クローズアップ現代

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No.38812016年10月25日(火)放送
伝説 いま再び ~夭折の天才棋士・村山聖~

伝説 いま再び ~夭折の天才棋士・村山聖~

伝説 いま再び 〜夭折の天才棋士 村山聖〜

将棋界に君臨し続ける天才・羽生善治の「終生のライバル」と呼ばれた、怪童・村山聖をご存じでしょうか。

名人への挑戦権を持つ、将棋界のトップ「A級」に在籍したまま、29歳で、がんで逝った伝説の棋士が今、再び人々を捉えています。
映画の公開や人気漫画のアニメ化をきっかけに、ロングセラーを続けてきた村山の生涯を描いたノンフィクションや漫画が増刷を重ね、次々と新しい読者を獲得しています。
「もっと早く出会えていれば」「すごい人生。涙が止まらない」。
村山のことを全く知らない世代の心もわしづかみする、その生き様をご覧下さい。

伝説 いま再び 〜夭折の天才棋士 村山聖〜

棋士・村山聖の父、村山伸一さんと母のトミコさんです。
息子が志半ばで命を落としてから18年がたちました。

村山の父 村山伸一さん
「さーっと去って行って、つむじ風のように、彼はあの世へ行ってしまったんじゃないか。」

2人は、息子が生前、密かに書きつづっていた言葉を今も大切にしています。

“人間は悲しみ、苦しむために生まれた。
それが人間の宿命であり、幸せだ。
僕は死んでも、もう一度人間に生まれたい。”

村山の母 村山トミコさん
「自分の命というものに対して、自分がいつ、どうなるか分からないというのを、そういう思いを持ちながら生きていたと思いました。」

命を削り 名人を目指した日々

村山が生きた29年。
それは、常に死と隣り合わせの生涯でした。

重い腎臓の病気「ネフローゼ」を抱え、幼い頃から入退院を繰り返した村山。
学校にもほとんど通えず、療養生活を余儀なくされた少年が病院のベッドで出会ったのが将棋でした。
走ることさえ許されなかった村山にとって、将棋だけが外の世界と自分をつなぐ唯一の糸でした。

“なんの為、生きる?
何故、人間は生まれた。
人間は悲しみ、苦しむために生まれたのだろうか。”

明日の命さえ約束されていない中で、名人になることに全てを懸けたいと願った、村山。

13歳で1人、大阪に出ます。
村山は、ここで将棋一色の生活を送りました。

村山が亡くなるまで、公私にわたり支え続けた師匠の森信雄七段です。
命と引き換えるように将棋に打ち込む、村山少年の姿に心奪われたといいます。

村山の師匠 森信雄さん
「今でも一番、村山くんが書いた文章の中で、僕が心に残っているのが『自分は走れない、もう一生走れません』という言葉があって、でもそれは走れないということで、残念、無念、つらいと思うよりも、走れないということを、他にエネルギーを注いで生かしたい。
子どもなのに、すごいなあと思いました。」

村山が当時、暮らしていた家賃1万3,000円4畳半のアパートが当時のまま残されています。

「真上ですよ。
パチンパチンと、ええ音してましたよ。」

この小さな部屋で、将棋と向き合い続けた、村山。

その生きざまを感じようと、今もアパートを訪れる人たちが後を絶ちません。
この日も東京から、村山を慕う30代の男性が訪れていました。

「いやあ、うまく言葉が出てこないんですけど。
そっか、ここで実際、研究もされて。
万感、胸に迫るものがあって。」

村山は真剣勝負に打ち込んだ後、度々40度を超える高熱を出し、全く身動きがとれなくなることがありました。
そんな時、村山は水道の蛇口を少し緩め、水滴の音を聞きながら、自分が生きていることを確かめていたといいます。
師匠の森さんは、高熱にうなされる弟子の枕元で一睡もせず、看病にあたりました。
村山は少しでも熱が下がると、すぐに将棋盤に向かったといいます。

村山の師匠 森信雄さん
「じっと耐えてるというのは、人に見せないし、知られたくないし、分かってほしくもないという村山流の頑固さとか一途さとか、一徹さがあったと思います。
静かに耐えている時間が長いから、動いたときにすごく色が鮮明なくらい、はっきりした目的を持っているんじゃないかと思います。」

終生のライバル 天才・羽生善治

自分に残された時間を常に意識していたという村山。
病と闘いながら、驚異的なスピードで昇段を重ねていきます。
同じ頃、東京ではライバルが台頭。

その中に、後に史上初めて、7つのタイトルを独占する、羽生善治もいました。

終生のライバルとなった2人。
あらゆる戦法に精通した天才・羽生に対し、村山は終盤の驚異的な読みと粘りで「怪童」と呼ばれました。
村山がその本領を発揮したのが、将棋界最高の戦い「竜王戦」での羽生との対局。
お互い一歩も譲らず、駒を戦わせ合った、終盤。

