クローズアップ現代

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No.38532016年8月25日(木)放送
“穏やかな死”を迎えたい ~医療と宗教 新たな試み~

“穏やかな死”を迎えたい ~医療と宗教 新たな試み~

“穏やかな死”を迎えたい

去年(2015年)1年間で亡くなった人は、130万人。
日本は多死社会に突入したと言われています。

WHO・世界保健機関は、命を脅かされる状態にある患者の痛みとして、4種類あると定義しています。
身体的苦痛や精神的な苦痛は、医療者が主にケアに当たります。
社会的な苦痛については、ソーシャルワーカーなどが相談に乗ることができます。
しかし、スピリチュアルな苦痛、つまり死の恐怖や死生観の悩みについては、対応できる専門家は日本にはほとんどいませんでした。

仏教やキリスト教など、30を超す宗教や宗派が連携し、大学の養成講座で、臨床宗教師というスキルを身につけます。
こうした臨床宗教師を養成する取り組みが、新たに始まりました。
その臨床宗教師の役割ですが、特定の宗教を勧めることではなく、患者の話を聞くことが中心です。
全国に先駆けて臨床宗教師を導入した、医療現場を取材しました。

余命わずか “穏やかな死”を迎えたい

岐阜県大垣市のホスピスです。
臨床宗教師の野々目月泉(ののめ・げっせん)さん。
医師や看護師などと共にチーム医療の一員として常時、10人以上の患者のケアに当たっています。

浄土真宗の僧侶でもある野々目さん。
東日本大震災の被災地で遺族のケアを行う宗教者の姿を見て、臨床宗教師を志しました。

この日、野々目さんは患者の1人が緊急入院したと聞き、病室を訪ねました。
松岡君子さん、67歳です。
末期の大腸がんを患い、余命わずかと診断されています。

臨床宗教師 野々目月泉さん
「まだ、これからだよ。」

家族が24時間付きっきりで支えていますが、松岡さんの死への不安を取り除くことはなかなかできません。

夫 松岡清さん
「女房がこういうこと言った。
『もう私、死ぬの嫌や。ひとりで逝くの嫌や。お父さんも一緒に逝って』と。」

松岡さんは何が不安で、何をよりどころにしているのか。
野々目さんは丁寧に耳を傾けます。
すると松岡さんは、これまで自分には支えとなる信仰はなかったと語りだしました。

松岡君子さん
「仏壇はありません。
普通の一般の人と変わらない。
自分がこういう病気になったときに、勝手なもので、神さま仏さまってなる。」

誰もが持っている自分なりの死生観。
臨床宗教師の役割は、患者の言葉を手がかりに理想の死のイメージを探ることです。

臨床宗教師 野々目月泉さん
「その人の人生だったり、その人が今すがりたいものであったり、口に出して宗教、信心はないとおっしゃってるけれども、どこかすがりたい何かがあったり、そういうものがあるのではないかと。
大きなものとつなぐ役割ができたらいいなと。
それは私の信じるものに必ずしもつなぐ必要はなくて、その方がすがりたい何かにつなぐ役目だと思っています。」

入院から9日後。
体調が悪化する中、松岡さんは自分が見た夢のことを話し始めました。

松岡君子さん
「たぶん阿弥陀(あみだ)さま。
私が見たの阿弥陀さま。」

娘 歩さん
「前に夢に出てきたお釈迦(しゃか)さま?」

松岡君子さん
「お釈迦さま。
みんなが後ろに立ってるから、きっとみんな私を。」

臨床宗教師 野々目月泉さん
「いっぱい立ってました?」

松岡君子さん
「一体となってね。
パワーが光っていたと思う。」

“お釈迦さま”や“光”という言葉を、野々目さんは死を迎える準備が始まったサインと受け止めました。
患者が死後のイメージを持つことは、穏やかな死につながる重要なプロセスであることが学術的な調査でも明らかになっています。

