く ケイコさん
「萩原さんが自分に言い聞かせている。自分もきっとそうなるんだから、優しくなるんだから、だから頑張るんだ。そのとおりだ、自分これだ、このとおりだという感じもありました。」

管理栄養士として病院に勤めていたケイコさんは、35歳の時に離婚。子育てをしながら収入を得るため、非正規で働き始めます。当初1年ほどだった派遣先との契約期間は、年齢を重ねるにつれ、半年、そして1か月と短くなっていきました。生活はぎりぎりでした。

非正規で働く ケイコさん
「一生懸命、正社員のようにやっているつもりだけれども、実際正社員じゃなくて不安定な仕事だったので、これから生きていくにあたって、収入を得ることができるのか。」

先が見えなくなった中で、今の苦労は将来のためにあると思わせてくれたのが、消しゴムの歌だったのです。

30代にさしかかるころから短歌の世界で評価され始めていた萩原さん。しかし、その陰で母親は、息子の焦りを感じていました。

母親の手記より
“「普通だったら結婚とか、子どもとかいう年齢だよ」「新卒の人たちが研修中に皆で昼食をとっていたり、赤ちゃんが生まれて連れてきた人を見て落ち込んじゃった」、そんなことを話してました。”

萩原さんは、恋に憧れを抱いていました。

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“遠くから みてもあなたとわかるのは あなたがあなたしかいかないから”

“かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む”

亡くなる9か月前、萩原さんは短歌賞の授賞式であるスピーチを行いました。その内容が、母親にとっては強く印象に残るものでした。

母親の手記より
“以前は、自分のことを短歌に詠むことが多かったが、この頃は、社会の周りの状況を詠むようになってきた、そう言っていました。”

萩原さんの短歌を年代順に見ていくと、確かにこのころ、自分以外の人たちの姿を詠んだ歌が増えていました。

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“牛丼屋 頑張っているきみがいて きみの頑張り時給以上だ”

“「研修中」だったあなたが「店員」になって 真剣な眼差しがいい”

萩原さんと同じように、非正規で働きながら歌人として活躍する、佐佐木定綱さんです。

他の人たちのことを歌にしたのは、萩原さん自身が励まされていたからなのではと感じています。

非正規で働く・歌人 佐佐木定綱さん
「(萩原さんは)僕はひとりじゃないと思ったのかもしれない。自分は本当に今の状況でいいのかなと、つらいことを思っているときに、『同じ境遇の人たちが頑張ってるから、俺も同じように頑張ろう』と思うことはもちろんある。」

周りの人々の姿から短歌を作る力を得ていた萩原さん。何かを自分に言い聞かせるように、歌を詠みました。

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“生きているというより生き抜いている こころに雨の記憶を抱いて”

この歌に、つらい記憶と向き合う勇気をもらったという人がいます。都内に住む、30代の女性です。

30代 女性
「それでもやっていくんだ、それでもこういう気持ちを持っているということが希望に受け取れた。」

20代の時、女性はパートナーとの間に子どもを宿しました。2人は互いに非正規。すぐに子供を育てる自信を持てなかったため、誰にも告げず、中絶しました。

30代 女性
「神社にお願いして供養してもらったんですけど、自分の中で決めてそうしたはずだけど、『それでよかったんだろうか』という考えにやっぱりなってしまって。」

後悔をひとり抱え続けてきたという女性。萩原さんの歌は、新しい考え方を与えてくれました。

30代 女性
「自分で自分を鼓舞して、励まして、それでも希望を失わずに生きていくことを教えてもらえる。自分がよくするんだ、自分がこの気持ちを変えるんだ。」

去年6月8日、萩原さんは自ら命を絶ちました。その半年前、出版社に、初めての歌集を出したいと相談を持ちかけていました。より多くの人に歌を伝えたいと語っていたといいます。
自らの境遇のつらさを表現するためだった短歌。その目的は、いつしか変化していました。

亡くなる半年前、萩原さんが知人に送ったメール(朗読:向井理さん)
“最近思うんです。どう考えても、納得できないような事態と遭遇してしまう人たちが実際にいること。でも力強く生き抜いている、そんな姿を見ると心打たれる。誰からも否定することのない輝きを有しているからです。だから、ぼくはうたうんだと思います。誰からも否定できない生きざまを提示するために。”

萩原慎一郎さんの短歌(朗読:向井理さん)
“きみのため 用意されたる滑走路 きみは翼を手にすればいい”

ある歌集 異例のヒット 又吉さんに聞く 歌に託した人生

ゲスト 又吉直樹さん(お笑い芸人・小説家)

武田:萩原さんの短歌と人生、又吉さんはどうご覧になりました?

又吉さん:本当に真っ直ぐで、誠実な言葉をお持ちの方だなって感じたんですけれど、それは苦しいことから、ただ目をそらすんじゃなくて、それを見つめた上で、そこから出てくる言葉の中で希望を生み出そうとしたっていうところに、多くの人が心打たれるんじゃないかなと思いました。

田中:萩原さんが残した短歌は1,000首を超えます。こちらは、その一部です。

中には、又吉さんの心に響いた歌も入っています。まず、こちらです。

萩原慎一郎さんの短歌
“夜明けとは ぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから”

“うしろ手に 携帯電話抜くときに ガンマンになった気がする僕は”

武田:又吉さん、これを選んだのはなぜなんですか?

