クローズアップ現代

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2018年3月7日(水)
スケートと人生と 浅田真央 初めて語る思い

スケートと人生と 浅田真央 初めて語る思い

去年4月に引退発表した浅田真央さん。その後はピョンチャンの喧噪からも離れ、今後の針路を探し続けてきた。その方向性が定まった。自前で衣装や振付を作り、地方のリンクを行脚するというのだ。“直接感謝を伝えたい”。その手始めに2月訪ねたのは、原発事故の影響で封鎖されていた福島県川俣町の田んぼリンク。3年前訪ね、復活したら再訪したいと約束していた。「第2の人生」を歩み出す浅田さんに、武田キャスターがインタビューで迫る。

出演者

  • 浅田真央さん (フィギュアスケーター)
  • 武田真一 (キャスター)

浅田真央 初めて語る ピョンチャンと人生と

ゲスト 浅田真央さん(フィギュアスケーター)

“ゆづ君!しょうま!おめでとう!!”

ピョンチャンオリンピックのさなか、ネット上で話題になった写真。金銀のメダリストと並ぶ浅田真央さんです。自らも目指していた同じオリンピックの舞台。どんな思いで見つめていたんでしょうか。

浅田さん:いちフィギュアスケートファンとして見ていたので、とにかく緊張しました。

浅田さんが緊張した?

やっぱり、もちろん出る自分たちも緊張するんですけども、見て応援する側もすごい緊張する。手に汗握るし。

日本中の注目を集めた、去年(2017年)4月の引退会見。

フィギュアスケーター 浅田真央さん(去年4月)
「新たな目標を見つけて、笑顔で、前に進んで行きたい。」

その後、メディアの前にほとんど姿を現さなくなり、海外への1人旅などに出かけた真央さん。揺れ続けた思いを、初めて打ち明けてくれました。

浅田さん:スケート靴、もう捨てようかなって…、そんなことも言っていましたね。

今、真央さんは、多くの出会いを通じて、新しい夢の手がかりをつかもうとしています。

27歳になった、浅田真央さん。自ら語るスケートそして人生です。

浅田真央 初めて語る “これからの人生”

引退から間もなく1年。浅田真央さんの今の目標は、これまでにないスタイルのアイスショーを作ることです。

音楽から衣装、振り付けまでを自ら考案。公募して集まったスケーターたちと共に、5月から全国各地のリンクを回る予定です。

浅田さん:この辺でこうやって座るんです。

リンクの中に?

最もこだわっているのが、お客さんとの距離感です。

浅田さん:テレビだと、音とか、スケーターが通るときの風とか感じられないと思うんですけど、間近に来るので、いろんなものが見られる。

現役のころと今では、練習に向かう感覚の違いは?

浅田さん:全然違います。現役の時は試合と練習の往復だったので、今はアイスショーで、技術ももちろん大切なんですけれども、お客さんにどうやって楽しんでもらえるかな、どうしたら綺麗にみえるかなっていうことを考えればいいので、その気持ちの違いっていうのは、すごくありますね。

新しい人生ですよね。

浅田さん:選手ではない、スケーターとしての再スタートかなって思います。

浅田真央 オリンピックへの思い

アイスショーの準備に打ち込む中、観戦したピョンチャンオリンピック。

浅田さん:もちろんフィギュアも見ていましたし、カーリングだったり、スピードスケートだったり、ジャンプだったり、ハーフパイプだったり、いろんな種目を見てました。

ピョンチャンオリンピックを、かつては「目指したい」と宣言されていた。

浅田さん:そうですね。

そういう中で、自分がいないオリンピックをどう見ていた?

浅田さん:私は、自分が復帰をしてピョンチャンオリンピックを目指すといってやってきたんですけれども、自分が復帰をして、もう自分の体も気持ちも限界っていうのはわかったので、もうなんかやり切ったという気持ちの方が強くて、特に、またオリンピックを見て、自分が何かをまた思い出したりとか、出たいなと思うことはなかったんですね。坂本選手も宮原選手もすばらしい演技だったと思うんです。みんなそれぞれ切磋琢磨して頑張っているなっていうのを見ていて、また次のオリンピックも頑張ってほしいなって思うので、私はバトンタッチできたのかなって思いますし、してよかったなと思います。