村山の放った「1四角」が天才を追い詰めます。
波乱に満ちた村山の将棋人生の中でも、会心の勝利でした。

棋士 羽生善治さん
「中盤戦とか終盤戦とか、終わりに近い場面のときに、常識では考えられないような発想の一手を思いつくことができる。」

伝説 いま再び 〜夭折の天才棋士 村山聖〜

勝負には一切妥協を見せない村山は、将棋盤を離れると心優しい青年でした。

「聖の青春」の作者・大崎善生さんは、東京での住まいを探すなど、将棋以外に頓着のない村山の身の回りを支えました。
どんなに体がつらい時も、後輩たちに将棋を教えることをいとわなかったという村山。
対局料が入る度に、海外の貧しい子どもたちのために寄付をする姿を大崎さんは覚えています。

作家 大崎善生さん
「普遍的な優しさというか、絶対的な優しさみたいなものを持っていたから、若い子たち、あるいは弱い子たちに対して、本当に徹底的に優しかったですね。
寄付とか、すごい好きで、里親、たくさんやっていまして。
将棋というものが、どうしても勝つことによって、人を傷つけてしまうことだから、それはずっと気にしていた。」

命を削り、目指した名人の座が後一歩のところまで迫った村山。
25歳の時の言葉です。

“神様のする事は、僕には予測出来ない事だらけだ。
願う事は、これから僕の思い描いた絵の通りに現実が進んでいく事だ。”

しかし、この2年後、村山の体にがんが見つかります。
村山は、脳に影響が出ることを恐れ、抗がん剤治療を拒否。
勝負に挑み続けました。

村山聖 最後の闘い

そうした中で巡ってきた、終生のライバル・羽生善治との一戦。
羽生はこの時、村山が末期のがんに侵されていたことを知りませんでした。

棋士 羽生善治さん
「まさかその年に亡くなるなんて、夢にも思っていなかったので、いつもと同じという言い方は変なんですけれど、特別何か大きな違いというのは感じなかったです。」

ここまでの対戦成績は6勝6敗、互角。
この日、病を隠して臨んだ村山は指し手がさえ、天才・羽生を追い詰めていきます。
得意の終盤に差しかかり、誰もが村山の勝利を確信した、その時でした。

「後手7六角。」

解説者
「ちょっとうっかりしたかな。」

「羽生四冠王の勝ちでございます。」

病の影響か、突然集中力を欠いたかのような一手で、形勢が逆転。
村山は、まさかの敗北を喫したのです。
これが、終生のライバルとの最後の対局になりました。

棋士 羽生善治さん
「その一局とか一回に懸ける、その次があるか、ないかわからない、そういう状況というのは、その時代でも現代でも普通に生きていたら、そういうことは、まずあり得ないわけで、だからそういう人の持っている感じ方とか考え方みたいなものは、胸を打つものがあるのではないか。」

羽生との対局の半年後、村山は29年の生涯を閉じました。
村山を看取った家族が聞いた最後の言葉は「2七銀」でした。

今もロングセラーを続ける、村山の生涯を描いた漫画の作者・山本おさむさんです。

山本さんは妻の律子さんを、村山が抱えていた難病「ネフローゼ」で亡くしました。
打算や計算がはびこる時代。
山本さんは、自分の生き方を貫いた村山の姿に、現代人が失った「魂の気高さ」を見たといいます。

漫画家 山本おさむ
「弱さを多く持っている人。
苦しみを濃縮して、多く抱えた人。
それが村山聖の中に濃縮して、凝縮されたかたちであって、それを彼が短い生涯の中で十二分に表現してと。
一種の聖なるものが現れていて、いつの時代の人も、そういうものに触れたいという欲求があるんだろうと思います。」

その死から18年。
今、再びよみがえる伝説。

村山が命を削りながら一手一手を刻みつけた棋譜をたどる、18歳の女性。
村山に憧れて、この世界に入った、プロ棋士の山根ことみさん。
その棋譜に、会ったことのない棋士の命を感じるといいます。

女流棋士 山根ことみさん
「棋譜を並べたら、すごく気持ちが伝わってくる。
村山先生の一手一手に気持ちが込められているのが伝わってくる。
将棋が生活の一部みたいな生き方ですね。
私もできたらなって思います。」

棋士・村山聖。
その魂は将棋盤の上で、今も生き続けています。

“怪童”村山聖 知られざる素顔

ゲスト 黒川博行さん(作家)

黒川さんは村山さんと親交があり、村山さんについての記事も書かれている 黒川さんの目に映った村山さんの印象は「無頓着」ということだが?