死に直面して、恐怖や不安を抱く人の場合、死の先は暗闇、死ですべてが終わると考えていることが多いといいます。

一方、天国、極楽に行ける、光が見える、故人と再会できるなど、なんらかのイメージがある場合は、死によって命は終わらないのだと考えることで穏やかに最期を迎えられるというのです。

医師
「痛い?
ここは大丈夫?」

症状が進み、松岡さんは耐え難い痛みを訴えるようになりました。

医師
「このボタンを押すと痛みがとれる薬(医療用麻薬)が入るんで。」

モルヒネなど医療用麻薬を使うと痛みは和らぎますが、意識レベルが下がっていくこともあります。
(※通常の使用では起こりません)
松岡さんの意識があり、言葉が交わせる時間は限られています。
野々目さんは最後のメッセージを伝えました。

臨床宗教師 野々目月泉さん
「私ね、君子さんにお手紙書いてきたの。
君子さんにね、ありがとうって言いたかったの。」

“光に包まれて旅立つ その日まで
この世の生をつむぐ あなたの戦いを
私は美しいと思います”

松岡君子さん
「ありがとう。」

“心からエールを
そして 感謝を”

臨床宗教師 野々目月泉さん
「大好きですよ。」

松岡君子さん
「私も大好き。」

松岡さんが夢で見た光の世界を具体的なイメージとして表現することで、死への恐怖を乗り越えてほしいと考えていました。
そして、その2日後。

松岡君子さん
「紫の海の上で月の光に照らされながら、少しずつ、少しずつ上がっていきます。
うれしくて、うれしくて、私、なにもお返しできないけど、気持ちだけは本当ですからね。
ありがとうございます。
そういう気持ちにさせていただいて。
感謝の気持ちでいっぱいです。」

松岡さんは、家族に見守られて息を引き取りました。

夫 松岡清さん
「すーっと砂浜に潮が引くように、なんのサインもなしに静かに逝ったよ。
うめき声あげるわけでもない。
本当に眠るようにすーっと潮が砂浜に吸い込まれるように亡くなった。
お母さんは絶対幸せだったよ、間違いない。」

“穏やかな死”を迎えたい

ゲスト 大津秀一さん(東邦大学医療センター 緩和ケア医)
ゲスト 壇蜜さん(タレント)

壇蜜さんは以前、葬儀業界にいたこともあるということだが、臨床宗教師と患者の関わりをどう見た?

壇蜜さん:女性どうし、手を握り合って、お手紙書いてきたのとか、神様の話をこそこそお話、ひそひそ話したり、こっそりお話したりしている姿が、まるでこう、少女たちが2人で思い出を分け合ってるように感じまして、宗教家の方とはいえど、先導ではなく、思いを共有して、その患者さん独自の思いへと、納得できるものへとつなぐっていうお仕事をされているんだなというのが印象的でしたね。

大津さんの病院では宗教家にボランティアとして来てもらっているということだが、宗教家が病院にいると違うのか?

大津さん:どうしても、医療者に対しては、忙しさに対する患者さんの遠慮もありますし、あるいはどうしても医師というのは、よくしてくれる存在に。
(病気を治してくれる?)
そうですね。
あるいは、その症状を取ってくれる存在として考えてらっしゃることが多いですから、なかなか生きる意味はなんなのかとか、あるいは死んだらどうなるのかとか、必ず重い病気になると、そういうことを考える機会があると思うんですけれども、なかなかそういうことに関して話しづらいというようなところがあるんじゃないかなと思うんですね。
実際にそういう宗教家の方、私はホスピスで病院つき牧師、チャプレンがいる病院で働いたことがあるんですが、非常にわれわれには話さないような、そういった生きるっていうのはなんなのかとか、死んだらどうなるのかみたいな話をやっぱりちゃんと相手を選んで話しているようなところがあって、もしかすると医療者が、そうやって聞ききれないところ、支えられてないところというのを、支える存在としてあるんじゃないかなということは思ってますね。

