クローズアップ現代

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2017年6月5日(月)
人工呼吸器を外すとき ~医療現場 新たな選択~

人工呼吸器を外すとき ~医療現場 新たな選択~

いま高齢者医療の現場で“新たな選択”が実践され始めている。それは「延命中止」。患者や家族の希望に添って一度始めた医療から撤退し、最期を迎えるというものだ。「救急医療」「人工透析」「肺炎治療」など様々な医療現場で、新たなガイドラインが出され、医療の中止が選択肢として示されるようになっている。「延命中止」を実践する現場に密着し“命をめぐる選択”の日々を記録。長寿社会のあるべき医療について考える。

出演者

  • 会田薫子さん (東京大学大学院 特任教授)
  • 武田真一・鎌倉千秋 (キャスター)

“延命中止” 医療現場 新たな選択

「命を延ばす」ことを使命としてきた医療。しかし、現場は今大きな変化に直面しています。今年(2017年)、救急隊員が患者の蘇生を中止してもよいとする新たなガイドラインが出されました。

「心停止です。」

背景にあるのは高齢患者の急激な増加。今、救急医療の現場で、かつてタブー視されていた延命治療の中止を実践する動きが広がっています。

救急医
「どういう方針に?」

「(人工呼吸器を)外していただくという方向で。」

患者や家族の希望に沿って人工呼吸器の管を抜く医師たち。患者にとって最善な選択とは何か、模索が続いています。

救急医
「延命的な治療を続けるのか、それとも不要な治療はしないか。これが本当にベストなのかどうかは分かりません。」

回復の見込みがなくなったとき、生と死のはざまでどのような選択をすべきなのか。最前線からの報告です。
呼吸を補助し、命を支える人工呼吸器を外す。これはかつて、医師が殺人罪に問われかねない行為として、医療界ではタブーとされてきました。

鎌倉:2004年、北海道の病院で、心肺停止の状態で運ばれた90代の患者の人工呼吸器を医師が外し、殺人罪に問われたケース。また2006年には、富山県で複数の末期患者の人工呼吸器が外され、医師が殺人容疑で書類送検されたこともあります。いずれも不起訴となりましたが、10年ほど前までは大きな社会問題となっていました。

それが今、法的な議論が進み、高齢者医療においては今年、本人の意思などが確認できれば救急隊員が蘇生行為を中止できるという新たなガイドラインもまとめられ、注目されています。こういった動きの背景には、急速な高齢化があります。回復の見込みが少ない患者が大幅に増える中、治療を続けることの負担を訴える患者や家族の声も高まってきています。また、国の医療費が増え続けていくことへの懸念も指摘されています。
大きな転換点を迎えている医療現場。私たちは、人工呼吸器を外すことを実践し始めた救命救急センターにカメラを入れ、取材しました。

“延命中止” 救急医療現場で何が

高度救命救急センターの1つ、帝京大学病院です。

「血圧、上はどのくらい?」

「120。」

受け入れる重症患者は年間2,500人。今、その半数以上を占めるのが高齢者です。

「ERから90歳女性、意識障害。」

この日、搬送されてきたのは意識障害が出ている90歳の女性。

「瞳孔開いてるか?」

「はい、瞳孔開いてます。」

衰弱が進み、助けることが難しい患者も少なくありません。
その3分後。今度は心肺停止状態の80代の男性が運び込まれて来ました。

「ロスク(心拍再開)です。」

救命措置によって一命を取り留め、人工呼吸器が取り付けられました。しかし、意識は戻りません。患者が高齢であるほど、一度心肺停止になると、例え命をつないでも元の生活に戻ることが難しくなります。

この病院では、10年前に比べ高齢者の搬送数が倍増。救命措置のあと別の病院に移され、回復の見込みがないまま長期入院を余儀なくされる人が増え続けています。

帝京大学病院 高度救命救急センター 安心院康彦医師
「ご高齢で、いろんな手を尽くしても結果的にはゴールが見えない。あるいはあるとしても本当に寝たきりであるとか。ふだん抱えている私たちのジレンマです。」

