クローズアップ現代

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2017年9月11日(月)
100m 9秒台の世界へ ~日本選手初・桐生祥秀が語る~

100m 9秒台の世界へ ~日本選手初・桐生祥秀が語る~

陸上男子100mで日本選手初の9秒台を出した桐生祥秀に単独インタビュー。高校 3年のときに10秒01を出してから4年。苦難と偉業達成の真相を語った。さらに 番組では9秒98の走りを徹底分析、進化をもたらした独特のトレーニングに迫る。 また、桐生選手の歩みを振り返りながら、数多くのハイレベルな選手を次々と輩出す る日本男子スプリント界の底上げの実態や背景を明らかにする。

出演者

  • 為末大さん (元陸上選手)
  • 武田真一・田中泉 (キャスター)

桐生祥秀が語る 100m “9秒台”の世界

人類で一握りの選手しか見られない境地へ。
桐生祥秀選手、21歳。NHKのインタビューに応じました。

一昨日(9日)、陸上の男子100メートルで日本選手初の9秒台をマークしました。

桐生祥秀選手
「やっと世界のスタートラインに立てた。大きい試合で勝負するのが目標。ここから先の陸上人生の方が長いと思うので、0.01秒でも速くゴールして、強い選手になっていきたい。」

4年前、高校生で10秒01を記録。9秒台まで、わずか20センチにまで迫りました。しかし、その後タイムは伸びず、苦しい戦いが続きました。

桐生祥秀選手
「本当に1回やる気がなくなりました。こんな短い距離が更新できない葛藤はあった。それが陸上競技だと思うので。みんなそこの一瞬を求めて、何度も何度もやってると思う。」

10秒の壁を破るために始めた体幹トレーニング。実は、あの金メダリストが指導していました。
9秒台の扉をこじあけた桐生選手。ライバルたちもあとに続くのか。歴史的快挙の知られざる舞台裏に迫ります。

桐生が語る9秒98 歴史的快挙の舞台裏

桐生選手のふるさと、滋賀県彦根市。日本最速のルーツは意外なものでした。
小学時代はサッカー選手。しかもポジションは、なんとゴールキーパーでした。
当時のコーチ、峯浩太郎さん。突出した足の速さを武器に、広い守備範囲を誇った桐生少年の姿が目に焼き付いています。当時の試合映像。

俊足を生かして素早く飛び出します。

サッカークラブ コーチ 峯浩太郎さん
「出足が速いので、ペナルティエリアに入ってきたボールを相手のフォワードの選手より前に出て、先にセーブする。相手のカウンターを阻止するような形でやっていた。」

走ることが大好きだった桐生選手が中学校で選んだのは陸上部。学校近くの公園にある坂に毎週のように通い、ひたすら上り下りを繰り返しました。
この坂は今、地元では…?

「桐生坂!」

桐生選手を指導した陸上部の億田明彦さん。ここで桐生選手の強じんな足腰が育まれたといいます。

彦根市立南中学 陸上部顧問(当時) 億田明彦さん
「一本一本集中して、自分の体と相談しながらスピードを上げたりという感じで、真面目にこつこつとやっていましたね。」

桐生選手の名前が一躍全国にとどろいたのは、高校3年の時でした。
10秒01。9秒台まであと100分の2秒。わずか20センチに迫ったのです。

速く走る鍵は、1歩の歩幅「ストライド」。そして、1秒間の足の回転数ピッチを、いかに上げるかにあります。
このレースで、桐生選手のストライドは2.12。ピッチは4.72。高いレベルで、この2つを両立させていたのです。にわかに現実味を帯び始めた夢の9秒台。

桐生祥秀選手
「目標は『日本最速と9秒台』。もういける、いけないと言うのもおかしい。ここからどう成長するかわからないが、9秒台を目標にしていきたい。」

翌年、桐生選手は鳴り物入りで大学に進学。9秒台への大きな期待を一身に背負い、徹底的に体を鍛えます。しかし、最初の2年間はけがが相次ぎました。あと20センチが届きません。けがが回復し、3年生で出場した日本選手権。タイムは10秒31。悔しさをあらわにしました。

桐生祥秀選手
「次、負けないようにしたいと思います。」

桐生選手の大きな課題となっていたのが、レース中盤以降、体が反ること。

速く走りたいと気負うあまり、上体のバランスが崩れてしまっていたのです。その結果、この日本選手権では、10秒01を出した時と比べて、ストライドは4センチ、ピッチも0.05少なくなっていました。
自己ベストを更新できない中、桐生選手が指導を仰いだのが室伏広治さんでした。

ハンマー投げで金メダルを獲得した室伏さん。桐生選手は、筋肉の効果的な使い方を知り尽くす室伏さんに体幹周りのトレーニング方法を学ぶことで、上体を安定させようと考えたのです。