そもそも臨床宗教師の必要性を最初に訴え始めたのは、宮城県で緩和ケアに携わっていた岡部健医師です。
東日本大震災のあと、遺族の悲しみのケアにも宗教者が大きな役割を果たすことが分かって、2012年から東北大学で臨床宗教師の養成が始まりました。
今では、8つの大学に広がっていて、現在、全国40の都道府県で、およそ200人の臨床宗教師が誕生しています。

壇蜜さん:臨床宗教師ということなんですけれども、世界からも日本は珍しいぐらいに無宗教だと言われている中で、その宗教の人々を日本内で、どうやってアプローチしていくんでしょうか?

大津さん:実は先ほど挙がっていた、スピリチュアルな苦痛というのは結構多くの方が感じてらっしゃると思うんですね。
そういうことにもう少し脚光が当たって、そういった苦しみを、あるいは和らげる、支えになる存在として、臨床宗教師があるんだということが、より知られることが、臨床宗教師がもっともっと活躍する場を広げていくことになるんじゃないかなというふうには思います。

壇蜜さん:理解してくれる人としているということですね。

(抵抗感はないのか?)

大津さん:私自身はとりわけ終末期医療にも関わっていますから、非常に助けになることが多いと感じています。
どうしても医師に対してある遠慮ですね、死ぬとどうなるんですかとか、本当に先生、死んじゃうんですか、という苦しみに、どうしても医師に対しては言いづらいこと、それも臨床宗教師には言えて、そういう方がそばにいることによって、その方が答えを見つけていくお手伝いを臨床宗教師がしているという姿を見ますと、本当にもっともっと現場に出て、私自身なんかは感じていますけどね。

壇蜜さん:理解が深まれば、抵抗はなくなっていくということですね。

大津さん:そうだと思いますね。

まだ始まったばかりの臨床宗教師の取り組み。今、みずからもがんで余命わずかとなった1人の医師が、臨床宗教師の大切さを改めて訴えようとしています。

医療と宗教 “いのち”の対話

今年(2016年)2月に発足した臨床宗教師の全国組織。
1人の医師が顧問に就任しました。

田中雅博さん、70歳。
僧侶の資格も持っています。

若いころ、がん治療の最前線で働きながら、死への不安を取り除けない無力感を感じていました。
その後、みずからの診療所を開設。
仏教の教えをもとに患者に寄り添う取り組みを始めました。
これまで500人以上の末期がん患者をみとってきました。

患者
「みんな死ぬんですね。」

医師 田中雅博さん
「死んでもなくならないものがあるんですね。」

患者
「なんですか、それは?」

医師 田中雅博さん
「立派な人のすばらしい行いはなくならないんですね。
ご主人の思い出もなくならないですよね。」

患者
「なるほどね。」

田中医師が心がけてきたのは、患者の話に耳を傾け、その人にとっての人生の価値を一緒に探すことでした。

医師 田中雅博さん
「自分の人生において何が価値があるものなのか、気づかないで持っている場合もあるし、それを気づいてもらう手助けをする。
自分の“いのちを超えた価値”。
そういうものがあったら、それがその人の宗教。」

余命わずかの医師 “いのち”のメッセージ

ところが2年前、みずからにも末期のすい臓がんが見つかりました。
がんは肝臓とリンパ節に転移。
田中医師は、余命はそう長くないと悟りました。

医師 田中雅博さん
「やっぱり自分の番が来たら、それは怖いし苦しみではある。
誰も話を聞いてくれないで、このまま寂しく死んでいったとしたら、これほどつらいことはない。」