医療の力で命を延ばすことで、本人も家族も望まない状況が生じているのではないか。病院では、延命治療を中止するという難しい選択と向き合い始めています。
心肺停止の状態で運ばれた、小澤敏夫さんです。人工呼吸器によって延命措置が取られました。意識が戻らなくなった小澤さん。妻のひとみさんには、日頃から「延命につながる医療は望まない」と伝えていました。
このまま延命治療を続けるのか、医師と話し合うことになりました。
小澤さんを担当する神田潤医師です。
CT検査の結果、小澤さんは脳に重い障害が残り、この先も意識が戻る可能性は少ないと伝えました。

帝京大学病院 高度救命救急センター 神田潤医師
「心臓が止まっていて、その間、脳に血流がいってない、酸素がいってないというところで脳のダメージがあったんじゃないか。」

このとき家族に伝えられたのが、延命を中止するという新たな選択でした。

神田潤医師
「いわゆる延命治療というか、そういうことはやめていって、ご本人の生命力を尊重するというか。」

人工呼吸器の管を抜き、自然な最期に委ねるというものです。

妻 ひとみさん
「それこそ本人の寿命を待つという話ですよね。」

神田潤医師
「ただ、管を抜くことによって窒息とかを起こす危険があるのは十分ご理解いただきたい。1回お持ち帰りいただいてご検討いただくのがいいかなと。」

この病院が延命中止を実践に移した背景には、3年前、救急医療の学会などがまとめたガイドラインがあります。治療を尽くしても救命の見込みがない終末期の患者であれば、本人や家族と話し合ったうえで延命措置を中止する選択があるとしたのです。

帝京大学病院 高度救命救急センター 三宅康史センター長
「昔は何でもかんでも助けてしまって、気管切開と経鼻胃管からの栄養で、命は助かりましたよ、よかったですね、じゃあ次の病院でお願いしますという話になっていた。
現実の話、それで(患者)本人が納得しているか。家族がそういった本人の姿をどういうふうに感じているか、割と置き去りになっていたかもしれない。先延ばしにするのはやめて、我々はできる範囲で我々の責任の中で、その(医療を中止する)責任を全うしたい。」

延命を続けるのか、重い決断と向き合っていた小澤さんの家族です。

神田潤医師
「どういう方針に?」

妻 ひとみさん
「外していただくという方向で。」

神田潤医師
「管を抜くという形でよろしいですか。」

搬送されてから2日。家族は、命を支えていた人工呼吸器の管を抜くという選択を伝えました。

神田潤医師
「できることは限られてますが、やれることやりますので。」

1時間後、小澤さんは静かに息を引き取りました。

神田潤医師
「最終的には人工呼吸器を外して抜管して、最後はご家族含めて皆でおみとりするという格好になったんですが、これが本当にベストなのか実際は分かりません。医療者が患者さんなり家族と向き合って、最期をどう迎えるかというのは考えていかなくてはいけない。」

 

ゲスト会田薫子さん(東京大学大学院 特任教授)

この延命中止は、どのようなときに認められる? また、これが実践されるようになってきた背景には何が?

会田さん:まず基本的に大切なのは、適切な医学的な診断であると思います。そこで患者さんがこのあと、どのようになるのかという見極めがついたら、そのあと人生の最終段階をどのように生きていただくか、これはご本人の意思を尊重して決めていくことができる、そのような時代になったということがいえると思います。これは、医療技術が高度に進展して、機械的に最期の段階の命を延ばそうとすることが可能になったこの現代に、果たしてこれがご本人にとってよいのかどうか、そのようなことが問われるようになり、国も医療界も、本当に本人にとって、そしてご家族にとって、一番いい姿はどういうものなのか、そのようなものを真剣に考えるようになって、ガイドラインが作られてきて、そして現状があるということがいえると思います。

鎌倉:その延命中止の議論というのは、どのように進められてきたんでしょうか。延命治療の中止が初めて公的に認められたのは、2007年、国がまとめたガイドラインで、人生の最終段階における医療行為の中止が示されました。その後、議論が進んで、胃ろうなどの人工栄養の中止、透析や人工呼吸器などの生命維持装置の中止、そして肺炎治療の中止などが選択肢としてガイドラインで相次いで示され、徐々に医療現場で広がってきています。

こうしたガイドラインの整備に加え、法的な考え方の整備はどう行われてきた?

