クローズアップ現代

毎週月曜から木曜 総合 午後10:00

Menu
2018年4月23日(月)
“道徳”が正式な教科に 密着・先生は? 子どもは?

“道徳”が正式な教科に 密着・先生は? 子どもは?

「国や郷土を愛する態度」、「家族愛」、「節度・節制」など22の項目について考え、議論することを目指す道徳が、この4月から小学校で、再来年度からは中学校で教科化される。道徳の教科化は、これまで一貫して価値観の押し付けにつながるのではないかと、見送られてきた。だが、国はいじめ問題などを理由に教科化を進めた。先行して授業を実施してきた都内の小学校を取材、課題を検証する。

出演者

  • 尾木直樹さん (教育評論家)
  • 武田真一・鎌倉千秋 (キャスター)

“道徳”が正式教科に 戸惑う先生・子どもは…

ご存じでしたか?今月(4月)から、ある授業が小学校の正式な教科になったんです。

教師
「実は今年(2018年)、大きく変わったものがあるんです。」

生徒
「道徳。」

教師
「そう。」

お母さんの愛は無償?監督の指示は絶対?子どもたちは教科書に沿って、家族愛や規則の尊重などについて学んでいきます。でも授業をのぞいてみると、戸惑う先生や子どもたちの姿が…。価値観が多様化する中、国が定めた価値をどう教え、評価するのか。

小学校教師
「どこからどこまでが(価値観の)押しつけで、押しつけじゃないっていうのは、やっていてわからなくなっちゃう。」

正式な教科になった道徳の授業。教室に密着しました。

「母親の愛」は無償?

杉並区の久我山小学校です。道徳が正式な教科になる1年前から、試験的に授業を行ってきた小学校の1つです。4年生の担任で新人の、岡尾あすか先生です。この日、「家族愛」について教える準備をしていました。

岡尾あすか先生
「家族の思いを深くみんなに考えてほしい。」

実は、道徳の授業では、教えなければならない「価値」が定められています。「家族愛」「親切・思いやり」「礼儀」「国や郷土を愛する態度」など、その数は22に上ります。

教材は国の検定に合格した教科書。岡尾先生は「お母さんのせいきゅう書」を選びました。

“ある朝、たかしがお母さんに1枚の紙切れを渡しました。それは、せいきゅう書でした。たかしは、「お使い代」「お掃除代」「お留守番代」として、500円を請求したのです。
お昼どき、お母さんは500円と一緒に小さな紙切れを渡しました。お母さんからの請求書でした。「病気をしたときの看病代」「洋服や靴」そして「おもちゃ代」など、いずれも0円。それを目にした、たかしの目には涙があふれました…。”

岡尾先生は、授業の前に指導内容を確認するため、校長室を訪ねました。

岡尾あすか先生
「お母さんの子どもに対する気持ち・思い、無償の愛を考えさせたい。」

校長
「家族を大事にしようとする気持ち、心情を育てるとか、たぶんそうなるよね。」

今回の授業では、母親の無償の愛を通じて、「家族愛」について考えることにしました。
「お母さんのせいきゅう書」を題材に、道徳の授業が始まりました。

岡尾あすか先生
「さあ皆さん、いつもお母さん、どんなふうにみんなに接してくれる?」

生徒
「ぼくのお母さんはやさしい。」

生徒
「怒るときはこわいけど、いろいろやってくれる。」

岡尾あすか先生
「お母さんの存在って大きいんだな。」

「お母さん」という存在を改めて意識してもらい、本題に入りました。

岡尾あすか先生
「お母さんは、どんな気持ちでたかしに請求書を渡した?」

手渡した請求書は0円。なぜお金を請求しなかったのか、お母さんの気持ちになって考えてもらいました。

生徒
「私はたかしにいろんなことをしている。それでもたかしにはお金をもらってないよ。」

生徒
「私の宝物はたかしだから、お金なんてもらわないよ。」

生徒
「お金はいらないから、そのかわり、たかしの成長を見せてね。」

「家族にはお金を求めないのが当然だ」といった意見が、大勢を占めました。ところが、1人の男の子が異なる意見を口にしました。

生徒
「子どもっていいな。えらいことするとお金がもらえるから、私も子どもがいいな。」

手元のメモには、「私は0円なのよ、お母さんの気持ちになってみなさいよ。せっかく家事とかをしているのに。子どもっていいな。えらいことをするとお金をもらえるから」と書かれていました。
お母さんは、家事に対してお金をもらいたいのではというこれまでにない意見。ざわつく子どもたち。岡尾先生は改めて問い直します。

