クローズアップ現代

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No.36692015年6月16日(火)放送
そのパソコン遺(のこ)して死ねますか?~デジタル時代の新たな“遺品”~

そのパソコン遺(のこ)して死ねますか?~デジタル時代の新たな“遺品”~

元気なうちに パソコン“終活”

京都市の髙田節雄さんです。
パソコンを愛用して20年。
去年(2014年)脳出血で倒れたことを機に、パソコン内のデータを整理しようと考えました。
ネット上に銀行口座を持ち株の売買もしている髙田さん。
どんな取り引きがあるのか、IDやパスワードと併せ、書き出しました。

髙田節雄さん(70)
「(口座情報などを)きちっと伝えることが大事だと思います。」

髙田さんは、家族に遺したいデータの整理にも着手しました。
しかし作業は一筋縄ではいきません。
フォルダの中にさらにフォルダ。
写真だけで5,000枚を超えていました。

髙田節雄さん(70)
「ものすごいデータの量になって、とめどもなく私の命が縮まっていくんじゃないかという気がします。」

削除する決心がなかなかつかない髙田さん。
「人生訓」にも、遺すと印をつけました。
「心の糧七ヶ條」「ことわざ集」。
削除できるデータはあまりありませんでした。


髙田節雄さん(70)
「不要なものは全然ありませんから、私としては。
もう後に託すしかないのかな。」




髙田節雄さん(70)
「マウスで『OK』を。」

妻 元子さん(67)
「マウスで『OK』…。」

髙田さんの妻・元子さんはパソコンが大の苦手です。

妻 元子さん(67)
「これでいいのね。」

髙田節雄さん(70)
「反対、反対。」

自分が大切にしたデータを引き継いでくれるのか。
不安を感じる髙田さんです。

髙田節雄さん(70)
「コンピューターというのは、そういう能力を持っている。
利用しないとアカン。」

妻 元子さん(67)
「がんばらないとアカン。」

髙田節雄さん(70)
「覚えてください。」

妻 元子さん(67)
「はい。」

開けてびっくり “デジタル遺品”

持ち主の思いや人生が投影されたデジタル遺品。
中を見て戸惑ったという人がいます。
池田あゆみさんです。
6年前、夫の芳郎さんをがんで亡くし、デジタル遺品の整理に追われることになりました。


池田あゆみさん
「これきょう見つけて、これはきのう見つけたんです。」

この日、出てきたのは新婚旅行のときの映像でした。



池田あゆみさん
「(新婚旅行)初日じゃないかな。
初日だね、到着した日だ。
えーっ、これ何?
こんなのも撮ってたんだね。」

声:芳郎さん
“水がめっちゃきれいです。”

あゆみさんは改めて、芳郎さんの深い愛情を思い出しました。

しかし、デジタル遺品の中から意外なものが出てきたこともありました。
ゲームなど興味がなかったはずなのに、ゲーム会社の会員に登録。
ネット銀行に口座開設の申し込みをしていたことも分かりました。

池田あゆみさん
「それを何に使おうとしていたのかわからないし、ここの画面の向こう側にどれだけあるの。
想定外のものがいっぱいでてくる。」

40代で結婚した2人。
それぞれの生き方を尊重しようと誓い合いました。
これ以上、夫のプライバシーに踏み込むべきではないと思ったあゆみさん。
結婚前の写真やメールなどは開く前にすべて廃棄しました。

池田あゆみさん
「隠したかったこととか掘り返して、そこでまた私がそれをずっと引きずることって、 それこそ私にとっては避けたいというか、やりたくないことなんですよね。」

“デジタル遺品” 遺族に代わって整理

デジタル遺品をどう扱うのか。
遺族を支援するビジネスも始まっています。

都内にあるこの企業。
先月(5月)、デジタル遺品整理サービスを立ち上げました。
遺族の依頼を受けパスワードを解除。



データサルベージ 阿部勇人社長
「中に画像がずらっと出てるかと思うんですが、こちらのデータを抽出していきます。」




顔認識技術を使って、本人や家族が写っているものだけを取り出します。
さらに、際どい写真を排除することも可能です。
例えばデータの中に水着の女性の写真があると…。



データサルベージ 阿部勇人社長
「3,000枚の画像のうち550枚が怪しい。」

写真全体に肌色が占める割合や、輪郭などを検知して水着の写真は排除されました。
最後は写真の内容を社員が直接目で見て確認。
その後、ハードディスクを粉砕しデータを完全に消滅させます。

データサルベージ 阿部勇人社長
「遺族の方々でも、見なくてもいいものも中にはあると思うので、そういったデータを私たちがきれいにさせていただいて、ご遺族の方々に昔の和んでいた故人の思い出をこの写真でお渡しをしたいと考えています。」

そのパソコン 遺(のこ)して死ねますか

ゲスト黒崎政男さん(東京女子大学教授)

●スマートフォンやパソコンの中に自分が何を遺したか考えると、やっかいでは?