日本中の期待を背負い続けてきた真央さん。5歳で始めたスケート。夢はオリンピックで金メダルを取ることでした。しかし、2006年のトリノ大会は年齢制限で出場できませんでした。トリプルアクセルを3回成功させながら、銀メダルに終わったバンクーバー。そして、前回のソチ。前半大きく出遅れ、またしても金メダルには届きませんでした。
その後もピョンチャンを目指し、現役を続行。しかし、自らの限界を悟り、去年4月、21年間の競技人生にピリオドを打ちました。
引退後、メディアの前にほとんど姿を現さなくなった真央さん。一時は、重い決断も頭をよぎったと明かしてくれました。

浅田真央 引退から1年 初めて明かす思い

浅田さん:引退発表してからは、自分はもうスケートをやり切ったと思って、これからスケートとどう向き合っていこうかなって考えていて、1度スケートと離れてみたいって思っていたので。

離れてみたい?

浅田さん:はい。スケート靴、もう捨てようかなって…、そんなことも言っていましたね。

それは、スケートをもうやりたくないという思い?

浅田さん:そうですね、一応、その思いでその時はいました。

小さいころからやってきたスケートをもうやりたくないと思うのは、どんな思いだった?

浅田さん:そうですね、それだけ多分もうスケートはおなか一杯になったんじゃないかなって。もうおなか一杯っていう感じでしたね。

スケートと距離を置き、海外への1人旅などに出かけた真央さん。これからの人生の進路を探し続けました。そんな中、各地で真央さんを待っていたのは、ファンの人たち。

「辛いとき、悲しいときに、真央ちゃんのスケートが心の支えになりました。ありがとうございます。」

改めて気付かされることがありました。

浅田さん:声援っていうのが、ほんとにすごいパワーになるんですね。それでやっぱり何度も助けられましたし、たくさんの方に頑張ってねって声を掛けてもらえると、自分もすごいパワーもらえるので、自分が何ができるかなと思った時に「あ、やっぱり自分はスケートしかないんだな」と思いました。そこで、皆さんにもう一度、全国で感謝の滑りをお伝えしたいって思いましたし、それだけではなくて、私は5歳からフィギュアスケートをしてきて、そのフィギュアスケートと共に成長して歩んできたフィギュアスケートに、さよならするのは申し訳ないなと思って、フィギュアスケートに対しても恩返しをしていきたいなって思って。

スケートが好きなんですね。

浅田さん:好きなんですよね。だから今回も、滑ってても本当に好きだなって思います。あれだけ、もういいのかなって思ってたのに、また戻ってきて、毎日滑れるっていうことは、それだけ好きなんだろうなって思います。スケートを通して、感謝というものをお伝えできればいいなと思います。

浅田真央 福島へ 涙の再会・新たな一歩

“大好きなスケートで恩返しを”

2月、真央さんがその第一歩を踏み出したいと考えていた場所があります。福島県川俣町です。
3年前、ソチ大会の後、現役続行か引退か、ハーフハーフでこの地を訪ねた真央さん。

被災地の人たちからもらった言葉が、現役を続ける1つのきっかけになりました。
この旅で最も真央さんの心を捉えたのが、山木屋地区にある、田んぼリンクです。

子どもたちでにぎわった街のシンボルは原発事故の影響で閉鎖に追い込まれていました。

管理人の菅野十一さんです。真央さんは、菅野さんとある約束をしました。

菅野十一さん
「あんなに田んぼにすすきが大きくなっていたが、こんなに立派なスケート場になるのか、必ずできますから、ぜひそのときは。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん(2015年)
「そのときは、またうかがいます。」

この約束の後、菅野さんは病に倒れます。闘病のさなか見守ったのが、真央さんの引退会見でした。

菅野十一さん
「本当に努力して、これまできたんだから、お疲れさまですね。ここでバンザイして送りたいくらいです。」

3年ぶりとなる、今回の訪問。

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「あれ?これ田んぼリンク?」

避難指示が解除され、営業を再開した田んぼリンク。
菅野さんとの再会です。

菅野十一さん
「3年前、ここで約束したから。ぜひ今回、スケート場の上に立ってもらいたいと約束したから。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「だから来ました。十一さんがご連絡してくれたみたいで、それで知ったんですよ。」

菅野十一さん
「毎日のように夢見てました。ここで再会できるのいつかなと思って。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「十一さん、私、前来た時、もっと小ちゃかった気がしたんですけど、これは大きくされたんですか?」

