クローズアップ現代

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2017年6月14日(水)
“世界最速”佐藤琢磨 No Attack No Chance (挑戦なくして チャンスなし)

“世界最速”佐藤琢磨 No Attack No Chance (挑戦なくして チャンスなし)

“世界最速”ともいわれる自動車レース「インディ500」でF1出身の佐藤琢磨選手が日本人初優勝。デッドヒートを繰り広げ、残り5周で一気にトップに躍り出る劇的勝利だった。琢磨選手が大切にする言葉がある。「NO ATTACK NO CHANCE(攻めなければ、チャンスはない)」。琢磨選手はどのように過酷なレースを制したのか?そして挑戦し続ける琢磨選手の信念の源はどこにあるのか?徹底インタビューで迫る。

出演者

  • 佐藤琢磨さん (レーシングドライバー)
  • 武田真一・田中泉 (キャスター)

日本人初の快挙 佐藤琢磨・生出演

ゲスト 佐藤琢磨さん(レーシングドライバー)

F1のモナコ・グランプリ。ルマン24時間耐久レースと並ぶ世界3大レース、インディ500。日本人として初優勝の快挙を成し遂げた、佐藤琢磨選手に完全密着です。

30万人を超える大観衆が熱狂する世界最大のスポーツイベントインディ500。最高時速380キロ以上。だ円形のコースを200周、800キロを走る世界最速のレースです。今回、私たちはレース中、琢磨選手とスタッフが無線でやり取りした音声を入手。一瞬の判断が勝負を分けた舞台裏が明らかになってきました。
日本人として前人未到の歴史的快挙は、どのように生まれたのか。帰国したばかりの佐藤琢磨選手に、スタジオでじっくり伺います。

インディ500、日本人初優勝を果たした佐藤琢磨さんです。
おめでとうございます。

琢磨選手:ありがとうございます。

今日(14日)は、当時着用していたスーツとヘルメット、シューズをお持ちいただきました。

琢磨選手:もうレースを走ったままなので、油ですとか、タイヤのかすとかが、まだヘルメットについていますね。

そして指先には、優勝者だけに贈られる優勝リング。

101回の歴史を誇るレースで、初めてこのリングをつけた日本人。これを母国に持ち帰った今の心境は?

琢磨選手:税関で引っ掛からないかなって、結構心配していたんですけど。まあ、冗談はさておき、本当にこういうチャンピオンリングをつけさせてもらうっていうのは、本当に光栄なことです。とにかく、皆さんに対しての感謝の気持ちで今、いっぱいなんですね。本当に自分一人では、やっぱりレースできませんし、完全なチームワークで勝ち取った勝利ですから、本当にこれまで応援してくれたファンの皆さん、スポンサーの皆さん、そしてチーム全員の力でしたね。

優勝したその日から周りの反応もがらっと変わったのでは?

琢磨選手:レストランに行っても、本当にいろんな人がおめでとうって声をかけてくれますし、やっぱりインディ500の、特に北米での認知度というのはものすごく高いなと改めて感じました。

田中:今回の琢磨選手の優勝、どれほどすごいことなのか。インディ500は、アメリカの中西部の都市・インディアナポリスで行われる500マイルのレースのことです。毎年行われ、今年(2017年)で101回目。今年の優勝賞金はおよそ2億7,000万円。アメリカ、ヨーロッパを中心に世界中のトップドライバーが腕を競う、世界最大のスポーツイベントです。琢磨選手の優勝は、日本人としてはもちろん、アジアでも初めてです。
このインディ500、使う車体にも特徴があるんです。F1では、各チームが独自に車体を開発しますが、インディ500では、どのチームも同じ車体を使います。そのため、勝負はドライバーの腕と、マシンを調整するチームの技術力にかかっているのです。

7年前、F1から転身してきた琢磨選手。勝利のカギは一体なんだったのか。その舞台裏に密着しました。

“世界最速”佐藤琢磨 快挙の舞台裏に密着

先月(5月)28日。100年以上の歴史を誇るインディ500の当日。
レース直前、控え室でマッサージを受けていた佐藤琢磨選手。今回が8度目の挑戦となります。琢磨選手には、こだわり続けてきた信念があります。

“No Attack,No Chance(挑戦なくして、チャンスなし)”

その言葉を最も体現したのが、5年前のインディ500でした。2番手で、ラスト1周を迎えた琢磨選手。ここで安全策を取って2位を確保することもできました。しかし、トップを走るマシンのインコースを突き、スピン。17位で終わりました。