桐生祥秀選手
「体感の芯の部分、見た目には見えない部分が鍛えられたし、何より世界一をとった人から教えてもらう、メンタル面でもすごく大きい。」

五輪 金メダリスト 室伏広治さん
「筋力強化であったり、体の使い方など、まだやったことがないと。肉体改造、動きの改造、彼の持ち味が出せるように取り組んできた。」

今年(2017年)の正月、飛躍を誓って、おみくじを引いたという桐生選手。

桐生祥秀選手
「20回くらい引いた。最初は、なに吉かわからないけど、最終的には、大吉だった。」

それでも、4年前に出した自己ベストを更新するのは簡単ではありませんでした。
10秒26。手にできると思っていた、世界選手権100メートル代表の座を逃しました。

桐生祥秀選手
「1回やる気がなくなりましたね。自分が負けたから選ばれない、勝負の世界なので。トレーニングとか、練習はやめたいというのがあった。」

走る意味さえ見失いかけていたという桐生選手。練習をすることもできなくなりました。
ようやく走ることが出来たのは、日本選手権の1週間後。1人、無心になって走るうちに、自分の原点ともいえる感覚を取り戻していったといいます。

桐生祥秀選手
「原点は走って楽しい。それに優勝したら楽しいも入る。走って楽しいのが原点。もう一回味わいたい。」

気が付けば、50メートルのダッシュを70回も繰り返していました。
そして迎えた、一昨日のレース。左足に違和感を抱え、出場するか迷ったという桐生選手。
そのことで逆に肩の力が抜けプレッシャーを感じずに済んだといいます。

日本選手初の偉業達成。4年間の苦節を乗り越え、たどりついた新たなステージ。歴史に刻まれた9秒98。その偉業をスタジオで徹底解析します。

データで徹底分析 9秒98の世界

ゲスト 為末大さん(元陸上選手)

田中:身長1メートル76センチ、体重70キロ。陸上選手としては、決して大柄ではない桐生選手。そのピッチとストライドの比較です。10秒31に終わった去年(2016年)の日本選手権に比べ、今回はどちらも向上しています。そして、かかった歩数は48.2歩から、47.3歩に減りました。

かつて400メートルハードルで、オリンピックに3度出場された為末さん。
今回の桐生選手のこうしたデータをどう見る?

為末さん:やはりストライド、ピッチともに高かったというのが大きいと思うんですが、特に後半、走りの乱れがなかったので、ストライドが1歩分少なくなったんじゃないかと思います、歩数が。
(為末さんが、もう1つ注目されているデータがある?)
数字を1つ見ていただきたいんですが、最高速度というのが100メートルの中で出てくるんですけれども、これが出現している時点が、昨年に比べて10メートルほど後ろになっているんですね。

画面の右側が今回。65メートルの地点で最高速度が出ていると。

為末さん:最高速度が11.67。1秒間に11メートル67センチ進むということになります。

これまでは、55メートルの地点で最高速度が出ていた。これは、どういうこと?

為末さん:これは、後ろで最高速度が出れば出るほど、一応いいというふうにされているんですね。桐生選手は、スピードが一気に上がって、それから後半にちょっと落ちることが多かったんですが、今回は、全体として洗練されてきているなという印象があるので、やはり技術が高くなったのかなというふうに思います。
(速いスピードで後半まで引っ張ることができるような走りになった?)
そうですね。特に最後のスピードが落ちるところはなくなったという印象があります。

桐生選手、4年間期待されながら、記録を更新するということがなかなかできなかった。本人もこんな短い距離が更新できないなんて、というふうに言っていた。わずか100分の3秒自己記録を縮める。これは、どんな世界なのか?

為末さん:彼ぐらいのレベルになると、参考がないんですね、前の人がいないので。そうすると、何をやってもうまくいかない時には、霧の中で自分が前に進んでいるのか、後ろに行っているのか分からないわけですね。横を見ると、うまくいっている選手がいるのを見て、彼みたいなのをまねした方がいいんじゃないかといって、迷ったりと。そういう不安がいろいろあるんですけれども、やっぱり桐生スタイルを貫いていったというのが、今回、偉業につながったんじゃないかと思います。

試行錯誤というのは、なかなか結果につながらないもの?

為末さん:練習した結果が出るのが、1年後とかってタイムラグがあるんですね。だから自分を信じるしかないというのが、よく我慢したなという印象ですね。
(苦しいですよね。)
苦しいですね。誰か分かってくれって言っても誰もいないので、分かる人が。その中で1人で戦ったんじゃないかと思いますね。

田中:この日本選手初の9秒台。国際大会での決勝のスタートラインに立つことも夢ではなくなりました。先月(8月)行われた世界選手権決勝でのタイム。上位4人が9秒台でした。気象条件などの違いはありますが、タイムだけで見れば、今回の桐生選手は、ウサイン・ボルト選手に次いで、4位に入ることになります。

これで日本選手も、国際大会の決勝で戦うことが、現実味を帯びてきたと言える。改めて、今回の9秒台が出たということの意味をどう考える?