岡尾あすか先生
「でも、お母さんは0円の請求書を渡した。お金がほしい、いいなと思うんだったら…。」

生徒
「たしかに、1円、10円、100円でも書いて渡せばいい。」

男の子はそれ以上、意見を言うことはありませんでした。男の子の家庭は共働き。仕事をしながら自分のために家事もこなす、母親のことを思っての発言だったのです。

生徒
「お母さんは家事とかしているから、お金をいつももらえないから、お金をもらいたいって気持ちがあってこれを書いた。」

ねらいどおりに授業を進めようとするあまり、男の子の意見をくみ取ることができなかった岡尾先生。道徳の授業の難しさを感じました。

岡尾あすか先生
「普段の生活とか価値観が、子どもたちの中から無意識に出ていると思う、道徳の時間は。一人一人見ていないと(授業が)さばけないと思うので難しい。」

“道徳”が正式教科に 戸惑う先生・子どもたちは…

ゲスト尾木直樹さん(法政大学 特任教授)

泣いてしまって顔を洗っている男の子の言うことも、もっともだと思いますし、先生も1つの価値観に導くのは難しいんだなと思いましたが、どうご覧になりましたか?

尾木さん:僕、この岡尾先生ね、お若いのに立派だと思います。すぐに男の子をケアしてね、頭なでたり、話を聞いたり、それから自分のことも客観視されてますよね、その難しさを。だから、あの先生偉いなと僕はまず思ったのと、それから男の子の涙ですね、これ、本当に今おっしゃったように、すごい意味があって、やっぱり今、多様な家庭がある中で、お母さんが働いてるというところもあったら、彼は優しいからこそ、お金をちゃんとペイしていいんじゃないかなという考えになってね、あれ、全然おかしくはないと僕は思います、男の子も。

今見た難しさというのは、やはり「教科化」ということが?

尾木さん:やっぱり岡尾先生も感じておられたように、1つの価値に落とし込んでいく、家族愛と、無償の愛というところへ落とし込もうとしたときに、あれ、お金もらっていいんじゃない?というのに、ぶつかるわけですよね。だから「教科」になってしまったことによる1つの構造的な問題が出てきたなというので、岡尾先生だけの問題では全くないと思います。

家事というものが、経済的な価値のない労働化という議論になっているが?

尾木さん:これも今、大問題になってるわけでしょ。計算して出される学者もいっぱいおられるように。だからそういった意味では、やっぱり無償の愛、それは家事労働だって決めつけてるんですが、答えがちょっとね。もっと多様化してて、柔軟になってもいいのかもしれませんよね。

そもそもなぜ、道徳は教科化された?

森並慶三郎記者(社会部):道徳の教科化というのは、戦前に道徳的価値を教えていた「修身」という教科が軍国主義的教育の中心となっていたという反省から、戦後一貫して見送られていたんですね。しかし、全国でいじめによる自殺が相次いだことなどから、国は子どもたちの規範意識を高める必要があるという理由で、方針を転換して、教科化することを決めたんです。

鎌倉:正式な教科となった道徳ですが、先ほどVTRでご紹介した「家族愛」という価値以外にも、国が教えるべきと定めた価値、例えば「勤労・公共の精神」「正直・誠実」「節度・節制」など。全部で22あります。教科書では、1つの物語で1つの価値を教える形になっていることがほとんどなんです。

日本社会がこれだけ多様化している中で、こういった価値を教えていく難しさ、現場ではどうなっている?

森並記者:価値が22あるんですけれども、このうち「国や郷土を愛する態度」という価値があるんですね。この価値について、教室に今、外国籍の児童が増えている中で、どうやって教えていけばいいのかと戸惑う先生の声も数多く聞かれました。この場合、「国」というのは「日本」を指すんですけれども、外国籍の児童にとっては、必ずしも日本が母国というわけではないからなんですね。

尾木さん:おっしゃるとおりですよね。それともう1つ、例えば家族愛といいますけれども、今、虐待なんか「心理的虐待」って新しい概念が入って、急増してて、夫婦げんかをしてても、それは子どもたちにとっては心理的虐待なんですよね。そういう中で、家族愛って言ったって、自分の家庭見てたら感じられないぞという子もいるんじゃないかというので、非常に厳しいと思いますよね。

こうした価値を教えるにあたっては、子どもたちへの押しつけになってしまうのではないかという懸念もあります。先ほどの小学校で、先生たちの模索を取材しました。

密着 先生たちの悩みは

さまざまな価値観をどう教えればいいのか?先生たちも日々手探りです。

教師
「低学年は(気持ちを)書くことが…。」

教師
「難しい。じゃあ言えるかっていうと、言うのも難しい。」

教師
「価値を僕自身がよく理解しないまま、授業に突撃することが結構ある。教材は理解できても、価値自体の理解が自分の中で微妙なまま、毎週1回ある。やり続けるのは不安。」