そうですね、いっぱい。
コンピューターが人類の歴史に登場して数十年ですけど、その中でパーソナルコンピューターっていうのが20年ぐらいだと思うんですけど、ついに遺品として残るような時代に入ってきたってことですよね。
パソコンというのは、外から何が見て、何が入っているか分からないっていう、それは内容の量と、それから外の物量としてのかさが無関係なんですね。
これは情報のデジタル革命っていうか、以前、情報っていうのは必ず本に、紙に載っているとか、レコードに載っているとか、必ずそのメディアごとにいろんな物質に載っていたわけですけど、それを全部、この0と1の情報に書き換えて保存する。
これがデジタル革命、コンピューターのデジタルっていうのはそういうことだと思うんですけども、そのことによって場所を取らないわけですから、例えば1,000枚の写真を遺そうと思ったらこんなになりますけれども、全然場所を取らないっていう形でどんどん蓄積される。
それはまあ情報の非物質性っていうことになりますけど、それは取捨選択が不要になるっていうことですよね。
だから、どんどんどんどん詰め込むという構造をしていると思いますね。
(片づけしないまま、どんどん増やしている状態?)
そうです。
それで、キーワードやパスワードで引っ掛けてくれば、検索すればいいわけですから、以前は、きちっとものは整理して、保存しようっていうことだったですけれども、とにかく入れとけばいいっていう構造になってる。

●パソコンの中の情報をどこまで親族に知らせるか、悩む人も多い?

そうですよね。
この問題が出てきて、あっ、そういうことかっていうことに、急に思いいたすわけですけれども、パソコンの中身っていうのは今言ったように、非常に私個人の濃密なプライベートなクローゼットにもなっている。
もちろん一方では、世界に開かれているネットワークで生きている私の拠点でもありますけれども、そういうものが詰め込んであって、それが遺品として遺された場合に、遺された側はその中身を見るかどうか、見たほうがいいかどうかっていう。
(遺す側は口座やパスワードを伝えるなど、合理的なことはやっておかないといけない?)
つまり、これまでも遺す側というのは、どういうことが遺るかっていうのは、まああったわけですから、それは基本的にパターンとしては変わらないんだけど、遺される側からすると、パソコンの中身はきわめて濃密な情報の塊ですから、それを開くべきかどうかっていうのは非常に難しい。
さっきの例であったように、あたかもパンドラの箱のように感じられるかもしれないし、開けてしまえば何か不幸がいっぱい飛び出てくるような箱にも感じられるし、パンドラの箱というのは最後に希望が残っていて、それも出てくるっていう構造もありますけど、先ほどのように開かずにそのまま破棄するというのも、故人を思いやる、遺品と向き合う、1つの在り方だと思いますね。

●人間は人と出会ってコミュニケートしているとき、さまざまな側面がある?

そうですよね。
例えば私がこうやっているときでも、パーソン、ペルソナっていうか仮面って、悪い意味じゃなくてですね、私の中にはいろんな思いがあって、「ああ、眠いな」とか「きょうは来なきゃよかったな」とか、そういう思いの中で私は今にこにこしてしゃべっているわけですけれども、これが「私」なわけですね。
その背後にある私を私というべきか、眠たいなとか帰りたいなとかいうのを私は決断してここでしゃべってるっていうのがペルソナ、対人関係なんですけれども、そのすべて、「眠いな」なんていうのもすべて入っているわけですから、それを対人関係の中で、私にとってのこの人だったものの、そうでない側面もすべて入っているという意味では、見なくてもいいかもしれない側面まで含まれている。
(誰かにそれを整理してもらえるというサービスはよい?)
先ほどの、遺族に代わってそのデジタル遺品整理っていう、あれはパソコンのエンバーミングっていいますか、送り人、死に化粧をしてあげる。
例えば遺体っていうのは、そのままの形では非常に遺族に精神的なストレスやショックを与える。
だから、きれいなあたかも眠ってるかのごとくの安らかな遺体に修復して保ってあげる、送り人っていう、死に化粧してあげる。
それがもしかしたら今日、それは肉体に関してでしたけども、パソコン上に残った個人の情報もエンバーミングして、遺族に渡すっていう形も1つ大きくありえると思いますね。

●デジタル遺品の問題 最終的に何を投げかけている?

