クローズアップ現代

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No.37992016年4月28日(木)放送
そして男性は湖に身を投げた~介護殺人 悲劇の果てに~

そして男性は湖に身を投げた~介護殺人 悲劇の果てに~

そして男性は湖に身を投げた 介護殺人 悲劇の果てに

去年(2015年)1年間で、介護や看病が原因で家族などを殺害した事件は、未遂も含めて、全国で44件。
その介護殺人が注目される一つのきっかけとなったのが、10年前、50代の男性が認知症の母親を殺害した事件です。
裁判に立ち会った人々が男性の境遇に涙した、この事件。
執行猶予つきの判決で、裁判官は男性のその後の人生を応援する言葉をかけました。
この事件の経過や裁判の様子は、YouTubeだけでなく、漫画やドラマ、演劇の題材になるなど、今も多くの人々の心を揺さぶり続けています。
しかし、温情判決を受けた男性の再起はかないませんでした。

リポート:小林宏太郎(NHK大阪)

私たちが、地元紙も報じていないこの事実を知ったのは、今年(2016年)1月。
男性Yさんが琵琶湖に身を投げ、62年の生涯をみずから閉じていたのです。
「一緒に焼いてください」という走り書きと共に残されていたのは、母親と自分とを結んでいたへその緒。
私たちは、Yさんに何があったのか知りたいと思い、取材を始めました。

涙をさそった 介護殺人

2006年。
Yさんが起こした殺人事件は、家族介護の厳しさを社会に突きつける、きっかけになりました。
母親と2人で暮らしていたYさん。

認知症の母親を献身的に介護しました。
母親の症状は悪化し、会社を辞めざるを得なくなったYさんは、経済的にも精神的にも追い詰められていきます。
Yさんは心中を決意。
母親との最後の会話は、法廷の人々の涙を誘いました。

Yさん
“もう生きられへんのやで。
ここで終わりやで。”

母親
“そうか、あかんか。 一緒やで。”

Yさん
“すまんな、すまんな。”

母親
“こっち来い、わしの子や。”

裁判官はあえてYさんに、「自分で自分をあやめることのないように、お母さんのためにも幸せに生きてほしい」と語りかけ、執行猶予つきの判決を下しました。
Yさんは「母の年まで生きる」と約束しました。

介護するYさんの姿を見て、よく声をかけていた、竹本繁夫さんです。
判決後のYさんの姿が、今でも忘れられないと言います。

Yさんを知る 竹本繁夫さん
「会った時には『ああ、だいぶ性格も明るくなったな』という印象で、裁判官の言った『お母さんの分まで生きてほしい』という言葉が、一つの生活の糧、生きる糧になっていったんじゃないか。」

介護殺人 再起を誓ったはずが…

多くの人に励まされ、みずから生き直す事を誓ったYさんは、なぜ死を選ばなければならなかったのか。

取材を進めると、Yさんは判決からひと月後、事件を起こした京都を離れ、滋賀に転居していた事が分かりました。

家賃2万2,500円、築38年のアパート。
Yさんは当時55歳。
母親の介護に追われ、独身でした。

自治会長
「総会とか周りの掃除とかそういうときは、普通に出てきてもらってましたけど。」

「どんな印象をお持ちでしたか?」

自治会長
「明るい社交的な方っていう感じです。」

事件当時無職だったYさんが、木材加工会社に職を得ていた事も分かりました。
月収は、20万円前後でした。
休日には、母親が元気だった頃に行っていた、渓流釣りを再び始めるようになったといいます。
Yさんのこの頃の足跡からは、前向きに生きようとする姿勢が感じられました。

Yさんが支援者に宛てた手紙
“寒暖の差多き日々、元気に御過しのことと存じます。
母の一周忌をむかえることが出来ました。
少し生活も落ち着いてきました。
元気に生きています。”

しかし、周囲には事件の事を一切話していませんでした。
住まいを紹介するなど、Yさんの生活を支えていた親戚にさえ、母親の事を話す事はありませんでした。

「お母さんの話は?」

Yさんの親戚
「一切ありません。
ちょっとそういう話も聞きたいなと思って、投げかけるけども、乗ってこないし、そこで途切れてしまいます。
(母親を)あやめたということは引っかかってると思いますよ。
自分の胸に秘めていたんだと思いますよ。」