為末さん:陸上競技だと、やはり100メートルに一番能力の高い人間が集まっているんですね。その世界で、10秒というのはずっと壁とされていたのが破ったわけですけれども、陸上界の中では、これ以上インパクトのあることをこの後やるとしたら、100メートルのメダルとか、世界一しかないんじゃないかと、そんなふうに話をしているんですね。大きいのは、これによって選手たちが、次の目標は10秒ではなくて、9秒98になったわけですから、すべてのスプリンターが今日、まさに今この瞬間から、そのあたりを狙って練習している意味で、全体の底上げが図られるんじゃないかと思いますね。
(もはや9秒の壁はない?)
そうですね。すべての選手がもう9秒98に向かっているということだと思います。

田中:こちらは、日本の上位10人のベストタイムの平均です。

年々、タイムは早くなり、今年8月時点で10秒12。世界での順位は、記録がある65の国と地域の中で5位につけています。桐生選手の快挙の背景には、こうした分厚い選手層がありました。ライバルたちも、次なる9秒台を狙っています。

“9秒台”の世界 狙う日本選手たち

今回桐生選手と同じレースを走った多田修平選手。

多田修平選手
「やっぱり悔しい。9秒台を目の前で出されて、もっとやる気が出たというか、桐生選手にまた追いつけるように、がんばりたい。」

世界トップレベルのスタートで次なる9秒台を狙っています。
桐生選手の快挙に先を越されて悔しいと語った山縣亮太選手。自己ベスト10秒03は、現役で2番目のタイムです。

ケンブリッジ飛鳥選手は、自己ベスト10秒08。

そして、18歳にして、今年の日本選手権を制した、サニブラウンアブデル・ハキーム選手。

9秒台まであと数十センチに迫る、史上かつてない数の若きスプリンターが育っているのです。

“人類最速”の舞台へ 日本陸上界の悲願

人類最速の舞台へ。期待が高まる日本陸上界。そこには、地道な取り組みがありました。
日本選手が、オリンピック男子100メートルで決勝に進出したのは85年前。「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳、ただ1人です。

一方、カール・ルイスの登場を機に、世界の陸上界は高速化。9秒台が当たり前の時代に突入します。危機感を抱いた日本は、スプリント学会を結成。世界最先端のトレーニング理論を取り入れようと動き始めます。

カール・ルイスのコーチ トム・テレツ氏
「黒人でもアジア人でも女性も男性も変わりません。体の動きは皆同じなんです。」

2007年には、全天候型のナショナルトレーニングセンターが完成。

為末大選手
「すごいものを作りましたね。」

桐生選手も、ここでトレーニングを積みました。さらに、併設する国立スポーツ科学センターでは、最新機器によるフォームの解析が可能になったのです。
その成果が表れたのが北京オリンピック。400メートルリレーで初めて銅メダルを獲得します。
その後、陸上教室が人気を集め、2年間で高校生の競技人口は7,000人近く増加。平均タイム世界5位というレベルアップにつながったのです。
世界のレジェンドたちも日本選手の9秒台を予感していました。

世界選手権優勝 ジャスティン・ガトリン選手
「日本の成長は衝撃だ。彼らは今後、さらに成長していくだろう。」

先週来日したウサイン・ボルトさんは…。

世界記録保持者 ウサイン・ボルトさん
「多くの日本選手から自信が感じられた。おそらく2年で10秒を切るだろう。」

そのわずか4日後。

桐生祥秀選手
「9秒台は通過点。世界のファイナリストになろうと思ったら普通。世界で9秒台はたくさんいる中で、大きい大会で勝ちたい、記録を残したい。」

日本選手 “人類最速”の舞台へ

日本選手の底上げの要因を、為末さんはどう見ている?

為末さん:やはり彼らの世代は、北京のメダルを見ているんですね。だから、世界で戦うのが当たり前。それから科学的な手法が進んだというのは大きいと思いますね。
(やはり指導法も変わってきている?)
今のコーチというのは、土江さんというのが桐生選手のコーチなんですが、まさにご自身が選手としても活躍された方なので、それが浸透したのが大きいと思います。

指導層も分厚くなってきているというのが、1つの要因だと。
日本のアスリート、これまで身体能力に劣るなどと、よく言われてきた。しかし、今回の9秒台、その固定観念ももはや過去のものとなりつつあると言ってもいいと思うが?

為末さん:すべてのスポーツで、日本選手というのは、フィジカルが弱い、だから技術を鍛えるんだというふうに言われていたと思うんですけれども、陸上競技の中で、これだけ身体能力が影響する100メートルで9秒を出して、まさに世界と戦う、そうなってきているわけですね。こうなってくると、実は日本人はフィジカルが弱いって思い込みは捨てた方がいいんじゃないかと。それ自体がマインドセット、ただの思い込みだったんじゃないかということが広がるんじゃないかと思うんですね。ですので、今回の桐生選手の記録の出した活躍ということが、すべてのスポーツ選手のマインドセットを変える可能性もあるんじゃないかと思います。
(そういう意味で、この9秒台は本当に大きな壁をぶち破ったといえそうですね。)
しかも1人じゃなくて、複数人まだ控えているということが希望が持てるところかなと思います。

世界のスタートラインに立ったと語った桐生選手。この9秒98という記録は、これまで私たちが限界だと思っていた壁を打ち破ってくれました。日本のスプリンターたちが、人類最速を決める舞台で活躍する日を楽しみにしたいと思います。