そうですね。
いろんなパターンはありますけど、例えば従来でも鍵のかかった日記帳が出てきたときにどうするかっていうのと基本的には変わらない問題で、遺す側が構えを、自身の死に備える。
でもパソコンの場合に、例えばあまりにパスワードをかけすぎて自分でも開けないとか、あるいは死後消滅プログラムを組んどいたけど間違って消滅させてしまったっていうこともあったりして大変な問題がありますけど、このパソコン遺品というのは、従来からあった、遺品とどう向き合うかという問題がより意識化、明確化されてしまった問題であるというふうにも見えると思いますけど。

息子が遺(のこ)した生きた証し

長崎県佐世保市に住む、三谷綾子さんと夫の正明さんです。
10年前、一人息子を病気で亡くしました。




三谷純さん。
筋肉が徐々に衰えていく難病・筋ジストロフィーで、22歳の若さで亡くなりました。
10歳を過ぎたころから思うように歩けなくなった純さん。
次第に1人で外出することも難しくなりました。


三谷綾子さん
「人がする恋愛とか喜びとか知らないで、かわいそうねって内心思っていた。」




三谷正明さん
「パソコンに向かってるときは、ここでずっとやっていた。」

亡くなる2日前の写真です。
パソコンの前から離れなかった純さん。
亡くなったあと、愛用していたパソコンから意外なものが見つかりました。

純さんが書いていたブログです。
そこには自作の英語の詩が掲載されていました。

“夢を信じて 望みを捨てるな”

いつか映画の翻訳家となって、自分の名をスクリーンに残したい、それが英語が得意だった純さんの夢でした。
ネットを通じて親しくやり取りをしていた女性がいたことも、両親は初めて知りました。

三谷綾子さん
「ブログには息子の私たちに見せない一面もあるし、病気であまり外にも出なかったけど、ネットの中でこんなことしてたのって初めて思って、幸せだったのかなって思って。」

ネットの中で生き生きとしていた息子。
ブログを読み進めていると、あるメッセージが目に留まりました。
亡くなった半年後に届いたものでした。

“初めまして。
おもしろい英語表現を探してたら、ここにたどりつきました。
また見にきますね!”

亡くなったあとも、純さんのことばは読者の心を動かし続けていました。

“デジタル遺品” 亡き息子から母へ

純さんのブログを残したいと考えた綾子さん。
パソコンの操作を、純さんの同級生に一から教わりました。
純さんが亡くなったことを明かしたうえで、純さんの写真や詩をアップしていきました。
小学1年生のときの詩。


『いちばんすきなのは』

“ママ だれがいちばんすき
ぼくがいちばんで
パパはにばんにしてね
おねがい ママ
ぼくはママがいちばんすき”

すると、さらに多くのコメントが寄せられたのです。

“『いちばんすきなのは』って詩に感動しました”

“じゅんさん、とっても素敵な方なのでしょうね”




インターネットの中で純さんは生き続けている。
綾子さんはそう感じるようになりました。
今、綾子さんは日常をブログにつづっています。
純さんに報告するためです。

三谷綾子さん
「純に、一生懸命お父さんもお母さんも生きてるよと知らせるために書いている。
本当は亡くなっているけど、ネットの世界では生きていると思う。
そこに存在があるような気がする。
息子が遺(のこ)したものが。」

ネットに残り続ける“デジタル遺品”

●亡くなったあとに息子の豊かな日常を違った形で発見した?

ですからネット上の私っていうのは、多重な私といいますか、現実に生きている私とはまた別な生き方をしていたり、私が肉体として滅ぶときに何が滅ばないのかっていうことですよね。
ネット上の情報っていうのは一生消えない、死んでもずっと消えないということもありますし、もしかしたらネット上でゴーストとしてさまよう。
あるいは残り続けるっていうことですね。
だから電脳空間でもしかしたら、私というものが時空を超えて生き続けるという可能性もある。
(母親がブログを管理するようになってから、息子が生きているように?)
感じるようになったということですよね。
だからそれは恐らく、遺品っていうのは喪の作業っていいますか、喪に服する作業といいますか、死んだ人間がもう別離、大きな別離なんだと、帰ってこないんだというふうな形で、死を悼む作業の非常に大きな要素を占めているわけですけれども、今のそのデジタル遺品の場合、ネット上のいろんなコミュニケーションやなんかの残りですね、それは故人があたかもこの世から消える、世を去るのではなく、なんかネットの世界で新たな人や世代に出会い続けてるっていう、別な形で生きているんじゃないかという形での死の受容といいますか、死を悼むっていう形の形がありうるんだということを感じますね。
(そのブログが母親によって管理されているケースもあれば…)
放置されてかなり荒らされたり、あるいは追悼ブログのようになって、いろんな人が書き込んだり、いろんな形もあって、ネット上の情報というのは何も非常にきれいなことばかりじゃなくて、荒らされてみたり、あるいは人工知能があたかも死者に代わって発言を繰り返すような、そういう混とんとした世界でありますけれども、少なくともネット上の世界で生きているという形で死を悼むっていう形がありえると。
(死生観にも変化が出てくる?)
そうだと思いますね。
死って何かってことにも影響がありますし、それが生きているということにも関わってくると思いますけども。

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