佐藤琢磨選手
「勝てるレースをみすみす逃す。そこにチャンスが開かれる機会があるのに。それを挑戦しにいかないというのは、自分の中ではなかった。トップに出る好機があるのに、それにいかないドライバーはいないですよね。」

5年前の攻めの姿勢が多くの人の記憶に刻まれた琢磨選手。30万人以上の大観衆が見守ります。

実況
「さぁスタートだ。」

モータースポーツの中でも、最もスピードが出るといわれるインディ500。瞬時の判断を正確に行うため、超高速で走るドライバーと無線でつながるスタッフがマシンの状況やライバルの位置などを知らせます。

無線(チームスタッフ)
「いいぞ、安全だ。だんご状態が解消されるまで待とう。」

まず、琢磨選手とチームが立てた作戦は、トップ集団と距離を置き走り続けることでした。

実況
「なんて大きなクラッシュだ!」

レースは大荒れの展開となりました。マシンどうしの接触や、壁への激突が相次ぎます。車体の性能にほとんど差がないため、多くのマシンがひしめき合うインディカーレース。あるリスクが付きまといます。高速で走るマシンの周りに吹き荒れる乱気流。巻き込まれるとマシンがコントロールできなくなってしまうのです。琢磨選手も去年(2016年)、乱気流に襲われた経験がありました。トップへの追い上げを図っていましたが、リタイアに追い込まれたのです。今回、琢磨選手は乱気流を避け、冷静にレース展開を見定めていました。

佐藤琢磨選手
「長いレースですし、10台に飲み込まれるよりは、前に4〜5台、あるいは2〜3台の方が、リスクマネジメントがしやすい。」

序盤、順調にレースを進めてきた琢磨選手。82周目。ピットインの時に思わぬアクシデントに見舞われます。タイヤを車体に固定する部品が転がり、作業に手間取ったのです。

無線(チームスタッフ)
「まだだ、行くな。行け、行け、行け。」

予定していたよりも、およそ2秒ロスしてしまいました。勢いを失った琢磨選手は、その後一気に順位を落としてしまいます。それでも琢磨選手に焦りは全くありませんでした。実は、レース終盤に勝負をかける秘策があったのです。
琢磨選手が3週間かけてチームのスタッフと取り組んだのがマシンの調整。
レース終盤、その調整が功を奏します。ライバルたちがタイヤの磨耗で苦しむ中、順位を徐々に上げていきます。ピットインでのアクシデントから、84周をかけて順位を6位まで戻しました。

佐藤琢磨選手
「このときに“きょうはいけるだろう”と手応えはありました。かなり意識して車を作ってきたので。」

レースは最終盤を迎えます。

無線(チームスタッフ)
「1対1だぞ。」

残り6周。

実況
「2番手に佐藤がきた!」

ついに2位まで追い上げました。5年前、2位から果敢にアタックし、スピンしてしまった、あのレース展開が脳裏をよぎります。今回、行く手を阻むのは、エリオ・カストロネベス。現役最多、3度の優勝に輝いた名ドライバーです。
残り5周、琢磨選手の決断は…。

実況
「佐藤が後ろから追い上げてきた!佐藤が横に並んで、外側から抜いた!」

5年前とは違い、アウトコースから仕掛けた琢磨選手。決断の裏には、マシンへの揺るぎない信頼がありました。

無線(チームスタッフ)
「集中を切らすな!」

しかし、ここから百戦錬磨の元王者が猛烈な追い上げを。前方だけに集中する琢磨選手。スタッフの声が支えます。

無線(チームスタッフ)
「外側に注意。外側だ、外側だ。クリアだ、いいぞ。
あと1周だ。」

そして。

実況
「チェッカーが振られようとしている!新たな歴史が作られる!優勝はタクマ・サトウ!」

勝負を分けたのは、0.2秒。自らを信じ、アタックし続けた末につかんだ栄光でした。

“世界最速”佐藤琢磨 日本人初の快挙を語る

琢磨選手、最後、無線で叫んでいましたね。

琢磨選手:叫んでいましたね。本当はチームにお礼を言いたいなと思っていたんですけど、まるで言葉にならなくて、無我夢中に叫んでいましたね。

今回、優勝した勝因を率直にどういう点だったと思う?

