クローズアップ現代

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2017年7月25日(火)
シリーズ障害者殺傷事件の真実 被告の手紙・遺族の声

シリーズ障害者殺傷事件の真実 被告の手紙・遺族の声

「謎」に包まれていた事件の動機が独自取材で明らかに。1年前、相模原市の障害者施設で19人が殺害された障害者殺傷事件。今回NHKは、警察の捜査情報や100人を超す関係者を取材。ベールに包まれた事件の核心に迫る「独自情報」を入手した。そこからは、これまで伝えられてきた事件の姿とは異なる、知られざる新事実が・・・。2夜連続で事件の深層に迫る。

出演者

  • 森達也さん (映画監督)
  • 熊谷晋一郎さん (東京大学先端科学技術研究センター准教授)
  • 松井裕子 (NHK記者)
  • 武田真一・鎌倉千秋 (キャスター)

“戦後最悪” 19人殺害事件 新たな事実が…

戦後最悪とされる大量殺傷事件から1年。新たな事実が次々に浮かび上がっています。

19人の命が奪われた障害者殺傷事件。亡くなった女性の父親が、初めてカメラの前で語りました。

亡くなった女性の父親
「残念なのは、最後に会ったときに、だっこしてあげられなかったことが、ずっと心残りですよ。」

亡くなった女性の兄
「妹の最後が、納得は全くできない。」

去年(2016年)7月、相模原市の障害者施設で19人が殺害され、27人が重軽傷を負った事件。戦後最悪とされる殺人事件を起こした施設の元職員、植松聖被告。“意思疎通ができない障害者は、生きていてもしかたがない”と供述しました。なぜ、こうしたゆがんだ考えを持つに至ったのか。私たちは、拘置所の植松被告に接触を試み、手紙のやり取りを続けました。そこに記されていたのは、事件の核心に触れる新たな証言。

植松被告の手紙より
“三年間勤務することで、彼らが不幸のもとである確信を持つことができました。殺そうと考えたきっかけは、勤務しているときに観たニュースが始まりです”

日本の犯罪史上例を見ない事件。独自に入手した資料や関係者の新たな証言からその深層に迫ります。

障害者殺傷事件 浮かび上がる事件の特異性

2夜連続でお伝えする、シリーズ「障害者殺傷事件の真実」。1年たって、ようやく明らかになってきたのは、極端な差別思想による大量殺人という、この事件の特異性です。

鎌倉:相模原市にある津久井やまゆり園の元職員だった植松被告は、去年の7月26日の未明に、施設に侵入。およそ1時間の間に、寝ていた入所者を次々と刃物で刺し、19人を殺害、27人に重軽傷を負わせました。この事件のもう1つの特異性は、1年たった今も、犠牲になった人たちの名前や人となりが、ほとんど伝えられていないことです。

こちらは、亡くなった人たちの似顔絵や大切にしてきた思い出の品です。いつもラジオを手放さなかった人、縫いぐるみがお気に入りだった人。19歳から70歳の一人一人に、豊かな個性があり、日常がありました。しかし、警察は遺族への配慮から、19人について匿名で発表し、また遺族たちも、残虐な事件のショックや、差別に対する恐怖など、さまざまな事情から、これまで多くを語ってきませんでした。

事件から1年、初めて遺族が、失われた命の重みをカメラの前で語りました。

“戦後最悪” 19人殺害事件 初めて遺族が語る

事件で26歳の娘を亡くした母親です。娘が懸命に生きてきた証しを伝えたいと、幼いころからの写真を見せてくれました。

娘を亡くした母親
「とにかくついてきて、トイレの中にもついてくる。なんか二重あごになっているけど、かわいい。親ばか、かもしれないですけど。」

3歳のときに自閉症と診断された娘。成長する姿を大切に記録してきました。施設に入れたのは高校2年生のとき。夫の病気や親の介護が重なり、体調を崩して長期入院し、娘の世話をすることができなくなったからです。頻繁に会いに行けない中で、施設から聞いた娘の様子をメモに書き留めていました。