支えてくれた周囲には、「元気だ」とだけ伝えていたYさん。
その生活も、亡くなる1年半前から狂い始めていた事が分かりました。

61歳の時、Yさんは景気悪化による雇用調整のため、仕事を失っていました。
Yさんが残した預金通帳によると、仕事を辞めた時の所持金は、30万円足らずでした。
Yさんは、金属加工の仕事を一度は得ました。
しかし年のため、視力が弱くなっていたYさんは、手元の作業が思うように出来ず、長く続きませんでした。
「母の年まで生きたい」と語っていたYさんを親戚も励ましていました。

Yさんの親戚
「とにかく『頑張れ、頑張れ』。
老後のこと考えたら、(仕事がないのは)難しいと。
できるだけ働けと。
いくらかは作っていかないと、ちょっとでも貯めていかないとあかんよと。」

亡くなる3か月前。
Yさんの貯金は、6万円にまで減っていました。
それでも、月2万2,500円のアパートの家賃を、一度も滞納する事はなかったといいます。

管理人(当時) 村地文男さん
「(家賃は)もう毎月きっちりと。
(最後まで)礼儀正しかったですよ。
きちっとした服装もされてました、身なりもね。」

経済的に追い詰められても、周囲に助けを求めようとしなかったYさん。 何を思い、日々を過ごしていたのか。

知人がYさんから受け取っていたものに、僅かな手がかりがありました。
母親が元気だった頃に行っていた、渓流釣りに使う毛ばりです。
幸せな時間を思い出していたのか…。
Yさんは1人、狭いアパートで毛ばりを作り続けていたといいます。
亡くなる直前。
知人がYさんの姿をスーパーの前で偶然見かけていました。

Yさんの知人 西村達さん
「普段しゃべっていたときの声より、ちょっと弱々しい声でしゃべっていたので。
それでさよならって感じで別れたんですけど。」

そして男性は湖に身を投げた 介護殺人 悲劇の果てに

Yさんが最期の場所に選んだのは、琵琶湖でした。
遺体の側には、数百円の小銭と、母親と自分とをつないでいた、へその緒が残されていました。

Yさんの親戚
「身内として、なぜここまでになる前に言ってくれなかったのか。
『これからはお母さんの分まで長生きしてください』と、裁判官の言葉に対して、それを聞いて涙流したはずやと。
何でもかんでも自分がひとり抱え込んでしまったのかなと。」

母親の年まで生きると誓いながら、果たせなかったYさん。
介護、孤立、そして老い。
Yさんの人生には、今の社会が抱えるひずみが、色濃く映し出されていたのではないか、そう感じました。

そして男性は湖に身を投げた 介護殺人 悲劇の果てに

ゲスト 大村崑さん(俳優)
ゲスト 斎藤真緒さん(立命館大学産業社会学部准教授)

事件からしばらく経って、Yさんがみずから命を絶ったというのは言葉を失うような事実だが、大村さんはどう見た?

大村さん:このYさんって方は、非常に真面目な方で、我々一般人のように明るくて、おしゃべりで、何でも苦しい事も面白い事も話ししたりするような人じゃないんですよね。
だからお友達がいてても、親戚の人がいてても、お話をなさらないので、だんだん追い詰められて、持ってるお金も少なくなってくるし、一番大きいのは、やっぱり自分があの手で母を殺したっていう、死なせたっていう、これが大きな重しとして、のしかかって来て、にっちもさっちもいかなくなったんじゃないかなっていうそう感じましたね。

斎藤さんは、実際にYさんの裁判を傍聴しているが、この事実を知った時、どう感じた?

斎藤さん:やっぱり本当に残念でしたよね。
裁判の中では、Yさんはずっと泣かれていて、お母さんのもとに行きたいっていうふうに何度も何度も繰り返してたのが、すごく印象に残っています。
当時、同じような介護殺人事件があって、加害者の方が執行猶予がついたんですけれども、その直後に自殺をしてしまったって事件もありまして、生き続ける事が被害者にとっての一番のしょく罪だというメッセージが込められていたと思うんですけれども、Yさんもそれを必死で守り抜こうとしていたが、それを成し遂げられなかった事は、本当に残念な事だなと思います。

裁判官の言葉はどう感じた?

大村さん:皆さん、裁判官のお話を聞かれて感じられた事は、たくさんの方がいらっしゃると思うので、僕は、かえってYさんにあの言葉が重すぎたんじゃないかなという、ちょっとね。
それが、道しるべにならずにかえって、行こうって前進んでるんだけど、母の年代まで俺は生きれるかな、何であんな事してしまったのかなっていう。
世間との何を遮断してしまった人というのは、我々は想像できないんですけど、懐を開けてお話をしないし、だから裁判官が言われたのは一番いいお話だったと思うんだけど、かえって彼にしたら大変なおもりのある言葉がのしかかってきたんじゃないかなと、僕は感じましたね。

Yさんが亡くなった時に、へその緒を持っていたという事も心に強く残ったが、介護する相手への気持ちには特別なものがある?