刻々と過ぎていく残された時間。

医師 田中雅博さん
「つらいところはありますか?」

患者
「ないです。」

それでも田中医師は、これまでどおり死の不安におびえる患者の話を聞き続けようとしました。

入院してきたばかりの悪性中皮腫の患者。
死ぬのが怖いと訴えていると聞き、様子を見に来ました。

医師 田中雅博さん
「なにか話があるって言ってたようですが、どんな話ですか?」

患者
「…。」

医師 田中雅博さん
「だいぶ疲れました?
大丈夫?」

患者
「疲れた。」

医師 田中雅博さん
「疲れた。」

この日は、胸にたまった水を抜く治療だけにとどめ、後日、話を聞くことにしました。
ところが、田中医師は体調が悪化し寝込んでしまいました。

1週間後、現場に復帰した田中医師。
しかし…。

「このあいだ胸水取った人、お亡くなりになりました。
おひな祭りのときに。
朝、突然。」

医師 田中雅博さん
「突然。」

「もう医者が呼ばれて行ったときには。」

みずからもがんとの闘病を続ける田中医師。
これまでどおり患者に寄り添うことが難しくなったと感じていました。
病状が悪化する中、今、田中医師が力を入れているのが、臨床宗
教師の育成です。
この日、医療者や宗教者が集まるシンポジウムに参加しました。

医師 田中雅博さん
「本人(患者)が自分の話をしているうちに、自分の本質が分かってくる。
そのためにそれを促すように傾聴する。
そして、そこに本人が自分の人生に価値を見いだす。
ですから、医療現場に臨床宗教師がほしい。」

臨床宗教師の役割は、患者の話に耳を傾け、人生の価値に気づいてもらうこと。
余命2か月、最後の訴えです。

余命わずかな医師 “いのち”のメッセージ

画像の説明

壇蜜さん:医師であり、宗教者である田中先生でも、話を聞いてもらわないで亡くなることはつらいよとおっしゃっていたので、やはり、臨床宗教師の方々が一人一人、違う答えを一緒に、その答え、違う答えなんだよというのを一緒に見つけて理解していくお仕事がどれだけ大事かっていうのが、改めて分かりました。

(話を聞いて、その人の大切なものを引き出してくるというか。)

スピリチュアルな苦痛の中には、死への恐怖や死生観の悩みに加えて、自分の人生の意味を見失ってしまうことがある
田中医師が大切にしていたのは、この人生の意味、人生の価値を見いだすことだが、これは本当に大きなことだが?

画像の説明

大津さん:ある程度、重い病気になって、命が限られているということを感じたときに、今まで生きてきた意味はなんだったのだろうかとか、本当にこれでよかったんだろうかとか、そういったさまざまな悩みが出てくるのが、人だと思うんですよね。
そういったときに話を聞いてくれる人がいれば、話をしながらその方の中で、答えが見つかってくるというところがあるので、まさしく田中先生がおっしゃっていたことはそういうことだと思います。

壇蜜さん:それはやはり、肉親ではどうしても難しい部分もありますでしょうか?

大津さん:肉親だと、心配をかけたくないとか、なかなかやっぱりそういう重い話をしてしまって、その不安がらせることを恐れてしまったりとか、それが臨床宗教師や、あるいは医療者もそうかもしれないんですけれども、そういう方に聞いてもらうことで、すっと気持ちが楽になるということは、あるいは答えが見つかるということがあるんじゃないかなと思います。

画像の説明

視聴者からは“ただただ話を聞いて、受容してほしい”“そばにいてほしい”というメッセージも 臨床宗教師への期待があると思うが、今後、広がっていくのか?

大津さん:現在の医療現場は、もう本当に医師も看護師も頑張って、話を聞くようにはしてるんですけれども、なかなか忙しい環境の中で、こういった生への問い、死への問い、それに対してじっくり耳を傾けて、お話にあったように、ただそばにいるという状況がなかなか難しい状況というのがあるわけですね。
なので、恐らくこの良さというのが分かってくれれば、きっと認知度も増えて、広がっていくことにつながってくるのかなと、僕はそういうふうに感じています。
(その中で、難しいなと感じる面もあるのか?)
やはりこのスピリチュアルペインということが、なかなかいい訳語がないということもあって。

壇蜜さん:日本語にする方法ですね。

大津さん:生きる意味の揺らぎということが、あまり認知されていないので、そこに対する支える存在として臨床宗教師があるんだということが知られるということが、普及につながっていくようなことになっていくんじゃないかなと思いますね。

スピリチュアルペインを取り除くことの大切さを知り、臨床宗教師の地位が確立されれば、もっと広がる?