黒川さん:服装とか髪形、あと風呂にあんまり入らないとか、ものをしゃべらないとか。
まあ、とにかく人にどう見られてもいいなというふうなところが見えました。
「カセットテープ」ですけど、一番最初に会った日、京都のホテルで取材をしまして。
ただ、彼に取材をしてもしゃべらないと。
だから森師匠を通じて取材した方がいいですよと言われて。

2人同時に取材したんですけれども、やっぱりしゃべりません。
ただ、じっと僕を見ているだけです。
僕が言ったことは森さんが通訳して、僕に返ってくるというような形で。
そういう意味で人見知りというのでもない、まあ人見知りは激しいんですけれど、子どもの時から割と天才肌で、ものすごい将棋の強い子だったので、いろんな大人が「うちからデビューせんか」とか、いろいろ言ったことで大人に対する不信感が多分あったと思うんです。
それで、奨励会入りも1年遅れていますし、そういうことで少し自分のそばに寄ってくる大人に対して、ある程度の警戒心というのがあったような気がします。
その取材が終わって、京都のホテルから僕の車で大阪市内へ送っていったんですけど。
彼は70年代ロックが好きで、僕の車にもたくさんロックのカセットテープが50本ぐらいありまして、それを彼に見せて「どれかけよう」って言ったら、「英語が読めん」って言うんですよ。
「トイレットという英語だけは読めます」と。
「海外の方へ旅行に行っても困らないでしょ」と言って。
それを聞いた時にハッとしました。
ああそうか、この子は小学校3年ぐらいしか、ちゃんと教育を受けている時期がなかった。
そういうことを別に何のてらいもなく言って。
だから彼の苛烈な人生、それまでの人生を思って、これは聞くべきではなかったなというふうな、ちょっと後悔をしました。
(それを隠さない魅力もあった?)
ありました。
そういうことは全く頓着してません。
これは「無頓着」とあります。

村山さんの印象について、もう1つ「領収証」とは?

黒川さん:それから割と仲良く、仲良くとまではいきませんけど、まあ知り合いになりまして、「このおやじは、俺には害をなさないおやじや」というのが多分彼は分かったようで、時々、家に遊びに来るようになりまして。
家で遊ぶ時は大概、サイコロ転がしたり、カードをしたりして遊ぶんですけど、ある日、領収証を忘れていきまして。
それは対局料の領収証でした。
彼はB2でしたかね、その頃は。
「対なになに8段」って書いてあるんですけど、その対局料の桁がものすごくて、「おぉ、こんなにB1(B級1組)の棋士というのは1回の対局でもらってんのか」とびっくりしたことがありました。
(黒川さんの自宅に、対局料の領収書を落としたことに気付かずに帰ってしまったと?)
記念にずっと持っておこうと思ったんですけど、この間さがしたけどなかったです。

今、村山聖が再び脚光を浴びています。
村山の生き方にほれ込んだスタッフが製作した映画も間もなく公開されます。
その中で、村山聖を演じた松山ケンイチさんと、ライバルの羽生善治を演じた東出昌大さんは、生前の村山を知りません。
しかし、その生き様を知り、強く打ちのめされたといいます。

若き名優が語る 伝説の棋士

俳優 松山ケンイチさん
「混じり気がない純粋さ。
そういうのを村山さんに感じる。
自分が本気になれないで、がむしゃらに動いている人を馬鹿にしているような人は、ぶん殴られるような。
男として格好いい。
それに尽きますね。」

俳優 東出昌大さん
「人生のすべてを何かに懸けるって、すごい難しいことだと思うし、奇跡のようなことだと思う。
映画の中で、本物の村山さんの遺品の将棋の駒が出てくる。
プラスチックの駒なんですけど、ずっと触り続けていたから角がすっかり丸くなって。
お芝居でもテレビ制作のディレクターでもいいと思うんですけど、命を削ってやれる人がどれだけいるのか、そんな言葉で説明できるほど、簡単じゃない覚悟があると思う。」

伝説 なぜいま再び 天才棋士 村山聖

村山さんは生死に関わる言葉をたくさん残していたが、その根底にあったものは何だと思う?

黒川さん:やっぱり「死生観」だと思いますね。
自分は、もう健康な人間とは違う。
あと何年、生きられるだろうという思いが常にあったんだと思います。
僕らは多少とも健康ですから、そこまでは分からないですけど、そこの死生観によって、自分より弱いものを大切にする、あるいは後輩の棋士を大切にするということで、後輩の棋士には随分、人望があったと思います。
関西を代表するスターであり、彼がA級になり、将来は名人になるであろうと仲間の棋士も多分、考えていたんですけどね。
それが半ばにして駄目になって。
それは残念でなりません。

村山さんに関する本を読むと、重病であることを隠して朝までお酒を飲んだり、棋士仲間とマージャンに興じたりと、その姿に悲しみも覚えるが、どのように思った?

黒川さん:それは、やっぱり「無頼」なんですね。
今、もうこんな生き方をできる棋士は多分いません。
13歳で大阪へ出てきて、それからずっと将棋一筋で。
(病院でできなかったことをして、生活でもして。)
一筋に生きたという意味で、ものすごく人々の共感も得られる。
(でも、それは苦しみだけではなかった?)
それは、そうです。
どこまでも将棋が強かった。
大したものです。

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