斎藤さん:やっぱり家族の介護って、本当に難しいと思うんですよね。
専門家がやるようなケアとは違って、家族固有の割り切れなさというのがあるんじゃないかなというふうに思います。
やっぱり出来るだけの事はしてやりたいという、すごく強い思いが家族ゆえにあるとは思うんですが、体の負担もありますし、精神的にも尽き果てる事も当然ありますし、介護に付きっきりの生活の中で、どうしても社会との接点が、Yさんもそうなんですが、どうしても薄くなってしまいます。
「介護ロス」という言葉があるんですけれども、看取った後、ぽっかりと喪失感に襲われてしまって、やはり「自分の介護これでよかったんだろうか」。
多くの方が後悔したり、悩んだりする人、とても多いというふうに感じています。
介護ロスから回復するためには、少しずつではあっても、社会とのつながりをもう一度取り戻していくという事が大事なんですが、今回それが出来なかったという事が象徴になってるかなと思いました。

Yさんの人生に関して、NHKに寄せられた意見:大阪府52歳の女性「自宅介護をしていました。亡くなった時、喪失感や自分の存在価値が無くなったように思い、ふぬけ状態でした。幸い私はその後、打ち込めるものができて、今は公私ともに充実していますが、この男性の気持ちは、理解できるような気がします。」

Yさんの事件の裁判を巡っては、裁判官が「問われているのは行政であり、介護保険制度」と語った事も当時大きな反響を呼びました。
それから10年。
介護を巡る事件は今も相次いでいます。

介護殺人 続く悲劇

一昨年(2014年)奈良県では、母親を介護していた50代の長女が、保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されました。
40代で仕事を辞め、介護に専念していた長女。
数日間、家を空けていた間に母親が死亡していたのです。

去年、大阪では、長年、妻を介護してきた男性がみずから命を絶ちました。
男性は、4年前リューマチで寝たきりだった妻を手にかけ、実刑判決を受けていました。
男性は、介護についても、出所後の生活についても、悩みを打ち明ける事はほとんどなかったといいます。

日本福祉大学 湯原悦子准教授
「家族の形が変わってきていますので、昔は健康で動ける、余裕のある介護者像が、介護保険導入の時には想定されていたが、今は介護者の方が心配なぐらいの方がかなりいる。
家族の数が少ないので、大変負担は大きくなっている。」

家族介護 相次ぐ悲劇

介護殺人は、今月に入っても、兵庫県で80代の夫が70代の妻を殺害する事件が起きている 10年前の裁判官の問いかけは社会に届いている?

斎藤さん:残念ながら、介護のサービス、そして人材・量・質ともに、今の急速な高齢化に伴っては十分だとは言えないと思います。
特に介護保険制度は、去年改正があったんですが、その中で、自己負担率が上がって、必要なサービスが使えない。
あるいは、施設に入れたい預けたいと思っても、入所の基準が厳しくなってしまったので、預けられない。
そうすると、やっぱり結果的には、大部分の介護を家族が負わなければいけない状況が生まれてきています。
他方では、家族の形も今のVTRにもありましたが、大きく変わってきています。
なので、例えば、共働きで介護をしなければいけない。
あるいは、遠く離れた親を介護しなければいけない。
家族の形が変わっていく中で、家族の負担の形というのも、やっぱり変わってきてるんじゃないかなと思います。

大村さんは、お母様を介護された経験からどのような事を感じた?

大村さん:うちは、母は57年に亡くなりましたけど、その前の年、私、家内、それから長男、次男4人で、専門の付き添いのおばさんはいました。
母のベッドの下で、夜中寝てたりして。
でも介護は、近所でしたから、私が行く、次は妻が行く、長男が行く、次男が行くと、誰かが行ってる、見てる、8時になったら帰ってくる。
そういう繰り返しでしたけど、母は脳梗塞で全然行っても話は出来ないし、こうしても一点見つめたままで返事もしないし、だからそういう意味ですから、4人が束になってやったのがかえってよかったんじゃないかなという。
それで、4人で母は90日間で逝ったんですが、あと、それがもう一つ延びてたら、うちの中、真っ黒けになっちゃってましたけど、母が90日で逝ってから、「みんなよくやった、頑張った」っていう、そういう感じがいまだにしてますね。

斎藤さん:90日というのが一つのポイントで、延びてしまうと家族がどんどんどんどん消耗していきますよね。

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