授業を、教科書が示す1つの価値に導くことができるのか、戸惑っている先生がいます。6年生の担任・澁谷あゆみ先生です。教師になって25年のベテランです。子どもたちに教える価値は「規則の尊重」。そのための題材は「星野君の二るい打」という話です。

“星野君は少年野球の選手。チャンスで打席が回ってきたとき、監督に呼ばれました。監督は、確実に1点を取るため送りバントを指示。しかし、星野君は得意なコースにボールがきたため、監督の指示を守らず打ちました。結果は二るい打、勝利に貢献しました。
ところが、試合の後、星野君は監督の指示に従うというチームの約束事を守らなかったとして、とがめられたのです。”

この話から見えてくるのは、果たして「規則の尊重」という1つの価値だけなのか。同僚に相談しました。

澁谷あゆみ先生
「『規則尊重・きまりを守る』というところ、そこに収束しにくい。」

同僚
「星野君の打った気持ちもわかる。ただ、チームとしてはまずいのか考えさせたい。やっぱり最後は、その価値観で落とし込まないといけないと思うと、『星野君の二るい打』は、きまりって大事だと落とし込むのは難しい。」

澁谷先生は、疑問を解消できないまま授業に臨みました。

澁谷あゆみ先生
「自分が星野君だったら、命令に従って送りバントをするか。(それとも)いやいや、星野君の気持ちわかる、自分を犠牲になんてできないでしょって。」

生徒
「僕なら送りバント。自分で勝手に決めてしまうと、チームのみんなが迷惑する。」

生徒
「投げられた球が自分の得意な方面(コース)、せっかくのチャンスを逃すわけにはいかない。」

監督の指示か、自らの判断か。意見が分かれる中、決まりは常に尊重されるべきなのか。1人の女の子が切り出しました。

澁谷あゆみ先生
「きまりは必要だけど、どんなときも守っていたら、地震のときにいつも先生の指示を聞いてと言ってるけど、自分で判断しないと、もしそれで…命にかかわることになるから、きまりは必要だけど、どんなときも守るのはよくない。」

澁谷あゆみ先生
「時と場合に、臨機応変に。」

澁谷あゆみ先生
「きまりは何がなんでも守らなくちゃいけない、守ったほうがいいけれども、そこに自分の判断が入っていいものだと思う。」

子どもたちが考えることの大切さを感じた澁谷先生。多様なものの見方をどうすれば育めるのか。試行錯誤が続いています。

澁谷あゆみ先生
「教師のひと言で子どもの考えを動かしてはいけない。この価値観はいいけれど、この価値観はせめぎあうよと、つねに盲目的にやるのではなく、いつも考えられる子、考え続けてほしい。」

“道徳”が正式教科に 先生は?子どもは?

どの先生も、こうできる?

尾木さん:理想だと思いますよね。キャリアを感じさせる、本当にすばらしい先生だと思いますよね。だけれども、先生によって力量差がかなり出てくるなという、そういう心配もしましたよね。やっぱり1つのテーマを、価値を、1つの授業で、1つのお話からやってかなきゃいけないというところに、かなり無理があるように思います。

仮に、こういった価値観の押しつけみたいなことがされてしまうようになると、中長期的にはどんな問題が?

尾木さん:これはね、毎日のようにニュースになってますけども、エンゼルスへ行った大谷(翔平)君みたいに、二刀流っていうのは、ああいう型破りというか、これまでの常識を覆すような、そういうアスリートとか、あるいは学問とか、文化とか芸術の領域なんかでも、そういう人が出にくくなってくる可能性、危険もありますよね。

国際的には、こうした多様な価値はどう捉えられている?

尾木さん:OECD(経済協力開発機構)なんかは「多文化共生」といいまして、多様な価値との共生というのを目指しているわけで、そこともちょっとずれが出てくるかなっていう心配もあります。

教科化に伴って、ほかの教科と同じように、先生が子どもを評価しなければいけないということになっていますけれども、これも大きな課題ですよね。

森並記者:こちらは、先生が評価をしている様子なんです。評価といっても、国語や算数のように、1、2、3といった数値による評価ではなくて、文章によるものなんですね。「道徳の学習の時間では考えを深めることができました」とか、「自分の経験と合わせて考えることができました」など、子どもの成長を書いていきます。また、入試にも活用はしないとしています。

評価の難しさ、どう捉えている?