会田さん:厚労省の2007年のガイドラインというのは、冒頭でご紹介いただいた北海道と富山の事件化したケースのあとで整えられたものなんですが、そのあとで複数の医学会のガイドラインも出まして、そしてこの10年間、刑事訴追された事案というのは1つもないということが分かっております。
(法的には今はクリアされている?)
はい。

延命治療をやめるという選択、医師や医療スタッフにとっての戸惑いも大きいのでは?

会田さん:先ほどの帝京大のようなケースは、帝京大のようにやってらっしゃるところはまだ本当に僅かで、一般の医療現場では医療者の戸惑いは非常に大きいと思います。それはやはり、医療者は、特に医師は、救命する・延命するということを、これを仕事として教えられてそのようにやってきた。それが治療の中止というのは、あたかも、その中止ということを行った自分が患者さんの命を終わらせてるのではないか、そのように思われてしまう、そういう場合もあるからなんですね。
(それは本人にとって必要のないことをやめたということではなく、あくまで自分の職業的な義務を放棄するというふうに捉えられてしまっているということ?)
やはり、長らくあった医療上の考え方というものが医師の中にしみついていまして、ですが、本当は治療の終了をするということは、本人にとって、本人が望まない姿での機械的な延命を終わらせる、自然な状態に戻すということであるはずなんですよね。それが自分の手で患者さんの命を縮めたというふうにドクターたちが思ってしまうと、そうすると本当にこれはやっていいことなんだろうかということを、医師が迷ってしまうということはあると思います。
(そうした考え方も、これから変えていかなければいけないという?)
そうですね。本当に大切なことはどういうことなのか、今のように技術が進展した社会において、医療者に、患者さんのためにやっていただかなければならないことはどういうことなのかを考えていただくということが大事だと思います。

さまざまな医療現場で始まった延命治療の中止。その選択を示されるのは、患者と家族たちです。そのとき、どのようなプロセスを経て、決断していくんでしょうか。

“延命中止”めぐる 患者・家族の思い

延命中止の先進的な取り組みを行っている、長崎腎病院です。重い腎臓病の入院患者70人が人工透析を受けています。平均年齢はおよそ80歳。高齢化が進んでいます。
人工透析は、血液の老廃物などを取り除き、再び体内に戻す治療で患者の命を支えています。この病院が全国に先駆けて行っているのは、「透析中止」という選択を家族に示す取り組みです。

患者や家族に提出してもらう事前指示書です。
高齢の透析患者は心不全やがん、認知症など深刻な病気になることも多くみずからが判断できるうちに治療継続の意思を確認しておきます。気持ちの変化で何度でも書き直すことができます。

長崎腎病院 船越哲理事長
「やはり患者さんとご家族も含めた気持ちの機微ということだと思う。どっちも選べる、どっちを選んでも間違いではないということだと思います。」

この病院で透析中止を選択し、家族をみとった宮田純子さんです。祖父の鐘成さん。81歳から7年間透析を続けましたが、次第に治療の負担を訴えるようになりました。
終わりのない治療を続けるよりも自然な形で最期を迎えてほしい。家族は本人と話し合い、透析の中止を決断しました。治療をやめて2週間後、鐘成さんは家族に囲まれながら静かに息を引き取りました。

宮田純子さん
「本当にゆっくり時間は過ぎて、その2週間がすごくおじいちゃんのことを考えたのかもしれない。よかったと思っています。やはり死はすごく悲しいことなんですけど、こっちが生かしてあげたいから、延命を本人が望んでいればいいんですけど、望んでもいないのに延命をしてあげるという行為をしなくて私たちはよかったんじゃないかと思います。」