又吉さん:この「夜明けとは ぼくにとっては残酷だ」っていう歌は、すごく苦しいんですけれど、朝になって会社に行った時の自分の状況のようなものを詠っていると思うんですけれど、受け取りようによっては、夜の間は短歌によって、そういう苦しいことと闘えていたんじゃないかなっていうふうに、僕は想像できる歌だなっていうふうに思うんですよ。
その隣の短歌を読むと「うしろ手に 携帯電話抜くときに ガンマンになった気がする僕は」というのは、ただポケットから携帯電話を抜く時の所作がガンマンに似てるっていうだけじゃなくて、この携帯電話で、恐らく短歌をメモしたり、短歌を書いていたと思うんですけれど、何か自分の現状とか、自分を取り巻いている膜みたいなものを、短歌の力によって打ち破るんだぞっていう気概のようなものを感じるんですよね。
この2つとも、僕は短歌で苦しいことと闘うんだっていう、萩原さんの気持ちがすごくとれるなと思いました。

武田:それは、又吉さんが日々創作活動する中でも何か共通する志を感じられるんですか?

又吉さん:そうですね。やっぱり自分の日々考えていることとかを言葉にしてどう向き合っていくかっていう。それがすごく切実だなって思うんですよね。

武田:闘ってたんですね。

又吉さん:そうだと思います。

田中:萩原さんの創作の根源にあるのは、いじめという不条理の事態が招いた非正規という境遇です。

萩原慎一郎さんの短歌
“満員の電車のなかで 群衆の一部となっている俺がいる”

“箱詰めの社会の底で潰された 蜜柑のごとき若者がいる”

武田:ヒリヒリするような痛みを感じる歌だと思うんですけれども、萩原さんをここまで追い込んでしまった社会の状況を、又吉さんはどうお考えですか?

又吉さん:萩原さんより僕は4歳年上なんですけれど、僕たちの世代が、子供の頃に思い描いていた大人の像っていうのは、誰がデザインしたか分からないんですけれど、大学を卒業して、会社に就職して、結婚して、家を買って、例えば車を買って、勤め上げてっていう、これが大人や、っていうイメージがどうしても僕たちにはあって。でも時代が変わって、それが働き方も変わっていく中で、子供の頃に思っていた大人に自分がなれていないっていう焦燥みたいなものを、多分みんな感じていると思うんですよね。僕、萩原さんの歌に触れてても、すごくそういう感覚がとれるなと思って。特にこの歌は、そういう気持ちが描かれているんじゃないかなと思います。

田中:一方で、萩原さんは自分のつらさや願いだけでなくて、周りの人たちのことも詠っていますよね。

萩原慎一郎さんの短歌
“いろいろと 書いてあるのだ看護師の あなたの腕はメモ帳なのだ”

武田:看護師の方がいろいろと手に、薬を何時に投与するかとかメモを書いているような情景だと思うんですけれども。

又吉さん:そうですね。自分以外の誰かにも、そういう優しいまなざしを向けていますよね。

武田:社会に対しても、いろんな歌を残していますけれど…。

又吉さん:そうですね。僕はこちらもすごく印象的な歌だなと思うんですけれど、「ぼくたちの 腹部にナイフ刺さるごと 同時多発テロ事件はあった」。これは同時多発テロが、本当に自分にナイフが刺さっているような痛みを、社会的な事件から本人が受け取れるっていう、すごいそれが萩原さんの特徴なんじゃないかなと思うんですけど。
それが隣に行くと、「ぼくたちは 他者を完全否定する 権利などなく ナイフで刺すな」。目に見えない痛みっていうものが確実にあるって、誰よりも敏感に察知できる方やから、こういう痛みで誰か人を攻撃することにも敏感だったんじゃないかなっていう。すごい想像力と思いやりがある方なので…。だけど、その想像力と思いやりがあまりにも強いと、すごくご本人は生きづらさを感じていたんじゃないかなと思いますね。僕はすごく大好きな方ですね。

武田:萩原さんは自ら命を絶ってしまいました。一方で、多くの人が、今もその歌から力を得ている。このことをどう受け止めたらいいんでしょうか?

又吉さん:すごく難しくて、僕もちゃんと分かっていないんですけれど、でも毎日闘って、ご本人は何回もそういう夜を乗り越えていったと思うんですよね。もし僕が同じような状況になった時に、萩原さんが残した歌の中に、すごく僕たちがそういう苦しみと闘うためのヒントがあるんじゃないかなっていうふうに感じています。

武田:誰からも否定できない生きざまを示すために詠った萩原さん。

萩原慎一郎さんの短歌
“何か必死に探す事 恰好悪い事じゃないんだ。暁の方へ”