尾木さん:これは難しいんですけども、先生も難しいんですよね。だけれども、生徒の側も非常に矛盾が出てくるのが、小学校5年生ぐらいになって、デリケートな子というのは、先生の気持ちとか、あっ、この教科書でこのテーマだったら、こういう答えをほしがってるなっていうのが分かって、意見発表のときに、本当に思ってることと微妙に違うことを言っちゃっていると。そういう自分に自己嫌悪に陥って、ストレスになってくるという話は、もうすでにたくさん僕も聞いてます。5年生以上ぐらいから。それからまた、そういうストレスになっている子どもたちへのいじめが起きてしまう可能性もあるし、それから違うことを言って、どっと笑ったりしたときに、その子の違ってる、ずれてる価値観を直してあげようと思って、善意で子どもたちがその子にちょっかいを出して、それが被害者からとってみたら、いじめに思えてしまったりというので、「いじめをなくす」っていうのが、逆にいじめを増やしかねないかなという気もしますね。

現場のこうした懸念について、文部科学省はどう捉えている?

森並記者:文部科学省に取材したところ、「評価については、ほかの子どもと比較はしないで、あくまでその子自身の成長を記述してほしい」としています。また授業内容も「価値観の押しつけにならないように、先生に指導方法を工夫してほしい」と話しています。そして、型にはまった授業ではなくて、子どもたちが価値観について「考え・議論」できる授業を目指すとしているんですね。

鎌倉:今、お話にありました、子どもたちが考え・議論できる授業をどう進めていくのか、試験的な取り組みも始まっています。

試験的な取り組みも

少数の意見を授業に反映させようと導入したのが、タブレット端末です。テーマは、障害者が満員のエレベーターに乗れない場合、どうすべきか?自分の意見を端末に入力していきます。

子どもたちの考えが集約され、たくさん使われた単語ほど大きな丸で表示されます。気になった単語に触れると、少数意見でも読むことができます。

教師
「この意見が心に残ったというのが、ある人います?」

生徒
「『守る』。」

教師
「『守る』ってどこかな?」

生徒
「水色の。」

教師
「これか。」

千葉大学教育学部 藤川大祐教授
「口頭での議論だと、手を挙げた子しか発言ができない。他の考え方に触れる経験を多くしてもらいたいので、(タブレット端末を使った)授業を進めていきたい。」

教科書にとらわれず話し合うテーマを、子どもたち自らが決めている学校もあります。文部科学省の指定を受けて、4年前から試験的に取り組んでいます。この班では、「友達の有効期限はあるのか」をテーマに話し合いました。

生徒
「友達に有効期限あるとしたら、幼稚園のときの友達は、小学生になって会ったらもう友達じゃなくて別人ということになっちゃうし。」

生徒
「例えば私と友達がけんかしちゃう。そうしたら、けんかしちゃうからずっと離れ離れで、その人のことを考えちゃうとけんかを思い出しちゃうから、いつかは(友達の縁は)切れてしまうんじゃないかな。」

授業で1つの価値観に導くのではなく、子どもたち自身に価値の多様性に気づいてもらうのがねらいです。

“道徳”が正式教科に 先生は?子どもは?

これは一部の学校だと思うんですけれども、どうすればほかの学校でも、この考え・議論する授業を実現できるんでしょうか?

尾木さん:タブレットを使うというのも1つですけれども、一般的な公立の小学校では、なかなか難しいと思いますので、さきほど出てきた「班討論」、班で討論して、班でだとみんなが意見を言えますから、授業に参加してる充実感・達成感があるんですね。それを代表が発表してっていう形が、いちばんやりやすいかなと思います。

みんなが自分の考えを、なんらかの形で表明できる。それを可視化するというような。

尾木さん:それがお互いの相互理解にもつながっていくと思います。

道徳を教える役割、私たちに何ができる?

尾木さん:やっぱり家庭の役割も大きいと思いますので、できれば学校で習っていることをしっかり家庭でもつかんでいただいて、そして、それを親子で話し合って、学校でそう習ったか分からないけど、うちはこういう特殊な事情があるから、こうだねというようなお話をしてくださるといいし、それから、家庭にそういう機能はそんなにないよというところでは、やっぱり地域社会全体が子どもを包み込んで、いろんな総合的な生活の中で、「君、そんなことやっちゃいけないよ」とか、道徳の教科書がなくても、いっぱい教えられますよね、そういったあったかい地域社会になっていけばいいなと思いますよね。

道徳の授業の現場では、価値の押しつけにならないかと、戸惑い、悩む先生たちの姿がありました。慎重な声も根強くあったこの道徳の教科化。まだ始まったばかりですが、どのように授業が進められていくのか、私たちも関心を持ち続けていきたいと思います。