菅野十一さん
「あの時ね、草がこういったから。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「草があったからですか。」

菅野十一さん
「小さく見えたの。一生懸命頑張って。」

菅野十一さん
「自然のスケート場っていったらおかしいな。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「いや、立派なスケート場だと思います。」

菅野十一さん
「スケート場までいかねえかな。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「いえいえ、スケート場じゃないですか。これ、すごい本当に。」

菅野十一さん
「滑ってちょうだい。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「滑りたいです。」

菅野十一さん
「ぜひ滑ってちょうだい。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「よし、行ってきます。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「あっ、すご〜い!固いですね、結構。
外の手作りのリンクで、今までの中で一番滑りやすい。」

「わあ、うれしいね。」

「聞いた?外のリンクで一番いいって。」

「ありがとうございます。」

リンクを整えるため、毎晩欠かせないという水まき。

現役時代に背中を押してくれた山木屋の人たち。田んぼリンクに込めた復興への思いを真央さんも感じていました。

十一さんの思いは、どんなふうに受け止めた?

浅田さん:本当に十一さんのその思いって本当にすばらしいなって思いますし、手作りのアイスリンクで、やっぱり簡単に作れるものではないので、地元のお父さん、お母さんだったりが、夜、毎日氷をまいて作ったリンクなので、すごく温かい気持ちになりましたし、もっと長く、そのリンクを作り続けてほしいなというふうに思いました。

田んぼリンクに水をまいた翌日。山木屋出身の小中学生たちがやって来ました。

震災の影響で、今は町内の別の地区などに住んでいます。

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「『オープンしたよ』って聞いたので、今日ここに来ました。みんなと一緒に滑って、楽しい時間を過ごせたらいいなと思いますので、皆さん、よろしくお願いします。」

真央さんが先生役になって、スケート教室が始まりました。

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「全く滑れないよっていう子は、このイス持ってもいいから、歩く感じで。」

震災以降、スケートから遠ざかり、どこかぎこちない子どもたち。真央さんは、一人一人に寄り添って滑り方をアドバイスします。

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「ひざをしっかり曲げて。上体ちょっと前ね。」

最後は、リレー競走。生まれて初めて履いたスピードスケート用の靴は…。

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「(フィギュアスケートと)全然違うんだね。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「1回戦はお菓子。2回戦は真央とツーショット撮れる。」

「やったあ。」

フィギュアスケーター 浅田真央さん
「2回目勝ったら真央とツーショット。そんなにうれしくない?」

真央さん、子どもたちにスピードを合わせようと、何と後ろ向きで滑走。

田んぼリンクに、子どもたちの歓声が戻ってきました。真央さんは、子どもたちと触れ合う中で、将来の夢への手がかりもつかみました。

浅田さん:私、教えるのも好きなんだなっていうのは思いました。今はもう自分のアイスショーの方が中心でやっていますけど、また自分が選手ではないですけど、スケーターとして滑らなくなった時に、じゃ次は何ができるかなって思った時に、指導かな?なんていう思いも、今、この頭のちょっと隅にはあるので、そういったのもいいんじゃないかなとは思っています。

改めて、浅田さんにとってスケートとは、どんな存在?

浅田さん:恋人でもあり、家族でもあり、運命。スケートと出会えたことが運命なのかなというふうに思います。

浅田真央 27歳 スケートと人生と

幼いころから多くの人々の期待を背負い続けてきた、浅田真央さん。第二の人生は、自分自身のために歩んでほしいと心から願います。
その人生について、「最後だけは決めているんです」と、驚きのプランをインタビューの締めくくりに語ってくれました。

浅田さん:自給自足の生活をするっていうのが、私の最終的な夢なんです。

自給自足?

浅田さん:はい。たぶん、いろんなものをやり切ったなと思ったら、私は山に行って、それこそ海の近くだったら自分で魚を取ったり、山に出て狩りをして、イノシシとかをさばいたり、そういったことを本当にしてみたいんです。

それはなぜ?

浅田さん:食べることが好きだからっていう。それが一番のぜいたくなのかなって思いますね。

自由でいたい?

浅田さん:それもあるんじゃないですかね、やっぱり。結構、自由にのびのびと生活してみたいなと。全てがナチュラルで、解放させて、最後は生涯を終えたいなと思います。