琢磨選手:完全なチームワークのおかげですね。もちろんチームのたび重なるピットストップで、すばらしい仕事をしてくれたというのもありますけど、とにかく車を速くする、この作業がプラクティス(レースの前に行われる練習走行)に通じて、ずっとよかったんですね。予選順位もすごくよかったですし、その速い車を支えるエンジニアとメカニックたち、それからチームメートですね。要は1人だけでは速い車は作れないので、グループランというのを行いながら、実際トラフィックを作り出して、集団で走っている時の強い車というのを見定める作業をしたのが、チームメートのおかげだったので。全員の力で勝てたと思います。

無線の声からも勇気をもらえる?

琢磨選手:やっぱりあれだけの高速でバトルしていますと、ミラーだけでは見えない死角というのが生まれてしまうので、スポッタと呼ばれるんですが、彼らはドライバーの第3の目なんですね。そういうみんなのサポートがあって、自分は集中してレースができています。

残り5周でアタックをかけてトップに出たが、あれには、どういう計算があった?

琢磨選手:あれは、番組の中でも乱気流を説明するシーンがありましたが、要は最初の一番先頭を走る車というのは、重い空気を切り裂くわけですね。ですから、ものすごい空気抵抗が高くなる。対して、その後ろを走る車というのは、空気抵抗を低減して、非常に速度が乗るんです。ですから、近年のインディ500ですと、最終ラップに2位から1位に上がって、そして勝つというパターンが一番いいとされているんですが、僕にとっては、それは非常にリスクが高かったんですね。これは、12年の失敗もありましたし、それから残り5周、4周、3周と抜いていった時に、もしほかのアクシデントが起きて、レースが中断してしまったら、その時点でもう勝つというチャンスがなくなってしまう。でも5周あれば、自分が先頭に出て、そのあと、エリオ・カストロネベスに抜き返されたとしても、まだ自分は抜き返す時間があるわけですね。ですからそれも考えて、僕が先頭に立ったら、何周でカストロネベスが追いついてくるのか、それを見て、残り2周の時に1コーナーを抑えれば勝てるという確信はありました。
(時速380キロで、そういうことを考えながら、走っていると?)
もう本当に脳みそフル回転でしたね。

380キロの速度で3時間ほど走る。やはり体力的にも精神的にも、非常に大きな負担がかかるのでは?

琢磨選手:3時間集中力をとぎらせないためには、やっぱりそれなりのスタミナも必要ですし、非常に大きな負荷が体にかかります。
(重力で言うと何Gぐらいかかる?)
インディ500でいうと、4G近く。自分の体重の4倍ぐらいの圧力で押される感じですね。

レース中、事故で中断した時に、コース上で寝てしまったという話があるが?

琢磨選手:もちろん運転中ではないですね。赤旗でレースが中断した時に、今まで神経をすごく張り詰めていた、それからちょっと解放して、次1時間半やっぱり集中しなきゃいけない。それに備えて、体がすっと休みたいと思ったんでしょうね。本当に1分くらいですけど寝まして、パワーアップをしたおかげで、そのあとの集中力というのが、すごく高い状態で維持できたように感じます。

田中:琢磨選手のレーシングドライバーとしての歩みをご紹介しましょう。40歳での栄冠は、決して早い方ではありません。25歳で日本史上7人目のドライバーとして、F1に参戦した琢磨選手。最高順位は3位。ただ、目標だった世界の頂点を極めることはできませんでした。そんな中、33歳の時にインディカーシリーズに転身しました。これまでのインディ500では、なかなか優勝に届かず、40歳となった今年、8度目の挑戦で、初めての栄光をつかみました。
常に挑戦する姿勢を貫く琢磨選手。大切にしている言葉、“No Attack,No Chance”。この原点は、どこにあるんでしょうか。

“No Attack,No Chance” 佐藤琢磨 信念のルーツ

琢磨選手の母親、昭子さんです。幼いころから、息子の意志の強さを感じてきたといいます。

琢磨選手の母 佐藤昭子さん
「とにかく、おもしろい子。主張がけっこう強い。自分の思うことを、絶対に通す。ただ、わがままではない。自分がこうだと思うと、絶対にその通りにしたいというのが強かった。」

10歳の時、琢磨選手の人生を大きく左右する出来事が。
初めて見たF1のレースで琢磨選手は、伝説のドライバー、アイルトン・セナの姿にくぎづけになります。ライバルたちを次々と抜き去る果敢な走りが、深く脳裏に焼き付きました。
琢磨選手を貫く“No Attack,No Chance”。その原点ともいえるエピソードが高校時代に。レース競技に身を置きたいと自転車を始めた琢磨選手。高校に自転車部がなかったため、学校に掛け合い、自ら立ち上げたのです。琢磨選手は、日本一を目標にトレーニングに励み、高校総体で優勝を果たしました。
顧問を務めた大澤進さんです。今回のインディ500での優勝に、高校時代の琢磨選手の姿が重なって見えたといいます。