娘を亡くした母親
「書いてあるんですけど、ぶどうをおいしそうに食べ、公園でアイスクリームを食べ、笑顔が多く見えた。」

施設の中で好きだったのが、中庭にあるブランコだったと言います。

娘を亡くした母親
「子どもの頃、結構こいでも大丈夫な感じで、よくブランコに乗っていたかな。楽しい思いをしてたんだな。」

現実を受け止めきれない中で、娘が好きだった曲を繰り返し聴いてきました。

スピッツ「チェリー」
♪“君を忘れない 曲がりくねった道を行く”

この曲を聴くたびに、娘が今もそばにいるように感じています。

スピッツ「チェリー」
♪“いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい”

娘を亡くした母親
「どんな命も、大切な命です。納得いかない、許せない。今は少し落ち着いているけど、その前は本当に、なんか私もそっちにいきたいですって。でも、あまり泣いてばかりいても『お母さん頑張って』って言うような気がして。一生懸命、生きています。」

35歳の娘を亡くした父親です。

娘を亡くした父親
「やっぱり、うちの娘、かわいいなって。残念なのは、最後に会ったときに、だっこしてあげられなかったことが、ずっと心残りです。だっこをすると、必ずかみさんの方を見て、得意そうにしている。『父は私の方が好きなんだよ』っていうふうに。あの世があって会えるんだったら、また、だっこしてやるよという毎日です。」

重い知的障害があった娘。妻が病気で入院し、自身も仕事がある中、施設に入れることを決めました。

娘を亡くした父親
「(施設に)預けたせいでというのは、やはり自分のせいだと思っています。」

父親は、事件を起こした植松被告のある言葉だけは、どうしても打ち消したいと言います。それは“意思疎通ができない障害者はいらない”というものです。娘とは、言葉も気持ちも通じ合っていたからです。

娘を亡くした父親
「片言でも単語は話せるし、何かしてほしいというときには、自分から身を乗り出してくるし、目と目が合えば、だっこしてほしいんだなと分かる。(植松被告の言葉)それだけは否定します。大きなお世話だと思います。」

“戦後最悪” 19人殺害事件 遺族たちの思い

取材に当たった松井記者です。“どんな命も大切な命”と語っていた遺族の声。どんな思いで取材に応じてくれたのか?

松井記者:この1年、お話を聞いてきて思うのは、最初は、障害があるという、ただそれだけで、理不尽に大切な家族の命を奪われたショックから、話す言葉がないという状況だったように思います。それが今回、こうしてお話いただけたのは、傷が癒えたわけでもなく、現実を受け止め始めているわけでもないと思っています。ただただ、娘が一生懸命生きてきたことを知ってほしい、被告の言葉だけは否定したい。被告によって、その存在自体を否定されてしまった大切な家族の、その人生を取り戻したいという思いから、お話くださったように感じています。

鎌倉:事件を起こし、今は拘置所にいる植松被告。私たちは手紙のやり取りを繰り返してきました。植松被告は、精神鑑定で責任能力を問えるとされ、今年2月に起訴されました。事件の動機について、“意思疎通ができない障害者はいらない”“不幸をつくる存在”などと供述しています。しかし、こうした極端にゆがんだ考えは、どうして生まれ、なぜ殺害という行為にまで至ったのかは、明らかになっていません。私たちは、手紙のやり取りに加え、植松被告を知る100人を超す関係者に取材し、その心の闇に迫りました。

“戦後最悪” 19人殺害事件 被告の手紙 心の闇

今月(7月)、拘置所にいる植松被告から届いた手紙です。

植松被告の手紙より
“逮捕されることを覚悟していたのですが、時折、外の生活が恋しくなることもございます”

一方で、事件から1年たった今も反省の言葉はなく、危険な思想を持ち続けていました。

植松被告の手紙より
“意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております”