大津さん:そういうふうに思いますね。

“このような仕組みが必要”だと、実際に6月に母親をみとられた視聴者からもメッセージが来ている ここまで死について考えてきて、どんな死を迎えたいか?

壇蜜さん:私の職業、タレントですから、タレントは人に嫌われて好かれるのがタレントだと思うので、やはり亡くなったあとも、泣かれて誰かに笑われてという、同じ比率ぐらいのそういう終わり方がいいかなと思います。
(生き方そのもの?)
そうですね。

今回のグラレコ

番組の内容を、「スケッチ・ノーティング」という会議などの内容をリアルタイムで可視化する手法を活かしてグラフィックにしたものです。

質問
コーナー

Q1

臨床宗教師とは、どのような仕事ですか?具体的に教えてください。

「臨床宗教師」とは、公共空間で心のケアを行なうことができる宗教者です。布教や伝道を行うのではなく、相手の価値観を尊重しながら、宗教者としての経験をいかして、苦難や悲嘆を抱える方々に寄り添います。具体的には、主に話を聞く(傾聴)を行います。聴いてもらうことで、自分の心の中にある思いを誰かに伝えるために、整理したり、気づいたり、仏教、キリスト教、神道な ど、さまざまな信仰を持つ宗教者が協力しています。
Q2

病院で許可しているなら、来てもらってもよいが、ないなら無理にいてほしくない。

臨床宗教師が、病院や介護施設など、公共の場で傾聴活動を行う場合の基本ルールがあり、現場責任者の許可なく、患者・利用者の方々のもとに行くことはありません。あくまで、チームによるケアの一員であり、患者さんなどが、臨床宗教師の傾聴を希望される場合に行われます。
Q3

身近な人が余命わずかと宣告されたとき、穏やかに旅立てるよう、まわりの人たちは何をしてあげられるでしょうか?臨床宗教師のいない病院で、まず取り組めることはありますか?

臨床宗教師の主な活動は、お話を聴く、という活動です。聴いてもらうことで、話したいと思っていらっしゃる方が、ご自身の人生や、ご自身の死生観、いのちの意味などを、自分自身の言葉で紡いでいくことが大切とされています。穏やかな最期のため に何が必要かは、一人ひとりちがいますが、そばにいることだけでも、安心され、意味があることもあります。もし臨床宗教師のような役割が必要な場合は、各地方の各地方の臨床宗教師会にご相談されることも可能です。
Q4

人生の最期を迎えるのは、「長く人生を歩んだ」方ばかりではない。「まだまだこれからの未来を生きたかった」子どももたくさんいるでしょう。そんな「まだ生きたかった」子どもたちの「最期」に、宗教はどう寄り添うのでしょうか。

いのちの長さにかかわらず、臨床宗教師が、死に直面する方に寄り添うときに最も重要なのは、死を意識しながらも、その人の望みや不安に耳を傾け、そばにいることとされています。若い方の場合でも、「生きたい」という望み、死への不安について耳を傾け、寄り添うことで、次第に、家族や友人、お世話になった人への感謝の気持ちや、自分の生まれた意味をご自身の言葉で語られることがあるということです。
Q5

「布教はしない」という説明があったが、宗教的な行為は何もしないということですか。

求めがあれば、宗教的ケアとして、読経や祈りなどをすることもあります。 ただしその場合も宗教的な観念の押し付けや布教や伝道を目的とするものではなく、 あくまで、ケア対象者からの求めがある場合に限られます。

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