自転車部の元顧問 大澤進さん
「練習するときは、ものすごい勢いで練習して、目標は自分できちんと決めて、それに向かって、ただひたすら努力をする。すごいです、その精神力は。どんなことがあっても、次はというふうにすぐに持っていく。」

レーサーへの道をこじあけたのも、琢磨選手の、まずはアタックしてみるという信念でした。レーシングスクールに入学したのは19歳。年齢制限ぎりぎりの挑戦となった琢磨選手。世界の頂点を極めたいと練習を重ね、講師に勝つまでに成長。当時の映像には、レーサーとしての覚悟を語る姿が刻まれていました。

佐藤琢磨選手
「この先、いくつも階段があると思うが、それを全部、数字をつけるなら一番でなければ、当然、最後の目標には行けない。僕は、これでだめだったら、きっぱり(レーサーを)あきらめます。」

“No Attack,No Chance” 佐藤琢磨の信念

20年前は、こうおっしゃっていたが、その後の歩みは、もちろん常に一番というわけにもいかなかった。でも、途中でやめるということもなかった。

琢磨選手:自分の夢はやっぱりトップになることでしたし、そのカテゴリーごとにトップを取らないと次に行けない。F1を走っていた時は、チームの競争力、それも含めて非常に難しい状態でしたけれども、それでもトップ争いができたシーズンもありましたし、すごくいい思い出がたくさんあり、でもインディカーに来てからは、本当に誰でもがトップを狙える、そういう環境に身を置いて、もう諦めるなんてことは一回もなかったですね。
(常に一番を狙うという気持ちは変わらなかった?)
優勝を狙うというのは、今も全くスタイルとしては変わらない。時にそれが、度が過ぎてしまう時もありますけれども、そのスタイルに共感してくれるチームオーナーだったりということで、ずっと走ってきた、それは自分にとっても非常に幸せなことですね。
(それが琢磨選手の考える、“No Attack,No Chance”?)
僕にとってはもちろんラッキーな側面、チャンスというのは、誰にでもやって来るものだと思うんですけれども、正しいタイミングで自分が必要な時に来るとは限らないですね。だったら自分から取りに行くしかないわけです。でも、自分から取りにいくには挑戦を続けるしかないんですね。ですから、この間のインディ500の優勝に関しても、12年の優勝まであと一歩というところでも、そこでも、やっぱり夢を持ち続けて、信じ続けて、挑戦を続けたからこそ、再びこうしてチャンスをつかみ取ることができたんじゃないかなと思います。

チャンピオンになるまで40歳、競技歴も20年。挑戦をし続けるということは、すごく難しいことだと思うが?

琢磨選手:でも好きだから続けたい、好きだからとことん極めたい。僕一人の夢ではないんですね。やっぱりチーム全員の夢だし、そこに携わる本当に多くのスタッフがいて、そのチームを支えるスポンサーさんがいて、そのスポーツ自体を支えるファンがいて、そういうみんなの夢だったり、スポーツという名前そのものがそうですよね、挑戦して、失敗から学んで、また再び挑戦して、そして栄光を勝ち取るっていう。そういう意味では、僕にとってのインディ500というのはすごく大きな夢だったんですけれども、絶対にできると信じ続けて、そして、こうして8回目の挑戦で夢がかなったという意味では、信じ続けることって本当に大切なんだなと改めて思います。

大きな夢の1つを実現させたが、次はどういう夢に向かってチャレンジする?

琢磨選手:インディ500というのは、シリーズ戦の中の1戦なんですけれども、非常に特別な優勝で、ただ年間を通して、まだ17戦あり、後半戦、今入ったところなんですけど、今ランキング3位なんですね。ですからこのあと、2か月、3か月、優勝争いをして、やっぱり年間チャンピオンを取るために頑張っていきたいと思っています。
(そして、その先。人生のチャレンジでは?)
そこはまだどうなるか正直分からないですけど、やっぱりいつまでも挑戦を続けていきたいと思います。

“No Attack,No Chance” 自分の努力を信じ抜いて挑戦し続ける、難しいことですけれども、その勇気を持つことの大切さを感じました。
琢磨選手、これからもチャレンジ、期待しています。

琢磨選手:ありがとうございます。