ゆがんだ考えを持つに至った植松被告。しかし、その足跡からは異なる人物像が浮かんできました。植松被告が通っていた中学校の元教員です。

中学校の元教員 高村雅博さん
「聖(さとし)くんは、ここでしょ。笑顔であるように、人懐っこい感じがしていたね。」

当時、植松被告がいた学校では、障害のある生徒を積極的に支えていたと言います。近所のやまゆり園の行事にも地域ぐるみで参加してきました。

中学校の元教員 高村雅博さん
「本当に身近な存在だった、障害のある人は。なんで彼がそういう行動をとったのか、わからない部分だよね。」

その後、植松被告は障害のある子どもを支えたいと教員を目指しました。大学時代に書いた履歴書です。このころ、子どもの発達障害などについて学んでいました。

しかし、次第に授業についていけなくなり、教員の免許を取得できませんでした。大学時代の友人は、教員になれなかったことで落ち込む姿を記憶していました。

大学時代の友人
「一生懸命、先生になりたいので授業とかには取り組んでいたので、現実を突きつけられた。結構、落胆はしていましたね。」

一度は障害者の支援を目指した植松被告。いつ、どのようにして差別的な思想を持つようになったのか。手紙には、自身の変化は大学卒業後に勤めた、やまゆり園で起きたと、つづられていました。

植松被告の手紙より
“支援をする中で嫌な思いをしたことはありますが、それが仕事でしたので、殺意を持ったことはございません。しかし、3年間勤務することで、彼らが不幸のもとである確信を持つことができました”

植松被告と施設で一緒に働いていた職員が初めて取材に応じました。初めは仕事に意欲を見せていましたが、次第にやる気を失っていったと言います。

植松被告と一緒に働いていた職員
「支援するのは、かなり体力もいりますし、はっきり言って、精神的につらいところもあります。彼は折り合いをつけているように見えましたが、結局、やっぱり折り合いがつかなかったんですかね。」

入所者や家族の事情を顧みず、一方的な不満を口にするようになっていったと言います。

植松被告と一緒に働いていた職員
「なんで家族はもっと会いに来ないのかと、お金を払って施設に預ける意味があるのかとか、そういう人たちが生かされていて楽しいのか、それを喜んでくれる人もいないのに、やる必要はないだろう、ということを言っていた時期もありましたね。」

障害者に対するゆがんだ考えは、やがて暴力を伴ったものになっていきます。捜査関係者への取材メモです。

植松被告の供述
“障害者と意思を通わせることへの限界を感じるようになり、入所者をたたいて言い聞かせることもあった”

その時期の様子について、植松被告の友人が語りました。

大学時代の友人
「聖(さとし)はおかしくなっちゃってる。(事件の)1年前くらいですかね。言葉のキャッチボールもできない人が中にはいるって言っていて、すごく沸点が低くなったというか、すぐキレるようになった。」

徐々に差別意識を強めていった植松被告。手紙には、殺害にまで至るきっかけが記されていました。それは事件のおよそ半年前のことだったと主張しています。

植松被告の手紙より
“殺そうと考えたきっかけは、やまゆり園で勤務しているときに観たニュースが始まりです。世界には不幸な人たちがたくさんいる。トランプ大統領は真実を話していると思いました”

トランプ氏が繰り返していた過激な発言。捜査当局は、これを見ていた植松被告が自分のゆがんだ考えを正当化したと見ています。

植松被告の手紙より
“深い考えなく、この人たちを殺したらいいんじゃないですかね、と声にしました。一度しっかり考えてみれば、重度・重複障害者を肯定することはできませんでした”

今回の取材で、植松被告がインターネット上で、さらに先鋭化していた可能性も浮かび上がりました。事件の直前まで動画配信サイトで植松被告の発言を見続けていた男性です。過激な発言をあおる一部の声に植松被告は反応していたと言います。

ネットで交流があった “ドレの深夜食堂”さん
「本当は賛成していないんですが、『やっちゃえ、やっちゃえ』という、リスナー側にあおられて、どんどん自分の思想を強化していったり、より自信を持っていった。(事件を起こした)7月の段階では、かなり明確にビジョンを持っていた印象。」