一方で、多くの家族が重い決断のはざまで揺れる現実もあります。
透析治療を続ける成富義孝さん、76歳。認知症の症状が出始め、意思疎通が難しくなってきています。妻の五枝さんです。義孝さんが入院して3年。毎日欠かさず病院を訪れ、看病を続けてきました。

成富五枝さん
「透析してると、力入れて、こうする(握る)んです。(指が)伸びなくなったらいけないと思って、こういうの買ってきてはめているんです。こっちはいつも私がしゃべるときは必ず手を握って、握手してしゃべるんです。」

義孝さんの事前指示書です。初めは、判断能力がなくなったら透析の継続を希望しないと答えていました。しかし、その気持ちが大きく変わるきっかけがありました。衰弱が進み、食事が口からとれなくなり、胃ろうをすすめられたときのことでした。

成富五枝さん
「いま胃ろうしなかったら死んでしまうよというようなことを言って、2日くらい考えましたかね。本人が自分のほうから言ったんですよ、『してみようかな』って。だからその時、もっと生きようと自分でも思ったんじゃないですかね。私はすごくうれしかったです。」

このとき五枝さんは改めて、いつまで透析を続けるか聞きました。義孝さんは「判断力がなくなっても透析を続ける」と答えました。夫の答えを受け、五枝さんは事前指示書を書き換えました。

日に日に衰えていく義孝さん。たとえ元の生活に戻れなくても、一日でも長く生きていてほしい。それが2人の選択でした。

成富五枝さん
「だんだんね、言葉が少なくなるのは寂しいけど、もう少しこのままでいいから生きていてほしい。」

“延命中止”の選択 患者・家族の決断

本人やご家族の気持ちも一つではなく揺れ動いていく。その心を決めるための支えはどうあるべき?

会田さん:まず、医療の体制として、治療の終了が選択肢として示される社会は、治療を受けたいという権利が保障される社会であるべきだと思います。ここは大変重要なことだと思います。そしてその上で、ドクターは、医療者は、患者さんやご家族の側から示された、出された疑問などについても丁寧に答えていただく、そのような対応の仕方をお願いしたいと思います。プロの方は、ご家族の方から何か難しいことを質問されたときに、プロなので『アンサー(答える)』しなくちゃいけないと思うものなんだそうですけれども、でもこの場合には、『レスポンド(応える)』することが大事であると、私は知り合いの医療者から教えていただきました。
(同じ『こたえる』でも、レスポンドというのはつまり『一緒に考える』ということ?)そうですね。共に悩んで、考えるプロセスを共有するということが大事であるということを教えていただきました。

“延命中止” 医療現場 新たな選択

鎌倉:共に考え、共に悩む医療の在り方として注目されているのが、『ACP=アドバンス・ケア・プランニング』と呼ばれる取り組みです。欧米では実践が始まっているんですが、看護師などの専門のスタッフが、患者と医療者側の知識の溝を埋めながら、治療の方針について共に考えて計画していくものです。治療を行った場合は、どんな負担があり、中止した場合には、どんなケアが残されているのか、細かく相談に乗りながら、また、気持ちの変化に合わせて変更もしていくものなんです。日本でも一部の病院で取り組みが始まっています。

人生の最期、医療とどう向き合っていけばよい?

会田さん:私たちは現代、とても長く生きることが可能な、多くの人にとっては長生きが可能な、そのような幸せな時代に生きています。そのような時代にあって、医療者の仕事、救命・延命はもちろん大事な仕事ですが、その長寿の最期の、人生の最終段階をどう支えるか、ここを患者さんやご家族とご一緒に考えてくださる、そのような医療者がたいへん求められていると思います。また市民の側も、自分がどう生きて、生き終わるのかをしっかり考える、そういうことが求められていると思います。
(自分のどう生き続けるかということもさることながら、自分の人生をどういうふうに終わらせるのかということも、考えておかなければいけない時代になった?)
そうですね、よりよく生きるために、『生き終わり』も考えたいと思います。

命を延ばすこと、それが医療の使命だった時代から、患者一人一人の生き方を最期までどう支えるか、共に悩みながら考えるという時代に、今、社会の変化と共に大きく変わろうとしているということを感じました。