そして事件は起きました。植松被告の心理について、5か月にわたって行われた精神鑑定の内容をNHKが独自に入手。次のように指摘されています。

精神鑑定の取材メモより
“社会的に成功することに強く憧れていた一方で、それを実現できず劣等感を抱いていた。理想の自分と現実の自分との溝に直面し、その溝を埋めるために、社会的に注目される事件を起こそうと考えた”

頻繁に植松被告と連絡を取り合ってきた幼なじみの男性です。事件を起こす前の植松被告の言葉は、大量殺害を肯定するかのように感じられたといいます。

幼なじみの男性
「ずっと“鍵のかかった世界”と言っていたので、やまゆり園の中のことを。その中に閉じ込めていて、何もできない人を解放してあげたいような使命感、本当、自分の中の正義みたいなところからじゃないですかね。」



ゲスト 森達也さん(映画監督)
ゲスト 熊谷晋一郎さん(東京大学先端科学技術研究センター准教授)

植松被告はどんな人物なのか、そしてなぜ、この極端な思想を持つに至ったのか。松井記者は取材を続けてきて、どう感じているか?

松井記者:友人への取材では、周囲に好かれる普通の青年だったという声も少なくなかった一方で、周囲の目を過剰に気にしたり、劣等感を抱えていたという証言もありました。捜査当局が行った精神鑑定では、周囲に賞賛を求める「自己愛性パーソナリティー障害」など、複合的な人格障害があったと指摘されていて、検察は責任能力があったとして起訴しています。トランプ氏のニュースについてですが、具体的にどのような内容がきっかけだったのかについては、私たちが質問しても明確な答えはありませんでした。なぜ殺害という行為にまで至ったのかは、まだ飛躍があり、明らかになっていない点は多いと感じています。

障害者を支援しようと志した被告が、極端な差別思想を持つようになったこと、そしてその思想を打ち消そうと、家族が声を上げ始めたことをどう見る?

熊谷さん:今回、ご家族の声を聞いて、改めて深い愛情を注がれていたということを再確認するとともに、その選択肢が限られた中で、やむをえず施設に頼らざるをえなかった、そして施設もそれを受け入れざるをえなかったという、せっぱ詰まった状況があるということを再認識しました。本当に責任を問われるべきなのは、彼らを丸ごと排除してきた社会であること、これを私たちは忘れてはいけないというふうに思っています。また被告のVTRからは、彼が描いている正義感や理想というのが、その時々に置かれた環境によって、一貫性なく、変化し続けていることにめまいを覚えました。通常、正義とか理念というものに一貫性をもたらすのは、その傷ついた過去の自分の固有の経験であったり、あるいは限界のある自分の体、いわば等身大の現実の自分だと思うんですが、そういうものを彼が冷静に見つめる機会がなかったのか、あるいはそういう等身大の自分、現実の自分を分かち合う仲間がいなかったのかが、とても気になります。

この特異な事件から、私たちは何を見ればいいのか?

森さん:確かに特異な事件ですよね。でも、事件とか現象とか、常に特異性と普遍性の両方があります。どうしても、こうして耳目を集める事件の場合、僕たちは特異性ばかりに目が行ってしまう、メディアの側も、そればかりを強調しようとする、それだけでよく分かんなくなります。モンスターになってしまう。むしろ、だから普遍的な部分、つまり今日(25日)のVTRで言えば、植松被告が子ども時代、どんな子どもだったのか、そもそも障害者にあれだけ接していたのに、なぜ、反転してしまったのか、そのあたりを特異性と普遍性の両方に視点を置きながら、立体的に考察していかなければいけないし、そのほうがいくつかあったと思いますね。だから、もう少し見続けたいと思います。
(社会の側にも何かなかったのか、という点も見なきゃいけない?)
普遍性は社会の側にもあります。